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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第三章(下)

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   ティア=ヴィクトール


 長い話をするのは苦手。

 人の顔色を伺うのも嫌い。

 でも誰かに合わせて自分を変えるのは一番嫌い。


「あと少しで逆転の手段を掴めたっ! お前が邪魔さえしなければ!」


「ああしないと負けてたよ。そうやって勢いと思い込みだけで戦争なんてするから負けるの、分かる?」


「戦場に立った事もない小娘が語るか。あの場の恐ろしさも、勝利することの難しさも、何も知らないお前がっ!」


「さすが敗残の将の言う事は違うね。負けばかり経験して勝った事がないから、本当に勝てるかどうかも分からないのかもね」


 なにを、と更に言葉を重ねてくる男を冷ややかに眺める。


 ラインコット男爵。

 ビーノ=ラインコット。


 デュッセンドルフ魔術学園を居場所と決めて引っ込んでいった先代から家督を受け継いで、自分が実力で領主になったのだと思い込んでいる馬鹿な人。


「アナタはマグナス=ハーツバースにも、ハイリア=ロード=ウィンダーベルにも将の器として劣る。せめて彼らの半分でもひた向きさがあれば、もっと違った結果もあったんだろうけど」


 昔から器用で、どんなことでも常に平均以上の成果が出せる人だった。

 だからいつだってある程度の努力で止めてしまう。一つ二つ負けた所で別の何かで勝つことは出来たから、駄目だと思ったらすぐに捨ててしまう。

 けど駄目だよ。それはいつかどんな努力でも惜しまない人とぶつかり合った時、逃げ場を失ってしまうんだから。


 実力なら、きっとあの一番隊の女にも負けない。

 使い手としても、兵を動かす将としても、それなりに優秀だから。


 あれが訓練であれば、学園で行われているような総合実技訓練であれば負けなかったと思う。


 でも実戦で彼は勝てない。

 相手に少しでも劣ると考えてしまえば、すぐ別の方法を探して手段を切り替えようとする。


 デュッセンドルフでの攻防だって結局はその悪癖が出た。


 近衛兵団の猛攻に恐れをなして、では領土内で逃げ回る貴族たちを人質にと本来防衛に必要だったろう戦力まで連れて下がってきた。

 都市内部での戦闘なら土地勘のあるこちらの有利だったのに、平野部での負けが続いたせいでぶつかり合うことを避けた。きっとあの町の特殊な環境のせいでホルノスの軍が思うように動けない事にも気付いていない。デュッセンドルフ内部に潜伏し、一般の協力者たちからの支援を受けつつゲリラ戦法を仕掛けることでもっともっと相手を苦しめる事だって出来たのに。

 あるいはそれで疲弊した相手を押し返す事だって。

 男爵はすぐに諦めた。

 最低限の人員すら失った防衛線は簡単に突き崩されて、結局は一番に下がっていったこの人の部隊まで追い回されることになった。


 あんな小娘に負けたのだって同じだ。

 最後の最後まで骨身を削って鍔競り合う事が出来なかったから。


 反論を続けようとする彼の意見の尽くを真っ向から否定し続けると、思ったとおり静かになって、目を逸らすようになった。


 私も、しばらく黙り込む。


 空を仰いだ。

 鳥が一羽頭上を越えていく。

 風は静かで、物音も少ない。

 見晴らしの良い平原に居座っているせいか、夜風の寒さは中々に厳しかった。

 屋根すらなく、幕で四方を仕切っただけの場所では、この季節の野営に適さない。デュッセンドルフ以東ではまだ寒さも穏やかだったのに、ここは北方からの寒気が流れ込んでくるらしく、いい加減凍死が心配だった。

 ここ数日の内に随分と数も減った。夜毎脱走兵が出るからだ。敗残の軍であるどころか、自領土からも逃げ出してしまっている今、故郷を取り戻せとかき集めた彼らが従う理由なんてない。男爵が言うには千は居るらしい。つまり五百前後がいいところだろう。多くて六百。七百にはきっと届かない。


 それでも、五百は残っている。


 独善的で、すぐ諦めてしまって、なのに自信だけはいつでも満ちている能無しをここまで支える人が居る。

 まあ、それなりに人から好かれる人であったのも確かだ。

 馬鹿は放っておけないって、よく言うし。


「これからどうしたいの」


 学園で見る子どもと同じような顔をする男に問いかける。

 こちらの方が年下なのに、息子を叱っているような気分にさえなってくる。


「……これ、から」

「そう。これから。領土を飛び出して、千人だかって人がまだ残ってて、でもきっと領土はもう取り上げられてる。戻ろうにもデュッセンドルフを取り戻すには数が足りないよね。先祖代々穴掘りモグラとして領土中に広げてきた地下坑道も、こんな所にまでは届いてない。デュッセンドルフ周辺は私の力を使って随分広げてきたけど、やっぱり山間に陣取られてると無理だよね」


 『魔郷』は自然を操る力がある。

 大きな蔓で、あるいは地中の土や石を押し広げる形で、人手を借りながら地下道は作れた。

 加減は難しいし、何度か失敗もしたけど、やれと言われれば山腹辺りからこっそり既存の地下道と繋げる位はできるかも知れない。


 けど、


「領土は……いや、駄目だ。あそこにはまだ、派遣されてきた軍や…………あいつらが、まだ……」

「そうね」


 やっぱり逃げの思考に至る。

 誰かと真っ向からぶつかり続けることが出来ない。

 起用さ故に別の方向でならと誤魔化し、逃げていないのだと自分を納得させて。


 爪を噛み始めた姿を何の気なしに眺めていると、見咎められたと感じたのだろう、ビーノは背を丸めて目を逸らした。


 ため息が出る。聞こえないよう注意はしたけど。


 少しして、私は用意しておいた提案をすることにした。


「ねえ、これから――」


 人が駆け込んでくる。

 気配を感じて表情を改めたのは一応さすがと褒めてあげても良い。

 プライドが高い人は見栄を張るのに慣れている。


「どうした」


 少し暗い声だったけど、伝令の兵は気付かなかった。


「それが、南下してくる軍勢を確認致しました。旗印から、ウィンダーベル家のものと」

「っっっ!」


 崩れかけるけど、なんとか持ち堪えた。


 なるほど、ウィンダーベル家。


「どうして我々の位置が……」

「分かりません。ですが、向こうもこちらの様子を伺っているようで、すぐに仕掛けてくる様子はありません」


 今、私たちは旗を掲げていない。

 反乱を起こして逃げ出した軍が堂々を旗を掲げていたら、功を欲しがる守備隊がいらぬちょっかいを掛けてくるかもしれない。最悪居場所を報告されて囲まれてしまう。補給もままならない今、例え少数相手でも戦闘は避けるべき。


「こちらの正体が見抜かれていないのかもしれないな」

「その可能性はあります」


「けど、時間の問題よ。こんな場所に居座ってる集団を素通りなんてしないでしょ」


 安易な考えに逃げようとしたのを改める。


「お前の力なら奴らを払い除けるくらいは出来るんじゃないのか」

「どうだろうね。『魔郷』も弱点が無い訳じゃないし、あの人が無策で仕掛けてくるとは思えないし」


 元々あの力は情報収集向きであって、戦う力ならきっと『王冠』の方が優れてる。

 不意をうたれた一般人を相手にするのと、戦う準備を整えた軍勢を相手にするのでは随分と代わってくる。

 一番単純な手としては、隊列を組んだ『槍』でじわじわと寄せつつ『剣』や『弓』を随伴させればもう詰める手がない。不意打ちで幾らか崩せたとしても、軍団を相手するならこちらにもせめて相手の半数程度、少なくとも崩した相手を追い散らせる戦力がなきゃいけない。


「問題はそこじゃないよね」


 この場での小さな勝敗は意味が無い。


 兵隊に、未だに残ってくれている皆に、どうして戦うのかと示さなきゃ、きっとぶつかるより早く軍団は瓦解する。


「これから、私たちは、どうするの? それを決めなきゃ、命を懸けてなんて言えないんじゃない?」


 問いかけに押し黙る横顔から、そっと目を逸らした。

 取るに足らない男だけど、


『君はこんな所に居てはいけない。もっと広い世界を、もっと可能性に満ちた未来を、君に示してあげるよ』


 根拠の無い、勘違いの自信と見栄と夢ばかりな彼の言葉に、かつて救われた自分も居るから、まだ少しは付き合ってあげる。

 でも、もうそれほど時間はない。

 刻限は迫ってる。


 彼の記憶が、それを教えてくれた。


 ハイリア=ロード=ウィンダーベル。


 彼は、異なる複数の記憶を、その身に宿している。


 馬鹿げた妄想か、真なる予知か。

 どちらでもいい。

 いいと、思えた。


 最後にジーク=ノートン(呑気ぶった馬鹿)を思い浮かべて、目を伏せる。


 人の記憶に触れ過ぎると、簡単に自己を見失う。

 相手の考えに影響されすぎる。

 だからまず、誰も彼もを否定する。

 それくらいでちょうどいい。


 人が新たに駆け込んでくる。

 風が吹いた、ような気がした。


    ※   ※   ※


 だけどこの出会いは、私たちをとても重い枷となって縛り付けた。

 正義を詠えば引き返すことは出来ない。

 背を向ければ、悪を憎む以上の攻撃に晒される。


    ※   ※   ※


 最初の接触があってから三日後、私たちは北上してきた彼女らと交渉の場を持った。


「あらどなたかと思えば、無様に操られてお姫様気取りになっていたちびっ子(ティア)じゃないの」


「脂肪の塊ぶら下げてるだけで偉そうにしてるなんて、さすが大貴族は頭が緩くても生きていけるんだね」


 申し出を受けて来て見れば、会いたくも無かった乳袋(アリエス)と遭遇した。ついてくるんじゃなかった。

 相手の懐へ飛び込む形での会談とあって緊張しているらしい護衛やビーノが早くも冷や汗をかいている。男の子ならこのくらい涼しい顔をしててよ。


 部屋の奥に陣取って椅子に座ったままこちらを出迎えた乳袋は、私から視線を外して隣へ向けた。


「ラインコット男爵」

「う、うむ……」

「今の発言はアナタの意思と受け取ってよろしいのかしら? 違うのなら撤回を。赤子の面倒は保護者がするものよね?」

「あ、あぁ」

「違わないから頭なんて下げなくていいよ。そっちこそ何、あの人は居ないの、置いてかれたの、やっぱり邪魔だったからだね」

「……男爵」

「ん、んんっ、んっ! ティア、その辺で――」

「ふぅん、こっちに言い返す勇気もないんだ。だったら置いていかれて当然だよね。弱虫についてこられたって、あの人の苦労が増えるだけだもんね」

「場所を弁えない子どもの相手をする気がないだけよ。あらあら、そういえばそのなりで私より年上だったかしら、それはごめんなさい。心の矮小さがそのまま身体の貧相さに現れているのね、無駄に人生重ねたわね、ごめんなさいかわいそうだなんて思って」


「………………」

「………………」


 にっこり笑顔で握手をすると、本来の代表であるラインコット男爵ことビーノが対面に座り、私は隣で軽く視線を伏せた。


「魔術は使わないことね」


 少しドキリとする。


「貴女の力についてはもうお兄様から聞いているのよ? こちらの内心を見透かすふざけた力。それが人の聖域を侵す下卑た行動だって、それくらいの分別も付かないようなら、交渉の余地無く叩き潰して差し上げますから、覚悟なさい」


「寝不足なだけだから、そんなに怯えなくていいよ。最近考える事が多くて困ってるくらい」


 本当に『魔郷』を使うつもりは無かった。

 この魔術の利点は、術の発動地点の高低を大きく移動させられる点にある。

 地下深くで使えば魔術光も、実体化する植物や地中に起きる変動も相手から隠し通せる。

 本格的に力を使えば自然と紋章が浮かび上がってしまうから、本来の半分も読み取れなくなるんだけど。


「こんな交渉の結果がどうなろうと構わない。これは私じゃなくて、ビーノが始めた事。どうするか決めるべきなのは、この人」


 これだけ時間を稼げば、気持ちを落ち着けるくらいは出来ただろう。


 私の意図を察しているのかいないのか、アリエスがこちらを一瞥し、改めて声を発してくる。


「それじゃあさっさと決めてしまいましょう」


 差し込んでいた日差しが雲に翳った。

 少しだけ暗くなった部屋の一番奥で、彼女は淡々と告げる。


「まず首謀者である男爵は処刑。他にも反乱の中核を成した者は親兄弟全て処刑、親族はすべて奴隷階級へ落とし、婚姻そして姦通の禁止。既に孕んでいるのは仕方が無いけど、新たに子を成し一族を持続させることは許さない。さあ、それに同意してくれれば残りはウィンダーベル家の名において保護しましょう。反乱を起こした領地では増税や賦役の増加が常だけど、何割かはウチからも出してあげる」


 無慈悲に告げられた内容にこちらが身構えるより早く、室内や外に配置されていた彼女の手勢が臨戦態勢をとった。


「良い条件でしょう? 領地を丸々焼き払われたり、駐留する兵士が好き勝手に略奪や陵辱を繰り返すくらいはあたり前なのよ?」


 ウィンダーベル家は身分を重んじる。

 現体制の支持派であり、保守派。


「今回の反乱でどれだけの人間が死んだと思うの? 理不尽な死を強いられ、失意の中で命を落とした者に懸けて、償いを曖昧なまま終わらせはしないわよ」


 侯爵家令嬢アリエス=フィン=ウィンダーベルは、どこまでも冷徹に、私たちを睥睨していた。





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