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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
短編 一

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29/261

紅い果実(中)

 「おはようございます、クリスティーナ様」

 顔を上げたメルトさんは楚々とした笑みを浮かべてそう言った。


 以前より少し、力の抜けた笑みだ。


 先のイルベール教団との戦いで、彼らに囚われていたという肉親と再会したメルトさん。生真面目な人だから、ちゃんと見ていなければ気付かないけど、今までより少しやわらかな印象を受ける。

 快活で、でもどこか陰のあるお姉さんとは何度か会った。メルトさんの前では殊更明るく振る舞う彼女の存在が、私たちではどうしようもなかった奥底の部分を解きほぐしたんだろう。

 本人は、フィオーラさんの裏側について気付いていないみたいだけど。それは彼女の望む所だろうから、私から言えることはない。


「くり子でいいですよ。皆そう呼んでます」

「いえ、主人のご学友に対して無礼は許されません。どうか、ご容赦下さい」


 こう言われてしまっては取り付く島もない。

 実際、奴隷階級として微妙な立場にあるメルトさんがふさわしくない行動を取っているのを見られると、厳しい罰が与えられるらしいことは知ってる。


 対等ではなく上下。

 それが原則。


 位置関係を越えた友情は築けるだろうけど、どうにも性に合わない。そのおかげでいま一歩接近出来ないのが、出会って以来の悩みだった。

 本当はこのままで居たほうがいいんだろうけど、やっぱり、もっと仲良くなりたいなと思ったりもする訳で。


「ハイリア様を待ってるんですか?」

 とにかく会話。

 好意を持って話しかけること。これが仲良くなる第一歩だ。不信や不安を持って話すと、相手にもそれが伝染する。


 受け取れ私の好意っ!


「いえ……」


 ところが返ってきた言葉には戸惑いみたいなものが含まれていて。


 ん?


「広場の方にハイリア様がいらっしゃってましたけど」

「はい。途中までご同行していたのですが」

 それで、戻ってくるまで待機していろ、と命じられた訳でもないらしい。

 メルトさんはほんの少しだけ眉を寄せて言う。

「ここまで来た所で、今日は自由にしろと言われてしまって……」

「自由に」

「はい。ですからここでハイリア様をお待ちしているのですが」

 なるほど。


 暇を出されたものの、ハイリア様の傍に居たいメルトさんは、自由にしろと言われたのをいい事に、いつも通りの調子で付き従っているらしい。

 けど、さっきから妙に歯切れが悪いのは、それがハイリア様の意図した所とは違っていること、ある意味で逆らっていることになるのを分かっているからだ。


 健気だなぁ……!


 もし自分にこんな付き人が居たら目一杯可愛がりたくなりそうだ。

 私の周囲は、基本的に私みたいな図太かったり強かだったり、自分の為の我を通すことを重視する人が多い。誰かの為に、という理由でここまで尽くせる人を、私は彼女以外に知らない。


 私は少し考えた後、考えるのを止めることに決めた。

 今日は勢い。初心を忘れずメルトさんと仲良くなろうっ!


「メールトさんっ」


「はい」

「どこか行きたい場所ってありませんか?」

 問いかけにまた彼女は戸惑い、どうしようかと悩み始める。

 だから、ズルい私は弱点を突くことにした。

「戻ってきた時にこのままだと、きっと困らせてしまいますよ?」

「…………」

 案の定黙りこんでしまったメルトさんを見て苦笑いした。なんでしょうかこの罪悪感。真面目な子に悪い遊びを教えて得意気になるほど子どもじゃないつもりだけど、申し訳ない気持ちになるなんて初めてだ。


 よし、ちょっとだけ打算しよう。


「それじゃあですね。今から蚤の市に行こうと思うんですけど、一人で行くのも寂しいので、一緒に来てくれませんか?」

 あくまで主人の学友という扱いで礼儀を通そうとするメルトさんだ。暇を出されたという前提を私に知られている以上、断れば失礼に当たると考えるのは当然の流れで。


 しばらく悩んだ後、案の定「畏まりました」と答えて頷いてくれた。


   ※  ※  ※


 この町は、東に行くほど家がボロくなって、西に行くほど家が綺麗になる。

 東西に大きな山があって、西側の山から流れてくる大きな川が町の中央付近で別れ、一つは南東へ、もう一つは南西へと抜けていく。そんな山間の平野部に出来たのがこの町だ。

 公的な呼び方はデュッセンドルフ。でも、お年寄りや長くこの地で住んでいる人はラインコットと呼ぶ。その辺は、歴史とか偉い人同士の難しい問題があるらしい。


 町から出る街道は南と北、それと東側の山を迂回する南東への道がある。

 東側の山には大きな炭鉱があって、体力自慢の子なんかはよく働きに行ってるのを見る。山が切り拓かれているから、木造の家も多かった。

 対して西側の山はそういった意味での手が付けられておらず、その敷地は私の通うデュッセンドルフ魔術学園の総合実技訓練会場となっている。ただ、北へ西寄りに抜けた一帯には粘土の採掘場があり、自然と西側の家にはレンガ造りが増え、町の貴族がそちらへ住み着くようになった。

 同じ貧民街の東側でも、北部の方が裕福なのは炭鉱や粘土の採掘場が近いせいだろう。現場に近いほど食事処や賭博場なんかのお店が多く、離れるほど住宅地が増える。


 そして、蚤の市というのは領主や代官から正式な認可を受けていない不正規な店の集まりだ。当然収めるべき税も払わないし、やろうと思えば私たちみたいな子どもでも店を開ける。胴元に売上の何割かを渡す必要はあるけど。

 昔はどうして取り締まりが行われないのかが疑問だったけど、ちょっと気にして見ていれば、そこかしこで賄賂の受け渡しが行われているのが分かるようにはなった。

 そういった特色から、自然と蚤の市は綺麗な道からは外れた場所で開かれる。

 大々的にここでやっていますとは言われないけど、休日に人の流れを追っていけば辿り着ける程度の場所だ。


 まあ言ってしまえば何かあった時の尻尾切りがしやすい上に、ある程度の治安が確保できる場所。そういった不正規な催し物を開催でき、客離れを避けるための治安維持が可能な、怖い人を操れる人の居る場所。多少の人通りがあれば尚いい。

 ええと、説明が非常に長くなりましたけど、あれです。


 娼館街。


 綺麗なお姉さんたちを買ってえっちなことをするという噂のあれです。

 あそこの入り口から少し離れた場所にある、ちょっと大きな、噴水のある公園。


 それは本当に服なんですか!? と叫びたくなるようなスケスケの服を纏ったお姉さんたちを横目に公園へ入ると、お昼前にも関わらず結構な人入りがあった。


 怪しげな骨董品を並べるお店があれば、どこから取ってきたのかも分からない食料を並べたお店に、その辺の道端で積んできたらしいお花を売っているお店もある。

 一貫性もなにもない。

 ここにあるのは、問題を起こすな、という決まりだけだ。それを破ったら最後、怖いお兄さんに連れて行かれて戻ってはこない。


「メルトさん、何か気になるお店とかありますか?」

「え……あぁ、いえ」

 慣れない場所で戸惑ってるのかな、なんて思ったのは数秒。彼女が目を向けている先に気付いて、私は慌てて腕を引いた。


「あ、あの……?」


 人混みに紛れた後、ようやく手を離した私に、メルトさんが不思議そうに言う。

「どうかしましたか?」

「駄目ですよ。娼婦さんをじっと見てたら、向こうから近付いて来ます」

「娼婦さん、というのは、先ほどの方々のことでしょうか」

「ん? うん……そうですけど、見るのは初めてでしたか?」

 まあ女の子で娼婦に詳しい人なんてそう居ませんけども。

「はい。一応、こちらの風習なんかも一通り学びましたが、あのような服装の方は初めてです。どこかの民族衣装でしょうか?」


 う、うわああ!?


「クリスティーナ様はお詳しいようですので、よろしければ教えていただいてもよろしいでしょうか?」

「く、詳しくはないですよっ? そりゃまあ、一緒に住んでる男の子たちが使ってるみたいな話は聞きますし、お金が足りなくて殺されちゃうーって言って迎えに行かされたことも何度かはありますけどもっ」

 あの時は本当に恥ずかしかった。

 最初から足りないことも分かってただろうに、なんで男の子ってえっちなことになると先々のことを考えないんでしょうかねー。


「と……言いますか、もしかしてメルトさん……娼婦の意味、分かってません?」

「はい、娼婦という言葉も初めて聞きました。不勉強で申し訳ありません」


 すれ違ったおじさんが言葉に反応して、ぎょっとした表情でこちらを見てきた。あっちいけあっち! メルトさん声が大きいですっ。


「娼婦というのは……その……あれですよ…………男の人とえっちなことをするお仕事の人のことで……」

「えっちなこととはどういうことでしょうか?」


 追い払った筈のおじさんがまた凄い表情でこちらを見てきた。いやわかるけど! わかるけどこっち見るな!


 そっか……最近はあんまり意識しないことが増えてきたけど、メルトさんってフーリア人ですしね。流暢に話してるけど、そもそも言語が違うから、こういう微妙な表現は知らないんだ。

 そりゃあウィンダーベル家の嫡男の付き人として、貴族言葉や固い言い回しなんかは把握してるんだろうけど、俗語ばっかりはどうしようもないのか。私も単語の覚え間違いは未だにあるから、こういうのはよく分かる。

 というか、えっちって俗語なんですかね。なんで教えてないんですかウィンダーベル家っ。


 私は出来るだけ固い表現を使って説明することにした。


「そのですね」

「はい」


 なんだろう。

 この無垢な表情をした黒髪美人に対して卑猥な事を教えようとしている自分が酷く汚れた人間に思えてきた。ああいう所で暮らしてると、年下に対して色々と教える機会も出てくるから平気なつもりだったんだけど、今回ばかりは相手が悪い。

 けど躊躇っている今も、勉強熱心なメルトさんは先ほどのお姉さんたちを遠目にきょろきょろ。言うしか無い……!


 私は彼女たちの目が届かない物陰までメルトさんを引っ張っていって、その仕事内容を極めて固い表現を用い、誤解なきよう具体的に説明した。


「っ――ぁ、その………………も、申し訳ありませんっ」


 その結果がこの反応です。

 良かった……これでその内容まで説明するなんてことになれば、流石に後はハイリア様に聞いてくださいと丸投げする所だった。

 浅黒い肌でもそれと分かるほど顔を真っ赤にしたメルトさん。とはいえ私も、本で読んだことしかないから実体験で知ってる訳じゃありませんけどもっ。


「そういう訳で、あんまり見てるとお客と思って近寄ってきます。分かって貰えましたか?」

「え……? あの……重ね重ね申し訳ないのですが、女同士……ですよ?」

「女同士というのもあるんです」

 いやそんな不思議そうに言われても困ります困ります。私だってそっちの方面はさっぱりですから! そっちのケもありませんし!

「……因みに、男同士というのもあるらしいです」

「お、と……っ?」

 んー? いま誰と誰を思い浮かべたー?

 お姉さんにちょっと話してみようかー?


「ハイリア様」

 ぴく。

「と」

 ぴくぴく。

「い、いけませんっ!」

「おわぁ!?」


 面白がって遊んでいたら、メルトさんは急に大声を上げた。ぎゅっと拳を握り、頬を紅潮させたままこちらを強く見る。睨まない辺りがメルトさんらしい。


「主人に対してこのような考えを持つのは、不敬や不忠以前の問題です!」


 わあ声が大きい!?

 と、ちょっとこれはマズいかも……。

「メルトさん落ち着いて下さい。ここは何かと敏感な場所ですから、あまり騒ぐと怖いお兄さんたちが――」


「俺達のことかい、お嬢ちゃん」


 うわぁ……。


 いつの間にか周囲には強面のお兄さんが三人……四、五、たぶん七人くらい居る。どうせお店の人の何人かはそっちの人だろうし、正直言って逃げ場がない。

「あんまり市を騒がせないで欲しいんだよねぇ」

 言いつつ、囲むお兄さんたちが私たち二人を舐めつけるようにして見てきた。私のことはあっさり目を逸らした一方で、メルトさんを見た途端、眼の色が変わったのが分かる。

 異様な雰囲気に、興奮していたメルトさんも流石に口を閉ざしている。


 明らかにフーリア人と分かる奴隷階級の女。

 それも、メルトさんほど綺麗な人となれば、この人たちが悪い考えを持たない筈もなかった。


 この人たちは元々、悪事を仕事にする人だ。

 正しさとか、真偽とかじゃない。儲かるか儲からないか、あるいは欲が満たされるか満たされないかで動く。ウィンダーベル家の使用人ですと言ったところで、使い捨ての奴隷に頓着する貴族は居ない。ハイリア様が特殊なだけだ。


 仮に理解してもらえたとしても、ただでさえ戦力とよべるだけの私兵を、領地でもない街へ送り込んだウィンダーベル家の立場も際どい所にある。領主との話が済んでいても、デュッセンドルフ魔術学園は様々な貴族の子息令嬢の通う場所だ。場合によっては緩やかな占領と呼ばれても仕方がない。

 ましてや、現在の人員では不足として、ハイリア様は更なる増員を要請した。


 その上で、嫡男の重症や教団との明確な対立を受けたハイリア様のお父さんは、子の安全を第一にと選択したんだと思う。遥か高みから権力を振り下ろせるとはいえ、度が過ぎれば積み上げてきた信頼が総崩れとなる。

 危うい均衡を崩さないよう、これまでよりずっと慎重に行動するべきだ。


 となれば残るは強硬手段だけど……。


 肝心なのは相手の中に魔術を使える人間が居るかどうかだ。居れば多分、私は勝てない。逃げるにしても、メルトさんを担いでいくことを考えれば、『剣』か『弓』以外じゃないと辛い。

 いや、機会はまだある。今ここで情報も不足したまま始めれば、場当たり的な対処しか出来なくなる。


 まず、三人は短剣か何かを持ってるみたいだった。それが魔術を使えないからなのか、派手な被害を出さない為なのかは不明だ。

 そうそう、いくら自分たちが助かりたいからって、周りに死傷者を出したら意味がない。それならいっそ、連れて行かれた先で強行突破した方がまだやりやすいかもしれない。なにせ相手は女二人と油断してるだろうし。

 後はメルトさんの念話があるけど、それも気軽に見せて良いものじゃない。やるなら最終手段だ。


 方針がある程度固まれば気持ちも落ち着く。

 吐息一つで怯えた様子の無くなった私に、お兄さんたちも不審な目を向ける。けど、戦争を経験していればこういうのも珍しくない。こんな仕事をしている人だ。中には同郷の一人や二人居るかもしれない。


 脂ぎった目がメルトさんを舐め回す。

 フーリア人への差別意識ですらない。肉食動物が足を怪我した草食動物に襲いかかるように、遊びの気持ちさえ含んで近寄ってきた。


「それじゃあまあ、ちょっと事務所で話でも聞――」


 こちらに手を伸ばしてきたお兄さんが、瞬きした途端に視界から消えた。え? と思う間も無く枯草色の髪が眼前を通り過ぎ、周囲を固めていたお兄さんたちを纏めて蹴り飛ばした。

 内一人が近くの店に飛び込み、店主を巻き込んですっ転ぶ。そこの店主は小型弓を隠し持っていたんだけど、分かってやったのかは不明だ。


「撒いたら戻る! 連れて行け!」

「分かった!」


 聞き覚えのある声と、知らない女の子の声。


 二人の乱入に騒ぎを察した客が一目散に逃げはじめた。

「おらおら火事だ火事! 逃げねえと焼け死ぬぞォ!」

 この一言への反応で、彼は市の関係者とそうでない者を見分けたんだろう。大雑把ではあるけど、多少の経験があれば八割以上は切り捨てられる。


「HA! 仕事熱心だねぇアンタらもさァ!」


 緋色の炎が燃え上がる。

 何の躊躇もなく見せ付けられた魔術光に、人の動きが加速した。これに対して幾人かの男が同じく紋章を浮かび上がらせ、


「たまにはサボって昼寝してなっ! BANG!」


 一瞬で五つの紋章が砕け散った。


「よしっ、北側が開いた。行け!」

 事態を追いかけるので精一杯だった私の手を、誰かが強く握った。自分の手を見て、それを握る浅黒い手を見て、最初はメルトさんだと思った。


「それじゃあちょっと走るけど、体力には自信ある?」


 初めて見るフーリア人の女の子。

 ずっと昔、故郷で見た雪のように真っ白な髪をしたその人は、カウボーイハットの少年を残すことに何の躊躇もなく笑っていて、


「私、フロエ=ノル=アイラって言うの。怖いお兄さんから助けてあげるから、頑張ってついて来てねっ」


 その、お日様みたいな笑顔に気を取られて、同じく手を引かれているメルトさんが息を呑んでいたことに、これっぽっちも気付いていなかった。




 

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