表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/260

05

 三本角の仔羊亭、という店がある。

 『幻影緋弾のカウボーイ』では、主人公であるジークが頻繁に訪れる場所で、様々な騒動の中心となる、元傭兵の女主人が経営する酒場である。気風の良い主人の人柄に惹かれてやってくる肉体労働者たちを始め、傭兵時代に築いた人脈を頼って意外な人物までも顔を出すこの店は、街の娼館街に近いこともあってか非常に治安が悪い。

 一方で、そんな場所だからこそ、フーリア人であるフロエが大手を振って働ける数少ない場所でもあった。


「おまたせー!」


 仕事の休憩中だったらしいフロエに連れられてこの店へやってきた俺は、主人に投げ渡された手拭いで顔や頭を拭き、言われるまま奥の席に着いた。

 そこでやってきたのが料理を盆へ乗せたフロエだ。


 か、可愛い!


 出てきた料理もそうだが、俺はなによりフロエの制服姿に目を奪われた。

 白と黒を基調としたウエイトレス姿は、ゲームで何度も目にしたものではあったが、こうして現実に立体化され、動いているフロエを見るというのは得も言われぬ感動がある。膝上丈のスカートや二の腕を晒す袖口から彼女の浅黒い肌が見える。最初から差別意識を持たない俺からすると、とても健康的な印象があって良い。

 メルトのような落ち着いた色気も非常に良いが、フロエのように活発で弾けるような笑顔を見せてくれるというのも非常に、とても良い。


「ウチの名物です。仔羊肉と野菜のトマト煮込み。あたたまるから、どうぞって店長が。あ、パンを浸けて食べるとおいしい、です、よ?」

「ありがとう。必ず礼はすると伝えておいてくれ」

 カウンターの奥で忙しそうに料理を作るあの女主人を見て、俺は伝言を頼むことにした。いらねえよ、と返されるのは目に見えていたが。

「はいっ。ええと、私、とりあえず仕事あるから。ゆっくりしていって、えー、ください」


 俺の胸の内にあたたかな火を灯して彼女は駆けて行った。途中、横から酔っぱらいが手を出してきたのを軽やかに避けると、周囲から歓声があがる。フロエちゃーん、などとあちこちから呼び声が掛かり、彼女は常に笑顔で店中を走り回っていた。


 店内は控え目に言っても薄汚れている。

 単純な汚れというより、積み重なった年輪のようなものが至る所にあるのだ。

 飾り皿が壁に掛けられ、羊の頭部の剥製が『喧嘩両成敗!』と書かれた紙を咥えている。

 紙を食べる羊が咥えている辺り、店主の意図的な適当具合が伺える。

 入り口にはカウベルが取り付けられていて、人の出入りの度に騒々しく音が鳴る。

 それにあれ、なんと言うんだったか、西部劇でみるような腰元にだけある扉。


 あぁ、ここだ、と俺は思った。


 今まで俺が居たのは『幻影緋弾のカウボーイ』の世界ではあっても、物語の舞台と呼べるような場所じゃなかった。この雑然としていながら、下品な笑いの絶えない空間こそ、俺の憧れた場所だった。

 ここには差別がない。

 奴隷よりも更に過酷な仕事に従事する者は大勢居る。一つ間違えば生き埋めやガス中毒になる鉱夫や、親に売られたか居場所を失ったかという娼婦。階級なんてほとんど意味を持っていなかった。崩落は身分を考慮なんてしないし、娼婦には没落貴族も居れば最初から奴隷だった者も居る。そんな現場で育まれるのは優越感というより、共感が強いのかもしれない。決してなあなあではないが。

 フロエが働いていることを咎める者は居ないし、店の一部には同じ肌の人間が他の客と楽しそうにはしゃいでる。

 隣に立った人間の生まれに意味は無い。

 今、そいつが何を出来るか。それこそを重んじる場所だ。


 この世界に来て二ヶ月ほどになる。

 ハイリアと意識を融合させていることで、ホームシックじみた感情はあまり浮かんでこないが、俺はいつの間にか、あの綺羅びやかな世界の考え方に馴染みつつあった自分を知った。


 施療院から飛び出した時は相当に心乱していたが、今はもうだいぶ落ち着いた。

 出された料理に口をつける。美味い。食べ慣れた上品な味とは違い、豪快にざっくりとくる味だ。だが、一般的な社会人でしかなかった俺にとって、こういう料理こそが馴染み深い。


 あぁくそ。

 ホームシックにはなったことが無いと考えた途端に懐かしく思えてきた。

 味覚こそが人の郷愁に火を付けるのか。そんなことを考えて料理にがっついていく。テーブルマナーもなにもない。ただ美味い飯を貪った。


「泣くほど美味いかい、坊や」


 男勝りな声が掛かる。

 口元も拭かずに顔をあげると、女主人が俺の顔を見て吹き出した。

「貴族の坊やにゃ、お気に召さないかと心配したんだがね。そうでもなかったらしい」

 慌てて口元を拭く。咳払いをし、気持ちを落ち着けた。


「世話になった。美味い。礼を言う」

 オタマで頭を殴られた。軽いものだったけど、あまりの扱いに驚く。

「ありがとう、ごちそうさま、って言うんだよ。貴族の坊やは礼を知らんのかねぇ」

「生憎と……」

 家では教わらなかった、などと言いかけて苦笑する。

 まだまだ、貴族意識が抜けないらしい。


「ありがとう…………ごちそうさまを言うと、残ってる分まで下げられてしまうんだろうか」


 割と本気で心配して言うと、女主人が爆笑した。

「ハハハ、とりゃしねえよっ! おいフロエッ、あんたの客、随分と頭が愉快な奴みたいだぜ?」

「それは少々失礼だ。ミシェル女史」

 と、ここで思わず失言した。


「ん? なんでアタシの昔の名前知ってんだ?」


 やらかした!

 物語でも終盤まで謎のままとされている女主人の名前をうっかり漏らした! 現時点で彼女の素性を知る人間は登場していない。やばい。どう誤魔化そう。

 とりあえず目を逸らした。

「こっち見な、クソガキ」

 頭を掴んで目を合わせられる。

 大変だ。汗が止まらない。

「ん~……」

 そのままじっとこちらを見て考えこむ女主人。やがて、諦めたように手を離した。

「裏稼業の方まで知ってそうな反応だな。が、悪意は感じない。はぁ……あんだけ口止めして回ったのに、子どもに語って聞かせる馬鹿がまだ居たか」


 この人、実は元暗殺者です。


 殺した要人は百を軽く超えると言われる伝説級の人間で、ジークとは同郷であったことから、彼の父が処刑されて以来は保護者のような扱いとなっている。この国のみならず、新大陸にも行った事があり、貴族間の後ろ暗い話にも精通している。よくあるネタだが、とても身近に物語の裏を語れる人物がポンと居るパターンか。

 他にはジークへあの格闘術を伝授したのも、魔術の独特な使い方を仕込んだのも、この女主人なのだ。

 ただし暗殺者を辞める時に、両腕の腱を魔術で一部切断させられており、重い物を持ちあげられないなどの描写は作中にもちょくちょくあった。


「まあいいや。面倒が起きたらそんとき殺りゃあいいしな」


 風来坊じみた所はジークとよく似ている。

 思わず笑うと、女主人は含みのある笑みを浮かべた。


「そういやフロエから聞いたが、礼をしてくれるんだって?」


「あ、あぁ。そうだな……後ほどになるが、相応の金額を」

 コン、とまたオタマで叩かれる。

「違うよ。料理屋に対する礼は一つだ」

 女主人は「にっ!」と笑うと、俺の頭を撫でて言った。


「また食いに来な」


 やられた。

 これは正直、かなり嬉しい。

「あぁ。また来る」


 それからしばらく、一人で飲み食いを続けた。

 しかし時間が遅くなると人も増え、席が埋まりかけて来たので、俺は多目に金を置いて出ることにした。とはいっても、馬鹿みたいな金額は置かない。そういうのを嫌うというのも、ゲームの知識ではなく、実感としてあったからだ。


「あぁ待ちな」


 心ばかりに多い金額を満足そうに見ていた女主人が呼び止めてくる。

 釣り銭代わりに差し出されるのは、ザラついた紙に包まれた干し肉、いやビーフジャーキーだ! おお、と感動する。これも作品の中では何度も見た。保存食としても有名で、西部劇なんかではよくカウボーイたちが噛み千切ってくちゃくちゃやっているアレだ。


「いいのか」

「まあ土産だ。一昨日作り過ぎてな」

 と言われ、確かにそんなイベントがあったのを思い出す。たしか、俺同様にこういう場所へ慣れない元騎士家系で、メインヒロインのリースが原因で起きた騒動だ。

「感謝する……いや、ありがとう」

「でだ。感謝ついでに頼みがあるんだ」

「ん?」


 何を? と聞き返す前に女主人は店内を軽やかに走り回っていたフロエを呼ぶ。

 酔っぱらい相手に動き回っていた彼女の肌には、流石に薄っすらと汗が滲んでいた。浅黒い肌でもそれと分かる程に上気した頬と、健康的な汗に心臓が跳ねる。女主人が邪推していたので咳払いして取り繕う。


「フロエ。今日はもう上がっていい」

「え? でもこれからお客さんもっと増えるよ?」

「他の子も来るから、今日はもういいんだ。でだ、鼻たれジークがいつまで経っても来ねぇから、今日はコイツに送らせる」


 言われ、フロエの大きな瞳が俺を見た。

 それだけで心の奥底が熱くなった。なんとかポーカーフェイスを維持しているつもりだったが、女主人の顔を見る限り期待薄だ。俺をじっと見つめていたフロエが、そのままの目線で言う。


「分かった。もう上がるね」

「あぁ、送り狼には気を付けてな」


 はぁーい、と素直に返事をしたフロエがカウンターの奥へ消えていく。


 ようやく気を抜けた俺は恨みがましい目を女主人へ向けるが。

「初めてなんだよ。あの子がジーク以外を気にしていたのは」

 言われた言葉にドキリとする。

 彼女が気付いたのは表層だけだ。まだ、なにもかもを読まれた訳じゃない。そう思っても、やはり動揺は大きかった。絞り出した言葉は、少し震えていた。


「警戒心を、その男への気持ちと同列にするのはおかしいだろう」

「なんだ、気付いてたのか」


 当然だ。俺は彼女が教会から出て行く所を目撃し、そこをフロエ自身にも知られている。つまり、あのイルベール教団の一員であるヴィレイ=クレアラインと会っていたのを、俺は目撃しているんだ。


「あの子の警戒は別として、あんたのソレは純粋なものさ」

「信用していいのか」

「元暗殺者の目を見くびるなよ」

 そう言われると苦笑しか出来ない。

「警戒でもいいさ。あの子がジークに……あいつの父親の死に責任を感じるあまり、自分を顧みなくなってるのは、いいことじゃないと思うからね」

「正しさが全てを救う訳じゃない」

「なんだい。妙な肩を持つな。あの子が気になってるんじゃないのか?」

 すんなりと言葉が出た。


「そのつもりはない」


 元暗殺者の女は、首を捻りながら唸った。


「こりゃ、見込み違いだったかねぇ」


 違わないさ。

 彼女を救う為に、俺はこの世界へやってきたんだからな。


   ※  ※  ※


 街灯に照らされた石畳の街路を二人で歩く。

 灯りには炎の揺らめきがあり、途中、長い棒で火を点けて回っていた老人とすれ違った。周辺の建物にはレンガ造りのモノが多く、日が暮れているからか扉のほとんどが硬く閉じられていた。


 私服に着替えたフロエは、店での溌剌さからは少々落ち着いていて、のんびりとした雰囲気で歩を進めていた。対し、俺はかなり緊張していた。


 女主人にはああ言ったものの、正直気分は初デート。

 好きな女の子と二人っきりで薄暗い道を歩くなんて、緊張しない方がどうかしている。揺れる白髪を目で追うだけで俺は幸せになれるんだぞ? 髪の隙間から見える浅黒い肌の首筋や肩のラインなんか、もうドキドキするを通り越して息苦しいくらいだ。

 しかし、いつまでも黙りこんでいてはいけない。デートの最中に女性を退屈させるなど、ウィンダーベル家の男には許されない。たぶんそうだ。


「……随分と人通りが少ないな」

「奴隷狩りが流行ってるから……大通りや人の多い所以外をこの時間に出歩く人はあまり居ない、ん、です」

「そうか」


 しまった話題を間違えた。

 彼女に対してこの話題はタブーだ。


「そういえば、だが」

「えと、はい」


 少し歩を緩めたこちらをフロエが見る。後ろ向きに歩く彼女の靴が石畳を打ち、カツカツという硬い音を立てていた。

「無理に敬語を使わなくてもいい。出来ていないがな」

 目を丸くし、ちょうど良く街灯の明かりが顔に差し込んで、照れた表情が良くわかった。

「おっ……おかし、かった、です……でしょうかっ?」

「今もおかしい」

「はい!」

「いや、敬語を止めればいいだろう」


 たっぷり十秒、彼女は街灯の下で蹲った。

 立ち上がってこちらを見た頬はまだ少し赤い。肌が地黒でなければもっとはっきり分かっただろう赤さだ。


「私っ、田舎暮らしで、偉い人と話したことなんてないから敬語がさっぱりで……うまく、話せなくて」

「まあ練習したいのなら、練習相手くらいにはなれるが」

「あっ、それはいいかも!」

 まあ、望みは薄そうだ。


「ただ、すまないが人の居る場所では控えてくれ。俺がというより、周囲が許さない」

「あぁ。それ、分かる。私、奴隷階級だし」


 あっさり言い切れてしまう姿が痛々しかった。

 ああして暖かい場所に居ながらも、彼女はフーリア人の誰よりもそれを自覚している。自分たちは被支配者で、力ある者に奪われ続ける者であると。

「あのジークとかいう男の奴隷だったか」

「ん」


「ジークは、私と普通に接してくれる。ジークの故郷の人もそう。みんな優しい。ジークの奴隷だなんて、あそこに居るとただの言い訳だから」

 と、ここまで言ってフロエは言い淀む。

 少し口が滑り過ぎたのに気付いたらしい。相手は貴族。階級制度に対しては厳格と噂される男を前に、本来なら許される発言じゃない。


「俺は今日、初めてああいう場所を見た」

 嘘にならない範囲で言うことにした。

「自分が今まで見ていた場所と、まるで違う見方をする人で溢れていた。その目を、俺は本来なら持っていた筈だったんだ。だがやはり、自覚できない内に意識が変質していた」


 ハイリアとしての思考に染まった、のではないと思う。おそらく俺自身の、意志の弱さが容易い変質を許した。


「無条件に敬われ続けること、好意を向けられることに慣れきると、ここまでつけ上がるものかと自分に呆れたよ」


 貴族は血統だけで一定の権利を持つ。有能でなければ生きていくのも難しい者達も居る中、堕落しようと思えば幾らでも手を抜いて生きられる。ハイリアという男が持っていた、己に対する厳格さはともすれば自由民らのそれとは比べ物にならないほど。

 穢してはならない。まるで兄を見るような気持ちで俺は思った。


「最初に出会った時から、君はあのジークという男を信用しているように見えた。口ぶりから幼馴染なんだと予想していたが」

「……小さい頃から一緒だったから、そう。けど、私が生まれたのは……異大陸で、そこで、もう奴隷だった」

「奴に買われたのか」

 わざと嫌な聞き方をした。

「違うっ」

 荒々しい否定をして、それから少し後悔するように目を逸らす。

「そうか。なら、アイツに助けられた、という所か。あの性格だ。奴隷商を殴り飛ばしでもしそうだからな」

「いえ……ジークは……じゃなくて、私を助けてくれたのはジークのお父さんで」


 二人で人通りの少ない道を行く。坂を上ってしばらく行けば、彼女とジークの下宿する家がある。


「詳しいことはわからないけど、私達を捕まえていた人が急に死んで、ごたごたしてる間に皆と逃げ出して……それを、助けてくれた。ちゃんと後で手続きはしたから、脱走奴隷じゃない、です」

 そう。

 ジークの父親に助けられた彼女は、そのまま彼が率いる一団と共にこの地に戻ってきて、そこで二人が出会ったんだ。当時、過酷な奴隷としての扱いと、人の死を見過ぎた為に心が壊れていた彼女を癒やし、今のように活発な性格を取り戻させた。あのジーク=ノートンという男が。

「しばらくして、私の所有権はジークに移った」

 ジークの父親が処刑されたことによって、だ。

 言葉を隠して過去を思うフロエの表情は薄い。

「だから、私はジークの奴隷」

「あんな男だ。君が奴隷と自覚することにも反発するだろう」

「そうだけど、本当のことだもん。私も、それでいい」

 全く、

「それでも」


 坂が終わった。

 レンガを積み上げた柵の向こうに、月明かりに照らされた町並みがある。大きな敷地を専有するデュッセンドルフ魔術学園も、ここからは一望出来た。いい景色だ。本当に。


 坂の少し下、今までよりもいささか強くなった俺の語気に、フロエが立ち止まって警戒している。俺はただ苦々しく笑って言う。

「君はもっと、アイツに求めても構わない」

 月の光を帯びた少女の顔は小揺るぎもせず、淡々と俺を観察している。

「君がアイツに癒やされたように、父親を亡くした辛さをアイツは君に癒やされた。お互い様だ。人の死は、他者が所有するべきものじゃないと俺は思う。その人物が納得し、満足して逝ったのであれば、それに罪悪感を覚えるのは死者への侮辱だ」


 レンガの上に手を滑らせながら、俺は背を向けて距離を取る。

 そして彼女には聞かせないよう静かにため息をついた。


 やはり、俺の言葉は届かない。当然だ。


 フロエ=ノル=アイラにとって、ハイリア=ロード=ウィンダーベルは昨日今日出会ったばかりの人間で、彼女が数年掛けて築き上げてきたものを、瞬く間に突き崩すほどの影響力を獲得していない。

 俺は警戒されているだけで、これは打ち解けた会話とは違う。

 だからこそ、納得できた。


「君は、ジーク=ノートンが好きなんだろう?」


「なっ!」


 フロエが瞬く間に狼狽えた。

 もっと照れた顔が見てみたくて、余計に俺は言葉を重ねる。


「私はあなたのものです、とか心の中で言ったことがあるだろう?」

「わきゃぁぁああああああっ!」

 猿か。


 経験からの推測だったが、大正解だったらしい。

 あぁ可愛い。フロエたんマジ最高だ、なんて。


「な! な、なななっ、そんなこと! 言えっ、言える訳がっ!」

「いやだから、思ったことがある、と言ったんだぞ」

「思わない! 思ぉわなぁい!!」

「そうやって大慌てで否定するほど確信していくんだがな」

「~~~~っ!」


 あまりに動揺した為か、ぽかぽかと俺を殴り始めるフロエ。

 全く痛みがないのはちゃんと加減しているからで、それでも堪え切れない羞恥に腕を振り下ろさずにはいられないらしい。メルトやアリエスだとまずやってくれない照れ方だ。うむ、これは素晴らしい。

 端から見れば恋人のようにも見えるだろう自分たちを妄想しながら、俺はたっぷりと至福の時を味わった。


「一度言ってみたらどうだ? 奴に、アナタが好きだから、私をアナタのものにして下さい、とかな」

「まっ……まだ言うかあっ……」

「疲れ過ぎだろう」

「誰のせいだとっ……」


 すまんな、わざとだ。

 君の恋を応援するんだ。このくらいの役得は貰っても構わないだろう?


「仮に、君に罪があったとしても……その想いを伝えてはいけない、なんてことはないぞ」

「だから私はっ」

「ほう。好きだといえば、あのジーク=ノートンが確実に自分を愛してくれると確信しているのか。大した自信だ」

「……え?」


「違うのか? 『だから私は――彼に愛される資格なんてないんです』今、そう言おうとしたんだろう? 君を愛するかどうか、決めるのは奴だ。君に愛される資格があるかどうかは関係なく、彼が愛すると決めた時、君は自分の都合を押し付けて拒絶するつもりか? おかしなものだ。君は最初から奴のものだと思っているのに、そんな自分勝手を押し通すのか」


「そんなつもりはっ、でも……あれ? だって……」

 一時は混乱したものの、やがて彼女も俺の卑怯な言い回しに気付いたらしい。

「だとしても」

 袋小路に閉ざされないよう、それを踏まえた言葉を放った。


「私は、ジークに幸せになって欲しい。それが私にとって一番の幸福だから、ジークが他の人を好きになって、私が邪魔になったら、すぐに姿を消すつもり」


 そうやって、彼女は三人のヒロイン達と結ばれたジークに背を向け、命を賭してこの世から消えた。短い書き置きを残して、それを読んだジークも寂しさを覚えるものの、彼女が望むのならと見過ごしていた。

 いや、かつてゲームをプレイしていた俺も同じく、彼女の結末に気付かなかった。目の前の幸福を甘受して、それが良い物語だったと満足していたんだ。


「そう遠くない内に、俺はあのジーク=ノートンとやり合うことになるだろう」


 突然変わった話の内容にフロエが首を傾げる。ジークの名が出たこと、その内容の不穏さに警戒と不安が滲み出る。


「俺は必ず奴に勝つ。君の為にも、奴の為にも、それが必要だと思っている」


「規律の為、ですか?」

「奴の幸福を願うなら、俺に敗れた時の怪我をしっかり見てやるんだな」

「ジークは負けません」

「あぁ…………そうだろうな」

「……?」


 自嘲する。

 アリエスルートに入った以上、彼の敗北フラグは望めない。一応手は打つが、望ましい結果は得られないだろう。負傷の無い、万全の彼と戦わなければならないんだ。

 勝つ意志はある。その為の算段をずっと続けていた。


 だがどうしても、あの男が負けるシーンを想像出来なかった。

 一人のプレイヤーとして彼の姿を見続けたからこそ、どんな時でも這い上がって勝利してきた光景ばかりが浮かんでくるんだ。


「よく、わかりません」


 フロエの困惑は最もだ。

 俺は会って間もない男をこれほどに信頼している。本で読む、未来を知る苦悩の多くは、起きる事件を回避しようとし、それを認められないということが多かった。

 どうだろうか。

 勿論それは辛い。だが最も時間遡行者を苦しめるのは、もしかすると相互に重ねあった時間の喪失なのかもしれない。

 まあ俺は、最初から彼らを外から観ていた第三者に過ぎない訳だが。


「君がどう思おうと、俺にとって決して揺るがない望みを教えてやる。それは、君たち二人の幸福だ。その為になら世界の法則にだって逆らってみせよう」


 あまりにも荒唐無稽な内容だからか、いっそ嘘を疑う気も失せていたのかもしれない。

 坂を登り切った所で立ち止まるフロエとすれ違う。肩越しの声がきた。


「どうして、そんなに私たちのことを……」


 決まっている。

 だが話した所でどうにもならない想いだ。

 フロエ=ノル=アイラを幸福に出来るのは、ジーク=ノートンをおいて他にはない。


 語るべきではない言葉を、俺は夜空を見上げて贈る。

 こんな夜にだけ許された秘密の言葉。


「月が綺麗だからな」


   ※  ※  ※


 坂を少し降りた所で、メルトと遭遇した。

 呼吸がかなり荒い。相当な無理をして走り回っていたのかもしれない。今更ながらに連絡も入れなかったことを後悔した。


「すまない、メルト」


「ぁ……」


 伸ばした手に驚いたのか、呆然としていたメルトが後ずさった。

 開いた二人の間に冷たい夜気が満ちていく。フロエとの会話で少なからず消耗していた俺は、咄嗟に何も出来ず彼女を見送った。宙ぶらりんとなった手を、恥じるように引き下げる。


「あっ、もっ、申し訳ありません! 少し呆けていました!」

「そうか……いや、なら改めて言おう。連絡もなく飛び出したまま、すまなかった」

「こちらこそ至らず。本来ならすぐに追い掛けるべきでした。ですが、やはりアリエス様とあの方を二人で放置する訳にもいかず、交代を待ってからでしたので」

「よくやってくれた」


 俺の反応が薄いことに疑問を持ったのだろう。メルトは躊躇うように胸元へ手をやり、少しだけ震えた声を出した。


「お手に……触れてよろしいでしょうか」

「あぁ」


 後ずさったのが嘘のように近寄ってきたメルトは、俺の手を取って両手で包む。

 まるで宝物のように胸元へ寄せ、浅く抱かれた。


「私は……あなたのものです」


 少しだけドキリとする。

 ついさっきフロエに言った言葉が頭の中で蘇った。

 手に篭った僅かな力を受けて、メルトは手を離して一歩下がる。


「どうか、私を用いて下さい」

「……メルト」


 すまない……。

 せめて君が誇れる俺でいよう。


「方針が決まった。明日から忙しくなるが、弱音を吐くことは許さんぞ」

「はい」

「よし。なら俺を支え、共に来い」


「はいっ!」


 



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ