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 地鳴りのような響きが戦場を埋め尽くしていた。

 放つ声が、敵を打つ刃が、大地を震わせる程の圧力を纏って襲いかかる。


 炎が左右から神父を襲った。最初は右から、続けて左から、疾走る銀光のぶつかり合いが火花を散らした。右へ駆け抜けた者が手にしていたエストックを放る。それを見た神父はほんの僅かに硬直し、しかし即座に無視を決めて反対側からの攻撃を払いのける。その背で術者の手から離れた剣が炎と散って、術者は再度その手にエストックを握ることなく蹴り飛ばされた。二メートルを超える長身から繰り出された蹴りは女の身体の芯を一撃でへし折り、立ち上がろうとした手は土を掴みながら滑り伏す。男の動きが一瞬止まる。些細な変化に過ぎなかったが、神父にとっては大きな隙だ。が、そこへ攻撃を差し込む間も無く別の者が切り込みを掛けた。両手にサーベル、小柄な少年は長い前髪の間から鋭い瞳で神父を睨みつけ、口元に薄い笑みを浮かべた。切り上げの初手、続いて平突き、からの払い、それら全てが回避されたと知るやすぐさま後退した。その時にはもう、隙を晒した男も女を回収して下がっている。新たに飛び出したのは三人の赤い髪をした少女たち。全員が長大なバスタードソードを持ち、振るというより走りながら当てるような動きで神父を囲い込んだ。迷う時間すらなく、小太刀を両手に持つ彼は向かって左側の少女へ斬りかかる。それを見て間合いを詰めようとした右側の少女へ、すぐさま踵を返して払いを見舞う。寸でのところで攻撃を跳ね上げた三人目の少女が指笛を鳴らすと、途端に三人は散った。一斉射が降り注ぐ。配置を終えた弓隊が面での攻撃を思わせる密度で矢を見舞った。対し、神父は赤の魔術光を燃え上がらせて矢を逸し、叩き落としていく。そうやって出来た空間へ回避した所へ、『槍』の術者が巨大なハルバードを振り下ろす。膨大な青の風と共に砂塵が舞い上がった。小太刀が風を貫こうと迫る。しかし一度は下がった『剣』の少女がそこへ喰らいつき、切っ先を弾く。浮いた右の小太刀へ、更にサーベルの少年が剣戟を加えた。追う左の刃からは即座に離脱。血が一筋舞った。今度は反対側からの打撃が襲い、しかし受け止められた槍は風と散って術者は後退する。その背後から顔を出した『弓』の術者が膨大な羽を舞い散らせながら長弓を引き絞っていたのを見て、神父が腰を落とす。それを見た二人が足元への斬撃を見舞って走り抜ける。神父はゆるやかな跳躍で一つ目を飛び越え、もう一つは右の足で踏みつけにして術者の手から剣を奪い、続く槍の突きを跳ね上げた。遅れて走り抜けていった筈の術者が血を流して倒れ伏した。赤の魔術光が燃え上がる。それも、凄まじい勢いで。放たれた長弓からの一矢は神父の左手から小太刀を飛ばした。踏み込む。『旗剣』の術者が紋章を浮かび上がらせて長剣を振り下ろした。破砕が次々と地面を打ち、神父を大きく後退させた。後ずさって舞い上がった砂埃が風に煽られて散っていく。


 凍りつくような時間の後に、長い吐息が戦場に広がった。


 右手に握った小太刀を、神父は小さく握り直す。

 対し、周囲には立ち上がろうともがく者たちが多数。


 この途方も無い勢いを前にして、神父の実力は尽くを発揮し、一人、また一人とこちらを追い詰めていた。


 だが一方で、神父も常の冷静さを欠いていた。

 高い緊張に身体は柔軟さを失いつつあり、笑いながら村での戦いを切り抜けた頬には今、一筋の汗が流れ落ちている。眼光は強く、常の軽口も消えている。

 ただ追い込まれつつある獣のような息遣いで周囲を探っていた。


 栗色髪の少女、クリスティーナ=フロウシアは自らの主人から認められた分析と整理の能力を遺憾無く発揮し、戦場の制御に努めていた。あの神父は絶対に、追い詰め切る前に仕留めるか、制圧しなくてはならない。余裕を奪えば奪うほどに凶暴性を増していることを、彼女は正しく分析していた。策を当初の予定通りに進めようと思うのなら、現状の攻撃は苛烈過ぎる。

 傍らで負傷しながらも指揮を執り続ける『弓』の術者、ダット=ロウファに幾つもの提案をし、それらは既に伝令を介して周囲に伝わりつつある。

 そして陣の中央を駆け抜けていった彼女の姿を見て、クリスティーナはあぁ、と小さな納得を得た。


 アリエス=フィン=ウィンダーベルは、誰もが見惚れる美貌に苦悩を貼り付け、今すぐにでも最前線へ駆けつけようとする己を必死に押し留めていた。

 新設されたばかりで、正直に言えばまだ心を許しているとも言えなかった副隊長の少女、ナーシャ=リアルドへ強気な言葉を並べ立ててはこの場に留まる理由を作っていた。ナーシャもまた、この年下の隊長に対し、立場としての付き合いを続けていくつもりだった自分が、強い信頼を置き始めていることに気付いて小さく笑う。 アリエスはちらりと見えた彼女の姿に口を尖らせながら、今回だけですわよ、などと毒づいて新たな指示を飛ばしていった。


 ウィルフォード=クランは入学以来相棒としてやってきた女、セイラ=ノルンを救護の者に預けると、再び『剣』の紋章を浮かび上がらせて最前線へ戻っていった。

 そんな彼の幼馴染で、能力不足で戦いからは外されたものの、手先の器用さから救護班として編入されていたオットー=フェルスベルグは血まみれになった指南書を掴みながら、不安定に揺れるゲル内部で負傷者の傷を手当していく。アルコールは余裕があるものの、用意されていた包帯はもうじき底を付く。


 両の手にサーベルを構えた少年、ヨハン=クロスハイトは浅慮な三人組の女たちへ薄汚い罵声を浴びせると、右腕の健が断ち切られているのを隠したまま再び神父へと肉薄していく。

 アンナ=タトリンは頬を真っ赤にして言い返すが、その相手が神父と切り結び始めるや泣きそうな表情で見つめ、それを後ろから見ていたセレーネ=ホーエンハイムとオフィーリア=ルトランスの冷やかしを受けてぎゃあぎゃあと騒ぎ出す。


 一番隊では既に過去のモノとなりつつある、威力を追求した長弓を愛用するクラウド=ディスタンスが仏頂面のまま次の矢を番えた。仕留めるつもりで放った矢が神父の一刀を弾き飛ばしただけという結果に、彼は満足していない。

 そんな彼を長槍を手に呆れ顔をするヘレッド=トゥラジアは、さてどうするかと混戦気味な戦場を見据える。『槍』の機動力ではどうにもならないとはいえ、把握しておいて悪いことじゃない。と、そんな所へ伝令が届いた。


 破城槌を叩きつけて教団員の盾を粉砕したポーキー=コーデュロイは、仲間からの称賛を受けて大きな顔に笑みを浮かび上がらせた。

 それを見た一番隊の『槍』の術者、この合宿では少数参加ということで立場の弱い彼を、率先して面倒を見ていたジン=コーリアが爆笑する。戦場という、思考や感情が固くなりやすい場で、彼のような存在は非常に得難い特質を持っているとジンは笑う。笑みは、大きく広がっていった。


 緩やかに、張り詰めていた連携の糸が緩んでいく。

 物事が上手く回っていくにはある程度の余裕が必要だ。一人の少女が伝えた言葉も確かにあったが、そのまま切れて崩壊してしまってもおかしくなかった流れを変えていったのは、今まで名も語られなかった者たちが、それぞれに大きな影響を及ぼし始めたからだ。


 大量の血を流し、しかし今も戦場にその姿を立たせ続けているハイリア=ロード=ウィンダーベルは、遠のいていく意識の中で笑みを浮かべていた。未だ手には突撃槍が握られたまま、眼前に弱々しく『騎士』の紋章を浮かび上がらせている。

 後方で待機していた筈のメルトーリカ=イル=トーケンシエルは、自らの主人と同じくらいに顔を青くしてその傷を見た。薄く笑って応じたハイリアを見て涙が出そうになる。だが、彼女は何も言わず、ただ立ち続ける彼の治療を始めた。


 ふと、ハイリアの視線が最前線へ向けられる。


 そこに居る、本来であればこの物語の主軸となる筈だった少女は、何も聞かず、凍えるような顔つきで敵だけを睨みつけていた。


   ※  ※  ※


   リース=アトラ


 ハイリア様を負傷させてしまった。

 この合宿から、いやそれ以前から幾つもの恩ある人を、手の届く場所に居ながらなにも出来なかった。


 またっ、私は何も出来ずに居るのか……!


 父の死にも、母の死にも、私はただ二人の言葉を理解出来ず頷いて従うだけだった。いい子だから、と優しく頭を撫でた二人は私に背を向けて離れていった。幼かった私はすぐ戻ってくるものだと信じこんでそれを見送って、それで……、


 それで父が死ぬなんて思ってもいなかった。

 それで母が死ぬなんて思ってもいなかった。


 何のために力を求めた?


 復讐をするつもりはない。

 父は戦いを止めるために命を捧げ、母は私を守る為に命を捧げた。その娘である私が人を殺すことを目的に生きるのを望みはしないだろうと思って、ずっと自分を納得させてきた。


 この戦いが始まった当初も、あくまでハイリア様の言葉に賛同して、目的を達成する為にピエール神父と戦っていたつもりだった。


 彼は強かった。途方もなく。

 『旗剣』の力を以ってさえ、あの男には届かない。

 心の乾いた部分が焦げ付いていくような感覚がある。足りない自分を見せつけられる。その不足に苛立っているのだと思っていた。


 なのに、ハイリア様が斬られた瞬間に浮かび上がった感情は、後悔と憎悪だった。


 また私から奪うのかと、視界から神父以外の全てが吹き飛んだ。


 ハイリア様への感情は、強い尊敬だ。

 クレアさんから聞かされた数々の思い出話にも影響されていると思う。でも、一緒に過ごしていると、言葉を交わしていると、その強い信念と真っ直ぐさ、ひたむきさに敬意を覚えずにはいられない。

 仕える相手を失い、今や没落したアトラの血が、彼の言葉を求めていた。

 だというのに……、


 雑音が激しい。


 自分の中に没頭していたいというのに、変な横槍が多すぎる。


 もう一人の尊敬する先輩であるクレアさんにとっても、ハイリア様は大切な人だ。その人を傷付けた代償は払ってもらう。だから、


 長剣を上へ、そのまま横へ向けて叩きつけた。


 『旗剣』の魔術が繰り出した連続破砕が動き出そうとしていた部隊を止める。思わぬ動きに誰もが様子を伺い、その隙間に私は身を躍らせた。


 初撃は長剣を盾のようにしての突進だった。

 この構えからどうやって攻撃してくるのかと待っていた神父をそのまま押し込み、砂埃を上げて後退させる。触れ合った剣から感じる僅かな変化を察知した私は、すぐさま身を引いて剣を振りかぶる。

 神父との間に浮かび上がるのは『旗剣』の紋章。


 僅かに遅い。あの神父ならこれだけの間があればあっさりこちらを仕留めにくる。それが分かっていながら尚も攻撃の手を緩めない。

 目が合った。感情の読み取れない、水晶球のような目。その目に映る私も、同じような目をしているのかもしれない。


 攻撃は容赦なくやってきた。

 彼の攻撃は独特だ。ひどく緩慢に見えるのに、気がつけば刃は別の所にあるなんてことがしょっちゅうだ。遅いのに早い。だからその攻撃も、緩やかに見えておそらくずっと早い。


 目は、お互いの奥底を探り合っていた。

 このままいけば私は死ぬが、続く『旗剣』の攻撃を受けて神父も死ぬ。私にその覚悟があるのかを神父が探っていて、私は神父にその覚悟があるのかを探っている。


 見えたのは空洞。

 その奥底で、どす黒い炎が燃えていた。


 長剣を握る指先が震えた。


 神父は突きを放ち、私は下がる。

 寸での所で『剣』に切り替えた。残り火を貫く神父の小太刀は、一片の揺らぎもなく静止していた。


「っ――!」


 言葉は自分の腹の中で暴れだした。

 引いてしまった自分に、どうしようもなく苛立ちを覚える。


 ハイリア様ならどうした?

 ジークなら?


 違う。あの二人ならそんな死を前提とした鬩ぎ合いなんてしない。安易に命を捨てられない理由がある。だから、常に研ぎ澄ました思考で、戦いの流れを掌握しようとするんだ。

 なのに私は感情任せの攻撃ばかり。

 どうすればあんなにも強くなれる?

 立ち向かう為にと力を磨いてきたのに、上位能力にまで覚醒しておいて尚、私は弱いままだ。


 弱い。

 私は弱い。


 ハイリア様との戦いで受けた言葉はずっと胸に刺さっている。

 『旗剣』の力に自惚れているつもりはなかった。事実総合実技訓練ではクレアさんに苦戦し、ハイリア様からは呆気無く攻撃を貰って力尽きた。でも、そもそもそんな簡単に屈していたのは、やっぱりどこかに驕りがあったからなんだろう。

 だからこそ刺さった痛みが抜けない。


 そこまで考えて、ふと思った。


 理由なんて関係なく、私は単純に強くなりたいんだ。

 剣術や魔術は、訓練として、試合として行っている分にはとても楽しめる。頭に浮かぶ戦い方や鍛えてきた自分の実力を、文字通りに試し合う場が好きだ。クレアさんから聞いた話だと、最近のハイリア様の趣味は読書らしい。よく本で読んだことを実践したがるんだとか。

 私にとっての趣味はコレだ。

 戦うこと。

 でも、奪い合う戦いよりは、競い合うような戦いがしたい。

 その為にこそ強くなりたい。


 なら、まだまだ弱い私は、もっともっと成長していける楽しみがある筈だ。

 それはもう強くなっているハイリア様やジークよりもずっとお得だ。


 今、目の前に居る敵はもっと強い。

 残念なヤツめ。お前より私は楽しめるんだぞ。


 けど、まずは勝たなくちゃいけない。

 弱い私が強い相手に勝つにはどうするべきか。


 思いつきは不意にやってきた。

 途端、視野が広がったのを感じる。


「ぁ……」


 ふと首筋に冷たい感触があった。神父のものじゃない。

 振り返ると、両の手にサーベルを持った、前髪の長い金髪の少年が苛立った表情で口を開いた。


「シコってんじゃねえぞクソアマ」

「は……?」


 言われた言葉の意味も理解できず問い返すと、逆向きだったサーベルが刃を向けてきた。流石に怖くて身を竦める。


「テメエのせいでいい流れが無茶苦茶だ。あーもうどうしてくれるんだよ、気分良くクソ神父をクソ溜めに放り込めるかと思ってたのによ、クソったれなマスターベーションかまして白けさせてんじゃねえよ。分かったか? 分かったら素直にごめんなさいだ一秒やる――ハイおしまいだ、お前はもう許されねえ」

「ヨ、ヨハンくんっ、下級生にその物言いはちょっと駄目だと思うのっ」

「だまってろクソアンナ。その首落として娼館に売りつけるぞ」

「な!? わた、わたしは注意しただけなのになんでそんなこと言うのっ。だいたい――」


 ぎゃあぎゃあ言い返し始めた女の先輩を無視して、ヨハンと呼ばれた少年はこちらの首をぽんぽんとサーベルで叩く。


「偉大な先輩からの忠告だ。正座して聞け、いや待て、敵がすぐ近くに居るから正座は無しだ。というかお前、背高いな。先輩を見下ろすとは許せねぇ、今すぐ膝から下を切り落として俺より低くなれ」

「ヨハンくんの身長より下って、ほとんどの人が当てはまらないと思うのっ」

「黙れクソアンナ、無駄にでかい乳しやがって、動く度に揺れるから気になるだろうが」

「そ、それは完全にヨハンくんがスケベなだけだと思うのっ」

「うるせえ。なあ下級生、お前も男なら思うだろ、あのクソ女の乳がクソデカくて気になるんだ。いや待てお前女じゃねえかクソアマが。クソ棒生やして出直して来い」


 無茶苦茶だった。というか最低だった。

 ヨハン先輩はやる気の無さそうな目で、今度はこちらの頬へサーベルを押し付けてくる。退けということか。そう思って横へズレると、身長の低い先輩は心なしか踵を浮かせているような姿勢で神父の前に立ち、薄ら笑いを浮かべた。


「色々作戦はあるんだろうけどよ、こいつをクソぶっ殺しちゃいけねえなんて事はねえよな。隊長サマは安全に安全に、なんて思ってるんだろうが、俺はそんなクソ過保護な状況は好きじゃねえんだ。『王冠』がいつどこで展開されるかなんて正直あくびしながら聞いてたから覚えてないしよ」

「そんなだからヨハンくんはクレアさんに勝てないまま三年生になったんだと思うのっ。気分で動きすぎなのっ、いつまでもナンバーツーのままなのっ」

「黙れクソアンナ、ケツの穴にサーベルぶっ刺して直腸切り刻むぞ」

 ぎゃあぎゃあぎゃあ。

「せ、先輩っ」

「大先輩だクソが」

「大先輩っ」

「おうなんだ後輩」


「もう一度だけ機会を下さい!」


 思い切って行ってみると、ヨハン先輩は長い前髪の向こうからじっとこちらを見た。鋭い目つきに顔の表面がチクチクする。けど、ふっと皮肉げに口元が緩んだ。

「よぉし、やってみろや後輩。大先輩が合わせてお前の思い通りにさせてやんよ」

「よろしくお願いします!」

「クソアンナとその他大勢っ! お前らも俺の後輩を援護しやがれ!」

「リースちゃんは私たち皆の後輩だと思うのっ、ヨハンくんだけの後輩じゃないんだよっ」

「黙れクソアンナ、あぁもう罵倒する言葉が浮かばねえだろツッコミ入れすぎだクソアマ、次横槍入れてきたら無言で乳揉むからな」

「変態っ、変態だよヨハンくんっ」


 ツッコミが入ったからだろう、大先輩はアンナ先輩を無言で追いかけまわした。


 とりあえず二人のコレは平常運転なのが分かった。

 なので気にせず長剣を構えると、横合いから吹いてきた風に乗るようにして歩を進める。黙して立っていた神父の目が、こちらの後方へ向けられているのに気付いて、視界の端でそれを追う。


 ハイリア様を見ていたんだ……それと、あの人は、


 戦う前は殺さずに、などと言っていたピエール神父が彼を仕留めることにこだわり始めている。その理由は、すぐ近くに居たからよく分かる。

 あの時感じた、大波のような感情の昂ぶり。

 この人ならもしかすると、変えてしまうのかと思わされた。世の万象を定め、廻していると言われる運命神の定めを……いや、アレはかも、なんていう曖昧なものじゃなくて、もっと実像を持ったものにさえ思えた。

 もしかすると既に、何かを変えてしまっているのかも……。


 だから、同じものを感じただろう神父にとって、彼女の定めに従い自分の妻でさえ手に掛けたあの男にとって、それは許し難い冒涜であると同時に……、


 いい。

 今は倒すべき敵だ。


 風に委ねて歩いて行く。

 『剣』本来の速度を活かした戦闘とは違う。

 不可解な動きだったけど、戻ってきたヨハン大先輩が周囲を固め、どんな状況にでも対処できるよう備えてくれている。アンナ先輩が顔を真っ赤にして崩れ落ちているから事は済んだんだろう。一人でやっていたらまた命がけの行動に出ていたかもしれないな、などと思う。けど、今はそんな気持ち欠片もない。

 死にたくないなどと怖気づくつもりはないけど、死を取引して満足を得ようなんて気持ちはどこかへ消えた。


 下段に構えていた長剣の切っ先が、僅かに浮き上がる。


「行くか、後輩」

「はいっ、大先輩!」


 風が止まる。

 次に起きるのは、大勢に支えられた私が起こす先駆けのともし火だ。


   ※  ※  ※


   ハイリア=ロード=ウィンダーベル


 一歩を踏みだそうとして激痛が奔った。

 指先が、地面を踏む足が、強い痺れを帯びてまともに動けない。力を入れているつもりで突撃槍は今にも手から零れ落ちそうだった。

 こめかみから流れ落ちた汗が目の端を掠め、思わず右目を瞑る。次に開いた時、右の視界はぼやけて見えなくなりつつあった。最初からそうで、気付かなかっただけなのか、それとも目を瞑ってしまったからなのか、そんなどうでもいいことを頭の中で考える。


 戦場は大きく前進しつつあった。

 教団が最終防衛線と定めた大岩まで、もうあと僅かしかない。それはいい。そこに届こうと届くまいと、実の所こちらからすればどうでもいいんだ。


 問題なのは決定打の不足だ。

 『王冠』の欠点を上げるなら、術者が動けなくなることの他に、発動から完成までのタイムラグがある。前兆としての霧で効果範囲は勿論のこと、広がり方さえ見えれば術者の居場所さえ概ね判断出来る。

 城壁を築き上げるにも時間が掛かり、その部分は霧が濃くなってしまうから、察知できる者なら十分に突破可能だ。特に『剣』は魔術への察知に優れている。


 通常ならそれを味方が抑えこみ、連携によって時間を作り、封じ込める。それに突破は可能だとして進める距離にだって限度がある。

 ピエール神父は、常にゲルから一定の距離を保っている。そのどれから『王冠』が発動しようと、完成までに自分ならここまで突破出来るだろうという目算を、たった一度の発動を見ただけで定めている。

 実際、総力を結集しても阻むのは難しいだろう。

 一つは大破し、残りは二つ。それがあの大岩を超えれば、そこから村全体を射程内に収められる。


 だが、現状の戦力では、『王冠』の発動から囲い込みの完成までの間、あの神父を抑えこむには一手足りない。


 腹部の締め付けが強くなったのを感じて視線を下ろす。

 そこには、余裕の無い表情で俺に包帯を巻き付けるメルトの姿があった。


 彼女は横になれ、とも戦うな、とも言わない。

 本当は言いたいんだろう。立ったままでは身体に力が入るから、どれだけキツく締めたって不十分だ。だが、次に膝を折ればもう俺は自力で立ち上がれない気がした。

 戦う必要がある。

 最後の一手を埋めるには、俺という駒が不可欠だ。


 せめてヒーローが登場でもしてくれればいいんだがな。

 生憎と、風であった筈の男は今や迷いを持ち、皆が言うところのヘタレ化が始まっていることだろう。へし折れればいい。誰も彼もの道標である必要はない。お前がたった一人の少女を救う為のともし火となってくれることが、俺にとって一番の望みなんだから。


 先を見据えた。


 戦場は今、リースを中心として動きつつある。

 彼女は『旗剣』の特性を存分に発揮し、極力神父との接近を避けたままひたすら遠距離からの連続破砕を浴びせている。『旗剣』のそれは扇状に広がっていく。そもそも接近すればするほど回避範囲が増えるものなんだ。だから彼女は距離を取り、攻撃の先端をかすらせるようにして神父を後退させていく。

 『旗剣』の性能に任せた攻撃だが、実力で劣る俺たちが勝とうと思うのなら、それは俺が考えていた方法よりもずっと現実的なものだった。

 周囲には一番隊でも『剣』の術者としては二番目の実力を持つヨハンや、いつも彼とぎゃあぎゃあと騒いでいるアンナを始め、多くの者たちが控えて援護している。誰も神父と切り結ぼうとはしない。機先を制し、押しとどめ、すぐさまリースに託して後退する。


 いささか派手さに欠ける戦いだ。

 あれほど苛烈に動き始めていた流れがひどく緩慢になり、しかし確かな歩みで進んでいく。

 後方では、バラつきつつあった部隊の連携が余裕を持って繋がり始め、押し切りはしないながらもしっかりとした守りを固めていた。


 もう双方に実力差があるなどとは思わなかった。

 今、戦場は等しい者たちによって鬩ぎ合っている。

 俺が率いていた時とは明らかにその色が多彩に変わり、複雑な構造を以って動いている。それでいて、不思議と何かに統率されているような一体感がある。


 痛みと共に歩を進める。


 決め手を。


 この戦いに決着をつける終わりの一撃を放つべく、治療を終えたメルトを伴って進んでいく。


 くそっ……左までぼやけてきた。

 流石に血を流しすぎたのか。


 いける筈だ。

 あと一撃必要なんだ。その為の力は残っている筈だ。なのに、どんどんと意識が沈んでいく。


 小さな石に躓いて、膝ががくんと落ちた。

 支えようとしたメルトも一緒になって膝をつく。


 し、ま……っ、ぁ――


 戦いはまだ先にある。

 こんな所からじゃ届かない。

 もっと前へ、前へ進まないと……、


 そんな時、偶然少し離れた場所に小さな背中を見た。

 赤い髪をした少年は、震える手で矢尻を持ち、弦に当て、引こうとしている。だが生来の優しさからか、そもそも他人に武器を向けることそのものに躊躇いがある彼は、攻撃することに怯えていた。そのせいで狙いが定まらない。


 ぼやける視界の中、周囲に膨大な霧が広がっていくのを感じた。

 合図はまだだったが、先に向こうが限界に達したんだろう。それは元々のパターンの一つに組み込まれていたからいい。問題は、あと一手。神父を封じ込めようと始まった猛攻を見て、やはり足りないと感じた。

 俺が埋めるはずだった一手、それを、

「メルト……」

「はい」

「支えてくれ」

「はいっ」

 自力ではどうしようもなかったから、俺は彼女に寄り掛かり、再び立ち上がった。もう紋章は風と消え、戦う手段も失った。それでも、たった一つの攻撃を放つ方法がある。


 そうして、メルトに支えられながら彼の元まで辿り着く。


 近くにやってきた俺を見て、怯えていた少年は驚きの表情を見せる

「……赤毛少年、いや」

 手を伸ばす。

 弦はとうに引かれている。これまでの日常の中で、ゆっくり、ゆっくりとそれは引き絞らていった。だからもう、多くの言葉は必要ない。触れた背中は、以前よりもずっと大きく感じられた。


 そして、一人の男へ向けて言葉を送る。


「行ってこい――エリック=ジェイフリー!」


 その背を押して、最後の一矢を解き放った。





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