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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第三章(下)
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 今回の件でヴィレイに泣き所があるとすれば、ピエール神父を連れてはこれなかっただろう事だろう。

 ここで俺を逃がす、逃がす危険を冒すというのは教団にとってなんら利がない。

 奴の遊びが許されるのはあくまで教団の大目的に反しない所に限られる。私怨に駆られ、俺を貶める為だけに事を起こすのを、あの狂信者たる神父が許すはずも無い。


 もし、あの場にピエール神父が居たのなら、俺はここまで簡単に逃げ果せることは出来なかったに違いない。

 ヴィレイの前ではああいったが、俺を取り逃がした以上、フロエをどうこうしている自由が今後の奴に与えられるかどうかも分からない。急がなければ、という想いが強くなっているのは確かだが。


「どうぞ」

「ん……うん」

「どうぞ」

「あぁ。ありがとう」


 一夜明け、目覚めると赤毛少年が食事の用意をしていてくれた。

 煮炊きの煙を上げるわけにはいかないから、食事は冷たく味の濃い乾燥食だ。訓練をしていた時はともかく、最近はしっかり食事を取っていたから、少々腹がすく。


「お水です」

「あ、あ……うん」

「ハイリア様もどうぞ」

「ありがとう」


 陛下はむしろ物珍しいようで、予想に反して不慣れな食事を楽しんでいる様だった。

 元より議論はともかくとして、多くの文句を言う方ではないから心配はしていなかったのだが、言わないだけに不満を溜め込んでしまうこともある。どの道我慢を強いることになるから、発散してもらった方が安心出来るのだが。


 汲んだばかりの水で喉を潤す。


「っ、随分冷えてるな」

「もう冬ですから。雪はまだ見ていませんが、冷え込んだ日には溜まり水に氷が張っていることもありました」

「なるほどな。昨日と今日は幸いだったというだけか」


 天幕を張ってなどいれば、ここに居ますよと教えるようなものだ。

 昨日は野宿。毛布はあったが、完全なる屋根無しでは俺も落ち着かなかった。


「陛下は昨夜、よく眠れましたか?」

「ん……うん」

 寝れてないな、コレは。

 というより夜型の方だから、こうして朝起き出すのは辛いのかも知れない。

「マグナスとの合流も早めに出来ればいいんだが」

「あ、そちらと合流のつもりでしたか?」

「ん?」


 もしや、男爵の反乱が落ち着いてそれほど日は経っていないはずだが、クレアたちが近くまで来ているのか?


「いえ……その、アリエス様が、一軍を率いて近衛兵団の反乱に加わろうと…………」

「それは本当か」

「はい。そのつもりでは、なかったんですか?」


 質問に答えもせず、考え込んでしまう。


「あの……」

「……いや、そうだな」


 赤毛少年の話を聞くに、なるほど人数や地理を考えれば随分と王都へ近付いてきている筈だ。父上による援軍がどう展開しているかは読み辛いし、危険を避けてそちらへ合流する道もあるだろう。

 思わぬ援軍の出現は、タイミング次第で単純な数以上に価値を持つこともある。

 マグナスへの援護としても有効になるが。


「ハイリア様は、アリエス様が戦いに参加することに反対ですか?」


 問いかけよりも、乾燥食をちまちま齧る陛下がこちらへ注目したことに気を取られた。

 目を合わせ、彼女が不安にならないよう表情を緩める。

「赤毛少年、陛下に飲み水を。コップが空になっている」

「あ、すみませんっ、気がつかなくてっ」

 やや慌てて皮袋から水を注いでいく間に言葉を用意した。

 まあ多分、時間稼ぎを陛下には気付かれているだろうけど。


 しかし赤毛少年、相手は国王だというのに意外と落ち着いているものだ。彼ならもっと緊張したりするものだと考えていたが。いや、元々彼の家は貴族相手に希少本の収集販売を行っている所だったから、こういう状況にも慣れているのか。うむ、おそらくだがもう偉すぎて実感が湧いていないのだろう。


 手ずから注がれた水を興味深そうに眺め、口をつける陛下を微笑ましく思いつつ、俺は言った。


「正直に話せば、あまり戦いに加わって欲しくは無かったな」

 この二人を相手に嘘やごまかしは言いたくない。

「アリエスは本来闘争をするような子じゃない。だが手段として戦うことは否定しないから、動けなくなった俺の代わりとして手勢を引き込むことにしたのだろう。俺がするべきだったことを肩代わりし、ウィンダーベル家もまた、あの子が……」


 けれど、すまないなどと思うのはアリエスへの侮辱だ。

 ただ身軽になった分だけあの子の負担が増えてしまうことにまで頭が回っていなかった。

 教団に半ば捕らわれる形で同行し、行方を眩ませてしまう以上、反乱に名を連ねているマグナスへの援軍を連れて行く人間が必要。いや、義父が宰相につかなければマグナスの勝利は確実と言えた。援軍など本来必要ない。けれど今の王政を終わらせた後、敵側へ捕らわれていて助けられた、などという不名誉を抱えた俺では大きな影響力を行使はできない。

 今後を見据えれば目に見える形での実績が必要なのは明らかだ。

 当然、俺の代理人として振舞えるとなれば、アリエスをおいて他には居ない。


 だが、俺がウィンダーベル家から除名された以上、このままあの子が反乱やその後に深く携わることになってしまわないだろうか。


 アリエスルートの最後は、正式にハイリアがウィンダーベル家を継いだ後、それまでべったりだった兄や親たちから離れることを覚えたあの子が、ジークと共に新大陸へ入植し、開拓していくという話だった。

 それこそが幸せなのだと決め付けることはしないが、しがらみから遠く離れた地で、ただ純粋に一人の少女として笑う姿をどうしても思い出してしまう。


「そっちに行こう」


 唐突に、陛下が口を開いた。


 驚いているのは俺だけで、赤毛少年はどこか悔しそうに彼女を見ている。


「アリエスと会って、話をすればいい。近衛兵団は精鋭揃い。オラントが他国から戦力を集めてきていたとしても、この丘陵地帯に陣取れば全てとぶつかることはないから、十分に戦えてる筈」


 はっきりとした声だった。

 離れで話している時にも、議論などでは饒舌になる方ではあったが、主張や提案をここまで強く言うのは初めてだ。

 昨日の、ヴィレイを相手に叫んだ時から、何かが変わったのだろうか。


 ただ、アリエスが戦況を把握して動いているのであれば、そこに除名された俺が顔を出すというのは、指揮云々もそうだが兵も扱いに困るんじゃないだろうか。

 確実に個人的な理由だ。マグナスと合流し、叶うのなら一部隊でも預かって動かすことが出来るのであれば、メルトも居る今それなりな成果を挙げられるとも思う。マグナスが相手であれば、彼女の力を明かすことに抵抗も無い。不慣れな学生だけで運用していたあの時より、彼らならもっと確かに力を使えるだろう。


「ハイリア様」


 赤毛少年が遠慮がちに言う。


「実は、アリエス様が軍を率いて動くことになったので、アレは向こうに預けたままなんです。メルトさんも、極力身軽で居ようと置いてきています。なので合流するかどうかはともかくとして、一度必要な荷物を受け取る必要はあると思います。勝手な判断で持ってきていないというのは、謝る他ないんですけどね……」

「いや。そうか、いい判断だと思う。ここからしばらくは追われることになるだろうから、荷物は少ない方がいい。戦いは避けるべきだしな」


 多少誘導の意図は感じるが、彼ならきっと優しさが理由だろう。

 陛下直々に希望されてもいるし、赤毛少年もこう言っている。俺が固持していてはこの先の動きに差し支えてしまう。


 しかし、と一つ思う。


「……メルトは、まだ起き出して来ないのか?」


 連日無理をさせたこともあるし、赤毛少年が滞りも無く朝食の用意などしてくれているから言及はしてこなかったが、もう陽が登って随分経つ。

 彼女がただのだらけで寝坊などするとは思っていないが、これでは少々心配にもなってくる。


「様子を見てくるか」

 言って、立ち上がろうとした時だ。

「――ハイリア様はこちらでお待ち下さい。見てきますよ」

 赤毛少年が俺のコップへ新たに水を注いでくれて、さっさと見に行ってしまった。


 少し肩透かしを食らったような気分になり、しかし確かに陛下と赤毛少年二人というのは気まずいのだろう事に気付く。


 やがて息を切らせたメルトが慌てた様子で赤毛少年と共に現れ、何度も何度も平謝りをされた。

 どうにも、昨晩は俺と陛下が能天気に横になっている間、二人で見張りをしてくれていたということらしい。


 時間を取らせる訳にはと言って食事を取らず出発させようとするメルトに無理矢理食べる時間を与え、周辺に教団の者たちが居ないことを確認した上で、改めて今日の移動を開始した。


    ※   ※   ※


 夜。

 隠れるにちょうどいい窪地を見つけた俺たちはそこを今日の仮宿と決め、休息を取っていた。

 洞窟と呼べるほどではなかったが、大きな樹の根の下に潜り込めそうな場所もあり、今日は俺を見張りとして三人には休んでもらった。


 昼間に二度ほど見付かりそうになったものの、巫女の力で周辺を探知しながら進んだおかげで彼らの目を掻い潜ることが出来た。

 夕方にはもう彼らの影も見当たらないとあって、どうやら見当違いの方向を探しているようだ。

 あの周辺には赤毛少年が現地を確認した後コツコツと設置していた罠がごまんとある。逃走中も彼は何度も斥候に出てもらった。人の存在や地形を巫女の力は読み取れるが、やはり人の通れる状態かどうかということは足と目を使って判断する方が確実だ。休めそうな場所であっても、現地に着いて四方を確認すれば、丘の上から丸見えになっている場合だってある。


 最初は赤毛少年から強く反対され、自分が見張りをすると主張されたが、今日までいつ来るとも知れない待機で神経をすり減らしていた彼と、十分な休息を取ってきた、加えてメルト無しでは魔術も使えない状態の俺とでは、この程度のことは俺がやるべきだと説得した。


 なにより、考え事が多くて今日もあまり眠れそうに無い。


 昨日今日とで一つはっきりしたのは、やはりヴィレイは巫女の存在を掴めてはいないだろうということ。

 カラムトラによって幾人も奴隷として送り込まれている筈だが、皆相当な覚悟を持って活動しているのだろう、拷問程度では口を割りはしない。

 自主的な協力など、イルベール教団には望むべくも無い。

 これまで奴の前で見せたのは、本来持っている属性とは違う魔術を使うという一点のみ。魔術における根源に気付いていない限り、それが此方と彼方を繋ぐという力から生まれた力の一端であることに気付けはしないだろう。

 なら、今後も属性の切り替えを強く印象付けつつ、探知や念話といった力は極力秘匿していくべきだろうか。

 この力のおかげでそうそう教団から見付かるとは思えない。アリエスたちの進軍ルートも幾つかのパターンを赤毛少年が聞いておいてくれたから、荷物を受け取りにいくのに不安はあまりない。


 現状も、この先も、義父や宰相という大きな壁の存在はあるものの、困難であっても心配事とするべきではない。


 やはり引っかかっているのは、置いてくることになったフロエと、ビジット、そして――


 物音が近付いてくる。

 警戒は、すぐに解いた。


「こちらです、陛下」


 声を掛けると、茂みの裏から見えていたお団子が少し跳ね、足早にこちらへ近寄ってきた。


「眠って頂かないと、明日に響きますよ」

「う、うん……ごめんなさい」

 あたり前のように謝るものだから少し驚いたが、俺はすぐ表情を緩め、彼女を迎え入れた。


 しばし、隣り合って夜空を眺める。

 薄雲が掛かっていて月明かりが差さないから、今日は向こうも捜索は諦めているかもしれない。


「……足の調子は大丈夫ですか?」


 昼前の事だ。それまで普通に歩いてついてきてくれていた陛下が辛そうにしているのに気付き、以降はずっと俺が背負ってここまで来た。

 運動に慣れていない、小さな女の子なのだ。今日まで頑張ってくれただけで十分過ぎるが、彼女はずっとそれを気にしていたようでもあった。


「大丈夫……」

「マッサージでも致しましょうか?」

「まっさーじ?」

「疲れた筋肉を解してやることで、疲れを幾らか軽減してくれるんです」

 これでもあちらではトレーナーをしていたから、マッサージには自信がある。小さな子を相手というのは初めてだから力加減が難しいだろうが、この若さなら軽いものだけでもすぐ回復する筈だ。

「ん、後で……」

「はい」


 まあ、それよりもするべき話があるだろう。

 俺は陛下が覚悟を決めるのを待ってから、切り出した。


「ビジットがあそこで裏切ることを、知っていましたね」


 沈黙は僅か。返事はすぐにきた。


「隠し通路で、聞かされた」


 あの怯えはおそらくだが、大勢の敵に囲まれたことが原因だったのだろう。

 教団から逃れた後、彼女にあったのは恐怖や興奮からゆっくり醒めていくもので、兄と慕う男から裏切られたことへの動揺ではなかった。


「それだけですか……?」


 直前に聞かされたというだけではまだ疑問が残る。

 隠し通路に居た時間は長かったが、整理をつけるには流石に早い。


 陛下は俺の突っ込みに押し黙り、すぐ言葉を用意してきた。


「イルベール教団には、もうあまり時間が残されていない、って」

「それは……」

「彼らの本国で、クレアライン家の当主が暗殺された。同時に、虐殺神父として有名なジャック=ピエールにとって最も大きな後援者であったガルタゴの貴族が投獄され、彼の親族も今や追われる身となっているって」


 暗殺?


「首謀者は、分からない。けど教団は遠からず解体される。だから兄さんが王位についたら、今度は教団を連中へ差し出せば事足りる」

「陛下」

「ホルノスはあるべき王を手に入れる。だから」


「それは、嘘ですね。陛下」


 教団については本当かもしれない。

 だが、動機はきっと違う。


「ビジットは一度失敗し、継承権を放棄しています。えぇ、勿論すべてを無かったことにして王位についた例は歴史にもあります。ですが王位の根拠となる約束事ですら守らなかった王を相手に、強かな他国の外交官らが見逃すはずもありません。彼らはきっと言うでしょう。それを守ると信じる根拠は? そうしてホルノスはあらゆる条約で譲歩を強いられる。信用が常にマイナスである以上、約束を交わす上での上乗せは不可避。だから俺も、あの場でビジットが語った言葉を鵜呑みにはしなかった」


 いや、そういうことではない。


「陛下は、お優しい方です」

「違う……」

 いいえ、と言い切る。

「ビジットに、アイツに一度は降り掛かった敗北という死を、その危険を貴女が容認するとは思いません」


 先王の死後起きた、王弟による反乱で敗北した時、処刑台へ送られる筈だったビジットの助命を涙ながらに訴えたという陛下の話を知っている。

 何より、もしビジットの勝利を信じているのなら、俺と共にこちらへ来る理由がない。ビジットの話にだって疑問がある。あの、妹を何よりも心配し、その為に教団に捕らわれさえした男が、王位なんてものを求めて陛下を見捨てるはずが無い。


 そろそろ、俺は自分の周りで起きていることの理由を知るべきなんだと思う。


「違う」


 尚も否定しようとする陛下に俺は言った。


「この戦いがマグナスたちの勝利で終わった時、貴女は支持して下さいますか?」


 変化は劇的だった。


「だっ、駄目――!」


 そうして俺は、この戦いで立ち向かうべきものを知った。





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