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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第三章(上)

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30

 社交界もお開きとなった深夜の一歩手前。

 ややアルコールの入った俺とクレア嬢は、城の奥まった場所にある一室へ放り込まれていた。


 室内は一言で言って、妖艶だ。

 家具やカーテン、調度品の配色は華やかな色彩ではなく暗めの赤や紫系が多い。蝋燭の灯りも蝋の配合を弄ってあるのか、心なしか暗めに抑えられていた。更には入り口の反対側にある謎の扉について、俺たちは確かめることもなくソファで寛がせてもらっていた。その気はないとはいえ、気不味くなるのは御免だ。


 どちらともなくため息が出た。


 日頃避けている貴族たちとの会話を、今日はもう数年分はやった気がする。正直言って疲れた。


 散々と飲まされたおかげで頭は少しぼうっとしていて、同じように顔を赤らめて力の抜けた表情をするクレア嬢から、俺は意図的に視線を外していた。


 父上たちも無理をする。

 間違いが起きたらどうすんだ。いや、起きて欲しかったんだったか。


 社交界が終わった後も、参加した貴族たちは城内に残っている。なにせ今回は遠方から人を集めてのものだ。数も多いとなれば数日をこの城で過ごしてもらい、それぞれの交流を促す。

 貴族らの自由な交流を認めることはややきな臭さを醸し出すだろうが、見えない所でされるより、懐の内でやってもらった方が制御も効く。


 それにこうして俺とクレア嬢が同衾に近いことをしているのも、多少の噂を残すことになるんだろう。


「……おいしい」


 給仕の者も居ないからと俺が淹れた紅茶を、クレア嬢はそう評した。

 料理はそれなりに好きだ。人に振る舞うのも気持ちがいい。好評ともなれば尚更だ。


「あ、ありがとうございます、ハイリア様」

「久しぶりに淹れたが、悪くないな。領主の用意してくれた茶葉のおかげかな」

 俺が謙遜するような事を言ったからか、クレア嬢は再びカップに口を付け、ほっと熱い吐息を漏らす。

「とてもおいしいです」

「そうか。それは良かった」


 向い合って腰掛けたまま、互いに酒で火照った頭を冷やす。


 社交界の間はずっと一緒に居た訳だが、思い返してみれば彼女と会話をしたのは始まる前だけだ。アリエスが乱入してきてからは三人で、そうではない時も会いに行った貴族らとの会話ばかりだった。


 だが何を話せばいいのか、いざとなったら浮かんでこない。

 結局口を突いて出たのは最近になってアリエスへ聞かせた昔話だった。


「跳ねっ返りの竜巻娘が、随分としおらしくなったな」

「っ……」


 酔っていたからか、ソファの肘掛けで頬杖を付き、皮肉のような言い方をした。だがクレア嬢の反応は困ったようなもので、それが苦笑いに変わっていくのを俺は見た。


「あの時の私は、間違いを間違いだと叫ぶばかりで、実際には何も出来ていませんでした。今でも……出来ているとは思いません。ただ、あの時にはなかった支柱のようなものを手に入れた。それだけだと思います」

 替え玉と入れ替わって、貴族の専横を糾弾して、受けた反発からそのままではいられなくなって、彼女は変わっていった。

 望む結果を獲得するために必要な流れを生み出すこと。

 最初から上手くいった訳じゃないが、元々が貴族らしからぬ固定観念に囚われない彼女は、柔軟な対応をゆっくりとだが身に付けていった。


「余裕……かな」

「余裕?」

「目指すものに対して自分の力が通用すると証明できたら、それだけで足元が確かになってくる。合宿での件も、一年前のことも、そういうことなんだと思う」


 たった一人の例外を除いて。


「力……そうですね。あの時の私は、あまりにも無力でしたから」

 何かを言おうとして思い留まる。

 彼女にとってソレは重い問題なんだ。

 言葉を探していると、先に声が来た。熱のこもった声だった。

「ハイリア様はとても強い。今も、昔も」

「上位能力が使えるというだけだ。合宿での訓練では何度も危ない場面があった。それに――」

 結局あの戦場で俺が出来たのは、死に物狂いで皆の気持ちを繋ぎ止めるだけだった。ピエール神父を相手に勝利することはおろか、抑えることも満足に出来なかったんだから。

 かつてリースとの戦いで自ら口にした、上位能力が使えるだけで強くなったつもりかという言葉を、改めて思い直す。

 そう考えて先を見据えれば、一体どこに到達点があるのかと暗中を行くような気持ちになる。

「力不足か……」


 言ってしまってから、しまった、と息を詰める。


 慎重に息を吐き、身体の力を抜く。

 酒というのは厄介だ。冷静なつもりでいても、どうにもブレーキの効きが悪くなる。自分の願いに皆を巻き込んでおいて、人殺しにまで加担させていながら、今更甘えなんて見せていいものじゃない。


 負傷した者。

 心に傷を負った者。

 普通に生きていれば生涯人殺しなんて咎を背負うこともなかっただろう者も、当然居る。戦争のある時代だから、俺が居た場所とは戦いに対する考えが違うから、そんな言い訳をどれだけ並べても、やはり血を見るのは辛い。


 支柱とクレア嬢は言った。

 決して折れてはいけない支え。


 大丈夫だ。

 ハイリアとしての強さが、俺の心を支えてくれる。


 緊張の解けた目でクレア嬢を見れば、彼女は眠たそうに身体を揺らしながら、なんとか目覚めようと気を入れている所だった。

 聞かれていたのか、聞いていないのか、いまいち判断がつかない。

 まあいいかと思えてしまう酔いの勢いもあったが。


「ハイリア様」

「……なんだ」

「私は、強くなれたのでしょうか……」


 そうだ、と口先だけで励ますことは可能だった。

 だが安易な言葉を、過去の記憶が許さなかった。


「強く、か」


 言葉は重く、意識の底へ沈んでいった。


 そう。

 一年前の今頃だ。


 以前から周囲を動かすだけの発言力を得たいと考えていたクレア嬢が、学園のあるシステムに目を付けた。


   ※  ※  ※


「小隊を作る!」


 夏季長期休暇とあってのんびりと過ごしていた俺とビジットを、炎天下の公園にまで呼び出しての第一声がそれだった。

 彼女は世紀の大発見をした科学者のように壮大な夢を胸に抱き、目を輝かせていたのを覚えている。


 俺は、この暑い季節になぜ長袖を着ているのかと疑問に思いつつ、今度は何を言い出すのかと興味を引かれていた。当時は俺もビジットも小隊に属さず、授業が終わったら暇を持て余してもいたしな。


「所詮、私の身分なんて先祖から受け継いだだけのものだ。そんな人間がなにを吠えた所で、人からの信用は得られない」

 そんなことをこの何ヶ月かで学んだクレア嬢は、なるほど別の権威を手に入れようとしているらしかった。

「私の結成した小隊が学園内で最も高い地位につけば、その言葉の重みも増すだろう。勿論昔のように力で押さえつけようというんじゃない。でも個人でなにも成し遂げていない者の言葉より、成し遂げた者の言葉の方がずっと重いはずだ」

「そうか。じゃあ頑張れ」

 呆気無く見切りをつけようとしたビジットの腕を掴み、しかしやや慌てて袖を掴み直す箱入り貴族様。

「待ってくれっ。その……そんな簡単な話じゃないのは分かっているんだ。それでも挑戦したい。頼れるのはお前たちしか居ないんだ」


 簡単とか難しいとか以前に、目の前の二人がまさしく学園でも筆頭の術者だったんだが、生憎と不勉強な彼女はそのことを知らなかった。


「人数はどうするんだ?」

 とりあえずその話は伏せたまま、現実的な問題を口にした。

 小隊の最少人数は四人。俺たちを合わせても三人だ。一人足りない。

「今から見つける」

「帰るぞ、ハイちゃん」

「ビジット!」


「……アンタは自分の作った小隊が地位を上げることで、自分の発言力を得たいんだろ? 生憎と俺は、もう誰かに利用されて生きるのは御免なんだよ」


 利用、という言葉に絶句する彼女を置いて、ビジットは立ち去った。途中ついて来ない俺に目を向けたが、何も言わず休日の雑踏に姿を消した。


「利用、か」


 考えもしなかったんだろう。

 人を使うことがあたりまえの世界に生きてきて、それがほんの少し違った方法を覚えたからといって、根本的な所が変わるにはまだまだ時間が足りない。違う言葉に置き換えるほどの器用さもなくて、放たれた以上の鋭さを帯びて突き刺さる。

 消沈して肩を落とす彼女を見て、俺は歩き始めた。

「ぁ……」

 反射的に手が伸びて、しかし何も掴むこと無く止まり、胸元へ寄せられた。

 俺はそんな彼女の頭をポンと叩き、すれ違いざまに言った。


「一人が二人に増えただけだ。まずは学園へ行って、申請方法だけでも確認しておこう」

 後に彼女から聞かされたが、この時の俺の言葉に、随分と救われたらしい。

「ああっ。よし! それなら早速学園へ行こう!」


 だが何の事はない。俺も、彼女を利用していたんだから。


   ※  ※  ※


 意気揚々と学園へ乗り込み、事務棟へ出向いた俺たちだったが、事はそう簡単にはいかなかった。

 メガネを掛けた事務員は、休日に押しかけてきた俺たちを鬱陶しがるでもなく、淡々と理由を告げた。


「上限……?」

「そう。訓練室の数には限りがあるし、あまり派閥を増やされても管理し切れないって理由で、小隊数は五十で制限されてるの。総合実技訓練の会場だって、一度使えば整備があるし、あまりに多いと一度も使えないまま一年が終わる小隊も出てきてしまう。だから今、新しい小隊の結成は承認出来ないの」

「そ、そこをなんとかっ」

「出来たら規則なんて設けられてないの。第一、申請をしてるのは君たちだけじゃないの。空くまで待ってね」


 そう途方に暮れた目を向けられても困る。

 昨日は朝までビジットに付き合って寝ていなかった俺は、そういうことなら仕方ない、と手早く話を纏めようとするのを堪えて言った。


「たしか、既存の小隊も成績が振るわなければ解散させられるんだったな」

「本当かっ!?」

「そうだね」

 あっさりと俺の言葉を肯定する事務員にクレア嬢は憤りを見せた。が、それを相手にぶつけるようなことせず、小さく吐息することで落ち着きを取り戻す。


「こういうことも、自力で調べる必要があるんだな」

「総合、という名前が付けられているように、小隊間の戦いは正面切って戦い合うものだけじゃない。会場の状態一つでも、自力で情報を収集する力が求められる。戦場で先生が教えてくれなかったから出来なかったーなんて言われても、相手は見逃しちゃくれないしね」

「では、その言葉は言い過ぎなのでは?」

「はは。実は新しい小隊を作ろうって人は珍しくて、つい喋り過ぎちゃったよ」

「そうなのか?」

 問えば、メガネの事務員は人好きのする笑みを見せ、頷いた。


「新しく何かを作るのは大変だ。既存の小隊には、もう先輩たちの作った構造がある。その先輩たちも、ずっと昔に作られたものを受け継いでるだけなんだけどね。学園が出来た頃には意欲的な生徒が大勢居たけど、最近じゃ順位を維持する為に八百長まで始めちゃうんだから、僕としては退屈気味かな」


 また喋り過ぎちゃった、とおどけて言う事務員は近くにある棚から書類を取り出すと、クレア嬢へ手渡した。


「申請書だけ渡しとくよ。それと近く行われる総合実技訓練の日取りだ。小隊解散の危機にあるのはそれ、そこの……四十七番隊だね。下位三小隊は他との訓練日が決まってるから、上位と戦うしか無い。次に負ければ解散。それで枠が一つ空くんだけど――」


 横合いから伸びた手が、クレア嬢の手にしていた申請書を奪い取った。


「――その枠は俺たちが貰うぜ?」

「お前はっ!?」


「おー、誰かと思えばいつかの貴族女じゃねえか。残念だったな、新しく出来るのはこの俺、ヨハン=クロスハイト様の小隊だ――ぶっ!?」


 角材によって吹き飛んだ少年の背後、宙を舞った申請書を掴みとった少女が、やや慌てながら言う。

「ごめんなさいっ! ヨハン君、ちょっと手癖が悪くって……盗みは駄目だって言ってるのにすぐ手が出ちゃうみたいなのっ!」

「おいクソアンナ……今回ばかりはお前の勘違いだどうしてくれる」

「えっ? そんなヨハン君が悪事を働かず貴族の人と会話するなんて!?」

「待て、勘違いだ。お前がどう思っているかは知らねえが、俺にとって金持ちから財布をスるのは挨拶みたいなもんだっ」

 容赦なく角材が投げつけられ、目を回して倒れた少年の懐から二つの財布を取り出した少女は、あたふたと涙目になりながら再び頭を下げた。一つは俺のものだった。いつの間に……。

「お金は返しますから許してください! ど、どうしても駄目だというなら私が……!」


 ふむ、その言葉の続きについて、今なら詳しく聞いてみたいと思えるものだが、生憎と当時は、ある意味で相変わらずな二人にペースを持って行かれ、俺もクレア嬢も混乱していた。


「はは、その子たちだよ。さっき言ってた、君たちの他に新しく小隊を作りたがっているっていうのは」


 事務員の言葉に納得を得る。

 なるほど、一つの枠に対して希望者が二組。

 見た所、彼らも人材には恵まれていないようだったが、だからといって仲良くやりましょうとはならないもので。


 むくりと起き上がったヨハンが、挑戦的な目でクレア嬢を見た。

「つまり、勝った方が小隊を作る。負けた奴は全裸で学園内を一周って訳――」

「とりあえずは屈め。後ろで連れが角材振りかぶってるぞ」

「のわあっ!? っぶねえな!?」

「女の子に対してえっちな要求しないのっ!」

「あのなあ! お前は気軽に俺をぼこぼこにするけど、意外と痛いんだぞソレ!」

 意外とかそんな範疇に収まらない気がするんだが。

「それはその……ごめんね?」

「しょ、しょうがねえな……」

 許すのか。


「っふ、いいだろう……勝った方が新たな小隊を作る。実に分かりやすくていい」


 そして彼女も結構テンションで行動するから話が散らかる。

 眠くて早く話を纏めたかったのもあった俺は、もう成り行きに任せることにして事務所の受付口に背を預けた。そこにはあの事務員が居て、

「ようやく、何かを見つけたのかな?」

「……分かりきった授業を繰り返しているよりは、期待が持てる」

「その先に何かを見つけられるのであれば、君を呼んだ甲斐があったというものだね?」

「口出しが多いと思ったらそれが理由か」

 吐き捨てるように言ったハイリアに対して、事務員はあくまでも人好きのする笑顔のまま返した。

「その気になったらいつでも来るといい。なに、それが与えられたものであるか、獲得したものであるかを決めるのは、君を置いて他にない」

「興味が無いと言った筈だ」

「今はまだ、ね。だけど君を脅かす相手はいずれ現れる。僕としてはそうなってからでも、全然構わないんだ」


「行くぞハイリア!」


 会話はクレア嬢の呼びかけで打ち切られた。

 こちらを信用して止まない少女の目に、胸の内で小さな罪悪感が浮かぶ。逸らすようにして事務員を見れば、彼は会話など無かったかのように手元の書類に目を落とし、仕事を始めていた。


「話は纏まった。来週の放課後までに小隊の人員を集め、奴らと戦う。勝った方が負けた方に吸収され、雑用としてこき使われるらしい」

 それを語ったクレア嬢は、自分が負けるなどこれっぽっちも考えていないような口ぶりで、当時のハイリアは自分の中の気持ちを誤魔化すように皮肉を口にした。

「即席の小隊か。なら全てを決めるのは隊長の実力次第だ。腕に覚えはあるんだろうな?」

「そっちこそどうなんだ? そういえば魔術について話したことはなかったな」

「ん? そうか。俺は……」

 少し考えた後、

「『槍』(インパクトランス)の魔術が使える。だが言っておくと、めちゃくちゃ弱いぞ」

 咄嗟に嘘をついて、彼女の落胆する顔を思い浮かべた。

 だが、それは予想に反して安堵のようなもので。


「そうか……それは、その……良かったというか」

「待て、お前の属性と成績は」

「『剣』(ブランディッシュソード)だ。うん」

「成績は」

「それがだな。私はつい最近まで実家暮らしで……その、走ることも禁止されていてだな……」

「成績は」

「だから今後の成長が期待されるという話で! なんだ……お、お前だって弱いんだろ? これから一週間でみっちり鍛えて、奴らを見返してやろうじゃないか! ははははは!」

「……」

「ぁー……」


 最早言葉もなく見つめるだけとなった俺に、クレア嬢は耳まで赤くして覚悟の息を吸った。


「さ、最下位だ! 実技の授業では一度も勝ったことが……ないん…………です……」


 それで何故彼女が小隊を結成し、勝っていけるなんて思ったのかは知らないが、おかげで問題が二つに増えた。

 一つは一週間の間に後二人の戦力を確保すること。

 一つは学園祭弱の剣士を、最低限戦えるという所にまで鍛えなければならないということ。


「ハイリアっ、その……たす…………」

 言いかけて踏み止まった理由は、まあ色々あっただろう。

 自分で言い出したことでもあるし、俺自身も弱いんだと告げてもいた。なにより彼女は小隊長を名乗ろうとしている人間だ。

 まず言うべきことは別にある。

「違うな」

 今思えば、その強がりが全てを繋いだんだろう。

「ついてこい。私がお前も一緒に引き上げてやる」


「期待している、小隊長」


 そうして、俺とクレア嬢の小隊員探しが始まった。


   ※  ※  ※


 抱え上げた身体をそっと寝台へ横たえる。

 予め捲っておいた布団を掛け、皺を伸ばしてから彼女を見る。


 クレア=ウィンホールド。


 かつて自らの手で小隊を結成し、その力を証明することによって認められていこうとした彼女は、今やハイリア=ロード=ウィンダーベルの片腕として世界の片隅に身を置いている。


 彼女は未だ眠ったまま。

 その口は理想を語ることもなく、更なる上昇を夢見るのでもなく、ただハイリアへの忠誠を示すばかり。


 眠るには邪魔だろうと外しておいた首飾りを、寝台脇の小棚に乗せる。獅子を象った紋章はウィンホールド家のものだ。

 篭った声が聞こえて目を向けると、布団を抱えるようにして寝返りうつクレア嬢の姿があった。そこに普段周囲の者へ見せている凛々しさはなく、歳相応の少女らしい寝顔が、大きな枕に沈んでいた。


 しばらくじっとその様子を見ていた俺は、やがて小さな吐息を置いて部屋を出た。


 通路を少し行くと警備の者が立っていた。

 扉前に居なかったのは、そういう気遣いの類か。

 護衛についてこようとした数名をそのまま扉前の警備に当たらせ、俺は蝋燭の火を貰って城内を進んだ。そこかしこに人の気配があるのは、それなりに交流が進んでいる証拠だろう。

 そこから大して歩いてもいない場所に俺の部屋がある。

 ここ数日は場の準備なんかも含めて滞在していたから、他の部屋に居るよりずっと気が抜ける。

 ただ、今日ばかりはそうもいかなかった。


 近くの警備に人払いを頼み、俺は無駄に分厚い扉を開けた。

 部屋は明るく、幾つかの人影がある。


 一つは俺の姿を見て即座に立ち上がり、一つは大きな窓から夜空を眺めたまま反応はなく、一つはソファで横になったまま片手を挙げる。

 三人か、と挨拶もなく部屋へ踏み入ると、入り口脇に隠れていたもう一人が飛び付いてきた。


「おかえりなさいませ、お兄様っ」

 酔いのせいか少しだけ頭がくらりときたが、その声を聞いてハッとした。

「アリエスっ? っ、ジーク=ノートン」

 抗議の声を向けるも、枯れ草髪の少年は身を起こして両手を合わせるだけだった。パーティへ参加するにあたって、アリエスに無理矢理着せられたのだろう衣装も、今やすっかり着崩している。

 彼は軽業師のように軽く勢いを付けてのけぞると、そのままソファを手で押して宙返り、今度は片手で拝み手を向けてきた。

「悪い、出てくる時に見つかった」

「お前なぁ」


「私に隠れて内緒話なんてさせません。私もお兄様の力になります」

「一応、止めたのですが、騒ぎを大きくすると脅されてしまって……すみません、ハイリア様」

「ドジ踏んだのは俺だ、リースが謝ることじゃない」

「しかし」

「本当だ。もっと俺に謝れ、ジーク=ノートン」

「なんか腹立つなその言い方……」

「大体なんだ。ハイリア様に向かってその口の効き方は。敬語を使えと言ってるだろう」

「帽子とってんだからいいじゃねえかよぉっ? 敬語ってあれだろ、敬意持ってればいいんだろ? 持ってる持ってる、な?」

「斬首刑ね」

「五寸刻みでもいいな」

「怖えよハイリア信者!? あーいや、片方はブラコンだった」

「いいえ、愛です」

「愛かぁ……」


「で」


 と、俺が入ってきてから初めて発言する少女の声に、その場の誰もが口を噤んで注目した。

 窓から振り返って蝋燭の灯りに浮かび上がる、人形のように無表情な少女。

 病的なまでに白い肌と、そこに輪をかけて白い髪。眠たそうにも見える瞳は夜闇のようで、その奥底を見通せない。背丈はこの中で最も小さいだろう。俺と並べば胸元に頭が届くかどうかという所。

 それでも彼女を幼い少女と言い切れないのは、やはり纏う雰囲気か。大人びているというのともまた違う。教会で見る聖女像のような、独特の神聖さ。


 ティア=ヴィクトール。


 ゲーム『幻影緋弾のカウボーイ』において二番目の攻略相手となるヒロインキャラの一人で、作中では数少ないイレギュラー能力者だった。

 『魔郷』。その呼び名はイントリーガーという。


「ラ・ヴォールの焔について、なにか話があるって聞いた」


 何の前置きもなく叩きつけられた言葉に、アリエスを除いた全員に緊張が走る。予め話を聞いていたんだろうリースもまた、注意深くジークの様子を見守っていた。


 ラ・ヴォールの焔。

 かつて俺が出会ったばかりのメルトに対し、その協力を取り付ける交換条件として名前を挙げたもの。フーリア人らが血眼になって在り処を探しているものでもあり、またジークにとっても決して無視出来ないものだ。


 俺はただティアを見返すばかりで、疑問符を浮かべるアリエスがこちらの腕を抱いたまま、明日の天気を尋ねるような気軽さで質問した。


「ラ・ヴォールって、なんのこと?」


 知らない者にとってはごくごく当たり前の問いかけに対し、ティアは表情も変えないまま、しかしどこか神聖な雰囲気を霧散させて言い放つ。


「黙れ、乳女」


 そうして、俺にとってはいつもの言い合いが始まった。




 

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