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竹宮羽音の人生相談  作者:
競技場の君を見ていた
9/24

#09 有川澄春の場合-9

 放課後。

 俺は校舎の片隅、『救済の会』の部室……ではなく正式には“会室”なのだろうか……に居た。

 室内は入学式の日に俺が迷い込んだ時と同じく、大半の椅子と机が後ろの方に乱雑に積み重ねられている。まだまだ放課後になったばかりで陽は高い。これから部活動に向かうのであろう生徒達のおしゃべりをする声が、開け放たれた窓の外からわずかに聞こえて来た。

 俺はこれから、和泉に告白をする。超真正面からストレートを放り込む、マジモンの愛の告白である。

 正直、怖くないと言ったら嘘になる。

 今までの人生、俺の傍にはずっと和泉がいた。物心の付く頃から和泉がすぐ傍にいて、気づいたら好きになっていて。あいつの気を惹きたくて陸上を始めて、嫌われたのかと思って少し距離を置いて。それでも俺は和泉から離れることはなく、和泉もまた俺から離れることはなかった。

 これでもし今日、俺の告白が失敗したら……俺たちはどうなるんだろう。

 今までの関係は、どうなってしまうんだろう。

 一歩前へ踏み出すということは、今まで立っていた場所での安寧を捨て去るということでもある。

 それでも、俺は。

 和泉ともっと深い関係になりたいから。

 あいつと、今までと同じように、これからも、どこまでも、同じ道を歩んでいきたいから。

 だから今、この熱い想いを胸に抱いている内に。全てを吐き出してしまおうと、思うんだ。

 和泉にはメールでこの教室に来るように伝えてはあったが、まだ姿を現す様子は無い。まだ慣れていない学校の校舎だろうし、和泉はこの場所に初めて訪れるはずだ。となれば、メールを読んで場所を把握するまでに、少し時間がかかるのだろう。

 ちなみにメールには、『話がある。放課後、この教室に来てくれ』くらいのことしか書いていなかった。変に告白のことをにおわせて、和泉に道中気負わせたくなかったからだ。

 告白するに際して、俺にこの場所を提供してくれたのは、この部屋の主である羽音さんに他ならない。文化系部活動の集まる一画でありながら、同じフロアにある部活動はいずれも活発的な活動をしていないため人通りが少ない。またこの場所自体が角部屋になることもあって、そもそもこの教室の前まで人がやってくること自体が珍しいとの話だった。人知れずに告白を行うには、うってつけの場所だろうとのことである。

 そんな羽音さんだったのであるが、現在、彼女の姿はこの教室内には無い。

 無い、のだが……。

「……やべえ、緊張しすぎて、吐き気がしてきたぜ……」

 精神的に追いつめられた俺の漏らした言葉に対して、教室後方からこつんこつん、と小さくノックするような音が聞こえてきた。まるで誰かが、俺を励ますかのように。

 羽音さんは今、この教室内に姿を見せていない。

 だがしかし、彼女は姿が見えないだけで、実際にはこの教室内に潜んでいる。

 といっても彼女が実は透明になれる能力を保持する超能力者だったのだ、とかそういう話では、もちろん無い。羽音さんは今、この教室の後方にある掃除用具ロッカーに中に隠れ潜んでいるのだ。いくら細身の女性であるとはいえ、華の女子高生である。そんな埃っぽくて暗くて狭いスペースに入らなくても……と言ってはみたのだが、「焚き付けたのは私なのだから、最後まで見守るわ」と息巻いて言うのであった。正直、見られていると知りながら告白するのは若干の抵抗感がある。だが、彼女がいなければ俺はそもそも告白しようという発想にすら、至らなかったことだろう。

 そう思えば、多少の無茶は許すべきなのだろうと思う。掃除用具ロッカーに入っているのは、ほぼ自分の意思だし。

 ガラガラ、と古びた引き戸が音をたてて開く音がした。

 俺は視線を教室前方の入り口扉へと向けた。

 果たしてそこには、俺の待ち人である和泉の姿があった。

 和泉はこの春から着始めたばかりの真新しいブレザーの制服を、早くも軽く着崩している。胸元のリボンは少し緩めにつけられており、シャツの首元もボタンが外されて少しだけ胸元が覗いている。上着の前ボタンは開けっ放しで、生徒指導の先生に見つかったら、一発で目をつけられそうなスタイルだ。だが、気の強い和泉にはそういった派手目な着飾り方が、不思議と似合っているのである。

 コツン、と小さく俺に聞こえるかどうかくらいのノック音が、一つだけ聞こえた。

 和泉はきょろきょろと教室内を見回してから、後ろ手に引き戸を閉めた。

「……ひとり?」

「おお、一人だぞ」

「そ」

 和泉は耳にかかった髪を、指先で軽くかきあげた。

「……あたしはてっきり、またあの人と一緒にいるのかと思ったよ」

「あの人?」

「あの人。竹宮、羽音さん」

「ああ……」

「学校であんた見かけるとき、ずっと一緒にいるし。お昼も一緒に居たでしょう?」

 げげげ、見られていたらしい。

 いや、でも確かに和泉はお弁当持参ではないのだから、食堂で俺たちのことを見つけていたとしてもまったく不思議ではない。むしろこればっかりは、見られることを想定していなかった俺の方が抜けていたとすら言えるだろう。

 しかしそんな俺の狼狽をよそに、和泉はなおも言葉を言い募る。

「あの人、なんだっけ。あれ。……なんとか会」

「『救済の会』」

「それ。何なの、それ? 意味分かんない。なんで、陸上部じゃないわけ」

 俺が羽音さんの所属する会の名前を告げると、和泉は堰を切ったようにまくしたててくる。

 そういえば確か、今朝もそうだった。俺たちが連れ立って和泉の誤解を解きにいった際も、羽音さん所属のくだんの会の名前を告げると、和泉はまるで拒否反応でも起こしたかのように冷たい反応で俺を突き放した。

 それはまるで、俺が陸上部に所属していないことを良しとしていないというような、そんな感覚。なぜこんな意味の分からない会でくすぶっているのだと苛立っているような、そんな感覚。和泉からは、そんなかんしゃくを起こした子供のようなオーラが感じられるのだった。

 ……和泉は、それほどまでに。俺が、陸上部から距離を取ることを嫌だと感じてくれるのか。

 俺は、確かに羽音さんと共にこの二日間を行動して来た。だがしかし、入部……まあこの場合は入会という形をとったわけではない。ただ羽音さんが一方的に俺の協力を申し出てきた、ただそれだけの関係なのだ。つまり俺は部活動での所属団体的には、未だにフリーな状態である。

 ならば、俺の取るべき行動は一つだった。

「和泉」

 声をかけ、彼女の傍にさっとにじり寄る。

「な、なによ……」

 いきなり改まって声をかけた俺に、何かしらの違和感を感じたのだろうか。和泉はたじろぐように、軽く身をよじった。

 和泉が、そんなにも俺が陸上部に戻ることを望むなら。

 俺は今日、全てに決着をつける。

 和泉との新しい関係を築き、もう一度陸上部へ帰ろう。そして今度こそ……あの時果たすことのできなかった、二人揃っての全国出場を成し遂げてみせるのだ。

「和泉。お前のことが好きだ。俺と、付き合ってほしい」

 言った。

 言ったぞ。

 言ってやった。

 言ってしまった。

 特に激しい運動をしたわけでもないのに、心臓が激しく鼓動しているのが分かる。キーン、と耳鳴りがして、しかし室内の空気がどこまでも静かであることも分かる。気がつくと俺は息を止めていたらしく、慌てて軽くえづくように息を吸い込む。

 好きだ。ずっと心の中で叫んでいた言葉を、今初めて口にした。

 自分でもこんな日が来るだなんてまったく考えていなかった。動悸が止まらない。とにかく息苦しい。室内が静かすぎる。なのにどこか遠くのブラスバンド部の練習の音は響いてくる。

 目の前の和泉は、黒板を背にして立っている。俺が近寄って来たせいか、壁際ギリギリのところに彼女はいた。

 和泉はひどく面食らった顔をして、まじまじと俺の顔を覗き込む。ぱっちりと大きな瞳を、驚きからかさらに大きく見開いた彼女は、薄桃色の唇をゆっくりと開いた。

「……いや、駄目でしょ」

 あいたー。

 駄目ですかあー。

 こいつはまた参りましたなあー。

 一瞬大地が揺れたかと思った。すわ地震か、と思いたたらを踏みそうになるが、和泉は平然として目の前に立っている。どうやら地震ではなく、俺自身が強烈な目眩に襲われていただけらしかった。

 駄目でしょ。

 ものすごいすんなりと、そしてシンプルに断られてしまった。

 さっきまでは動悸がすごかったが、今はそれよりも何よりも吐き気がものすごい。

 和泉は居心地が悪そうな顔をして外方を向くと、綺麗に切りそろえられた爪の先で軽く頬を掻いた。

「や……なんだろ。ストレートに断りすぎたかな」

「いや……変に期待を持たされるよりは、いっそありがたい……」

 目眩にぐるんぐるんにしているけどな。俺は吐き気を堪えるように口元に手をやると、和泉に尋ねた。

「一応、理由を聞かせてもらってもいいか?」

「理由ってか、さあ……」

 和泉は苦笑するように俺の顔を覗き込んで来た。

『本当は分かってるんじゃないの? 最初から、断られることくらい、想像できてたんじゃないの?』とでも言いたげな、そんな顔だった。

「でも、そうよね。あんたが求めてるのは、そういうありきたりな答えじゃないのよね。……まあ、敢えて澄春が納得できるような理由を答えるなら」

 和泉はそこで言葉を区切ると、俺から視線を外して窓の外を見た。

 四月の空には青と白の見事なコントラストが描かれていて、まるで高名な芸術家のしたためた一枚の絵画のような風情だった。

「好きな人が、いるのよ」

「好きな、人……」

 ああ、そうか。

 それならば仕方ない。

 俺は身をもって体感しているのだ。

 人を好きになるという、心から身体から全身を焦がされるかのようなあのピリピリとした感覚を。

 一度人のことを好きになったら、他の誰かに告白されてどうのこうのだなんて、考えられない。告白されたんだから受ければいいじゃんなんて、所詮は本当の恋もしたことがないような連中の言うことだ。

 人は、人を好きになったら、もう他のことなんて考えられなくなってしまうのだ。

「ちなみにそれは、誰ってのは、聞いても……」

「んん? そうだなあ……」

 まあ、あんたも勇気を振り絞って、無謀な告白をしてきてくれたわけなのよね……。

 和泉は、目の前の俺に向かってではなく、独り言のようにそう呟いた。

 それから彼女は頬を赤く染めると、うんうん、と二度頷いてから、再びこちらに顔を向けて来た。

「ナイショの話よ」

「ああ、ナイショの話だ」

「うん。私が好きな人の名前は……」


 竹宮羽音さん


「ナイショよ」

 そう言って和泉はいたずらっぽく微笑むと、俺に向かって控えめなウインクをしてきた。とても可愛い……というか、いや、でも今はそんな場合ではなくて。

 今、和泉は誰の名前を口にした?

 竹宮、羽音?

 俺の思考回路がその名前を咀嚼し飲み込み、その名の示す人物に思い至ると同時に、教室後方部の掃除ロッカーが大きく音を立てて揺れた。

「は!? な、何!?」

 突然の事態に和泉は驚きの声をあげた。俺たちは揃って音のした掃除ロッカーの方に目を向ける。

 しまった。そうだ。今、あの掃除ロッカーの中には人が隠れ潜んでいるのだ。

 突然の事態に硬直する俺たち二人の前で、古びたロッカーはひとりでに音を立てて開いた。

 きいい……とどこかが錆びているのか甲高い音を立てながら方開きの扉はひとりでに開いていくと、その向こうに一人の女子高生がすっぽりと収まっているのが見えてくる。

 どうやら動揺のあまりに思わずロッカーの中で動いてしまい、その拍子に肘かどこかを扉にぶつけてしまって、開けてしまったのだろう。

 竹宮羽音さん。和泉が好きな人として名前を告げた、まさにその人。想われ人は、実に間抜けな格好でこの舞台へと強制的に引き上げられてしまった。

 羽音さんはギュッと目をつむった状態で肩をすぼめていたが、しかし周囲が明るくなってロッカーが完全に開け放たれているのに気がついたらしい。彼女は実に居たたまれないような表情で俺たち二人に視線をよこすと、

「……わ、私?」

 戸惑いのまじる声で、そう言った。

 そして、和泉は……

「あばばばばばばばばばばばばばばばばばば」

 顔を真っ赤にして、エラーコードを口からひっきりなしに吐き出していた。これが漫画だったら、きっと彼女の顔からは煙がもうもうと出ていたことだろう。

 その後俺と羽音さんは、「殺せーーー! いっそ殺せーーー!」と赤子のように泣いて喚く和泉を、なだめすかして正気を取り戻させるのに、優に三十分は使うこととなるのだった。

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