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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
短編 一

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紅い果実(上)

 短編になります。

 一話完結ではなく上中下の三部構成で、時系列的にはそのまま二章の後。


 くり子視点で物語が進みます。

 目覚めはぼんやり、最初に聞いた音は自分の鼻を啜る音だった。

 寝ている間にはみ出した足先が寒くて、毛布を蹴るように広げて避難させる。両足を擦り合わせるとほんの少し暖かくなった。

 身体を右へ捻じり、力を掛けて伸びをする。終われば逆だ。と、力を入れすぎたせいか背中から脇腹にかけてピシリと強張る。


「っ、った! あいたたたたたた……っ」


 慌てて逆に伸ばして事なきを得た。

 なんだか朝一番からすごく疲れた気がする。けど、おかげで寝冷えした身体は温まっていて、諦めて目を擦りながら起き上がった。


 両開きの木窓を開ければ、まだ夜気を含んだ冷たい風が入ってくる。首を引っ込めて身を震わせたのは最初だけ。どうせすぐに出かけないといけないし、開き直った方がいい気がした。

 また鼻を啜りながら外へ目を向けると、遠い空に陽が登ろうとしていた。


 夜明けだ。


 本の積み上がった床をひょいひょいと進み、部屋に備え付けの押入れから衣服を取り出す。地味で安物ばかりな衣類が下がった押入れで最も目を引くのは、やっぱりデュッセンドルフ魔術学園の制服だ。寝ぼけ頭でそれを見ると、未だになんでこんなものがあるんだろうと頭を傾げそうになる。


 私は手早く色褪せつつある普段着に着替えると、壁に掛かった握りこぶし程度の鏡の前で髪を梳かした。くせの強い私の髪は、よく梳かしてやらないとすぐ膨らんでしまう。けど、そんな危惧は鶏の激しい鳴き声を聞いた途端吹き飛んだ。


 あっ、もしかしてもう始まってる!?


 櫛を手にしたまま窓から顔を出せば、思った通り教会の周辺にまばらな人の集まりが見えた。すぐにでも飛び出そうとして、櫛を持ったままだったことに気付いて戻れば、積み上がった本の山に足を取られて顔から床に突っ込んだ。


「いったぁぁあい!」


 泣き言一つで気持ちを区切り、軋む板張りの床を押して立ち上がる。崩した山の本が折れ曲がったりしていないのを確認し、すぐさま飛び出そうとして立ち止まり、握ったままの櫛を寝台へ放り投げた。

 そうして部屋の扉を閉じ、鍵を締めようとした所で再び気付く。


 あ、鍵……中だ。


   ※  ※  ※


 痛む鼻をさすりながら教会へ行くと、自分の後見人をしてくれている神父様が穏やかな表情で迎えてくれた。


「寝坊ですか?」

「ず、ずびばせん」

 鼻を啜って答えると、この優しいながらも厳しい神父様は、表情を改めてこちらを見た。

「皆さんはもう始めています。すぐにでも、と言いたい所ですが、まずは顔を洗ってきなさい。寝ぼけた頭で卵を踏み割られても困ります」

「はぃ……」


 怒られると気持ちが沈む。

 お世話になっている人が相手となれば尚更だ。最近遅刻が増えているのもあって、自分でもどうにかしないと、とは思うものの、溜まった疲れは未だに睡眠を欲していた。


 教会の脇にある井戸へたどり着くと、井戸の桶が伏せるようにして置かれているのを発見する。疑問には思ったものの、寝ぼけ頭で深く考える気にならず、完全に油断したまま桶を手にとった。


 その瞬間、とても大きな緑色の何かが跳び上がり、

「ひぃやぁぁぁあああああ!?」

 驚いて仰け反った顔面を足場にして更にどこかへ跳んで行く。踏まれた目元と口元にぬめっとした感触があって、その気持ち悪さに鳥肌が立った。

 ひっくり返ったままその影を追えば、茂みの奥へと逃げていく大きな蛙が見えた。

 蛙そのものに怯えるほど繊細な神経はしていないものの、不意打ちにこんな感触を残されてはたまったものじゃない。

「ぁ、ぁぁぁああ……きもちわるいぃ……」

 芝生の上を転げまわっていたら、少し離れた場所から笑い声が聞こえてきた。


「引っかかった引っかかったー!」

「くり子のばーかぁっ!」

「ひあー、だってさー!」


「あんたたちの仕業かぁああああ!」


 すっかり眠気の吹き飛んだ私は、いたずら小僧たちに向けて拳を振り上げる。けど彼らも慣れたもので、それぞれが全く別方向に逃げ出して身を隠し、顔を覗かせる。誰か一人に絞って追い掛けても、残る二人が何かをしてくるつもりだろう。

 しばし威嚇を続けた後、すぐに追いかけるのを諦めた。どうせあの三人も神父様の前ではちょっかいを出してこれない。


 私が戻って皆の作業に加わる頃には、何食わぬ顔で皆に混じる三人組の姿があった。相変わらず小癪な連中め。


 今私がやっているのは、教会の敷地内で放し飼いされている鶏が産み落とした卵の捜索だ。これが結構大変で、神父様が言っていたようにうっかり卵を踏み潰してしまうこともある。なにせ鶏も子孫を残すべく必死に卵を隠そうとするんだから。

 他にも力のある人は薪割り、小さい子には草むしり、はたまた教会内の清掃から洗濯物に至るまで、周辺に住む身寄りのない子どもに仕事をさせる。


 奉仕活動、と銘打たれているものの、純粋な奉仕とは言えない。


「ご苦労さまです。神もアナタの行いを見ているでしょう」


 作業を終えた後、そう言って神父様から手渡された籠に入っていたのは、切り分けられたパンと卵とチーズの三つ。私たちのような子どもが入手できる朝食としてはかなり上等なものだ。

 お礼を言って家に戻れば、もう炊事場は人で溢れ返っていた。


 私が住んでいるのは学園で言う寮のような場所だ。

 一階は共有の炊事場、食堂、倉庫、便所なんかがあり、住居は二階と三階だ。三階はなんでそんなことになっているのかと思うほど広く、近隣の無関係な家の上に乗っかる形で広がっている。一階の壁も半分が石造りで残りが木造だったり、建築者が相当無計画だったことが伺えた。

 神父様は、結構な昔に教会へ寄付されたというこの家の部屋一つ一つを、私たちのような子どもに貸し与えて、半管理半放任のような体で面倒を見てくれている。

 ここに住んでいるのは子供だけ。たまに様子を見に来てくれるメガネのおばさんは居るけど、ほとんどのことを自分たちでこなしている。そして、格安とはいえ部屋を使うにはお金が必要だ。払わないでいると叩き出されることはないにせよ、神父様から厳しい罰を受ける。

 労働の尊さを知れ、ということらしい。それも出来ないような年齢の子は教会で面倒を見てもらっている。


 私が食堂でのんびり炊事場が空くのを待っている間も、食事を終えた子たちが次々家を飛び出していった。

 町にはそれなりに仕事がある。けど、それも早い者順だ。雇う側に気に入られた人は優先的に仕事を回してもらえるけど、そういうのは滅多にない。私も学園に通うことになるまでは一刻も早く食事を済ませて町へ飛び出して行っていた。

 今も、そうやって急いで食事の準備をしている者たちで炊事場は溢れかえっている。中には空くのが待っていられず、木の枝に刺したパンとチーズを竈の火に翳して食べている者も居た。目算を誤れば黒焦げになるか、枝ごと燃えて燃料になってしまうこともあるのに、男の子たちはこぞってあのやり方を好む。


「牛乳のおっさん来てるぞ!」


 のんびりと構えていた所に、大きな杯を手にした少年が入ってきた。それを聞いた何人かが籠の底を漁り、食堂脇に引っ掛けられている木の杯を掴んで出て行く。

 私もそれを見て、さてどうしようかと考えながら籠の布敷を捲った。そこにある僅かばかりのお金を見て、貯めようか、それとも使ってしまおうかと悩む時間は結構楽しい。

 そして、牛乳売りの報を知らせた少年が、人の少なくなった炊事場へすんなり入って用意するのを見て、私もそれに習うことにした。


「なんだくり子、牛乳はいいのかよ」


 大きなフライパンで目玉焼きを作っている少年が、すっかり知れ渡った学園での呼び名を口にする。

「クリスお姉さん、でしょ」

 別段そう呼ばれること事態は嫌じゃないけど、からかい含みで言われると腹も立つ。その呼び方は私の尊敬する人が付けてくれたものだから尚更だ。

 肩を竦めた少年は、それ以上何かを言うでもなく、目玉焼きを木のお皿に移し、今度はフライパンに牛乳を流し込んだ。

「うわ、後でちゃんと洗いなよ」

「はい、はい」

 普通にチーズを溶かし、トーストしたパンの上に乗せた私は、湯だった鍋の底から適当な卵を取り、自分の分を新たに投入した。

 籠を脇に置いて、さあいただきますと食前の祈りを捧げていたら、さっきの少年が正面に腰掛けた。


「随分ゆっくりしてるんだ」


 一つ年下の彼は湯気の立った牛乳にパンを付けて齧り付くと、切り分けてきたらしいチーズを口の中へ放り込む。

 返事が来たのは、私が、茹でた卵の殻を剥き終えた頃だった。


「いい穴場を見つけたからなぁ」

「へぇ」

 齧り付いたゆで卵に、塩があればなぁ、なんて思いながらチーズトーストを手に取る。

「どこ?」

 サクッとした食感がたまらなくいい。

 やっぱりチーズは温めた方がおいしいと思う。

「町外れ」

「まひはふへ?」

「んー、なんか街道脇で地面が崩れたとかってんで、結構いい値段で雇ってくれるよ」

 炊事場で汲んだ井戸水で流し込み、またゆで卵に齧り付く。その頃には牛乳を買いに行った子たちが戻ってきた。

 人が増えてうるさくなれば、また少し声が大きくなる。

「……あぶなくないの?」

「スコップで穴掘ったり、土運んだりするだけだよ。キツいけど。まあ女向きじゃないよな」

「ふーん」

 詳しい所は分からないけど、確かにこういう突発的な仕事は報酬が良い。私も昔、字が書けるおかげで写本の仕事を貰って、当時はかなり優雅な生活を送れた。

 とはいえ、おいしいだけに知られ始めると、別地区の子たちと取り合いになったりして、揉めることも多々ある。

 手早く食事を済ませながら、彼から仕事についての話を聞く。仕事量が多いせいか今の所揉め事もなく平穏らしいけど、幽霊が出るとか、気付いたら人が減っているとか、変な噂が立ち始めているんだとか。

「気を付けなよ」

「おー」

 気のない返事を聞きながら食器を片付け、籠を教会へ戻しにいった後、悲鳴にも似た歓声があがった。


 ちょっとだけギクリとする。


 なにせ聞こえたのは女の声だ。この貧民街であんな声が上がることは滅多に無い。教会の周辺だけに犯罪が多い訳ではないけど、女の大声が聞こえるというのは大抵良くないことが起きているもので。

 ただ、今も沸き上がってくる声には、むしろ真逆な色が含まれていた。


 遠巻きに様子を見に行ってみると、案の定あの人が来ていた。


 見事な金色の髪に頭一つ抜けた長身。

 ムキムキではないけど、しっかりと筋肉の付いた体躯は、所詮は貴族のボンボンなんていう甘い評価を吹き飛ばすに余りある。事実、ふざけてしがみついた三馬鹿を軽々と腕にぶら下げて笑っていた。

 私たちの知る貴族様なら、まずそんなことはしない。嫌な言い方だけど、私たちは小汚い子どもで、下手をすれば財布の一つも奪われるかもしれない相手。どれだけ慈悲深い人でも、精々金貨袋を渡して終わりだ。

 こんな風に輪の中へ入り込んで砂に塗れる貴族というのを、私は彼以外に知らない。


 ハイリア=ロード=ウィンダーベル。


 あの合宿での一件以来、この町で彼の名を知らない者は居ない。

 専横を極めるイルベール教団に対し、正面から宣戦布告の状を叩きつけたとされる彼は、表向き多くの人に歓迎されている。けどそれはやや間違いだ。

 私たちがやったのは、互いに重要度の高い人物を旗印としながらも、結局のところ小競り合いに等しいもので、全面的な敵対とは言い難い。教団に批判的な領主や貴族は昔から居る。けれど彼らを根本的に叩き潰そうという人が居ない為に、それは行動を制限するという程度の効果しか持たない。

 それに元々ウィンダーベル家は教団に対しては批判的な貴族の筆頭だ。今回は教団でも重要人物であるクレアライン家も絡んでいるから、一概にいつも通りとは言えないけど、中には学生同士の喧嘩として扱う人も居るんだとか。

 死人も出ているあの戦いを子どもの喧嘩とされるのは心外だけど、浮世離れした貴族にはそういう面もあることを、私はよく知っていた。


 結局の所、都合良く英雄扱いする人を除けばほとんどの人が思っているのは一つ。


 彼は、どっちなんだ?


 例えば自分たちの身に教団の矢が降り注いだ時、その身を挺して守ってくれる人なのか、それともやはり倒れた自分たちを見て教団を罵るだけの人なのか。

 自分勝手な考えだけど、大きな者に振り回され続けてきた私たちみたいな人は、どうしたって身の安全を第一に考える。それに、そういう人間だから生き残ってこれたんだという自覚もあった。

 今も広場で笑うハイリア様を遠巻きで眺める人の影があり、見た目ほどの歓迎をされていないことはすぐに分かった。


 とはいえ、牛乳売りの連れ歩いている牛の乳搾りを、三馬鹿に何か言われながら楽しんでいる姿はどこかの気のいいお兄さんにしか見えない。

 手引きの荷車に乗った大樽へ絞った牛乳を注ぎ、また乳搾りを始める。どうやら気に入ったらしい。


 自分に用事があったわけではないらしい事を察した私は、とりあえずぼさぼさの髪をなんとかするべく自室に戻った。それからなんとなく一番可愛い服に着替え、クレアさんから貰ったお化粧(高級品だから普段はまず使わない)をあれこれとやってから家を出た。

 結構な時間が経過していたことに気付いたのは、広場へ足を踏み入れてからだ。そこにはもうハイリア様の姿はなく、人もまばらな広場の中央に立てば、教会の方から人のざわめきが聞こえてくる。


「はぁ……」


 なんかもう脱力した。

 いえいいんです。別に会いに来てくれたなんて期待した訳じゃないんです。一度私の家を見に来て以来、余程このボロい貧民街が気に入ったのか、こうして時折顔を出す。

 本人曰く、本で読んだ世界そのもので面白い、んだとかなんとか。

 今や教会への大口寄付者にもなっていて、私たちのような関係者からは印象が良い。まあハイリア様はそれを言いふらしたりはしない人だから、知っているのも少数だけど。


 さてどうするか。


 いい服を着ているから仕事を探すのは止めておきたい。私たちのような貧民街の子どもに出来る仕事は、基本的に肉体労働しかないからだ。


 そういえば、戦いから逃げながら、辿り着いた街で一番にやっていたのは煙突掃除だった。汚いし汚れるし、あれをやれば三日は喉がイガイガして吐いた唾と鼻水が黒くなる。綺麗な水が潤沢に得られない場所だと特に仕事が取りやすかった。

 なにせ終わった後に小銭程度で追いだそうとする人には、煤まみれの手で誠心誠意お願いすればすぐに相応の額を渡してくれる。

 意地汚い話だけど、そうまでしないとすぐ舐められるし、連れ立っている仲間の食事も十分に得られない。


 誰よりもよく考えて、時にはズルをすることも躊躇うな。

 知識はあるだけあった方がいい。知識のない奴はある奴にすぐ騙される。


 こんな世界でも、生きいきたいならそうしろと、教えてくれた人が居た。だから私も必死になって考えて、時に誰かを踏みつけにもした。流石に犯罪じみたことには手を出さなかったけど。


 知識。

 そう知識だ。

 今日は休日だし、蚤の市があるかもしれない。そこで本を買おう。牛乳一杯分のお金と、貯めてきた分を合わせればそろそろ新しいのが一冊買える。


 持ってきたお財布の中を確認し、頬を緩ませてながら歩いていたら、この界隈ではまず見ないような馬車があった。きっと、ハイリア様が乗ってきたものだろう。

 ここから先は狭くなるしなぁ、なんて思えば、もうすっかり顔馴染みとなった御者のおじさんが、パイプタバコの煙を揺らめかせながらこちらに手を挙げてきた。軽い挨拶を済ませ、さて出発、と思った所に、もう一つの知った顔があるのに気が付いた。


 浅黒い肌に美しい黒髪を結い上げた、メイド服姿の女性。

 年齢はそう変わらない筈なのに、とても落ち着いた、大人びた表情を見せる彼女の名前が、口元からこぼれ落ちた。


「メルトさん?」


 そういえばさっき、ハイリア様の傍に居なかった。

 なんでかな、なんて考えていると、こちらに気付いたらしい彼女は、綺麗な姿勢を更に正し、深々と礼をした。




 

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