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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第三章(下)
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   アリエス=フィン=ウィンダーベル


 こぼれ落ちる涙を必死になって押し留めようとした。

 なのにどうしても止まってくれない。


 絶対に、こうはなりたくなかった自分なのに。


 進もうとする人を押し留めて、自分勝手に縋り付いて、挙句小娘のように泣き崩れて留まり続けるなんて、絶対になりたくなかった。


 並び立っていたかった。

 追いかけていたかった。

 心から尊敬して、心から愛して、心から誇れる人の隣で胸を張れる自分でいようと思っていたのに。自分はこうだと言い張り、より強固な自分を作り上げていく日々のすべてを否定したくなんてないけれど。


 それでも確かに、あの人が傷付く姿を見るのは辛くて、駆け抜けて多くを拾い上げていきながらも、同時に自らの血も肉も切り落としていくような行為に止まってくれと思っていた自分が居ることも確かで。


 頭に大きな手が乗る。

 一瞬、お兄様なのかと考えた自分が嫌で、目を伏せたけれど、相手はおだやかな声で告げた。


「止まらなかったか……」


 お父様。

 視界の端で部屋の扉が開いていることに気付いた。

 お兄様は閉じていった、筈だから……離れて待っていたお父様が来るだけの時間を、部屋に入ってくる気配を、完全に見落としていた自分を恥じる余裕すらなくて。


 オラント=フィン=ウィンダーベルは、深い吐息をついてもう一度私の頭をポンとする。


「……これで」

「あぁ、約束は守ろう」


 ならせめて、この惨めさにも意味はあると思える。


「ハイリアがマグナスに合流するまで、ウィンダーベル家は戦い全てに手を出さない。入り込ませている密偵にも手を引かせよう。しかし何分大所帯だ、連絡が行き届くまで、個々人が勝手に動く分には保障できないがね」

「当主としての器の見せ所ですわよ」

「娘に言われてはパパ頑張るしかないな」


 ハハハと陽気に笑うお父様に、少しだけ心が安らぐのも確かで、けれどこの先に続くだろうお兄様の過酷過ぎる道行きを、私は憂えずにはいられなかった。


 これしか方法はなかったのかと考えても、やっぱり思い浮かんでこなくて、自分の未熟さを益々自覚するだけで……。


 お父様が現れた時点で、私の率いていたウィンダーベル家の軍勢は抑え込まれるしかなかった。

 兵に戦う意思はあったのだと思う。元よりそういう名目で集まっているのだから。けれどお父様が率いているのが、目に見えている少数の手勢だけとは限らず、既にラインコット男爵が取り込まれていた場合はあの『魔郷』を持つティア=ヴィクトールとも戦わなければならない。

 男爵と『魔郷』の二つなら、まだ勝算を見込めた。

 けれど全貌の見えないお父様がそこに加われば、もう危ない賭けに出る以外思い浮かばない。


 でも、と。


 もしここでお父様の身柄を抑えることができれば。

 そしてお父様に付き従う軍勢を引き込めれば。


 もし、私にそれだけの危険と、血臭を纏う覚悟が持てていたら…………。


 結局お兄様に置いていかれたのも私の甘さが原因で、身の内から猛烈にあふれ出してきた感情には、やっぱり嘘がなくて。


 涙を拭う。

 溢れ続ける弱さの滴を、なんで止まらないのよと目元に手を擦り付けて、擦り付けて、砥いで、砥いで、砥いで――


 この戦い、もう私は何も出来ない。

 身柄を預ける代わりに時間を作った。


 もし、お兄様がこの戦いの果てに何かを成そうとしているのなら、お父様の用意した状況こそが最高の舞台となる。


 けれど最後にやっぱり、私を選んで、止まってくれれば良かったのに、なんて、思わずにはいられなかった。


    ※   ※   ※


   オラント=フィン=ウィンダーベル


 やはり、甘い。

 愛する娘の未熟さに安堵する一方で、そういう自分を客観視するもう一人の自分が思考した。


 この状況での正解は、待つことだった。


 イレギュラーの少女にウィンダーベル家正規精鋭たち、そして数多くの密偵、我が家の持ち得る力の全てを相手に戦い抜くのは容易ではないだろう。

 事実、娘の率いていた造反側にもこちらの手の者がおり、いざとなれば内部から切り崩す手はあった。多少見越していた節はあるが、振り落とすには時間が足りていない。


 たしかに、勝てない。


 だが広く状況を見れば、変わって来るものがある。


 反乱を起こしたマグナスは、戦いには鼻の利く男だ。

 援軍として現れたウィンダーベル家の存在にも、その後の戦いぶりや丘陵地帯に陣取っていた事から予め気付いていた可能性が高い。

 そんな男が、私自ら手勢を連れて南下したと知ればどうだろう。


 ハイリアがウィンダーベル家の手勢を連れて反乱に加わるということは予め通っていた話だろう。

 ならばその南方にある領地からやってくることは予想が容易い。


 率いているのが娘であると考えたかは不明だが、やってくるだろう援軍の迎撃に向かった私の動きを知れば、味方の出迎えを差し向けるくらいはする。

 事実、マグナスは戦力の一部をこちらへ動かしたという情報もあった。


 南北からの挟撃。

 イレギュラーは強力だが、大軍との連携なくてはただ局地的な守りを築くだけで、包囲を受ければ動くこともままならなくなる。

 結局、古来からの城一つ相手にするのと変わらない。こちらにとっても、最前線から離れたこんな局地に留め置かれる訳にはいかないから、撤退が妥当。ここでマグナスの援軍と造反者たちを叩くのも一手ではあるが、いい加減ティレールの周りに貼り付けた大軍がハリボテであることにマグナスも気付くだろう。そうなればもう城は耐え切れない。

 彼ら近衛兵団は、先王ルドルフの時代から一時の安らぎさえ得ることなく延々と戦い続けてきた、本物の精鋭なのだから。


 私との交渉を可能な限り長引かせ、マグナスからの援軍を待てば、まだ娘は獅子でいられたのだろう。

 けれどそれは辛いことだ。

 大切な者が傷付くことを、自ら死地に向かうことを肯定し続けなければならないというのは、本当に辛い。


「さあアリエス、いつまでもこんなところに居てはいけない。外は寒いからな、暖かな部屋と、食事を用意してあるよ。アリエスは静かに、この戦いが終わるまで休んでいるといい」


 手を引いてやると、ようやく立ち上がってくれた。


 愛する娘の泣き顔など望む父は居ない。

 あぁ、それでもアリエスはどんな時でも愛らしいものだ。涙の一滴に金貨を船一隻出しても構わない。愛しい愛しい私の娘。


「……あの、同行していた二人、は」

「あぁ、ヨハンくんとアンナさんだね。拘束はしていないし、事情は先に通してあったから、きっともう荷物を持って追いかけているだろう」

 傷付いた娘に、自分はここで終わりだから、などと事情を説明させるなんてひどいことは出来ないよ。

 それに彼らはウィンダーベル家の人間ではないし、この戦いに絡む存在だから手を出さないと約束した。パパ約束守るよ?

 加えて、アリエスに付いた者たちは一様に、私の元へ戻ることを拒否している。我が子ながら、良い忠誠を集めたものだ。

「お父様は……」

「どうしたんだいアリエス?」

「お父様は昔、相当に血生臭い手段を使っていたと聞きます」


「……そうだね。この戦いで流れる血よりも遥かに多くを私は強いてきた。うん、一国の王とはそういうものだよ。そして私は結局、彼らを悼みはしても、死んだのならばあぁそうかと処理出来る。かつて忠誠を捧げようとした王も、死んだ息子も、かつての友も、等しく現状を示す情報だ。そうでなければいけないんだよ。そうでなければ、統治者などにはなれない。優しい王は、優しさ故に人の心を救うけれど、より多くの人の命を救えるのは人の心を斬り捨てられる悪人だけだよ」


 そして悪人でありながら自身を心から正義と謳える者を宗教家と呼び、善悪を踏破し人であることを止め、未来永劫に屍の山を築き上げる者を聖人と呼ぶ。

 人にあらざる者の言葉を幾ら人に説いたところで、扱い切れぬ意志はより苛烈な闘争を巻き起こす。


「いや、言葉を誤ったね。統治者ではない。支配者だよ。我らは常に人々を武力によって支配している。これは国の在り方がどう変わろうと絶対の理だ。支配の言葉は時間を積み上げることで統治へと移り変わるが、民はともかく権力を握る者が支配している自分を忘れてはいけない。国は民にあらゆることを強いる。反すればあらゆる形による暴力が待っている。この暴力の形で目を晦ませるか、人に慈悲ある法を敷くかもまた、支配の為の一要素に過ぎない」


 だから、などという言葉を呑み込んだ。

 少しばかり語り過ぎだ。


「そう……ですか」


 それを言葉の終わりと感じたのか、娘が涙をもう一度拭い去る。

 ずっと顔を隠すようにしていた子がこちらを向いた。


「……」


 私を見据える、少女の眼光に僅か、息を詰めた。


 嗚呼、雛よ。

 まだ、まだここに居て欲しいというのに。


「お父様。私はアリエス=フィン=ウィンダーベル。お父様の血を受け継いでいますのよ。なのにどうして、私に出来ない理由がありますか…………?」


 未だ涙を溢し、可憐な姿でいて、けれど研ぎ澄まされた刃のように鋭い光が、もう彼女の目に宿り始めていた。


「今回は私の負けです。認めましょう。お父様が想像し得る正解を掴み取れなかったのだという自覚もあります。けれど、この次にどうなるか。その次にどうなるか。私は何度でも挑戦します。えぇ、私があの学園で学んだ一番大きな事は、あの人の背中を見ていて最も心を揺り動かされたのは、敗北しないことでも、勝利することでもありませんから」


 ハイリア。

 アリエス。


 我が愛する子らよ。


 私はお前たちを失いたくは無いというのに。



「諦めないこと、再び立ち上がること、敗北を得ても尚前へ進むこと、そういう……目標を定めて突き進むど根性ですのよ」



「ならば見せて貰おう。舞台は用意した。ウィンダーベル家が持ち得るすべての目を、決戦の地に集めた。世界が見ているよ。あの子が何を成すのか。それこそ、ウィンダーベル家の名前などという無駄なものを排した先に、残ったモノが何なのか」

「当然ですわ。一体彼が誰の兄で、誰の息子だと思っているんですか?」

「ハハハ。これは一本取られたね」


 だがな、勝利無くして、その過程が公然と認められることはないんだ。


 宰相ダリフ=フェルノーブル。

 イルベール教団のジャック=ピエール。


 そして私、ウィンダーベル家と、ラインコット男爵に加えて、『魔郷』を持つティア=ヴィクトール。


 これら全てを越えて、勝つことが出来るか?

 過程を誇っていられるのは、責任を負わない子どもの間だけなんだ。

 結果が全てを肯定するように、結果は全てを否定もする。


 勝てなければ、お前の理想は娯楽に堕す。




 

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