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ビジット=ハイリヤーク
主要街道から外れた小さな村。
過去の大嵐で漁村としての機能を失い、塩害に悩まされながらも田畑を耕して糊口を凌いでいた彼らが尚もそこに居続けたのには理由がある。
一つは当然として、狭い世界しか知らない人が、必ずしも外への憧れを持つとは限らない事。老衰するように枯れていく村にしがみつく気持ちは確かにあっただろう。
もう一つは、極めて単純に、領主から移住の許可が出なかったことが挙げられる。
当然ながら彼らが住むこの土地、その陸が続く端から端まで、彼らのものじゃない。住民は領主から土地を耕す許可を貰い、住む許可を貰う。許し無しに森を切り拓く行為は、領主の土地を荒らしたとみなされ処刑される。
一人二人が村を飛び出すくらいなら問題ないだろう。だが、村ごと居なくなったとなれば、納税の義務を放棄したとして追われる事となる。
そういう根本的な理由によって、村人たちはここを離れることが出来なかった。
領主が許可を出さなかった理由ははっきりしないが、おおよそ予想出来る。
領主には、仕事に熱心な種類と、社交や遊戯に熱心な種類が居る。前者もまあ、碌な事をしないのが大多数だが、後者は極めて場当たり的な対処しかしない。貴族にとって民の百や二百減った所で問題なんてない。
まともな税も収められないちっぽけな村一つ、言い訳を聞くだけでも遊ぶ気が滅入る。だったら潰れてくれた方がマシだ、と。
そうやって領主からも見放され、すがりついたのが土着の信仰だった。
近隣の町は冬越しの為の食料を法外な値段で要求してくるし、膨れ上がった借金の為に村の男手は連れて行かれ、女子供で畑仕事を進める毎日。
不満や外への敵意が内への盲信となったのは当然だ。
ただ、意外な幸運が彼らの元へ舞い込んだらしい。
それは旅先で妻を失ったある貴族が、その帰りでふらりと立ち寄ったこの村の思想に、心底縋りつくようになったこと。有り余る金を収めることで傷を癒やそうとした貴族と、それを元手に村を発展させた住人たち。彼らは互いの傷を深く慰撫するようになっていった。
元々その貴族はそれなりな影響力を持っていたらしい。
付き合いで祈りに参加しにくる者、その過程で自らも宗旨替えを行った者、そういった連中が村に富を落とし、しかし誰もが領主を動かすほどの力を持たなかった為に、この事は秘匿された。
そうなってくると一つ問題が発生する。
ちんけな貴族とはいえ、数が集まればそれなりな注目を浴びる。商人などは特に敏感で、貴族の集まる所に金の匂いがあるとばかりに付け狙うことが増えた。
祈りの為に村へ行きたいが、素直に向かえば異端審問に掛けられる恐れがある。
この問題を解決する方法が、再び彼らの元へ舞い込んだ。
ある時、村の近郊で地面が崩落するという事件があった。それによって二名の死者を出したものの、村の地下に大きな空洞と通路が発見された。
誰かが言った。ここは、かつて滅んだ大帝国が築いた秘密通路に違いないと。確かに壁面に刻まれた文字は未知のものながら、自分たちのソレと重なるものがある。
誰もそれを解読は出来なかったものの、疑う者は居なかったらしい。
何度か調査が行われ、安全が確認されると、貴族たちはそこを通って村へ集まるようになった。出る時は古井戸に見せかけた縦穴を通って。各地に専用の入口もひっそりと作られた。
それが出来るほどに、地下迷宮は広大だったという。
というのが、今回領主から調査を依頼されてやってきたらしい男たち、以前に俺たちと少々揉めた酔っぱらい野郎共から聞いた話だ。
はした金で雇われたんだと散々愚痴を聞かされながら、十数名の仲間と共にその地下通路を通って村へ潜入した。こちらの潜入に合わせて村の外でハイリア達が陽動を始め、合わせて村内部に居る男たちの仲間も別方向から行動を始める。
二重の陽動に意味はあった。
俺たちは呆気無くヴィレイ=クレアラインの元に辿り着き、彼を包囲することに成功した。
「見事な手腕です、ビジット卿。流石はかつての内乱を生き抜いた傑物。私などではまだまだ及ばないようだ」
供回りは僅か。
周囲を囲まれて尚もヴィレイは落ち着いていた。
普段とは異なる審問官のものらしい灰色の儀礼服を着て、村中央の広場に十字天秤を設置している。先日見たのと変わらない浅黒い肌の女が、疲れ切った表情でこちらを見ている。どうにも、助けに来たとは思って貰えていないようだ。
当然か。
俺らはこの人たちフーリア人を家畜として扱うことに決めた世紀のクソ野郎だからな。
「私からの言葉は受け取ってもらえませんでしたか」
「はあ? 別になんとも言われてねえよ」
しらばっくれて言い放つ。
この国の王、ルリカのサインを入手できる立場に教団があるのなら、それはとてもじゃないが笑えない状況だ。
「何か言うことを聞かせたいならはっきり言いやがれ」
「妹さんは、既に我々の術中にあります」
「らしいな」
「こちらに与するなら、アナタと引き会わせることも可能です」
は! くそったれが!
「そういう言葉はシスコン相手にするんだな。元々継承権を争って殺し合いにまで発展した仲だ、今更何を話せって?」
「アナタの助命を乞う為に、彼女は持てる権利の相当数を放棄したと聞いていますが?」
「だからどうした。殺すのか? おうやってみろ。その時は俺がこの国の王を名乗っててめえら全部潰してやるよ。最初に作る法は決まりだな。イルベール教団に与する者は死罪。知って知らぬフリをするヤツも同じく死罪。教団員は当然生きる権利も与えねえ!」
言葉と同時に『王冠』(インサイスドクラウン)の紋章を浮かび上がらせた。
こちらに気付いて集まってきた教団員に、もう押され始めてる。守りの完成まで時間が掛かることを踏まえれば、ここらが限界だ。もっと人数を割ければ良かったんだが、これでもギリギリだった。
「インサイスドクラウンとは随分と皮肉の効いた名前ですね。『王冠』の魔術は、代々王族の血統にしか覚醒しない。それも数代に一人居るか居ないかという程度。王としての使命を刻まれながら、アナタは敗れた。結果、無意味な生を送る毎日だ。見ていてとても不憫ですよ」
「お前みたいな生き方するよか、千倍はマシだな。なんだその面は。聖職者を気取って醜いテメエを清めてるつもりか?」
しばし無言の後、ヴィレイはただ笑った。
「まあ今回はいいでしょう。目的の殆どは果たしました。この女が欲しいというのであれば、アナタに差し上げましょう」
「だったらまずは攻撃を止めさせてくれねえかな。血の匂いは苦手なんだよ」
「ここで戦い果てるのが彼らの運命ですから。そうと本人も認めている以上、私に止める理由はありません」
「そうかよっ」
動く気配も見せないヴィレイの周囲に、分厚い壁を築き上げる。そのまま押し潰すくらいのつもりで霧を浮かび上がらせるも、やはり何もしてこない。
「ビジット卿。次はこちらに味方してもらいますよ」
「次はもうない。お前はここで終わりだ」
「いいえ。私はここで終わる運命ではない」
その時、ハイリア達が陽動を仕掛けている地点から巨大な砂煙が上がった。そこから何かが飛び出してくるのが見えて、咄嗟に幾重もの城壁を築き上げる。
ソレは、壁を避けもしなかった。
ただ真っ直ぐに突っ切って、まるで子どもが作った砂の城を崩すように呆気無く、完成しつつあった灰色の城塞を打ち崩した。
「お望みのようなのではっきりと言っておきましょう。たとえ殺さずとも、彼女に死ぬよりも辛い苦痛を与えることは容易いのです。ですから、次に我々と敵対した場合、そしてこちらの要請に応えなかった場合、この国の女王はかつてどんな女も受けたことの無いほどの辱めを受けることになるでしょう」
甲高い、悲鳴にも似た雄叫びと共にソレはやってきた。
輪郭はぼやけ、背後の景色が透けて見える。全体像は掴めなかったが、ソレが人間など一捻りで殺せるほど巨大な何かであることは分かった。
「……イレギュラーか。まだこんな隠し球があったとは驚きだ」
しかもこれは、空中を飛翔し、短時間で『王冠』の効果範囲ギリギリから中央までやってきた。破壊力も、移動速度も、これまでの魔術とは根本から違う。
なにより、目の前にしてからというもの、胸の圧迫感が異常なほど強くなっていた。
異質、それ故のイレギュラー。
だがこれは……あまりにも違いすぎる。
「化け物が」
銀色の眼がこちらを向いた。
抵抗しようという気さえ起きない。なにをやっても負けるだろう。手の中で血を流すピエール神父を見て、ほんの少しばかり溜飲を下げる。
っは! やりやがったなあの野郎。
こちらの気分など無視して、化け物の手の中でヴィレイ=クレアラインが言った。
「こちらに来て下さい。さもなければ」
周囲に残る仲間たちを見る。
十数名程度の、為政者からすれば取るに足らない人間たち。
俺は素直に両手を挙げた。
はっきり言えとは言えなかった。試しに一人殺されでもしたら、それこそ悔やんでも悔やみきれない。
「分かったよ。はっきり言っておくが、俺が付いて行く以上、もう誰も殺させるなよ」
「えぇ。最初から、誰も殺すなという指示の元、彼らは戦っていましたから」
なあハイリア、お前……とんでもねえのを相手にしなけりゃならねえぞ。




