表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第三章(下)
92/261

81


   アリエス=フィン=ウィンダーベル


 室内に残されたのは、私と、お父様の二人だけ。

 他は全員退室を言い渡された。


 対峙した時は険しい表情を見せていたお父様だけど、二人っきりになった途端、表情が一気に溶けていった。


「ごめんよぉ、アリエスぅ。パパも立場があるからね? 怒った? やだなぁ、あれは演技だよ演技。アリエスちゃんに仕事中の凛々しいパパの姿を見せたくなっただけだってぇ。だからさ、ほら、もうちょっとこっちへ来て頂戴?」


「…………お父様、もうちょっと品性を」


「えー、パパって呼んでっていつも言ってるじゃない。昔は素直にパパっ、パパっ、って言ってくれたのになぁ」


「お父様、反教団の方々に同道していた筈でしょう。軍を率いてここまで来るのに、どれだけ時間が掛かると」


「パパって呼んでくれないと答えてあげないよ?」


「いいえ、分かりました。どうせ逃走時点で影武者だったんでしょう。ということは、時間を掛けて身を隠していたのも全部無駄だったということですね」


 言うと、楽しげに笑う声がきた。

 もう中年だというのに、顔つきはまだまだ若い。

 若い頃は家を抜け出すのに女装までしていたというから、この優男顔は下手をすれば侍女にでも化けられるのかもしれない。実の父親の女装姿なんて見たくもないけど、相変わらず大貴族の当主に似合わない、予想もしない手段を使ってくる。


 ふざけた口調で話していても、お父様の目はしっかり私を見ている。

 ほら、今だってどこまで考え至るかを推し量って、待っている。


 向こうが別の話を切り出してきたらそこで答え合わせは終わりだ。


「……お兄様が男爵の領土内に物資を集め、隠していたことは把握していたのでしょうね…………。警戒はしていた筈ですけど、あれだけの量ともなると、購入した物資や費用を上手く隠蔽したとしても、きっとそれに係わる別のモノまで一緒に高騰していく」


 大量に小麦を購入する。

 人も、金も、経路も保管場所も、完璧に隠蔽したとしても、運搬用の馬車や御者の食料のみならず、彼らが独自に購入する嗜好品が品薄にもなる。極力話が広まらないよう口止めをするのなら、通常では考えられないような金額を提示したかもしれない。なら、懐の膨らんだ彼らはやはり豪遊する。

 唐突な、身の丈に合わない金の使い方は違和感になるし、それを見た同業者は理由を知ろうとする。もしコレが長期的に行っていた事であれば、彼ら向けの品をかき集めて落とす金を自分のものにしようと考える人だって居るかもしれない。


「アリエスはやはり素直で良い子だ。そしてハイリアも、やはり考え方がまだまだ素直だよ」


 咄嗟に理解する。

 こういう理屈だけで考えている時点で、きっと私はまだまだ甘い。


「人の強かさを侮ってはいけない。彼らは秘密だよと言われて口止め料を受け取り、知りたがる者から情報料を受け取る生き物だ。失う信用と得る利益を秤にかければ、私とハイリア、どちらに重きを置くかは明らかだよ。正体は隠していたようだけどね。大きな儲け話となれば裏を調べる者は確実に居るし、中には自ら私の方へこういう話があるんだがと声を掛けてきた者までいる。まあ、そこまで複雑なことをせずともいい。人を集めている。その一点のみに絞って、各地に配置したまま日常生活を送っている密偵を送り込めば、誰も彼らを疑うことなんてできない。内容は雇い主が自ら教えてくれる」


 一体どうやってお兄様の行動を知ったのか、次々出てくる手段の数々に分からなくなってくる。

 いや、意味の無い考えだ。きっと、全てなんだろう。全て行い、僅かな情報を探し当て、より正確さを追求する。

 これはもう、人を係わらせる事柄なら絶対に回避なんて出来ない手段で、長年かけて育て上げてきた自分だけの人材を以ってしても、結局は最初の時点で潜り込んでしまえばどうにもならない。

 疑心暗鬼の坩堝。


「秘密というのは、一度自分の頭から出してしまえばもう秘密ではない。言動、行動からですら秘密は漏れる。絶対に知られてはいけない秘密は、誰に知られてもいいようにしていなければならないんだよ」


 私たちは産まれたその時から、呼吸の一つ、視線の一つを注視されている。


 かつてお父様が言っていた言葉を思い出す。

 家は奪い取れと公言していたのだから、こちらの動きには注意を払ってはいるだろうと思っていたけれど、そこまで時間と労力を懸けていたなんて想像し切れていなかった。想像の上を行くことこそが、相手を出し抜く一番の方法だと分かっていたのに、まだまだ甘かった、ということかしらね。


 宰相に味方したお父様が、迫る近衛兵団長との戦いを放り出し、挙句こんな所で立ち往生しているラインコット男爵と予め密約を結び、不用意に接触してくるだろう、この場所この時期に、彼らの戦力を欲するような勢力に備える。相手が私になることは読めていたんでしょうけど、確かにこの登場はあまりにも意外で、私たちは対男爵勢力の用意しかしていない。


「……お父様は、お兄様の狙いをどこまで読んでいるのですか」


「それを聞くことはこの場での拘束を意味するけど、本当にいいのかい?」


 つまりどこまで知っているかを、少なくともこの戦いの中でお兄様に知られる訳にはいかない、ということ。

 そして、やっぱりまだ私には逃げる手が残されている。

 どれだ、と思う。

 幾つか手は考えてきた。

 男爵との交渉となれば間違い無くティア=ヴィクトールが出てくる。

 また例のラ・ヴォールの焔などというものを使われて彼女の力で襲われた場合、あるいは最初から交渉するつもりのない男爵が少数による私の身の拘束を狙ってきた場合、いろいろと対策を講じて、合図一つでそれぞれに適切な対応が始まるようにしてある。

 ただそれは男爵相手のことで、きっと私の対策をお父様は予想出来ているから、そのまま動かしてはただ潰されるだけ。

 心が浮き足立っているのを感じながら、ぐっと堪えて口を閉じる。


 動きたい。

 この徹底した包囲から抜け出せる何かを探して、がむしゃらにでも動きたくなる。


 でも駄目。生半可な方法じゃ、お父様の囲いは突破できない。

 考えて、答えを探して、けれど、見付からない。


 代わりに、苦し紛れの問いかけを放った。


「お父様は何故、教団を容認する宰相についたのですか……?」


 表情を見る。

 推し量られていることを理解しながら、お父様は、とりあえずの不正解を免れた娘へ、苦言を呑み込む笑みを浮かべていた。


    ※   ※   ※


 お父様と、お兄様の関係は、私の知る限り良好だった。

 よく学び、よく努力し、優秀な成果を出し続ける。それを苦痛に思う事無く誇りとし、いずれウィンダーベル家を背負っていくのだと堂々たる歩みで進んでいくお兄様を、いつか誇らしげに語っているお父様を見た。


 家督は殺してでも奪い取れ。


 そうは言いわれつつも、お兄様だって逐一近況を報告し、意見を求め、頼りにすることさえあった。

 いつか本当に戦う日が来るのだという覚悟は私も自然と固めていたけれど、いざその時が来た時、二人がどんな顔をしているのかはまるで想像がつかなかった。


 お父様は、今……、


「私はかつて、自らの王を求めた」


 声は静かに、水底へと沈んでいくようで。


「誰と決めていた訳じゃない。いつか見付かればいいかと、その程度に考えていた時、夢語りの少年の話を聞いた。彼が本来の王族ではないという話は以前したね?」

「……はい」

「それでもいいと私は思った。人を魅せる力が彼にはあり、私自身が自然と彼に期待し、望むようになっていった。民に、我々貴族に、臣下のあらゆる者たちに夢を見せる少年に、彼こそが理想の王なのだと……私もまだまだ考えの足りない、愚かな若造だった。先王ルドルフは夢を語るが、その実体は民を魅せて夢に駆り立てる王ではなく、民に奉仕する奴隷そのものだったんだよ」


 奴隷。


 不意に、フーリア人たちが思い浮かぶ。


 人ではないとされる彼ら奴隷たち。


 そして、同じく人のままではいられないと言われる王という位。


「彼は常に誰かの為の夢を語っていた。あの古い、打ち捨てられた都で始まったごっこ遊びの役割に過ぎなかった王という立場。本当はいつ抜け出しても良かった。その地位にあるべき人物に譲り渡せば、彼もあそこまで追い詰められることは無かったんだろう」


 ウィンダーベル家は時に、様々な国家間に跨るもう一つの国と称されることがある。

 その当主が背負う重責はどれほどのものだろうか。いずれ自分か、迎え入れる婿の背負う重さを語っているのではないのだと思う。

 それにウィンダーベル家は当主の一声で一から十まで全てを動かすような形態じゃなく、ある程度の枠組みごとに独自の判断を下して力を振るってもいる。今回のように、本家の力を振りかざして強制的に動かすことは可能といえば可能だけれど、各国の親族を呼び集めた場で失敗を演じればもう誰も見向きしなくなる。


「アリエス」


 名前を呼ばれ、思考を整えた。

 どんな言葉にも応じられるよう決めた覚悟だったのに、



「今のハイリアは、きっと民に、臣下に、目に入るあらゆる人々に奉仕する奴隷としての王になる。

 私はあの子にそんな道を選んで欲しくない。やがてくる限界を迎えた時、自らが語り続けてきた夢に、背負ってきた者たちに押し潰されていく人を、私はもう見たくない。それは最早ウィンダーベル家を継いだとしても同じだ。


 病的なまでに、あの子は救われない人々を見捨てられない。


 心から信じられる仲間を得て、その温かさや大切さに心から感謝する者は、この世の強かな者たちにとって格好の餌にしかならないんだよ。

 だから私は、我が息子ハイリアを、ウィンダーベル家から除名した。


 力を奪い、名誉を奪い、しかし小さな世界であの子が望むだけの人助けが出来る場所を用意してやるつもりだ。


 英雄など時代の生贄だ。

 世界などというものは、打算的な人間が動かす程度で丁度いい」



 お父様はただ、我が子の先行きを心配し、出来うる限りの手を打ってきたのだと、思い知った。

 極端な行動だとは思わなかった。こうでもしなければ、きっとお兄様は今もウィンダーベル家の名を背負い、近衛兵団長と共に戦っていただろうから。

 反乱を起こした側に当初は筆頭として挙がっていたお兄様の名が、あやふやな情報が錯綜するあまりいつしか消えていたことにも、きっとお父様が係わっている。


「イルベール教団についても問題は無い。処理は終わっている。元よりいつか排除しようと準備していたことだ。今回マグナスは教会の異端審問を招き寄せている。ここに残る者たちも、此度の戦いが終われば最早逃げ場は無い」


「お父様は、止まるとお思いですか?」


 一つだけ、納得できない所があった。

 名を失った。誇りとしてきた支えを失って、けれど、その程度でお兄様が止まるとは、私には思えなかった。


「マグナスにも話は通してある。仮にあの男が認めたとしても、彼の周辺にはこちらの手の者を多く送り込んでいる。ハイリアが彼を頼りにする限り、その身は静かに表舞台から姿を消すことになる」


 あの時、畳み掛けろと、ピエール神父に斬られて尚も皆を鼓舞した姿が浮かんでくる。


 命を奪わない限り、あの日の背中を留めることは、きっと出来ない。


「だから、ここに来た」


 向けられた目にドキリとする。

 私の考えはきっと読まれている。


 そう。


 私たちは、産まれたその瞬間から、呼吸一つ、視線一つを注視されている。


 決して表に出すまいとしてきた。

 悟られれば、もう二度と追いつけなくなってしまうから。

 愛情で、優しさで……拒絶よりも更に強固な手段で、私はお兄様から遠ざけられる。


 認めまいと、つい、構えてしまった。


 私を見るお父様の目は、確信へ至ったかのように、そっと閉じられた。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ