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そのはち

 夜船が席をずれたので、縁羽は我殿院の対面、夜船の隣に腰を下ろした。この時間、中学生は下校にはまだ早い。縁羽はブレザーを着ていた。


「何か注文するか? ここは俺が奢ってやろう」


「いらない」


「ならばスパゲティはどうだ? ああ、スパゲティはいい。ミートソースの絡んだ長い麺は人生の縮図そのものじゃないか。長いものには巻かれろ。それが長生きする秘訣だぜ、お嬢ちゃん」


「意味わかんない」


「我殿院さん、今のは私にもわかりませんでしたよ」


 独特の人生哲学は女性陣には理解しがたいものだった。我殿院はふん、と鼻を鳴らすだけだった。


「それから、この子はどちら様で? なして私たちの元へ馳せ参じたのでしょうか?」


「知りたきゃ手前から名乗れ。礼儀だろ」


 我殿院が中継する気はなく、我関せずといった体で再びハンバーグを切り分けている。サイコロ状になった肉は既に五百円硬貨の上に収まる大きさまで小さくなっていた。


「えーと……。私は我殿院さんのパートナーで、白河夜船っていいます。あなたはどなた?」


 笑顔で挨拶手と手で握手。大人の包容力をここで見せ付ける算段だ。


「我殿院だっけ? あんたに聞きたいことがある」


 夜船を完全に無視し、我殿院の方だけを睨んでいる。


「……ま、いいですけどねー」


空を切った手を引っ込め、頭を掻く。


「単刀直入に聞く。答えだけを言え。折花ちゃんに何をした」


 怒気を孕んだ低い声。剣呑な雰囲気が立ち込める。


「ふっふっふ。威勢がいいな。嫌いじゃないぜ」


「答えろ!」


 縁羽が立ち上がり、懐に隠し持っていた果物ナイフを素早く取り出して我殿院の鼻先へ突きつけた。


 緊迫した空気が流れる。


「……夜船、下げろ」


 彼は身じろぎひとつせず、それを眺めるだけだった。


「はい」


 縁羽が立ち上がると同時に夜船は行動していた。我殿院を守るための行動を取りやめ、大人しく椅子に座る。


「威勢がいいのは嫌いじゃないが、そうカッカされると会話もできないぜ。落ち着けよ。俺は逃げも隠れもしないぜ。包み隠さず公正明大に真実を教えてやろう」


 余裕を崩さない我殿院の態度に力による脅しは通用しない。得体の知れない連中に、縁羽は憮然としながら椅子に座りなおした。


「折花ちゃんに何をした? 一週間前にあんたといるところを見た。次の日から折花ちゃんは変わったの。あんたが何か吹き込んだんでしょ」


「吹き込んだ、ね。それは違う。全然違うぜ、雲煙縁羽。俺は彼女とお喋りをしただけだ。ちょっとした悩み相談に乗ってやっただけだ」


 名乗ってもいないのに自分の名前を言い当てたことには触れない。自分のことよりも折花のことだけを考えている。


「そんなわけないでしょ。あんたが変なことを言ったに決まってる。だから折花ちゃんが変わったんだ。折花ちゃんはどうしてあたしを求めなくなった? 折花ちゃんはあたしを必要としてたのに。折花ちゃんはあたしから離れて入っちゃったの? あたしには折花ちゃんが必要なのに。全部全部、あんたが現れたせいだ!」


 ばん、とテーブルを叩くと食器類が大きな音を立てた。ざわめいていた客が静まりこちらを見る。店内のBGMが軽妙に流れる。


縁羽の慟哭に二人は全く動じない。


我殿院はサングラスを外した。


「運命とは巡りまわるもの。因果はどこでどう交差するのかわからんものだな。俺はただ、あいつの背中を押してやっただけだ。悩んでいるようだったから、その先を促しただけなのさ。単にお前が飽きられただけじゃないのか」


「飽き……え……」


 飽きられた。


飽きられた。


飽きられた。


 想像だにしてなかった言葉に縁羽は言葉を失う。


 縁羽は折花を愛していて、折花は縁羽を愛している。


 それは絶対不可侵な領域。


疑う余地もない絶対条件。


なのに、前提を根本から覆す仮説はとうてい受け入れられるようなものではなかった。


「そんなことはありえないっ! 絶対にありえない、ありえない!」


「現実を認めろ。お前がどれだけ否定しようとも、物語は当たり前の顔をして人を流すだけだ。ならば俺たちは流れに身をゆだねるしかねえだろうよ。逆らおうなんて考えちゃいけない。


 お前がどう足掻こうとも、それは何も意味はないだろうよ」


くっくっく、と笑う。


我殿院のどこまでも空虚な語りを一笑に付すことは簡単だった。


しかし、意識を離すことができない。


打てば響く中身が空っぽなくせに縁羽の心を塗りつぶしていく。


黒く、黒く。


どす黒く染まっていく。


「意味がないかどうかはあたしが決める。あたしが流れを変えてやる。あたしが……折花ちゃんを元に戻してみせる!」


「くくく。流れを変える、か。まるで主人公だな。果たして物語の主人公はお前なのか? お前は――その資格があるのか」


 縁羽は席を立ち、我殿院たちに背を向けた。


「……これ以上話すことはなさそう。帰る」


「そうか。また会えるといな」


「冗談。二度と会うことはない」


 そう残して縁羽はファミレスを出る。


 その姿が消えるまで、二人は見送った。


「どうだ、あれが雲煙縁羽だ」


「なんてゆーか……強烈な子ですねえ。パワー溢れる、これぞ青春ですね」


「青い春。生命が芽吹く季節。蝶が舞い、桜が吹雪く。だが地面にも目を向けてみろ。土を割って這い出す無数の蟲ども。蠢く蟲ども。多足の蟲ども。地面をのた打ち回る蛆蟲ども。誘蛾灯に誘われる蟲ども。蟲、蟲、蟲。くくく、青春はさわやかさだけじゃあないんだぜ」


「我殿院さん、食事中ですんで……」


 少女は青春を駆ける。


 縁羽の心に生まれた黒い染みはやがて青春を暗黒へと塗り替え、染め上げていく。


 物語は、黒く染まる。

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