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ティリアナ=ホークロック
鼓動が聞こえる。
弱々しく、今にも消えてしまいそうなか細い音。
待ってくれと泣き叫び、必死に掻き抱いて守ろうとした我が子の命。
この指からこぼれ落ちていく幸福を留める手段は、あの頃には無かった。
トクン――――トクン――――。
それが現実から目を背けた私の妄想が聞かせる幻だってことは分かってた。
消えていく熱も、苦しそうな吐息も、力が抜けてだらりと落ちる手も、皆覚えている。
悲しみの詰まったその景色の中で、いつまでだって泣いていられたら。
トクン――――トクン――――。
放った矢は月を落とせと舞い上がる。
遥か昔に救いを齎したらしい聖女様がそこに居る。
お前の齎したありがたい救いとやらの中で、今日も人間共は殺し合って生きてるんだよ。
気付けよ。
気付けよ。
月から見下ろしてないで、救ってみせろってんだよ。
アンタが作り出した今なんだろうが。
何もしないってんなら、その座からアタシが月を落として、引き摺り下ろしてやる。
こんな女の残した言葉なんかの為に、殺し合う必要なんて無いんだってな。
※ ※ ※
足音に目を覚ました。
眠って、いたらしい。
あるいはぼんやりし過ぎていたのか。
何にせよ不便な身体だった。
目を開けると黄色の魔術光が薄っすらと自分を覆っているのが分かった。
慣れた感覚ではあるけれど、寝起きにそのままってのは気分が悪い。
幸いにも意識すれば『弓』は魔術光をほぼ消せる。他の連中がどうだかは知らないが、今度機会があればご愁傷様とでも言ってやろうか。
視線を巡らせ、すぐに相手を見つけた。
向こうは気付いていない。探しているらしいが敢えて声は掛けなかった。
この、ティレールと呼ばれる都市でも特に警戒に向くこの寝床は気に入っていた。
デュッセンドルフとやらでも戦った、近衛兵団の詰め所らしい。
生憎と長く放置されていたのか使っていない所は荒れ放題だったが、よほどの馬鹿共が使っていたのだろう、とにかく無防備過ぎるのが良い。
難攻不落と称される要塞ほど許容量を越えた兵力には弱いものだ。
戦いの目的は勝つ事じゃなく、負けない事だ。
勝利なんて最後の一回でいい。
だから、大小様々な侵入路を持つこの場所は、攻め寄せるに易い反面、退路を断つことが難しい。
大方内々で角付き合わせていたんだろう。
あまり身持ちを固くすると上から睨まれるってのは、どの時代でも同じ。
その癖いざ内側から観察してみると、この場所を包囲可能な戦力が集結するに向いた場所が片っ端から丸見えだった。
加えて死角になりやすい侵入路からは景気良く風が吹き込んで来ていて、慣れさえすれば侵入者は音で分かる。
つまり包囲出来る数を揃えようとすれば看過され、察知されない少数で寄せた程度じゃ退路を塞げない。
分かりやすい壁や兵力で守られるよりよっぽど厄介だ。
コレはコレで弱点もあるんだが、テメエでなんとかしやがれが方針なら問題無いだろう。
そんな訳で、そもそも警戒や索敵なんざ知りませんって顔のボンボンの接近くらいは容易く感知出来る。
「どうしたんだい、『盾』の坊や」
分かりやすく気配を出してやったのに気付かないから、仕方なく声を掛けた。
ランタンの灯りがこちらへ向く。
今は夜だ。夜に慣れた目には少々辛い。私は腕を翳して光を避けつつ、彼の前へ降り立った。
「どうしたでは無いでしょう。軍議を行うと、先だって通達してあった筈です」
苛立ちを孕んだ物言いに、しかし私は知らんぷり。
「さて? アタシは何かと忙しかったからね。そんな話いつ聞いたっけか」
「今日の昼過ぎッ……ナーシャ=リアルドを使いに出しています。丘陵地帯からの攻撃では圧力を掛け切れていないから、改めて敵軍の攻略について話し合うと」
「ふぅん」
気の無い返事にまた鼻息を荒げかけた坊やにアタシは手を振った。
「分かった。行くよ」
目覚めにキンキン喧しい声を聞きたくはない。
こちらと同じく霧の魔術光を漂わせる『盾』を追い越して建物から出た。
日中とは違う、やや冷えた空気が身を包む。
石畳や石壁はとにかく熱を持つから、陽の照っている間はすさまじく暑くなる。
今はようやくその熱も引いて、ひんやりとし始めた頃合いということか。
夏の虫が鳴いていて、ふと振り返ると『盾』の持つランタンに虫が集まり始めていた。
そいつが気に入らないようで、さっきから灯りが左右に揺れている。
ふと見上げた先に、綺麗な月が見えた。
「ティリアナ=ホークロック」
「なんだい、ヴィレイ=クレアライン」
前回、お互いに名前は名乗り合っている。
酒を酌み交わすほどの時間は無かったけどな。
「貴女は宗教戦争において反教会勢力として戦ったと聞いています。どうして今、セイラムに協力をしているのですか」
「今はそう語られているのかい」
『弓』の魔術光は月の輝きと称されることもある。
だけど、アタシの周囲からこぼれ落ちる黄色い羽と、あの下弦のお月様とじゃちょいと比較にならないね。
「まあ、アタシも自分の居た時代より昔をちゃんと知ってる訳じゃないけど、反教会勢力とはよく言ったもんだね。聞く所に拠ると、旧派と改派で争ったアレを宗教戦争と呼んでいるそうだね。でも、今も旧だの改だの言ってる組織こそ、アタシらのトコから派生しただけの新参で、本流はこっちだったのさ。ま、いざやりあってたら後ろから異民族に小突かれて潰れちまったからね」
「……民族大移動という奴ですか。大王の西方遠征と、結果としての法王の強権化。確かに件の宗教が権威を持つようになったのもその頃」
「ありもしない書状をでっち上げて正統を名乗り出した馬鹿を叱り付けていたら、故郷がとんでもないことになったってんで、あの時は大変だったね。援軍は引き返す、脱走兵は止まらない、補給もない、周りは敵だらけ」
「挙句に捕虜となった」
「一人目を孕んだのはその時だったね」
さらりと言うと視線を下げたのが分かった。
気にするくらいなら最初から言うんじゃないよ。
「なんだい、世間話がしたくて使い走りになったんじゃないのかい」
それほど素直じゃないのは面を見れば分かる。
経験柄そういうのには敏感になったが、策略云々を好むほどじゃない。
アタシは小賢しい馬鹿と戯れているのが好きなんだよ。
「…………たった四人の軍隊なんだ、派閥争いなんて止めときな」
「より良い結果を生む為に主導権を握る必要はあるでしょう」
「そいつはアンタを殺すよ。認めなよ。暴力の象徴となる軍勢の中で政治に奔る連中てのは、総じてどこか自分が劣っていることを自覚しているもんだよ」
「っ……!! 私は劣ってなどいない!!」
「『盾』じゃ『槍』には勝てない。程好く四竦みになってるんだ。無理することはないさ」
いきり立つ坊やに軽く言って、アタシは夜風に乗って歩を進める。
少しして、ランタンの灯りが追いかけてきた。
しばし足音が続いた後、坊やが問い掛けてくる。
「フーリア人について、どう思いますか」
「知らんよ。アタシらの時代には居なかった連中だ。でも」
そうだね。
「異民族は怖い。この貧しい土地に追いやられて尚も、連中は時折アタシらへ襲い掛かり、何もかもを食い荒らして去っていく。知ってるかい? 今残ってるかは知らないけど、内海の東方に巨大な図書館を持つ都市国家があったんだ。セイラムの時代に東方への一大遠征があったって、コレはまあ、あちこちの教会が記録を禁止してたんだけど、口伝は残るからね。でまあ、その時代に集積され始めた膨大な知識が、異民族の襲撃によって失われたんだ」
「川がインクで真っ黒に染まった。そういう話を聞いたことがありますね」
「戦いで血に染まるってのは確かにあるんだ。だけど、あの時に流れたのは人の歴史さ。アタシは当時、その異民族が人の形をした獣にしか思えなかったね」
恐怖は目を曇らせる。
けれど確かに、怖ろしさの原因は存在した。
「分かって貰えたかい」
問えば、沈黙が返ってきた。
素直じゃない奴だね。
「最初の質問さ。どうして、とは問うてきたけど、本当に聞きたかったのは本当に味方なのかって話だろ?」
「……はい」
再び言った。
「異民族は怖い」
手を結べる時代なんて想像がつかない。
どれだけ逃げに向いた場所へ身を置いたとして、追われて、追われて、最果てまで追われたら、あとは海に身を投げるしかなくなる。
どこかで壁を拵えてでも、立ち向かわなきゃいけなくなる時が来る。
「もし機会が得られたのなら、そんなのは纏めてひき潰してやった方がいいのさ。いつか必ず、アタシらを襲いに来るんだからね」
「いつか、ではなく、既に来ているのです。この大陸に。聖女を脅かし、我らの積み上げてきた糧と幸福を刈り取りに。その尖兵こそが――――」
「ハイリア=ロード=ウィンダーベル、ってんだろ」
「あろうことか異民族と手を結び、聖女からこの地を掠め取ろうとする簒奪者ですよ」
「ふぅん」
話半分に聞いちゃいたが、改めて考えてみると大した奴だ。
「アレだけは確実に殺さなければいけない……絶対に…………、生かしてはおかない」
「相手は『槍』……なんだろ? あぁ、だからアタシを取り込んでおきたいのかい。やれというならやるけどさ」
月への呼び掛けは確かに届いた。
妄信するつもりはないが、殺し殺されは得意な方だし、鳴り止まない鼓動に打てる手があるのなら、その可能性があるのなら、とりあえず殺しておくに越したことは無い。
「そのような曖昧さでは困ります。アレはプレイヤーだ。世界を動かす力がある。聖女の世を脅かすことが出来るのはアレだけだ。故に確実に、絶対に、始末しなければいけない。この聖戦を本当の意味で勝利するには、奴をおびき出さなければいけないのです」
一部何を言っているのかは分からないけどね。
何かと人に脅える癖に、喋り続けていると乗ってくるのか、どんどんと発言が怪しくなる。
戦いの聖邪を語るのは兵士を駆り立てる時だけでいい。
平時からそれを語る連中はいつだって、背中から刃を突きつけて来るんだからね。
「せめて、アンタの囲ってるアレ。あの悪趣味なのを止めてから聖戦とか言って欲しいね」
「何を言っているのですか」
集合場所に到着した。
立ち止まったアタシに対し、後ろから追い越したヴィレイが扉を開けつつこちらを見た。
ランタンの灯りを受けた瞳は爛々と輝きを帯び、口元は裂けんばかりに広がっている。
「あれこそ聖なる行い。虚像として出現しているに過ぎない聖女を今という時間に繋ぎ止める為のものですよ」
だけどさ、聞こえてくる悲鳴が聞くに堪えないんだよ。
孕んだ何だに閉口するなら分かれってんだ。
※ ※ ※
「おぉ、来られたかティリアナ殿。遅かったので先に初めておる。其方も座り、まずは酒を愉しむが良い」
当たり前の顔で大広間の奥に座し、当たり前に席を進めてくる大男が居る。
纏う風の魔術光を見れば、何者なのかは考えるまでも無い。
「どこから見つけてきたんだい、これだけの酒や食料」
「うん? 略奪したに決まっておろう。今日は敵陣の一つをようやく抜けたのだ、少々豪勢にしても罰は当たるまい」
つまり敵陣を崩した好機に嬉々として略奪に走り、態々持ち帰ってきたということかい?
本来なら食事の必要が無い、敵からすれば悪夢のような軍勢が、攻め手を鈍らせてまですることかね。
ともあれ必要無くとも食えと言われたら食欲も湧いてくるもので、アタシは皇帝サマの前にある腸詰めを一摘みして食べた。旨い。眉があがった。あぁ、いや、というか、誰がこの席を整えたんだろうね。適当にもう一つ腸詰めと、パンを一切れ取って手近な所へ座った。
すぐに寄ってきた下女が葡萄酒を注ぎ、ナイフとフォークを添えてくる。
なるほど、戦利品か。
特に勧められてはいなかったが、『盾』の坊やは男を無視して彼から離れた末席に腰掛けた。
毛色の違うのが寄っていったから、自前のなんだろう。
「ん……んん?」
さっきも感じたが、腸詰めの味わいが随分と違う。
この鮮烈で豪快な辛味はどんな香草にも無いものだ。
振り掛けられているもののせいか。
細かく砕けた、黒い木の実の類。
「どうした。旨くてたまげたか」
「覚えの無い味だ。なんだ、香辛料かい?」
「胡椒という、東方のものだ。余の時代には薬として使われていたものだが、この辺りは貧しい土地であったからな、珍しいのだろう」
ここが故郷ではないものの、西寄りの貧しい所の生まれだったから確かに珍しい。
というか、自生してないものは皆珍しいもんさ。
食べるものにお金なんて使わない。
アタシは葡萄酒に少し口を付けてから、やっぱり腰元から小さなボトルを取り出して煽った。
好奇心旺盛な皇帝様は見逃さなかったらしく、やや身を乗り出して聞いてくる。
「それはなんだ?」
「ブランデー、というらしい。果実酒をしこたま蒸留したもので、甘くてキツい」
根城にしている詰め所から見付け出したものだ。
あそこの主人は中々にコイツが好きだったようで、色んな種類が隠し場所に収められていた。
「要るかい?」
「おおっ、話が分かるではないか」
注いでやろうかと思っていたら、アーノルドは自分から立ち上がって寄ってきた。
「……っおっほお! こりゃ凄いっ、なるほどブランデーか。探せばまだこの王都にありそうだな」
「ちょいと酸味のある果物の汁で割ってやりゃ飲みやすくなるよ」
「なるほど! いやまてまて、この手ものは自身で探求するのも愉しみの一つよ。時間はたっぷりあるのでな、やる事が増えたわい」
そんなこんなで酒と食事を愉しんでいると、徐々に机を指で叩く音が大きくなってきた。
我慢の効かない子だね。
この程度は愉しむ余裕が無けりゃ、長い間を戦場で過ごすなんて出来ないよ。
「時間はたっぷりある、ですか。そのような考えで好機を潰し、あまつさえ無為な食事などに興じているのですか」
威圧的な横槍だったが、アーノルドは特に気分を害した様子も無く、あっけらかんと言い返す。
「実にその通りである」
「貴方はっ――――」
「まあまあそういきり立つでない小僧。勝利はいずれ我が元へ転がり込む。焦る必要が無いのであれば、でーんと構えて遊んでおれば良い」
「何を根拠に!」
尚も噛み付く坊やを見て、ふぅむと喉を鳴らす。
何の気無し、という様子だったし、特に何かあった訳じゃないが、始皇帝と呼ばれた男は目に異様なほどの力強さを湛えながら彼を見た。
巨大な獣が道行く途中で軽く兎を足に引っ掛けた、その程度のものだったけれど。
「講釈の一つも無ければ一時の遊興すら見逃せんか」
「そうして上座でふんずり返るのなら相応のものを示して頂きたいっ」
平然と返せるのは以外に器が大きいからか、単に鈍感なだけか。
不思議とこの坊や、上の者に対する態度は中々に不遜でふてぶてしい所がある。
貴族という話だから、普通は上下に敏感だと思うんだけどね。
平民の身の上じゃあ話に加わるのも面倒くさい。
面倒くさいので、この胡桃と一緒に焼いたパンをもう一つ貰えるかい?
「よかろう」
実に美味いパンを味わっていたら、案外あっさりとアーノルドが応じた。
「小僧。戦いの奥義とはなんだと思う?」
「奥義?」
「如何にして勝利を目指すか、と言い換えても良い」
「……敵将を討つこと。統率を失った軍勢は脆いものでしょう」
「違う。兵站だ。兵站こそが戦いの構造を決定付ける。決戦など結果として行われる答え合わせのようなものであって、ましてや将の刈り取りなどは戦術の一つでしかない。無論、余ほどともなれば答え合わせの最中に正解をひっくり返すくらいはやってみせるがのお――――カカカカ!!」
というかアンタは死線を潜り抜け過ぎてると思うんだけどねぇ。
「良いか。軍とは日々大量の食料を消費する。引き連れた兵をいかに食わせるかということこそが将の持つ最大の悩みとも言える。これが敵地ともなれば略奪でもすれば良いが、防衛戦となれば話は変わる。確かに補給路は確保し易く、国中から物資を集めればたかが遠征軍などとは比較にならぬほどの持久力を持つであろう。しかし国土は荒らされ、周囲からは決着を求められ妥当な判断というのが難しくなる」
「その程度は知っています。ですが、勝利が転がり込むとはどういうことか」
再び、アーノルドは喉を鳴らした。
視線がさっき追加で注いでやったブランデーへ向いている。
早く飲みたいのだろう。
しかし興じると決めたのか、大きな身体をようやく坊やへ向けた。
「分からんか」
「っ……」
たった一言。それで十分に自尊心が傷付けられたのだろう、坊やが睨み付けるも、すぐに視線が落ちた。
「我が軍に兵站は必要無い。損耗した兵も元通りになるし、ゆっくりとではあるが増え続けている。行動出来る範囲に限りがあるなどという制限はあるものの、時を経るほどに広がり続けておるのだ。後にも先にも、これほど理不尽な軍勢というものは存在すまい。加えて余たちは不老の存在という。ならばな、小僧、この状況で最も良い方法とは、手勢が満ちるに任せて広がり、余計なことはしないことだ」
「座して待てと」
「連中はどうにも余らの復活を封じ込める手段を持っているらしい。加えて出現に合わせて布陣していたことなどを考えれば、相応の戦術を幾つも隠し持っていることは明らか。繰り出せば首を晒すことになろう。であるからして、兵が満ちるに任せ、ただ滾々と広がり続けていれば良い。相手が攻めかかってくるならば良し。守る相手より攻める相手の方が遥かに隙を生じさせる。余ならば軽く捻ってくれよう。これぞ必勝の策。文句は無かろう」
最後に葡萄酒をぐいっと煽り、ようやくアタシは食事を終えた。
人間らしい行動はいいもんだ。
不要であろうと、食事を摂れば気持ちが落ち着くし、満足感もある。
今日まで、そしてデュッセンドルフで、散々と余計なことを指示してさせてきた坊やにとっては耳の痛い話だったんだろうね。
アタシの力だって、あの場で見せずに時期を待って使っていれば、もっと驚いて逃げ惑ってくれたに違いない。
今や連中、こっちの見せた手管をあれこれ工夫して真似てくる始末で、矢の攻撃に至っては平然と対処してきやがる。
『弓』は『弓』なんだ。
生前でも慣れた相手は色々と対処をしてきた。
だからまあ、対処への対処が無いでもないんだがねぇ。
ともあれ。
「坊やはあっちにどうしても勝ちたい相手が居るんだよ」
「ほう?」
助け舟を出すと、何故か助けた相手から睨まれた。
男の子ってのは難しいね。
「国の中心地を抑えられた敵が自壊するのを待つってのは、勝ち方としちゃ気持ち良くないだろうからね。坊やとしちゃ、スカッと叩き潰した上で勝ち誇りたいんじゃないのかい?」
アーノルド、アンタも分かって言ってるんだろう?
これまでの発言や行動を見てれば凡その察しは付くもんさ。
「その意地に付き合う義理が余にあるとでも?」
ただ、男の子ってのは難しいからね。
「貴様は余の友でも、臣でもない。偶さか似た境遇であるというだけで、未だ酒の一つも酌み交わしてはおらん」
示せ、と。
「余を納得させよ。そうでなければ、これ以上貴様の献策など聞く耳持たぬぞ」
※ ※ ※
結局、坊やから大した言葉は出てこなかった。
というより、一つ二つ言った後は発言することにさえ脅えているようで、最後はアーノルドの方から聞き出そうとしていたくらいだ。
逃げるように引っ込んでいった先は、例の悲鳴が聞こえる場所さ。
「高く売りつけたもんさね。アンタが一番、この戦いを愉しんでいるように見えたけどねぇ」
「カカ!! 愉しみは多いほど良いからのう」
望む結果が得られなかった、という様子でもなかった。
最初からさほど期待していなかったのだろう。
仕方ないとは、思うけどね。
「それにしてもアンタ、連中の事情に詳しそうだったね。封印なんて、本当かい」
「おぉそのことよ。封印云々は確かめようがないから置いておくとしても、どうにも連中、第一陣をあっさり捨てたかと思えば、その下に爆薬を仕掛けてあったという話だ」
「爆薬?」
「うむ。鯨油などに混ぜ物をしたものは余の時代にもあったが、それをうんと強力にしたものらしい。引き際が見事過ぎたのでな、気になって急ぎ話を聞かせて貰ったのよ」
さぞ懇切丁寧にお願いしたんだろうね。
貴重な指揮官級の捕虜たちにはお悔やみ申し上げる。あるいはその関係者か。
「それで敵を挑発する意味もあって略奪していたってことかい。逃げ遅れを連れ去る様はさぞ感動的だったろうさ」
今更過去を思い出して荒れたりはしないけど、気分の良い話でもない。
「手強いぞ、聖女の敵となる者たちは」
話を切り上げようとしたら、青い風がそれを遮った。
実感の篭った、重い声が胸を叩いてくる。
「だろうさ」
口端があがる。
アタシがデュッセンドルフで味わったものを、この男も感じているんだろう。
「小僧は甘くみているようだが、敵は実によく学び、考え、それでいて大胆に実行してくる。攻め切れぬ行動範囲という制限は、予想以上に重い枷であるかも知れん。故にこそ何もせず、決戦の時まで沈黙する事こそが勝利への確実な道であろう。しかしなぁ…………」
「面白い」
「そのとーーりなんだなぁ……っ」
「ははははっ」
つい笑ってしまった。
この皇帝サマは時々子どもみたいになる。
男の子ってのはそういうものさね。
難しそうに見えて単純で、そして難しいのさ。
「その連中が待っている男が居るらしい」
ふと、子どもの頃の大冒険を思い出したようにアーノルドは言った。
「最後まで口を割らんかった男が、最後まで口にしておった話でな。その男が帰還した時こそ、余らの最後になるのだと」
さぞ気に入ったのだろう、痛快そうに笑い、同時に瞳が獰猛に輝いた。
数々の戦いを潜り抜け、世に最高の王の一人として名を残した英雄。
アーノルド=ロンヴァルディアにとって、この戦いの価値は、戦いそのものにこそあるのかも知れない。
「男の名は?」
問い掛けに、彼が嬉々として答えようとした時だった。
「ハイリア」
私たち二人以外の呟きが広間に落ちる。
雫のように。
微かに。
少女のようでいて、成熟した女のようにも聞こえる。
目立つ赤の魔術光を纏っている筈なのに、今さっき自らの場所を教えるような発言があったばかりだというのに、食事中も探し続けていたけれど、結局居場所を見つけることは出来なかった。
「なぁんだ、知っておるのか」
「別に」
知っているんだろうね。
デュッセンドルフでの戦い終盤、アーノルドの前任者が決闘なんぞをやっていた相手の名くらいは知っている。
『盾』が騒いでいたから、一度消えた今でもしっかり記憶しているよ。
そして遠巻きだけど、アタシの目には二人が双子みたいにそっくりに見えていたからさ。
前の『槍』の保護者を名乗っていた『剣』が、何も知らない訳ないじゃないかよ。
続く言葉は真後ろから聞こえた。
「彼は、私の獲物」
手を出すな、と。
言葉はそれまでで、彼女が足音も無く去っていくまで、結局アタシは振り返って姿を確認することも出来なかった。
「おーーーー…………怖」
「ふぅむ」
流石『剣』。『弓』では手も足も出そうにないね。
あの詰め所で警戒していたって、あれだけの暗殺者なら欠伸してる間に気持ち良く寝かせてくれそうだよ。
「アレに狙われるくらいであれば、嫉妬狂いの女神にでも恨まれた方がいくらかマシであろうよ」
「同意するよ」
一番の泣き所は抑えに回れる筈の『盾』に何の期待も出来そうにないことか。
四竦み、崩れてるよねぇ。
あぁそれと。
「まさかとは思うけど、そのハイリアってのが現れるまでに決着が付かないよう、手を抜いたりはしないだろうね?」
「あぁうん、行動範囲がな。行動範囲だ」
言い訳があまりにも雑過ぎて、いっそのこと協力してやろうかと思っちまったよ。




