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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第五章(下)

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   ヨハン=クロスハイト


 「で、なんでテメエはこんな所に居るんだよ」


「なんでだろうねぇ。ちょっと御使い頼まれただけの筈なんだけど」


 今日もガルタゴの拠点で寝起きして、そこそこ旨い人間の食事にあり付いた俺の前に現れたのは、日々人間の食事とは思えないもんをエルヴィス側の拠点で口にしている筈のワイズと、


「身重なんだからふらふら出歩いてんじゃねえっ。中身死んだらどうすんだよ!?」

「死ぬとか言わないでよっ。家に閉じこもってても駄目なんだからねっ!!」

「だからってここまで来るこたねえだろ! なんの御使い頼まれたら二日三日の距離を歩いてくんだぇえオイ!?」

「み、みっしみっし!! 内緒のお手紙だから仕方無いのっ! 人手足りないって言われたからぁっ!」

「密使!? ンなモン大声で喋ってんじゃねえぞ!?」


 クソアンナとわーきゃーやっていたがついつい視線が腹へ向く。

 前に見た時より膨らんできてるな……。

 産まれるにはまだ早いみてえだが。


「…………無事なのか」

「無事みたいだよ、ホラ今ちょっと動いた」

「マジか!?」


 思わず膝をついて腹へ触れるが何の反応もない。


「おい動いてねえぞ。お前の気のせいなんじゃね?」

「うわひどい。ずっとお腹の中に居ると分かるんだから」

「そういうもんか」


 しばらく摩ってみて、やっぱり何も返ってこないから首を傾げる。


 おーいおい。


 ま、聞こえるわきゃねえか、また産まれてもいねえんだし。


「んー、今触ってるのはお父さんですよー。安心していいよー」

「お、おう……お、俺がお前の父だ」

「ぷっ、っ、ははははは!! なにそれヨハンくんっ! なんかおかしーっ!」

「お前が最初に話し掛けたんだろっ!?」

「だからってそんなっ、似合わない似合わないっ、ぷ、ふふふふっ」


 いつもならこんな舐めたことを言うアンナに襲い掛かる所だが、胎に子どもが居るので見逃してやる。

 我ながらアレだ、寛大って奴だな。

 ほら子ども、父の寛大さを感じろよ、お前の為だぞ。


 そんなことを一頻りやっていると、ワイズがらしくもなくアンナへ椅子を差し出した。


「あっ、ありがとう、ございます」

「いいや、当然のことだ。ヨハン、本来なら君が気を回すべきことだ。覚えておき給え」


「ん、まあそうか」


 アンナの奴が腰掛けて、ようやくワイズが前に出てきた。


 なんだよ、戻れって言われても正直嫌だぞ。

 エルヴィスは食事が不味い。


「あーいや、とりあえずお前が拾ってくれたのか、ありがとよ」


 思いついて言うと、ワイズは妙なもんでも食べたみたいな顔をした。


「ふむ。まあついでだ」

「で、なんだよ」


 野郎は息を落として居住まいを正した。

 アンナが来た時からもう人の気配は薄かった。ガルタゴの連中は宴会を好むが、金儲けも大好きだ。暇を埋めることはあっても、無駄に暇を作るようなことは滅多にない。奥で朝食の後始末をしている奴は居るが、忙しそうで聞き耳を立てている気配はなかった。

 御付きの連中が周辺を固めるのを待って、ワイズは口を開く。


「例の件について、君はどこまで把握している?」


「はっきり言ってくれ」


「ティリアナ=ホークロック」


 ソレか。


「近い内に仕留める気らしいな。ガルタゴでも物と人の動きから察してる奴は居た」

「ホルノス王と連携はしていないのか。君達はハイリアに絡んで色々と情報を共有している筈だろう?」

「さぁな。俺はあんまりつるんでねえから」


 鉄甲杯の時から勝手に話を持ってきてたヘレッドは居ないし、受け取ってたのもジンだった。

 俺は俺。

 外を考えるより、いつだって自分のことで精一杯だった気がする。


「ただまあ」


 折角だ。

 言ってやった。


「そろそろハイリアが来るだろうよ」


    ※   ※   ※


   ルリカ=フェルノーブル=クレインハルト


 五日後に迫ったアーノルドとの交渉に向けて、徹底した周辺の視界確保と、行動範囲の伸長の見極めが行われている。

 私はまた別件の書類に目を通しながら提案を承諾し、次の案件を思考しつつ幾つかの整合性を確認していった。


 先だってハイリアからの手紙が届き、到着までそう何日も無いことが確認された。

 デュッセンドルフの変事よりフィラント本国へ帰還し、音信不通となっていたフーリア人の王、シャスティ=イル=ド=ブレーメン。彼女との連絡を付けるべく、側近であったリリーナ=コルトゥストゥスと共にハイリアを送り出したのが決戦開始より一月ほど前だった。

 経緯や結果について今はいい。


 大きく状況が動こうとしている時に、大きく状況を動かせる人物が手札に戻ってくる。


 勝手をしている近衛兵団や、それぞれの目的を優先して動くエルヴィスやガルタゴ、その他周辺諸国に東方の国家元首。

 何もかも思い通りに動かそうとは思っていないし、思い通りにならないのが当然だ。

 肝心なのは状況の核を握っていること。

 主導権は渡さない。

 暴れるばかりで目的や行動理念の見えてこないあちらのセイラムについて、改めて相談したくもあるけど。


 机を立った。


「誰か、ミッデルハイムでの鉄像設置について把握している人は」


 誰よりも深く、誰よりも長く、誰よりも先を思考する。

 書き留めて重ねた紙の数だけ、ホルノスは世界の先を行く。


    ※   ※   ※


   ベイル=ランディバート


 ここ数日でモノにはなってきた。

 空手形を切りまくったおかげで、戦後にはホルノスから逃げ出さなくちゃいけなくなりそうだが、そうなったらそうなったらだ。


「勝てるかどうかも怪しいけどな」


 巻き煙草から頭の良くなるケムリを吸い込んで一人愚痴る。


「はっはは! 副団長が弱音などいかんなあ! とにかく敵を薙ぎ払っていればいずれ居なくなるものよ!!」


「団長が馬鹿なおかげで苦労が絶えないんだ。つーかよ、残す価値あんのかよ。いや、嫌味でもなんでもなくて、俺らもう、前線張れるような人員残っちゃいないぜ?」


 離れた場所で女を侍らせてる元副団長様ご一行を勝手に含めた上で、その数は覚えたてのガキでも間違えない程度しか居ない。

 だってのに二代目団長様のディラン=ゴッツバックは、棒切れをぶっ刺しただけの脚で地面を叩き、青の魔術光を吹かせながら笑う。


「我ら残存十三名! まあ景気良く減ったもんだなあ!! っはっはっはっはっは!!」


 後方で動かしてるチビ共も居るが、最前線で戦えるだけの、戦力と呼べる人数がコレだ。

 二個小隊で余りが出る程度。

 これが天下の近衛兵団の現状なんだから、笑うというより嘲笑が出る。


「デュッセンドルフからこっち、ティリアナ相手に相当消耗させられたからな。影で動いてた連中も召集命令に応じなかったんだ、連中に刈り取られたと見るべきだろう」


 生き残りが遅れてやってくる、なんてお眠い展開は無い。

 大一番を前に連絡一つ寄越せない程度の奴は日陰に送らない。

 無いってことは、そういうことだ。


「後五日、移動と休息を考えれば実質二日。最後に見た限りでは使い物になるのは二人だけ。他は囮確定だな」


 突っ込んで斬る。

 それだけの作戦だが、仮に居場所を捕捉出来たとして、周辺に護衛の一人二人は付けるもんだ。

 ここまで単独行動の多かったティリアナも、前線に出てからはしっかりアーノルドが守りの布陣を敷いてきている。

 そいつを引き剥がしてやらないと走り抜ける道が出来ない。


 既にアーノルドは捕捉していて、交渉場所へ向けて移動しているのは確認済み。


 残り二人は不明だが、可能なら移動中に居場所を特定して仕掛けたい。

 望み通りにいかないのが戦場だけどな。


「まあ、細かく考えるのはこの辺りまでで、あとはやるしかないんじゃない?」


 赤髪クソ野郎が歩いてきて火が点いたままのタバコを吐き捨てた。

 靴で踏み消し、嗤ってみせる。


「うるせえ裏切り者」

「うむ、貴様に仕切られるのは少々腹立たしいな」


「お前ら根に持つね」


 なんにせよ、後は臨機応変。

 手足が寂しくなっちゃいるが、戦場に転がり込んだ化け物らしく、勝利を求めて喰らい付いてやろうかね。


    ※   ※   ※


   クラウド=ディスタンス


 霧を足元に感じながら空弓を引く。

 ここしばらく碌に戦っていないおかげで身体が訛って仕方無い。

 大きく、重い、時代の流行とやらからは外れている剛弓だが、俺の手にはよく馴染む。


 ハイリアに言われて多くの『弓』が小型の弓へ持ち替えた中、俺は頑なにコレを使い続けてきた。


 実際、持ち替えた者の中には後々ハイリアが残した手法で上位能力へ覚醒した者も出ている。『角笛』(ディバインホルン)は小型弓でないと使えないそうだから、きっとそちらが正しかったんだろう。


 だが俺は『弓』使いだ。

 ずっとずっと、コレこそが俺の武器。

 そう感じているのに他の誰かから言われた程度で、仮に大きな力を得られるとしても、持ち替えようとは思わない。


 頑固なのだろう。

 だが構わない。


「あんまり気ぃ張ってると、持たないよ」

「あぁ……」


 『盾』の術者が焚き火へ薪を放り込んで身を抱いた。

 深い霧に覆われた俺達はもう何日もここで待機を続けている。

 待つというのは思っていたよりもずっと消耗するものだ。

 延々と間延びした時間の中で、いつ掛かるとも知れない指令に向けて戦う心を持続させる。気持ちが緩んでいて失敗しましたでは済まされない。故にこそ、今日もまた弓を引き続けるのだ。


「……それにしても、寒いな」

「あぁ、本当にね」


    ※   ※   ※


   フィリップ=ポートマン


 東からソイツはやってきた。

 最初はデュッセンドルフを襲撃した魔術を使う獣、『機獣』(ジルード)なのかと思ったが、どうにも身体つきが一回り以上も小さくて、なのに手足が繊細というか、細かい造りがあるように見えた。

 獣、の筈だ。

 身体の表面は海辺で見る蟹とかに似ていたが、動くと柔らかく変形して蛇皮のようにも見えた。

 大きな前腕で地面を突き、身を起こす。


 対するハイリアは黒の甲冑に身を包んでいて表情は見えない。

 セレーネは興味深そうに見ているけど、俺は正直怖くて近寄りたくない。


「――――――――――――」


 腹の奥が底冷えするような感覚に身が震えた。

 なんだ、コレ。


「落ち着け。彼らは敵ではない」


 鉄兜の内側から篭った声がして、彼が手を伸ばす。


 噴き出した白の魔術光がそれを弾き飛ばし、即座にハイリアが黒の魔術光を発する。


「落ち着け……!」


 白と黒、双方が食い合うようにして絡み合い、消滅し、再び噴出する。

 なんだこれ。

 一歩下がった途端、俺の意思に反して『槍』の紋章が浮かび上がり、砕け散った。

 それだけだ。なのに、自分の中にあった、当たり前過ぎて気付きもしなかった何かが失われた気がした。


「っ!!」


 セレーネが慌てて距離を取った。

 それを追う様に白の魔術光が伸びて、ハイリアの黒の魔術光が回り込んで阻む。

 ならば、とでも言うように飛び出してきた小型の『機獣』に槍を握ったハイリアが飛び付き、地面へ抑え込んだ。足元が揺れるほどの衝撃。絡み合う魔術光と、正体の知れない波動のようなもの。アレは、本当に魔術なのか? いや、本当の魔術がああなのか……?


 狙われているのはセレーネだ。

 俺にはもう興味を持ってない。

 ああやって抑え付けられてるのにまだ暴れて……さっきから頭がズキズキして仕方無い。

 なんなんだよアレは。


「なあ、ハイリア……」


「今はまだ抑えろと言っている――――ジル!!」


 音無き叫びをあげて、獣は怒り狂っていた。


    ※   ※   ※


   ジン=コーリア


 背中に張り付いてくるペロスちゃんをぶら下げて、数日振りにやってきた秘密の訓練場を眺める。

 クレアちゃん、持ち直したみたいだね。


 成績で劣っていた所に限定条件での浮上、普通ならやったねと思ったっていいのに、生真面目過ぎて罪悪感が勝っていた筈だ。


 何事にもはっきり優劣が付けば苦労は無い。

 特に評価を下す側に立ち始めると、たまにどうしようもなく判断から逃げたくなる。

 例えどんなに納得がいってなくても、背負ってしまえばやるしかないんだ。


 優れているから立つんじゃない。

 勝てるから負かされたんじゃない。


 その位置に立った以上は優れていくしかなくて、勝たなければいけなくなる。


 能力を認められたからこそと思うことは出来るけど、結果に尻を叩かれている今となっては軽口でも言い辛い。


「調子は良さそうだな」


「あぁ。また来たのか」


 戻ってきて汗を拭くクレアちゃん……というか、ちゃん付けは失礼か。まあ、クレアは足元のソレで地面を叩く。


「すっごいね」


 同じ所を見ていたペロスちゃんの純粋な一言。

 失礼だよ、とは思うものの、当のクレアは得意気だ。


「かっこいいだろう?」


 彼女の義足、技術班がフィラントの人間まで引き込んで作り上げたソレはもう人の脚から完全に逸脱していた。

 後ろ向きに湾曲した半円状の板。

 基本となる部分の左右にはバネを用いた衝撃の吸収用か、押し出す補助になりそうな筒状のモノが幾つも取り付けられていて、地面に接する部分は鋼鉄製のスパイクがある。これだって発射前にはもっとゴツゴツしていたくらいだ。


 人間の脚は、なるほど野生の獣に比べて遥かに劣る。

 だからといって最適化を求めるとここまで変わるものかと驚いた。


「うん。すっごい」

「はははっ」


 ペロスちゃんは相変わらずで、クレアも変わらず活き活きとしている。

 どちらも、ついでに俺も、何も無い筈はないさ。

 それでも腹を括って飛び出さなきゃいけない。


「クレア、俺達は君の班の護衛を任された。当日は選りすぐりの精鋭二十四名、中隊規模での護衛を行う。俺が前線で見てきて、声を掛けた連中だから、それなりに安心して欲しい」


「それなりにな」


「ただ、回収は別の班が行うことになっている」


 この人間投射装置による突貫作戦は、義足による超加速を得た『剣』の術者をティリアナ=ホークロックへまっすぐ突っ込ませるというものだ。

 俺達は護衛だが、投射されたクレアを追い掛ける術はない。距離次第で『剣』のみを追従させて、数分遅れの護衛にする方法もあるけど、もっと手っ取り早く対角線上に人を配置しておけば解決する。

 とはいえ成功してもしなくても、相当な危険のある作戦だ。


「もし回収前に敵と遭遇した場合、可能な限り逃げ延びて欲しい。俺達は君と、君達を無事連れ帰る為に全力を尽くす」


「あぁ、信じているさ」


 その迷いの無さが怖いんだよ。

 今の君は、どこか会ったばかりの頃を思い出す。


 目標ばかり見て、余裕が無くて、がむしゃらに突っ走る。


 言っても仕方の無い事だ。

 ここで指摘するのは俺の自己満足で、迷いを得たクレアはまた苦しむことになる。

 最悪、心が何も定まらないまま打ち出される、なんてことにもなりかねない。


「必ず、守りきってみせる」


 繰り返した言葉にペロスちゃんが掴む手を強くして、クレアは何かを噛み締めるようにして笑った。


「大丈夫だ。駆け抜けたその先で、アイツにもう一度想いを伝えるんだからな」


    ※   ※   ※


   ティリアナ=ホークロック


 アーノルドの指示に従って、彼が堂々と進軍していった砦の中ヘこっそり入り込む。

 アタシ達は魔術を解けないから、夜の動きは特に苦手さ。

 だからって昼間に堂々と、って訳にもいかず、結構苦労させられたけどね。


 広間には先に『剣』の奴が来ていて、アーノルドが盃に酒を注いでいる所だった。


 自分のと、アタシのと、『剣』のと、もう一つ。


「さて、この戦も中盤を終えようとしているが、各々方、何か言っておくことでもあるかな?」


 仰々しい雰囲気を出す皇帝サマに苦笑する。


「どうだろうね。アタシのやってることはいつも通りさ。クソ共にクソの塊を叩き込む。好き勝手暴れて、殺したり殺されたりだ」


 一度やられてる身としては、大ボス感を出すのも小っ恥ずかしい。

 面白い遊び相手は見付けた。

 ただ、死んでも死んでも生き返るこちらに対し、連中はそろそろ虫の息さね。


「そちらはどうか」


「そうだね」


 水を向けられて珍しく『剣』が素直に応じる。

 先だってヴィレイ坊やをヤったのは把握してる。

 この女だってセイラムの求めに応じた以上、獲得したい()()の今か、あるいはアーノルドみたいな戦う動機がある筈だ。

 おっかないからアタシァ触れずに来たがね。


 ところが『剣』の言葉は予想外過ぎるものだった。


「そこの酒は辛味が強くて肉に合う。だが香りが上品過ぎるね。雑な仕事で出したモンだと落差が酷くて不味いと感じることもあるから、赤身肉を葡萄酒で煮て、茸類と香草を合わせた品と一緒ならいいんじゃないか」


「うむ、実に腹の減る見事な提案であるな」


 いいのかよ。


「とはいえ我らは所詮、セイラムにとっては戦う為の道具に過ぎん。それ以外の事は改変された後の、それぞれの今で堪能するが良い」


 散々酒も肉もかっ喰らって来た奴が言うと涙が出るほど感心しちまうね。

 なんだっけ? 出立前に捕えた者の一人がえらく楽器に堪能で、地元独特の曲に随分とご機嫌だった。


「これより戦いは決着に向けて動き出すであろう」


 アタシとしてはてんで先が見えないけど、世界の東西を制覇した皇帝サマが言うんだからそうなんだろう。


「ティリアナ殿」

「あん?」


「大義である」


「……あぁ、世話になったね」


「ミシェル殿」

 いつの間にか名前を聞きだしたらしい。

 やるね皇帝サマ。返事はないけど注視はしている。アーノルドは静かに続けた。

「暗殺者として生きてきた其方が何を求めているのか、皇帝たる余には計り知れんことよ。けれど人として欲する所あるならば、余は称賛を持って其方の望みを歌に記そう。生憎と後の世の者であるならば、答えを余が知ることはないだろうが、轡を並べて戦った友への手向け、いずれ耳にするが良い」


 夏風に揺れる草のように微かな吐息を漏らし、『剣』は、ミシェルという名の女は盃を取った。


 多くを語るつもりはないが、酌み交わす気はあるらしい。


「さっき言ってた料理、生きて会えたら食わせてくれよ」

「生きていたらな」


 笑って、アタシも盃を取る。

 楽しみが出来るってのは悪くない。


 大仰に頷いてみせたアーノルドもまたソレを取ると、結局酌み交わすことの無かった一つを置いて、ゆっくりと掲げ持った。


「おそらくだが、我らが一堂に会するのはこれが最後であろう。ここからは戦場が激しく動く。其方らは存分に望みを果たすが良い。余はそれを見届けた後、迷える小娘を最期まで守り抜こう」


 それからまた、置かれたままの盃に目をやり。


「もののついでに、迷える小僧の尻でも叩いてやれれば良いがの」

「はン」

「ふん」


 蹴落とした女と、落ちるに任せた女が居る前じゃ、流石の皇帝サマも肩を竦めるだけだ。


「ではな、友よ。蠢く世界の果てで、己が生を全うせよ」


 音頭に合わせ、酒を煽る。

 最後の一滴まで味わって、それが喉を通り抜けた途端だ。


 広がる火の粉は舞うように――――首の骨の隙間を長剣が綺麗に通り抜けていった。


 返り血一つ飛び散らせない。

 触れたはずの長剣にすら鮮血は滴らず、光沢を湛えたそれを彼女は逆手に持ち替える。

 アタシと同じく首を刈られたアーノルドはいっそ興味深そうに笑っていた。


 そうして二人の首が落ちるより早く、『剣』は自らの心臓にソレを刺し入れた。


 全く本当に、おっかない女だよ。





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