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クリスティーナ=フロウシア
そろそろ限界かもしれない。
薄暗い地下室で実験を続けていた私達だけど、独自の判断を下すべき時が来ている。
開戦当初、封印の順番として最適とされていたのが『盾』『槍』『弓』『剣』だ。
けれど正直見誤っていたことを認めざるを得ない。
単純に兵の相性を考えれば間違いではないと思う。
ただ、この戦場にはティリアナ=ホークロックが居る。
彼女の超長距離射撃がある中、有効な防御手段を失うのは軍勢として致命的な状況になりかねない。
デュッセンドルフでの経験から警戒を要する事は十分考慮されていたけど、『剣』での肉薄を物ともしない戦闘力に、アーノルドによる用兵があまりに巧みで、未だに近衛兵団以外が食い付けたことがない事実は、捕らえたヴィレイ=クレアラインの封印を躊躇うに十分過ぎた。
本来なら防御陣地でティリアナの攻撃を受ける想定だったのに、あまりに早く第一、第二の陣地を失ってしまい、第三陣地は準備が整わない内に突破され、ズルズルと後退を続けている。
下がりながら戦線を拡大させる意図があったのは確かですけど、まさか殴られるまま押し返されるとは、考慮こそすれ戦いもしない内から認めるのは難しかった。
相談したくとも、相互の連絡が途切れたのはいつだったか。
見えていることはある。
私の判断が全軍に影響を及ぼすコレを、絶対と言い切るのは心底辛いけれど。
でも。
ティリアナの排除無しに『盾』を失うことは出来ない。
そう結論した。
けれど偶発的に確保出来たヴィレイ=クレアラインをただ放り出すのはあまりに勿体無い。彼のような臆病で他者を貶めることばかり考えてきた者は、一度危険を得た後の逃げ足は怖ろしく早く、狡猾になる。手段を選ばないという点でも開放は危険。
だけど、と部屋の隅で瞑想するメルトさんを見た。
私達がヴィレイを確保し続けていられるのは、彼女あってこそだ。
巫女の力について説明は受けたものの、フーリア人的価値感や表現が多くて正確に理解出来たとは思えない。対応する言語が無いことで、メルトさん自身が上手く伝えられているか不安そうにもしていた。多くを学ぶ前に修行を中断されてしまったことも原因でしょう。
そのメルトさんが目に見えて憔悴している。
「大丈夫ですか。上で横になって居てもいいんですよ?」
「いえ……周囲の警戒もありますので」
こういう頑固な所は本当にハイリア様そっくりだ。
あの人は頼ることを覚えてから変な無茶振りを平気でするようになったけど、結局メルトさんの死に関することなんかの深い所では一人で抱え込んでしまっていた。不器用で、真面目で、真摯で、だから自分で向き合うべきと思ってしまったら口を噤んでしまう。
四柱の生体について、実は今の状況で調べられることはほぼ終えている。
残るはどうやって開放するか、あるいは封印するか、です。
出来れば確保を続けたいものの、このままメルトさん任せで遂行すべきなのかと悩み続けて早数日。
無理もないですよね……。
そもそもヴィレイ=クレアラインを確保する前段階、四柱の再召喚についてのメカニズムを掴むべく、彼女はティリアナ=ホークロックの死を探知していた。ようやく訪れた、次は無いかもしれない貴重な機会。初手での確保には失敗したものの、次のヴィレイ=クレアライン確保が成功しただけに、それはまさしく大戦功と呼べるものだった筈。
そうして成果を得た傍らで、彼女の姉であるフィオーラさんが神父によって刺し貫かれていた事実さえ無ければ。
極度の緊張と集中を必要とするものだった為か、メルトさんは当初その事実にも気付いていなかった。後になって知らされた彼女は、たった一人残った肉親の危機を見落としたという、重たい罪悪感を抱えることになった。
潜伏場所への移動と、後の実験、私達が孤立状態で動いていることもあって、フィオーラさんがどうなったのかは未だ以って知れない。
何度もメルトさんを連絡係として派遣しようとしたけど、彼女は意地を張って動こうとはしなかった。
あるいは結果を、私達では分からない方法で知っているから拒絶しているのか。
見ないフリを続けることで戦える自分を維持しようとしているからか。
なんにせよ目の前の仕事へ打ち込むことで罪悪感から目を背けていた彼女は、ここへ来て消耗を隠し切れなくなっている。
加えて定期的に訪れる死。
私はもうどうすればいいのか分からない。
この場で唯一の同性として、メルトさんの死を看取り続けながら、ハイリア様はこんな苦しみを一人で抱え続けていたのかと、あまりの苦しさにひたすら頭を抱えて涙した夜もあった。
明らかに手に余っている。
ヴィレイの処置、それに伴う戦いの趨勢。
心理的負担の大きいメルトさんを支えて、この潜伏状態をいつまで続けるのかという判断。
近衛兵団から借り受けた人達も尋問や交渉向けの人ばかりで、腕は立つようだけど部隊指揮を執れる人は居ない。流れに乗って役割を振る彼らは自然と私を現場の監督者に定めてくれたけど、誰か代わってくれないかと思う時もある。
それじゃあいけない。
思いながらも、回り続ける思考は嫌な可能性ばかりを見付け出してくる。
「よーし。処置終わったから、一度殺しちゃうよー?」
注射を手ににこやかな表情を浮かべる青年が呻くヴィレイの口へぼろ切れを突っ込んだ。
刻む所も無くなってきて、そろそろ再出現させる頃合いだ。でもメルトさんの状態を考えれば先延ばしにしたくもあった。最悪、見失うのはいい。問題は失敗を得た彼女が更に意固地になってしまうことで。
「大丈夫です。今日は周辺に『影』も居ませんから、上手く誘導出来ると思います」
「はいはーい。ぷすっとね」
私が判断を下すより早く、メルトさんの言に従って処置が施された。
監督者として認めてくれてはいるけれど、やっぱり彼らは近衛兵団だ。私の心遣いが無駄だと暗に示してくる。
毒を注入されたのだろう、縄で縛り付けられた血塗れの脚が鬱陶しい音を立てた。
この世で自分だけが不幸だと思っているような悲鳴を聞くと自分でも驚くほど心が冷えていく。
アレが涙を流すなどという人間のような行動を取っていることが腹立たしい。
クレアさんから脚を奪った。
なのに自分は不老不死なんていうものを手に入れて、今やセイラムを守る一柱になっている。
いくら母の愛だと言われたところで、こんな男を迎えている時点であちらのセイラムに信用出来る判断力があるとは思えない。
少しして、周囲に飛び散った血や肉片ごと消失した。
直後。
「っ、っっぅ、ぁっ、ああ!!」
瞑想していたメルトさんが崩れ落ちる。
既に巫女の魔術光たる白い蛍火が浮かび上がってきていたけど、慌てた様子で振り払い、掻き消している。
吐き気を呑み込む様な仕草の後、彼女は己の中で暴れているだろう全てを押さえ込んで立ち上がった。
「今すぐ逃げましょう……っ」
何が。
呑み込めずぼんやり眺めていた私達へ、メルトさんは一度息を整えた。
暑さだけが原因ではない汗が一筋、浅黒い肌を流れ落ちる。
「ヴィレイ=クレアラインはロストしました。おそらくですが、敵の残る三柱が同時に自殺し、私の張った網へ自ら飛び込み、食い破ってきたようです。居場所を知られた可能性があります。誰か一人でも確保しようとしましたが、とても掴み取れるようなものではありませんでした――――あれが本来の、セイラムに選ばれた英雄の器……」
一番に動き出したのは先ほど注射した青年で、部屋の中にある資料を掻き集めて火を点けた。内容は、覚えてる。収集した知識を敵に知られることは確かに避けるべきだ。そして別の人が部屋から飛び出し、もう一人が後を追う。
それから一人が戻ってきて叫んだ。
「先に行け!! 後から追い掛ける!!」
私はふらつくメルトさんの手を掴み、『剣』の紋章を浮かび上がらせて駆け出した。
※ ※ ※
隠れ家を出てまず陽射しの強さに目を細めた。
茂みを踏み越えて、隠してあった縄梯子を崖下へ放る。
「先行します! 大丈夫ですか!?」
「はい。ですが、私の薙刀は……」
後にした方が良さそうです。
敵の追撃がいつ始まるにせよ、最初が一番無防備になりますから。
私は改めて自分の居る場所を思い、呆れそうになる。
ここは王都ティレール。そして王城の誇る城壁内へ意図的に作られただろう空白こそが私達の隠れ家です。
断崖に面した場所であり、根元には茂みが、上からは鼠返しのおかげで死角になりやすい。そして城壁の石を幾つか外してやれば、数人が潜伏するのに十分な広さの部屋が幾つも出てくる。一見すると敵にも悪用されそうですが、入り込むための経路は丸見えで、普通に警備を置いていれば確実に発見できるような場所。
『影』の性質を逸早く把握できているからこそ選ばれた場所で、おかげで危険らしい危険もなく今日まで潜伏してこれました。
ハイリア様は内乱の際、王族向けに作られた脱出路を用いてイルベール教団の監視から抜け出したそうですけど、お城ってどうしてこうも秘密の空間だらけなんでしょうか。
そもそも敵地のど真ん中です。
『槍』のアーノルドや『弓』のティリアナなどはティレールを根城として頻繁に出入りしていたそうですけど、相手からしたって本拠地に潜伏していたのは盲点だったことでしょう。
案内された私が一番呆れましたから。
とはいえここが最適なのも一理あります。
私達の目的はヴィレイ=クレアラインを確保し続け、実験を行うことです。
なら、どうあっても本隊と行動を共には出来ません。
なにせアレ、本隊の身構えてる行動範囲外へ出ると消えちゃいますから。
よって私達は常に敵の襲撃があり得る場所へ潜伏する必要があった訳です。
それにしても内乱で一部が大きく破壊され、復興しかけた所にこの惨状。
デュッセンドルフも未だ瓦礫の整理が終わっていないという話ですし、セイラムを退けたとしてもホルノスの立場は危ういんじゃないでしょうか……。
「あ、ここの出っ張り気を付けて下さいね。結構尖ってます」
縄梯子は崖へ張り付くようにして垂れ下がっているから、突き出した部分では足を掛けるのにも苦労する。
私と同じようにあまり出入りの無かったメルトさんへ注意を促したつもりですが、ついつい上を向いてからあっと気付く。
おぅ黒色。
「大人っぽい下着ですね」
相手が居ると関係無い時でも気合いが入るものなんでしょうか。
おみ足がとても綺麗で見惚れてしまいそう。
男でなくともちょっと触ってみたくなるもんですね。
しみじみハイリア様との関係を聞いてみたくなった所で、メルトさんから幾分冷えた声が降って来た。
「蹴ってよろしいですか」
「よろしくないでーす!」
おっかないので『剣』の身軽さを生かしてするすると縄梯子を降りていった。
こういう遊びは大切ですよね。
敵に捕捉されたのであれば、ここからしばらく笑っている暇さえ無くなるでしょう。
目を欺き、潜伏するには優れた場所でも、敵陣のど真ん中である事実は変わらない。知られないまま逃げるのならいざ知らず、メルトさんの言う通りに居場所を知られて追撃を受けるとなれば、およそ考え得る中でも最悪な位置に居ることでしょう。
援軍が来るとしても丸一日か二日は掛かる。
それを戦闘に長けているとは言い難い私達でどう逃げ切るか。
敵は無数の『影』と、セイラムに選び抜かれた本物の英雄。
私達の、先の見えない逃走劇が始まった。
※ ※ ※
降り立った瓦礫の上からひょいと駆け出して物陰へ身を潜める。
握っていたククリナイフを革製の鞘へ収めて魔術を保持。
飛び散る火の粉を抑え、抑え、魔術光を薄めていく。『剣』の属性は魔術光の抑制が比較的得意だ。『弓』ほど隠蔽に優れてはいないから、動き回れば結構火の粉が舞うし、よくよく見れば炎が揺らめいているのを見られてしまう。
「私が先行します」
いつの間にか音も無く隣へ来ていたメルトさんが後続を確認し、ちょうど瓦礫を踏んでいた細身の巻き髪さんがひょこひょこ駆けて来る。
近衛兵団といっても全員が戦闘要員ではないようで、実験に参加してくれていた人達は戦いが苦手だとか。足取りは私よりずっといいと思いますけど、見ていても居場所を見失うこともあるメルトさんと比べると確かにそのようで。
いや、メルトさんが凄すぎる気もするんですが、フーリア人の基準が分からなくてなんとも言えませんね。
巻き髪さんは前方を確認していたメルトさんへ待てと示して自分が前へ出る。
「お嬢さん二人は後ろから付いて来て。君、体調悪いんでしょ」
「ですが、私であれば周辺を探知しながら先導出来ます」
「信頼性に劣る」
ばっさり切り捨てて無防備に姿を晒すけど、今の所捕捉された様子はない。
「君が発見できるのは人の有無だ。罠の類や痕跡を見落とすことはあるんじゃないかい? 今回は特に、敵陣内部からの逃走さ。位置が分かって避けていけたとして、最適な経路を的確に抜けていくだけじゃ突破するのは難しい。追跡する敵の思考を揺らし、時間を取らせ、こちらの行動に信用を置かせないことが大切なんだ」
彼は足元の瓦礫を蹴って壁へ打ちつける。
開戦より日も経過しているからか、上には砂埃が降り積もっていて、分かり易く足跡を付けてから別の場所へ飛び移る。
「まあでも、居場所が分かるのは助かるから、要所要所で頼らせてもらうよ。安心するかしないかは任せるけど、僕だって死にたくはないからね」
「わかりました。お任せします」
「うん。ここからは、いつも通り僕らの戦場さ」
後続の到着を見届け、荷物を分散して背負った後で、私達は先導に従って駆け出した。
戦闘をさっきの巻き髪さん。次にが私とメルトさんで、後ろにもう二人居る。
本当はあと二人居た筈だ。
一人は拠点で先に行けといって残ったし、もう一人は見回りと物資の補給中。
「残ったのは、外へ出ていた方と合流する為ですか?」
「うん? いいや、拠点内の仕掛けを使って追跡をかく乱する為だ。敵が侵入したことにも気付けず戻ったらソイツの失態。尻を拭いてやる必要はないよ」
相変わらずな思考に胸の内がムカムカする。
確かに、戦場やそこに関わる裏側の行動において近衛兵団の判断は優れてる。
個々人が責任を負って動くからこそ、連絡も無しに動きを読み合って離れ業みたいな連携を取ることもある。だけどどうしても、私が付いて行きたい人の考えから離れ過ぎている。
割り切ってはいるつもりだし、相手には恨みも敵意もある、その上で散々に身体を切り刻んで実験を行った。
今更だとは分かっているけど、随分と陽射しが眩しかった。
そこから一時間ほど走り回った頃、唐突に爆発音が背中を叩いた。
広がる音に頬が痺れる。
思わず振り向いた先で、私達が潜伏していた拠点付近に煙が上がっている事に気付く。
「こっちっ。急いで隠れて」
確かに丸見えだ。
言われるまま近くの民家へ飛び込んで身を潜める。
「誰か、乗り込んだ奴の姿見えた? 無いかなぁ、僕らの中に『弓』って居ないよね」
「私は『剣』です」
「僕は『盾』だからねぇ」
残りも『剣』と、『盾』。変に偏った構成だ。残った人が『槍』で、巡回中の人が『弓』だった筈だから、合流できなかったのは結構痛い。いや、戦闘にさえならなければ問題ないんだ。見付からないこと。それを第一に考えよう。
「探知しますか」
少し躊躇いがちな声でメルトさんが質問する。
「やめといた方がいいかもね。君の予測通り、こうも短時間で拠点を襲撃してきた以上、巫女の力を逆に利用されてるんだ。迂闊に使うと捕捉されるかも」
「ですね……」
荷物には望遠鏡もあるけど、正直言って顔を出して覗き込むのも怖い。
もし、やってきたのがティリアナ=ホークロックであったら……『弓』の特性としての遠見、そして私程度には計り切れない、メルトさんでさえ捕えることの出来なかった英雄の器の持ち主が、何かに気付いてしまうのかも知れない。
ましてや、私達は厳密にはセイラムの魔術によって繋がっている。
聞こえるはずも無いのに音を殺しながら息を吐いて、壁に身を押し付けるようにしてじっと耐えた。
耳を澄ませてみるけれど、建物の間を抜ける風の音がするだけで、周囲にこれと分かる気配はない。
人気の無い街中で、誰のものともしれない民家へ潜み、息を殺すだけの時間。
ふと顔をあげて、机の上に食器が並んでいるのに気付いた。
三つ分。もしかしたら、父と母と、その子ども。それか、どちらかの祖父とか祖母とか。
どういう暮らしをしていたんだろう。
そう高そうなものは見当たらないけど、日当たりの良い通り沿いに住んでいたんだから、きっと貧しくは無い。
食器がそのままになっているってことはギリギリまで残っていたんだろうか。無事に逃げていてくれればいいな。
思わぬ生活観を感じながら、少しだけ緊張がほぐれている自分に気付いた。
家族、か。
思い出そうとした顔はもうぼやけてしまっていて、自分の薄情さに自嘲した。
フーリア人が攻めてきて、皆大丈夫だって言っていたのに、あっという間に入り込まれて……でも私が住んでいた場所は逃げ出した傭兵とか、そういう人達からの略奪で焼け出された。後になってハイリア様の協力を得て調べてみたら、敵の行軍を妨げるための焦土作戦も兼ねていたらしいですね。進んだ先で食料を得られなければ、後ろから運ばれてくる補給を待つしかない。だから逃げる際、そういったものを全て焼いてしまう。
分かりますよ。
分かりますけど、やられた方は溜まったもんじゃないです。
ぐっと膝を抱え込み、窓から差し込む光の中で砂埃が舞うのを眺める。
当初からある程度は予測されてた、ホルノス王の布告を無視して都市や村に残る人々。ここが死に場所だと、逃げるのを止めて留まる人。事情があって逃げられなかったり、甘く見ていて追いつかれたり。私の家族はどっちだったんでしょうか。
生きているとは思ってませんが、家族……家族かぁ。
「よし。移動する。こっちから回り込むよ。姿勢は低くね」
言われるまま追いかけて、裏路地へ駆け込んでいった。
※ ※ ※
日が暮れても逃亡は続いた。
誰も文句は言わないけど、休憩らしい休憩も取れずに動き続けているから凄く疲れる。
昼間は見逃されていた魔術を使うことさえ禁止され、重く感じる身体を引き摺って進み続ける。
少しでも遠くへ。
欺瞞情報を撒き散らしながら進み続ける私達は、今の所は敵に捕捉されていない。
逃亡は初動が最も容易だと思う。
敵が組織立った動きを初めて、配置を終えるまでにはかなりの時間を要する。
一度整ってしまえば厄介だけど、そうなるまでは穴が多い。
距離を稼いで、範囲を広げてしまえば、人員の配置にだって無理が出るだろう。
結局二人とは合流できないままだけど、あれから戦闘らしい音もしないし、無事を祈るしかない。
夜一杯可能な限り行動する。
そのつもりで覚悟を決めていたけど、思っていたよりずっと早く時が来た。
「……申し訳ありません」
メルトさんの死が始まった。
冬の吐息にも似た声で、彼女はキツく目を閉じて身を抱く。
震えないよう、自分を抑え付けているのが分かった。固く固く、そのまま一番中心を押し潰してしまうんじゃないかってくらい強く自分を固めて、意識を、命を失っていく。
何度見ても痛々しくて、本当にまた目覚めてくれるのかと不安にもなった。
「いざ、と、なったら、私を、置いて」
「そんなことしませんよ」
冷たい手を上から包み込む。
ハイリア様の元へ送り届ける。
二人には幸せになって貰わないと。
「いえ。敵に見付、かって、も、死んでいるよ、よう、に」
「大丈夫です」
声を掛けて、言葉の薄っぺらさが跳ね返って自分の隙間へ刺さる気がした。
「また明日」
返事はなく、言葉の途中でメルトさんは事切れた。
人の命が抜けた身体。明日には目覚めるんだから、本当は何かが残っている筈なのに、眺めていると空虚さが酷くて心が乾く。
ただ、それだけに身を委ねている訳にはいかないから。
「移動、しますか?」
魔術を消せない敵は夜間の行動が苦手だ。
本来であれば最も効率的に動ける時間。
けれど巻き髪のお兄さんはへらりと笑い、荷物から大きなシーツを取り出した。
「休もう。これ、夜も温かいからいらないんだけど、身体が何かに包まれてると安眠出来るからね、使って」
「ありがとうございます」
「メルトさんにも。はいどうぞ」
寄り添った身体の冷たさに息を詰めながら、やっぱり冷たい手を上から握る。
これと同じ事を、ハイリア様は誰にも言えず抱えてきた。
きっと、私が気付いて支えるべきだったことなのに、何も知らず、彼に挑戦するんだってそれだけに夢中で。
胸の内に想いを秘めていたのなら、どれほど辛かっただろうか。
共に死ぬことですべてを納得しようとしたことを、本当に私は責められるのだろうか。
過ぎた事。
今では前を向いて戦ってくれている。
それは嬉しいことなのに、本当の所で寄り添えていない自分を感じてしまう。
ハイリア様が幸せであって欲しい。
だからこそ部下である私は、彼を歪ませないよう、自ら歪んだ道を行くことにした。
日向と影を行き来するような道だ。もう納得しているけど、背いている罪悪感だけは残っていた。
いつか、彼がこのティレールで少年を手に掛けようとした時にそれを否定した、私自身が。
家族、かぁ。
ぼんやりとしている内に、私はすっかり寝入ってしまった。




