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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第五章(下)

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   クリスティーナ=フロウシア


 しまった爆睡した。

 いつの間にか布地を敷いて寝かされていた私は陽を浴びて気持ちの良い朝を迎えていた。

 敵地のど真ん中で追われているっていうのに我ながらなんという眠りっぷりか。


「おはようございます」

「あ、はよ、ございます」


 既に目覚めていたメルトさんが寄ってきて「失礼します」と断った上で手拭いで口元を拭ってくれる。身を起こすとどこからともなく取り出した櫛で髪を梳いてくれて、寝ている間に形のついた私の癖っ毛が少し落ち着いた。不自由の多い環境にありながら私が女としての体裁を保てているのはメルトさんのおかげです。居なかったら結構拙いことになっていたでしょう。


「ありゃがとうござますー」


 まだぼんやりしていたから舌が上手く動かない。

「いいえ」

 にこやかに笑ってくれるメルトさんを見ながら、あぁこんなお嫁さんいたら幸せだろうなってふと思う。

 くそうハイリア様の幸せ者めっ、絶対送り届けてやるんだからっ。


「おう起きたか。もう少ししたら偵察も戻ってくるだろうから、今の内に食っといてくれ」


 巻き髪さんが顔を出し、一言告げてまた何処かへ行く。


 しまった、完全にお荷物だ。

 昨日は早々に眠ってしまって見張りもしていないし、朝からの偵察やこの先の逃走経路についてとか、考えるだけでもやることは一杯あるのに。

 因みに他の皆さんも身なりは綺麗なもので、戦場によくある少々目を背けたくなるような事情とは程遠い環境です。潜伏って痕跡一つで破綻しますからね、匂いって意外と残るし広がるんです、清潔にするのは当然の措置なんでしょう。


 私が慌てて部屋の外へ飛び出すと、巻き髪さんは驚いた顔をすぐいつものにこやかなものに変え、


「よく眠れるのはいいことさ。この先、余裕が無くなると体力を温存するのも難しくなるからね」

「はいっ、お世話になりました。ですが起きたので何かやることありますかっ?」

「うーん」


 彼は少し悩んだ素振りを見せ、それから私の出てきた部屋を指差す。


「昨日はあんまり漁れなかったから、何か使えそうなものあったら拝借しといて欲しいかな」

「分かりました」


 後日ここへ来て出来る限りの保証はしよう。

 家主が戻ってくるかも分からないけれど、今更過ぎることかもしれないけれど、守るべき一線なんだと信じて。


 窓の近くへは寄らないようにしつつ、メルトさんと二人で潜伏していた家の中を漁り回った。


    ※   ※   ※


 「今夜中にはティレールを出る」


 手早く食事を終えて、偵察と合流した私達は早々に潜伏場所から出て逃走を開始した。

 ティレール近郊は丘陵地帯のある東側に大農地が、西側には開発途中の街並みが広がっている。

 私達が目指しているの西だ。

 丘陵地帯は作戦上放棄されているから、あんな所へ逃げ込んでも味方と合流するのにかなりの時間が掛かる。実験の結果を報告出来れば戦術の幅は広がる筈だし、メルトさんの力は決戦戦術の一つに組み込まれてる。可能ならエルヴィスかガルタゴに合流し、連携を組めればいいんですが。


 路地を抜けていた際に、先頭を行く巻き髪さんが一本指を立てて立ち止まった。

 全員の注目が集まった辺りで指を折り、かぎ爪みたいにしてみせる。


 咄嗟に近くの物陰へ潜もうとして、足が何かを蹴った。

 しまった、と思ったのも束の間、先の角から赤の魔術光を燃え上がらせて『影』が駆け込んできた。一体のみ。指一本、立てていた。続くジェスチャーも把握してる。引っ掛けろ、だ。私はすぐさまククリナイフを掴んで飛び出し、通りを駆け抜けて別の通路へ飛び込んでいく。追ってきた。


 そこへ、通路を塞ぐようにして大盾が出現して追撃を阻む。

 誰かが背後から仕掛けたようで、けれど敵は大盾を跳び越えて私を目視し、盾の裏面を蹴って飛びつこうとした。そこへ味方の『剣』が上方より回りこんで斬り付ける。弾かれた。戦い慣れていないって話は本当なんだろう。空中で姿勢を崩した彼へ『影』が攻撃を加えようとした所へ、二人を隔てる位置にまたも大盾が出現、ならばと下へ身体が向いた所へもう一つ設置する。前方を完全に塞がれた『影』は身を返して後方へ逃れようとするけど。


「仕留めました」


 メルトさんの静かな一言でその場の全員が脱力した。


「あー警戒、警戒は続けてね」


 灰色の魔術光を霧と散らせながら巻き髪さんが言うと、一人が何処かへと駆けていった。

 今の戦闘、他に知られただろうか。

 消えた大盾の向こうでメルトさんが薙刀を構えていて、両断されたのだろう『影』が火の粉を散らしていた。


 程無くして消滅し、再びのため息。


「……すみません」

「うん、まあ気を付けよう」

「はい」


 そこへ先ほど偵察へ向かった人が戻ってきた。


「すぐ逃げよう」


 全員に緊張が奔った。


「こっちに向かってくる奴が居る――――おそらくは、ティリアナ=ホークロックだ」


 言うや否や近衛の皆さんは行動を開始した。

 硬直している私を見て巻き髪さんは目を向けるけど、警戒を優先している。

 メルトさんが寄ってきて、私の手を取った。


「行きましょう」

「っ、はい」


 駆ける。

 自然と手は離れて、そして自分の手と比べてもずっと固いメルトさんの手の平の感触に驚きを覚えていた。


 奴隷、だったんだ。

 それでなくとも家事を仕事として、ああして薙刀を扱えるほどに鍛錬も積んでいる。

 なんだか勝手にお姫様みたいな印象を強くしていたけど、なんの努力もなしに得られる実力じゃない。


 走りながら鞘へ納めたククリナイフの柄を撫でる。


 相手は『弓』。


 余計なことを考えた自分に自嘲して、馬鹿をやるなと戒めた。

 裏路地を駆け回り、全員の姿が見えないことに不安を覚えつつも先導に従って更に走る。

 荷物が重い。

 追いつかれたら、どうなる?

 こんなものを抱えている余裕はあるのかな。


「隠れろ……ッ」


 咄嗟に身体が動いた。

 近くの路地へ飛び込もうとして、腕を掴まれ引き寄せられる。


 物凄い力だったから誰かと思えばまさかのメルトさんだった。


 ズレた驚きを抱えつつ民家の中へ引き込まれつつ、彼女の後を追って奥へと進む。裏口が見えた。確認できてない状態で抜けるのは拙い、と考えた所で裏口の先に赤い魔術光が見え、すぐに止まれなくて、ああ拙いとなった所で襟首を掴んで抱え上げられた。


 あー、うん、はい。


 私小柄ですしメルトさん力強いんで分かるんですけど、走ってた勢いを器用に殺されておっきなお胸へ抱えられるとその、とても柔らかいと申しますか、うわなにこれすごいずっと触ってられそう、なんて。

 思考が馬鹿な方向へ伸びている中、裏口前を『影』が通過していった。

 こちらに視線を向けた様子はない。

 ぼんやり歩いていたんでしょうか。

 彼らの生態についても色々と調べましたが、個体差があって一律な能力とは呼べないことは分かってる。

 うーん、なんて思っていたら今度は階段下の隙間へ押し込まれた。

 後からメルトさんが覆い被さるように入ってきて、狭い空間で身体が密着する。

 

 そして逃げ込んできた入り口側から派手な物音がして身を硬直させた。


「あー、この辺に居ると思ったんだがなァ」


 掠れ気味の女の声。

 見なくても分かる。

 『影』は喋らない。

 口を利くのは生きた人間か、四柱の誰か。

 そして情報によれば『槍』は男で、残るは『剣』か『弓』。その二人に変更は無かったって話ですし、『剣』は幼子の姿だったとデュッセンドルフで確認されている。偵察の方が言っていたのもありますし、確定と見て良いでしょう。


 つまり、この明らかに成人した女の声は、『弓』のティリアナ=ホークロック。


 抱かれる腕が固くなった。

 そうか。そうですよね。メルトさんだって怖くない筈はないんですから。


 なんて思った所で通路に転がりっぱなしの薙刀を見付けて血の気が引いた。

 そうだ。

 私を抱えてたメルトさんが武器を持てている筈もない。

 しかもこの階段下、拾ったところで隠せるだけの隙間は無さそうです。

 置き去りにする以外、方法は無かった。隠れるのと同時に現れたことからも、他に選択肢は無かったでしょうか、うぅん。


 ティリアナは身を隠すでもなく堂々と歩き回り、壁を蹴ったり何かを蹴ったり、物音を立ててみて反応を探してるようでした。同じ『弓』のクラウドさんなんかは痕跡を辿って追跡する術を持っていましたが、彼女はそうではないのか、探し方がどことなく雑です。

 あの馬鹿げた範囲と火力ですし、ちまちま追い掛けるよりまとめて薙ぎ払う方が得意なんでしょうが、これなら。


「なんだアレ」


 思い掛けた所で、明らかにこちらを向いた彼女の声が廊下を吹き抜けていった。


 薙刀が見付かった。

 彼女はそのままじっと内部を観察しているのか、音も声も無い時間が続く。

 分かり易い痕跡に罠を警戒した? でも、遠からずこっちへ踏み込んでくる。限界まで隠れているべきか、それとも先んじて仕掛けるべきか。手を握る。思ったより力が入った。入りすぎて、関節が少し痛むくらい。解せ。こんなんじゃまともに剣を振れない。まだ、まだ居場所はバレてない筈だ。意識が逸れた所へ切り込めば、相手は『弓』だ。『剣』ならば有利を取れる筈。討ち取れると思うほど慢心はしないけど、メルトさんが薙刀を拾って構える時間くらいは稼げる筈。問題は閉所であることか。薙刀は扱い難いだろうし、通路という立地上、回避の幅が取れない。あの大量の罠を仕掛けられて待ち構えられたら、私じゃ絶対に捌ききれずやられてしまう。

 でも、やるしかない。

 問題はいつやる? 散開した味方は? ティリアナがこちらを注視しているのなら、背後で近衛兵団の人達が仕掛けるなり逃走を手助けする準備を整えているんじゃないかな? 戦闘は不得意と言っていたけど、ここまで先導してくれた様子から荒事には慣れがあった。なら、私が不用意に動くことは彼らの動きを阻害する結果にならないか。ただ自己の裁量を重視する彼らの場合、ヘマをやった私達を見捨てることだって考えられる。メルトさんが掴めるのはヴィレイのみ、ハイリア様への義理はあってもこの状況では全滅するしかない。ならば情報を持ち帰ることを優先するべき。ありうる、と思う。感情的な部分を排除するなら、私だってそういう判断を下すかも。どっちだ。どうすれば。頼るのか、覚悟を決めるのか、やれることは、考えられることは他にないのか。


 段々と呼吸が落ち着かなくなってくるのが分かった。

 拙い。

 呼吸を聞かれたら居場所がバレて、不意打ち狙いそのものが不可能になる。

 落ち着いて、呼吸を一定に、一定に……わぷ。


 強く抱き寄せられ、私も抵抗はせず豊かな膨らみの中で荒い呼吸を隠した。


 二重の意味で恥ずかしい。

 ここまで私は役立たずどころか足手纏いなのに、こうも助けられてばっかりなんて。

 でも意地を張る所じゃない。

 音を覆い隠す柔らかさに包まれながら、もう他は何も考えずに呼吸を整えることだけに集中した。


 戦いはきっと、私が一番下手だ。

 判断はメルトさんに託し、邪魔にならないよう努めるのが一番。


 しばらくして、表で大きな物音がした。


 陽動? そうだ。巻き髪さん達が注意を逸らそうと音を立てた。


「あン?」


 けれどティリアナは動かない。

 微かに笑う吐息が聞こえてくるだけ。

 気付かれてる。


 更に音がした。


「っはは!! 分ァかったよ、相手してやろうじゃねえか」


 離れていく足音を聞く。

 そこから十秒以上も待って、ようやくメルトさんの腕が緩み、私は身を離して大きく息を吐いた。


「すみません、足手纏いで……」

「大丈夫ですよ。必ず安全な場所まで送り届けます」


 それ私の台詞です。


「加勢しますか? 逃げてる可能性もありますけど、っと」


 言いつつ一応は警戒して赤の魔術光を灯してククリナイフを握る。

 軽く身を乗り出した所で、陽の光が差し込む入り口の、光の濃い場所からほんの少しだけ黄色い羽が舞う。


「っ……!?」


 罠だ。

 ククリナイフで放たれた矢を弾き、反射的に身を低くして武器を足元へ構え、他にはないかと視線を巡らせる。


 ない。


 ない。


 多分、大丈夫だ。


「っっ、はぁ~……置き土産ってことですかコレ」


 しっかり目視し難い場所へ設置している辺り、何気無い所にも手練れ感がある。

 死角に隠されるだけなら捜索出来ても、心理的な死角はかなり辛い。

 けど仕留めるつもりだったなら後二つか三つはあった筈。それこそ数千単位で罠を設置してくるティリアナにとって、ここを死地にすることくらい訳無かった筈だ。

 巻き髪さん達の誘いは分かっていた、そして私達が潜んでいることも分かっていた、その上で見逃すけど、脅かすくらいはしてやろうと、そんな所だろうか。


「危なかったです…………ね」


 振り向いた私は冷や汗を垂らして顔を引き攣らせた。


「はい。危なかったですね」


 本当に。


 入り口ばかり注視していた私の死角、裏口から放たれただろう矢をメルトさんが素手で掴み取っていて、それはもう指三本という所にまで迫っていた。


「あ、ありがとうございます」

「いえ、大丈夫ですよ」


 本当に、もう。

 尻餅をついた私とは逆に、メルトさんは薙刀を拾い、ほんの少しだけ白い蛍火を浮かび上がらせた。

 もう居場所は知れている。発覚を怖れるより、情報を得る方が良いという判断でしょう。

 ティリアナは離れていきましたけど、別の誰かがこちらを狙わない保証はありませんしね。


「合流は難しそうですか」


「そうですね。対象はどんどんと離れていきます。激しく戦闘をしている様子はありませんから、上手く逃げ続けているようです。合流するより、別行動を取って脱出するべきだと思います」


 なら行動は素早くだ。

 私はククリナイフの握りを確認し、裏口へ歩を進めた。

 まだ罠があるかもしれない。と思っていたら、メルトさんがするりと通り抜けていった。


「大丈夫です。探知で罠の有無を確認しました。先ほどの『影』と、他数体が近くに居ますが、発見されずに抜けていける筈です」


 想定外といいますか、ハイリア様から戦える旨は聞き及んでいましたけど、なんだか逞し過ぎてこの状況だと惚れてしまいそう。


 裏口へ立った彼女は周囲を探った後に振り返る。


「行きますよ」

「あ、はいっ」


    ※   ※   ※


 しばらく順調に進めていましたが、外壁近くへ達した所で限界が来たようです。


「駄目ですね。隙間無いです」


 ここまで大した捜索網を構築しているように見えなかったんですが、敵は外壁部にびっしりと『影』を配置して出入りを見張っていました。

 強行突破しようにも数が多過ぎて絶望的。

 近衛兵団の方々なら、なんらかの突破手段を持っていたのかもしれませんけどねぇ。


「一度内側へ戻りましょう」

「そうですね」


 メルトさんの先導に従って、来た道を戻っていく。


 ああして包囲を完成させた以上、次にやるのはそれを狭めていくことです。

 なら外壁近くに潜伏するのは悪手にしかならない。

 ここまでの苦労が泡になって消えていくのを感じながらも、ゆっくり後悔している時間は無い。


 けれど拙いことになりましたね……。


 包囲が完成した以上、そこを突破するのは容易じゃない。

 戻るにしても、最初の地点からも捜索されていたら網へ飛び込むようなものです。


 なにか、根本的な所で発想を変えないと。


「……クリスティーナ様」

「はい?」


 先を行くメルトさんが足を止め、何かを考える素振りを見せた。

 口元へ手をやる、その仕草さえも気品があって美しい。以前からそうでしたけど、最近は特にそう感じる。


「一度、大規模に探知を行ってみたいのですが、居場所が発覚することも含めて良い立地の場所は無いでしょうか」


 言われて私は地図を取り出した。

 ついでに懐中時計で時間も確認する。

 遅くなれば、それだけ私達の行動には危険が伴う。

 メルトさんの死は時間が不安定だ。遅くなったり早くなったり、この戦いが始まってからは明らかに死の時間が短くなっていますが、とにかく最近は夜が多い。彼女が動けなくなれば、私一人では動き回ることも出来ず囚われてしまう。

 そう時間を掛けてはいられませんね。


 外壁に集まっている敵の数を、目視した空間ごとの密度でざっくり平均値を割り出し、後は暗記している外壁の長さを当て嵌めて算出する。狭めるほどに必要人数は少なくなるけど、抜けを潰すなら要所要所での見張りは必須。正確な数字は必要ない。概算でいい。『影』の能力は私達とそう変わらないから、集結速度や集団での移動の遅延なんかも考慮して、概算と概算を重ねていく。私達の移動速度、許容できる敵からの被発見距離、ティリアナの移動速度に逸れた近衛兵団の方々の数値も加えていく。速さを重要視して細かい所はすっとばした。どうせ憶測。それでも脳裏に、それと気付かない所で数字が巡る。頭の表面で算出した数字に裏から出てきた数字とで検証を行い、腹を括る。

 メルトさんが少しだけ服を緩めて、息を整えるだけの時間で以って、思考を終えた。


「ここです。ここなら複数の逃走経路がありますし、上層の、貴族街のある壁面とも近いです。別行動になった近衛の人達には二人も『盾』が居ましたから、ティリアナから逃げていればこの辺りを使おうとする可能性は結構高いです」


 加えてさっきから天候が怪しくなってきてます。

 逃げる私達からすれば、好都合な状態になりつつある。

 魔術を使うとしても、激しい雨はその光をかなり覆い隠してくれる。


「もしかしたら、別の所とも合流出来そうですしねっ」


 地図を折り畳み、私達は目的の場所へと再び逃亡を始めた。


    ※   ※   ※


   アーノルド=ロンヴァルディア


 余が現地へ到着したのは、すっかり陽が暮れてからであった。

 降り始めは激しかった雨も落ち着き始め、今では小粒な雨が頬を撫でるのみ。


 包囲を狭め、追い込んだ敵が逃げ込んだのは教会跡地。

 捕虜から聞いた話によると、この国で起きた内乱の際、戦いの影響で天井の一部が崩落してしまい、立ち入り禁止になったのだという。

 見事な石造りに彫刻、そして見上げる者の心を圧する尖塔の数々。

 歴史や起こりなど調べてみたいとは思うものの、学者の一人も連れておらん身では仕方あるまい。


 ともあれ敵は尖塔の一つへ逃げ込んだ。


 先んじて到着したティリアナ殿は敵の一部を追い回していたようだが、見失ったとの報告の後に、ここを余に任せて前線へ発っている。

 結局そちらは捕捉出来ないまま。

 

 我らが一時的にでも消失したことで、各地で敵の攻勢が始まり、また『影』共も手綱が外れて纏まりを欠いておる。


 戦線の後退は免れん。

 故にティリアナ殿だけでも早めに前線へ復帰して貰いたかったのだ。


 顎の髭へ手をやりながら、改めて追い込んだ敵の居場所を探る。


 数は二人。昼前に大規模な力の行使を『影』が目撃しており、その後脱出しようとした所を取り囲んであの塔へ逃げ込ませた。

 せめて余がもっと近くに出現しておれば早々に片を付けられたのだろうが、まあ言っても栓無い事か。

 教会跡地を取り囲みつつも、好き勝手にうろちょろしおる連中へ再び手綱を付け、塔への突入を開始させた。


 遅れて外縁部からやってきた伝令より報告を受け取り、未だ壁を越えて外へ逃れた者は居ないと確認は出来た。

 距離を考えれば、伝令が伝えたこの話は日が暮れる前の報告であるが、一先ずはそういう事として考えを進める。


 軍勢とは、前へ進め、と、止まれ、以外の命令を受け付けんものだ。

 あそこまで下がれと言った所で一度引き始めた集団は逃亡を始める。

 故に伝令の時間差も含めてどこまで進ませ、どこで止めるか、それを考える事が寛容よ。


 余の時代の、それこそ共に戦場を駆けた精鋭でも居れば大きく違ったのであろうが、無いものは仕方あるまいのう。


 さてそろそろかと突入させた尖塔の屋上を眺めると、ちょうど旗を持った『影』がこちらに合図を送っていた。


「む?」


 どうにも、潜伏していた筈の敵が姿を消していたらしい。


    ※   ※   ※


   クリスティーナ=フロウシア


 私達は王都ティレールを脱し、西の森へ通じる街路に居た。

 少し行けば農地を取り纏める集落があり、開け放たれたままの納屋が空っぽで、身勝手な罪悪感を覚える。

 辺りは暗く、灯かりは無いに等しい。

 思った通りの曇り空が私達を隠してくれたようですね。


 そして、


「それで? 感謝の言葉がまだのようだけど?」


 私達を助けてくれた、その中心人物が大きな傘を差してもらいながら歩み出てきた。

 こんな暗闇なのに、姿を見ると周囲が明るくなったように感じなくも無い。


「お助け頂いた事、心より感謝申し上げます」


 メルトさんがスカートの左右を摘み、優雅に礼を言ってのける。

 跪くでもない、貴族の令嬢が行うような礼に相手は眉を潜めたようですが、メルトさんもメルトさんで引く様子を見せません。


「随分と偉くなったようね」


 不快そうに言う彼女も、私が昼間に感じたような変化を見て取ったりしているんでしょうか。

 同じ気品に見えて、侯爵家嫡男の奴隷としての気品と、婚約者としての気品では質が違う。

 ハイリア様の代理人として色々な相手と接してきましたけど、メルトさんのそれは彼女にも劣らないものに思える。


「はい。並び立つに足る己で居るべく、日々精進しております」


「っ、そう! けど身の程を弁えず前ばかり見ていると、足を踏み外して転げ落ちてしまうから、気を付けることね」

「ご忠告感謝致します」


 凄い、真っ向から言い返してる。


 周囲の人達もまさかといった表情で身を固くしているけど、そろそろ私も我慢の限界です。


「あ、あの、()()()()様」


 ハイリア様の婚約者となったメルトさんへ食って掛かる、その妹君である大貴族の、今や後継者とされているアリエス様へ、私は身を震わせながら懇願します。


「お、おお、お願いですから、どこかであた、温まる場所、ないですか……っ」


 寒い。滅茶苦茶寒いですっ。いえ温かいんですけど!


 すると彼女はにんまりと笑ってみせた。

 嫌な予感が。


「あらあ? こんなに暑い夏の夜なのに、どうしてそんなに寒がっているのかしらあ?」


「分かってますよねっ!? 私達がどんな所通って来たのか、知ってて言ってますよねっ!? しかも雨降ってずぶ濡れだったんですからっ!」


「その辺に転がってれば服も乾くし身体も温まるでしょう? 火を起こせば敵に見付かる。そのくらい分からないのかしらねえ?」


「分かってますけどっ、分かってますけど寒いんですってば!!」


「どうしてあげようかしらあ? 出来なくもないけど、さっきからそこの元奴隷が癇に障るの――――きゃあ!?」


 私が駆け寄って冷え切った手をアリエス様の手へ触れさせると、悲鳴をあげて逃げ出した。

 逃がしませんよっ、本当に寒かったんですからねっ。

 今度は首筋です、おみ足だって触っちゃいますからあっ!


「ちょっと! 誰かこの無礼者を切り捨てなさいっ! きゃあっ、冷たい冷たい触らないでよぉっ!」


 逃がすものかー、と追い掛ける私とナーシャさんを盾にして逃げ回るアリエス様。


 奥の民家から出てきたフロエさんが、ヘレッドさんと一緒にメルトさんやここまで導いてくれた人達へ湯気の立っている器を手渡していく。


「ありがとうございます、フロエ様」

「あぁ……メルトさん、だっけ? 様はいいよ。とりあえずそれであったまって」

「はい。ありがとうございます」


「アリエス、遊んでるならこっち手伝って。今の内に保存食とか、色々作っておきたいんだから」


「遊んでる訳じゃ……っ、もうしつこいっ! きゃあ!?」

「もー、これだから貴族様は」

「私は悪くないのにーっ」


 アリエス様のお肌で温まった後、私達は温かな食事にありついて、ゆっくりと休んだ。


 王都からは脱出出来たけど、明日からまた逃走が続く。

 束の間の休息を味わい、そしてまた、走り出した。





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