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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第五章(下)

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   クレア=ウィンホールド


 どう足掻いたって苦悩は消えない。

 降って湧いたような幸運で得た機会と不貞腐れるのは簡単で、胸を張って私に任せろなんて、嘘でもなければ言えやしない。


 ただ、今、こうして多くの人達に支えられて、その先へ一人駆け出していく段階になって分かることもあった。


 あぁハイリア、いつかのお前も、こんな気持ちで丘の上へ昇っていったんだろうな。


「ハイリアは、間に合わなかったな」


 私の迷いを知っていたのだろうジンが、側にペロス=リコットを伴って声を掛けてくる。


 確かにあの男と会って、心境を打ち明けて、また意味の分からない自信と共に期待を向けられれば、私はがむしゃらにでも胸を張ったことだろう。

 たまにどうしてと思うこともある。

 私がアイツの前で見せた姿なんて、情けないの一言でしかない。


 モノの道理も知らず馬鹿な正義を掲げて、周囲に諍いばかり起こしては孤立して、挙句我が身可愛さに迷い苦しむ者を惨殺した。

 降りかかる批難に脅え、彼の元へ縋り付いてからは、まるで臣下のように振舞うことで自分を低い場所へ置いて、隠れ潜むことで不安を誤魔化してきた。

 彼ほどに凄いと思える人物を私は他に知らない。

 彼より強い者も、彼より思考する者も、彼より優しかったり、彼より人を惹き付ける者もきっと居るのだろう。

 だが私にとっては彼こそが特別だった。

 なのに特別である彼は、何も出来ない私を見て、まるで自分自身を写す鏡のように扱う。


 多くの期待と羨望を浴びて、当然のように成し遂げてきた彼。

 苦しみもあっただろう、迷いもあっただろう、出来る筈も無いと誰もが思ったこともあったかもしれない。

 苦しみの中から勝利を掴み、伏して尚希望を繋ぎ、駆け上がっていった丘の上で拳を振り上げた、そんなことの出来る者がもう一人居るのなら……?


 馬鹿げた妄想だと自分でも思う。


 なのに彼が私へ向ける期待は、そんな彼が受けてきたものと何一つ変わらないように見える。


 どうして。


 この疑問を口にした事は無い。

 聞けば、もう二度と期待されないような気がする。

 失望とか、落胆とかではなく、私への気遣いじみた感情で。


「いい。多分、居ない方がいいんだ」


 あの日、一度は消えてしまった私の中の炎を、彼の言葉が火の粉を散らして灯してくれた。


 全然、これっぽっちも優しくない、驚くほど厳しい言葉で。


 だってそうだろう。

 義足。

 義足だ。

 足裏で地面を感じることも出来ず、足首で些細な歪みを受け取ることも出来ず、切断されて血流が滞りがちな膝と太腿をありえないほど酷使して走って見せろなんて。

 およそ優しさからはかけ離れている。

 転んで泣いている所に手を差し伸べてくれたと思ったら、笑顔でこっちを期待してくるんだ。

 なんとか起き上がって、無理矢理にでも自分を奮い立たせてあそこまで走ってきたのに。

 走った先で小石に躓いて、もう一人では立てなくなってしまったのに。

 こんなにも、こんなにも何も出来ない私に、あの男はまた自分で立って走ってみせろと言ったんだ。


 そんなの、全てを懸けて憎しみ続けるか、全てを懸けて愛するしかないじゃないか。


 馬鹿野郎。


 なのに、どうしてお前は別の女を選んだんだ。


 私をこんなにも惚れさせておいて、背を向けるなんてあんまりじゃないか。


 だっていうのにさ。


「合図だ。準備はいいな」


 頭の中は未だにぐちゃぐちゃなままだった。

 今からやるべきことからあまりにもかけ離れた思考が回り続けている。

 分厚い面の皮は普段通りを演じているけれど、自分でもどうすればいいのか分からないくらい動揺している。


 この疾走は彼が望んだ私の、最後の姿になるだろう。


 もう一度戦場を駆けろ。


 そう言った彼へ恋した私が見せる、精一杯の告白なんだ。


 なのに彼はこの場にすら居ない。

 空振りの恋煩いには丁度良い幕切れなのかもな。


「あぁ、問題無い」


 何一つ準備は整っていないのに。


「よし行くぞ!! 全員離れろ!! 投射機の前方、安全確認はいいな!?」


 応じる声があり、眼鏡少女が最後の確認にと義足へ触れて、離れていく。


 あぁ、始まってしまう。

 こんな時に、何を考えればいいんだろうか。

 いや、考えるべきじゃないんだろうな。


「投射十秒前――――九! 八! 七! 六!」


 でも頭の中に浮かんでくる。


 だって、その為に頑張って来たんだから。


「三! 二――――一、投射!!」


 心はぐちゃぐちゃのまま。

 浮かぶのは手の届かぬ思い人。

 遠い、遠い光景。


 それでも。


 炎が燃え上がる。

 腰元にはレイピアを納める鞘と、封印用の鍛造剣。

 意識を焼かれ、長い長いレールの向こうまで赤の魔術光が延焼していく。

 火薬によって留め具が吹き飛ばされた。限界まで引き伸ばされた強化ゴムの力に引き寄せられ、そこへ魔術による加速の加護が加わる。魔術光が風防となって正面の風を切り裂くが、滑走する足場の上で掛かる加速が凄まじい衝撃となって私を後方へ叩き飛ばそうとする。掴んでいた取っ手へ身を這わせるようにしてしがみ付き、燃え行くレールの先端を睨み付ける。

 完全にレールの先端へ達してからでは遅い。

 あの馬鹿みたいに太いゴムの縮む力を、最後まで最大値で活かすべく、半ばで土台は止まるように出来ている。

 駆け出した先で邪魔にならないよう、また固定させる為にも、先のレールは地面に埋まっている。

 掘り返し、土を被せ、私が駆け慣れた、細かい溝を掘った大判の石畳を敷き詰めてあるのだ。


 来る。


 もう少し。


 先が見えた。

 前方の確認に配置された『弓』の術者が大きく手を振っている。

 この先しばらく、敵影は無い。


 打ち付ける風の向こう、夏の日差しを浴びる草花が揺れていないことに気付いた。

 余計な風は無い。


 ただ、先だっての雨で地面には多少の不安が浮かぶ。


 あ、と。


 考えてなかった。

 石畳を抜けた先、ぬかるんだ地面を走っていけるだろうか。いや待て、出発前にちゃんと確認した。それに今朝から日差しが強くて地面だって乾いて……乾いているのを確認したのは出発地点でのことで、だって投射直後は石畳が続くから、見て、いたっけ?

 見た筈だ。

 だけど急場で確かな記憶を掘り起こせない。

 疑問に思っても遅い。


 限界点がやって来る。


 何も定まらないまま――――それでも、目の前に私が駆けるべき戦場がある、そう思った時、不意に周囲から音が消えた。


「あぁ、行くぞ」


 届かぬ宣言を置き去りに、投射機から飛び出す。

 迫る先、止まった地面が襲い掛かってくる。

 この為に改造を重ねてきた義足だが、凄まじい速度故に、踏み違えれば一発で砕け散ることもある。

 魔術光を前方へ。

 鋭く、切り分けるように鋭く。

 例え先が分からなかろうと、行くしかない時は訪れる。


 そうして地面を踏む。


 第一歩は、最高の感触を以って私を打ち出した。


    ※   ※   ※ 


   ジン=コーリア


 こいつはどんな偶然だろうか。

 クレアが飛び出して行った直後に、後方で青い風が立ち昇った。


 あの内乱を経験した者なら何を意味するかがはっきり分かる。


「……ったく、遅ぇよ馬鹿」


 ついつい笑みが浮かぶのは、まだまだ自分が甘いって証拠だろうな。


「結局クレアの奴、またお前を見損ねたまま走り出したぜ」


 ハイリアの中身が変化したっていう去年の春から、ジーク=ノートンとの戦いでは負けて気絶していたし、合宿では現地を脱していて、内乱でようやく、って所だった。今だって、きっとお前が来たと知れば迷いも何も無くなったんだろうに。


「でもまあ、そんなもんなのかね」


 もう一人の馬鹿が全ての手を拒んで一人になったように、お前が一人であの丘へ昇って行ったように、何かを望むのなら、いつかどこかで一人歩く時間が必要なのかもしれない。


「むー」


 寄り掛かってくるペロスちゃんに待って待ってと手をやると、掴まれて隣へ座り込む。

 きっと本当に寄り掛かっているのは俺の方だ。


「さあ! 撤収撤収!! 敵が来るよお! ここ、敵地のど真ん中だからねえ!」


 最後に駆けて行った方を見やり、眩しさに目を細めた。


    ※   ※   ※


   クレア=ウィンホールド


 魔術の法則性について、未だによく分かっていないことが結構ある。

 今回私達は義足にも『剣』の加護が乗ることを当たり前に受け入れていたが、厳密に言えばそれは私の肉体ではない。

 ならば何故、義足にも加護が乗るのだろうか。


 魔術光そのものの操作に最も優れているのはおそらく『槍』だ。


 分厚く張り巡らせて甲冑とすることもあれば、天高く立ち昇らせて合図を送ることも出来る。

 『騎士』にもなれば行く先へ向けて魔術光を伸ばすことで、ある程度なら周囲からの攻撃を先んじて防げるのだ。


 次に得意なのは、『剣』だと思う。


 『槍』ほどではないが、『剣』も魔術光を守りとして纏うことが出来るし、ある程度なら薄めて視認性を下げることも可能だ。

 そして気付いたのだが、意図的に呼び出したレイピアにも、魔術ではない鍛造剣にも魔術光を纏わせることが出来た。当然、魔術を断つ鍛造剣に切断の加護は乗らなかったが、伸ばした分だけ感覚的に扱いやすく思えた。

 これは勘違いの可能性もある。

 だが、義足を使って走っている時、私達は無意識に義足にも魔術光を纏わせていたのだ。

 魔術光そのものが加護の証ではないようだが、伸ばした意識に呼応して剣の振りは加速して、義足にも加護が乗った。強められるかという検証は半ばであるものの、ならやってみようかと私はレールに対しても魔術光を伸ばした。


 結果、偶然かは不明だがタイムが伸びた。


 レールを走る速度はそう変わらないと言われたので、これは感覚的な問題かもしれない。


 ただ私は、あの投射装置を用いる者達の中で、最もアレから速度を引き出せるようになった。


 一度速度が伸びてしまえば、身体への無理が一気に減った。

 魔術光で前方の大気を切り裂き、前へ押し出されていく身体で地面を踏み、半円状の歪な義足がその衝撃を受け止めて溜め込んでいる間に、もう上体は踏んだ場所を通り過ぎていて、離れていく時にそっと溜め込んだ分を勢いへ乗せる。

 一歩一歩、本当に僅かな加速を積み重ねていく。

 過剰な加速は義足と脚の耐久を大きく削るから、結果として全体の速度が落ちるし、姿勢を崩しやすい。行く時と、耐える時を見極めろ。

 これが中々難しい。

 同じような一歩を踏んだと思うのに、方や速度を減じ、方や思わぬ加速を得ることがある。不思議に思う一方で、なんとなく脚を離した瞬間にそうだと分かる。感覚が腑に落ちて、走り続けながらまた改善していく。

 一歩を踏んで、すこし考えて、また一歩を踏んで、考えて、あぁいいなと思える達成感と、今のはダメだったな、なんて後悔を積み重ねて。

 そうして進んでいく。

 私はこの作業が好きだった。

 昔から走ってみたくて堪らなかったのを覚えている。

 ウィンホールド家の令嬢として生を受けた私は、いずれどこかの貴族へ嫁ぐべく己の価値を高めろと言われ、日々自分を飾り付ける技能を磨かされていた。

 落ちたものを拾うな、扉を自分で開けるな、走るなんてとんでもない。

 先王ルドルフが偽王であったことは、多少なりとも仕える私達にとって後ろめたさがあったのだろう。古都へ閉じ込められていた貴族風情と蔑む声は確かにあった。彼らへ謙る者達も同じくらいに卑しくみっともない。そんな視線があったからこそ、過剰なほど格式ばった教育が施された。


 あぁ堅苦しい。


 いつしか私はスカートを破り捨てて、遠くに見えるあの草原を力一杯走り回ってみたいと思うようになった。

 早く、どこまでも走っていける力を。


――――今私は、あの時夢見た草原を駆けている。


 速度は乗っている。

 加速を望めば、不思議と脚が動いて地面を蹴った。

 まるで強風に晒された炎のように、草花を燃やして駆けていく。


 目標はティリアナ=ホークロック。


 デュッセンドルフの変より、おそらく四柱の中で最も友軍を殺してきた、最悪の敵だ。

 彼女の顔を見たことはないし、今も出発前に教えられた場所へ目掛けて加速を続けている最中。

 時折あがる矢を見て、あぁあそこかと思っている程度。


 それにしても無謀な作戦だ。


 静止した枝葉に触れただけで皮膚が裂けるような速度の中、人間なんていう小さなものに狙いを定め、この鍛造剣を突き立てなければならない。


 目標が見えた時点で、半歩を踏み損なえば狙いが逸れて脇を走り抜けるだけになってしまう。


 あぁでもどうしてだろう。

 走り出す前はあんなにも悩んでいたのに、今はもっともっと速度が欲しくて堪らない。

 少しでも前へ、少しでも早くと。

 見え透いた終わりへ向けて走っているのに。

 早く終わってしまいたいのだろうか。

 違うと思う。

 なにせ、早く走るのは楽しいのだ。


 風を裂き、大地を踏み越え、小川をたった一歩で飛び越えた。


 なあ、ハイリア、見ているか。


 自分の脚で立つことも出来なかった私が、今まで誰一人として届かなかった女へ向けて、誰よりも前を駆け抜けているんだぞ。


 なあ。


 私はお前に、恋をしたんだ。


    ※   ※   ※


   ティリアナ=ホークロック


 今日もアタシは空へ向けて矢を放つ。


 月よ墜ちろ。


 子どもを取り戻す以外に何でも願いが叶うなら、是非とも野郎共の股座を切り落としてやって欲しいね。

 殺すの殺されるので必死扱いてるってのに、なんだって組み伏せられて脚の間へ入ってきやがる。

 汚くって気持ち悪い。

 なのにたまにどうしても欲しくなる。

 一番気色悪いのは女の股座なのかもしれないねえ。


 そろそろ逃げ出した腰抜け共もお終いか。そんなことを思って矢を番えた時、妙に気持ち悪くなって周囲を探った。


 なにもない。


 いや、こういう感覚には覚えがある。


 一度目にしくじった時も、二度目にしくじった時も、決まってこんな、よく分からないものが気になったもんさ。


 なにかある。

 どこかに。

 どこだ?


 ぁあ?


 分からなくって腹が立ち、出鱈目に矢を放つ。


 飛び立ったアタシの意識が執着のままに周囲を探り、そうして、


「あぁ、そっちか」


 だけじゃない。


「反対側も。それに南と、北西、なんだよより取り見取りってか?」


 感覚は凄まじい速度で迫ってきてる。

 とんでもない執着心さ。


 一つため息を付いて、改めて周囲を探った。


 迫ってくるのは分かり易い脅威。

 問題は、脅威に隠れて蠢く連中だ。


「っはは! 居やがる居やがる!! またぞろ来やがったかァ、近衛兵団!!」


 さてどうするか。

 野郎共と戯れてやりたいが、この早いのはかなり嫌な感じがする。


 どれだと見回して、やっぱり最初に感じた方向を見定めた。


 さっき『槍』の魔術光が立ち昇った方だ。

 今から行きますってか? 余程の馬鹿か、そうだと信じるアタシが馬鹿なのか。


 残念ながら対象を目視出来ないが、適当に何発かぶち込んでやれば出鼻を挫ける筈だ。

 アタシのはデカいからねぇ、偶然当たったっておかしくはない。


 とりあえず一発ぶち込んで挨拶と行こうじゃねえの!


 気軽に放ってみてから、ふと我に返る。

 早い。

 しくじった。

 結構手前を狙ったつもりだったが、相手は下を潜って越えてきた。


 再び思う。


 早い。


 舌で唇を舐めて湿らせ、静かに矢を番える。


 なんだ。

 なにが来てる。

 気持ち悪い。

 アタシの嫌いな奴だ。


 馬鹿。


 ただの馬鹿は好きだが、男に逆上(のぼ)せた馬鹿はこの世で最も嫌いなもんだ。

 股ァ濡らして命を刈り取りにくるなんざ、失礼極まりねえって分からないかね。


 一矢、続けて二矢、三矢――――四つ目をあげた所で罠を向ける。上空へふわりと跳んだ矢はそれぞれ高さを調整し、殆ど同時に落下していく。ここに五つ目で正面からぶち抜く矢を放てば、落ちてきた壁で立ち往生した敵を正面からぶち抜ける筈だ。


「くたばっちまいな」


 吐き捨てるように言って、矢を放った。


 そしてそれらは、


「ぁあアアア……ッ!?」


 空中から放たれた矢によって、全てが撃ち落された。


「ざけてんじゃねえぞオイ!!」


    ※   ※   ※


   クラウド=ディスタンス


 放った矢がティリアナの矢を撃ち抜き、無数の魔術光が雪のように舞い落ちていく。


「意外と気付かれんもんだな」


 新たに矢を番え、地上へ向けて攻撃を放つ。


「例え視界に入っていたって、あると思わなければ気付かない。ましてやこんな使い方、歴史上誰も考えたことないんじゃないの」


 『盾』の男が焚き火に手をやり、俺が構えた方向の大盾を消す。

 周囲には灰色の魔術光が立ち込めているが、それは下へ下へと流れ落ちていく。


「確かに『盾』は呼び出した武装を空中へ留め置ける。これは『槍』も同じだね、破城槌で似たようなことやってるし。だけどさ、だからってじゃあ盾で階段作って空を歩いてみましょうなんて、さすがにあのオバサンも考え付かなかったんじゃない?」


 問題は、高い場所は息苦しく、寒いという点だった。


 今のように攻撃へ向けて降りてきた状態であればいいものの、地上から登っていく所を見られると流石に目立つ。

 前線の遥か後方から雲の辺りまで登っていって、所定の場所まで移動して待機する。

 『盾』の術者が歩く程度の早さでしか移動できないことを踏まえれば、実に根気の要る方法だ。

 しかも特別に訓練を受けた貴重な『盾』を最低でも二人は擁する。でなければ片方が眠る時に魔術が解けてしまう。長時間延々と魔術を維持するのはかなり消耗するようで、徐々に交代の間隔は狭まり、限界が近付いていたのは俺でも分かる。


 加えて持ち込んだ大量の燃料も食料も、今ではすっかり減ってしまっていた。

 下手をすれば今日か、無理をしても明日には戻らなければならなかった所だ。


 戦場の各所へ配置し、今日の動きを見てどうにかやってきた、総勢十組の空中狙撃部隊。


 初お披露目が歴代最強の『弓』であるなら、相手にとって不足は無い。


「加えて皆、オバサンに感化されて射程延ばした頑固野郎ばっかりだからね」


 それも僅か二倍程度。意地を張って無茶な鍛錬を繰り返した俺でも三倍と少し。

 長大な射程を持つティリアナには遠く及ばない事実を、俺は心の底から悔しいと思う。


「奴が封印されれば水泡に帰すだけの、ちっぽけな意地でしかないがな」


 駆けるクレア目掛けて放たれた矢を、三方からの射撃が撃ち落した。


「お見事」

「冗談を言うな。奴と比べれば遥かに劣る」


 道は拓く。

 さあ行け。


    ※   ※   ※


   ティリアナ=ホークロック


 なんつー所に居やがるんだよ!!


 あんまりにもムカついて二回も矢をぶち込んだが、足場にしているのが『盾』の魔術とあってアタシじゃ突破出来そうに無い。

 魔術光で満たして切り刻もうにも空中に浮かんでやがるせいで全部下へ落ちていく。

 しかも、魔術光だって手元を離れて矢も消えて、無限に存在してくれる訳じゃねえ。

 落ちてる間に時間切れで、肝心の狙いに何一つ届かないでやんの。


 一度射るのを止めて息を抜く。


 そして手が浮かんだ。

 連中がどれだけ良い場所からアタシを妨害しようと、手が足りなけりゃ意味は無い。


 愛する馬鹿共が迫ってるってのに勿体無いが、惜しんでやり損なったらそれこそ無駄だ。


 改めて自分でも矢を番え、気配を感じながら狙いを定める。

 ありったけを。


 周囲へ仕込んだ罠を一斉起動し、三千発の矢が目標を襲う。

 折り重なる黄色い魔術光。

 間を調整し、徹底して前方を塞いで後ろへ詰めていくような射撃。

 まだ距離がある。

 自分の目では見えてないが、こりゃあ洪水の類と大差は無い。

 膨大な魔術光と無数の矢、現地での仕掛けを起爆させて羽を撒き散らす。

 突っ込んでくれればそこで終いだ。

 それでなくとも脚を止めれば迫る波に呑み込まれて磨り潰される。


 避けられる筈がねえ。

 なのに。


「クソがッ!!」


 相手はそれを越える加速で以って最初の波をすり抜け、残る全てを振り切った。


    ※   ※   ※


   ハイリア


 遠く駆けていく背中を追いかけて、迎え撃つティリアナ=ホークロックの全てが置き去りにされていく。


 仕方の無いことだ。

 彼女が前にしているのは、これまでの誰も体感したことのない速度。


 肉体も義足も限界まで酷使した上での一発限り、そういう覚悟や特別さの話を置き去りにしたとしても、通常の経験を元に下される判断ではどうしたって今のクレアを想像し切れない。


 車で時速百二十キロを経験した者も、新幹線で時速三百キロを経験した者も、では自分に迫るそれを正確に射抜けるかと言えば首を振るだろう。

 まっさらな平地で正面から迎え撃つのならともかく、王都南部は小高い丘が多く視線を遮り易い。それを山なりの軌道で射抜かなければいけない『弓』では攻撃が点となり、狙い撃つのは困難となる。まして狙うのが人間の認識であるならば、誤差の修正なんて絶望的だ。


 ティリアナの知らない速度、想像の埒外、そこに両脚を失った少女が迫る。


 義足というものがハンディキャップであると考える者は多い。

 ところが、現実に百メートル、二百メートル走のタイムは義足使用者の方が早いくらいだ。

 オリンピック選手ですら、不公平を訴えて競技を分けたほど。

 通常の、魔術すらない世界でそうなのだ。

 尋常ならざる速度を得られる『剣』の術者ともなれば、それがどれほどの加速となるか。


 やっと皆の居る戦場へ辿り着いたが、またしても君の背中を見詰めることになるとはな。


 義足に慣れるトレーニングは過酷であった筈だ。

 確かに凄まじい速度を得られるものではあるが、やはり神経の通った肉体に比べると思う儘とはいかなくなる。

 あれほどの速度を出すのであれば、ほんの僅かな踏み違えでさえ致命的となり、死に至ることもあるだろう。

 技術以上に覚悟が必要な筈。

 ただ立つことさえ儘ならぬ身で、日々のストレスは多く、諦めなければいけないこともあっただろう。

 それを乗り越えてきて、この先も続けていくからこそ今がある。


 遠く駆ける君を見詰めながら、ただ勝利を確信する。


 やっぱり君は、俺にとって――――


    ※   ※   ※


   クレア=ウィンホールド


 訓練は苦しかった、リハビリは何度も投げ出したくなった、思うように動いてくれない脚を叩いて泣きじゃくった日もある。

 でも乗り越えたのは、今日まで続けてこれたのは。

 あぁ。


 ぶっちゃけ、愛の力だった。


 だって、好きで好きで仕方なかったのだ。

 そんな男がどこまでも私を信じて、再び走る姿が見たいと言って来たのだ。

 どうしてやらないで居られる。

 どうして無様に蹲って居られる。


 私はハイリアが好きだ。


 アイツに、私はアイツが望むような恰好良い私を見せたい。

 好きな相手に良く見せたいなんて、誰だって持ってる気持ちじゃないか?

 私の場合は一際その想いが強かったんだ。


 初めてキスをした。

 そしたらあいつも返してくれて、その瞬間はなんだって出来る気がした。


 あぁ、実際にやるのとじゃあ大違いで、何度も何度も失敗して、何度も諦めたくなったさ。

 今だって本当に脚が辛い。膝はびっくりするくらい固くなってきていて、腿も、残った膝下も重くて仕方無い。本当はもっと短距離で詰める予定だったのに、急遽王都寄りで決行したからだ。これじゃあ初速は上がるけど、走行距離が大幅に伸て、投射機無しでやっているのとそう変わらないんじゃないか? あぁ腰元が辛い。訓練で無理をし過ぎた。おかしな話だが、長い距離を走り続けていると、走っている感覚を喪失しそうになる。今の私は前へ進んでいるのか、加速できているのか、気付いていないだけで立ち止まっているんじゃないか。一度は冷えた頭の中も、長い距離を走っている内にまたぐちゃぐちゃしてきた。陽射しの熱さが今更になって苦しく感じる。


 アイツは別の女と添い遂げる。


 だけど、じゃあ私のこの想いが消えるのかと言われたら、これっぽっちも薄れてくれなかった。


 自分の全てを懸けて向かい合いたい。

 私の全てを曝け出して、心の底から好きだと叫びたい。


 もし、この手を取ってくれたなら。


 馬鹿な想像だ。


 アイツはもうメルトを選んだ。


 私のコレは独り善がりで、下手をすれば迷惑なだけの、双方にとっても悲しさへ通じる道なんだろう。

 でも、だって、好きなんだ。

 結果が分かっているのに、あの日胸に灯った炎が私を急き立て、こんな所にまで走らせた。


 叶わないのなら止めてしまえと言った者も居た。


 きっとそれが正しいのだろう。


 でも、とまた紡ぐ。


 でも私は正しさが欲しいんじゃない。


 もしかしたら、アイツに愛されることが目的ですらないのかもしれない。


 だって私は、やがてくる喪失へ向けて走り続けているんだ。

 この無意味かもしれない疾走の果てで、では何をするかと考えれば、まああまりにも分かりきっている。


 好きだ。


 もう一度、伝えたいな。

 お前が望み、私が果たした。

 あの時私の心を燃え上がらせた約束を果たして、想いを伝える。


 結果はどうでもいい。


 思って、成程と納得した。


 あぁ決まった。

 全て定まった。


 なら行こう。


 前へ。


――――そして不意に吹いた横風が土ぼこりを巻き上げ、折り重なる布地のように視界を塞いだ。


「……」


 頭が真っ白になった。

 何も見えない。

 いや、見えている。

 薄い幕だ。土ぼこりの向こうは見えている。

 ただ認識を外れた。

 見えているのに認識できない。

 不意の視界不良に意識が持っていかれた。

 この速度だ、抜けてしまえばあっという間。

 けれど少し昇り、降りる直前の変化。

 先はどうなっていた?

 次に踏み出す足の先は、今のままで大丈夫か?

 拙い。

 強張るな。

 もう目標にも近い。

 僅かでも踏み損なえば、速度は私を切り刻んでしまう。それでなくとも、狙いが逸れる。


 行け。

 行け、覚悟を決めて、こうだと決めて、前へ。


 踏み出す。


 何も見えない。

 いける。

 大丈夫だ。

 次へ。

 地面を踏んだ。

 

 土ぼこりを抜ける。


《繋ぎます》


「っ、メルトか!!」


《対象は捕捉済みです。周囲の環境、障害物の有無、こちらで全て洗い出し、誘導を》


「適当でいい」


 なんか笑ってしまった。

 悔しいとも思わない。


「ただ、そうだな、ティリアナの位置は感じたい」


 作戦前へ指定された場所から移動されていたら、この突貫は空振りになる。

 それは嫌だ。

 折角盛り上がっているのに、萎えてしまうじゃないか。


《分かりました。極力邪魔をしないよう、サポートします》


 それで頼む。


 だってさ、これから告白しようっていうのに、相手の婚約者に手を引いてもらったんじゃ、恰好付かないだろ。

 あぁでも、こんな風に協力してアイツを支えるっていうのも、結構悪くないかもな。


 笑って、鍛造剣を抜き放つ。

 魔術光を伸ばし、土ぼこりと風を払い除け、速度を落とさないまま走り抜けていく。


 もう少し。

 もう少しで、見えてくる。


    ※   ※   ※


   ティリアナ=ホークロック


 来る。


 他は粗方払い落としたが、宣言かまして迫ってきた馬鹿ともう一匹だけはとんでもない速度で真っ直ぐこっちへ抜けてくる。

 ムカつく女共だ。

 壁を作れるだけの罠はもうない。

 新たに設置した分で迎撃できるかと言われたら眉が寄る。

 二方向から詰められたんじゃ下がって受けることも出来やしねえ。


 相手はアタシの想像を上回る速度で突っ走ってきている。


 こうなりゃ、もう真っ向から狙い撃つしかない。


 来る方向は分かってる。

 どんな奴かも。

 きっと馬鹿みたいに笑ってやがる。

 この瞬間が楽しくって仕方ねえって顔だ。


 外す気はない。

 気に食わない顔面射抜いて、跡形も無く消し飛ばしてやる。


 見えさえすれば。


 このアタシの執着心が確実にアンタを射抜く。


 まだ。


 まだ、少し遠い。


 でももうじき。


 見えてくる。


 分かる。

 あと少し。


 番えた矢を更に引き絞り、膨大な魔術光を携え、迫る敵へ執着して待ち続ける。


 指先が痺れるようだ。

 力は要らない。

 強張って指が離れないなんざ笑い話にもならねえ。


 ほら、また風が吹いた。

 嫌な風だ。

 昨日からどうにも胎の奥が落ち着かない。


 大丈夫さ坊や、きっとアンタを産んでやる。


 産声あげて、そうさようやく始められるのさ。


 悪にもなろう、善にもなろう。

 なんにだってなっていい。

 なんにもなれないまま死んでいったあの時とは違う。

 子を産めなかった親なんざ、この世で最も価値が無い。

 もう一度アンタを抱きたいのさ。

 声を聞かせておくれ。

 もし産んであげられるのなら、この胎食い破ったって構いやしない。

 腹が減ったのなら、母さんの血肉を食べて生きていきな。

 アンタを害する敵が居るのなら、墓場からだって這い上がって殺しにいくよ。


 愛しているんだ。


 アンタだけでいいのさ。


 自分すら要らなくなるほどに。

 もう二度と、冷たくなった我が子を抱いて泣きたくなんてない。


 だからさ、消えてくれよ。


 アタシを殺そうって奴は、この子を殺そうってのと同じなのさ。


 全霊を懸けてアンタを殺す。

 さあ来い。

 来い。


 もうすぐだ。


 あの小さな丘を越えて、ひょっこり顔を出す筈さ。


 舞い上がる黄色い羽に包まれて、天に弓引く化け物がアンタを狙ってるよ。


 覚悟があるなら来てみなよ。


「あァ……」


 相手が見え――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


    ※   ※   ※


   クレア=ウィンホールド


 ティリアナを目視した一歩目で丘の麓にまで達し、二歩目で奴の服装の色合いまで見えて、三歩目で僅かに揺れる眉を見て、四歩目の半ばで鍛造剣を腹へ突き立てた。

 構えていた矢は放たれない。

 放たれるより早く、ただただ早く、彼女へ封印の刃を届かせた。


 ハイリアのハルバードも打ったというサイ=コルシアス謹製の剣は刺突用に造られており、対象へ突き立てると同時に唾元から分離、剣本体がバラバラになって自然と手元から離れるように出来ている。

 高速で敵へ接近し斬り付けるという作戦上、振って当てるより真っ直ぐ構えて突っ込んだ方が確実だ。ただ、反面相手の身体に腕が触れてしまうという欠点があった。突き刺した瞬間を見計らって手を離すのは尚難しい。

 小枝に引っ掛かるだけで肌を裂かれる速度の中、人一人分の重さに腕を持っていかれるとどうなるか。

 それを回避する為に、かなり無理を言って開発してもらったものだ。

 彼が言うには、鉄杭は封印を旨とする道具として最も基礎的な品らしく、分離する構造上取替えが容易で、今回の品も元々あったモノをはめ込める様にと調整されている。

 鉄杭、いや、釘作りは鍛冶士が最初に任せられる仕事だそうだ。


 かくして鍛造剣は目論見通り分離して、私の手元から離れていった。


 やった。


 たった一言を思う。


 あるのは達成感ではなく、仕留めたという確信のみ。

 何故ならティリアナと交差し駆け抜けた先で、彼女が仕掛けたのだろう石弓が作動してこちらに矢を放ってきたからだ。


「あぁ……、っ!」


 腹を突き刺されて尚も冷淡に敵を狙うその執着心、こんな突飛な手段でなければ決して届かなかったのだろうと思い知らされる。

 狙いは正確。

 私を射抜こうと構えていた弓をピクリとも動かさなかった癖に、眼球だけはしっかりとこちらを捉えていた。

 見えた時点で手元の矢で射抜くのは不可能だと察し、自分の後方へ置いた罠で私の進路上へ重ねるように矢を放つことにしたのだ。

 なんという判断。なんという執着心。腹を貫かれて尚も敵へ喰らい付いてくる。

 防ぐ手はなかった。鍛造剣は手を離れ、レイピアを取り出すには遅過ぎる。既に矢が発射されている以上、それに向けて私から飛び込んで行っているような状態だ。

 曲芸じみた回避もまた論外だ。

 こうして地面を踏んで進むだけでも困難なのに、変な動きをすれば一気に姿勢を崩して自滅する。

 受けるしかない。


 あぁ、全く。


 最後の最後でこうなんて。

 でもいいのか。

 先の無い恋だった。

 駆け抜けて、想いを果たした以上、私に残っているものは何も無い。

 果たし終えて死ぬのなら、無様を晒し続けた私としては上々の締めなのか。

 でもちくしょう、折角上手くやれたっていうのに、英雄と呼ばれるような奴は執念深くてうんざりする。

 出来る限り抗ってやる。

 猶予はたった一歩。

 次を踏み出す半ばで腹をやられ、衝撃で私は転倒するだろう。

 速度も付いているから受けた腹が纏めて吹き飛ぶかもしれないな。

 だから限界まで減速する。

 急激な、無理矢理なものは駄目だ。

 まだ速度を殺しきれて居ないから、義足が耐え得る限界まで粘りを効かせ、速度を抑える。

 動かしている手が遅過ぎて、やっぱりレイピアには届かない。柄を握る、そこまでが限界だ。

 やってみろ。

 何か。

 まだやれる事はある。

 月を落としたと言われるような女の置き土産に、好き放題されて堪るかというんだ。

 まず魔術光を薄めた。切り裂いていた正面の大気が巨大な壁となって私の身体を殴り付けてくる。やりすぎるな。姿勢が崩れる。不可能だとしても次を見据えろ。回避した挙句の自滅じゃ負けも同然だ。ぶつかる風を上へ逃がす。加速時にもやっていたことだ。魔術光で風を上へ流せば、その後ろにある私の身体は煽りを受けて下へ押し付けられる。風による減速を掛けつつ姿勢を維持しろ。浮き上がりかけた身体を地面へ縫い留めつつ、次の手を打ってやれ。どこまで通し、どう流すか。失敗すれば風だけで腕を持っていかれそうだ。

 義足が土を噛み、膝下の断端へ強い圧が掛かる。強く固定させるべく新たに肉を削り、露出させた骨へ杭を打ち込んで義足をはめ込んでいる。負荷は骨へ直接掛かり、それは膝の関節を強く軋ませた。本来なら骨と、筋肉と、筋や皮膚や、何なら血管なんかが総掛かりで受け止めるモノを、たった一つで受け切らなければならない。上体が揺れる。押さえ込め。振った腕が少しだけ姿勢を安定させ、耐えようとした義足の先端部が土の上を滑る。駆ける為の構造だ。止まる為の造りではない。大丈夫、制御出来る、この程度ならまだ。そうしている間にも身体は踏んだ地点を通り過ぎていくが、前のめりになってもまだ耐える。ここまでは溜めた力を勢いへ乗せてきたが、今度は地面を引き寄せるようにして速度を殺す。身体に掛かった慣性が姿勢を低く取るのさえ邪魔してくるが、少しでも低く、引っ掛けた義足の先端で地面を擦る。まだ。まだ。もう少し。

 脚を離した。

 これが限界。

 もう私に出来ることはない。

 駆け抜ける軸線上から放たれた攻撃に回避の手段なんてなかった。

 迫る死に対し、ほんの僅かな時間を稼いでみせただけ。

 せめてお前よりは長生きしてやる。

 皮肉を吐き捨て、命中するだろう腹へ力を入れる暇すらないまま駆けて、そして。


 そして、私の目の前を一番手だった女が駆け抜けて、迫り来る矢を斬り捨てて行った。


 瞬きする。

 吹き抜ける風は問題ない。

 無意識に張り巡らせた魔術光が横合いからの風をほぼ呑み込んでくれた。


 次の一歩を踏んだ。


「っ、はは!!」


 なんて、奴だ。


 ここに至るまで私の方が早かったんだろう。

 遅れた彼女はティリアナへの攻撃が終わっていることを察し、駆け抜けた私の状態を悟った。

 単純に走るだけなら私よりも上だった彼女のことだ、上手く軌道を修正して迫る矢を払い除けてくれたのだろう。

 もしかしたら、彼女もメルトの補助を受けて、こうなることを見越して早めに目標を切り替えたのか。確か巫女は、隠した罠の位置を正確に看破出来る。


「はは、はっ、ははははははは!!」


 頭がどうかしてしまったんだと思う。


 なんだかおかしくて仕方無い。


 今更になって達成感が湧いてくる。


 最強を謳われた『弓』の術者、ティリアナ=ホークロックを討ち取って、生還した。

 まだ陣地へ戻ってはいないけど、これが生還でなくてなんだ。


「私達の勝ちだァ……!!」


 雄叫びを上げ、私達は戦場を走り抜けていった。


    ※   ※   ※


   ティリアナ=ホークロック


 最後っ屁にも失敗した。

 ムカつく女共だ。

 やられた奴に慈悲は無いのかねぇ。

 今のは食らっておく所だろうが。


 胎に貰った刃から急激に無数の手が広がっていくのを感じる。

 二度目だ。


「クソが」


 どうしてどいつもこいつもアタシの子に手を出すんだよ。首を落とすなり心臓を潰すなり方法はあるだろうに、そこをやられちゃ黙っていられる訳ァねえだろうが。あぁクソ苛々する。してやられたことには腹も立つが、一度やられてるだけに対処も分かる。この伸びる手、コレがアタシの中にある深い部分、ずっと遠くの水底へ通じる孔へ達した時、最早復活も出来ずに消滅する。

 自分のことだ、そいつが良く分かるよ。

 だから対処法は簡単だ。

 孔へ触れられるより早く自分を殺せばいい。

 念入りに潰して、肉片一つ一つを土へ擦り込んでやるのが一番だ。


 残る罠を起動させ、アタシ自身を潰させる。


 数が少ない。

 狙いは慎重に。

 効率良く自殺出来る様にしっかりと考えて。


 また戻ってきたら今の女はぶち殺す。最初にやった不幸顔の野郎も同じだ。人の嫌がることしちゃ駄目ですってしっかり教えてやらねえとよう。


 そうして放たれた矢は四方から迫り、


「っしゃあ間に合ったァ……!!」


 切り落され、


「油断すんじゃねえ! このクソ女ならまだ一つ二つ隠しててもおかしくねえぞ!!」


 弾き飛ばされ、


「さあさッ、迫る敵軍の事も忘れるでないぞ! 途中で殺されては封印は成らんからなあ! 一切の隙無く迎え撃てい!!」


 叩き落され、


「応よ分かってらあ!」

「近寄る奴からぶち殺せ!」

「はーっはっはっはっはっはァ!」


 馬鹿共が大笑いする。



「今ぞ決着の時よ! 近衛兵団総員十三名ッ、ティリアナ=ホークロックを守り抜けェ……!!」



 どいつもこいつも血塗れで、ぼろぼろになりながらも戦場を這いずってきやがった。

 アタシらなんかよりもずっと化け物じみた奴らが、こんなにも愉しげに鬨の声を上げてやがる。


 手は、無い。


 『影』も突破出来ねえ。


 孔へと達し――――


「っっっ、っくそったれがぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああ!!!」


 叫びの半ばで、意識は途絶えた。

 もう、泣き声は聞こえない。





ティリアナ=ホークロック撃破。

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