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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第三章(中)
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   マグナス=ハーツバース


 その先に足を踏み入れるには覚悟が必要だった。

 打ち捨てられた廃墟の奥、丘陵地帯を見下ろすことの出来る、石造りの空中庭園。

 かつて王と出会った古都の、今はもう暮らす者の無い荒れ果てた姿を俺は目の当たりにしていた。


 人が住んでいないと町というのはあっという間に荒れるものだと実感した。石畳は割れ、壁を蔦が這い回り、通路を草花が塞いでいることもあった。立ち塞がるのが植物であればいい方で、家を調べて回っていた部隊が住み着いていた獣に襲われ負傷者まで出た。この日の為に信頼できる部下へ命じて物資を溜め込んでいたのだが、使っていたのは一部分で、俺自身は訪れたこともなかった。避けていたという自覚は、確かにある。


「全く……老いたわなぁ俺は……」


 胸の内にわだかまる苦しさから逃げるように溢し、足を踏み入れていく。

 一歩、二歩、交互に違う音を立てながら、強い日差しに一つだけとなった目を細める。


 杖は持たない。

 近衛の団長が支えなくしてまっすぐ立てもしないなどと、あってはならないことだ。

 立てなくなったら引退してやる、などと格好の良いことが言えれば良かったんだろうが、まだどうしてもやっておきたいことがある。


 朽ち落ちて骨組みだけとなっていたアーチに差し掛かった所で、そういえば庭仕事をよくしていたのはあの宰相殿だったなと思い出す。

 陰気で細かくて疑り深くて、いつだって王に忠義していた宰相。

 あのまま古都を出なかったら、アイツは今頃ここで庭弄りを続けていただろうか。


「っはは……」


 湿っぽい笑いで誤魔化す。


 もう何度目だ、この手の想像は。


「…………俺たちは間違えたんだ」


 あの日から口癖のように言い続けてきた。

 全てが失敗だったなどと言うつもりはない。けれど、どうしようもなく舵取りを間違えて、山のような負債をホルノスの次代に押し付けようとしている。それだけはやっちゃいけねえ。また国を乱すのかと後ろ指をさす者もいるかもしれない。だがなぁ、イルベール教団なんぞと歩んだ先に、胸を張れる未来があるとは到底思えない。

 この考えは間違いだろうか。間違い続けてきた俺だ。また負債を積み上げるだけじゃないかと悩まない日はなかった。


 だが、便りが届いたんだ。


 若く、力を付けていこうとしている次代の子どもたちから、力を貸してくれと言われた。

 自分たちだけでは足りないから、今までたっぷり生きて力と権力を得てきたこの俺に、そいつを寄越せと。


 イルベール教団の存在をあいつらは否定した。

 そりゃ、慈善事業なんぞやってる連中だから、違うと訴えてくる奴もいるのかもしれねえけどよ。


 許された気がしたんだ。


 ずっと悩んで、悪化していく病もあって、中止さえ考えたくせに、一人の男が呼びかけてきたから、もうこいつの為に全部使ってやろうって、思っちまったんだ。


 結局わがままみたいなもんなのかも知れねえな。


 自分の正しさを、完全無欠の正当性なんてものを見出せない。

 きっとどんな道だって間違っていて、正しいと言える。

 唯一の例外であることの果てしなさは、孤独に荒野を歩むのに似ている。

 そうだ。俺たちは共に在るつもりだっただけで、きっと王はいつだって、孤独だったに違いない。


 誰かの正しさを証明する事。


 嘘と知りながら正と声を張る事。


 そんな苦しみをたった一人に押し付け続ける時代を終わらせる。

 皆で分け合えば、少しは楽になる筈だ。


「言い訳ばかり、考えるようになったもんだよなぁ……」


 知ったことかと暴れていた昔を思うが、今が正しいさと納得する。


 あぁ、本当に。


 アーチを潜った先の光景に、かつての光景が重なる。


 王がいて、王妃がいて、宰相が、大臣が、神官長が、みんながごっこ遊びに興じていた。

 王は夢を語る。かなうはずもない夢を、目の前の出来事のように語ってみせる。

 王妃が思い浮かべた景色に目を輝かせ、宰相は皮肉交じりに否定してみせるが、決してその場を離れはしない。


 俺は、俺はどうしていただろうか。


 流刑地でただ一人、自ら望んでこの地の住民となって、また出て行くことも出来る俺だけは…………いつだって彼らに踏み出すだけだと、こんな所に収まっていることはないんだと偉そうに語っていた。

 夢を見て、叶えようともしない彼らに苛立ちさえ覚えていた。


 外を思い起こさせる俺の存在が、ひっそりと生きていくだけだったあいつらを壊した。


 あぁそうさ。間違えたのは俺だ。俺が、すべての間違いだったんだ。


 あの時だって、誰よりも俺が止めなくちゃいけなかったのに。


 石の机を見る。丸く切り出された椅子が周りを囲い、そんな集まりが数えるほどに並んでいる。王の居た場所は、庭園の端だ。遠くまで延々と続く丘陵地帯を一望出来る、空中庭園の手すりによく腰掛けていた。


『久しぶりだな』


「あぁ、久しぶりだ」


 まだ若かった、少年だった頃の王が気安い口調で語りかけてくる。


『全く、近衛の団長が王の傍を離れてどうする』


「面目ねえ。ちょいとやることが出来ちまったんだよ」


『何をするんだ? マグナスはいつも突拍子も無いことを言い出すから、実は皆たのしみにしてるんだ』


「確かにちょっとばかり突拍子も無いな」


『聞かせてくれ。お前の語る未来なら、きっとまっすぐ前を向いていて、今すぐ駆け出したくなるような話だよ。なあ、マグナス。いつか、きっといつかさ、この国を誰もが羨む、世界中が手を叩いて集まってくるような黄金の国に――――




「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」




 叩きつける。

 嵐のように吹き荒れる青の魔術光を纏い、今尚かつての姿を残す石の庭園を、徹底的に破壊する。

 手すりを砕き、石の机と椅子を叩き飛ばし、床を割って粉々になるまで槍を打ち付ける。

 思い出の破片が風に飛ばされていくよう、もう二度と迷わせないよう。


 枯れた声が喉を刻みながら這い出てくる。


「俺はもう、お前でさえ否定してるんだよ、ルドルフ……!!」


 だから、王の作り上げた国を破壊する。

 王という存在を取るに足らない偶像に堕とし尽くす。


 固く目を閉じ、胸いっぱいに息を吸う。

 痛む節々を無視して、過去の何もかもを彼方に押しやって、目を開いた。


 崩れ去った庭園の向こう、陽は変わらずこちらを照らしていて、なのにもう、眩しいとは思わなかった。


「お前か」


 降り立った気配に声をやる。

 ひどく希薄な、戦士のものではない、影の気配。右目の下に傷痕を持つ女。

「皆、集まってる」

「あぁ、今行く」


    ※   ※   ※


 古都は今、かつての景色さえ霞むほどの人で溢れかえっていた。

 フーリア人との最前線を支え続けてきた征西将軍の寄越した精鋭たち。

 各国を転々としながら勇名をあげている傭兵団。

 北方が主体ではあるが、各地の領主らが密かに派遣してきた友軍も多数。


 いずれも近衛兵団が転戦してきた過程で得た協力者、支持者たちだ。

 ただ王都を落とし、宰相を仕留めて王を戴いたところで各地の領主らが賛同しなければ国は回らない。すべてを引き入れることは流石に出来なかったが、ある程度までの文句なら黙らせるだけの支持は集まった。


 敢えて言い加えれば、他国からの使者も含まれているから、政治基盤を強引にでも整えれば即座に国交を始められる。


 まあ、連中は失敗すればすぐさま方針を切り替えて宰相へ擦り寄るなり去るなりするだろうから、味方であるとは言い難い訳だが。

 今はとりあえず、物資の支援で恩を売っておこうというだけだろう。


 兵も相当数集まった。


 手筈通り西軍が蜂起したことで宰相は討伐軍を差し向けた。

 男爵への派兵も含めて、奴が個人で動かすことの出来る兵はもう底をついている筈だ。古都へ集結した兵だけで十分にティレールを落とすことは可能。

 問題は宰相直属の暗部が未だ身辺を固めていることだろう。

 一部の協力者を得ることは出来たが、奴に救い上げられた連中の忠義は厚く、実力は確か。しかし連中はあくまで影の戦力だ。軍勢を相手にすることは出来ない。


 王都ティレールとは既に目と鼻の先。

 いつか振り返って見た仲間とは比べ物にならないほどの大戦団。


 設えられた野晒しの壇上へ上ると周囲が静まり返った。


 風が吹く。


 青の魔術光を纏い、『騎士』の紋章を浮かび上がらせる。

 手には突撃槍。円錐状の巨大な槍。


「こいつを見ろ」


 掲げた槍は、通常の魔術で取り出されるものとは少々違う。


「こいつを見ろ」


 再度轟かせ、穂先を天へ向ける。


 青の風が穂先から流れ落ちるように絡んでいる。その流れを作っているのは、槍の表面に施された黄金の装飾だ。

 かつてルドルフの元で戦っていた俺が作り出した、証の槍。

 ガキみたいな夢を語って、魔術を使えない王の、これがお前の力だと語った、証。


 これは、罪の証だ。


「俺はかつて、過ちを犯したことを認めよう。


 人々を背負う立場にあって、自らの思うままに世界を歪ませた。


 結果がコレだ。


 反撃に出たフーリア人によって俺たちの大地は蹂躙され、今日この場に集まった者の中には故郷にすら戻れぬ者も居る。


 奴らの恨みは根深い。同じく俺たちももう、易々と奴らを容認できない理由を山と抱えている。


 戦いはいつ終わるとも知れない泥沼だ。


 だというのに、この上更に間違いを重ねようとしている。


 イルベール教団だ」


 忌むべき名前に、各国の使者たちがそっと首肯するのが見えた。

 クモの糸のように張り巡らされた連中の力は、他国でも厄介極まりない存在なのだろう。

 ここでホルノス中枢への侵入を許せば、次は彼らの国でも似たようなことが起きる。使者たちよりも更に奥、影でこちらを伺っているのは、教団の分派元よりやってきた審問団。


「最早宰相の専横を放置は出来ない。


 王、ルドルフの間違いを正すこともせず、尚も邁進しようとする奴は既に世界の敵だ。


 俺もまた間違い続けてきた。だが、今日この日、その罪を償う機会をくれるとお前たちが言ったっ。


 為にならこの命、喜んで捧げよう……っ。


 この槍が示す、俺の罪の証を手に、必ずや宰相を討ち果たし、過去の因縁から開放してみせる!


 次代の子どもたちが胸を張れる、正しき国を取り戻そう!」


 応。


「さあっ」


 応。


「さあっ!」


 応。



 ――――この大地に遍く轟く、黄金の国を作り上げよう。



 そう語った少年の姿は、今はもう風の彼方に消え失せた。

 夢語りの王など、現実に居てはいけなかったんだ。



「夢の時間は終わりだ。全軍っ、ティレールへ向けて進軍せよォ!!」






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