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03

 デュッセンドルフ魔術学園。

 大陸で魔術の研究や腕を磨くなら、この学園以外にはないと言われる名門中の名門校である。長く続くフーリア人らとの戦争もあって、今や準軍事教練校としての体も成しているここには、身分国籍を問わず優秀な術者が数多く入学してくる。

 元より魔術の腕が階級を越えて敬愛されるこの国では、貴族といえども油断がならない。

 多くの場合は、幼い頃から厳しい訓練を受けた貴族らに軍配が上がる。中世ヨーロッパの文化レベルを時代背景とするこの作品では、十分な栄養を摂取できる貴族の方が自然と身体も頑丈になり、学もある。中には優れた技術を秘伝する家もあるほどで、それがまた偏りを生んでもいる。


 その中にあって、ハイリア=ロード=ウィンダーベルの成績は全生徒中トップ。

 純粋な四属性では最も高貴であると言われる『槍』属性の術者であることも手伝って、大貴族の嫡男へ向けられる視線は当然ながら羨望と敬意。差がありすぎてほとんど嫉妬もされないという、なんだこのイケメンはと言いたくなる立場だ。


 ハイリアの記憶と、本来の俺の記憶を持つことで、この日まで特に問題なくやってこれた。

 いや、それは多少事実と異なるか。

 一夜明けて、改めてこの世界に居続ける自分に多くの動揺があった。メルトやアリエスには見苦しいものを見せてしまったと思う。が、それも一ヶ月は続かない。まず疲れてしまう。それに、夢と思っていた当初からある、この世界に対する郷愁じみた想いが、やはり俺を安定させた。自分がハイリアであるという意識もあって、徐々に俺は馴染んでいった。

 まだ時折不安定な気持ちになることはあるが、今はやっていけるだろうという気持ちが大きい。


 だが新年度を迎えた学園へやってきた俺は、早々に己の限界を感じていた。


 押し寄せる学生たちの挨拶ラッシュ!

 綺羅びやかな笑顔と隙あらば食事や会合に参加させようとする強かな者達、純粋な敬意や憧れを向けてくる一般生徒たち、それをやっかむ取り巻きと女生徒の親衛隊みたいな連中。

 お兄様、頬がはち切れそうです。


 驚いたのはハイリアがほとんどの生徒の顔と名前を記憶していたこと。

 名前こそ知らないが連れている使用人らさえ頭にある。

 こいつ化け物かと自分で思う。頭の良い人って本当に居るんだなぁ。


「ハイリア様……そろそろお時間です」


 俺の付き人として背後に控えていたメルトがそっと声を掛けてくる。

 上手く話の隙間を縫ってきたのだが、どうにも女生徒の癇に障ったらしい。


「そういえばハイリア様も、奴隷を使うようになったのですね」

 今気付きましたわ、と言わんばかりに嫌味な口調。

 だが、その態度が一般的だ。奴隷階級のフーリア人に人権はなく、差別するのが国是なのだから。横から別の者が口を挟む。

「奴らは慇懃に振る舞いながら、強かにこちらの寝首を掻こうとしてきますからね。ハイリア様ともなれば躾は完璧でしょうが、お気をつけ下さい。同情を買うのが上手いのですよ、連中は」

 男の言葉に笑う取り巻きたち。


 あぁ、こいつら全員ぶっ飛ばしたい。

 俺のメルトに何言ってやがるんだ? ええおい?


 と、正面からそんなことを言えば大騒ぎになる。

 奴隷制度への批判は王への批判だ。侯爵家と言えども面倒が起きる。


「すまないが、もうじき妹の入学式が終わる。まだまだ甘え盛りでな。出迎えねば機嫌を損ねてしまうんだ」

 なので妹のせいにして話を打ち切る。

 実際本当の話でもあるし。

「まあ、それでは急いでいかなければなりませんね」

「ハイリア様の妹君。お噂には聞いておりますわ、まるでエーデルワイスのように美しいお方とか」

「お二人が並べば、それはもう一つの絵画……伝説の一幕ともなりましょうっ」


 いや伝説は言いすぎだろ。

 女達の大攻勢が終わると、今度は爽やか笑顔の野郎どもが詰め寄ってくる。


「是非、後ほど私たちもご紹介下さい!」

「私もアリエス様へは一度お見かけして以来の憧れが!」

「我が家なら家格としても十分。是非とも彼女を嫁として!」


 はっはっはっはっは!

 君達は元気がいいな!

 そうか、妹を嫁にしたいのか!


 ぶち殺すぞクソ野郎どもっ♪


 ウチのアリエスをそんじょそこらの男にやるものか。アレだぞ、めっちゃ可愛いんだぞアイツ。まあ最低でもアリエスが一生贅沢の限りを尽くしても苦労しないだけの金と甲斐性、俺に勝てるだけの魔術の腕、生涯掛けて彼女の為に生きる覚悟、誠実さと高潔さを兼ね揃えた本物の紳士である程度のことはクリアしないと話にならないな。

 そうだな、それにアイツは花が好きだ。

 加えて十ヘクタールくらいの土地をアイツのために花畑とする程度の行動力があれば、父上との茶飲み話くらいには上げてやろう。


 は? 嫁だと? 万死に値するわ。


 あまりに笑える世迷い言に満面の笑みだけで返すと、何故か男たちが青い顔をして引き下がった。そう気に病むことはない。お前たちにも妹を見て崇める程度の権利くらいはあるさ。


「いくぞ」


 俺の荷物を持つメルトへそう言い放って、中庭へ向かう。

 学園の校舎は巨大で、その大きさは我が家であるミッデルハイム宮殿と同じかそれ以上もある。ロココ調にド派手な装飾が多かった我が家と比べると、学び舎とあってかなり落ち着いたレンガと木の造りだ。日本生まれの俺からすると十分お洒落な外観だが、たしかに華美というより質実剛健な雰囲気がある。

 敷地は相当に広く、本気で全てを見て回ると二日か三日は掛かるだろう。

 背後にする山中だけでなく、街中にまで専用の施設が多数あるような所だからな。


 今は正面入口付近で休み明けの挨拶ラッシュが行われているのか、中庭に人通りは全くなかった。視線だけでそれを確認した俺は、丁度来た側からも死角となる木の影で立ち止まる。三歩下がって追従していたメルトが少しだけ驚いてこちらを見、楚々と顔を伏せた。


「すまんな。気苦労を掛ける」

「……そのお言葉だけで十分です」


 表面上は落ち着いた使用人の顔をしながら、嬉しそうな感情が滲み出る。そよ風に揺れる黒髪の下、口元が緩むのを見た。俺も思わず笑みを零す。


 メルトが俺個人の奴隷となって一月になる。

 使用人として同行させる以上、今までのように痩せた身体ではウィンダーベル家の品性を貶める。十分な栄養を与えられ、髪や肌を磨き上げられたメルトは、出会った頃とは比較にならないほどの美しさを放っていた。

 当然ながら俺へ恥をかかせないよう、徹底した教育が施され、その過程は今までの奴隷扱いの方がよっぽどマシだったんじゃないかと思わせたほど。

 あのアリエスですら興味本位で内容を聞いてドン引きしていたくらいだからな……。

 それに耐え抜き、メイド長から合格の印を押されたメルトは、今やそんじょそこらの貴族令嬢とは比較にならないほどの環境を与えられた。当然ながら奴隷階級であるという扱いは変わらず、美しさを維持すること、教養を身に付けることは義務となり、怠れば厳しい罰が与えられる。

 冗談みたいな話だが、一時期本気で洗脳状態にあったメルトが気掛かりで、俺も自分のことで思い悩んでいる余裕が消し飛んだ。

 本能レベルで刻み込まれた忠誠心をどう扱えばいいのか罪悪感に悩みもしたが、しばらくすると悪戯っ子が顔を覗かせてきたので大丈夫なのだろう。

 大貴族、本当に怖い。


 ともあれ今のメルトは前にも増して美しい。

 男女を問わず、俺へ挨拶にやってきた者達は必ず一度は彼女へ目を奪われていた。

 こうなる以前から彼女の秘めた美しさを知っていた俺としては、鼻が高くなるというもの。嫌味を言いながらもチラチラと彼女を見ていたのも知っている。

 ははっ、男たちは訓練時に潰してやろう。


 そのまま二人で時間を潰す。

 特に会話がある訳でもなく、入学式の会場へ向かうと言った俺の不可解な行動にメルトは口を挟まない。

 しばらくして、ある一団が中庭へやってくる。

 ここからは少し距離があり、向こうが気付いた様子はない。


 一団を率いているのは貴族の男だ。

 一人だけひょろりとしていて、高慢そうな態度が顔からにじみ出ているからすぐ分かる。後から続くのはガラの悪そうな男が数名。制服の胸元に隊章がある。ここからはその数字までは見えないが、彼らが十六番隊の人間であることを『幻影緋弾のカウボーイ』プレイヤーである俺は知っていた。


 彼らが取り囲んでいるのは一人の少女。

 とても小柄で、本当に同年代なのかと疑ってしまうような女生徒は、周囲の状況に興味なさげな表情で歩いている。しつこく声を掛け続ける貴族の男を完全に無視して。


「あれは……」


 俺の視線に気付いたメルトが呟く。

 危険な空気を感じ取ったんだろう。

 確かに、後数秒であの男は爆発する。隊を率い、お山の大将として振る舞い続ける奴は堪え性がない。ゲームでは名前も出てこなかった人物だが、ハイリアは律儀に記憶していた。まあどうでもいいだろう。


 とうとう我慢の限界を超えたらしく、男が少女の腕を取り、小柄な身体を釣り上げるように上へ引く。


「ハイリア様っ」

 小声で、しかし強くメルトが言う。助けに入るべきだと訴えている。

 だが問題ないんだよ、メルト。


「HA!」


 荒野を満たす太陽のような声が中庭へ降り注いだ。

 俺に注目しな、とでも言いたげな気障ったらしい口笛が聞こえる。くるくるとカウボーイハットを回しながら、制服を派手に着崩した男が顔を出した。


「数人がかりで女の子を取り囲むたぁ、おだやかじゃあねえなっ!」

 思わず笑った。

「安心しな、子猫ちゃん! この俺、輝ける太陽の漢ジークが来たからにゃあ、悪漢たちの無法もここまでだ!」


 ジーク=ノートン。


 『幻影緋弾のカウボーイ』の主人公だ。

 ゲームで見た場面そのままの光景を、こうして別の視点で見ることなるとは、つくづく奇妙な感じがする。本当の所、これが起きるのかさえ疑問があった。奴が存在している保証だってどこにもなかったのだから。

 そして今、俺は作品の一ファンとしても興奮していた。

 分かりやすく言えば、ずっと好きだった作品がアニメ化されたような気持ちだろうか。現実として体感出来る以上、興奮は更に強かったが。


 入学式が終わり、新入生たちが解放されたのもあって、騒ぎを聞きつけた野次馬がちらほらと現れる。もしあのままなら貴族の彼も適当に流して去っていただろう。が、こうして人に見られているとなると話は別だ。

 ジーク=ノートンの階級は自由民。奴隷階級よりは上だが、上級民などと比べればかなり低い。また、この学園の制服には明確に身分を示す印が刻まれている。

 自由民ごときに貴族が引き下がる、などという姿を周囲に見られるのは恥だ。当然彼は突っかかってきたジークに食って掛かる。


 ジークもジークで一度言い出すとどこまでも突っ走る部分がある。

 私闘が始まるのは当然の流れだった。


 殴りかかって来た隊員の男を鮮やかに避けつつ足を払う。転がる腹を踏みつけて意識ごと潰し、次の男には拳の下を掻い潜っての肘、そして身を沈ませた時に浮き上がったカウボーイハットを掴みとり、円運動の足捌きで背後に回る。上下左右へ大きく動くソレは、至近距離で見ると消えたように思えただろう。背後から脳を揺らされた男はふらつきながら前倒しに崩れていく。


 と、ここで事の始まりだった少女が無表情に退場していくのを見て俺は苦笑い。

 戦いが終わった後、気障に決めたジークが当の少女が居ないことに気付く展開はお決まりだった。


 ここまでの動きに強い警戒心を持ったらしい最後の隊員は腰を据えてジークを観察した。

 しかしジークは不敵に笑うと、手にしたままのカウボーイハットを指先の上でくるくると回す。眼前で回るソレへ相手の意識が向いた瞬間、ジークは指で弾き、上へ放る。視線が釣られる。鋭い裏回し蹴りが側頭部へ炸裂し、デカイ図体の男が転がっていった。

 帽子をキャッチ。優雅に被って見せる。


「どうするよ大将! お友達は夢の中だぜ? 仲良くおねんねするかい?」

「ふざけるな下等民風情が!」


 貴族男の眼前に『槍』(インパクトランス)の紋章が浮かび上がる。青の魔術光が風のように彼を包み半透明の甲冑となる。その手には巨大な突撃槍。武装の大きさや守りの確かさを見れば、並の実力者ではないことが分かった。


「上等!」


 対し、ジークも魔術を起動させる。

 紋章は『剣』ブランディッシュソード

 緋色の魔術光が全身から燃え上がり、二振りの短剣が握られた。


 魔術戦の開始に流石の野次馬たちも慌てたんだろう。教師を呼ぼうなどという声が聞こえる。

 彼らの言う通り、魔術戦というのはほんの些細な切っ掛けで死に至ることがある。魔術によって大幅な増強を得られるものの、そもそも人体は動脈への傷一つで死に至ることもあるのだから。元の世界で言えば、これでお互いがライフルを向け合った状況に等しい。正しく訓練弾を込められるかは、それこそ技量次第で、訓練弾でさえ死に至ることもある。


 しかし、貴族男はジークの短剣を見て嗤った。

「なんだぁ? 偉そうにしておいてそんなちっぽけな能力なのか?」

「おいおい、俺の相棒を悪く言うなよ。コイツの機嫌が悪くなると俺でも扱いに困るんだ」

「ふざけているのか貴様っ!」

「テメエの女を悪く言われて黙ってる男が居るかい?」

「そうか。あくまで反抗的であり続けるなら仕方ない。貴族として分相応の振る舞いというのを教育してやろう!」

「HA! やってみなァ!」


 突撃槍の振り払いが青い風を伴って中庭の土を巻き上げる。

 広範囲に及ぶ攻撃は礫となり、ジークを襲う。


 だが、彼の属性は歩兵を意味する『剣』。

 四属性で最速を誇る魔術は、緋色の残り火を軌跡としながらジーク=ノートンを攻撃範囲外へ送り出す。踊るように身を回しながら、ほんの一瞬だけ、ジークは短剣の切っ先を貴族男へ向ける。


「BANG!」


 短剣の一振りを真上へ放り投げ、ジークは立ち止まった。

 追撃を仕掛けようとして突撃槍を構えていた貴族男も、不審な行動に動きを止めた。だが、口元には濃い笑みがある。


「遅いな、貴様」


 最速を誇る『剣』の使い手に対し、『槍』の術者が笑った。

 確かに、ジークの動きそのものは見事だったが、今のは一般的な『剣』の術者が持つ速度の平均さえ下回るものだ。共に決め手を持たない相性ではあったが、これは明確な優劣を示したに等しい。

 なのにジークの不敵な笑みは消えない。

 カウボーイハットで目を隠し、手に残る短剣を指で回し、まるで西部劇で見る拳銃のように腰元へ納め、消す。続いて落下してきたもう一振りをキャッチし、これを回しながら言った。


「決着はついたな」

「ほう、潔いじゃないか。この場で平伏し、二度と分不相応な振る舞いをしないと誓えば――」


 短剣を納める。


「アンタの負けさ」


 突如として、貴族男を包んでいた青い魔術光が砕けた。

 右肩に貫かれたような傷が現れる。

「っ、が――ァァアアアアッ!」

 痛みに突撃槍を支えきれず手放したのと同時、完全に彼の魔術が解けた。


 周囲に大きなざわめきが広がった。

 ほとんど、というより誰一人として今の事態を把握できていない。平均速度さえ下回る『剣』の術者が、甲冑の守りに身を包む『槍』の術者を瞬く間に倒してみせたのだ。多くの場合、結論は一つだ。


 遅く見えたのは勘違いで、彼は神速を誇る術者なのかもしれない。


 だが違う。彼が遅いのは本当だ。おそらく同属性では最低に位置する。

 ならば『騎士』同様に上位能力なのか? これも違う。『剣』の上位能力は明らかに攻撃の規模が変わるからだ。アレで攻撃を仕掛けたのであれば、あんな針穴を通すような傷では済まなくなる。

 そして何より、本来『剣』ブランディッシュソードの魔術光は赤だ。緋色じゃない。となれば後は一つしかない。


 彼は、ジーク=ノートンはイレギュラー能力者。

 『剣』を基板としながら『弓』の特性を併せ持つ二重属性『銃剣』(ガンソード)の魔術を操る幻影緋弾の使い手だ。


 あの貴族男も不運だった。

 もし『剣』の術者であれば、速度で劣るジークを圧倒できたし、希少な『盾』の術者であるならばそうそう負けることはなかった。『弓』の属性を持つ彼に、『槍』の魔術ではまず勝てないのだ。


 お分かりだろうか。


 劣るとはいえ『剣』の機動力を持ち、『弓』による遠距離攻撃や隠匿した罠の攻撃を仕掛けてくる彼には、例えハイリア=ロード=ウィンダーベルの上位能力『騎士』(インペリアルナイト)であろうと敵わない。


 これが知れるのはゲーム序盤のラストになる。

 無法者と呼ばれ、階級意識に左右されない彼の行動を見咎めたハイリアとの公式試合において明かされるのだ。


 お分かりだろうか。


 ハイリア=ロード=ウィンダーベルは学園トップの成績を誇り、金権力実力顔とおよそあらゆるものを持っている正統派の実力者。覚醒すれば個人で小隊級の働きをすると言われる『超正統派』の上位能力覚醒者なのだ。品行方正で戒律を重んじ、階級制度を肯定する現体制の保守的存在がハイリアだ。

 そして、この『幻影緋弾のカウボーイ』の主人公、ジーク=ノートンは戒律や階級に囚われない自由主義を標榜する無法者で、その能力はあらゆる正統派に対してジョーカーとなるイレギュラー。


 新たな土地を開拓するカウボーイと、今ある国家を守護するナイト。


 ぶっちゃけ俺、序盤のかませキャラです。


   ※  ※  ※


 中庭での騒ぎを背に、俺はメルトを伴って学園端の教会へ足を運んだ。

 先ほど貴族男に絡まれていたあの少女に会っておこうと思ったからだ。


 おそらくまともな反応はもらえないだろう。

 それでも、やはりファンとしては人気ランキング三位のヒロインと一度くらいは言葉を交わしてみたいもの。それくらい気楽な気分で俺は居た。


「おや、おやおやおや」


 教会から出てきた男を見た瞬間、全身から殺意が漲った。

 鳶色の髪で片目を隠した細身の男。甘ったるい香水の匂いに、違ったものが混じっているのが分かった。ひどく淫猥な汗の……。

 抑えきれず頭に血が上る。

 全く想定していなかった遭遇と、知らなかった事実が頭を過る。


「これはこれはハイリア様ではありませんか。長期休みの間、不自由なく過ごされましたかな?」

「ヴィレイ=クレアライン……っ」

「おっと。普段は感情を見せないアナタが珍しい。いかが致しまたかな? はて……あぁ、そういえば一月ほど前、我がイルベール教団の関係者がハイリア様のご厄介になったとか。ご安心を。噂でアナタの言葉はお聞きしておりますとも。私としてもあの程度の輩が教団員を名乗ることなど不本意でしたから、すぐさま破門し、こちらで処理しておきました」

「ここで何をしていた」

「何を?」


 あくまで慇懃な態度を崩さないヴィレイに苛立ちが募る。

 彼は俺の怒りを楽しむように嗤った。目の奥がドブ川の底に溜まったヘドロのように淀んでいる。見ているだけで苛々する。


「我々が教会ですることなど一つでしょう。祈りを捧げていたのですよ。全能なる運命の神に、一刻も早くこの世からおぞましい生き物が消えることを。そう、アナタの後ろに居る虫にも劣る畜生が」


 振り上げそうになった腕をかろうじて止められたのは、メルトが掴んでくれたおかげだった。

 静かに深呼吸し、心を落ち着かせる。仮に今、この男をここで殺したとして、事態が深刻化するだけなんだ。まだ泳がせる。周到に、苛烈に、徹底的に追い詰めて息の根を止めなければならない。


「……貴様、何をしている」


 その時俺は、教会の裏手から身を隠すようにして出て行く女の姿に目を奪われていた。中庭で絡まれていた少女とは違う、浅黒い肌をした白髪の少女。なぜこんな所に。いや分かっている。けれど。


 不意に腕を掴んでいた感触が消えた。ヴィレイ=クレアラインが脇を通り過ぎて行くのに反応出来なかった。


 物音を聞いた少女がこちらを見る。

 目が合った。ここの様子に気付いた彼女が迷いを見せる。


「下等な生物に過ぎない奴隷が、侯爵家の嫡男であるハイリア様の腕に触れるとは! 死んで償えッ!」

「っ――! 待て!」


 後悔が一瞬で全身を焼いた。

 俺は今一体なにをしていた!? メルトに手をあげられるのを止めもせず、未だに言葉も交わしたことがない女に目を奪われて!


 俺を止めてくれたメルトが、ヴィレイの拳を受けて倒れている。どころかヴィレイは、その頭に足を乗せ、今まさに踏み潰さんとばかりに力を掛けようとしていた。

「待て! 止めろ!」

 再度、俺は強く言った。


「………………ほう」


 俺の言葉に、素直にヴィレイが足を退ける。

 しかし、今まで以上の緊張がその場を包んだ。


「それはどのような意味ですかな、ハイリア卿。返答次第ではアナタと言えど私は審問に掛けねばならなくなる」


 関わったこと事態が間違いだった。

 このヴィレイ=クレアラインという男は、イルベール教団を動かす筆頭貴族の嫡男。生粋の奴隷差別主義者だ。蛇のように狡猾で、毒のように相手の隙へ染みこんでくる。

 家の格はウィンダーベル家が上だ。だからヴィレイも慇懃に接してくるが、勢力や影響力を考えればクレアライン家の力は強大過ぎる。他国からの留学生であることも踏まえれば、国外で騒がれれば厄介だ。

 くそっ。

 どうにかして話を丸く治めないと、好き勝手に悪評を拡げられてしまう。


「どうしたのです! 階級制度を守護するウィンダーベル家の嫡男ともあろう方がっ、まさか奴隷風情を守ろうとしたと!?」


 仮に普段通りであれば、俺はすぐに言い返せただろう。

 我がウィンダーベル家は分を守らせる。しかし、不当に権利を犯すことは許さないと。


 だが俺は激しく動揺していた。

 メルトを助けられなかったこと、そうなった原因があの少女であったことが強い罪悪感となって心を縮み上がらせていた。


 あの少女、フロエ=ノル=アイラの存在に心を奪われていた……!


「…………彼女を所有しているのは俺だ、勝手なことをするな」


 ようやく絞り出した言葉を吟味するようにヴィレイは何度も頷く。

「彼女……彼女ですか……」


「まあいいでしょう。こちらが分を超えた行いをしたのも確かです。クレアライン家がウィンダーベル家の財産に手を付けたなどと言われては困りますからね。しかし……」

 蛇の目が怪しく光る。

「罰則は必要でしょう。さあ、こちらは気になさらず、相応の処罰を」


 身を起こしたメルトがこちらを見る。

 顔に傷はない。流石のヴィレイも他者の奴隷を目に見える形で傷付けるのは避けたんだろう。だが、辛そうに腹部を抑える彼女を見てまた罪悪感が膨らんだ。

 俺を見る目が、やって下さいと訴える。


 出来る筈がない!


 躊躇っていると、ここぞとばかりにヴィレイが手を打った。

「お優しいハイリア様には酷でしたかな。ならば私が代行しましょう。小指の一本程度なら、握力の低下はあっても身の回りの世話に支障ありません」

 と、どこから取り出したのか鋼糸を両手で持ち、メルトへ言い捨てる。

「右手を出せ」

 どこまでも冷たい声。

 メルトは何の躊躇も無く手を差し出した。

「っ……」

「止めれば、今度こそウィンダーベル家への嫌疑となります」


 動けなかった。

 見ているしか出来なかった。

 何か言い逃れる言葉はあった筈だ。

 なのに迷い、流されようとしていた。


 そんな時、


「HEY! そこのサディスト野郎!」


 ヒーローが現れた。


   ※  ※  ※


 ヴィレイ=クレアラインが飛び蹴りを受け、教会の扉へ叩き付けられるのを俺は呆然と眺めていた。

 目の前に飛び込んでくる鮮烈な姿。何者にも囚われないカウボーイは、全ての葛藤を一発で蹴り飛ばして笑っていた。


「HA! こんな気持ちの良い快晴に、最低なモノ見せてくれやがって! ゲスの極みだなクソ野郎がっ!」

「キ、キサマァァアアアアアッ!」


 大量の鼻血を流してヴィレイが激昂していた。

 巨大な組織を動かせる危険な男の怒りを、ジーク=ノートンは鼻で笑い飛ばす。


「おうおう、男前になったじゃねえか! 腐った目ぇしてるよりよっぽどマシだぜアンタ!」


「自由民? 自由民だとキサマァ! 下等階級の人間が貴族であるこの私に手を上げただと!」


 目敏くジークの制服に刻まれた身分証を見て取ったヴィレイが叫びを上げた。だがジークは呆れたように言うだけだった。


「そんなんばっかだなこの学園! 身分で人間の価値が語れるかよ!」

「どうやら教育が必要なようだな……!」

「似たようなこと言ってた野郎がついさっきおねんねしたぜ!」


 怒り狂って尚、蛇は狡猾だった。

 目の前に現れた男の能力を冷静に推し量り、今の言葉を吟味している。

 長い舌が唇を舐め、淀んだ瞳が尚沈む。

 唇は血の色を伴って蠢いた。


「キサマ、名は」


「ジーク=ノートン」


 と、その瞬間ヴィレイの目に宿った残忍な色を俺は感じ取った。

 最初は呆け、口の中で味わうように舌なめずりし、そしてハッと我に返ったように笑みを浮かべる。

 瞳に浮かぶのはどこまでも昏く、赤錆じみた毒々しい色だ。


 哄笑した。


「は、はははははははは!! そうかっ、キサマ……ジーク=ノートンというのかッ! ははははは……!」


 口が裂けんばかりに濃い笑みを浮かべたヴィレイは、一度顔を覆うと、先程までの怒りが失せたように穏やかな表情となった。


「これは貸しておこう。いずれ、キサマを地獄へ叩き落とす為のな」

「お断りだな!」


 あくまで不遜な態度を崩さないジークへ、ヴィレイはいっそ(おもね)るような気色の悪い笑みを浮かべる。


「そう遠慮するなァ。ついでに警告しておいてやろう。昨今、奴隷狩りというのが流行っているのを知っているか?」

「奴隷狩り……?」

「フーリア人の事だ。奴らを死滅させんと志を持った市民が、自ら立って人誅を下しているとな」

「人誅?」

「裁きだ。分かり易く言えば、気色悪く我らが大地を這い回る虫を駆除していると言っていい」

「くっだらねえっ!」


「いずれお前も係わらずには居られなくなるさ。奴隷を傍に置いている限りはな」

「……待て、テメエなんでそのことを」


「忘れるな、ジーク=ノートン。フーリア人の語る言葉に真実などないことを」


 言って、ヴィレイは去っていった。

 異様なほどにあっさりと。


 しばしの間の後、呆れたようにジークが肩を竦めた。

 そこに大貴族に喧嘩を売って、見逃されたという安心感など無い。

 思う儘に振る舞い、悪党をぶちのめすカウボーイが荒野に立っているという、それだけの光景。


 それが、とても眩しかった。


 ジークがこちらへ向く。

「HEY、アンタ」

 振りかぶった拳を、

「歯ァ食いしばりなッ!」

 俺は避けもせず顔面で受けた。


 激痛が脳を痺れさせ、身体が激しく地面を転がる。

 メルトの悲鳴を何処かで聞きながら、痛みを堪えてなんとか身を起こす。

 殴られたのなんていつぶりだ。汚れた衣で権威なんて纏えない。だから今、俺と彼の立場は対等……いや、それ以下だった。


「アンタにどんな事情があるか知らねえが、目の前で大事な女が傷付けられるのを棒立ちして眺めてるたぁどういう了見だ、ァア!?」


「…………礼を言う」

「ンなモンいらねえよ! 分かったら二度とあんなことするんじゃねえ! 下らねえこと抱えて動けなくなるくらいなら全部捨てちまえ! 大事な女守る以上に大切なモンが他にあんのかよ!」

 言い返せる言葉が無かった。

 ジークも俺の悔やむ表情は見ている。その上で怒りをぶつけて来た。足りないならもう一発殴ってやると拳を握りながら。

「なんとか言いやがれこのフニャチン野郎が!」


「それ以上の侮辱は許しませんッッ!」


 怒鳴り散らすジークの前に、メルトが両手を広げて立ち塞がる。

「何も知らない人間がこの人の苦悩に唾吐くことはお止め下さいっ。助けていただいた事には礼をします。ですが、これ以上続けるつもりなら、私は自分で指を切り落とします……!」


 彼女の背を見ていた俺にその表情は分からない。

 だが、あのジークが面食らったように口を開いたまま棒立ちした。やがて、その口元に笑みが浮かぶ。自らカウボーイハットを取り、胸元に当てる。枯れ草色の髪が渇いた風を受けて揺れていた。トレードマークのおさげの先には、緋色のリボンが結ばれている。


「敬意を」

「不要です」


「ますます気に入った。是非これから一緒にお茶でもいかが?」

「わかりました。毒入りのお茶をご用意致します」

「いい女に殺されるなら悪くない」

「減らず口ばかりっ」


 怒り出すメルトをいなすように手を挙げると、ジークはカウボーイハットを被り直して背を向けた。と、そこで彼が茂みに向けて声を掛けると、メルトと同じ浅黒い肌の少女が顔を出した。心臓が僅かに跳ね上がる。


 少女、フロエ=ノル=アイラは、一度心配そうにこちらを見ると、ジークの乱暴を咎めるようなことを言いながら先行く彼を追いかけていく。しばらくして角を曲がり、姿が見えなくなった。


 息を、落とす。


「ハイリア様!」

 虚脱感に包まれていた俺は、不意に飛び込んできたメルトを支えきれず仰向けに倒れた。こちらの胸板に額を合わせ、震えている少女を見て、改めて罪悪感に包まれる。

「すまない、頼りない主人で」

「そんなことはありませんっ」

「俺は君を助けられなかった」

「私の為に迷って下さいましたっ。多くのモノを背負っている貴方が、その全てと懸けて迷ったのであれば、私にとってそれ以上の幸福はありませんっ」


 違う、違うんだメルト!

 俺は確かに迷った! けれど、全ての始まりは全く別の所にあったんだ!


「すまない……!」


 言える筈もない。

 俺に出来たのは、この世の理不尽へたった一人で立ち向かって俺を守ってくれた女の子を、精一杯優しく抱き締めるだけだった。





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