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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第五章(下)

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   ハイリア


 長らく目を閉じて、頭を休めていた。

 握る手指に強張りはなく、心は平静を保てている。

 焦りと勢いのまま行動するのは危険だ。まして、目的外のことに人員まで引き抜いて、広大な戦場からたった一人を見付け出そうというのであれば。


「……決めたぞ」


 呟きにも似た声へ、やや離れた位置で反応するのは、この作戦で一時的に俺の副官となっているシエラ=パーキンスだ。かつてシュッセンドルフで行われた鉄甲杯にて、俺の元で共に戦ったフィリップ=ポートマンの元副官でもある彼女は、常からなる厳しい目つきで居住まいを正した。


 沈黙を以って先を促す、一度は戦場から離れた女へ向けて、頭の中で組み上がっていく理屈と共にまずはと告げる。


「クレアの捜索は予定されていた第一合流地点から行う。非常事態が発生した可能性を考慮しても、ここまで味方と合流出来ていないのは、早期に行動不能となったからだ」

「了解しました」


 異論を挟まず、シエラは行動を開始した。

 おそらく俺が目を閉じている間に組み上げていたのだろう作戦計画の片方を、右から左へと流すように控えていた者達へ伝達していく。


 これは大きな決断だ。


 捜索を内側から行うか、外側から行うか。


 足跡を辿るのであれば始点から始めるのは妥当な考えではあるものの、物理的な距離がある。

 到着までに掛かる時間は丸々捜索の遅れに直結する。

 外側から、つまり敵の陣取っている王都方面へ北上しながら拠点となりそうな場所を適宜調べていくのであれば、今日この瞬間から捜索を始められる。


 クレア達が戻らないと分かって既にかなりの日数が経過している。

 即時帰還を前提に作戦が練られていたことを考えれば、食料面での不安は極めて大きい。

 そもそも帰還出来ないような事態に遭遇しているのだから、部隊が危機的状況であるのは間違い無いだろう。


 一刻も早く見付けなければならない。

 だから、内から始めるか、外から始めるかという決断は、ともすれば僅かな時間の遅い早いで彼女の生存か死かが決まると言ってもいい、重いモノなんだ。

 それでも決めなければ動き出せない。

 これが正解となるか、失敗となるか。

 大規模な部隊行動を取れたなら、総当たりも可能だったんだろうが、こればかりはな。


「ハイリア様」

「なんだ」


 指示を終えたシエラが戻ってきて、後ろに控えている者達へ視線を流す。

 軽い紹介を受けたが、今回の部隊行動に於ける補給を担当する者らしい。


「よろしく頼む。戦線も構築されていない、敵領域内への強硬偵察だ。補給部隊の動きは俺達全員の生死にも直結する。頼りにさせて貰う」


 激励を受けた者達が俄かに喜色を浮かべる中、シエラは淡々と話を進めてきた。

 急いでいますので、と応じる言葉まで遮って。


「実は、彼らからの提案がありまして――――」


    ※   ※   ※


   クレア=ウィンホールド


 今夜を越すのは難しいかもしれない。

 切れ布に含ませた水を吸わせながら、倒れた仲間の一人を見て私は思った。


 不思議なものだ。

 私は施療士ではないし、見慣れていると言えるほど人の死を看取って来たのでもない。

 けれど、自然と今夜だと思った。

 どうしてだろうな。

 今から何かを得られて、助かるのかは分からない。

 ただの慰みか、自己満足に過ぎないのかもしれない。

 それでも、なにかしてやれたならと。


 まだ陽は落ちていないが、せめて何か、食べる物や、薬草になるものでも見付かればと小屋を出た。


「…………っ、ごほっ、ごほっ」


 我慢していた咳が出て、乾いた唇がまた裂ける。

 喉が痛んで仕方ない。

 行かなくちゃ。

 動けるのは私だけなんだから。

 あの疾走を助けてくれた、掛け替えのない仲間達は皆、病に伏して動けなくなった。


 一人死ねば、あとは一気に。


 そんな不安をかき消すように歩を進める。


「はぁ……、っ」


 ここは第一合流地点よりずっと南へ進んだ場所にある。

 というのも、突っ走る私がどこかで半歩踏み違えて、結果として大きく方向がズレてしまったからだ。

 頭の中に入れていた景色とは違うなと思いつつも、十分な減速を果たすには時間が掛かる。急制動の危険性もそうだが、ティリアナの周辺は流石に『影』が多く出現していたし、ただまっすぐ突っ走るしか出来ない私が逃げる脚も失うのは致命的だったからな。


 合流の大幅な遅れ、相互の迷いに、合流直後の急襲と、面倒な事が重なった結果だ。


 しかし、平地からは身を隠し易い窪地の森にある小屋だから、散発的な偵察らしき『影』がここを見付けることは稀だ。

 味方が……能動的に私達を探してくれていたのなら、地図を元に探し出すことは可能だろうか。

 頭を振って不安を追い出した。

 きっと大丈夫。

 助けは来る。


 松葉杖を突いて坂道を上がり、岩陰から周囲を窺った。


 人影は、ない。


 その事に安堵しながらも、焦りを得る。


 誰か。

 早く、誰か、来てくれ。


 強行するには遠過ぎて、けれど諦めるには近いとも言える、この場所へ。


 でなければ、もう。


 いいや。


 再び首を振って弱気を吹き飛ばす。

 その動作さえ身体には重く、軽い酩酊を覚えて呼吸を整える必要があった。


 せめて、まともに歩ける義足さえ残っていたのなら……。


「……よし!! 必ず夜までには戻ってくるぞ! ちゃんと生きて、待っていてくれ!!」


 近隣の食料はほぼ取り尽くしてしまっている。

 今日は多少遠出をする必要があるだろう。


「死んで堪るか」


 喝を入れ、歩き出す。

 足元で義足がパキリと音を立てた。


    ※   ※   ※


   ハイリア


 見付からない。

 見付からない。

 全ての捜索目標を無視し、物資輸送の部隊も置き去りに、強硬して辿り着いた第一合流予定地点。


 計画書自体の確認もしたから、間違ってはいない筈だ。


 周辺村落を始め、身を潜められそうな場所を片っ端から捜索するも、痕跡らしい痕跡も発見できない。


 ……ここへ来て、『弓』と『剣』を失っていることが改めて重く圧し掛かってきた。


 あの機動力があれば。

 あの遠目があれば。

 鋭敏な感覚と、無茶を通せる力があれば、もっと早くにここまで辿り着く事だって出来た。


「っ……!!」


 酷い矛盾だ。

 聖女の揺りかごから出ようと訴える俺が、いざ不安を得ればそこへ頼ろうとするなんて。


 胸の内にある確かな熱を感じつつ、どうにか誘惑を振り払った。

 今はまだ、その時じゃない。

 俺達は、俺達を手放そうとしない聖女の手を払いにここまでしているんだから。


 こちらから手を伸ばして、縋りつくことだけは決してしてはならない。


 今日まで犠牲になってきた全ての人達の、命に懸けても。


「ハイリア様」


「シエラか……分かっている。だが、もう少し、っ、捜索の範囲を広げて」


「ハイリア様」


 もう陽は落ちようとしている。

 これ以上は捜索に関わる者達の命を危険に晒す。

 分かっているんだ。


 ここで自分の命一つと吹聴して身勝手なスタンドプレーを始めるのなら、最早俺は皆の元に顔を出すことさえ出来なくなる。


 それでも。


「ハイリア様!!」


「っ……、あ、あぁ…………すまない、シエラ」


「いえ……」


 見れば、シエラの顔が少し青褪めていた。

 上の立場の者に対する、強い苦言・提言は彼女にとってトラウマになっている筈のものだろう。


 そこに言及することも出来ないが、無理をさせてしまっている。


 と、何故か、顔色こそ多少悪いものの、シエラはじっと俺を見て、頬を緩めた。


「少し前、別働させていた物資輸送の部隊が回収部隊らしき者達を発見したと報告を寄越しました。同道させている、フーリア人の巫女からの話です」


 それ、は……………………、


「見付けましたよ。皆、とても衰弱していたそうですが、順次治療を行っていると。クレア様もその中に居る筈です。すぐに現地へ向かいましょうっ」


    ※   ※   ※


   クレア=ウィンホールド 


 失敗した。

 頭に被った土を払いのけながら、掴んだ木の根を頼りに何とか立ち上がるも、半ばから折れた義足は元通りになってくれない。


 無理な遠出に、連日の負担が重なったからだろう。

 元々義足はとても繊細なものだ。

 繊細にしなければ、機能性を確保することができなかった。

 ハイリアが語るような、軽量で鋼の如き硬質さを持つ物質が手に入ったなら可能なのかもしれないが、今の私達ではそれが限界。


 滑り落ちた窪地の底で、木漏れ日も僅かな空を見上げる。

 掴んだ土はぼろぼろと崩れてしまい、昇るには向かないだろう。

 では木の根はどうかと先を探ってみたら、すぐ先で土の中へと潜り込んでしまっていて、軽く中を探ってみたが横方向へ深く伸びているようだった。


 それでもやらない理由にはならない。

 ただ、


「っ、ごほっ、ごほっ……、っ!! ごほっ!!」


 口の中に血の味が広がっている。

 血は吐いていない。

 ただ、乾き切った喉が切れているだけだ。

 その奥でどうなっているかなど知ったことじゃない。


 問題はこの窪地へと足を踏み外した際に、砕けた義足の破片が身体のあちこちを傷付けてしまっていることか。

 傷そのものは致命傷とはならないものの、さっきから出血が止まらない。

 止める為の力が弱まっているのかもしれないとも思った。

 病に伏した者達も、随分前に出来た痣がむしろ悪化していたからな。


「大丈夫。大丈夫。まだ。まだ、私の身体は動くぞ。両脚が無くなっても立ち上がったんだ。義足がないのなら、むしろ軽くなったと思え。土を払い、木の根を辿り、道へ戻ったなら」


 歩いてきた道を、這って戻る。


 その距離を想像して僅かに言葉を止めたが、右手は確かに根を掴んだ。

 左手で周囲の土を掘り、足元へ落としていく。

 土を掘り、窪地を埋めればいい。

 簡単なことじゃないか。


 さあ登っていけ。


 どん底は経験済みだ。

 這い上がるのだって。


 諦めてめそめそ泣いてるお姫様に戻ることはない。


「っ、ぁ、く……!!」


 支えにしていた木の根が不意にすっぽ抜けた。

 ひっくり返って、起き上がるのさえ困難な中、どうにか現状を確認する。


「……………………くそ!!」


 モグラか、あるいは何かの虫か。

 根が土の中で食い千切られていた。

 引っこ抜けた長さを考えれば、この先を掘り進めて元を辿れるかは怪しい。

 支えもなしに掘り進めることを考えれば、体力だって。


「さあ……!! 進め!!!!」


 どうしようもない不安の中で、それでも笑い抜いてみせろ。

 こんなの、命懸けの疾走に比べれば容易いものだ。


 己を叱咤し、手にしていた木の根を放り捨てた。


 消えた光明に縋ることはしない。

 支えが無いのであれば、別方向を掘って足元を埋めていくのが一番早い。


 掘って、埋めて、掘って、埋めて。


 爪が剥がれて血が滲もうとも、進むことを諦めなかった。


 そうして、

 すっかり陽も落ちて、自分がどこまで登ってきたかも分からなくなるような暗い景色の中で、


「みつけた」


 人の、声を、聞いた。


    ※   ※   ※


   ハイリア


 クレアが居ない!!

 合流した補給部隊の者達が周辺の捜索を進めてくれていたが、それでも彼女の姿は確認できなかった。


 窪地にあった森の中、隠れ小屋のような場所で、確かに回収部隊として記録されていた者達は確認できたのに。

 治療を続ける内に彼らの一人が、食料探しに出て行ったという証言を得られたが、どこへとか、どの方向へという問いには答えられなかった。

 クレア以外、全ての者が病に感染していることを考えれば無理からぬこと。


 俺達も同じものを貰わないよう、疫病対策は徹底させた。

 元より最悪の事態も想定して準備を進めてきた為、薬の類も数は足りている。

 全滅を避ける為に窪地の外へ天幕を設営し、後ろ備えも用意した。


 焦りを抑えつけ、必要と思える手は全て打った。


 だが見付かったのは、彼女のものと思しき壊れた義足だけ。


 もうすっかり陽は暮れている。

 部隊の安全を考慮するのなら、捜索は明日にするべき。

 分かっているが、胸騒ぎは止まらなかった。


 この、掴んだと思っては指先をすり抜けていく感じには、覚えがあったから。


 今日まで多くの戦いを潜り抜けてきて、幾つかの勝利を掴んだ。

 一方で、その勝利が陰ることはないと胸を張って言えるが、それでも届かず負けた記憶は数多い。


 勝つ算段を整え、準備を積み上げ、届かず負けた。


 幾つもの記憶が訴えている。


 今ここで退いてはいけない。

 身体が砕けようとも踏み止まり、一歩を踏み出した者だけが。


「ハイリア様!!」


 駆け込んでくるシエラを見て、俺は焦りを無理矢理心の内へ押し込んだ。


「どうした」


 尋常な様子ではない。

 彼女は、後ろ備えとして窪地の外で待機させていた筈だが。


「敵襲です!! 私達の存在に気付いた『影』達が集結してっ、こちらに向けて進軍しています!!」


    ※   ※   ※


   クレア=ウィンホールド


 「みつけた。あああああああああ、みぃつけたァ……!!」


 最初、その男の人相を見ても名が浮かばなかった。

 面識があったかと言われればそうでもないのが事実とはいえ、一度は戦場で相対した者でもあった筈なのに。


 僅かな月明かりの中で浮かび上がる、周囲に紫色の魔術光を漂わせ始めた『盾』の術者。

 手にしているのは、あの時も見た鎖鎌。


「ヴィレイ=…………クレアライン、なのか」

「ああああああああっ!! ああっ!! ああああああああああ!!!! えぬぴーしーが喋るんじゃなああああい!! 勝手な動きをするなあ!! ぷれいやーを楽しませるための道具だろおがあああ!!」


 言動は言うに及ばず、その顔つきは、表情は、まさしく狂人そのものだ。

 私も『影』や四柱の術者達についての報告は受けているが、死んでも死んでも生き返るという彼らは、封印という手段を除けば不変不死なる存在だという印象だったのだが。


「あいつっ、あいつら!! おれを、おれをおお!! 殺して殺して解体して繋いで溶かして折って折って折って切り取って捨てていくんだ!! 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度もこの俺を実験どーぶつみたいにさああああ!!!!」


 それで壊れてしまえばどこかで楽になったんだろうが、存外に心がしぶといのか、蘇生というのは壊れた心まで修復してしまうのか、この男に言葉と怒りを操らせる程度の正気を保たせた。


「壊してやる!! こんな世界!! 俺を否定するこんな世界!! バグだらけのつかえねー世界なんか知ったことか!! くそが!! あああああ!!! あああああああああああああああああ!!!!」


 怒っていたかと思えば叫びをあげて胸を掻き毟り、頭を叩き、血走った眼で私を捉える。

 まともな精神状態じゃない。

 余程その、クリスティーナの行っただろう実験が堪えたんだろうな。


 なんて分析をしながら、不意に伸びてきた手を冷静に見詰める。


 既に『剣』の魔術はない。


 私の脚も砕けて折れた。


 一度二度払いのけることはできるだろうが、這いずって逃げることができるかは微妙だった。

 そもそも背後はよじ登ってきたばかりの穴一つ。

 いっそ引き摺り込んで一度くらい殺してやろうかとも思ったが、


「――――――――――――――――」


 月明かりが陰る。

 けれど、同じだけ鮮烈な黄金が見えた。


 気付いたヴィレイが振り返って息を呑む。


「全く……間が良過ぎるだろ。惚れ直すぞ、いい加減」


 吹き抜ける青の魔術光が霧を吹き飛ばす。

 騎馬の嘶きを夜闇に溶かし、振り上げるは黒鉄によって打ち上げられたハルバード。


 金髪碧眼の、私の大好きなその男。


 ハイリアが一切の容赦なく、ヴィレイ=クレアラインの半身をぶった斬った。






ながらくお待たせしております。

かなり、不定期になるかもしれませんが、更新していきます。

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