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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第三章(上)
34/261

29

くり子視点回です。

ブラコンがやかしてシスコンがやらかす話です。


   クリスティーナ=フロウシア


 小高い丘の上に建つ石造りのお城。

 古くはこの地方を収めていたという国の首都としても栄えたその地は、今やその名残を僅かに残すばかりで、城下の住民はすっかり農作業や酪農に従事する農耕民が大半を占めるようになっているんだとか。

 その王族も今や途絶え、かつての重臣だった一族が従属する形で領主に据えられて今に至る。


 そんな背景を持つ場所が今、国の大貴族ウィンダーベル家とウィンホールド家の主催する社交界の会場として、往年の絢爛さを復活させていました。


 相当な年月を掛けて作られただろう城壁は高く、腕の良い『剣』の術者でも登り切るのは難しいだろう事が分かります。『槍』で城壁ごと崩してしまうのが最も効果的に思えるけど、『盾』の頭上を行く高さから『弓』で攻撃されることを考えれば、接近は容易いものじゃないでしょう。

 今日の為に増員された警備は壁の至る所で目を光らせ、遠方から集まってきた貴族たちを守るべく役目を全うしていました。


 内部からの手引きによって、緊急で運び込まれた資材に紛れて潜入した私たちは、意図的に作られた警備の死角となる中庭の片隅で、じっとその時を待っていました。


 しかし……お城かぁ……。


 びっくりです。

 私の人生の中で、こんな格式高い場所に足を踏み入れるなんて思いもよりませんでした。まあ、ハイリア様のお屋敷も十分現実離れしてましたけど、それだって街中の大豪邸というのが精一杯。

 ここのように、その建物が中心となる前提で作られてはいなかった。


 そんなお城で開かれているハイリア様とクレアさんのお見合い……。


 表向きは貴族同士のちょっとした社交界ということになっていますが、主催がハイリア様のご実家とクレアさんのご実家の連名で、年若い両家の子ども二人が揃って参加者へ挨拶をして回っていれば、ほとんどそういうことと受け止められてもおかしくないです。

 聞く所によれば、既にそれらしい噂を集まる貴族たちへ流しているんだとか。


 漏れ聞こえる演奏は二人を祝福するようで、睦言を囁き合うような甘い響きがあった。気の早い、あるいは手の早い何組かが会場を出てくる度、暗闇に潜む私たちの誰かが唾棄するような吐息を漏らす。


 目標への最短の道は正面入口だけど、そこは五十を超える衛兵と、同じく五十の予備戦力が守りを固めているという情報が入っている。別の詰め所からの増援を考慮すればその数倍でしょう。練度で劣る上に地の利はあちらにある。後のことも考えれば正面突破は不可能です。

 鳥肌が立つほど気味の悪い言葉を並べて草むらへ飛び込んできた男女を、音もなく伸びた草木が包み込んで無力化した頃、不意に勝手口の扉が開け放たれた。


 下働きの者が出入りする為の、景観を壊さない程度に整えられた粗末な場に、あまりにも不釣り合いな姿をした少女が立つ。


「みんな、待たせたわね」


 アリエス様だ。

 私たちを城内へ招き入れた後、最後の仕上げと行動を別にしていた彼女が戻ってきた。お色直しを理由に会場から出てきていたからか、さっきとはまた違うドレスを着ている。

 どんなものを着ても似合うというか、まるで華やかな衣装を屈服させるようにして侍らせるアリエス様を見て、イモくさい自分の姿にため息が出る。

「ふふっ」

 そんな彼女が、月下の夜で怪しく笑った。


 古くから堅牢に守られた城が崩壊するというのは、内通者や裏切り者による働きが大きいという。


「この私が……たとえ見せかけとはいえ、お兄様のお見合いなど認める筈がないじゃない……!」


 女の嫉妬は時に国を滅ぼす。

 今日この場に集った三小隊の総員は、その意味を深く噛み締めた。


   ※  ※  ※


 百人以上もの集団が城内に侵入したとあっては、当然ながら警備が動く。

 けれどその殆どは役目を果たすこと無く無力化されました。

 なにせ先頭に立っているのが彼らの雇い主の娘たるアリエス様だから。その肌に一筋でも傷を付ければ、ウィンダーベル家の当主と嫡男からなにをされるのか分かったものじゃないです、本当に。

 日頃から兄バカぶりと親バカぶりを見ているらしい、より高位の者ほど呆気無く両手を上げた。


 また彼女の手引きで今日の下働きとして雇われていた小隊の者たちが後方で撹乱を始め、警備の主力を見当違いの方向へ誘導、あるいは行動を妨害した。その警備の中にも入り込んだ者がおり、私たちと接触した際は失敗を演じて隙を作り出した。


 この日城内で働いているのは、一応は主催する両家によって徹底した身元調査が成された者か、あるいは領主の信頼厚い代々支えてきた者ばかり。だが後者はともかく前者は、一度調査が終わってしまえば、後はもう下の者に任せきりとなる。

 アリエス様が権力や信頼にかこつけて人員を入れ替えたとして、貴族の中に下女や雑用の下っ端を記憶している者は稀だ。それを把握している中間職の者は、当然ながらアリエス様の言には逆らえない。


 信頼するしない以前の相手でもあるし、融通の効かない相手には、本気で猫かぶりして聖女のように慈悲深い笑みを湛えたアリエス様が、

『彼らは身分を理由に働き口を失った私の友人です。今後すべての面倒を見ることは出来ませんが、せめて明日のパンとミルクを買えるだけの労働の場を与えてあげたいのです。お父様たちに知られては断られるかもしれません。ですが騎士様……アナタにだけは縋ることをお許し下さい』

 みたいな事を言って涙の一つも見せれば、瞬く間に内通者の完成です。

 おぉ女神よ、なんて言われたらしいアリエス様は今、悪魔のように邪悪な笑みで警備を蹴散らしています。


 先頭を行くアリエス様。

 そしてその左右を固めるのは、ハイリア様率いる私たち一番隊でクレアさんに次ぐ『剣』の術者とされるヨハン先輩と、ジークさん率いる小隊の副隊長を務めるリースさん。


 女神の豹変にこの世の終わりを見たのか、聖言を唱えて祈る騎士を容赦なくアリエス様が吹き飛ばし、うろたえる後続にはヨハン先輩が悪人顔で麻痺毒入りの煙玉を投げつけ、それでも立ち直った勇敢な騎士を相手にうっきうきな様子のリースさんが『旗剣』の連続破砕を叩きつけています。


 地獄絵図、極まれり。

  

 私たち後方戦力も、予め調べ上げられた戦力配置図と城内の地図(すべてアリエス様が騎士たちからかっぱらってきた)を参考に迎撃と妨害工作を繰り返し、先頭三人にやられた哀れな人たちに黙礼を捧げながら追従します。

 負傷やこの日の準備を理由に不在がちだったハイリア様の目を盗み、アリエス様によって徹底した訓練を積んだ私たちの動きは、欲目を抜いても洗練されていたと思います。

 なにより相手の情報がほぼ知れているというのが大きいです。

 それを前提に解析を進めていましたし、当日の変化も直接内部を見てきた人が先導する訳ですから、これほど楽なものはありません。


 やがて、一切の脱落者を出すこと無く私たちは目的地に辿り着きました。


 ここへ来てまだ内部から音楽が聞こえるということは、入り込んだアンナ先輩を始め、裏工作組が完璧に仕事をした結果でしょう。その裏工作組とも合流を果たした後、私たちは作戦の成功を確信しました。


 誰ともなく、一斉に纏っていた黒のローブを脱ぎ捨てます。

 その下には、この日の為に用意された綺羅びやかな衣装が。


 乱れた呼吸を整え、隣に立つ者たちとで身なりを確認し合い、それぞれの視線が自然とアリエス様へ向けられました。

 彼女は得意気に笑って髪を払うと、何の気負いもなく大扉を開け放った。


 金色の音楽は唐突に打ち切られました。


 ですがそれも僅かな間だけ。

 私たちを会場の外に置いてまず乗り込んだアリエス様は、予め懐柔していたオーケストラの方々に合図を送ります。彼らの一部は楽器を持ち替え、今までの華やかな演奏から打って変わって、まるで突撃する兵隊を駆り立てるような雄々しい音色を奏で始めました。


 実はコレ、私の考えた策なんですよね~。この作戦の肝は場を支配することにあると思うんです。だからこそ会場を満たす音楽の操作は出来た方がいい。

 効果は絶大でした。

 なにせ予定外の事態にも関わらず、音楽が継続したことで、コレを通常通りのものとして印象付けられたんですから。謎の集団に対する怯えも警戒も、音楽が拭い去ってくれました。


 痛快な気持ちで眺めた入り口の向こう、会場でも一段上がった特別席にハイリア様の姿があって、その驚いた表情に「やった!」という気持ちが生まれた。


 実家の意向を考えれば、正面から馬鹿正直に頼んでも決して中には入れなかったでしょう。だからこうして社交界そのものを中断させることなく潜入しなければならなかった。

 アリエス様という最強の一手を所持していたとはいえ、それがどれほど困難であるか、彼にはよくわかったことでしょう。


 ハイリア様抜きで、彼が驚くほどのことをやってのけた。

 実際、半数以上の参加者がそれを目的としていました。やってみせて、認められたいという気持ちは私にも強くあります。


 明らかに雰囲気の変わった場内で、アリエス様が悠々と歩み出て一礼する。

 貴族の儀礼なんかには疎い私でもはっきりと分かる、完璧な礼だった。


 顔を上げた後、人々の意識が自分に集中するまでの時間を待って、アリエス様は言葉を紡ぐ。


「お集まりの皆様。本日は誠に勝手ながら、私の友人を紹介したくお時間をいただきました。この集まりにも関係のある、私の大切な友人たちです」


 それと同時に、誰かが、まるで敵陣へ切り込むように会場へ躍り出た。

 一人が行けばまた一人。瞬く間に百名余りの年若い男女がアリエス様の背後に侍りました。音楽に影響されたのは会場に居た人たちだけではなかったんでしょう。


 勢い任せの行動とはいえ、私たちは日頃から厳しい訓練を積んだ仲間です。

 整然と並んだ私たちを見た貴族の皆様方の反応は、困惑というよりも感心。後になって聞いた話ですけど、最初から参加していたアリエス様が、挨拶がてら参加者へ仄めかしていたらしいです。

 そういうのもあって、この事態に慌てたのは主催である両家の親たち。

 あっ、ハイリア様のお父さん初めて見たっ。凛々しさや立ち姿には面影があるけど、どちらかといえばアリエス様の方が似ている。そういえば前に娘は父に、息子は母に似ると聞いたことがあった。でもお母さんの姿が見えないなぁ?


 私がどうでもいいことばかり考えている間に簡単な説明を終えたアリエス様が、最後にこう言って締め括った。


「彼らの半数は爵位もない平民です。ですが、謂れ無き罪を着せられた女性を、それが例え奴隷階級であるフーリア人であったとしても、あの恐るべき虐殺神父の元から救い出した。その気高き心に、アリエス=フィン=ウィンダーベルの名を以って敬意を表します」


 厳かに締められた挨拶に沈黙が降りる。

 気が付けばオーケストラの奏でる音楽は止んでいて、私は緊張に息を呑んだ。いかにアリエス様自らの紹介とはいえ、彼らにとっては招かれざる客人だ。主催側からすれば顔に泥を塗られたも同然だ。

 どころか私みたいな平民を嫌う貴族だって居るかもしれない。そういう人を多く見てきただけに、この静けさの後に罵声が飛んでくるんじゃないかと、私は密かに怯えていた。


 そんな中、人混みの中から一人の女性が歩み出た。

 私たちとそう年齢が変わらないように見えるその人は、胸に手を当てて一礼した。


「敬意を」


 それが切っ掛けとなったのか、また誰かが歩み出て礼をする。それが終わればまた誰かが。私たちとは違う世界に生きているような人たちが、そんなことはないよと言うように距離を埋めてきた。


「あぁ、素晴らしいっ」

「勇敢なる少年少女たちに栄えある未来をっ」


「それでは皆様、今一時のご歓談をお楽しみ下さい」


 アリエス様の放ったその一言を合図として、再び音楽が紡がれる。でもさっきまでの雄々しい曲や、綺羅びやかな曲とはすこし違う。親しい人たちとあたたかな時を過ごすような、お祭りみたいな演奏だ。


 歩み寄ってきた彼らへ、私たちの中から誰かが進み出た。

 ヨハン先輩だ。それからおっかなびっくりアンナ先輩が、それを支えるようにセレーネ先輩、オフィーリア先輩が続く。あの四人組の中で唯一貴族のオフィーリア先輩に誰かが気付き、声を掛けた。

 そこからは、あっという間に貴族や平民の交じり合うお祭りとなった。


「本当は救いだしたフィオーラや、その妹のメルトも連れて来たかったんだけど」


 ふと声に振り向くと、アリエス様が思案顔で立っていた。


「反イルベール教団の集まりとはいえ、未だに戦争状態にあるフーリア人を同席させるのは難しかったの。教団の専横は許せなくても、フーリア人を同列と見做している者は少ないわね」

 おそらく挨拶をして回りながら探りを入れたのだろうアリエス様は、そっとため息をついて、私の両肩に手を置いた。

 ハイリア様の部下として、既にアリエス様には認知されているけど、ここまで気安く触れられたのは初めてだった。思わず驚いていると、私より少しだけ高い位置にある頬が膨れた。

「なによ……私が率先して平民と関わらなきゃ、何のための身勝手だったんだなんて言われてしまうじゃない……」

「お見事でしたよ、アリエス様。これでもうこの社交界の意味が書き換わりました。どれだけハイリア様とクレアさんの仲を示しても、戦友としての関係が強調されますからね」

 言うとアリエス様は得意気に笑い、肩に置いていた両手を回してきた。

「わぁっ!?」

「ふふっ、メルトは落ち着きすぎていてあまり隙を見せないけど、アナタはいいわ。妹が出来たみたい」

「妹です、かっ……とと!?」

 アリエス様は身を任せているとますます強くくっついてくる。

 大きな人形へそうするように、放っておくと手足を動かして遊ばれそうな勢いだった。


「私、人と触れ合うのが好きなの。小さな頃はお父様もお母様も、忙しくて家には居なかったもの」

「ハ、ハイリア様はご一緒だったのではっ?」

「お兄様はウィンダーベル家の嫡男よ? 小さな頃からお父様にくっついて仕事を学んでいたわ。私だけ大きな宮殿の中で、お母様の作ってくれた人形を遊び相手にしていたから。それでも時折、抜け出してきたお兄様が遊んでくれていたわね」

 それで私を人形のように。

 多少の困惑はありましたけど、アリエス様から仲良くしようとしているのが嬉しかったので、しばらく私はされるがままに身を任せました。

 すると、なぜか胸元へ手が。


「…………あの、アリエス様?」


「以前から思ってたけど、意外とあるわね」

「あのすみません、私そっちの趣味はちょっと」

「勘違いしないで。ちょっとした確認よ」

「すみません、男性の方々からの視線が集まってるように感じられるんですけど」

「安心なさい。醜態を晒しているのアナタであって私ではないわ」

「大問題じゃないですかっ!?」

「ああん、もぅ暴れないのっ」

「お人形さんがお友達だったからって、人間のお友達をお人形さんにするのはいけないと思うんですー」

「何よ人を寂しい人間みたいにっ!」

「ああああ掴んでる掴んでる掴んでますアリエス様っ! 私アリエス様のお人形じゃないんですぅー」

「私の全てはお兄様のもの、お兄様の全ても私のものよ! つまりアナタは私のものでもあるのっ!」

「めちゃくちゃですー!」

「……つまりアナタはお兄様のものと? 許せない……っ」

「かっ、かか、勝手に変な解釈しないでくださいよぉー!」

 私はハイリア様のものですって!? そんな恥ずかしいこと面と向かって言える人居る訳ないじゃないですか!?

 悶死します! 悶死しますよ私!?


 しばらく二人でわーきゃーとやっていたら、唐突に手刀が落ちてきた。


「うげっ」

「きゃっ」


 見せ付けられる女の子らしさを尻目に顔を上げると、呆れ顔のハイリア様がそこに居た。


「何をやってるんだお前たちは」


「だって……」

 言い訳にもなっていないアリエス様の膨れっ面にハイリア様の表情が緩む。これだけで許してしまうんですから、甘さも極まれりですよね。

 しかし、そのハイリア様の後ろにクレアさんが立っているのを見て、アリエス様の機嫌はこの上なく悪くなった。要するにもっと膨れた。


 そしてかくいう私は、アリエス様の気が逸れたのを見て腕から抜け出し、クレアさんの元へ駆け寄った。

「クレアさんっ、お久しぶりです!」

 思わず嬉しさで行動して、遅れてやってきた後悔に足を止めた。

「ぁ……」

 その頭に、ポンと手が置かれて顔を上げる。


「私の気持ちは以前に話した通りだ。こんな形というのも望んでいない。よくやってくれたな、クリス」

 それで罪悪感が消えるかと言われればそうではなくて、

「ごめんなさい。クレアさんの邪魔をしました」

 下げた頭をまたポンとされる。


「しかし私が先んじていることには変わりないな。どうする?」

 敢えて憎まれ口で返してくれるクレアさんは、とても大人びて見える。黒のドレスはそんな彼女の魅力をとても引き出していて、私はそれに見惚れるようにして言いました。


「…………とりあえずアリエス様が怖いのでこの話は後日また」

「そうしよう……」


 悪魔を通り越して魔王に成りかけていたアリエス様に、私たちは真剣な表情で頷きあった。


 それにしてもクレアさんは綺麗だった。

 黒いドレス姿を見ていると、普段あれだけ親しく話しているこの人が、本当に貴族なんだと思い知らされる。

 アリエス様を華やかさの代表とするなら、クレアさんは大人っぽさの代表だ。

 こう、女性の中で憧れを集めるカッコイイ女の人、という感じ。元々短かった髪を結い上げているから、一層大人っぽい。


「元気にしていたか?」


 このちょっと固い口調もまたいい。頼れるお姉さんという感じがする。

「はいっ、怪我をして訓練には参加出来ない人も居ますが、戦いに参加した全員が生き残りましたっ」

「大まかな状況はハイリア様から伺った。だが、こうして直接見るとほっとする」


 そう言って私の頭を撫でるクレアさんは、本当に力の抜けた表情をしていた。私も、一年の最初からいろんなことを教えてくれたクレアさんとまた会えて良かったです。なにせ、


「クレアさんこそ、全く連絡が取れないって聞いて皆慌ててましたよ?」

「すまない。家を飛び出したきり、二年も戻っていなかったからな。父と色々なことを話したり、母に泣かれてしまったりと、中々逃げ出せなかった」

「話したいことが一杯あるんですっ、ちょっとだけ聞いて貰ってもいいですか?」

「構わない。ただ、ウィンダーベル家のご当主から、二人で挨拶をして回るように言われているから、少しだけな」


 ではですね、と言いかけた私の身体が誰かに引っ張られた。


「わあっ、とと」

「あらウィンホールド家のご令嬢。話なら私が聞きますから、どうぞ他の方々へ挨拶でもしてきて下さいな」

 アリエス様だ。

 敵意むき出しな彼女に対して、クレアさんの対応は至って大人だった。

「お久しぶりです、アリエス様。挨拶はハイリア様と回るように言われていますので、彼の話が終わるまではここに居ます」

 見れば、ハイリア様は近くに居たらしいヨハン先輩と笑いながら何かを話していた。いつもアンナ先輩たちと一緒にいる印象が強いけど、私が入るまではクレアさんに次ぐ『剣』の使い手として、総合実技訓練にも一緒に出ることもあったヨハン先輩だ。男同士というのもあって、私たちとはまた違った信頼関係があるように見えた。


「あらそう。それなら仕方ないわね」

 と、意外な反応に驚いていたら、ここでまたアリエス様が私を腕に抱いてきた。肩に頬を乗せ、クレアさんへ何かを見せつけるように……なるほど。

「アリエス様、その花は?」

 気付きようもないクレアさんに変わって、私はしぶしぶ尋ねることにした。

 この会場へ入った時には無かった、アリエス様の髪に飾られた生花について。


「あぁ、これのこと?」


 あらそんな事に気付いたの? なんて軽く扱うように言ってみせるアリエス様。でも自慢したいって顔に書いてます。


「お兄様がわざわざ私の為に持ってきて下さったの。今日の準備にはお兄様も関わっていたから、会場に飾る一輪を私にと特別に」

 私の為に、と、特別に、を大いに強調して語るアリエス様に私は苦笑い。

 多分、ハイリア様とクレアさんで回るように言ったのは、この集まりの趣旨が変わってしまったことに対するせめてもの抵抗だ。こうして従っている以上、ハイリア様もある程度は両家の繋がりを見せたいんだと思う。あるいは私たちの行動にたいする咎めを軽減するべくの行動か。

 得意顔をするアリエス様には悪いけど、たぶんそれハイリア様の懐柔策です。


 いや……日頃の行動を思えば、本気で用意していた可能性も否定出来ないんですけどね。


 そんなこんなで二人での挨拶には納得したらしいアリエス様は、ハイリア様から貰った花を見せびらかすべくどこかへ歩いて行った。私の話聞いてくれるって言ったのにー。


「ん、アリエスは……」

 入れ替わるようにハイリア様が戻ってきた。

 日頃から綺麗な身なりのハイリア様だけど、今日は社交界というのもあって髪を軽く撫で付けているから、少し雰囲気が違う。どきどき。


「アリエス様は一人で挨拶に行かれたようですよ」

「なにっ、いかんな。アリエスのように美しい少女が一人で歩いていては、よからぬ事を考える者が出るかもしれん。いや、出るっ」

 あのハイリア様、これって親交を深める集まりですよね……?

「ヨハンっ、アリエスの警護を!」

「お嬢ちゃんのお守りはちょっとなぁ」

 年上好みなヨハン先輩は、年下のアリエス様には見向きもしない。私と同じ階級の筈だけど、その口調は不遜を越えてある意味で平等だ。

「仕方ない。やはり俺が近くに居るべきだろう」

 やれやれといった表情をするハイリア様。アナタはこれからクレアさんと一緒に挨拶回りでしょうに。

 なんのかんのと口上を並べてはアリエス様を探そうとするハイリア様に、クレアさんが微笑みながら言う。


「でしたら、三人で回りましょう。今日一番に注目されるのは、もう私たちではなく、アリエス様です。父たちには悪いが、三人で集まっているのにも意味があるでしょう」


 また甘やかしてもう。

 相も変わらずハイリア様に甘いクレアさん。この人がハイリア様に意見する姿はちょっと想像出来ない。

 無理難題と分かっていても、それを解決する為に頑張る選択をするんだろう。

 私みたいなへっぽこ術者を鍛え上げるべく、厳しく叱咤してくれたあの頃のように。


 大好きな先輩だ。


 それでも私はアリエス様の計画を阻んだりはしなかった。

 クレアさんああ言ってくれたけど、お見合いをぶち壊しにするようなことに加担してしまった。アリエス様の勢いに流されたというのもある。でもそれを言い訳にすることに忌避感があるってだけで、もうそういうことなんだろう。


 自分自身がどう想っているかもはっきりしないのに。


 いや、前はもっと単純だった。

 とても格好良い先輩で、強くて、優しくて、自分を認めてくれたのが嬉しくて。そういう極めて単純で、分かりやすい気持ちだけがあった。


 よくわからなくなったのは、あの神父にハイリア様が斬られた時だ。


 諦めという毒に侵されて、戦うことを放棄しようとしていた私たちをハイリア様が繋ぎ止めた。いや、繋ぎ止めたどころじゃない。心がどうにかなりそうなほど滾って、なぜかどうしようもなく嬉しくて、彼の示した先へ猛進した。

 私の中にあった単純明快な気持ちをそれが包み込んでいる。

 今でも気持ちは変わっていないと思う。認められたのが嬉しくて、調子に乗って耳元で囁いてみせた言葉に偽りはない。


 だけど私の中で、それ以上の大きな存在として見てしまう気持ちもあって、


 だから、唐突に現れた大きな流れに、待って待ってとしがみついたのかもしれない。


 ズルいな、私は。

 けどそうならなければ生きてこれなかった実感もあるから、これまたズルく、私はズルい自分を認めてしまう。

 ちょっと遠くなってしまったハイリア様の袖を掴むように、先ほどアリエス様から言われたことを伝えてみる。


「そういえばアリエス様、私を妹みたいだって言ってくれたんですよー?」


 ほう、と意図の分からない感嘆符を置いて、ハイリア様が考える素振りを見せた。他の所へ行こうとしていた時だったから、少し離れた所にクレアさんが居る。

「私の事、妹みたいに大切にしてくれていいんですよ?」

「はは」

 笑われたっ!?


「お前は俺にとって最初の部下だ。大切にしない筈がないだろう?」


 …………。


 いや、その……。


 自覚できるくらいはっきりと顔が赤くなっている私は、軽口を叩く調子に乗った表情のまま硬直していた。

 せめてもの救いは、ハイリア様が去り際に発した言葉だったから、言った当人はもう背を向けて歩いて行っていること。ついでに、私の様子を見ていたヨハン先輩がなにか下品な言い回しで突っ込みを入れようとした所、アンナ先輩から容赦なく回し蹴りを食らって気絶したことも加えておこう。


 よし。

 少し間が出来たおかげで落ちつけた。


 あぶないあぶない。

 なんて思っていたら、唐突に立ち止まったハイリア様が慌てるように戻ってきた。


 ぐぅぅぅっ。


 普段は全然平気なのに、今だけは顔が紅潮するのを抑えられなかった。

 警戒心最大で身構える私に気付いているのかいないのか、ハイリア様はとても真剣な表情で私の前に立つ。それを見て、これはもしかすると、その大切な部下に対して重要な任務を伝えようとしているんじゃないかと思えてきた。

 貴族たちの集まるこの社交界で、果たしてどれほど重大な話をされるのだろうか。


 気持ちを切り替えた私は、その真剣な眼差しを見つめ返し、頷きを見せる。

 私の覚悟を見て安堵するような笑みを見せたハイリア様が、敢えて確認するような口調で言った。


「すまないが、俺の妹はアリエスだけだ。他には居ない」


 この男は……!




 

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