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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第三章(下)
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 パジャマ少女と向かい合って政治談議をするという希少な体験をしている昨今皆様いかがお過ごしでしょうか。

 おそらく征西将軍が前線を放棄し大後退しつつ王都を目指している所だろうし、

 ホルノス近衛兵団長は王都近郊にて蜂起して行軍の真っ最中だろうし、

 俺の元義父はなにやら王都防衛に援軍としてやってきている所だと思われる。


 そもそもがフーリア人らとの戦争中でもあるし、つい最近では正反対の方向で男爵による反乱も起きた。

 血生臭い空気の漂う中、俺はパジャマ少女ことホルノスが国王、ルリカ=フェルノーブル=クレインハルト女王陛下と政治談議をしている(強調)。


 少しふざけすぎているという自覚はある。

 けれど俺自身混乱しているんだ。

 彼女、陛下の持つ情報量はなんだ? 長く幽閉されていて、政治を執り行うにはまだ幼いと称される若さにあって、そこらの領主らよりも余程多くを理解しているように思える。宰相の狙いも分からない。ここから出たくは無いと言った、その為に政務を代理しているというのは、流石に楽天的すぎるだろうか。


「――選挙によって民から政治の代表者を選出すると言っていたけど」


 滔々と、垂れ流される思考を俺は聞いている。


「構図だけを見れば、武力を束ねて実権を奪い取ることに似ている。束ねられるだけの人物と、束ねられた人々がいる、という点で。だから、その選挙というものが辿る道も同じ」

「けれど政治の形を変える度に血を強いることはなくなります」

 今、この国が迎えている状況のように。

「血が流れないことは、良いこと?」


 またあの目だ。

 問いかけを放つとき、陛下はこちらの心を透かす様な目をする。本当に見えているかは分からない。けれど、見ようとする意思を感じる目。好奇心を隠しもしない、ある意味で子どもらしいとも言える目に、徐々に緊張を覚えてきている自分がいる。

 当初こそ目を合わせるのを怖れていたようだったが、いつの間にか彼女は俺という人間の背後に広がる何かを見るよな目でこちらを見据えるようになった。


 俺は一度、この戦いの発端に自分が大きく係わっていることを思い起こし、けれど止水を眺めるような心地で答える。


「無闇に血を流す行為は、きっと悪でしょう」


 悪であるべきだ、とも思う。

 分かっていて引き起こした。

 きっと、もう永遠に逃れることの出来ない罪で、


「……目に見える血は悪で、目に見えない血は善?」

「どちらも、避けられるのなら避けるべきだと思います」

「だったら、政治のあり方を変える度に血を流さないことで流れる血を、なんで無視している?」


 戦争をしなかった時に生まれる戦死者、という言葉を思い出した。

 現代で言われているような話だ。彼女が知る筈がない。


「選挙で集まる票のすべてが、特定の集団に属さないものであることはない。必ず組織ぐるみでの票というものが生まれる。時が経過するほど規模は拡大する。政治を行う側も、票を集めるために派閥を作り、持ち票を計算し、同じ方向性を持つ席の数を増やすべく分散させる。やがて、新参の入る余地は極めて小さくなっていって、通常なら起きるべき世代交代による変化すら、支持基盤の継承によって果たせなくなる。政治派閥自体が生物のように暴走を始めるのに、百年も掛からないんじゃないかな。これは、まあ別にいい。よくあること。

 厄介なのは、代表として選出された人物が政治を執り行えなくなる点。民の代表として、形はどうあれ支持を集めた筈なのに、実質的に政治を動かすのが、いつのまにか支持基盤の側になっていく可能性もある。ううん、多分、確実に起きる。今ですら大きな商会の意向は各領地でも無視できないことがあるし、一昔前なら宗教もそう。代表者は踊らせておけばいい。選挙という構造が民の目を彼らに向けさせる。コレを変化させるのは、武器より遥かに困難で時間が掛かり、失敗しやすい」


「今の、民がなんら政治に係わることなく、考える余地すらない状態であるより、良い変化も同じだけ見込めます。自浄効果が薄くなっていくことの問題点は同意しますが、世代が変わる度に情勢が変わりすぎる危険を大きく低減出来ます」


 独裁は均一化を好む。

 独裁者と異なる思考であることを拒む傾向がある。

 すべてを否定したいとは思わないが、同じだけ変化を生み出しにくい状態であるとは言えないだろうか。現に、異国で民主政治を唱えた人物は処刑され、本は焼かれた。せめてその人物が残した言葉を多くの人が目にすれば、もっと発展した、もっと優れたものが新たに生まれたんじゃないだろうか。

 いずれ腐敗するとしても、起きる悲劇の規模や悲惨さが違ってくる。いや、まだマシな方へ傾きやすい、と言うべきか。構造を固定したとしても、民族性は容易く実態を変質させる例を知らない訳じゃない。

 そこまで考えて、少し話し方を変えることにした。


「陛下の仰るとおり、民主政治には多くの問題があるでしょう。ともすれば今より悪政を正すことが難しくなり、今よりも民が苦しめられることにもなるのかもしれません」


 平和で豊かな日本という国でなら、まだ生きていくことも出来る。

 けれど、貧しい国々では、確かにここで起きている事とそう変わらない苦境、もしかするともっとどうしようもない状況にある場所もあるのだろう。


「民がより多くの権利を有すること。自身の可能性を小さく押さえ込んでしまわないこと。それは、我々の想像もつかないほどの多様性を育みます」

「……多様性」

「陛下は本がお好きですか?」

「うん……」

「学問に関する本が多く見受けられますが、小説も相当な量が混じっているようです」

 国によって害と認められた焚書の指定本ですら、彼女は忌避感なく読み込んでいる。むしろ、興味を持っていると言える。

 俺に会おうとした理由も少しだけ見えてきた。反教団思想の急先鋒となり、近衛と共に宰相を討とうとする俺は、きっと彼女にとっての興味の対象となっている。


「より多くの思想、価値観、それらが入り混じることで新たに生まれるモノを……興味深いとは思いませんか? 知りたいとは思いませんか?」

 ほんの少しだけ、瞳の奥で何かが揺れた気がする。

 大きな変化ではなかったから、どういう反応なのかを推し量ることは難しい。望んでくれているのだという希望が俺にあるだけで。

「俺の知るものが正しいとは言い切れません。何か致命的に壊れているのかもしれません。けれど、前進を押し留めてはいけない。駆け出そうとする者の背を押すような国であってほしい。そして俺はきっと、そういう彼らの行く先を見たいのだと思います」


 話がズレているとは思う。政治の形について語るべき時に、具体性なんてどこにもない曖昧なものを持ち出すのは卑怯だ。

 その上、こんな子どもじみた感傷で彼女の話に応じるなんて、どちらが年下か分かったものじゃない。


 彼女は人形のように固まり、じっと俺の言葉を思考している。

 瞬きすら忘れて、半開きになった口元だけがふよふよと動く。深く刻まれた隈が、この行為のすさまじさを表しているようにも思えた。


「………………………………人の持つ思考が変わることはない。人の性質が、どれだけ新しい何かを生み出したとして、きっと今とそう変わらない。変わるには人でなくなる以外にはない。人という在り方に固執しようとは思わないけど。多様性は、時に『強い』ことの支えになるとは思う。新しいものとの戦いは、熟達しているほどに難しくなる。比率? 目に見えるものと、見えにくいものと、総じて納得のある生き方が出来る比率は変化する。血を流すのが悪とするなら、確かな違いは見込めるかもしれない。けど、多様化することによって対立は細分化され、根絶すら難しくなっていくのは明白。多様性を認めることは、多大な権利を与えること。だから余計に、国は常に毒を内包し続けることになってしまう。内から発するものである間はまだいい。それが外から入り込んだものとなった時、国はやがてあるべき形を失っていく…………けど」


 まるで見てきたかのような呟きに、息苦しさすら覚える。

 全てが正確であるのかは分からないし、きっと可能性の一端を彼女は言っているのだと思う。

 思考の垂れ流しじみた口調は、予め用意してあった回答を述べているのではない。彼女は今、たった一つの発想からここまでのことを想像しているのだ。


 思えば、未だに彼女の求めるものが見えてこない。

 ここまで多くのことに、政治にも興味を持っていて、この国について確かな情報を得ているというのに、こんな小さな部屋で本に埋もれて生きている。宰相側の姿勢は読めないが、抑え込まれているにしては手助けを求めてはこない。踏み込んでみるべきか、とも思う。

 言葉を捜している間に、彼女は思考を終えたようだった。


「ハイリア」


 思えば、初めて名前を呼ばれたような気がする。

 彼女はあの、奥底を見透かすような目でこちらを見ている。


 ただ、今までの己の思考に没頭したものではない対話に、恐る恐る探るような色が混じった。


 故に油断した。


 放たれた言葉は、銀の弾丸よりも確かに、こちらの思想を抉ってきた。


「貴方、は…………ヴィレイ=クレアラインに、も、心に黄金を、秘めていると、思う……?」


    ※   ※   ※


 呼吸すら出来ないまま、彼女の目を見る。

 忘れているのではなく、隠しているのではなく、けれど今呼吸をすれば、決定的に露呈してしまうのだと思った。


 じっと、変化を見張られている。

 いや、ここまでして変化を封じているのだから、これはもう一つの絶大な変化だ。

 あらゆる意味で、特大の一発を貰ったような気がする。


 黄金。

 黄金、か。

 それは俺がかつて、合宿にて教団と敵対した際にピエール神父へ放った言葉だ。


『世界は変わる。人が学ばないなんていうのは嘘だ。知識は積み上げられ、思考はゆっくりと広がりを見せている』

『人を信じると?』

『違う。俺は知っているだけだ。人の悪性が、万物にやがてくる腐敗のように消えぬものであるのと同じくらい、人の善性もまた、決して朽ちることの無い黄金のように存在していると』


 決して朽ちることの無い、色あせることの無い、そういったものが人にはあると俺は言った。

 けれど奴に関して、ある、というたった一言すら俺は口にできなかった。

 フロエと、長く過ごす時間があったからか、目の前で汚される瞬間を見せ付けられたからか、もうどうしようもなく、奴を同じ人とは思えなくなっていることに気付く。


 彼女を救いたいと思っているのに。

 奴が彼女を苦しめているのに。


 あの男を認めるのは、戦う意思そのものを挫かれるに等しい。


 何より、信じられる筈がない――!


「あの時の言葉に嘘はありません。ですがきっと、俺は奴を信じることが出来ない」


 淡々と告げた言葉に、自己のおぞましいまでの矛盾に、つい、頭を抑えて目を覆った。

 たっぷり時間を掛けて、それを与えてくれる少女に得体の知れない恐ろしささえ覚えながら、やっとのことで呟く。


「知っているんです」


 ヴィレイ=クレアラインについて。


「奴が、幼い頃から贄となるべく育てられたことを。本物の愛情なんて向けられたことがない、人形としての生を知っている。苦しんで、苦しんで、絶望して、けれど力だけはあったから、憂さを晴らすように悪意を育ませていったことを知っている。そうしてある日、全身全霊で誰かの為に自らを犠牲にしようとする人を見て、どうしようもないほど憎み、ぼろぼろに穢さなければいられないほど錯乱し、同時に、狂おしいほどに求めていたことを知っている」


 たった一人の少女に恋をした、それに気付けないほど歪んだ彼を、確かに俺は知っている。

 道化と変わり果て、舞台で笑いを誘う存在となった姿を、確かにみた。俺自身の主観を排除してみれば、どうしようもない者だと、この世の絶対悪だと断じることはきっと出来ない。


 だが、


「それでも俺は許せない。俺自身の憎しみの為に目的を歪めているつもりはありませんが、どこまでいっても、俺は奴が、憎い」


 それだけなんだろう。

 俺が何よりも救いたい人を苦しめている男を、どうして許せる。

 理由なんて知ったことか。お前の苦しみなんて知ったことか。


 同時にそれが、俺の今日までしてきた行為に巻き込まれた人々が持つ想いも、同じであると分かっていて、だから……………………あぁ……ああっ! それでも!


 姿勢を正す。

 崩していた足を正座に戻し、未だこちらを覗き込む目を真っ向から見据える。


「俺はきっと、俺の正しさの完全さを証明する事はできません。俺たちがこの先示す国のあり方が、正しい国へと導くものと証明する事はできません。奴隷解放を、もしかするとフーリア人の中でさえ、望まぬ者がいるかもしれません。けれど、やります。最早何者でもない男として、俺自身の望みを叶える為に」


 うっすらと陛下の口が開く。

 瞳はそのまま、何かを言おうとしたのだと思う。

 結局何も言わないまま噤んでしまったのを見て、言葉を繋ぐ。


「力になって欲しい。この国を、今とは違う形に組み替えたい。宰相を討つことに忌避感があるのなら、助命出来るよう努めます。今の暮らしを維持したいのであれば、出来るよう計らいます。けれど、今、俺たちを支持してほしい」


 陛下は傀儡だ。実態はどうであれ、今の彼女に政治力を期待する者は居ないのだろう。

 ただ、もし旗印となってくれるのであれば、これほど大きな力は無い。

 かつて先王はすさまじいカリスマで以ってホルノスを纏め上げたという。

 領主たちが力を持つ体質はあっても、きっと無視できない影響力を持つ。


「戦いが終わった後、フーリア人の王を名乗る者が出てきます。シャスティ=イル=ド=ブレーメン。彼女との会談で、新大陸発見から始まってしまった我々の罪を終わらせたい。一方的に開放することで解決したなどとは言えない。陛下にとっては遠い出来事なのかもしれません。先王の時代からの事で、俺たちの不甲斐無さによって続いてきたことを、歳若い貴女に押し付けてしまうことの恥は承知の上です。けれど、貴女でなくてはならない。この西側の大陸上で確かな存在感を持つホルノスの王だからこそ大きな影響と意味を持てる。どうか――」


 お願いします。そう言って頭を下げた。


 全く以って下策だ。

 もっと彼女を知るべきだった。

 少しでも語り合える時間を延ばして、信頼を勝ち得てからするべきだった。

 こんな荷物を押し付けるような言い方ではなく、彼女の望みに絡めるような言葉があったかもしれない。望み…あぁ、望みだ。結局彼女が何を望んでいるのか、何故俺を呼んだのかも聞けていない。どうにも口の上での駆け引きは苦手だった。


 物音がする。陛下が居住まいを正したのが分かる。


 一生懸命に息を吸い、何かを言おうとして、出来ないのが分かる。


「ごめん、なさい」


 そして出てきた言葉に、身体が一層重くなったのを感じた。


 動かせなかった。

 ここまでして接触を図ったというのに、居るべき場所を放棄してまでやってきたというのに、失敗した。


 口惜しいが、仕方の無いことだ。

 本来彼女へ強引に接触する為の策だったが、求められたと聞いて可能性を感じてしまったからか、落胆は大きい。

 早めに脱出するべきだろうか。手段は用意してある。タイミングを誤らなければ、マグナスとの合流は難しくないだろう。予定外のウィンダーベル家の参戦に苦境に立たされているのであれば、早めに動くべきか、しかし、おそらくはまだ早い。配置が終わっていなければ致命的だ。


 頭の中で算段をしていると、頭を下げた視界の中に、少女の手が入り込んできた。

 陛下が、身を乗り出してきている?


「可能性を追う、のは、くるしいよ。誰、かの、為になら、ずっと……ずっと苦しい。巻き込まれ、た人も……気、付いてしまえば、すごく、苦しい…………」


 小さな手が、胸元の服を掴む。

 子どもが親を求めるような、縋るようでもある手に導かれて、ゆっくりと顔をあげていく。


「良いことも、悪い、ことも、全部、一緒、だから……。全部、見る、方向が違、違う、だけ」


 息を吸った。


「《都合が》良い。《都合が》悪い。ほら、これだけ。変化は、ある。喜ぶ人も、いる。けど、変化によって、大勢にとって《都合が》良くなったおかげで、苦しむ人、も、きっと居る。貴方は、それを、背負うべき、じゃ、ない。背負わせて、いい、人、じゃ……ないから。だから、家名を――」


 何故、ここまで…………、


 彼女は首を振り、言いかけた言葉を吐息に混ぜた。

 まるで、俺の中にある葛藤まで背負い込んだような息苦しさをかみ締めながら、少女は涙を流していた。


「ここに、居れば、いい。任せて、終えれば、いい。なのに…………なんで……」


「…………やりたいと、思ってしまったからです。助けたい、力になりたい、放っておけない。不動の正しさはないのかもしれない。それでも、じっとはしていられません。失われて欲しくない、俯いたままで居て欲しくない、希望を、夢を見て欲しい。存分に泣いて、存分に笑って、もう感情を抑えることも隠すこともしなくていい、そういう時間を作りたいと、俺は思っています。ありがとうございます、陛下」


 切り上げる意味でも再度頭を下げ、胸元を掴む手を置き去りに立ち上がっていく。

 もう指先がほんの少し引っかかっているだけだ。離れれば簡単にほどけてしまう。

 全てを捨ててここに居ろと、そう言った少女は弱々しくこちらを見上げている――――――そう思っていた。


 唐突に身体が引き寄せられる。

 掴まれた手に無理をさせないよう、前のめり気味に立ち上がろうとしていたのが悪かった。

 服を引きちぎらんばかりに握り、引きずり倒そうとする思わぬ力に、足元の床が外れたみたいに転倒した。

 こちらを引く小さな身を潰さない様にと咄嗟に手をつけたことだけは、自分を褒めてやりたい。


 そうして、混乱から立ち直った時、目の前には炎があった。


「っ――――っ!!」


 叩きつけようとした言葉を飲み込んだ表情は、今にも泣き出しそうなほどぼろぼろで、


 震えていた手は、ゆっくりと静止していく。

 炎は、瞬く間に消えてしまう。


 弛緩していく表情と、ぽっかり空いた口に、どうしようもなく罪悪感がこみあげてくる。


 ここに居ればいい、という言葉は、もしかしたら、ここに居て、だったのかもしれない。

 理由は分からない。目立つとはいえ、臣下の一人に過ぎなかった俺をそこまで意識する理由はない。ここにはもうビジットも居る筈だ。寂しいからなどという理由ではないのだろう。分からない。分からないけれど、引き止めてくれた彼女への感謝を、そっと心へ秘めることにした。


 不可抗力とはいえ、レディを押し倒したままではいられない。

 手をとって助け起こした後、くっと目を瞑る少女へ、彼女が目を開けるのを待ってから、手を離して問いかけた。


 もしかしたら、今の自分が、彼女が問いを放つ時のような目をしているかもしれないと自覚しながら。


「――――この大地に遍く轟く、黄金の国を作り上げよう。先王はかつて、そんなことを夢見ていたそうですね」


「例外は存在する。貴方自身がそう言った。どうしようもないほど、世界は矛盾し続ける」


「望むべきではないと思いますか?」


「民であるなら、叶えられない理想も娯楽として消費できる。けど…………」


 あぁ。


「では、民になりますか?」


 無価値な想像を、彼女は薄く笑って棄てた。


「私は、ここに居る」


    ※   ※   ※


   ルリカ=フェルノーブル=クレインハルト


 馬鹿だ。

 馬鹿だ。

 馬鹿だ馬鹿だ馬鹿だ馬鹿だ馬鹿だっっ!!


 私はどうしようもく馬鹿だった!


 あの人に殺してもらおう……?

 なんていう思い上がりだったんだろう。

 あの人には、絶対に背負わせちゃ駄目だ。


 彼が身を正したとき、確かにかつて見た光景を思い出した。


 兄さんが、彼と、私と、この国の何もかもを背負おうと言った時の、あの光景。


 反乱が成功するかなんてどうでもいい。

 けど、きっと彼の行く末はかつての兄さんと同じものだ。

 この国を建て直しても、途方も無い何かを救ったとしても、いずれどうしようもない終わりを迎えてしまう。


 私なんかが、こんな国なんかが、巻き込んでいい人じゃない。


 でもどうすればいいの……?


 もう彼は始めてしまっている。

 自らの足とまで言ったウィンダーベルの名を失ってしまっている。

 もしかしたら、もっともっと、目には見えない何かを。


 彼の去っていった扉を見詰めた。


 音がしたからだ。


 戻ってきたのかとも思った。

 けど扉の隙間から差し入れられた封書を見て、私は血の気が引いていくのを感じた。


 分かっていて、手に取ってしまう。


 蛇の毒は、もう引き返せない程に私を――




 

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