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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第三章(中)
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   リース=アトラ


 目的地へ到着した。

 遠く彼方まで続く石畳の街道は見事なもので、この地を統治するウィンダーベル家の偉大さを思い知る。広い平野を抱え込むようにして広がる都市の外壁と、近隣の丘に見える風車の列。街道の左右には収穫を終えた麦畑が広がっており、農場と都市をひっきりなしに牛車が行き来している。道中には楽団や奇術師か何かが芸を披露しており、懐の潤った農場従事者たちからおひねりを集めていた。

 驚くべきことに、そうやって笑い合う人々の中には、浅黒い肌を持つフーリア人ですら入り交じっている。


 ここは、ウィンダーベル家の本拠地とされるミッデルハイム宮殿と、その城下街。

 異国へも繋がる大街道は今も起きる内乱と、攻めかかるフーリア人の脅威などどこ吹く風と、盛んに人の往来がある。

 現在も自由市が開かれていて、ギルドなどの縄張り争いが表向き無い上に、ほとんどの細々した税が撤廃されているという破格の環境だった筈。市民権を得れば居住も簡単に認めらいれ、自由民までの階級さえ金で買える。さすがに安くはないでしょうが、誰しもが成功と安寧を夢見ることの出来る都市として、更に大勢の人々が連日連夜押しかけてくる場所なのだそうな。

 自家の偉大さ、強大さを知らしめるこの大都市を前に、馬車の中から興味なさ気な視線を送っているアリエス様が、詩を詠み上げるみたいに言う。


「ウィンダーベル家は都市最大級の商会を持っているから、自然とそこに売り込みは集まるわ。それ以外にも、五つからなる劇場では毎日演奏会や演劇が行われ、確か百近い楽団や劇団を囲っていた筈ね。歌姫と呼ばれる者も、この都市には十はいるのよ」


 アリエス様が事も無げにいってみせた話に、改めてウィンダーベル家の大きさを知りました。

 芸術を育むのは貴族の責務、というのは古くからある考えで、大小貴族は少なからず芸術家を囲う。けれど楽団や劇団ともなれば少数でさえ二十程度はいる。それを百近く……。いえ、あくまで楽団や劇団に限った話で、作曲家を始め画家や彫刻家など多岐に渡ることを考えれば、いったいどれほどの人数を養っているのだろうか。


 ちなみに、私たちは今、隣町で買い上げた豪華な馬車に乗り、優雅に街道のど真ん中を進んでいます。


 アリエス様の目的地は、このミッデルハイムだったようです。

 身を隠し、時に飢えと戦いながら辿り着いた場所がここ。正直、私のような粗暴者には理由がどうにもわかりません。


 流石に長期にわたって野宿を繰り返したおかげで、アリエス様も少々衣服に乱れが出てきた為、都市へ入る前に思い切って服を刷新したのが先日。疑問なのが、その時点で実家に連絡も入れず、ただそこらの金持ちとして振舞い、こうして都市へ入ったということ。

 隠れようとした相手は、内乱を起こした男爵ではなく、ウィンダーベル家……?


 お祭り気分で賑わっているということもあってか、市壁の出入りに関する管理はかなり緩められてるようです。そもそも出入口のやりとりのほとんどは関税を取り立てるもので、それを撤廃しているウィンダーベル家は顔や荷物を多少調べられる程度。

 指示通り馬車を列に入れ、最早数時というところへ来て、さすがに私もアリエス様へ問いかけた。

「よろしいのですか? 今まで隠れていたのは、ウィンダーベル家なの、ですよね?」

「ここまできてソレに意味があると思って?」

「……いえ、そもそも隠れていた意図を測りかねておりますので」

「そうね。そろそろ話しておいていいかもしれないわね」


 その前に、と順番が回ってきたのを見たアリエス様が自ら馬車の扉を開け、弾むようにして道端へ降り立った。慌てて中に居た私、アンナ先輩も飛び出すが、

「っ……」

 ワッ、と人の歓声が全身を打った。

 当然だろう。ここミッデルハイムはウィンダーベル家の本拠地。女としても見目麗しく、優美であられるアリエス様を前に、お祭り気分の人々が盛り上がらない筈もない。


 アリエス様は、普段見せる柔らかな動きを捨て、おそらくは意図して弾むような足取りで周囲へ向かい、やや礼を崩しつつ挨拶してみせた。あまりの盛り上がりに警備の兵らが集まりだし、近寄る者を押し返す。

 私達も慌てて左右に控えて周囲を警戒した。御者まがいのことをさせられていたエリックさんや馬車の屋根上で欠伸をしているヨハン先輩は数に入れないとしても、今ここで群集が暴走すれば押さえ込める確証はない。

 そんな彼らへ敢えて近寄り、人々へ向けてアリエス様が口を開く。


「ごきげんよう。皆様、楽しんでいただけているかしら」

 問いかけへ口々に感謝や賛美を送られると、アリエス様は屈託なく笑ってみせ、手を広げた。

「今日は久しぶりの里帰りですのよ。こうして皆様の顔を見ることが出来て、心から嬉しく思いますわ。差し当たって、皆様と演奏会を楽しめたらと思いますの。アナタ、今日動ける楽団や歌姫はいるかしら?」

 アリエス様が適当に名をあげ、更には会場を抑えるよう指示を出していく。しかも金が一切取らず、費用はすべてウィンダーベル家が持つというお墨付きだ。早朝の今から夕方まで時間が在るとはいえ、あまりにも無茶苦茶だ。

 入場の手続きはこの場で請け負うと言い放ち、アリエス様は馬車へ戻った。必死になって群衆を抑える警備兵へ、それらの仕事をすべて押し付けた上で、だ。


 あまりの状態に危うく動き出した馬車へ乗り遅れる所でしたが、エリックさんの呼びかけに御者台へ飛び乗った。アンナ先輩の姿は見えないが、おそらくは馬車の中だろう。

 警備の兵が数名馬車前につき、誘導してくれるようだった。おかげで人混みも進みやすくなるだろう。


 上から声が降ってくる。

「いい具合に混乱させたな、あの妹さんは」

「ええ、これで都市の内部は慌ただしくなり、情報は混乱するでしょう」

 ヨハン先輩の声にエリックさんが応える。状況を理解していないのは、おそらく私だけなのだろう。

「どういうことなのでしょうか」

「ん?」

 とヨハン先輩。

「妹さんの目的、中で聞いてたんじゃねえのかよ」

「いえ、それを聞こうとしていた所ではありましたが」

「もったいぶるねぇ、妹さんも」

「話を、ヨハン先輩は聞いているのですか?」

 いや、と眠そうに言う。すると奥に寄って御者台を開けてくれたエリックさんが言葉を継いだ。一応、横に足をかけているだけでも問題ないので、隣は遠慮する。乗り遅れたのは私の落ち度だ、それをここまで外で働いてくれていたエリックさんを押し込めてまで腰を降ろす訳にはいかない。

「こちらも道中ヨハン先輩と話していただけですよ。アリエス様の目的について」

 意図を察して元の位置に戻るエリックさん。視線が、後ろのヨハン先輩へ向かう。

 

「とりあえず分かりやすいところから言うと、今妹さんがやったことだけどよ。ありゃ間違いなく騒ぎになるだろ?」

「はい」

 演奏会は決して高くはないものの、多少なりとも金は掛かる。ウィンダーベル家お抱えの楽団や歌姫ともなれば桁が一つ増えようと構わないという者も大勢居るだろう。それが無料となれば、後は席の位置の取り合いだ。

 本来出入りを管理する為だけの場所を、何故かそれらの取りまとめの場としてしまったことで、あそこはもう実質的に機能を果たせないだろう。

「そもそもあの発言が妹さん本人によるものかも、人を動かす奴にとっては確認しなくちゃならねえ。混乱を抑えるのに人をやり、申請の場を移すとなればその場の確保にまた人をやり、当然そこを回すにも人をやる。急な予定ってのはとにかく人手にも無駄が出来やすいんだよ」

 ついでにぼそりと、今も馬車の前で誘導してくれている兵らを、こちらの監視だとヨハン先輩は言う。

「演奏会の準備だけじゃねえよな、しばらくぶりに帰ってきた妹さんを迎えるにも、相応の準備が要るだろうしよ」


 とにかく相当な数の人が動き、一時的な混乱が起きることは分かった。アリエス様がソレを意図的に起こしたことも。

 では何故か。

「いい加減お前も分かってきてるんじゃねえのか」

「それは……」

「没落したっつっても、貴族サマのアレコレなんて俺らよりずっと詳しいだろ」


 デュッセンドルフでのハイリア様の足取り。

 この国の東部で起きているラインコット男爵の反乱と、その場に取り残されている大勢の反イルベール教団派の貴族たち。

 都市奪還に成功しながら男爵の主力を放置したまま後任に前線を譲った近衛兵団。

 これらを期にアリエス様がウィンダーベル家から身を隠しつつも本拠地を急訪する理由とは。


   ※  ※  ※


 白磁の床石を叩くように歩くアリエス様の後を、私たちは黙してついていく。

 淑女としての振る舞いとはやや違い、勇ましさを感じさせる歩みは、貴族の令嬢というより騎士に近い。身体に一本の柱を意識し、上下の揺れを最小限とした動き、これもこの方は意識的に行っているのだろう。

 ミッデルハイム宮殿の長い入り口を越えた先、初老の男性が二十名ほどの男女を従えてこちらを迎えた。

 アリエス様の進む足音に、私達のそれが続く。


「お待ちしておりました、アリエス様」

「父が男爵に囚われ、身動きが取れない状況にあるわ。すぐにでも兵を出します、用意なさい」

 しかし男性は頭を下げたまま、上げない。


「申し訳ありません。そのご命令には従うことが出来ません」


 足音が止まる。

 後ろに続いていた私達もまた、予想外の応答に動揺が走った。


「……どういうことかしら」


 問いかけには、黄色の魔術光が共に広がった。

 返答次第ではその男性を不適格者と見なし、処分することも示した上での問いだ。

「ご当主様は、出立より以前から我々にいくつかの指示を残していかれました。その指示によるものです」

「内容は」

「お答えできません」

「父は現在、男爵の領地で私の助けを待っているというのに?」

「お答えできません」

「父の身に何かがあった場合、アナタとアナタの家族親族すべてに累が及ぶことになるけれど、覚悟はあるということでしょうね」

「この命は、ご当主様に捧げております。いかようにでも」

 拒絶の言葉だった。

 アリエス様がウィンダーベル家で具体的にどのようなお立場なのかは分かりませんが、仮に現当主が動けないとして次に家を動かすことが出来るのはハイリア様だ。次期当主として指名されていることは有名であるし、アリエス様がその次席に在るという話は聞いたことがない。

 いや、それ以前に、


「こいつはちっと、予想外なんじゃねえのかね」

 ヨハン先輩の呟きに、自分の予感の確信を得る。

「細かい所は分からねえが、隊長殿のオヤジ殿は、妹さんの動きを予め予想していたんだろうよ」

「はい……」

 更に言えば、もっと根本的な所、例えば、

「今までハイリア様が独自に動いていると思っていましたが、ウィンダーベル家そのものが男爵の蜂起を予測し、動いていたとしか」

 いや、と。

 であればここでアリエス様の動きを阻害する理由が浮かんでこない。現当主もアリエス様を溺愛していたというし、戦いそのものから遠ざけようとしているとも取れるけれど。違う、そうなるとここまでの道中に説明がつかない。

 これではまるで、


 思い至り、顔をあげると、アリエス様の背が見えた。

 しなやかに立ち、どこか勇ましさすら感じられるお姿の周囲に、光を放つ黄色の羽が散っている。彼女はまだ、魔術を解いてはいないのだ。


「よろしい」


 すべてを認めると、彼女は言った。


「ならば」


 認めた上での言葉を放つ。


「これよりウィンダーベル家の家督は、我が兄ハイリア=ロード=ウィンダーベルが引き継ぎます。お父様の時代を終わらせましょう」


 裏切りの宣言であり、彼女の立場の表明でもあった。

 同時に、初老の男性の背後に控えていた二十人ほどの男女が一斉に魔術を発動させ、それぞれの武器を掲げる。

「我らが力は、ハイリア様とアリエス様の為に!」

「新たな時代を共に築きましょう!」

「古き時代に終焉を!」

「ハイリア=ロード=ウィンダーベル万歳! アリエス=フィン=ウィンダーベル万歳!」

 掲げられた武器はそのまま、ただ一人この場で立ち尽くす男性へと向けられる。


 すべての根回しは終わっていた。

 遠く男爵の領地に足止めされているお父上様に、今更手の打ちようはない。同時に気付かされる。ハイリア様が、何故男爵の蜂起を予想していながら手を打たなかったのか。その後に続く逃亡の手引きをしながら、結集する前の男爵勢力を一網打尽にする為の兵は用意しなかった。


 足元がぐらつくのを感じる。

 今までハイリア様は信用の出来る人だと思っていた。あれほど真っ直ぐで誠実で、ひたむきな人は他に居ないと。表情や振る舞いからこぼれる優しさに、全幅の信頼を寄せられる安堵を抱いていたのだろう。

 見てきたすべてが嘘だとは思わない。私は未熟だろう。愚かで粗忽な人間だ。けれどあの人の優しさを見誤ることはない。

 川辺でヨハン先輩と交わした言葉が浮かぶ。

 自分自身の愚かしさ、醜さを棚上げして、独りよがりな信頼を裏切られたと罵倒に変えることのおぞましさを。


 だが、死んだのだ。


 男爵の追撃を受け、見知った何人もの仲間が死んだ。

 この蜂起によって本来であれば戦いに関わらない大勢の人々が苦しめられたことだろう。


 私は……私は――――!


「おい」


 ヨハン先輩に肩を叩かれて、意識を戻す。よほど強張った顔をしていたのだろうか、普段無愛想ではあっても、あまり剣呑さを見せない彼が、じっとこちらの目を見つめていた。


 私はそこから逃げるように視線をアリエス様へ向ける。

 ちょうど、問答をしていた初老の男性が数名の男たちに連れて行かれる所だった。既に大広間は大勢の人々が行き交い、外からも歓声が聞こえる。この蜂起を最初から知っていたか、今知り賛同へと至った者たちの声だろうか。


 なにか、予想もしていなかった大きな流れが起きている。

 ライコット男爵が始め、ハイリア様が利用し、今アリエス様が動かし始めた巨大なうねり。デュッセンドルフで顔を合わせた近衛兵団も無関係とは思えない。


「アリエス様」


 問いかけを、歓声を受けて立つアリエス様へ向ける。


「向かう先は」

「えぇ、王都よ。私たちはこれから、近衛兵団と合流し、王都ティレールを目指す。未だにフーリア人との闘争に決着を付けられず、イルベール教団などという異端者集団を取り込もうとしている王政を終わらせる」

「穏当な手段はなかったのでしょうか」

 その為の、あの古城での集会だった筈だ。

 反イルベール教団思想を持つ人々と意見を交わし、確かな歩みで以って平和的な解決法を模索する。それが出来るだけの人材は揃っていた。

「きっとあるわ。けれど、五十年か、あるいは百年もの歳月が必要になる。私たちの所で止めるのよ。後の世代に遺恨を残さないためにも」

 アリエス様の言う事にも納得は出来る。

 けれど、どこか、乾いて聞こえたような気がした。


「アリエス様」

「リース=アトラ」

背後からの声に、殺意が乗っていた。

「っ――!」


 咄嗟に身を逸し、崩れた姿勢の、崩れた勢いを利用して大きく飛ぶ。

 赤の魔術光が火の粉と散って、身の丈ほどもある長剣を握った。着地には、攻撃を伴った。打ち払う剣の振りに連続破砕が広がり、白磁の床を砕き飛ばす。

「ヨハン先輩!」

 呼び掛けには剣で応じてきた。

 『旗剣』の攻撃に前進を押し留められたヨハン先輩は、後ろへ大きく飛んで壁を蹴ると、天井に吊るされた照明に足を掛け、一気に飛び込んでくる。


 戦いだ。戦わなければ。

 思えば、意識は自然と切り替わった。

 相手へ向ける感情や容赦が一斉に背後へ吹き飛んでいく。


 足元から赤の魔術光が燃え上がる。

 ヨハン先輩の動きは確かに早いが、あまりにも無謀だ。空中の身動き出来ない状態で『旗剣』相手に飛び込んでくるなんて。

 間合いを外すようなことはしない。一瞬だけ浮かび上がる衝動を笑みで上書きし、長剣を振りかぶり、


 不意に、空中でサーベルを放り投げたヨハン先輩が左腕を眼前に晒す。

 咄嗟に浮かぶのは、クレア先輩との戦いで私のやった方法だ。腕で剣を受け、残る手で相手の急所を狙う。だが『旗剣』相手には通用しない。振りぬいたその時から連続破砕は発生し、術者が離脱した後も効果範囲まで攻撃は持続する。

 何の意図で、と思考を回した直後、袖口の奥から何かが飛び出して来て、

「っっっ!」

 左手首に衝撃と痛み。


 暗器かっ!


 ただ『剣』の反応を上回ることのみを重視してあるのか、速度はあるが破壊力は乏しい。赤の魔術光が持つ僅かな防御力だけで弾かれたそれは、痛みと衝撃こそあれど傷を受けるには至っていない。衝撃による痺れと、受けた部分が少しばかり赤くなっている程度。

 それでも完全に間を外され、暗器から受けた衝撃で長剣から左手が離れていた。これではもう迎え撃つことは出来ない。『旗剣』から『剣』へ。即座に離脱しようと後退する。焦りや緊張は笑みに呑み込まれていく。だが次に床を踏むより早く、先に着地をしたヨハン先輩が再び左腕を向けてきて、咄嗟に長剣を前へ。しかし暗器の衝撃は来ない。

 代わりに、左足首へ巻き付くひも状の何かの感触に血の気が引いた。


「っつ!」

 空中で足を引かれ、武器を手放すまいとしたことで肩から落下してしまう。頭から落ちることは防いだものの、左手は上手く動かず、肩の痛みで長剣を振るうにはまだ時間が掛かる。

 負ける。失う。どうしようもない未来を直感する。

 だが、と笑みが浮かんできた。まだ動く箇所はある。ならやるべきだ。損傷に構わず身体のすべてを戦闘に費やし、消費し、勝つべきだ。が、次の行動を起こそうとした時、間合いにヨハン先輩が居ないことに気付いた。


 彼は、十分に距離を置いた所でこちらを見下ろしており、攻撃の代わりに声を放ってきた。


「まあ、分からねえでもないがよ、ここで水を指すような事をいつまでもグチグチ言ってるんじゃねえよ。なあオイ?」


 気を削がれた私は、左足に絡まった縄を見、先ほどの失敗を悟った。

 ヨハン先輩の左腕には、もう暗器は無かったのだ。だが一度見せた脅威を再度晒すことで視線を釘付けにし、その間に右腕から出した別の暗器でこちらの足を絡めとった。私は防ぎに入ったことで自ら視野を狭めたことも、反応出来なかった原因だろう。

 柔術をはじめ、魔術を用いない戦いが予てよりハイリア様の小隊にて研究されていたが、この手法はヨハン先輩によく合ったということか。


 戦いの意識が冷めていく。同時に、状況を思い出して身を固くした。

 今、屋敷の中にいるすべての人間が私を見ていた。無数の視線が、私を批難しているように思えた。ヨハン先輩の早とちりだ、とは思うものの、あのままアリエス様との話を続けていたら、自分はどうしたのだろうかと不安にもなる。


「今から王都に行って国王も教団もクソ貴族どもも皆纏めてぶっ殺す、いいよなあ?」

「私は……」


 ふと、アリエス様を見る。

 ぞっとするほどに冷たい目がこちらを見下ろしていた。


「どうなんだ、ああ?」


 視線が、視線が、視線が視線が視線が視線が視線が私を見て、見て、見ている。

 視界が揺れそうになるのを堪えた。それはもう大丈夫だ。私は騎士だ。称号などなくとも、地位も権力も他の誰に認められずとも、私は騎士だと言ってくれた人が居る。ならば崩れる筈もない。だから、気付く。

 そうか、アリエス様は、


「……私は、アリエス様、アナタに賛同することは出来ない。ここに居たのがハイリア様であったのなら、もしかすると納得出来たのかもしれない。けれどアナタは駄目だ。なぜならアナタは――」


 ヨハン先輩が左腕を向けてくる。だがもう暗器はない。ない、筈だ。

「っ!」

 甘かった。無いと見せかけて、まだ一手残していたのだ。

 判断の遅れは致命的となった。当然のように飛び出してきた黒く鋭い何かがまっすぐこちらへ飛んできて――同時に、先ほどのように魔術光で防ぎきれるだろうという目算と共に次を考えようとして――先端部に見慣れない何かを見て取った時、血の気が引いた。

 回避は間に合わない。受けざるを得ない。死がすぐそこまで迫っているのだという確信がある。

 得体のしれない脅威を前に、私はあろうことか目を背けて瞼をぐっと閉じた。

 本当に、情けない。

 死なない為にならどんな痛みも怖くないのに、避け得ない死を前にすると身が震えて凍りつく。私の本質は、幼いあの日々から何も変わっていないのだと、今更ながらに突き付けられた。


 最後に、ただ一人の名前を縋るように呟いた。

「ジーク……」



「あいよっ!」



 どこかから破砕音が響いた。ざわめきが大広間に満ちるのを感じる。

 力強い風が、この閉塞した空間に叩きつけられる。


「BANG!」


 鉄針は、幻影緋弾によって撃ち落とされた。

 床を砕き、衝撃と粉塵が舞う。その中に一人の影が降り立った。


「HA! 悪いなリース、忍び込むのに時間が掛かっちまった。しかしまあ、随分と、随分なことになってやがるじゃねえか。なあアリエス?」


 ジーク=ノートンが、枯草色の髪を持つ少年が、私の前に立っている。

「ジーク……どうして……、いや、今までどこに、どうして、ここに……」

「まあ、いろいろあったんだよ、いろいろな」

「そんな言葉で……。ハイリア様は? 一緒に行動していたんじゃなかったのか。いや、それだけじゃない、なぜ、えっと」

 もっと、もっと、聞きたいことはあった。

 けれど彼は人差し指を立ててこちらに向けると、そのまま正面のヨハン先輩を見、アリエス様を見た。


「大好きなお兄さんの望みだ、叶えてやりたいってのが人情だよな。尊敬する人の望みだから、自分を殺してでも手を貸そうってのが友情ってもんだ。けどな、アンタらは本当にコレを望んでるのかね。それに、望みを叶えてやればその人は幸せになるのかねぇ……あぁ、どうなんだろうな」


 最後は語るジーク自身が悩むような様子を見せた。彼にしては歯切れの悪い、揺らぎを感じさせるものだ。


「俺は今、でっかい望みが二つある。どっちも困難極まりないが、幸いにもどっちも一つの方向を向いてる気がするんだ。まあなんだ、変な我慢なんてしてないで、好きなことやってろよ、アリエス。前から見てて、アンタは自分を殺し過ぎてるんだよ」

「ジーク=ノートン……好き勝手なことを……」

 怒気すら孕んだアリエス様の声。

 周囲はもう騒ぎを聞き付けた兵で一杯だ。けれどジークは物怖じするどころか一層堂々と立ち、笑う。

「まあとりあえず後回しだ、悪いな。俺もやることが多くて困ってるんだよ」

 放たれたアリエス様の矢をあざやかに短剣で弾き飛ばすジーク。『弓』では『剣』に敵わない。ましてや正面からの攻撃では。


「逃げるぞ、リース」

「ジーク!? いや、しかし私は」

「悪いが駄々を聞いていられる時間も余裕もなさそうだ」


 アリエス様の攻撃を合図に周囲の兵らが魔術による武器をそれぞれ握った。まだ距離は保っているが、『剣』や『弓』が一斉に掛かってくれば一息と持たないだろう。


 ジークは腰元にやっていた手を軽く振り上げ、直後、放たれた幻影緋弾が大きく上昇し、降下した。


 彼が登場した時よりも更に大きな粉塵があがり、それに紛れて、私はジークに手を引かれるまま逃げ出した。

 最後に、ジークのぶち破った壁の穴を潜る時に、振り返って見たアリエス様が、遊びに連れて行ってもらえなかった子どものように拗ねて見えたのが、特に印象に残った。


   ※  ※  ※


   ヨハン=クロスハイト


 呑気に二人の去っていった穴を眺めながら俺は肩をすくめた。

「逃げられちまったな」

「優しいのね」

 軽口には、苛立ちが多く含まれていた。妹さんだ。

「後輩本気でぶった斬ろうとした人間に言う言葉じゃねえぜオイ」

「あのまま行けば彼女は、もっと致命的な状況で私を裏切っていたかもしれない。義理堅い人間ほど我慢に我慢を重ねて、一番面倒な時に面倒を起こすものよね」

「面倒な女だ」

「あら、どちらのことかしら」

 さてな、と言い残して屋敷を出て行くことにする。しばらく俺に出来ることもなさそうだし、昼寝でもしておこうかと思う。


 すれ違いざまにここまで同行していた残りの三人を見る。

 赤毛少年ことエリックは意外にも、リースが去ってしまったことへの寂しさはあっても動じた様子はない。メイドさんはいつも通り、表情がいまいち読めない。だがクソアンナはというと、

「っわぷ」

 とりあえず顔面を鷲掴みにして引きずっていく。

「飯でも食いにいくか。おい妹さん、目的地についたんだ、メシ代くらい出してくれんだろ?」

「好きになさい。けれど、早めに帰ってくることね」

「わぁってるよ、さっさと出陣しようってんだろ」

「違うわ」


 予想していなかった言葉が返ってきて思わず振り返る。


「日暮れには演奏会があるのよ。それを見ずして戦いになんて赴けるものですか」


 その後集結したウィンダーベル家の戦力は、全体の四分の一にも満たなかったらしい。妹さんの呼び掛けに応じなかった訳じゃない。到着するよりずっと以前に、戦力の大多数が演習へと出発してしまっていたという。

 妹さんはその帰還を待たず、出陣することを決めた。






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