千色の声
二人の少年が河原で剣を振るい、ガコンと木剣がぶつかる音がする。
「勝ったー! あー、だるい。疲れた。屋敷に帰る前に昼寝したいくらい」
そう言ってしゃがんだ黒髪の少年の名前はレムレス。
十五歳になったレムレスの顔は、どこか女性らしさがあり、剣を握っているよりも扇を持って舞う方が似合いそうな顔をしている。
そんなレムレスが先ほどまで剣を振るっていた少年に顔を向け、少し嬉しそうに口元を緩めた。
「これで剣の勝負は僕の2500勝2498敗だっけ? ファムト」
「違う。これで2499勝2499敗だ。勝手にそっちの勝ちを増やすな」
ファムトと呼ばれた少年は苦笑いしつつ首を横に振った。
ファムトはレムレスと同じ黒髪で琥珀色の目を宿している。
とはいえ、顔の雰囲気は正反対で男らしい顔つきをしていて、レムレスト同じ十五歳のはずなのに、大人顔負けの威厳が感じられる。
「あぁ、そっか。戦図盤での戦いが2499勝2498敗で僕の勝ち越し中だったか」
戦図盤とは様々な地図を使って、お互いの軍隊を戦わせるある種の遊技のことだ。
二人は出会ってから十年間ずっと剣の腕と軍略を競い合ってきた。
しかも、その腕は完全に拮抗し続けてきた。
「今夜は俺が絶対に勝つからな」
「今日も僕が勝ち越す」
「昨日と同じ策は効かないぜ?」
一度負ければ二度と同じ失敗は繰り返さない。
その積み重ねで、二人の腕前は既に達人と呼んでも良い域に達しようとしていた。
とはいえ、二人は別に武人の息子でも無ければ、兵士として徴兵された訳でもない。
とある豪商の小間使いでしかなかった。
「そろそろおつかいから帰らないと叱られるし、屋敷に帰ろう」
レムレスはそう言うと、米が一杯に詰まった袋を背負って立ち上がった。
屋敷のどら息子では到底背負えない重さだろうけど、鍛錬を続けてきたレムレスたちにとって多少の荷物を運ぶのは余裕だった。
けれど、この国はただ道を歩くだけでトラブルに見舞われることが多かった。
腰に剣をぶらさげたチンピラが突然、レムレス達の前を歩いていた少女の尻をわしづかみにしたのだ。
「お、お嬢ちゃん良いケツしてんなぁ。俺と良いことしないか?」
「や、止めて下さい。誰か助けて……」
街の大通りを歩けば必ずと言っていいほど横暴な態度を取る人間がいた。
チンピラは片手で少女の尻を揉みながら、品定めでもしているかのように髭の生えた顎を撫でている。
そのチンピラの顔はかなり赤く、昼間からかなり酔うほどの酒を飲んだようだった。
「へぇ? ソウハ人が俺らユアン人に盾突くとどうなるか分かって言ってるの?」
「そ……それは……」
「お前らソウハ人は俺らユアン大国に負けた。お前らは俺たちの下僕なんだよ! 男は労働奴隷! 女は性奴隷だ! 大人しく受け入れろってんだ! 王族の生き残りもいちいち抵抗しやがって探し回るこっちの身にもなれ! これ以上出てこないんだったら俺達百人隊でこの街を犯し尽くすぞ!」
「あっ……やめて……かはっ……」
チンピラは突然どなると少女の首を両手で掴んで持ち上げると、ギリギリと手に力を込めていく。
かなりの力があるのか少女の足が地面から離れ、苦しそうに足をバタバタさせている。
さらに力を込めていくチンピラの言葉にもはや意味は無く、酔っ払いのただの八つ当たりでしか無い。
けれど、通りを行く人は見て見ぬ振りをしていて、誰一人助ける様子はない。
何故ならみんな同じ目に遭いたくないのだ。というのも、チンピラの言うことは間違っていない。もし、ユアン人に手を出したらどんな理由があろうと厳罰に処される。下手したらさらし首だ。
しかし、見捨てない者が二人だけいた。レムレスとファムトだ。
二人は少女の横を通り過ぎた振りをして、路地裏からチンピラをのぞいていた。
「ファムト、助けるよね?」
「もちろんだ。作戦を頼むぜレムレス」
「相手は酔っ払い。周りの人も見て見ぬ振りをしているから石を投げても気付かれないだろうし、向かいの屋根の上に登って石を投げたら、すぐ路地裏に隠れて」
「分かった」
レムレスは通りを挟んで反対側に離れた。
そして、レムレスが手で合図をすると、ファムトが屋根の上から小石を投げてチンピラの背中に直撃させる。
「いてえ!」
石の当たったチンピラはたまらず少女から手を離し、痛がるように飛び跳ねた。
だが、小石程度ではすぐに回復して怒り狂ったように叫び始めた。
その怒りはもちろん石を投げた犯人に向けられてた。
「俺に石を投げたのは誰だ!」
「こっちだ! 八百屋の隣の裏路地に逃げたぞ!」
レムレスが声の調子を変えて叫ぶ。その声はまるで初老の男性のように野太く枯れていた。
とても少年から出る声だとはその場にいる全員が思わなかった。
「くそったれえ! ぶっころしてやらあああ!」
チンピラは声の主だったレムレスを疑うことなく、フラフラ走りながらレムレスのいた裏路地へと走り去って行って消えた。
その後、犬の吠える声と男の驚く声がしたので、犬の尾でも踏んで追いかけられたのだろう。
良い気味だと言いたい所だったが、酷く酒くさい男の臭いに、レムレスは鼻をつまんでいてそれどころじゃなかった。
「世直し成功だなレムレス。ん? どうしたんだ?」
「あのチンピラかなり臭かった……」
鼻の奥につーんと来たとレムレスは大きく息を吸い込んだ。
若干涙目になっているレムレスと顔をひきつらせているファムトは、ささっと荷物を背負い直すと、何事もなかったかのように立ち去った。
もしも、少女に助けたのが自分達だと明かせば、きっととても感謝されるだろうし、異性として憧れを抱いてくれるかもしれない。
けれど、自分達が少女を助けたと喧伝したら、あっという間にユアン大国の兵士達に捕まってしまうだろう。
そのせいで、二人は影の英雄に甘んじなければならなかった。
もちろん、不満はある。けれど、それ以上に影ながら悪を退治する自分達がカッコイイとも思っていた。
「にしても、すごい特技だよな。声を変えられるって。おかげで誰も俺達がやったって全然気付いてないぜ」
「そうかな? 屋根を軽く登れるファムトの方がすごいと思うけど」
「いやいや、お前の声って男と女合わせて千人以上は真似出来るだろ? どう考えてもそっちの方がすごいって」
レムレスは幼い頃より自在に自分の声を操れた。
しかも、やろうと思えば腹話術のように口を動かさずとも声が出せる。
この特技を使ってレムレスは泣きわめく子供達をしょっちゅうあやしていた。
そういう意味ではレムレスにとって声真似は遊びの一種のような物でしか無かったのだが、ファムトはしきりにレムレスの声を褒めている。
「声っていうのは意外と大事なんだぞ。戦場でも通りやすい声があると伝令が通じやすいだろうし、何より士気があがるからな」
ファムトはそう言うと握り拳を作り、レムレスの前に突きだした。
「俺の剣とお前の指揮と声。俺達二人が揃えばユアン大国からみんなを助けられる。あいつらにでかい顔されず、みんな平等に生きられる世界になるんだ」
「すごいこと言ってるけど、今の僕たち、孤児院から商館に追い出されたただの小間使いだからね」
「だからこうやって出来ることからやってるんだろ? 剣の練習も人助けも積み重ねていけば、ソウハ再興軍の耳に俺達のことが入って、スカウトに来るかもしれないだろ? そうなれば、俺とお前でソウハ国を助ける英雄になれるんだ」
そう言ったファムトの目はお伽噺に憧れる少年のように輝いている。
レムレスはその目を見ると諦めたようにため息をつき、握り拳をファムトの拳に軽く当てた。