21
戦いが始まる数時間ほど前に、俺は仮眠も取らず拠点の周囲を動き回っていた。
朝から続く過酷な訓練の連続に、倒れるように眠っている者が大半だ。俺も疲れはあったが、こうして皆の姿を見ている内に消えてなくなった。まあ多分、興奮状態で意識出来ないだけなんだろうことは分かってる。
それでも俺は、この気持ちを途切れさせないまま戦いに臨みたかった。
ビジットの言った通り、犠牲は出るだろう。
一人を救うためにそれ以上の者が死ねば、それは釣り合いの取れる計算じゃないと言われるかもしれない。
俺の取った行動は限りなく愚かで、捻り出した大義名分もいささか怪しいものだ。
いずれ誰かがこの事件を掘り起こせば、間違いなく愚かな行動として語られるだろう。
どうしたハイリア、らしくないじゃないか、と。
だとしても俺は、あの名前も知らない人を見捨てることなんて考えられなかった。暴行を受け、怯え竦むあの姿に、もっと大きな何かを重ねて見ている。あるいは、同じように奪われ続けるフロエ=ノル=アイラという少女の影を見たのか。
諦め続ける彼女を思い、反発したかったのかもしれない。
不安は多い。
多くの計画を練り、筋書きを整えはした。しかしそれは構造で、そこへ至る道筋を進むにはそれだけでは足りない。
進む、心を――
歩を止める。
海側の森から聞こえてきた音に釣られてやってきてみれば、こんな時間まで弓を引き続ける赤毛少年に遭遇した。
「あっ、こんばんは」
「……すまんな、邪魔をした」
「いえ。こちらこそ煩くしてしまってすみません」
「無理をせず身体を休ませておけ。お前の場合はまだ」
「はい。弓を力任せに引いている状態です。先輩たちみたいに心で引ければ一番なんですけど、どうにも上手くいかなくて」
赤毛少年の実力は小隊内でも最低の部類だ。
皆と同じだけの訓練も、苦しみながら続けてはいるが、どうしても身体的な差異は生まれてくる。せめて魔術を鍛えることが出来れば、筋力の差を埋めることは十分に可能だが。
「どちらにも向かないみたいです。ですから、皆と同じじゃ追いかけることも出来ません」
放った矢は綺麗な放物線を描き、木の中心線へ小気味いい音を立てて突き刺さる。
静止物へ、何よりただの的へ当てるだけならそれなりに上手くいく。彼なりに、より弓を引きやすく、狙いやすい方法を考えているのも、構えを見れば分かる。
魔術の能力のみで狙い、放つ者たちに比べると、その姿は堂に入ったものだ。
「変わった……んだろうな」
当るタイミングで漏らしたから、俺の声は彼に届かない。
赤毛少年はどことなく変わってきたように思える。おそらくは、村で女の子を助けに入った時から。
「ん……」
「どうした?」
淡々と弓を引いていた赤毛少年が、手を止めて周囲を探る。
「誰かが……近いですっ」
言われ、すぐに分かった。
茂みの向こうから飛び出してきた黒尽くめの男が、俺たちを見て即座に短剣を抜く。大切そうに大きな荷物を抱え直し、突き出してきた短剣を見れば、月光に照らされて刃に血がこびりついているのが分かった。
教団が先手を打ってきたのか……?
即座に迎え撃とうとした俺の前に、あろうことか赤毛少年が立ち塞がる。
「違いますハイリア様っ。村解放を手伝ってくれた方々ですっ」
「っとと!? あ…………あんときの兄ちゃんか……!?」
声に聞き覚えがあった。
俺も共闘した、確か『盾』の魔術を持つ男。
「へへ、こりゃツイてるな。なんだよ……村に来た時の大負けはこの為だったのかねぇ? いや……本当に……、っ…………助かった……」
崩れ落ちる男を支えると、触れた布がやけに濡れているのが分かった。そして、抱えていた大きな荷物と思われたのが、小柄な少女であったことも。
男は俺の肩に大きな手を置き、懐から血の付着した紙束を取り出した。
「おう……コイツが、俺たちで調べられた限りの……連中の配置だ、っ。あんたら、村に近寄れもしないんだろう……? 役立つと思ってな。あー、血に濡れてる部分は……悪いな」
「その為に包囲を突破してきたのか」
「ま、気絶しちまってるが、そこの嬢ちゃんから聞いた裏技でな。ったく……人間金を持つととんでもねえことばっかりやりやがる」
受け取った紙の束を大切に握りしめ、男に肩を貸そうとした。だが、傷が深いのかこれ以上動かすのが危険だと判断すると、すぐさま人を呼ぶべく『騎士』の紋章を浮かび上がらせる。
「なあ騎士さまぁ……」
「すぐ戻る。死んでも意識を繋ぎ止めていろ」
「俺……誇りに思って……いいのかなぁ?」
「当然だ……!」
「あぁ…………そいつぁ良かった……」
静かな夜に、虫が鳴いていた。
※ ※ ※
一合、二合と切り結ぶ度に精神をすり減らしていく。
防いだ一撃が、捌かれた一撃が、感嘆するほど鮮やかに、そして繊細な動きで成し遂げられているのが分かる。
ピエール神父の動作はそれほど早くない。むしろ緩慢にさえ見えるもので、しかし俺とリース、二人がどれほど速度を上げた攻撃を繰り返しても一向に崩れる様子がなかった。
上方から斜めに破城槌を叩きつける。
直径十メートルを超える広範囲を巻き込む最大火力に対し、流石の神父も弾くことは出来ない。だとすれば回避。砂礫を巻き上げ大穴を開けた攻撃に対して、彼はその上へ乗ることで逃れた。それだけでも既に神業に近い。
『槍』の武装はたとえ側面であろうと打つ行為に対して強烈な打撃を放つ。そうでなければ長槍など満足に扱えない。『盾』ほど敏感ではないにしろ、敢えてその上へ乗るなんてことは、リースでさえやらなかった。
ならば更にその上、もう一つの破城槌を具現化する。
これに対し神父の動きは早かった。表面を駆け下り、破城槌の影から斬り付けたリースの攻撃を難なくいなし、足を払い、押す。
俺は咄嗟に二つの破城槌をかき消した。
穴だけとなった地面を転がりながらその中で姿勢を整えたリースは、すぐさま駆け上がって俺の前方に並ぶ。
小さな目配せ。
リースが先行した。
『旗剣』の紋章を浮かび上がらせ、連続破砕を生んでの切り込み。その背後で俺は新造の武装を生み出した。
牽制の一撃を見舞って距離を取ったリースに対し、神父はこちらを見る。
距離はすでに詰めてある。
『槍』に切り替えて突きの構えを取る。
すぐさま放った。
最初の一撃は難なく防がれた。それだけでも驚異的ではあったが、
「ぬ……!」
戻りが早い。
そして二突き目。三つ、四つと繰り返し単純な突きを放っていく。しかしそれは、今まで見せたどの攻撃よりも早い。
コレは管槍。槍に管を取り付け、そこを基点に槍そのものを滑らせ突き出すモノだ。
通常槍というのは両手で握り、両手で突き出す。それか片手を滑らせて突き出すかだ。前者は威力に勝り、速度で劣る。後者は威力に劣り、速度で勝る。
管槍はその後者、滑らせて速度を上げる方法を、武器の改良という形で強化したものだ。
元々『槍』の打撃力は最も低いものでさえ他を圧倒する。
ならば一番求めるべきは速度。そしてより多くの手数。無論高い破壊力を混ぜることで攻撃や状況も多様化するから、それだけを求めはしないが。
かつて日本の戦国時代、管槍は最強の槍と呼ばれたこともある。
道具の力に頼ることを良しとしない武士が多い中、それでも管槍を好んで使う者も多かったという。道具の強さよりも自身の技量をという考えが分からないでもない。だが俺は自分の為だけに戦っている訳じゃない。懸けるモノがあって、どうしても勝たなければならないのなら、遠慮なく技術を使う。
連続した刺突に対し、ピエール神父の法衣が千切れ飛ぶ。全てを難なく回避してきた化け物じみた男へ、積み重ねられてきた知識と技術が初めて王手を掛けた。
これが詰め切れるものなのかは分からない。だが、確かに今、指先が触れた。
攻撃を左右に散らし、横への回避を許さない。
前後なら管槍に分がある。それが例え最速を誇る『剣』に対しても、この槍ならば上回れる。
リースがその背後へ回った。
身の丈ほどもある長剣を振りかぶり、逃げ場の全てを奪う攻撃を放つ。
それに対し神父は滑るように後ろへ下がった。長剣を今まさに降り始めた彼女の間合いへ、自ら飛び込んでいく。その瞬間、俺は自らの失策を知った。
ピエール神父は攻撃も見ずに長剣を受け止め、残る手で彼女の首を狙う。
すかさず管槍を突き出し、しかし、
「惜しい。あのまま一対一を続けていれば私も危なかった」
掴み、受け止められた。
リースの首を狙っていた手を止めるべく突き出した管槍をその手でつかみ捕り、長剣を受け止めた小太刀は刃を滑らせそっと振り払う。
後退したリースは幾分青ざめた顔をしていて、荒い呼吸で肩を上下させた。
「連携とは、敵の行動に制限を掛けるもの。しかしそれは同時に、味方の存在から自らの行動も制限されてしまう。例えば」
リースが、神父を挟んで俺の正面に立ったこと。それはこの好機に彼を仕留めようとする動きではあったが、
「味方を巻き込む怖れがあれば本来の攻撃は放てない」
無論それは自覚出来たから、出来うる限り鋭く突きを放った。彼女なら気付いて回避出来るだろうという信頼もあった。だが、そうと意識してしまうだけで身体には普段とは違う力が入る。
硬くなった身体で、この男にとって脅威と呼べるほどの攻撃は放てない。
「特殊な構造をしていますね、この槍は。全く以て、どこからこのような発想が出てくるのか驚きですが、やや性能に振り回されている印象がありますな? 突きの速度が早すぎて、一つ一つの攻撃は本来のハイリア卿らしくない雑なモノとなっていました。それだけに狙いが読みづらくもあったのですが、いささか失礼ながら、上位能力に目覚めたばかりの術者にも似た傾向を感じました」
あぁそうか……。
この管槍を使い始めたのは昨日から。前々から発想はあったが、それ以外にやるべき部分が多すぎて手を付けていなかった。
どれほど道具が優れていても、それを使いこなすには途方も無い鍛錬が必要だ。
積み重ねていくことの重要さを思いながら、俺自身、焦りを抑えきれなかったのかもしれない。
「そして御覧なさい」
この戦場で教団を率いる男は、俺の後方で繰り広げられる戦いを示した。
「いかに優れた思想で戦場を組み上げ、高度な連携を組めようとも、あなた方はまだ戦うべきではなかった。後十年もすれば、まさしくこの大陸でも有数の部隊にもなりましょう。この先も新たな発想を生み出し続けるというのなら、初戦で勝てる者など居なくなるかもしれない。しかし」
優勢が失われつつあった。
初見の攻撃を仕掛け続けることで、高度な連携や援護を重ねることで保ってきた流れが、徐々に押し切られようとしている。
手数は未だにこちらが上だ。
それでも足りない。
信仰の名の下に猛攻を仕掛けるイルベール教団の者たちは、時に自滅も怖れず切り込んでいく。覚悟はあった。その想定もまたされていた。だがやはり、身体は恐怖を覚える。
人を殺すこと、人に殺されること。
それへ飛び込んでくる敵の恐ろしさ。
俺たちに対し、神父はたった一言の評価を下した。
「未熟」
誰一人として熟達した戦士は居ない。
人を殺したこともない者が大多数だ。
だが、
「あぁ、そうだ。神父」
剣戟の響きが力強く戦場に広がった。
放たれた矢が戦場を切り裂く音は雄叫びにも思えた。
大盾が力強く大地を踏みつけ、槍の打撃が空を打つ。
声は、音は、未だに衰えを見せていない。
「未熟な人間はすぐ屈する。だが、だからこそ何度でも立ち上がる。たった一つの標を掲げて声を上げれば、こんなにも多くの者たちがこの背を追いかけてきてくれた」
管槍をかき消し、手には突撃槍。
青い風を広げ、浮かび上がるのは『騎士』の紋章。
「正直言って、ヒーローは柄じゃない。あいつらと一緒に何かをやって、こうしたらいいんじゃないか、なんて言ってる時が一番楽しい」
「ほう……教育者、いえ、指導者と言うべきですかな」
「いずれ俺の背を越えていく者たちは大勢出てくる。そいつらが色んなものを変えてくれるのなら、ここで無茶をしてみるのも悪くないさ。人に何かを教えようと思った者が一番悩むのは、いかにしてそいつが、自ら望んで動き始めるようになるのか、なんだと思う」
内発性を持たない者は大勢居る。
現代においてそれは社会問題とされるほどに顕著化し、そのことに苦しむ者も居れば、それを肯定して笑う者も居る。
それはいい。
笑っていられるほどに豊かで、本当にその人が満足しているなら。
だけど、そういう考えが浸透しきった世界はそうそう変わらない。
何かを変えるためには大きな波が必要だ。それは一人二人の天才に出来ることじゃない。彼らと比べれば取るに足らない、名前も語られない者たちが一つの方向を向き始めて、ようやく兆しが見えてくる。
「信仰とはなんだ、ジャック=ピエール」
「人に幸あれと、遙かなる太古に聖女セイラムは言葉を紡いだ。その言葉に従う限り、世界は幸福に満たされていくと」
「違う。かつて彼女は神と言葉を交わし、人々を導いたかもしれない。だからこそ、その言葉を神聖視するあまり多くの誤解を生んでいる」
例えば俺の居た世界にも、そんな話はある。
幾つもの宗教があり、その発祥が歴史の始まりのように語られる。
「彼女が見たものはなんだ。餓えに苦しむ人々と、そんな人たちを踏みつけにして私腹を肥やす者たち。挙句に人が人を殺し、その死肉を喰らう獣たちと、金品目当てに死体を漁る人間たち。そんなものを見て、どうして一方的な救いを与えられるんだ」
道徳感の未熟な世界にあって、時代を越えて語られる言葉を生み出すことの出来た賢者は確かに居た。宗教、カルトなんていうフィルターを剥がして見れば、それは間違いなく偉業と呼べるものだ。
無宗教の国に生まれて、目に入る宗教は常に金の匂いがした。
実際に組織を運営しようと思えば常にそれが必要なのも分かるが、やはり心から信用するというのは難しかった。だからこの世界に来て、決定論を土台とする教義には抵抗も大きくて、正直今でも好きになれない。
幸いにもハイリア自身が熱心な信者ではなかったから、俺の中でそれが相克することもなかった。
ただ、本来俺には理解の困難な概念が、二つの記憶と心が交じり合うことで小さな確信を得た。
「自らを律せよ」
凄惨な光景を見た彼女が語った言葉には、強い憤りが篭められているように感じられた。何故、そこで踏みとどまることなく踏みつけていくのか。立ち止まり、手を差し伸べることも出来ないのか。
怒りとも呼べる感情で、それでも深い慈悲を以って拳を解いたんじゃないのか。
両の手に小太刀を握る神父は、じっとこちらを見ていた。
表情は変わらない。
石像のような無表情で、揺れる切っ先を抑えつけている。
そうして紡がれた声は驚くほど静かだった。
「…………ならばこそ、フーリア人は滅ぼさねばならない。あの者たちこそ、彼女の紡ぐ未来を阻むもの」
「人は変わるぞ、善きにせよ、悪しきにせよ。何かを信仰するのはいい。心を預けることで救われることもある。だが思考を預けるな。それは理由の押し付けだ」
「万人に思考を許していては世を変えることなど出来ますまい」
「案外出来るものさ。どちらにも利点と欠点があるだろうがな」
「歳でしょうかな。私には今の世界が変わった姿など想像も出来ません」
あるいは世界を動かしてきただろう男の言葉は、朝日の中へ溶けていった。
悪いな、神父。
王や貴族ではない者たちが国を動かすことも、奴隷などと呼ばれる者が居なくなった世界も、俺は知っているんだ。
だから何の迷いもなく言い切れる。
「世界は変わる。人が学ばないなんていうのは嘘だ。知識は積み上げられ、思考はゆっくりと広がりを見せている」
「人を信じると?」
「違う。俺は知っているだけだ。人の悪性が、万物にやがてくる腐敗のように消えぬものであるのと同じくらい、人の善性もまた、決して朽ちることの無い黄金のように存在していると」
背後で戦う者たちの心は折れていない。
傷を受けようと、圧倒的な力に怯えていようと、その先に俺が居る限り、皆の広げた翼へ風を送ろう。
「俺は時代を動かしていくぞ、神父」
一人では進めないというのなら、俺がお前たちを高く飛ばせてやる。
それまでは決して屈しない。
目の前で神父が腕を振るわせていた。
貫いていた無表情が崩れ、瞳に烈火のような熱が灯る。
「あなたは危険だ、ハイリア=ロード=ウィンダーベル……!」
踏み出した一歩が、振り上げた右腕が掻き消えたように見えた。
リースの必死な叫びがどこか遠い所で響いている。
いつの間にか神父は俺の背後に立ち、祈りを捧げるように両の手を組んでいた。振り向きながら見えたソレが、やけにはっきりと意識に焼き付いて、直後、
《 !》
俺の脇腹から鮮血が吹き出した。
※ ※ ※
その瞬間、戦場のあらゆる音が停止した。
最前線で、最も困難な敵と相対していた少年少女たちの導き手が、敵の凶刃を受けて血を流していた。遠目ではそれが致命傷なのかどうか、正確に見定めるのは難しい。
だが、本能的に悟った。
ここまで見てきた仲間と同じように、彼もまた倒れてしまうのだと。
全ての土台が崩れてしまう。
誰もが、決して彼にだけ依存していた訳ではない。それでもやはり、その存在に支えられていたのだと気付いた。
手の力が抜ける。
戦う為の武器を手放すことになんら躊躇いはなかった。
――風が吹く。
だが彼は、ゆっくりとその手に握っていた槍を持ち上げた。
背後に立つ男ではなく、空へ向けて、血を吹き出しながらも高々と掲げた。
――力強い、大きな風が。
「たたみかけろォォォォッ!」
声が、心が、魂が、歓喜と共に爆発した。
「――オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
人々は舞い上がる。
天へ向けて、
あるいは、未来へ向けて。




