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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第五章(上)

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221 断章 ハイリア 5

タイトルミスがあった為、元旦に更新したものを断章4、本日16日更新分を断章5にしてあります。


 再び皆が集まるにはそれなりに時間が掛かるらしい。

 俺が目覚めた時、あの場に居た皆はあっさりと去っていったが、多忙な中をなんとか予定を切り詰めて集まってくれたのだそうだ。


 翌日にメルトを通じて体調はどうかという問い合わせが複数あったようで、準備も兼ねて昼過ぎに約束をし、何人かが集まった。


 大抵は改めて顔を見に来た程度らしく、昼食がてらと俺の部屋に集まった者同士で別の話まで始めていた。

 どうにも、俺の目覚めは秘匿されているようで、しかし俺の友人らが頻繁に尋ねる場所として周知されつつも、内々に話をする場所として非常に重宝されているそうだ。誰がどこそこに行った、という噂程度の話でも集積していけば色んなものが見えてくるというし、体の良い集まる言い訳と断りやすい理由はとても好都合なのだろう。

 なんというか、皆して逞しくなりすぎじゃないか?

 内乱で合流した時にも感じたものを再び得て、ちょっとだけ悔しくなった。


「改めて聞くが、全員無事だったのか?」


 どことなく背が伸びたように感じるくり子へ訪ねると、彼女はこの上なく美味そうに食べていたデザートの果実を飲み込んで答えた。


「デュッセンドルフでの一件ですね。セレーネさんが呼び始めて、徐々にクロさん呼びが広まってますが、元のハイリア様の放った破城槌による攻撃は一切の死者を出していません。彼自身の加減による所もあるでしょうが、皆は今も活動可能な状態にあります」

「そうか。良かった。あぁ……本当に」


 目覚めて以来、処理すべき情報が多過ぎて所々に抜けがある気がしている。

 思い出してはメルトにメモを取って貰い、くり子が来るというから聞き出そうと思っていたのだが、


「大丈夫ですよ。必要な情報は順を追ってお伝えします。予め取捨選択はしてありますから、焦らずゆっくり体調を戻して下さい」


 なんと優秀な秘書っぷりだろうか。

 積み上げられた書類の山には多少圧倒されたものの、いつ俺が目覚めても良い様に準備してくれていたということか。常に更新されていくものとなれば、二度手間三度手間では済まなかっただろうに。


「私、ハイリア様の直属の部下ですからっ」


 ふふん、と胸を張るくり子に笑みがこぼれる。

 なんだか大きくなった気がしたのは間違いではないだろう。

 身長も伸びたけど、小柄だった身体つきが少しだけ縦にも横にも広がっている気がする。元々が欠食気味だったので健康的になったと言うべきかな。


「それなら情報については任せよう。加えて、引き続き俺の代理としての動きも頼む」

「はい。あ、それについてなのですが、しばらくハイリア様の帰還については伏せる方向で考えています」

「そうなのか?」


 まあ、変に騒がれても疲れるし、構わないと思うが。


 そんな俺の緩い考えを戒めるように、くり子はじっとこちらを見た。


「既に対セイラムの構造は、一定の策謀を交えながら固まりつつあります。ハイリア様にはご不便をお掛けしますが、その帰還が成ったという情報をいつどのように使うかをこちらに任せて欲しいんです。シンシア=オーケンシエルの脚本が自由公開され、それを利用する形で戦いの大義名分を固めています。ハイリア様の様態については伏せられていますが、その後姿を見せないこともあって、様々な噂が広まっていますが、ここに帰還を煽るようなものを混ぜ、浸透させることに成功しています」


 近衛って凄いですね、とくり子は言うけれど、アイツ等を世間一般の言う近衛と一緒にしてはいけない。


「分かった。まあしばらくは部屋でトレーニングをしているよ。外にも顔を出さないようにする」

「ありがとうございます」


 それからくり子は色々と言いたそうにしていたが、


「明後日にはまた皆集まれるようになる筈です。難しいって人も居るには居るんですが、その時にまた」


「苦労を掛ける」


「好きでやっていることですから」


 笑って立ち上がった彼女やはり、また少し大きくなったように見えた。


    ※   ※   ※


 翌日には概ね復調した。

 寝たきりと言っても一ヵ月だし、その間も十分なケアを受けていた。

 なにより俺だってまだまだ成長期だ。くり子と話をした時には消化の良いものを日に五回に分けて食べ、軽い運動をしていた。


 肝心なのはここからだ。

 ごく普通に生活が出来るようになったからといって、それが戦う上で万全のものであるとは言えない。


 今でも訓練未熟な術者相手なら戦えるだろうが、鉄甲杯でぶつかったような者達が相手では辛いかも知れない。


 一日休めば十日は掛かるというピアノ程ではないものの、武器を扱う感覚というのは、特にサイ=コルシアスより譲られたハルバード半月は中々にじゃじゃ馬だ。元より俺が万全であった状態を見越して、その時点で最高のポテンシャルを発揮出来るように造られているものだから、衰えは如実に自覚させられた。


 予め通路を確保し、周辺での予定を調整したり、覗きを防いだりしながら、俺はミッデルハイム宮殿内に作られたリハビリルームへ通う。


 やっているのはリハビリというか、失った筋力を取り戻す為のトレーニングが主だけどな。


 しかし充実している。

 流石に合金など未発達だから一部不足もあるだろうが、俺が昔書き散らした器具などがすっかり再現されていて、ちょっとしたというか、立派なジムが出来上がっているのだ。


 何よりも俺を驚かせたのは、ゴムチューブが存在したことだ。


 重量物などを使ったウエイトトレーニングは勿論効果的だが、ゴムチューブトレーニングは負荷調整がしやすく、ウエイトトレーニングには出来ない様々なベクトルへの負荷を掛けることが出来る。単体ではやや効果の薄い面もあるのだが、そこは組み合わせでどうとでもなる。

 なによりも、ゴムというものの実在が大きい。


「元はお前が考案したものと聞いたぞ」


 最近一緒にトレーニングをしているクレアが身体の筋を伸ばしながら言う。

 足を開いて身体を倒すというごく普通のものなのだが、一般的な貴族女性が男の前で取るようなポーズではない。いや、教えたのは俺なんだが。


「素材そのものは元からあったんだ。父上は新大陸で見つけたものを片っ端からこちらで収穫出来る様に整えていたからな」


 ゴムも確か、アメリカ大陸が原産だよなと考えつつ、俺は脇を締めつつ支柱に括り付けたゴムチューブを伸ばす。

 流石に合成素材が発展した現代ほど使い勝手は良くないが、ちゃんと伸びて縮み、千切れる様子は無い。


「ただゴムの木は、まあ木だからな。気候が違うこともあって規模を拡大するのが難しく、量産は出来ないと聞かされていた」

「確かガルタゴが持ち込んだものだな。向こうでなぜか大繁殖した地域があって、その話を聞きつけた向こうの商人がウィンダーベル家へ売り込んだとか。捨て値同然だったらしいぞ、税や輸送費を考えなければだがな」


 父上も手紙で俺の話を聞いて興味津々だったみたいだしな。

 思えば学園でジークと戦った後、療養の退屈さを紛らわすのに色々とトレーニング向けの道具が開発出来ないかと相談していたのを思い出す。

 水着なんかもその一つで、軽く流されてしまったのはまあ、ウィルホードとの会話を思い出せば仕方ないか。水中トレーニングは怪我や故障の危険が小さいし、リハビリにも向いた良いものなんだがな。


「しかし、コレは良い」


 クレアはトレーニング用の義足の先に履かせたものを見て言う。

 それは、靴だ。


「靴底に判を押したゴムを張り付けることで、ここまで足元が安定するとはな」

「今は車輪なんかにも装着させているそうだな。街道の再整備も進めているという話だから、補給線はこれまでより相当に強靭なものになる」

「魔術を使う上でも、コレのおかげで最大速度が伸びたそうだ。ヨハンなんかは逐一文句を付けてくるから、技術班の連中もムキになって開発している」


 この時代の靴と言えば、牛や鹿なんかの革を使ったモノが主流で、都市部の平民は木靴を、農村などでは冬場でも素足であることが珍しくないという。丈夫な革とはいえ、クッション性には乏しいし、何よりグリップが甘過ぎる。堪えたい所で足が滑って堪えきれない事ほど悔しいことは無い。


 また、ゴムが車輪に使えるというのは現代人であれば当たり前の発想だろう。

 タイヤのように中へ空気を詰めて使えれば更に良いが、さすがに開発と量産の時間が足りない筈だ。

 何事も基礎技術と材料工学あっての事。

 俺のなんちゃって知識では限界もあった。

 どちらにせよ、開発などは専門家に任せるのが一番だ。字面だけ知っているだけでは総合的な視点は持てないからな。


「ハイリア」


「なんだ」


 ふと手を止める。


 思えばこうして一緒にトレーニングをする時は俺と彼女の二人きりになることが多い。

 メルトもやることがあると言って同行しないし、前はくり子がウィンホールド家の使用人らとクレアを見ていたそうだが、それも俺は会ったことがない。

 極力俺の存在を隠すとしても、メルトは何をやっているんだろうか。


 クレアのトレーニングについては俺が見れるし、もう普段通り動ける以上は介添えも必要ないのだが。


「好きだぞ」


 タオルを投げた。


 ふわりと被ったクレアはふざけて小さな悲鳴を上げるが、笑っているのが丸分かりだ。


「なんだいきなり」

「なんとなく言いたくなったんだ」

「なんとなくで婚約者の居る相手に言うことじゃない」

「そうなんだがな」


 もう一つのタオルで顔を拭き、息を落とした。


「一応確認するが、メルトに変なことは言ってないだろうな」


「挑発したり、圧力を掛けたりとかか? そんなことはしていない。というか、ちゃんと話をしてみたいんだが、苦手に思われてるのかと思うくらい避けられてるんだよな」


 初耳だ。


「一度席を設けてくれると助かる」

「自分の婚約者になんとなくで好きと言ってくる相手との席を勧められたら、それはもう浮気宣言みたいなものじゃないか」

「ははは」


 笑いごとじゃないんだよ、勘弁してくれ。


 本来こうして一つの部屋に男女二人きりという時点で妙な噂の理由になる。

 俺は表向きここに居ないことになっているが、知っている者は知っているんだぞ。


「悪い」


 文句を言いつつも、こうして素直に謝られてしまうと申し訳なさを感じてしまう。


 何かフォローを。


 思いつつ、それ以上は避けた。


 俺はメルトを大切にしたい。彼女を裏切るようなことはしない。だから……、


「彼女は凄いな、ハイリア」

「……うん?」


「メルトだ。アイツはお前を引き戻す為、本当にいろんな所を駆けずり回っていたぞ。この前の事だって出来る確証はどこにも無かった。だけど、皆が彼女に協力したんだ。婚約者を、好きな人を取り戻したいって想いに絆されただけじゃない。あの懸命さや真っ直ぐさは、どこかお前に似ているんだ。変な所で抜けてるのもな」


 最後に笑って、けれど少しだけ静かになって、クレアは立ち上がった。


 いつの間にか誰の助けも無しに立ち上がれるようになっていた彼女は、脚の感覚を確かめるようにつま先で床を叩く。可動する足首を曲げる為、少し前に出してから引いて


 しっかり地に脚を付け、


「よし。少し走ってくる」


 晴れやかな顔で笑い、リハビリルームを跳び出していった。

 閉じ行く扉から零れた光に、僅かに隠れた想いをそっと摘み上げ、俺は胸に抱いた。


    ※   ※   ※


 結局皆の予定が合わず、集まるのはかなり先延ばしになってしまった。

 俺は相変わらずリハビリを続けていて、時折やってくる客と話をし、あるいは伝言や橋渡しをしながら過ごしていた。というより、これまでに無いほど時間が有り余っていたし、たっぷり時間を掛けられたおかげでリハビリというよりただのトレーニングになっている。身体の調子はもう万全だ。

 変化が起きたのは決戦の予定日までそう日が無い頃になってからだった。


 自国へ引き返してから連絡の取れなくなったフィラント、それを見限ってフーリア人抜きでの戦闘を行うとの方針が決定された。


 フィラント王シャスティの思惑は知れないが、また悪だくみでも考えているのか、何らかの事情があるのか、現状でははっきりしない。

 巫女による通信網も途絶しているというし、この時代では国家間の連絡など、往復に数ヶ月掛かることも珍しくは無い。下手をすれば年単位だ。

 そこで、腹心であるリリーナ=コルトゥストゥスに同行して、俺にフィラントを見て来いと陛下が言い出したのだ。


 返答に迷う中、翌日にはようやく予定の合わせられた皆が集まった。


 あの時には居なかったリリーナが同席し、俺が目覚めていたことを知って驚く所から話は始まる。


「……まさか、お目覚めだったとは」


 それからハッとして周囲へ目をやる。

 以前見た時よりも明らかに顔色が悪いものの、気力そのものは残っているように思えた。


「ではまさか、お貸し頂ける人材というのは」


「効果的な人選だと思うよ」


 誰ともなく発した疑問を受け止めたのは陛下だ。

 またもビジットや少数の護衛を引き連れ、俺の部屋に来ている。

 彼女は最も大きな椅子にちょこんと腰掛けていて、ビジットはその後ろに立っている。


「結果がどういう形であるにせよ、リリーナがフィラントをここまで導けた時、先頭に立っているのがフィラントの王やその関係者であるより、ハイリアであった方が明確に援軍として認識される。多少の失点を一気に押し流し、勢い任せに雪崩れ込んでくれればこちらでも調整を掛け易い。加えて知っての通り、目覚めているのを秘匿していたから、本人の運動不足も解消できるでしょ?」


 何より隠し続けるコストが無くなると楽になるよ、などと言われてしまう。

 あれ、もしかして俺、いらない子なのか?

 確かに筋トレや簡単なフットワークなんかは出来るけど、ランニングや戦闘訓練のような広い空間が必要となるものは出来ていない。その事をクレアに愚痴ったりもしていたんだが、まさか陛下の耳にまで届いていたとは。いかんいかん、迂闊な弱音を吐くとどこまで広がるか分からないぞ。


 などと俺が見栄について考えていたら、クレアからの口添えがあった。


「ハイリアの戦い方はもうこちらの魔術からは逸脱し過ぎているしな。道中なりでフィラント側の技術を吸収出来れば尚良いでしょう」


 しかも、俺を追い出す方向へ。


 待て待て待て。俺はまだ行くとは言ってないぞ。外へ出られるのは望む所だが、セイラムとの決戦は目前に迫ってきているんだ。


「お待ちを、陛下」

「うん?」


 首を傾げて応じる姿は愛らしい。いや、そうではなく。


「もう決戦の日まで時がありません。今からフィラントへ発てば道半ばで期日を迎えてしまうでしょう。戻ってくるには更に掛かる。下手をすると決着まで戻れないなんてことも」


「そうだね、でも大丈夫だよ」


 さらりと言われてしまい、内心結構動揺した。

 俺が始めた戦いだ。そう言い張ることも出来たが、今やそれぞれがそれぞれの意志で以って、様々な結果を求めて戦いへ臨もうとしている。それは、今日ここに集まってきてくれた皆への侮辱になるだろうか。いや、だとしても俺はこの日の為に戦ってきたんだ。あぁくそ、考えがループしてきている。


「しかし……」


 言って、なんとか時間を稼ごうとするけれど、どう返せばいいのか分からない。

 内心結構、どころではなかった。かなり動揺している。


 ここへ来て蚊帳の外へ追い出される?


 待って欲しい。皆に負けないくらい、俺にだって強い理由があるんだ。


「ハイリア様」

「……くり子」


 良かった。

 信頼する直属の部下、そして友である彼女が出てきてくれた。

 さあ俺の不足を補ってくれ。

 正直に言おう。

 俺は行きたくない。

 残って皆と共に戦うぞ。


「先延ばしにしてきた事について、今お話ししようと思います」


 なんの話だ。


「それは、この場でする必要のあることか」

「おそらく」


 陛下の様子を伺うと、彼女はなぜだか楽しそうにこちらを眺めていた。

 くり子へ視線を戻す。


「ハイリア様の()()は、異なる世界を渡って流れ着いたものと伺っています。それがセイラムの力が弱まる程に留まる力を失い、かつての世界での記憶が不確かなものになっている、とも。同じくセイラムの奇跡によってメルトさんが生存しているのと同じように、あちらの……もう一人のハイリア様の影響力が高まるほどに不安定化していたものと推測しています」


 皆の言うクロの話によれば、俺はその意識の集合体らしいがな。

 しかしそれがどうかしたのか。


「今はどうですか?」


「ん?」


 言われ、初めて気付いた。


 思い出せる。

 いや、多少不鮮明な部分はあるが、それは記憶の風化と言えるようなもので、以前のような完全に喪失したという感覚が薄い。


 そもそもとして、疑問はずっと抱えていた。

 伏せられているのが分かったから、敢えて問いは投げてこなかったが



「……俺が目覚めた時、今日と同じように皆が揃っていたな。再び集まるのに一月近くも調整が必要だというのに。まるで目覚めることを知っていたみたいに」


 言うとくり子は、その周囲に居る者達が少しだけ得意げにこちらを見る。

 以前、クレアに言われたことを思い出し、メルトへ目をやると、彼女はいつも通り落ち着いた表情で、けれど薄っすらと笑みを浮かべていた。


 浅黒い肌に浮かぶ柔らかな唇が開かれ、たおやかな声で言葉を紡ぐ。


「原理的にはあの方が行っていたという過去へ記憶や意識を飛ばすものと同一だと考えています。また、『機獣』(ジルード)と呼ばれる他世界の者に己を召喚させたことも、言ってしまえば四種の根源から属性を選択し武器を呼び込む通常の魔術の延長線上です」


 知らず溜まっていた息をゆっくりと吐きだす。

 身体が熱を持っている。


 どうやら俺は、余程彼女を見くびっていたらしい。


 いや、彼女だけではない。


 驚いて周囲を見渡し、リリーナを除けばこの場の誰一人として今の話に疑問を浮かべている者が居ないことに気付く。

 その終点で、メルトが伏せていた瞼を開き、艶やかな黒の瞳が俺を捉えた。


「薄れ行くハイリア様のお心を留める為に、皆様との縁を、絆を楔として、セイラムに連れ去られた貴方を引き戻したのです」


 どうやって、という言葉を紡ぐことは出来なかった。

 やってみせたのだろう。


 かつて俺が皆へ言ったように。


「『この世のあらゆる観測可能な現象は、分析と試行によって解明できる』」


 真っ先にそれを聞いただろう少女が、そして、それを信じて胸に刻んでいてくれた皆が、成し遂げてくれたのだ、それだけのこと。


 だけどちょっとだけ得意そうに、くり子が笑みを浮かべて言葉を続けた。


「セイラム自身、人と人との間に生まれる縁を起点に魔術を伝達していますよね。人と人とが接すること、交感すること、そこには目に見えない何か特別なことが起き続けているのだと思います。まあ、極端な言い方をすれば念話を繋げたり、他者の魔術を別の対象者へ移したりすることと同じようなものです。肉体そのものはここにあるんですから、そこから辿ることはそう難しくなかったみたいですし、流石はメ――――」

「クリスティーナ様」

「はい」


 不思議なやりとりと間があって、俺は口を挟んだメルトを見た。

 ちょっとしたおふざけとか、そういうことはあっても、彼女が真面目な話を途切れさせるようなことをするとは思わなかったのだ。


 しかし二人は普通そうにしていて、変に突っ込んでいいものか悩んだ。


 一応は俺の部下としてくり子を引き入れて以来、二人の関係は良好なものであるようだし、何より二人が聞いて欲しくはなさそうにしている。


「ともあれ、です」


 話を引き戻すべくくり子が言う。


「まだ完璧であるとは言い切れませんし、経過を観察している必要はあると思いますが、現状でハイリア様の意識が消失してしまう、薄れていってしまうというような危険はかなり排除されたものと考えています。あっちのハイリア様だとかこっちのハイリア様だとか、最近増殖しててややこしいんですけど、結局去年の春から私達と一緒に居たのは貴方です。貴方しか居ません。その日から今日までに育まれてきた絆は誰一人として否定していませんよ。だから、紛れも無く貴方がここに居るんです」


 不意にどこまでも広がる雪原を思い出した。

 あの日々の歩みが無駄であったとは思っていない。

 俺の一歩一歩を彼女は見続けていた筈だ。


 だから、いや、今はいい。


 温度の消えた世界の中で、気力も理由も全てが削ぎ落とされて、空っぽになってしまったこともある。

 あの時助けてくれた少女はこの場に居ないけれど、今目の前に居る誰も彼もが、彼女のように俺へ向けて手を伸ばし、救い上げてくれたのだろう。


 どおりで目覚めて以来、胸の内から熱が消えない訳だ。


 理解出来た途端に熱がじわりと身体中へ広がっていった。


 熱量が人に力を生み出すというのなら、今なら神様にだって勝利してみせる自信がある。


 我ながら単純だなと、つい笑みを溢して。


 そして、


「聞いておきたい」

「はい」

「同じ方法でメルトを繋ぎ止めることは可能か? 皆との関係では足りないのであれば、俺や姉のフィオーラが居れば、出来るのか?」

「魔術の延長線上であるハイリア様の意識を繋ぎ止める技術と、因子の操作によって死の原因を排除する技術は方向性が大きく異なるものと考えられています。状況が確定しない限り、現状は維持されるものと」

「分かった。ありがとう」


 先ほどセイラムとあの男が力の押し合いをしていると言っていた。

 意識を失う前、俺もその可能性に気付き、メルトを縛っていたのはお前か、という言葉を()へ向けている。


 あの、途方も無い覚悟と執念の果てに辿り着いたのだろう男の道を途絶えさせなければ、最早メルトは生きられないということ。


 覚悟しなければならない。

 これまで自分を支えてくれていた男の前に立ち塞がり、今度こそ決着を付けなければならないのだと。


「それで、だ」


 そんな重要な局面を前に、俺が戦場から追い出されようとしていることについて、話をしなければいけない。


 さてどう切り出そうかと考えていたら、今まで隅っこでむっつり口を引き結び、腕を組んでいたヨハンが息を吸った。


「ハイリア」

「……なんだ」

「くりくりが言ったことを纏めるとだ」

「ほう」


 いつに無く小難しそうな顔をするヨハンに頷きを返す。

 何故か部屋全体に緊張が走るが、なんだ、なんなんだ?


「お前が本当に力を発揮しなくちゃいけねえのは、今から出てくるっていうイカレ女じゃねえってことだ」

「ま、まあ、そこまで言わなくても……」

「その後だ。一番厄介で、一番面倒くせぇ奴が、下手すりゃ万全の状態で立ち塞がってきやがる」

 ヨハンの事だから悪気はないのかも知れないが容赦が無かった。

 

「そん時に全員ぼろぼろで消耗してたらどうすんだよ。つーか居ない前提でどうにか出来るようにって他の連中だって色々策練ったりしててよ。あーあれだ。前に言ったろ。だからこ――――」


 言葉は続かなかった。

 その場に居た大半の者が一斉に顔色を変え、ヨハンへ襲い掛かったからだ。


 わぁぁぁぁあああああああ!? と。


 奇声だか怒声だかも分からないような大声の後、ヨハンを押し潰して重なり合った人の山へ、文字通り乗り遅れたオフィーリアがとても興奮した様子でぴょこぴょこ勢いを付けて飛び乗り、


「っだぁー! うぜえ! なんだテメエら!? うごっ!?」


 衝撃はいち早く身を起こそうとしていた一番下のヨハンへ貫通した。

 てっぺんへ飛び乗ったオフィーリアはとても楽しそうだった。


「…………だからなんなんだ?」


 問いかけにビジットはにやにや笑いながら陛下をオフィーリアの背に乗せた。

 王をその背に負った忠臣が更に嬉しそうにしているが、もじもじする真下で色んな所が当たっているだろう、彼女へ片思いをしていた筈のクラウドがとても複雑そうで、というかそんなことはどうでも良くて。


 結局自分もその山へ凭れ掛ったビジットは何処吹く風よとこちらへ視線を流して言う。


「いやさ、最近の話聞いてると俺も同じこと思うからなぁ」

「どういう意味だ」


「ヨハンくん」


 と、最近妊娠が発覚したらしいアンナが少し離れた椅子の上から、


「最近いい所持って行き過ぎなんだよ。私達だって、どーん、とハイリア様に言いたいことあるんだから」


「言いたいこと?」

「はい」


 問えば、誰もが息を吸うのが分かった。

 折り重なって、重たいせいかちょっと苦しそうに、けれど力強く。


 まずはアンナが。


 生まれる子どもの為にと戦いへ出ることを断念しなければいけなかったからこそ、誰もがそこだけは譲るようにして。


「私はその言葉を聞けなかったんですけど、内乱の折、私達へ言ってくれたんですよね? 一人決闘の場へ立つ時に。私達を背負わせてくれって。だからですよ。だから……」


 そっと身を引いた彼女が遠くを見詰めるようにして、それから残る皆が、だから、と受け継ぎ。

 幾つもの声が折り重なって。

 言葉自体はそれぞれに。

 けれど一つの意思で以って、



「『今度は俺達にお前を背負わせてくれ』」



 そう、告げた。





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[一言] 本当にいい仲間に恵まれたなハイリア
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