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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第三章(中)
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   マグナス=ハーツバース


 夢の残骸を見たことがあるか。

 もう何も掴み取ることの出来ない手で、ありもしない黄金をかき集めようと必死に腕を振り乱す様は、心の底から惨めなもんだと思う。


 遅いか、早いか、それだけだったろう。

 きっと、アイツが先にああなっていなければ、俺が似たようなことをしていたんだと思う。


 惨めと思う姿に自分を重ねて、

 平静を保つ自分に優越感を覚えながら、

 泣き叫ぶことの出来たアイツに嫉妬している。


 あの日を変えられたらと、何度も思った。

 ルドルフが、あのどうしようもなく誰かの為に生きようとする王様が、破滅の道へ進んでいった一歩を、殴りつけてでも止められていたら。

 性に合わないと、昔の自分は言っている。

 それは身を引き裂くような痛みを知らないからだと、今の自分が言い訳する。


 どちらにせよ後悔はあった。

 変わらないまま生き続けることも出来なかった。

 俺の左目は前を見ているが、失った右目は暗い泉の底を見ているようだった。生きながらに死を見つめているんだと誰かが言った。下らないと笑い飛ばせていた自分はもう居ない。

 最近じゃあもう、よく見えるようになってきた。


 あぁ、本当に。


 覚悟は出来た。

 しなければならなかった。


 過去の清算を、

 未来の継承を、


     ※   ※   ※


「っ、メルト!」


 妹以外の人間の名前をこんなにも必死に叫ぶ坊主を、俺は初めて見た気がする。

 同時に、安堵した。


 俺は不安定な左足を滑らせないよう気を払いながら、近づいて肩を抱く。カツン、と硬い棒切れの先が石畳の隙間を噛んだ。

「落ち着け小僧」

 言いつつ、周囲へ視線を巡らせる。

 イルベール教団の連中も、フーリア人たちも、もう制圧は完了していた。小僧、ハイリアからの情報で得たこの町の地下水道を通り、奇襲を掛けることは決まっていたから、兵の展開は早かった。同時に正面からも主力が押し立てて、今頃は激戦になっている頃だろう。後方の敵は教団側がかなり食い散らかした後だから、もう勝敗は決したと思っていい。

 とはいえ、完全制圧にはまだ掛かる。建物の中はともかく、地下水道内までとなると一朝一夕にとはいかない。全く、厄介極まりない拠点だなここは。


「力は貸してやる。こっちのことは俺に任せて、お前は自分のやりたいことをやってこい」

 言うと、考え込んでいた小僧が掠れた声を出す。

「……俺がここを離れる訳には」

「っは!」

 尚も最良を選び続けようとする若造を見てると、どうにも捨て置けないのが中年の辛いところだな。


「別にお前一人居なくたって、俺たちはどうともせんわ。お前がこっちに付くって話で一番重要なのはだ、お前自身が信用できるかどうかだ。そいつはもう済んだ」


 善人だから、愛国者だから、というだけで信用できるならこの世は平和だ。いつだって戦いを長引かせるのは、自陣営を愛し、命を懸けることを厭わない連中なんだからな。

 それでも信用できる人間を探し出そうと思ったら、極めて個人的な好き嫌いを分かればいいと俺は思う。公衆のものとはちょっと違う。


 小僧は叫んだ。

 公として在る時に、個としての叫びを。

 コイツ個人が何のために揺さぶられ、拘り、懸けるのか、俺なりに理解した。あまりにも短絡的だと言われるだろうが、そこは経験則だと言い張ろう。兵団員の趣味くらいは俺も把握している。


 メルト、と言ったか。

 調べさせた話によると、小僧の奴隷として登録されていて、学園でも平然と連れまわしていたらしい、フーリア人の女だ。

 だったらもう、進む道は見えている。


「男爵の第一陣は叩いた。拠点もとりあえず落とした。俺たち近衛は便利使いされるからな、のろのろやってきてる後続にここを引き渡したら、また別の前線に復帰だ」

 最近は沈静化しているが、フーリア人との戦争は小さなところでいくつもある。そういう時が一番怖い。あの、カラムトラと言ったか、内部深くにまで浸透している部隊もあるだろう。

 王都にはフーリア人の奴隷も多い。紛れ込まれたら厄介だ。いや、もう紛れ込んでいるんだろうなぁ。

「こう言っちゃあなんだが、男爵のおかげで王都からも戦力がごっそり減った。近隣の領主たちの目も東と西とに右往左往してる。まあ、頃合いだろうな」

「ラインコット男爵は、もしかするとこちらの動きも読んでいるかもしれない」

「ほう」

 するとあれか、うまく利用されるのは俺たちの方かもしれないと。


「まあいい」


 許容範囲内だと、切り捨てた。

 どの道国は割れる。最悪細かく分裂してどうしようもなくなるかもしれねえ。フーリア人との戦線もまともなままじゃいられない。きっと馬鹿なんだろう、俺は。

 それでも、今のままじゃ遠からずイルベール教団に国を乗っ取られる。敵を排したその後に、クソみたいな連中を守って死ねと、俺は部下に言えるのか?


 教団を英雄視する連中は少なからず居る。

 だが実態は無制限の虐殺と、悪辣極まりない戦術とも呼べないような手段の数々で、敵の死に物狂いの抵抗を誘っている。捕まれば命どころか、尊厳さえも奪われると分かっていて、投降するような奴は居ない。

 だからフーリア人との戦いは血みどろなものとなる。捕虜を交換しようにも言葉も通じず、通常あるべき外交の迂回路が存在しない。

 こちらも名だたる貴族が捕らえられたことがあって、何度も形成を試みちゃいるが上手く行ったって話は聞かない。そもそも貴族もおらず、王も居ないとなれば誰と対話するべきなのかも分からない。


「捕らえたフーリア人の中に」

 と、一度小僧は息を深く吸って、静かに吐いた。少しは落ち着いたらしい。

「オスロ=ドル=ブレーメンという老人が居る。貴方が直接戦っていた相手だ」

「あの爺さんか」

 一瞬、そいつがフーリア人の王みたいなものなのかと考えた。偉そうな振る舞いでもあったし、服装も文化が違うとはいえ偉そうな印象も受けた。だが、それにしては抵抗もそこそこだった。

 小僧が話していた、ジーク=ノートンを名乗る少年が姿を消した後は、素直に投降もしていた。それも妙だが、親フーリア人とも噂される小僧、ハイリア=ロード=ウィンダーベルの存在もあったからなのか、まあ後で聞いてみれば分かる話だ。

「彼の孫娘に、どうにか橋渡しを頼んでほしい」

「そいつをどうする」

「引き合わせる。この国の王、ルリカ=フェルノーブル=クレインハルト女王陛下に」


 俺は唸った。

 障害は幾つもあるが、一つ目と二つ目はどの道どうにかするつもりだった。ただ、最後の一つばかりは。


「まあ、隠しても仕方ねえからなあ、今の内に言っておこう。俺たちは教団を排した後、傀儡となってる王にもご隠居願うつもりだ」

「誰に政治を担わせるつもりだ」

 おいおい、俺が国を動かすんじゃないかって聞く所だろう。

「国は王に返す。ただ、今の宰相みたいに一人の人間が強権を振るい続けるのは危険だと俺は思った。誰も失敗を止められない。失敗と分かっていて突き進むしかなくなる。そして酔う。だからな、こういうのを考えたんだ。今でもやってるだろ、会議ってのは。こう言っちゃなんだが、身分と能力は同じ高さにはねえよ。だからもっと広く政治を行える人間を集めて、そいつらに任せようと思う。王には、それを承認してもらえればいい」

「王を仰ぎながら、権力は振るわせない。民主政治をうたいながら、政治の頂点に王を残すか」

「民主政治?」

「今貴方が言った政治体系……政治の執り方をそう呼ぶ」

 なんだ、俺が一番に思いついたと思ったが違ったのか。


「まあなんだ、その民主政治ってので行こうと思う。で、問題なのが王だ」


 しばらく夜空を見上げた後、諦めるように言った。


「お前が指名した、爺さんの孫娘と会わせたとして、期待通りの動きをしてくれるのか、俺には分からねえ。あの子は……俺は陛下にゃ嫌われてるみてえだしな」

 今回のことで、きっと、永遠に許しちゃくれなくなるんだろう。

 ただ、状況が整えば従ってはくれると思う。そういう子だ。

「それについては、俺なりに方策がある。出来るとは言い切れないが」

「分かった。まあどっちにせよ動けるのは今回が最初で最後だ」

 向けられた目から逃げるように夜空を仰いで、呟く。


「どうにも、長くないらしい。ま、こんなナリでよく生きてこれたもんだと自分でも呆れてる。長生きした方さ」

 ころっと死んじまった誰かさんとは違ってな。


「……すまない」

「っはははは、なんでお前が謝ってんだよ! 分かってんのか? 俺はお前に押し付けて死ぬって言ってんだ! 国も王も何もかもっ。謝るのはこっちの方だ」


 加えてがははと笑ってやると、小僧は一度目を瞑って吐息する。開いた目は、一際強く底光りして見えた。


「シャスティ=イル=ド=ブレーメン」

「娘の名か」

 頷き、言ってきた。

「彼女はやがて、フーリア人の王を名乗る女だ」





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