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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第三章(下)
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   アリエス=フィン=ウィンダーベル


 話したいことがあるんだと、あの日、お兄様は言っていた。

 デュッセンドルフ魔術学園への入学を控えた、春季休暇で、私は久しぶりに帰ってきてくれたお兄様との時間が楽しみで、少しだけ不安で、いつものようにちょっとだけ緊張していた。


 学園での活躍ぶりはお父様を介して聞かされていたから、その話を聞かせてくれるのかな、なんて。

 

 自分が特別劣っているとは思っていない。

 なのにいつも不安が消えないのは、例え同じ課題に取り組んでいたとしても、お兄様はいつでもそのずっと先を見詰めているように思えたから。一つ二つ、成績や成果で勝ったとしても、とても勝てたとは思えない私が居た。

 一緒に居るのが楽しくて、大好きで、だから並び立とうと思っても、心の何処かで一歩引いてしまう。


 きっと、どれだけ離れても振り返ってこちらを見てくれる事に安心もしていたのだと思う。


 あの日まではまだ、私にも目指すその先が見えた。

 今はもう分からない。

 お兄様は、その背中を追いかける私はどこへ向かっているのだろう。


 ジーク=ノートンは言った。


 私は自分を殺しすぎているんだと。


 そんなことはない。

 何も理解していない、自分勝手で自由気ままな彼の言葉なんて、考慮にすら値しない。


 私はやりたいことをやっている。

 お兄様の傍に居たい。


 けれどその隣には今、私ではない誰かが居る。


 行き先も分からず、並び立てもせず、追いついてみせると息巻いて飛び出した。


 けれど、お兄様は――


    ※   ※   ※


 発せられた報は聞いた。

 お父様の宣言は瞬く間に私の率いる軍勢内にも広まって、幾らかの離脱者も出した。けれどそう多くはない。動揺の少なさから、きっとある程度は前もって広めていたことなのだろうと思う。お兄様が居なくなった以上、次なるウィンダーベル家当主となるのは私か、私がやがて迎える婿か。

 当主の座を奪う戦力として予め話をつけていた中でも、主に歴史の浅い貴族か、若い層ばかりが付き従ったことにも合点がいった。彼らは次代、お父様が身を引いた後での影響力を強めるつもりでいるのでしょうね。


 元よりお父様は、家督は奪い取れと公言してきた。

 指揮を執るのがお兄様から私に代わったというだけ……。


 王都ティレールへ向けて軍を進めてしばらく、領土を出るかどうかという所で近衛兵団長マグナス=ハーツバースと、西方の戦線を長らく支えていた将軍とが挙兵した。

 そこには当初、お兄様の名前も挙がっていたけれど、お父様の宣言と共にあやふやな情報が多く出回り、反乱を起こした軍勢にその姿がない事で誤情報だったのでという見方が強くなった。


 宣言と共にウィンダーベル家は宰相の側につき、反乱軍を今も迎え撃っている。

 それはいい。当主不在を狙って家を奪い取るなんて良くあること。

 事情を知らなければはた迷惑なお家騒動だと思われるだろうけど、それで戦力を維持できるなら構わない。

 この機に乗じてお父様を捕らえ、認めさせれば、私は晴れてウィンダーベル家を継ぐことになる。


 反イルベール教団としての立場と、彼らを擁する宰相側という立場は相反するけれど、元より転覆を目的に立ち上げられた集まりでもなかったから、必ずしも教団を容認したのだとは言えない。という言い訳は立つ。あくまで、近衛兵団や西方軍の勇み足を諌めるという形を取るのであれば、だけど。



 靴が石畳を踏んだ。

 キィ、と扉が閉じていく音を聞く。


「ほんに、大したお構いも出来ず、すまなかったねぇ」


 振り返った私に、しわくちゃな顔のお婆さんがくしゃりと笑って言った。


「いいえ。急に押しかけてしまったのに、歓迎してくれてありがとう」

 きっと昔ならこんなことは言わなかった。

 行軍中に身分ある者なら軍勢とは別に近隣の町や都市で休息を取るくらいはする。そしてそれは当然の行いで、場合によっては住民を追い出したり、水や食料を略奪に近い形で供出させる場合もある。

 不当な扱いをするつもりはないけれど、感謝の言葉なんて、私だって考えさえしなかった。

「ウィンダーベル様のご令嬢を家に泊めたなんて、一生ものの自慢だよ。町で一番大きくはあるけど、どこもボロ屋だからね。なのにアリエス様が居るだけで王宮かなにかに見えてくるんだから、本当に貴族様ってのは凄いんだねぇ」

 また一層顔を皺だらけにして笑うお婆さんに私は別れを告げて、馬車に乗り込んだ。


 通りを行くのは私たち以外には居ない。

 予め誰も通らないようにしてあるのだろう。


 馬車の扉が開く。動きは止まっていない。


「よく眠れたか?」


 ヨハンだ。


「……レディの馬車に乗り込んでくるなんて礼儀のなってない犬ね」


 彼は一応私の護衛ということになっている。

 本格的に護衛部隊を率いているのはウィンダーベル家の若手で、この馬車や就寝場所の手配も彼らがしているから、この男は実際のところなにもせずぶらぶらと気分で遊びまわっているだけ。


「生憎俺は妹さんの犬じゃなくて、お兄様の犬だからなぁ」

「だったら尚更しゃんとしてなさい。犬の躾も出来ないのかとお兄様の品性が疑われるじゃない」

「宮仕えって大変だわん――おおい無言で『弓』向けてくるんじゃねえよ!?」


 ともあれ、ついつい私が相手をしてしまうから、コレも平然と顔を出してくるのよね。


「メルトさんは?」


 扉を閉めたヨハンが中に居るのが私だけと知っていぶかしむ。


「メルトは別行動中よ。あの子はまあ……いろいろとあるから」

「意味深な言葉だ」

「全くね」

「んで?」

「…………詳しくは私も知らないのよ」

「ふぅん」


 私の言葉を軽く流すなんて無礼な男ね。

 ますます苛立ちが強くなる中、とにかく話題を変えるべく言葉を作った。


「用件があるならさっさと言いなさい。朝の散歩で護衛部隊に恨まれてまで馬車へ直接乗り込んできたんじゃないでしょう?」

「そうやってお前の意図分かってるからとか誇示しなくていいだろ別に」


「い・い・な・さ・いっ」


 一々余計な言葉が入るアナタよりはマシよ!


「なんか向かう先に結構な数の集団が居座ってるんだよな。あとやっぱり無言で『弓』向けてくるのやめてくんね?」


「急ぎの案件ならさっさと報告なさい。集団の動きに係わる愚鈍は容認し切れないわよ」


 ともあれ今は詳細な報告が先ね。


「ええと、数は五百程度。街道からは大きく外れてるけど、うっかり近くを通り掛かった行商なんかを見ると寄って来るんだとか。特に何か取られたりってことはないらしいが、目的が見えなくて不気味なんだと。ただ、身なりはちゃんとしてるし、賊って感じでもねえ。現れたのは最近で、気付いたら居たってことだ」

「宰相の手勢かしらね……主戦場から離れているとはいえ、早々に王都内部の蓄えに手をつけるより、収穫を終えた周辺の農園から巻き上げていった方がいいし……」

 考えを口にすると、犬があからさまに睨みつけてくる。

「一般論よ」

「迷惑な一般論だ」

 それには同意するけれど。

「でもこの村に来ていた様子はないのよね。まだ王都へは距離もあるし、穀倉地帯でもないこんな所での徴収なんて、五百以上の人間を食べさせる方が高くつくわ。宰相の手勢ではなく、こんな所で駐留する意味なんて……」


 私たちの事はきっとお父様が宰相に漏らしている筈。

 迎え撃つというならもっと数を置くべきでしょうし。


 接触を持つべきか、迂回してでも避けるべきか。


「……ううん、これがお兄様の王道に繋がるなら、まっすぐ進むべきよね」


「王道? なんだそりゃ」


「あら知らない?」

「全く」


 ウィンダーベル家からの除名より以前から、静かに広まっていた話。


「今、この世界は一つの節目に立っていると言われているのよ」

「というと?」

 いい相槌よ、少しノってくるわ。

「聖女セイラムは、運命の神ジル=ド=レイルから加護を受けているっていうのは知っていて?」

「まあそれくらいは。ジルなんたらは正直さっぱりだけどな」

「セイラムは運命神から授かった力を使って、この世に全ての人に予め辿るべき道を示している。私の『弓』やアナタの『剣』がそうね。その力の大きさによって、いずれどれだけ世を動かすかってことが示されているのね」

「あぁ、バカ貴族どもがよく言うアレな」

「でもそれ以外にも、かつて月へ登ったとされるセイラムが残した言葉があるのよ。殆ど散逸していて、捏造なんかも多かったから永らく誰も気にしてなかったんだけどね」


 けど状況が変わった。


「フーリア人との戦争が始まり、セイラムの加護を受けていない彼らに、運命に導かれている筈の私たちが負けている。当初に比べれば侵攻速度も落ち着いているけれど、それがかえってまだ無事な国の内部に溜まっている問題を噴出させてるのよ」

「この反乱みたいにか」

「ホルノス以外でもこういったことは起こってるわ。北方の島国では近年それで王が民の手で処刑されたし、南方では王となった人が次々と暗殺されたって噂もある。とにかく、急激な大侵攻による変化から、突然の停滞に移ったことで生まれた余裕の中で、人々はまた大きな変化を求め始めているのよ」


 不意にヨハンが笑う。


 なによ。


「いや随分詳しいなと思ってよ。妹さんっぽいといえばぽいけど、なんか違う気がするんだよな」


「……多少受け売りなのは認めるわ。コレはお父様から聞いた話よ」


 ちょうど、合宿での騒動が収まった後、お兄様が血の繋がった兄妹ではないと教えられた時に。


「話逸れるけど、親父殿ってどんななんだ?」

「そうね」


 間を置いて少し考える。


「……見た目は優男って感じよ。でもそれに騙されて何人も首をくくる事になったって言われてる」

「ふぅん?」

「具体的な事を教えてあげるけど、先代当主を殺して家督を奪い取った人よ。最後はほとんど自殺へ追い込むような手段だったって聞いてるわ。その後は領土内にあったギルドから知識や技術を強引に巻き上げて、反抗した相手は都市ごと焼き払ったってくらいなんだから」

「……おっかねえな」


「だからそうね。お兄様も言っていたけど、中身は大貴族の当主というより、山賊の頭ね。私には甘いけど」

「そこは隊長殿と同じなのな。この分じゃお母様ってのも似たようなもんなんだろうな」


 言うヨハンの顔はなぜか嬉しそうで、そういえば彼が自分の父親すらはっきりしない、娼婦の子だと思い出した。

 ただ、


「…………そうね」


 お母様は、別に。


「まあよ、話戻そうぜ」


 目敏い彼だけど、別な事に気が向いていて、私の変化には気付かなかったみたいね。

 少しだけほっとしながら、頭に浮かんだ声を掻き消すように言葉を作った。



「具体的な形は出来ていないけど、とにかく大きな、この閉塞感を晴らしてくれる変化を世界中が求めているのよ。大航海時代なんて呼ばれて世界が広まっていた矢先に起きたフーリア人との戦争が、一層息苦しさを強めているんですって。そんな時、遥か昔に忘れ去られていたセイラムの予言が出回った。

 出所で言い回しが違うし、でたらめなモノも多いけど、不思議と二つの事柄については共通してるのよね。


 古き御子の眠りと、次代の子が生れ落ち、人々を導くだろう、って。


 今年だとも、来年だとも、あるいはもうずっと前に起きているとか十年二十年先だとか、はっきりしないのが予言らしいけれど、つまりはなんとなく思っていた事に皆大好き聖女様のお墨付きまで出たものだから、さあ何が起きるんだと世界が待ち構えている時に、お兄様は動いた。

 お兄様は、今のこの世界で大きな変化を齎すんじゃないかって言われている。フーリア人のメルトを傍らに置いていることもそう、彼らと戦えと煽るイルベール教団と正面から対立していることもそう、ウィンダーベル家という幾つもの国を跨いで影響力を持つ家の嫡男であったことも、期待の理由だったんでしょうね」



 ジークとの総合実技訓練で見せた、誰も見たことのないあの大破壊が相当な衝撃となって世界へ広まった。

 そこから祀り上げる様に盛り上がっていったのは、こういう背景があったから。


 少し物思いに耽ってしまう。


 私の様子に黙っていたけど、ヨハンは我慢出来なくなったみたいで焦れたように言う。


「それで? 王道ってどういうこったよ」


「お兄様をホルノスの次なる王に。そういう話があるのよ」


「はあ?」


 あまりにも突拍子がないと声をあげるヨハン。


「ちょっと待て。それって今もか? いやだって隊長殿ってよ…………」

「ウィンダーベル家から除名されてる。けど、関係ないのよ、ホルノスにとっては」

「どう関係ないんだ」

 元々危機に際して手を結ぶ口実作りとしての王だった。

 なんてことじゃないのよね。


 宰相は中央集権化を進めようとして、それはある程度形になってきている。

 けれど全ての領地が望んでいる筈も無く、時代の逆行を望む所も相当数居る。

 人心を集めている一人の英雄が、もし今後も成功を続けるのなら、きっと象徴として強く機能することは想像がつく。

 後ろ盾を失ったことは彼らにとっても都合がいい。ウィンダーベル家の顔色を伺うことなく、対フーリア人との戦争で英雄を消費出来る。


 根拠もある。

 お父様があの日、私に教えてくれたもう一つ。



「だって先王ルドルフは、ホルノス本来の王の血統じゃないんだもの」



 そう。


 彼は王ではなかった。


 王であるものは、別に居た。





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