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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第三章(中)
59/261

追憶の章 2


――――この大地に、遍く轟く黄金の国を創り上げよう。


 そんな事を語った王は、今日もまた代わり映えしない空を見上げていた。

 かつてマグナスが忠誠を誓い、近衛の団長に任じられた、石造りの空中庭園の端に、あの時と同じように彼は腰掛けている。外側に足を投げ出すのは危ないと言っても聞かないから、マグナスは落ちかけてもすぐ手を出せるよう、少しだけ離れた位置で立っている。

 マグナスが彼の近衛となって既に一年が経過していた。けれど相変わらず王は飾り物の人形なままで、世の動きは遠い空の向こうの出来事だった。


 ルドルフは片手を掲げ、眩しそうに目を細めている。

 何かを掴もうとしているのか、それとも陽の光を遮りたいのか。


「退屈だったら、好きな所へ行って貰って構わないぞ」

「近衛が王から離れてどうする。便所や夜伽にまで付き添ったりはせんが、極力近くにはいるさ」

「でも、ここには何もないだろう」

「王が居る」

「……そうか」


 最近、こんな会話が増えてきたようにマグナスは思う。

 彼を解雇したいとか、遠ざけておいて一人になりたい、というような意図ではない。本当になんとなく、口からこぼれ落ちるようにルドルフは言うのだ。


 王に仕えること。

 民を想い、その上で行く先を失った者たちに希望すら与える者が、自身の主であることに誇りがある。

 ありきたりな庶民として育ち、貴族というものの横暴さや理不尽さが身に沁みているからこそ、マグナスは彼という人間の素晴らしさが分かる。

 ルドルフを本当の王にしたい。

 言葉を交わす度に想いは強くなった。

 彼のような王が居れば、もっと国は豊かになり、人々は幸福を手に入れられるのではないか。


 けれど彼は何の力も持たないお人形だった。

 マグナスがどれほど望んだとしても、ルドルフは王になれない。それぞれが独立して主権を持ち、時に領地を巡って争いさえするこの国で、王の言うことに耳を貸す貴族など居ない。

 定期的に物資は届く。

 日がな一日空を眺めていても贅沢が出来るほどの食料と、申し訳程度の雑貨の類だ。贈り物らしきものはまずない。機嫌を取る気が最初からないのだから当然だろう。

 いざという時に担ぎ出し、役目を終えればまた保管する。書状さえ無い定期便に、敢えて上下関係を示されているのだと気付くのには時間がかかった。敬意も畏怖もないと言外に告げられ、それに抗議すら出来ないのだと、宰相ことダリフが鼻で笑っていたのを思い出す。


「もし……」

 躊躇いつつ、マグナスは言った。

 何もない青空は綺麗だったが、今は少しばかり物悲しい。

「気が向いたら、また魔術の習得儀式でもやってみるか?」

「魔術か」

「今度は西方の山岳地帯で行われてる手法だそうだ。この前やってきた定期便のおっさんから聞いたんだがな」

「……いや、今はいいかな」

「そうか」


 奇しくも同じ言葉で会話を締めることになり、なんとなくマグナスは思った。先にルドルフの言った「そうか」と、マグナスの言った「そうか」はきっと似たようなものなんだ、と。

 言いたいことを言えずに居る。

 らしくないと思いつつも、この一件ばかりは彼も踏み込みきれずに居た。

 するとルドルフが笑みを浮かべ、苦手な食べ物を言い訳ような口調で言った。


「無くて困るものでもない。頼りになる近衛も居るから、それでいいじゃないか」


 魔術とは、その人物がどれほど世界に影響を与えて良いか、聖女から認められるほどに力を増すと言われている。

 イレギュラー、上位能力者ともなれば歴史に名を残すことも珍しくない。

 逆に大した力を持たない者は有象無象に埋もれて消える。例え貴族であろうと力が弱ければ嘲笑され、奴隷であろうと力が強ければ敬意を向けられる。貴族や商人らの飼っている剣奴などは、腕次第で平民よりずっといい暮らしを送れる場合もあった。

 だからか、あまりにも小さな力しか得られなかった者が、魔術など覚えようとしたことがないと吹聴する事がある。


 もう、一年になる。


 二人が出会ってから、ではない。

 マグナス主導の元、ルドルフが魔術習得の為の鍛錬や儀式を始めて、だ。


 一般に魔術の習得は成人してからが良いとされている。

 このホルノスでは十六からだ。

 それは、魔術の力がこの世界への影響力の指針とされるが為の、逆転の発想だった。


 あらゆる物事は聖女の定められた通りに起き、巡る。だから我こそはと名乗りを上げて、己が天命を証明しようとする。

 証明とは、生涯を以って成されるもので、魔術の力量は目に見える分かりやすい部分でしか無い。そもそも運命の糸というのは人間には見えない。一つの成功で果たしたと思うのは間違いであるし、失敗も同様。劣った力を持つ術者が大きな成功を収めることも確かにあるのだ。

 だから、幼い頃から自身の分を定めかねないとして、魔術の習得は成人後に行われる。それまでに特定の場所を巡礼するべきだとか、どこそこでこんな事をするといいだとか、証明のしようもない話もあった。

 そうして、成人後に魔術を習得して一応の道筋を見定めるというのが一般的だ。


 魔術は、どんな者でも習得できる。

 力の大小はあれど、王侯貴族から奴隷に至るまで、それこそこの地で生まれた者でなくとも一定の訓練と儀式の後に聖女からの祝福が受けられる。

 出来ない、などという話をマグナスは一度も聞いたことがなかった。


 ルドルフは相変わらず空を眺めている。


 何もしないことを求められた王様は、今日もなにもせず、なにも出来ないでいる。

 マグナスは思う。かつて彼の語った夢に、どれだけ本音が混じっていただろうかと。

 自身の立場を理解し、生まれながら終着点に立たされた少年の言葉は、決して空虚ではなかった。ただ優しいだけではない、愚かしいばかりの空想は、しかしこの古都に住む者たちの心を確かに打った。

 何かが詰まっていた。

 でもなければ、もっと悲しく、空虚に聞こえた筈だ。

 あんなにも心が踊る筈がない。

 黄金の国を、ルドルフなら創れると思った。


 けれど、彼は魔術が使えない。


「空を掴めたらいいのに」

 握り込んだ彼の手は、今どんな感触を得ているだろうか。


   ※  ※  ※


 やがて、時代の変遷が訪れた。

 これはマグナスが後になって知ったことではあったが、とある世界で三大発明と呼ばれるものが彼らの住む地に伝来したのだ。東で起きた戦争の最中、占領した敵国の領地にて発見されたのだという。


 火薬、羅針盤、活版印刷。


 魔術という圧倒的な力を振るう彼らは火薬についてそれほど興味を示さなかった。魔術は誰でも扱える上、当時の火薬によって行える破壊は到底魔術に及ばなかったというのもある。事実、それらを用いた攻撃は尽くホルノス側の術者に無効化されてしまっていた。


 活版印刷は当時の写本家たちをはじめ、膨大な書物を貯蔵することで学問を独占していた一部教会勢力や都市群などから猛烈な妨害を受けたものの、ある大貴族が強引に普及を促したことで歯止めがなくなり、物資と知識の集まる交易の中心地へと発展していった。

 これには、ギルドと呼ばれる職人組合らが独占していた知識と技術を、半ば脅しつけることで公表したことも理由に含まれるだろう。

 一時は一都市を大軍が包囲するほどの事態にも陥り、結果多くの敵を作ったが、それ以上に巨大化した権力者に逆らえる者は居なかった。何より、広まった知識によって技術を習得した者たちが、次第に旧世代の職人たちの数を上回っていき、やがて不満の声は大波の音に呑まれて消えた。

 それでも迎合するものかと異邦へ旅立つ者、素早く方針を切り替え貴族らのお膝元で教育機関を立ち上げる者、奪われた知識を更に上回るものを生み出してみせると躍起になった者、様々な人の動きがより知識の流動を促し、発展していった。


 内陸で劇的な変化を迎える一方、海ではまだしばらく大きな動きが起こらなかった。

 東側から伝えられたという関係上、海に面する西側へ届くのが数年単位で遅れたというのが一因であるが、なにより当時海洋を制していたのはホルノスではなく、北方の島国と南西部の半島だったというのがある。

 次々と届く世界の果てに関する物語を、ホルノスの民は座して聞いているしか無かった。


 大地の果てに辿り着いた。西の海にはやはり巨大な竜が棲んでいるらしい。大地の果てなど偽りだ、延々と続く絶壁の向こうには世界の終わりがあり、神話に聞く化け物たちが口を開けて待っていた。北の島国より更に進めば、海の全てが氷で閉ざされていた。海ばかり探しまわってちゃいけないよ、こんな凄い物をもたらしてくれた東の大地にこそ。東の地へ繋がる街道を手に入れよう。あっちは長らく帝国が支配してるからねえ。いや西だ。西なんてなにもありゃしないよ、海ばかりだ。海を越えた先にはきっと新天地が在る筈だ。そんなことを言って旅だった船団はもう百を越えるけどね、皆して何もなかったって嘆いてたよ。なら南だ。東へ。北はどうなったんだ。大地の果ては本当にあったじゃないか。本当か。あの峰を越えて東へ回るんだ、そしてまだ見ぬ世界へ。


 海図一つに爵位が買えるほどの値段がつくこともあった。有名な船団の船員たちはどこに行っても歓迎され、幾人かは婿入りする形で貴族の仲間入りを果たし、栄光を永遠のものとした。その影で数千倍、数万倍の船乗りたちが海の藻屑と消えた。最初に大地の果てを発見したという船の者たちも、西の海の果てを目指して旅立ち、そして帰ってこなかった。

 海賊が横行し、海域を支配していた国々と熾烈な海戦を繰り広げた。その伝説もまた人々の口に上り、海へと駆り立てた。やがて私掠船が登場し、襲撃を受け続けた半島の艦隊が一大侵攻作戦に出た。

 民間からも多くの船が未開の海へと送り込まれた。株式が発行され、航海が成功すれば株の持ち主にも莫大な報奨金が支払われた。


 一方で、今のような世の動きは教義に反するとして、あるいは爆発的な変化を毛嫌いした、など理由から一部地域では周囲との交流を断ち、独自の文化を育んでいった。また、そういった地域へ迷い込んでしまった船団や旅団が焼き討ちに合い、処刑されるという事態も時折発生した。逆に報復という形で町や村が焼かれることもあり、一時的に治安が激しく悪化した。

 それらに対向するべく各地の領主たちは兵力を強化し、力無い者たちは同盟を、より悪ければ従属という形で手を組み合った。


 陸で始まった変化は海へと至り、その変化は更に陸の変化を促した。

 多額の金をつぎ込んで送り出した船団が難破し、海賊に私掠船に敵国の海軍に、あるいはそれらを装った商会の船や漁師の船に、襲われて奪われることもあった。

 特に絶大な力を付けつつあった商会のやり口は酷かった。商売に疎い貴族らにあの手この手で船を送り出させ、裏では船そのものを奪い取りながら、作らせた借金のカタに領地を奪い取ることも珍しくなかった。

 爵位や領地を失った没落貴族らが市井に溢れ、しかし人脈だけは確かだった彼らへ声を掛けてくるある教会勢力へ、徐々に吸収されていくこととなった。

 敵を作りすぎた商会が領主やその連合から許可を取り下げられ、財産が接収されることもあった。しかし時折都市そのものを手中に納め、徹底抗戦の末に自由都市としての資格を獲得する場合も、稀にだが生まれた。

 遠い地で争いを起こし、あるいは煽り、連れ去った人々は奴隷として市場に流れた。古来より存在した、一市民としての奴隷の概念が薄れ、また様々な需要の増加や技術の浸透によって単純な労働力が求められる場面が増え、それは時折事故や公害などによって死もありえたことから、消耗品としての奴隷需要は増していった。

 貴族お抱えの奴隷商人なども登場し、しかし身分も格も持たなかった彼らの元へ、いつしか没落した貴族らを斡旋するという話が舞い込み、密かに婚姻が進められた。


 海は荒れ、陸も荒れ、あらゆるものが激動していった。

 島国と半島の衝突は両者に多大な被害を被らせ、敗者は素早く立て直しを成し遂げたものの、かつてほどの規模は維持出来ず、隙間を生んだ。

 遅ればせながら、ホルノスにも海へと飛び出していける機会が出来たのだ。

 ただし、後進の彼らにとって、既に搾取の方策を固めつつあった他国へ肩を並べようというのは、嵐の海で帆を広げて航海を続けるような、途方も無い危険を伴うものだった。


 そしてある時誰かが言った。

 この世界の広がりは、聖女セイラムの思し召しなのだろうか、と。

 やがて我々は数々の発見をしていく運命にあったのか。なぜ今なのか。理由がある筈だ。何故。何故?


   ※  ※  ※


 兆しは西からやってきた。


 世の中の動乱とは無関係で居続けた古都にも、出入りする輸送を担う者たちからの口伝てで曖昧ながら情報は入ってきていた。


 遥か南方の岬を迂回して東側の世界と繋がる航路は、既に先駆者である島国と半島とに握られているという。そこを通ろうと思えば、立ち寄る補給地で法外な値のついた水や食料を買わされることになる。寄港の税も同様だ。

 ホルノス側で新たに植民地を確保できるほどの隙間は見当たらず、二色に別れた航路を右往左往するとなれば、金も掛かれば危険も増す。一時期に比べて落ち着いたとはいえ、未だに海賊は出るのだ。


 西の海へ。

 それは、ホルノスの人々が海に出始めてから、自然と口に上るようになった言葉だった。

 ただし、当時の古都に訪れた兆しは輝かしいばかりの希望ではなく、戦火より立ち昇る黒煙だった。


 以前よりきな臭いとの話は聞いていたが、西側の領土を持つ貴族の後継者争いが本格化したのだ。そして戦況は瞬く間に傾き、かつて難攻不落と呼ばれた要塞都市ティレールへと後退を余儀なくされた。

 追い詰められた長男家の率いる軍勢は、一度は次男家を押し返したものの、既に次を戦い抜くだけの余力を残していなかったという。


 そして彼は、ありえざる暴挙に出た。


「我々の立場は理解されているものと思っているが」

 宰相、ダリフの声が静かに轟いた。

 すぐ近くにはルドルフがおり、彼を守るようにしてマグナスが立っている。他にも古都の住民たちが彼らの側に立ち、その正面には恰幅の良い男と百人ばかりの兵士が居た。


 古都の大通り中程には、広場と呼べる程度のひらけた場所がある。本来は宮殿へ通し、謁見の間にて話を聞こうとしたものの、強引に、行ってしまえば癇癪じみた要求の結果こんな場所でルドルフが彼を迎える事となった。

 彼は、ティレールを含む西側の領土を支配する大貴族の長男、そして権力闘争の末に追い詰められた、今や無力な人間の一人だった。


「我々が外の世界に干渉することはない。幾ら求められようとも、それが我が国の総意ではない限り、動くことはない」


 重ねて言ったダリフの言葉に、男はあからさまな苛立ちを見せる。既に取り繕う余裕もなくなったと見える長男家の当主は、吐き捨てるように先ほどと同じ言葉を繰り返した。


「直ちにこちらの軍勢へ加わり、全土に勅命を発せよ。正当な継承権も持たない次男家が、この私を弑逆するなど許されざる事態だっ」

「それは攻め寄せる次男家の者たちに言うといい。こちらには無関係だ」

「無関係? 統治者たる王には国内の問題を解決する義務があるだろう。これまで養ってやっていたんだ、少しは私の役に立て」

「この国の王にそのような義務はない。日々贈られてくる物資には感謝するが、それは献上品であって対価を要求するものではなかった筈だ」

 あくまでそのような体を装っているだけだが、政治的な話し合いでは建前と実態の乖離は当然のようにある。口八丁で封じてしまえばそれまで。

 しかし、


「下らんことを言うなら今すぐ引きずり出してやってもいいんだぞ! 保管庫の場所くらいは把握している。その全てを燃やされて同じことを言えるなら好きにしろ。だが一度牙を見せたからには次はないと思えっ。こんな都市、一夜とかからず滅ぼしてやるぞ!」


 品性も格もかなぐり捨てて食い付いてくる相手には無意味だった。

 そもそも彼にはもう退路がない。当然の結果ではあったが、それでもダリフは話し合いを続けようとする。

「仮に……こちらから戦力を差し出すと言っても、我々は百にも満たない少数。それも全員が武人ではなく文官などの出身だ。魔術は使えても戦ったことの無い者ばかりだぞ」

「まだ隠し立てをするつもりなら止めておけ。貴様らの中に『弓』の上位能力者が居ることくらいは当然知っている。使い物にならない人形などに興味はない。とっととそいつを出せと言うんだ!」

「その者の立場を知らぬ訳ではないでしょう。表へ出すことの危険性も理解しているのであれば、その場しのぎでしかないこともご理解いただきたい」

「ふんっ、今一時が何よりも大事なのだ。時間を稼いでほうぼうから駆けつける義勇兵や貴族らの私兵を吸収すれば、あの高慢ちきな次男家など一掃してくれる!」


 まるで話にならなかった。

 正常な判断も出来ていないのだろう。窮地に立たされていることを思えば当然なのだろうが、どうしてこうも周囲を巻き込んでいこうとするのかと、マグナスは相変わらずな貴族思考に苛立ちを覚えていた。

 彼らはいつだってそうだ。なにやらご高説を垂れながら結局は自分たちが助かることばかり。逃げまわり、逃げた先に戦火をまき散らした挙句に住民を盾として生き延びる。町を焼いて敵の進軍を押し留める、それは戦局を見れば重要なことなのかもしれない。だが住む場所を失った民はどうなる。他へ移り住めばいいなどと言うのは横暴だ。生まれ故郷が灰になって、どうすることも出来ず死を選ぶ者も大勢居た。


 やがて、次々と話題を変えて断り続けるダリフに苛立ったのか、とうとう男は強硬手段に打って出た。


「全員ひっ捕らえろ! 隠れている上位能力者をあぶり出せ! 出てこないようなら一人ひとり首を落としてやればそれでいい! 私の味方にならん王などいらん! こんな古ぼけた檻ごと燃やしてしまえ!」


 声と同時に惨劇が始まった。

 百に及ぶ兵士が一斉に魔術を発動させ、それぞれの武器を手に四方へ跳びかかっていった。足の遅い『槍』は手当たり次第に建物を破壊し、『剣』や『弓』はバラバラに町の何処かへ走って行き、幾つもの悲鳴を、破壊音を、狂気を撒き散らした。


 マグナスも瞬時に反応してハルバードを握ったものの、彼は足の遅い『槍』。背に負ったルドルフを守るので精一杯だった。流石に王の顔は把握していたらしく、今も数名の兵が取り囲み始めている。

 『槍』は『弓』に弱い。どうしたって追い付けない相手から一方的に攻撃を加えられれば、どれほど腕の立つ術者でもやがて敗れる。


 だが、


「上等じゃねえかクソ野郎がっ!」


 四方から放たれた矢を彼は防ぎきった。二つはハルバードを振り回して、一つは青の魔術光が形成する甲冑にて、そして一つは、自らの身に受けることで、ルドルフを守り切った。どころか、隙と見て斬りかかった『剣』の術者の首を素手で掴みとり、瞬く間に首をへし折った。


「近衛兵団長、マグナス=ハーツバース」


 無残に投げ捨てられた死体を見て、囲む兵が僅かに後退した。


「この俺の目のが黒い内は、どんなことがあろうと王に傷一つ付けさせやしねえ。だからよ――テメエらも安心して戦え。お前らの王は決して倒れねえ。なぜなら近衛は、王と共にある限り決して倒れることが許されねえからだ」


 ギロリ――睨みつけられた男が急に怯え始める。知らず体が逃げはじめ、割れた石畳へ足を取られてひっくり返った。


「ひゃあっ……な、なにを言っている……? 近衛? そんなものここには無かった。つめ込まれているのは戦った経験も無い連中ばかりだと……」

「少しは相手を観察しろよ肉団子。お前たちを遠巻きに眺めてた連中の配置を。引き入れたこの広場が、古都を外側に位置するお前たちにとって極めて不利な場所だってことくらいよお。そんなだから次男家とやらにやられ続けるんだ」


 この場を固める住民は皆、マグナスが近衛に引き入れた者たちだ。

 戦士と呼ぶには未だに不足があるものの、ダリフが言っていたように戦う力を持たない者ではない。精々が民兵。だが、一方的に虐殺されるだけの者じゃないのは、広がっていった長男家の兵士らが慌てて戻ってきたことで証明された。


「王を守れ、民を守れ。やることは簡単だ。今まで散々やってきた訓練通りに果たしてみせろ。分かったら行け! 俺たちの国を守れ!」


 マグナスの一喝と共に、近衛の戦士たちが分隊を形成して散開していく。住民全てが戦える訳ではない。多勢に無勢は変わらず、状況は極めて悪いままだ。

 だが、唐突な事態に混乱したらしい男は、腰を抜かしたまま泣き叫びに近い声をあげた。


「私を守れ! 守れ! ふざけるな人形どもが! 私は侯爵だぞ! キサマらのような者どもが歯向かっていい相手じゃないぞ! くそっ、くそお! 恥を知れ下郎どもが!」


「下郎と言ったか」


 静かな声だった。

 マグナスは、周囲を強く警戒しながらも、あまりにも深く響いたダリフの声に、思わず視線を向けていた。こちらに背を向ける彼の表情は分からない。だが、想像するに余りあるものだった。


「分を弁えろというのなら、まずキサマの眼前におられる方が何者であるか、よく考えろ」


 青い風が吹く。

 簡素な飾りの長槍が、矛先を小動もさせず男へ向けられた。

 『槍』の紋章を浮かび上がらせたダリフは、底冷えするような声で言葉を重ねる。


「跪け、許しを請え、そして速やかに首を差し出せ。さもなくば我らが王への度重なる侮辱、決して許されるものではないぞ」

「わ、わたしに逆らうつもりか! お飾りの王風情が! この事はすぐにでもほうぼうの貴族らに知らせてくれる! 密かに兵を擁し、反抗の機会を伺っていたと知れば首を落とされるのはそちらの方だ!」

 これにはダリフも怯まずにはいられなかった。

 状況が状況とはいえ、黙認してきたも同然なマグナスの所業が知られ、こうして表立っての反抗を見せてしまった。しかも、王自身には何の許可もとっていないのだ。

 マグナスとて、背に負ったルドルフを振り返りたい思いはある。

 彼らの王は今、何を思っているのか。

「ふ、ふふっ、そうだ……キサマもそのつもりなのか聞いておこうじゃないか、なあ王さま? 権力闘争に破れ、弟に家を追い出された男が、またも野心を抱くつもりか? 聞いているぞ。キサマは両親や親しい親族と揃って焼き討ちに合い、都市ごと焼きつくされた中でたった一人生き残ったのだとな」


 マグナスも知らない話だった。だが、ここが流刑地だとするならば、おそらくは皆似たような過去があるのだろう。


「今ならばまだ許してやる。『弓』の上位能力者を差し出し……そうだな、折角戦力となる者が他にも居るとわかったのだから、そこの威勢のよい者たちも纏めて預けて貰おう。なに、私があの不道徳な次男家を破った後で返してやるさ。それからはまた今までのように平穏な日々を送らせてやる。それとも……またあの日の惨劇をここで起こすつもりか? キサマの我欲の為に、大勢を巻き込んで、全員を不幸にするつもりか?」

 長男家は既に壊滅寸前というが、それも侯爵家という絶大な力持つ大貴族同士の争いだからだ。拠点となっているティレールへ戻れば、普通の町を一つ二つ制圧する程度の戦力は残っているだろう。

 やがてこの男は敗れる。けれど、追い詰められた結果ここまでの行動を起こす者なら、死なば諸共と当たり散らす程度のことはやりそうだった。事実、今もそうしている。

 助けを求めようにも西側へは男の軍勢がおり、東側へは時間が掛かる。


 ただ、逃げる手もあった。

 マグナスは密かに周辺の地理を調べていたし、ここは小高い丘の連なる丘陵地帯、少数で敵を撒くには適した土地だ。しかし、逃げた先は暗雲の中にある。

 目の前でわめきちらすあの男が、死の直前に古都での話を漏らせば、ルドルフが危険視されることは十分にありうる。

 守る為とはいえ、見られてしまったのはやはり拙い。


 けれど、古都の住民たちにも共通する思いはあった。

 どうして、と。


 彼らは夢を見続けていたかっただけだ。

 ここが終着点であることも、先の未来に何の起伏もなく生きていくしかないことも十分理解していた。先ほど漏れ聞かされたルドルフの過去がそうであるように、皆何かに追い立てられ、押し込められてきた。

 送られてきた当時は恨んだ。敗北し、悲劇を受け入れるしか無かった自分を、相手を、憎悪とも呼べる感情で思い浮かべていた。けれど数年の時を重ねる内に、古都は彼らを守るゆりかごとなっていった。

 ここに居る限りは守られる。自分を追い立てる者たちもここへは入って来ない。

 そして同時に、外の世界が怖ろしく思えてくる。

 辛い日々を思い出し、閉じた世界で生きることに安心していた。

 そういう意味では、マグナスが熱心に勧めていた近衛の編成も、夢の続きでしかなかったのだろう。


 遠い夢を見ていたかった。

 夢を見ながら、自分の生は満ち足りたものであったと思いながら、いずれ死んでいくことだけが彼らの望みだったのかもしれない。


 けれど、


「とっとと地べたに這いつくばって許しを請え! お飾りの人形風情が思い上がるな! キサマらなぞ所詮その程度の価値しかないのだからな!」


 王が居た。


 夢を見せてくれる王さまが、彼らの側で笑ってくれていた。

 役割を与えられた。日々の仕事を与えられた。ただ家で人形のように座り続ける日々を、あんなにも鮮やかなものに変えてくれた。

 いつしかごっこ遊びに力が入り、夢の続きと自覚しながらも、王を守る戦士だなんて自分を笑いながらも、繰り返す訓練に力が入った。

 王の為に。


 きっと、誰もが彼に返したいものがあった。

 与えてくれた希望と同じくらいの幸福を、あるいは、あんなにも素晴らしい夢を見せてくれる人に、相応しき栄光をと。

 為にならば命など惜しくはなかった。

 追い立てられた領地から危険視されようと、不道徳だと指差され、また同じ思いをするとしても、彼に捧げたい。


 王よ。

 王よ、我々と共に――そう願う意志が風となって、古都に吹き荒れた気がした。


「どうしたっ、早く頭を下げんか! あまり待たせるようなら先ほどの譲歩も無かったことにしてやるぞ!」


 そのルドルフは、笑っていたように見えた。

 泣くように、遠い何かを見つめるように、笑っていた。


「そっか。なら……そうしよう」


 彼が一歩を踏み出すと同時に、マグナスが身を引いて道を開けた。


「ふんっ、ようやく納得したか。ほら跪け、床に頭を擦り付けて詫びれば此度の無礼は許してやる」

 傲慢に言い放った男へ、ルドルフは普段通りの表情で小首を傾げた。

「どうして、貴様が決めるんだ?」

「なに……」

 本当に理解できない、とばかりに声は平坦だった。


「決めるのは俺だ。ホルノス国王ルドルフ=フェルノーブル=クレインハルトが全ての決定権を持つ。王というのはそういうものだろう?」

 あまりにも平然と言い放ったからか、男は激しく動揺した。本来の力関係など飛び越えて、その通りだと思わせる何かを、マグナスは感じた。奮え、猛る心を抑えて、今は侍る。

「ば、ばかなっ! 何の力も無い小僧が思い上がるな! 貴様など私に掛かればたちどころに首を撥ねてやれるのだぞ! 今まで誰のおかげでその位置に居られた思う!」

「不敬だぞ、侯爵風情が。王とは民に承認されてなるものではない。王があり、民がその従僕として侍り、王の慈悲を以って侍る栄誉を得た者どもの暮らす場所を、また王が与え、それが国となる。人として人の頂点に立つ者が王だ」

 男はもう何も言えなくなった。

 ルドルフの堂々たる語りに揺らぎはない。普段はルドルフに対してさえ傲慢な振る舞いを崩さないダリフですら、彼のために道を開け、膝をついていた。マグナスはルドルフの背後につき、近衛として彼の身を守る。


「決めるのは俺だ。お前じゃない」


 じっと見つめ、男が後ずさるのを待ってから、ふっとルドルフが息を抜いた。

 空を眺め、けれどいつかのように手を伸ばしたりはせず、小さく声を漏らした。おそらく、すぐ近くに居たマグナスとダリフにしか聞こえなかっただろう、小さな声だ。


「うん。そうだな、決めるよ…………だから、ごめん」


 更に踏み出す一歩の先には、もう漏らした声の色など跡形もなく失せていた。

 王としての厳かさを湛えたルドルフが、侯爵家の男を前に堂々と言い放つ。


「戦おう。俺たちは最後まで戦い抜くよ。この生命が終わる瞬間まで、もう二度と立ち止まることなく闘い抜いて、生き抜いて――いつか死ぬよ」


   ※  ※  ※


 夕闇の向こうに消えていく侯爵の軍勢を見送り、マグナスは改めて周囲を確認してから魔術を解いた。


「やってしまったな」


 重い声色はダリフのものだ。

 彼は古都の入り口にある石造りのアーチの下で、曖昧な表情を見せながらルドルフを見た。

 王は、世界から何もするなと突き付けられた王は、今夕闇の中に佇み、移り行く空を眺めている。


「手に握る刃を見せた以上、皆殺しにするべきだった」

「今から追いかけるか? 返り討ちに合うだろうよ。数で勝ってはいたが、被害のデカさはこっちの方が圧倒的に勝る」

 共に『槍』の術者とあっては追いかけるには向かず、他の者はまだまだ腕が足りない。それが十分に分かった。

「唯一の手はシルティアに行かせることだが」

「彼女にそんなことはさせたくない」

「アレの過去を知らないからそういうことを言える」

「知らねえよ。彼女の過去も、ルドルフの過去も……お前の過去だって俺は知らねえ。けど、俺なりに見てきたつもりだ。お前らは、俺が背負って立つには勿体無いくれぇいい奴らだよ」

「俺たちを追い立てた連中に聞かせれば鼻で笑われるな」

「そう言うなって」


 一息。


「なあ宰相」

「なんだ近衛」

「俺は政治はよく分からねえが、まだ交渉の余地ってのはあるのかね?」

「十分にある。こちらは力を見せた。相手を敗走させるだけの戦力があると知らしめたのだから、最終的に我々が負けるとはいえ、相手にとっての脅威であることに変わりない。合戦で武力を見せ合ってからの交渉はよくある手だ」

「で、俺たちは今まで通りの日々を送れる?」

「一番は交渉を餌にあの男をおびき出し、部下共々皆殺しにする手だ。だが警戒される以上は困難だろうな。おそらく次は代理の者が出てくる。次点に交渉を長引かせ、次男家が奴らを滅ぼしてくれるのを待つ手。しかし奴がここでのことを話さない保証はない。東側へ保護を求めても同様。我々の現況が知られた時点でここの意味が揺らぐ。危険がある以上、放置はしないだろう」

「ならやっぱり、早めに動くしか手はないわな」

「そうなる。動くなら今すぐ。追撃などと生ぬるい手ではなく、このままティレールを落とし、奴らの軍勢を掌握する。その後に次男家と交渉を持ち、相手次第ではあるが、同盟関係を結べれば最良だ」


 だが、そこで止まってしまう。

 仮にダリフの言う通りに事が運んだとしても、同盟の結ぶ過程で必ず政治的な包囲を受けるだろう。残るのは今までより僅かに広がった籠での自由。


 二人共分かっていた。

 この話はあくまで現状の確認でしかない。

 現実的なものを求めて武器を取ったのではない。現実を受け入れるのであれば、あそこでシルティアを引き渡す以外に手は無かった。

 そうではないのだ。


 正しさを求めたのではない。

 間違っていても、愚かでも、悲惨な末路が待っていたとしても、先を求めた。


 気付けば、西へ沈んでいく夕陽を、古都の住人たちが見つめていた。

 負傷者も居る。足りない顔があるのは、先の戦いで命を落としたからだ。一人ひとり確かめていったその顔が、とても満足そうだったのをマグナスは覚えている。

 悲しさはあったが、同時に誇らしくもあった。


 彼らの先頭にシルティアが居た。

 王妃という立場にある彼女は、既に血に濡れた服を着ていて、それが敵のものなのか、仲間を治療していてそうなったのか、マグナスには聞けそうになかった。

 彼女は懐から一枚の便箋を取り出す。

「東側での戦いで、助けてくれた人が居ました。その人たちが、これを王に渡してほしいと」

 ルドルフはまだ空を眺めている。

 もうほとんど夕焼け空が夜に呑み込まれていた。


 ダリフも眉を潜めたままでいるから、仕方なくマグナスが受け取り、乱暴に開けようとして硬直した。


 獅子の紋章。

 ウィンダーベル家のものだ。


 東方より伝わったという発明で、今最も急成長を続けている侯爵家。家の格だけならば西側に陣取る者たちも同じだったが、力の大きさは最早比べ物にならない。

「これを持ってきた奴は」

「すぐどこかへ行ってしまいました。珍しい帽子を被った、明るい少年でしたが」

 使者にしては妙な印象だ。

 ともあれ、ただの手紙でもない様子。マグナスが開けるわけにもいかなくなり、強引にルドルフへ渡すと、会話はちゃんと聞いていたのか、慣れた手つきで便箋の上部を切り取り、書状を取り出した。

 しばらく読む。そして、


「ダリフ」


「はい」


 陽は落ちた。

 眩しいほどの輝きは今、遠い地平の彼方へ去ってしまった。


「今後こちらの行動はウィンダーベル家が後ろ盾になってくれるらしい。ついでに戦力も送るってさ」

「怪しすぎます」

 蓋をしても臭いそうなくらい、罠の印象しかなかった。

 なぜ戦力を送ってくる? なぜこんなにも間が良く?

 逃げていったあの男か、あるいは話に聞く次男か、どちらかと共同していてもおかしくないほどの状況だった。

「ウィンダーベル家と言えば、かなり強引な手段で勢力を拡大し続けている、非常に危険な相手です。表向きは知識や技術の解放者として賞賛されていますが、裏では暴力で秘匿する者たちを脅しつけ、時に都市まるごとを戦火に巻き込んだとも聞きます」

 ルドルフは頷いた。

 けれど、是とも否とも言わず、また空を眺め始める。


 ダリフが静かに吐息するのが聞こえた。

 幾度も何かを言おうとして、けれど言えず口を噤む。


 分かっていたことだ。

 すでにルドルフは踏み出している。決めている。そうして待っているのだ。


 マグナスが理解して、踏みだそうとした脇をシルティアが抜けていった。先を越されたか、と苦笑いしつつ、自分も続く。

 やがて誰もがルドルフの後ろに立ち、言葉を待った。


 ただ一人、暗闇の中佇んでいたダリフは、そっと息をつくと、人の群れを割るようにして王の左側へ侍った。

 右隣にはシルティア。そして少し後ろにマグナスが居る。


 振り返ると、綺麗な月が見えた。


「行くよ、皆」


 優しい王さまは、いつものような口調で物語を始めた。


「夢を叶えに」





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