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ビジット=ハイリヤーク
なんでまた、こんなことになってるんだろうな。
大きな天幕へ顔を出せと言われて嫌な予感はしていたが、いきなりお歴々に囲まれるとは思いもよらなかった。
王都守備隊。
ティレールの防衛戦力として常設されている部隊で、デュッセンドルフ魔術学園からの卒業生も多いと聞く。まあ前線へ送られることなく後方で安穏としていられる部隊だから、まず貴族位を持つボンボンか、成績だけは優秀だった連中ばかりだ。戦争よりも勢力争いに精を出し内輪揉めは挨拶よりも多いとかなんとか。
だから余計に近衛兵団とは仲が悪い。奴らはトコトン実戦に加わり続け、身分も構わず人を引き入れ活用する。アレが一枚岩かどうかは分からないが、守備隊よりもよっぽど結束が固いことだろう。
一説には、近衛兵団を王都から叩き出しているのは宰相ではなく王都守備隊だとも言われるほどだ。
まあ事実上の近衛として振舞う守備隊に兵団が思う所があるのは当然だろうし、実状は実戦経験の薄い権威ばかりが大きくなった守備隊が叩き上げの戦力を抱える兵団への引け目を抱えているのも理解は出来る。
そんな連中に囲まれた俺はまず、
「控えろよ。お前らは王の血統を前にしているんだぞ」
もう隠す必要も無さそうなので口に出す。反応から、咄嗟に居並ぶ連中それぞれの理解度と姿勢を読み解く。自ら気付いて調べた者、誰かに聞かされ知った者、実の所分かっていなかった者、そしてこの事態に対する考えや方針、目線で誰を追ったかによって力関係なんかが薄っすらと透けて見える。
だが、さすが日向の訓練より暗室での密談をしている連中は違う。
反応は薄い。こうかもしれないと予測が立ったとしても疑問の余地は残った。
上手くやっていけば前線指揮官だのに声を掛けられるくらいは覚悟していたが、調べが早すぎる。
思い、沈黙のまま周囲の視線を追っていると、俺が振り向いたのを期に天幕の出入り口に立っていたフードの男が進み出てきた。コイツか。
「宰相からの伝言だ」
声で何者かは理解した。
過去数回、王城で会った覚えがある。全く、面倒だよ叔父殿は。
「提案通り、首輪は機能している」
「…………そうか」
「そして、ここに居る五千の兵を預ける、と」
少し、天幕内の空気がヒリついた。
そりゃ守備隊からすれば面白くない話だ。
内通者は愉しげに口元を緩ませ、フードの奥で俺を嬲るように見た。
「宰相は先の一戦での成果にお喜びでいらっしゃる。早くマグナスの首を持って来い、とも仰っていた」
「首が欲しけりゃ五万を寄越せ。後方で優雅に遊覧なさっている援軍様はどうして動かん」
「説得は好きにしろ。オラントは一度始めたら洪水が起きても動かず、幼児が焼かれていても油を撒く男だ」
「そりゃすごい」
素直に感心するほどだ。
どうしてオラントが先王の時代に王座につかなかったのか不思議なほどに。まあ何か理由があるんだろ。そいつが今ハイリアの家名剥奪にも繋がっている気がするよ。
「それで? 叔父サマはいつまでお城に引き篭もって傍観を決め込んでるんだ?」
「今は重要な時期だ。いずれホルノスに君臨する王と、その柱となる者の選別を進めねばならないと、宰相は考えているようだ」
向けられた視線の意味は分かる。
「俺は添え物扱いか」
宰相はルリカにご執心だったな。
先王ルドルフに心底忠誠を捧げていたと言われる叔父殿は、その娘こそが次なる王と考えておいでだ。
「『王冠』は王そのものではなく、王の威光を示す一要素に過ぎない」
少しだけ見る目が変わる。
ただの内通者と割り切るには考え方がこっち寄りだ。
「同意見なんだろう?」
「さあどうだかな」
心底同意するよ。
王の血統なんて言った所で、実情は結束を示す象徴として古ぼけた台座に放り出されていただけの冠だ。
結局クレインハルトの血統からは王に足る人間は現れず、出自も曖昧な男が人を惹き付け今日を作った。評価については諸説あるけどな。
「あとコレは個人的な意見なんだが」
内通者は背から受けた風に赤毛を揺らし、フードをつまんで深く被りなおした。
「教団は早めに処理した方がいい。後の傷になる」
人払いされた陣の外へ向かう男を見送り、改めて肩を竦めた。
ほら、宰相様の威光が居なくなった途端に雰囲気変わったじゃねえか。せめて話纏めるまでは一緒に居て欲しいもんだよ。
まあやるしかない。
そして長い長い話し合いを終えて俺が戻った時、あの大きな天幕とは比べるべくもなくボロく小さな寝床の前にピエール神父が来ていた。
「合流が遅れて申し訳ありません。所用は済ませましたので、ここからは私も戦線に加わりましょう」
つーかコレ、使い潰せるのかねぇ?
※ ※ ※
補給線を巡る戦いは激化していった。
丘陵地帯はとにかく、迂回路の多い場所だ。落ち葉が増えて視界はマシになったがとにかく大軍が行き来するには向かないから、互いの本隊は不動のまま、分散した無数の部隊が攻めた攻められたと繰り返す。
こういう状況になると、また一層近衛兵団の動きが活発化してくる。
同数ではまず勝てない。戦いを成立させるには三倍の数が最低でも必要だった。だが迂闊に数を増やしすぎれば、今度は多数の急所とでも言うのか、片っ端から指揮官級の首を落としてこちらの動きを乱してくる。
ピエール神父の投入は一時的に状況を好転させたが、すぐにアレとは戦わない方針を固めたらしい反乱軍は、とにかく逃げの一手。
こちらも兵団を相手にはせず、それ以外の、北方の領主たちの手勢なんかを徹底して叩くようにしていた。
近衛兵団と戦いたくない俺たちと、神父と戦いたくない兵団、動けない互いの本隊。
どこかで勝負を掛けるしかないのに、勝利の条件を整えることが出来ない。
大軍故に向かい合った状況では動きがすぐバレる。勝ちに向けての陣を組ませようとすれば即座に逃げるか、整えるより早くかき乱されちまう。
マグナスにとってもそう時間はない筈だってのに、どうしてここまでどっしり構えていられる?
冬になればこんな天候の移り変わりが激しい場所じゃ戦いは続けられない。こちらでも冬篭り前の獣に襲われただの、徐々に粗末になっていく食料に耐え切れず脱走者が出ただの、酔って川に落ちた兵が凍え死んだだの、どんどん面倒が増えていってるっていうのに。
だが積雪が始まるまで守りきれば勝ちだ、なんて甘い考えでは絶対に駄目だ。
五千じゃ足りない。
本隊や俺に人手を取られた奴らが反抗までし始めてる中、これだけの人数でマグナスを捉え、決戦に持ち込むとなると勝算の乏しい賭けに出るしかない。
…………あぁ認めよう。
俺はマグナスにビビってる。
どれだけ過大評価をするなと考えても、肉親が次々殺されていった敗北の記憶が強烈に焼き付いてる。
恨みは、別にいい。宰相と顔を合わせた時もそんな考えは浮かばなかった。多分、俺を救ってくれたルリカのおかげで……あいつに助けてくれと合図を送った自分自身への馬鹿さ加減への怒りの方がずっと大きいから。
相手は俺が生まれる前から将をやってきた化け物だ。
読みか、感か、嗅覚か、視点か、思想か、哲学か、人望か、どこかで僅かに上回れたとしても、総合力は完全に格下なんだろう。
戦い方はどんどんと遠まわしになっていった。
効果はあげていた。
少なくとも俺のやるせせこましい手にはマグナスも対処仕切れていない。
敵の中に不満や不安が溜まっていくのは分かった。けれど決定打には至らない。だから放置されているのかと邪推までしてしまうくらいには焦れつつあった。
戦いたい。
とにかく雌雄を決してみたい。
戦力全てを投じて、この結果がどうなるのかを確かめたい。
指揮官の病だ。
誘惑に負けて手勢を動かした時に俺の敗北が決まる。
勝てる算段もなく飛び出すな。
じっと耐えて、条件を揃えにいけ。
………………しかし、少し疲れたな。
※ ※ ※
普段から真面目で、自制心があって、そこそこ優秀な奴ってのは中々飛び出したりしない。
危険に頭が回るし、それをすることの影響を考えて止める事も多いし、何より真面目だから率先して決まり事を破ろうとはしない。
変わりに、真面目で自制心があってそこそこ優秀だから、こうと決めたらその決まり事に向かって際限無く進み出す。
その時に既存の決まりを破っている自覚なんてない。ただ自分の定めた事をあたり前に守ろうとして、頭が回るから障害を突破する方法も幾らか考え付いて、辿り着く為の努力の怠慢を自制する。
「小隊を結成する。クレア=ウィンホールドではなく、ハイリア=ロード=ウィンダーベルの名を冠し、学園の頂点を取る。力を貸せ、ビジット」
アホかと思った。
俺は還俗したと言っても宰相からは危険視されてるし、居所を知らしめれば反宰相派が歓喜して沸いてくる。
使えて『盾』までだ、と言っても、『王冠』の持つ話題性が必要だからの一点張り。迂回して説得するということを考えない。
落ち着いたように見えて、ヒース=ノートン……あいつの親父みたいな無茶をする所はあまり変わってないのかもな、なんてその時思った。
第一今更大勢かき集めてその面倒を見るなんてうんざりだ。
あぁ、面倒はお前が見るのかもしれない。だが派手に名乗り出た俺はそいつらに特別視される。
裏切りはごまんと見てきた。うんざりだ。身勝手な評価を受けるのだって反吐が出る。
爛れて適当に生きていくくらいがちょうどいい。
可愛い子らと遊ぶのが楽しいのも確かだしな。
だっていうのに、
『おいおい何やってんだよ。身分? それよか面白い店があってな、ちょっと皆で行こうぜ?』
俺は、
『ハイリアがおっかない? あぁツラはいいからな、黙ってるとそれなりだが、アレでガキの頃は俺と馬鹿やったもんだよ。聞かせてやろうか?』
何を、
『そっか、金に困ってあんなことをなぁ。ッハハ! 言うかよそんなおいしい話。だが分け前は貰えるんだろう? んでさ、ちょうどいい稼ぎになる仕事があるんだ。あぁ、全うな仕事だよ。キツいけどな』
やって、
『悪い。同じ小隊内じゃそういうのは無しにしてるんだ。揉め事持ち込みたくねえしな』
るってんだよ…………はは。
ホント、思ってたより楽しかったんだよ。
思ってたより、ずっと、楽しかった。
家に戻った時、真っ暗な部屋に灯りを点すまでの間、なんとなくアイツらを思い浮かべる。
飯を食ってる時、あの話どう言ってやったほうが良かったのか、とか、余計なことしたかな、なんて思う。
夜寝る時、明日はちょっと早めに行って準備でもしてやるか、なんて思う。
朝起きると、かったるいな、なんて思いつつも学園に足が向く。
王城の景色を思い出す。
実家の、あの高い高い景色を思い出す。
ホントよ、降りてみなけりゃ、こんなのわかんねえじゃねえか。
※ ※ ※
舞台は整った。
事ぶつかり合いに関してマグナス率いる近衛兵団には手を焼いたが、脇の甘い所を徹底的に叩き、奇襲に奇襲を重ねて追い込むことに成功した。
後方の補給線を、またこの状態に至った時点で下がらざるを得ない本隊を守る為に、奴らはここを下がることが出来ない。
正面からやや北側に寄りつつ半包囲を敷いたこちらに対し、マグナスたちはあまり左右には広がらずやや縦列気味な陣。
敵本隊も何割かが残っている。これも、この包囲で近衛兵団を排除出来れば纏めて食い荒らせる程度の規模だ。後方の道は細く、撤退にも時間が掛かる。
我ながらクズな考えだと思うが、こうして苦心して練り上げた策が現実になるのは面白いもんだ。
達成感がある。満足感がある。優越感に浸ることも出来る。
気を緩めるには早いだろう。相手はマグナスだ。首になるその時までは安心出来ない。
「それでは私はこの辺りで」
「あぁ、配置についておいてくれ」
手勢も連れず出て行く神父を視線一つで見送る。
教団を嫌っているのは相変わらずだが、ああいう強力な駒があるっていうのも悪くない。
後はもう、詰めるだけだ。
※ ※ ※
マグナス=ハーツバース
勝負の結果を決めるものは何か。
いろいろある。優れた戦術だとか、十分な下準備だとか、もっと単純に数だとか。
けどなぁ、何年も戦い続けてると時々あるんだよ。
明らかに負けが決まったような状態で、圧倒的多数を握っている側があっさり負けちまうっていう事が。
相手の素顔はまだ見えてこないが、とにかく細かい所までよく考えて攻めてくる。
そいつは厄介だった。混成部隊の性質上、虫が入り込むのを完全に防ぐ手段はない。
ぶつかり合って人を削るより、裏から手を回して物資を削る戦いも無くはない。
今のこの状態が示すように、十分俺たちを討つに足る効果を発揮してはいた。
それでもアンタは、もっと始めの所で手を誤った。
川の上流を巡る戦いで、相手が最後に手を引いていたことは続く幾つかの戦いを見れば判断出来た。
そして思った。
コイツはまだまだ若い。だが、俺を知っている。
必要以上に兵団を避けた。俺の所在を気にし過ぎていた。
指揮官の怖れは兵に伝わる。
誰も彼もが兵団を見れば戦う選択肢を放棄した。
逃げるという前提で俺たちに向かい合い続けた兵は、例え戦うべき場に立ったとしても一歩引いちまう。
あの時、俺たちが上流に陣取ったのを見て、アンタは攻め込むべきだった。
こっちは逃げるしかない。駄賃をいくらかは頂いていっただろうし、攻められたとしても同じ状況にするつもりだったが、それでもあれだけの有利を前に指揮官が怖気付いたらいけねえだろ。
兵は駒じゃねえ。
飯食って、酒飲んだり騒いだりして、糞して寝て、そういう明日をあたり前に望んで生きてる奴らだ。
兵ってのは皆、生きたいんだよ。
死の剣戟に囲まれながら踊る趣味があったとしても、無為に死ぬのは御免と考えるのが普通だ。
「これから本隊とは別行動を取る! こっちに残ってる連中も、生き残りたければ付いて来い!」
陣の先頭、『騎士』の紋章を浮かび上がらせ、その青い魔術光をこれでもかと吹き荒れさせる。
よう、名も知らない若いの、俺はここに居るぜ?
「敵本陣を中央突破で食い破る! 邪魔する奴はぶち殺せ!」
応、と兵団が声をあげる。
「殺せ!」
応。
「一人でも多く!」
応、応、と。
いつしか兵団のみならず、軍全体に声は広がっていた。
青い風を巻き起こす。
後ろが安全地帯だなんて思い込んでるバカ共に、本当に来るべきはこっちなんだと己を示す。
証の槍を高らかに掲げ、矛先を敵へ向けて叩き落す。
「敵の大将なんざ生かしておくな!!」
声が広がっていく。
手を挙げれば、歓声と共に大太鼓が打ち鳴らされる。
「そうら行くぞっ! 遅れてきたら手柄なんぞ残っちゃいねえっ! 進めェッ、己が運命を証明して見せろ!!!」
三千ばかりの大集団が、怒号と共に打ち出された。
戦術とも言い難い馬鹿みたいな突撃なのは分かってる。
だがアンタの後ろにはまだオラントが待ってるんだからな、ここで身を削ってでも、本隊を精鋭に仕上げなくちゃならねえんだよ。それにな、結局勝負ってのはびびった方の負けなんだ。
逃げの思考が身に付いた連中の腰が早々に引けてやがるぜ?
自在に動く兵なんざ身の回り五十も居ればいい所。
戦いの度に経験なんて吹き飛ぶ。言う事なんざ聞きゃあしない。
勝つべき戦いでどういう暴走を引き起こすか、そいつを見越して戦った方がラク出来る。
一戦一戦を丁寧に、全て勝とうとするから失敗する。
なあ若いの。
※ ※ ※
ビジット=ハイリヤーク
トチ狂ってやがる……っ。
ここまでしっかり半包囲を組んだ相手の中央に突っ込んでくるなんて、ただの自殺行為にしかならない。
中央は下がり、両翼はゆっくりと閉じて敵後方を包み込む。逃げ場を失った敵は端から動きが乱れていく。そこへ機動力のある部隊を食い込ませ、擬似的にでも切り離しが成功したら、また小さな包囲を敷いて確実に潰していく。数の有利はこちらにあった。分厚い中央の守りは簡単には敗れない。
だが、本当に守りきれるのか。
戦場を見渡せる丘の上から中央の部隊を見る。
敵は速攻を狙っている。『盾』の数を減らし、『槍』は無理にでも飛び出して前線を押し上げる。それらの動きを支えているのは『剣』と『弓』だ。マグナス自身が『騎士』というのもあって、とにかく詰める手が早い。ある程度は仕方の無いことだ。だがここまでの戦いを見てきて、両翼が包囲を完成させるだけの時間は十分過ぎるくらい耐えられる兵を置いている。なけなしの熟達者を投入してもいる。指揮はしっかり伝わるだろうし、多少のことなら向こうで勝手に対処してくれる。
だっていうのに、
「おい、中央部隊の後方が下がり始めてる。前に詰めさせろ」
宰相の残した一人に言えば、男は無言で頷いて伝令を走らせる。
いや、足りないか。
それを見送ってから思った。
兵が怖気付くのも無理は無い。近衛兵団にはここまで散々やられてきた。それが今度は数を引き連れて突っ込んできているんだ。
兵は下がる。前線は厚みを失いつつあるし、もしマグナスに気付かれたら一気に食い破られかねない。
「っ――」
神父は動かせない。
「……前へ出る! 本陣を前進させ、下がった味方の分をこちらで支えるぞ!」
後二つ、分かり易い選択肢があった。
味方に矢を射掛けさせて、下がる連中に脅しを入れる方法。
そして、『王冠』による守りを築いて押し留める方法。
前者は後を考えれば論外として、『王冠』はまだ使えない。ここに俺の足跡を刻む訳にはいかない。
しかし前進はまごついた。
いつでも動けるようにと言っておいたのに準備がなんて言って出だしは遅れ、さして急いでもいないのに左右は大きく後ろへ逸れて、結果引っ張られた中央も想定以上に進みが遅くなった。
ようやく位置についた時には、もう近衛兵団の姿が味方の戦列を破りつつあった。
遅かった。こうなる前であれば、まだ支えも効いた。一度破られたと感じた戦列は元には戻らない。相手は更に勢い付く。両翼の包囲そのものは完成している頃合いだ。それでも、突き破られた場所へ敵はなだれ込んでくる。包囲の意味を成さない。
詰めた本陣も、時間の問題だろう。
今更になって兵が怖気付いていたのが分かる。
戦いたくないんだ。近衛兵団とはずっと戦いを避けてきて、それでも食いつかれた場面は少なくなかったから、兵の記憶には奴らからの敗走しか残っていない。俺も、戦わず逃げろと伝えてきた。それが致命的だったんだ。
勝利の場、その準備、なんて考えている場合じゃなかった。
勝てないにせよ立ち向かい、生き残った連中を束ねて対近衛兵団の部隊を組織しておくべきだった。
どれだけ数を揃えた所で、いざと言う時思うように動かない兵ではむしろ害。他の兵の動揺や戦線の放棄を引き起こす原因にすらなり得るんだ。
…………くそったれが。
親父のザマを笑えないよ、全く。
結局は人の心を掴み切れず内側からの崩壊を招いた。
その教訓は胸に刻んでいた筈だっていうのに、俺じゃあどうにも不足らしい。
学園でだってそうだ。上手く立ち回って取り持っていたように見えて、ハイリアが居なければすぐ崩壊していたっておかしくなかった。
認めるさ。
|俺(')では、マグナスには勝てない。
青い風が、誰よりも先に突っ込んでくる。
いつか見た景色だ。
復讐なんて考えたつもりはない。
それでもやっぱり、悔しかった。
ろくでもない家族だったけど、何か一つだけでも、報いてやりたかったのかもしれない。
けどな、すんなりとは通さねえよ。
※ ※ ※
マグナス=ハーツバース
声を張り上げ、地面を蹴って、周囲を見渡す。
右足がキツかった。棒切れの足は走るほどに痛みが増していく。
いやそいつだけじゃねえ。
さっきまでは大人しかった身体の中を這い回る痛みが今になって暴れ始めてきやがった。
併走していた副官代理の肩を叩くと、俺の変わりにそいつが声を張り上げ、兵団の連中は今まで以上に叫ぶようになった。
その中で先頭集団から少し下がった俺は、咄嗟に張られた大盾の中でとうとう咳き込んじまう。
どれだけそうしていたのかは分からない。乱暴に口元を拭う。元から返り血で見分けなんてつかん。
「……っくそったれが、大事な所だってのに」
『騎士』の存在感はでかい。
俺が引いているのは相手にも伝わったか?
攻勢を緩めるほど兵団の連中は馬鹿じゃないだろうが、今敵に立ち直られる訳にはいかん。
呼吸を整える。
痛みは少し落ち着いた。
ごっそりと気力を持っていかれたような気もするが、そんなもんに構っていられるかよ!
「へへっ、ひっどい顔してやがりますぜ、団長」
「てめえのカエル顔よかマシだ馬鹿野郎」
「今の団長に比べれば俺の方がモテるってもんですぜ?」
「ほう、だったらこいつが片付いたら、どっちが多く女を抱けるか勝負といこうじゃねえか」
「歳考えましょうぜ団長」
「うるせえ馬鹿野郎、歳食った分だけ色気が増してんだよっ」
軽口を叩き合い、気持ちを落ち着ける。
焦りは禁物だ。半端な状態で飛び出して、味方の前で負傷でもしたら目も当てられねえ。
…………………………それなりに整ってきたか。
おかげで、
「おう、久しぶりだな腐れ神父」
気付くことが出来た。
「ほほほ、お互い老いたものですね」
味方の守りを抜けて、大盾をあっさり登ってきた赤の魔術光。
そいつが一息でこちらへ飛び込んできて、一撃を加えてきた。
受けた槍が打撃を放たなかった事に眉を潜める。すぐさま槍の持ち手を外し、手前側を支えるようにした。滑り抜けていく刃を一々見たりはしない。下がる余地を残した姿勢から大きく振り被って切っ先を向けてくる動きに対し、俺は矛先を地面につけた槍を片手で扱い、斜めに構えて迎え撃った。残る右手はふと、神父今は無い左手を押さえるように動いた。
「っ」
笑ったのが分かる。
確認に視線を向けることはしない。
だが一歩を踏み込みきれなかった神父に対し、こっちは下がりつつ矛先を向けて立つ。
槍を持つのはそのまま左手だけ。
理解はいい。ただ不意に動いた右手を確かめるように指を動かす。
喉の奥に絡みついた血痰が鬱陶しかった。
ゆるりと立つ痩身の男は、風に法衣をたなびかせて静かな視線をこちらへ向けてきた。
イルベール教団の誇る虐殺神父、ジャック=ピエール。
なるほど、やっぱりここの指揮官は抜け目がない。常に最悪を考えて備える。負ける前提で組まれた戦術は豪腕任せに突き破るにはちょうどいいが、最初の工作で見せたように必ず一矢報いてくる。だから肝心な所で手が足りなくなるんだと思う一方、、今回のコレは大槍さながらに強烈だと認めざるを得ないのも確かで。
「お互い、老いたもんだよ、ホントによ」
その昔、俺に魔術の使い方を教授してくれた男の姿は、かつての日々に比べて随分と変わっていた。
変わりすぎているくらいに。
「ま、懺悔を聞くのは俺の役目じゃないからな」
『剣』を相手に、『騎士』では逃げ切れない。
兵団で囲むのは危険。下手をすれば一気に手勢を削られかねない。
今の攻防でそう感じた。
コイツは、ここで潰す。
得物を地面へ突き立てる俺に対し、神父は軽い所作で上へ放り投げる。
俺は衣服を緩め、奴は整えた。
刃に写りこむ相手を、自分を、敵意で以って見据える。
槍を、剣を、握りこみ、掴み取った俺たちは、
「ホルノス近衛兵団団長、マグナス=ハーツバース」
「イルベール教団神父、ジャック=ブラッディ=ピエール」
記憶にある己を踏み越えて、殺し合う。
12/6 序盤を差し替え




