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 上着の掛かった背もたれへ、倒れこむように自重を預ける。

 キィ、と根本で軋むような音がした。


 書斎へ差し込む光はいつの間にか赤みを帯びていた。その色も徐々に黒く染まっていく。メルトに用意してもらった灯りが、俺の吐息を受けて揺らめいた。開いたままの本を伏せて置く。

 両手を組み、足を組んで目を瞑った。

 頭の中が随分と混乱している。またため息が出た。


 冷めた紅茶を一気に飲み干すと、カップを戻す勢いのまま立ち上がり、書斎の中を歩きまわる。

 壁一面に並ぶ本の背表紙を撫でるように触れて、その内容を漠然と思い起こしていく。


 本。


 その描き方には様々な方法があり、全てを計算しつくし整然と生み出していく手法もあれば、舞台を用意したらキャラクターが自ら動き出すのを待つという手法もある。中には主人公を演じるように描くというのもあり、どれが正解というより、作家の感性次第と言ってしまっても構わない。


 とりわけ、かつて読んだ一冊の本で、印象的な事を語っている作家が居た。


『物語とは、我々が作り出すものではなく、既に存在している遺物であり、こちらはそれを掘りおこしているだけなのだ』


 俺はしばらく歩きまわった後、机に伏せ置いた本を手に取り、読み終えた部分をパラパラとめくっていく。


 1642年、エッジヒルでの戦いに敗れたオリバーは、後に次世代軍のひな形と呼ばれる鉄騎団を組織。ネイズビーの戦いで国王軍を破ったことで革命への道を決定づけた。やがて彼は護国卿として王無き国を支配するが、僅か数年で病に倒れ、国は再び王国への道を歩んでいく。

 1939年、世界を巻き込むほどの巨大な戦争の中、歌手としての活動を続けていたピアフは、占領下の街で敵軍の士気高揚に利用される体を取りながら捕虜と接触し、脱走計画に加担した。

 戻って前336年、父を暗殺によって失ったアレクは、二十歳という若さで王位に就くと、敵対者を排し、瞬く間に自国を制圧すると、世界の果てを目指して大遠征を始めた。


 あるいはこういうものもある。


 成績不信から落第となり、中学を退学したサカイは、田舎で農作業をしていたある日、何よりも早く、空を翔ける大きな翼を見た。後に彼は、その飛行機という名の翼を用い、天空の覇者となる。


 これが、本に書かれていた内容だ。


「あぁ…………!」


 俺は今まで、この世界をなんだと思っていたんだろう。

 ゲームの中? 馬鹿げてる。文字データの集合体でしかないものの中なんて、ある筈が無かったんだ。

 答えに至るヒントは幾つもあった。


 例えば魔術。


 この世界では刀剣鍛冶というものが発展していない。魔術で無尽蔵に生み出せるものの為に金と時間を費やす者は稀だ。なら細分化されたそれぞれの武装はどこから生じた?


 打製石器から磨製石器へ、そこから銅を加工しての銅剣、革の鎧、木の鎧。炉の発達によって鉄が生まれ、それまでの革鎧は瞬く間に駆逐された。金属部の少ない槍は早期から出現していたが、コレも様々な形状に改良され全くの別物と呼べるようなものも存在する。

 やがて革鎧に変わるものとして板金鎧が生まれ、それを砕くハルバードや鈍器などの重装備が発達すれば、より軽く丈夫な鎖帷子が開発された。


 二十一世紀の現代では骨董品でしかない武器も、その時代の人間にとっては闘争の最前線で命を預けるなによりも現実的な道具だ。装備によって戦略が代わり、勝敗が決定すると言ってもいい。その為にこそ頭を悩ませ、次々と新しい武器を生み出してきた。

 だがこの世界では武器の種類などおまけに近い。


 『剣』(ブランディッシュソード)は『弓』に強く、

 『弓』(ストライクアロー)は『槍』に強く、

 『槍』(インパクトランス)は『盾』に強く、

 『盾』(フォーとシールド)は『剣』に強い。


 4つの属性によって付けられる優劣ははっきりしており、あの神父のような例外を除けば覆せるようなものじゃない。

 厳密に言えば武器による差異は確かにある。しかしそれも、軽く振るった短槍で巨大な両手剣を弾き飛ばせるなど、やはり優劣はある。


 この世界で皆が扱っている武器は、どこぞの刀匠が生み出し普及したものじゃない。そもそも魔術で扱うことが前提となっているなら、もっとその特性に合わせた武器がある筈なんだ。なのに全ての武装が、魔術などない世界で生まれたもの、生身で扱うことを前提としたものとなっている。


 持ってきたんだ。

 どことも知れない場所へ接続することによって。


 メルトの扱う巫女の力は更にあからさまだ。

 あれは、個々を繋ぎ合わせることで遠隔での会話を可能としている。周囲を知覚することも、根本的には同じこと。


 今ようやく理解した。


 繋ぐこと。


 それがこの世界にある魔術の基板。


 なぜこんなにも動揺している。俺はとっくにこの世界を現実だと認めていたじゃないか。それが、『幻影被弾のカウボーイ』を生み出した作者によって掘り起こされた世界だったというだけのことで……。


 だけどこの前提が本当だとすれば、異なる世界から知識と記憶だけを持って現れた俺にとって、無視出来るものじゃない。


 そもそも何故俺はここへ来た。


 偶然世界からこぼれ落ちて、偶然知った世界へやってきた?

 それが偶然知った人物で、世界の流れに干渉出来る立場にあった?


 あまりにも楽観的過ぎる。

 既に世界の流れは、俺の知らない事実を多く孕んでいる。


 いや、それでも俺は……、


 その時、不意に窓が開け放たれ、吹き込んだ風に灯りが消えた。暗くなってみて、赤みがかっていた空がもう暗くなっていたことに気づく。


 外側に開いだ窓に対し、内側へ煽られて揺れるカーテン。

 浮かび上がった『槍』の紋章と共に短槍を手に、目算を付けて突き付ける。


 風が止んだ。


 真円を描いだ月明かりの中で、人の影が浮かび上がる。


「……失敗」

「相変わらず礼儀というものが分かっていないな。表から入って来いと言っておいた筈だ」

「いやだって、暗殺してみようと思って来たのに表からは入れないじゃない」


 あっさり武装を消し去り、椅子へ腰掛けた俺に、声の主が脱力するのが分かった。


「で、何の用件だ――フロエ=ノル=アイラ」


 銀色の尾を引いて、浅黒い肌の少女が書斎に姿を現した。真っ白な髪は腰元まで伸び、風を受けてやわらかく揺れている。

「いや、暗殺しようと思ったんだって言ったじゃない」

「だったら本気を見せてみろ。遊び気分で警備を破られていては、いずれ責任者の首を飛ばすことになるぞ」

 それからフロエは何かを言おうとしたが、諦めるように吐息して、椅子に座る俺を見下ろすように窓の縁へ腰掛けた。

 彼女はじっと満月を眺めていて、俺はそんな彼女を見て、そっと目を伏せた。すると視界にあの本が入ってきて、またため息。


「……あまり邪魔をしないで欲しいんだよね」

「それは、教団に歯向かうなということか」


 返事はなかったが、そよ風に乗って小さな吐息が聞こえてきた。

 全く、お互いにため息ばかりか。


「実は俺はな、随分と前からお前やジークの事を知っていたんだ」

「……どういうこと」

「二つの意味がある。そのままの意味と、少しばかり捻くれた意味だ。お前にとっては後者の方が分かりやすい」

「意味分かんない」

「今はそれでいい。いずれ思い出す」

 上げた視線の先には、分からない、と不満を訴える顔が睨みつけてきていた。


「……私を始末しようとかは思わないの」

「っはは」

 思わず笑ってしまった。

「なに……だって、教団側に付くって言ったのに……」


「なんだお前、殺して欲しかったのか」


 言えば、フロエは月明かりの影に表情を隠した。白い前髪が風に揺れて、引き結ばれた口元が何かを言おうとして、やはり閉じる。

 窓枠に背を預け、折角の月夜も眺めず暗い庭へ視線を落とした。


「私は……まだ死んじゃいけない」

「まるでいつか死ぬような口ぶりだな」

「いつか死ぬじゃない。その時まで死にたくないって、皆思うことでしょ」

「そうだな……」


 不意に、弔った教団の者たちを思い出した。

 死にたくないと、彼らも思っていた筈だ。あそこで死ぬ運命にあると告げられて、絶望しなかった者が居るだろうか。それとも狂気の中に喜びを見出したとでも言うのか。


 いかんな……最近は同じような考えの繰り返しだ。


「……お前はどうなんだ。俺と戦い、死んでいった者のように、本当に喜びを感じて死ねるのか」

「死ねる」

 即答には、ただ落胆の気持ちしかなかった。

「ジーク=ノートンが、その死に絶望するとしてもか」

「生きていれば楽しみは見出だせる。ジークは強いから……いつだって新しい風を追い掛けていける人だから、きっと大丈夫」


 それは間違いだ、フロエ=ノル=アイラ。

 ヤツは強くない。幼い頃に犯したたった一つに罪を償うため、必死になって走り続けていただけだ。その強がりを俺が打ち砕いた。

 強がっていなければならない大きな理由があったからだ。そしてそれが、全ての鍵を握っている。


 言うのは容易い。

 だが、信じさせることが出来なければ、この先全ての真実が霧の向こうに消えてしまう。フロエの積み上げてきたモノはそれほどまでに重い。打ち砕けるのはやはり……ジーク=ノートンをおいて他にない。


「生きていれば、か。それならお前も同じだろう」

「奴隷に対して言うこと? 私たちフーリア人には生きる権利も無いんだって、ちょっと綺麗な道を歩けば誰だって言ってるじゃない」

「俺が一度でもお前たちを軽んじたことがあるか」

「私たちを重んじようとして、今度は自分たちを軽く見始めてる」

「それは……」

「ありがとう。けど、どうしようもないよ」

 言い返そうとした所で書斎の扉がノックされた。おそらくメルトだろう。

「じゃあ、もう行くから」


「フロエ=ノル=アイラ」


 呼び止めた背中をじっと見つめる。


「初陣というものを経験してみて、一つ分かったことがある」

「……そう」


「刃では、人は死なない。諦めこそが人を殺す」


 立ち上がり、扉へ向けて歩き出す。


「もう、慣れちゃったよ」


 扉を開けると内側からの風が書斎に吹き込んで、少し離れた位置にメルトが立っていた。彼女はそっと髪を抑えて風をやり過ごすと、楚々とした表情で頭を下げる。

「お食事の用意が出来ました」

「そうか。どうした?」

 メルトは少しだけ首を傾げて書斎を見る。

「いえ、どなたかとお話されていたのかと思いまして」


 無人の室内には月明かりが差し込むだけで、もう何の気配も残っていなかった。話していた俺自身、夢でも見ていたのかと疑うほどに。

 ふと、机の上に伏せ置いた本を見る。

 俺のよく知る世界について描かれた、名も知らぬ作家の作品。


 タイトルは『地球』。





第二章、完。

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