#05 有川澄春の場合-5
陸上部に行ってみましょう。
羽音さんは、そのように俺に提案してきた。
「り、陸上部……ですか?」
当然、和泉との件から陸上部に対して苦手意識すら覚えている俺は、まったく乗り気ではない。
「今日は忍舞学園入学式当日にして、新入部員勧誘の日でもある。というのは、あなたも知っての通りでしょう?」
「ま、まあ……完全に昇降口前で取っ捕まりましたしね」
「ということは、よ」
ぴんと突き立てた指を、俺の鼻先へと向けてきた。
「和泉ちゃんも、今日は陸上部に行っている可能性が高いとは思わない?」
羽音さんの話によると、今日の新入生勧誘では、新入生の部活動の参加は認められてはいないものの、見学することまでなら許可が出ているらしい。
であるならば、中学時代に陸上部だった和泉も、陸上部の見学に行っている可能性は大いにある、という読みである。
しかし羽音さんのその意見に、俺は懐疑的であった。
「でもですよ。和泉は俺が中学の時に全国行った時に、俺のこと蹴っ飛ばしたりしてるんですよ。それで気まずく思って、陸上から離れるなんてことは……」
「無いと思うわ」
さらっと否定される俺の意見。あ、そっすか……。
「だって考えてもみなさい。君が陸上部を離れた後も、和泉ちゃんは三年生を送る会とかに顔を出してたんでしょう? だったら、そのことで陸上部に対して気まずさを覚えているのは、君だけってことになるじゃない」
「ぐっ……」
確かに、言われてみればそうだ。
俺は和泉の気を惹きたくて砲丸投げを頑張ってきて、結局その努力が報われること無く、むしろ最終的には和泉の反感を買ってしまった。それで俺は陸上部を離れてしまったわけだが……この件で和泉が陸上部に対して何か引け目を感じる理由など、無い。
「となると……和泉は、陸上部に……」
「いると思うわ」
そうか。
いるのか……。
「い、いやでも別に、わざわざ陸上部まで会いに行かなくたって、べ、別にいつだって会えるし……クラスは違ったけど……」
「クラス違ったのでしょう? ならばなおさら、今会いに行っておかなくてはならないのではないかしら。なにせ、入学初日だものね」
すっかり乗り気になったらしい羽音さんは、席から立ち上がると、俺の腕をとって引っ張り始めた。仕方なく俺は立ち上がる。
「い、いや、でも……あ、そうだ! 俺は、さっきも言った通り、外に出ると運動部連中から追い回される立場なんです! だから今はうかつに外に出るわけには……」
「それなら、大丈夫よ。私に考えがあるわ」
「え、ええ……」
考えがあるという羽音さんに背中を押されて、俺は強引に教室の外へと押し出されてしまった。
向かうは、陸上部の活動しているという、グラウンド……。
「…………」
「忍舞学園は私立で規模も大きい学校だから、グラウンドや体育館も複数あるの。私たちが今向かっているのは、第一グラウンドってところね」
「…………」
「陸上部は普段はグラウンドの半分近くを使っているけれど、今日はどこの部活動も活動している日だから、いつもより狭いスペースで活動しているんじゃないかしら。まあ、短距離走の測定くらいはやってるかもしれないわね」
「…………あの」
「グラウンドの隅にはベンチも併設されているから、見学者を置くのならそこかしらね? とにかく行ってみれば、一年生たちは固まっているはずだから、すぐに分かるはずよ」
「あの、羽音さん!」
歩きながら説明を続ける羽音さんを制するように、俺は大声を上げた。
「……なにかしら?」
いや、なにしらっていうか……。
「俺、なんで手ぇ繋がれてるんですか……?」
俺はなぜか、羽音さんに手を引かれて校庭を歩いていた。
確かに運動部軍団には声をかけられていない。いないのだが……しかし、好奇心の視線が、痛いほどに突き刺さっているのですが。
すると羽音さんは、「ふっふーん。知りたいかしら?」得意げに解説を始めた。
「基本的に今日はどの部活動がどの新入生を引き込んでもいいんだけれど、どこかの部活動が確保した新入生を横から奪い取ることは紳士協定で禁止されているの」
「は、はあ……」
「つまりこうして私が君の手を繋いでいることによって、君は現状、救済の会の関係者として扱われるわけ。これで他の部からの強引な勧誘からは逃れられるわ」
「そ、そうですか……」
それは果たして、手をつなぐ必要はあるのだろうか。
普通に横に一緒に並んで行動しているだけでは、駄目なのだろうか。
というかそもそも俺たちを遠巻きに見つめる連中は、「くっ、先を越されたか……」「どこだ、あの部活は」「何部だあれは?」「どこ部?」「連れてるのは二年だな。あれは何部だ」と全然羽音さん、もとい救済の会を認識できていないのだが。
これがせめて手首を握られているとかならともかく、羽音さんは俺の手をしっかりと握っていて、気恥ずかしさが半端ではなくなってしまっている。
居たたまれなさに包まれた俺だったが、羽音さんに引き連れられてしっかりとグラウンドに到着した。グラウンドでは予想通り様々な運動部が、所狭しと活動をしている様子が見て取れた。
そしてグラウンドの端っこの方では、新入生とおぼしき制服姿の生徒達がいくつかの固まりになって先輩たちの練習風景を見つめている。
パッと見たところでは野球部やサッカー部、それからアメリカンフットボール部等の活動が目に入った。
「陸上部は、あっちの方ね。フェンスの近くでやってるみたいよ。行きましょう?」
「は、はあ……」
羽音さんに手を引かれて、部活と部活の縄張りの間をくぐり抜け、グラウンドの端を歩いて行く。その間にも絶えず「なにあの二人?」という視線が俺の背中に突き刺さり、デカい身体を気持ち小さく丸めながら歩かざるを得ないくらいだった。
「見えてきたわよ。あれがうちの陸上部ね」
前を歩く羽音さんが、そう言った。前方を見やると、陸上部の練習している光景が目に映る。普段よりも大幅に活動範囲を削られているためか、本格的な練習といった感じではない。短距離走の選手たちがスタートダッシュの確認を入念にしている様子や、何人かで並んでリレーのバトンパスを練習している様子が見受けられた。狭いスペースでも行うことのできる練習を見せているのだろう。見ると、投擲の選手たちと思わしき一団も、投擲フォームの確認をしている様が見られた。これだけ他の部活動が密集していては、とても実際には投げることもできそうにない。
そんな陸上部の練習風景を見つめる制服姿の一団が、フェンス手前のベンチ周辺に見られた。人数は十五人くらいだろうか。初日にかき集めたにしては、繁盛していると言ってもいいだろう。男女比は半々くらいで、それぞれ男同士、女同士で固まっている。
そしてその制服姿の一団の中に。
「……いた」
俺は、つい、そう漏らしていた。
「どれ? どの子?」
「あの、肩くらいまで髪が伸びてて、ウェーブかかってる……」
「茶髪の子?」
「そうです」
俺の視線はその集団の中の一人に釘付けになっていた。
身長は他の女子と比べてやや小さいくらいだろうか。集団で並ぶと、少しその背丈の小ささが分かる。
髪の色は茶髪に染めていて、首回りでウェーブがかっている。中学の頃は黒髪だったのだが、髪の染色を校則で禁じられていない高校への入学を機に、茶髪に変えたのだ。元々の黒も好きだったが、茶色も活動的な和泉によく似合っている。
やや広めのおでこに、キッと意志の強さを示すつり上がった眉、睫毛が長く目力の強い瞳、小さいが形の良い鼻、本人は少し気にしている薄い唇。俺の好きな和泉は、当然のような顔をして陸上部の見学に来ていた。
隣には見覚えの無い女子生徒がいて、二人はなんだか親しげに言葉を交わしている。この学校に来てから仲良くなった同級生か何かだろうか。
今更ながら改めて和泉の姿を見つめて惚れ惚れしていると、俺の隣の羽音さんは得心がいったとばかりに頷いた。
「うん、君が惚れるのも分かるわ。確かに可愛い子ね」
「そうでしょう!」
そしてただでさえあの可愛い和泉が、美しい脚もあらわに一〇〇メートルを駆け抜ける姿といったら、芸術以外の何物でもない。
というような主旨のことを早口で羽音さんに喋っていると、なぜか彼女はちょっと引いた顔で「そ、そうなのね……へー」と俺の言葉を途中で断ち切ってきた。なぜ途中でやめさせる。まだ語り足りないのですが。
「今はそんな話を聞かせに来たわけじゃないでしょう」
「そりゃあ……」
「会いに来たんだものね」
にっかり、という言葉がぴったり合いそうな笑顔を見せると、羽音さんは立ち止まっていた脚を再び動かし始めた。
俺たちは二人連れでずんずんと進んで行き、新入生たちのすぐ傍まで近づいて行った。
二人連れで近づいてくる俺たちのことを、新入生たちが、一人、また一人と気がついてこちらに視線を向けてくる。
そして、ついに。和泉がこちらに気づいて、俺たちに視線を向けて来た。
和泉はまず最初に俺のことを見て、
「は?」
と眉をしかめた。
和泉は次に羽音さんのことを見て、
「えっ?」
と驚いたように目を見開いた。
和泉は最後に俺たちのしっかりと繋がれた両手を見て、
「……あぁン?」
思いっきり俺たちのことを睨みつけて来た。
あっと思って俺は羽音さんの手を離、そうとしたがむしろ羽音さんは俺と繋いだ手をより一層強く握り込んだ。どうやら和泉を前にした俺を鼓舞する気持ちで、ギュッと手を握ってくれたらしいのだが……今は、今は逆効果です羽音さん!
いかにも仲良さげに手をつないで目の前に表れた俺たちを前にして、和泉はひくひくと頬を動かした。
「……あんた、澄春……」
「や、これは、その……ち、ちが……ちがうんだ!」
「何が違うって?」
「や、いや、だから、これはその……」
ズカズカと足音を鳴らしながら、和泉は俺の方へと一直線に歩いてくる。その迫力に気圧されたのか、羽音さんは俺から手を離してそそくさと距離をとった。ちょっ、ちょっとあなた、こんな時だけ……。
和泉は俺の傍らで立ち止まるとギンっ、と鋭い眼光で俺のことを睨め付けた。
「入学初日から見せつけてくれるわね」
「い、いや、これはその……」
「その人と一緒に今度は砲丸でインターハイ目指すのね?」
「いや、これは、だから……」
すう、と和泉は息を吸い込んで、一言。
「いっぺん、死んでみろ!」
和泉の腰の入った鋭い蹴りが、俺の尻を打ち抜いた。グラウンド一帯に響き渡るいい音がして、俺は痛みのあまりグラウンドに突っ伏した。
「消えろ、デカブツ!」
それだけ言い放つと和泉は大股でその場を立ち去った。
「い、和泉ちゃん! 見学はどうするの……?」
「ごめん! 今日はもう帰る!」
和泉とその友達とおぼしき少女との会話が、遠退きそうな意識の隅っこで聞こえて来たものの、すぐに俺の意識内は『痛い』という一言のみに占領されてしまった。
「君、大丈夫……?」
心配そうに顔を覗き込んでくる羽音さんだったが、俺は首を横に振って痛みに悶えることしかできなかった。