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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第五章(上)

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   フィオーラ=トーケンシエル


 あー気まずい。

 夜に色々あって、翌朝には私から説明でもしに行こうと思ってたんだけど、明け方から妙に忙しくて暇が無かった。

 こういうのは間を外すと機会を失うし、言い辛くなっていく。


 幸いだったのが昨夜の件でおばちゃん連中が妙に友好的なことだ。

 あんまり喋らない私相手でも全く気にせず延々と喋り続ける。どこにそんだけ話題を詰めてるのかは分からないけど、喋りながらも作業なんかはかなり早く、正確だ。洗濯や仕込みなんかは年季の違いだろうか。装備品の手入れも慣れたもので、旦那の愚痴を話しながらぴっかぴかに磨き上げてくれた。


「はぁ、やっぱりもうじき大きな戦いになるのかねぇ。フィーさんなんか聞いてる?」


 おばちゃんが肩を叩きながら聞いてきた。

 倉庫に仕舞い込んでいた装備品まで引っ張り出して、全て使えるようにしなければならない。

 個人持ちの装備はちゃんと手入れする人が多いんだけど、こういうのは放り込む前に軽く整えて後は放置されてる場合が多い。そんなものを引っ張り出してまで物資を整えているという事実を、誰しもが重く捉えて仕事に励んでいた。


 それにしてもなんでフィーさんだ。

 小鳥にでもなったつもりで鳴き返す。


「……私は何も。そういうの、機密だったりしませんか」

「そこはほら、よく団長と一緒に飲んでるじゃない。家の方でも準備しときたいからさ」


 さすがに教えては貰えないよなぁとは思いつつ、次の時に聞いてみますと答えておく。


「あら錆びてだめになってるよこりゃ。細かい部品だから細工屋? 鍛冶屋じゃやってくれないよね?」

「あっちの箱にお願いします。夕方には契約してる職人さんへ届けるので」


 数が多くなるようなら人手を増やすか、荷車が必要だ。動かせるのは幾つかあったけど、勝手に使われないよう管理しておかないと後で困るかもしれない。最近は貸し出しや小売りの荷車が不足しがちで、近衛兵団所有のものでも持ち出されたまま戻ってこないことが多い。仕事を要請する職人さんの所から借りることもできるけど有料だし、無駄な出費だ。


 戦いの気配っていうものがどうかは分からないけど、物が不足し始めるのは一つの指標だろう。


 一部で物資が溜め込まれて、市場へ流れる量が減る。

 この、私が幼い頃に見た都の何十倍もある大きな所ですら不足が目に見えるんだから、よっぽど大きな戦いなんだろう。


「フィーさん」


「はい……?」


 おばちゃんが周囲を見てから声を落とした。

 昨夜、私についててくれた人だ。

 ちょうど他の人が木箱を持ち出して整理してくれている。


「アタシらが言えた事じゃないと思うけどね、もうちょっとちゃんと、自分のことを見た方がいいよ」

「はい」


 すんなり答えたのに眉を落とされてしまった。


「悪く言いたい訳じゃないけど、アンタはここの連中と関わり過ぎない方がいい。あの馬鹿共と来たら、食事して寝るのと殺して殺されることの違いも分かっちゃいないんだから。アンタはまだまだ若いし、器量も良いんだから」

「ありがとうございます。でも」


 容姿を褒められるのは結構苦手だ。

 気遣ってくれることには感謝をしようと、そう思うけど。


「私はここの雰囲気があってるんです」


 おばちゃんはまた話を続けようとしたけど、別の人が戻ってきてしまった。

 笑って、処理したものを木箱へ運ぶ。

 ちょうど箱が一杯になったから、声を掛けて木箱を抱えあげた。


 出入り口の前をヒースくんが駆けて行く。

 こっちには気付かなかったみたい。


 私も声は掛けず、重たい荷物を運んでいく。


 キィ、とこないだ新しく張り替えたばかりの床が軋んだ。


    ※   ※   ※


 固い音が二つ続いて木剣が地面を滑る。

 武器を失った少年が身を硬直させている。

 対するは近衛兵団の団員で、爽やかな雰囲気を持つ男色家のお兄さんだ。年の頃はジークくんらより一回りは上。首筋に残る縫い痕は痛々しく、初めて見た人は大抵苦い顔をする。


 そんな彼が昼食後の腹ごなしと小間使いの少年たちを引き連れて稽古を付けていた。


 結果は見ての通り。

 惨敗に次ぐ惨敗。


 しかも、


「遅い!!」


 武器を失って固まった少年に、彼は容赦無く蹴りを浴びせた。

 転がり、身を起こした所へ木剣を投げ付け、また動き出しの遅れた所で腹への蹴り。

 ちょっと耳を塞ぎたくなるくらいの呻き声がして眉を顰める。


 怪我人の介抱なんて始めなければよかった。

 あんまり食欲が無かったから軽く済ませて、転がされた子の世話をしていたら完全に押し付けられた。


 幸いにも自分で似たような状態になった経験があるからある程度は出来るけど、次々本当に死ぬんじゃないかと思うほど痛めつけられる少年たちに私まで冷や汗が止まらなくなる。順番待ちをする子たちはもう真っ青だ。


「おら逃げろ逃げろ逃げろッ!! ぶち殺すぞ!!」


 容赦の無い蹴り。ううん、ちゃんと容赦はしているけど、まだ身体の出来てない少年たちからすれば拷問にも思える攻撃だ。


 蹴られ、殴られ、首根っこを掴まれ、そうしながら必死に這いずって周囲に張り渡してある縄を掴んだことで、ようやく稽古が終わる。


「フィオーラさん、この子を頼みます」

「は、はいぃっ!」


 飛びついて、抱えて、必死に逃げる。


 こちらへ向ける顔は爽やかだけど、やってることは極悪非道そのものだ。


 男が苦手とかなんとか考えてる余裕すらない。まあ少年だし、ぐったりしてるし、押し潰されるようなことはないから平気平気、多分ね。


「言っただろう! 訓練用の武器は使うが実戦そのものだと! 武器を失った? 負けた? そこで終わるな!! 不利になったなら全力で逃げろ! 逃げ延びろ! 君たちを子どもと見て手を止めてくれると思うなッ! 殺すかッ、殺されるかッ、逃がすかッ、逃げ切るかッ、そこまでが勝負だ!」


 信じられないのはここまでやって誰一人骨や筋肉に異常が無い事だ。

 腹を蹴られても血を吐くようなことはなく、痛みや気持ち悪さがあっても一日二日休めばなんとかなるだろうと、経験上そう感じるような負傷だけ。


 心底思うけど、近衛兵団の人たちは強い。

 中身は多種多様だけど、一芸という面で見れば間違い無く一級品の人しかいない。

 副団長なんかは変則的な詐術の使い手だけど、この人は単純に業が凄い。初手は必ず真っ直ぐ行き、真っ直ぐ応じる。これは多分、彼自身の技量が卓越していることと、腕力の面でも十分に迎え撃てる力があるから。初手の隙は誘いであることが非常に多い。そこを狙うのは余計な危険を背負うことになるから、真っ直ぐ応じて真っ直ぐ潰す。詐術を使おうとするなら基礎の面で余裕が無ければいけない。だから、そこを潰し、押さえ込み、幅を狭める。その上で応じてきた相手の次の手を、真っ直ぐ行くからこそ維持出来る自分の余裕を重ねて吹っ飛ばす。


 技量というのは小技ばっかりを指すのとは違う。


 剣の一振り、それを自分の思い描いたとおりに通すこと。

 あらゆる姿勢、あらゆる状態でもそれを成し遂げられる。

 正確無比な剣捌きというのは想像以上に難しい筈だ。加えて一振りの中身も極めつけに質が高いから、魔術が無ければ団長の大上段ですら応じ切る。そういう場面を何度か見た。団長も団長で凄いから負ける事も多いけど、あの巨体から繰り出される最大威力の攻撃に、この爽やか青年さんが応じ得るというのが凄すぎる。


「どうしたっ、次が出てこないのなら私は体力を回復出来るぞ! あれだけ殴る蹴るを続ければ手足も疲れてくる。この好機を怯えて逃すか? あるいは正々堂々とでも考えているのか? 正義を振るいたいなら強くなれ! 弱者が戦場で持てるものなど何も無い! 御託も理想も強者の権利だ!」


 益々青褪める少年たちの中から、一人が顔を出してきた。


 ヒースくんだ。

 ヒース=ブリンガム。


 ジークくんのお父さんと同じ名前を持ち、ジークくんを倒すのが目標だと言っていた彼もまた、震える脚で前へ出てくる。


 ちらりと、こちらを見た。


 視界の端で感じただけで、さっきの子を落ち着かせるので今は忙しい。


 まあでも。


「呼吸を整えて。相手の期より、自分の期を見なさい」


 これくらいなら良いだろう。


 私に言われて、彼はハッとして跨ぎかけていた縄から足を引く。


 それでいい。確かに爽やかさんの言ったことは正しさの一端を持っているけど、全部じゃない。自分が威圧されているのなら、全力を発揮できないのなら、隙を狙うより自己を整える方が重要だ。膝をついて私の教えた正座の姿勢を取った彼は、ゆっくりと息を整え始める。姿勢が綺麗だ。正座は背骨や腰骨を落ち着かせる。戦いの中で維持すべき軸を教えてくれる。

 こっちの人は正座が苦手だそうだけど、間接や筋の柔らかい少年時代からなら問題ないんだと思う。


 そうして彼が戦いへ向けて準備を始めたのを見るや、一人が勢い良く縄の中ヘ跳び込んで行った。


「おいっ!?」


「お前は休んでろ!!」


 言った傍から木剣を飛ばされたが、少年は身体ごとしがみ付いて押し倒そうとする。爽やかさんはあっさり回避し、転倒させたそこへ蹴りを入れるが、少年はなんとか腕で防いでいた。無闇に起き上がろうとせず、二度、三度と蹴られながらも、足が引くのを見極めて身を起こした。

 だけど読まれていたんだろう、軸足を僅かに浮かせて地面を踏み、姿勢を整えた爽やかさんが引いた足で起こした身を蹴り倒す。

 そこからはもう、先ほどと同じ展開だ。


「残った中じゃお前が一番強いんだから、準備が出来るまでの時間稼ぎは俺たちがやる。次は俺だ」


「そうだ。それでいい!!」


 ヒースくんに並んだ少年が告げた言葉に、爽やかさんが満足そうに声を張る。


 よくないよ。

 そう言いたいけど、戦いへ加わりさえしない私じゃ偉そうには言えない。


 やがて、時間稼ぎに戦って、ぼろぼろにされた皆を背負ってヒースくんが木剣を握った。


 結果は惨敗だった。


 まだまだ届かない。


 でも、戦う技術以上の何か、私が結局得ることの出来なかった何かを、少年たちは身に付けつつあるんだと、そう思った。


    ※   ※   ※


 予想外におばちゃんたちが頑張ってくれたおかげで、明日まで掛かるかと思った仕事が夕方には目処がついてきた。

 少年組もあれだけやられた後なのに、ぎこちないながらもいつも通りの仕事をこなしてくれた。止めさせようとしたけど、ヒースくんを筆頭にやると言い張って聞かなかったから、結局私は投げて任せた。


 将来は近衛兵団に入団して戦うんだ、なんて言葉を最初の頃は微笑ましく聞いていたけど、あの稽古を見た後だと上からなんて見ていられない。


 まだまだ戦力には数えられてはいない。だけど小間使いである彼らは伝令として走ることもあるし、陣の中へ踏み込まれたら武人かどうかなんて関係ない。生き残っていけるように、そういう意味での稽古だったんだと思う。


 一方で兵団の人たちも相変わらず、ではなかった。


 また新しく門柱に三つの装飾品が掲げられ、何人も知らない顔が合流して、訓練か任務かで幾つかの部隊が拠点を出た。

 持ち出した荷物の量が多い。おかげで指定された量を確保するのに仕事が増えたんだけど、きっと彼らは期限までに戻ってはこないんだろう。

 もしかしたら、二度と。


 見送る間も無く、いつの間にか居なくなってる。

 ほったらかしの部屋を前にため息を付くのは慣れた。片付けて、別な人が入れるようにする。たまに誰も使っていなかったみたいに整えて去っていく人も居る。それぞれだ。誰かに渡して欲しいと何かを残していったり、処分しておいてくれと一纏めにして包んであったり。本当に。

 新しい人に必要な装備を手配し、食事の量を調整して、お酒の良いのと悪いのの比率を考えつつ発注した。あんなに小さくても男の子は一杯食べるから、食事は結構適当だったりする。お酒はまあ、ほどほどに少なく。


 忙しいと楽だ。

 やることがあるし、やることをやっていると没頭出来る。

 時間が空くと何かをしなくちゃって思えてくる。

 食堂へやってこない人の様子を見るのも、その一環か。


 夕暮れの始まった頃になって余裕が出来たから、朝の内に冷やしておいた珈琲を手に裏手へ回った。


 うーん、やっぱり時間を空けると風味が落ちる。

 ただ冷たい状態だからこそ感じられる豆の味というか、苦味の受け入れやすさというか。この状態なら請けは必要ない。ガラスの細長いグラスへ入れるとちょっとだけお洒落だ。これ、賓客来た時に使うワイングラスなんだけどね。


「……どこ行ってるのかな」


 いつもの石垣に彼は居なかった。


 そういう日もあるから私はいつもの位置に座って冷たい珈琲を愉しむ。

 食事は仕事をしながら摂ったので必要無い。


 日差しが結構熱い。

 こんな所で日がな一日座っていたら、私たちみたいな肌になるんじゃないかな。


 グラスへ指を書けたまま石垣へ置き、景色を眺めた。


 思えばここへ座る時、隣の人ばかり気にして居てちゃんと見た覚えがない。


 目には入っているし、漠然とは見ていたけど、興味が無かったというか。

 息を吸う。


「おー」


 よく見えた。

 ここ近衛兵団の拠点はミッデルハイムの南東、郊外にある。

 小高い丘の上にあって、街中を貫く大きな街道とそれを囲むようにして広がる建物郡、そしてやや外れた場所に見て取れるのは誰かさんたちの家だろう。

 ここは石が多い。デュッセンドルフだとそこそこ木造の家もあったのに。故郷の家は木造ばっかりだ。木はそこら中で採れたから、燃料にも困ったことがない。デュッセンドルフはまだ自然と隣接してる感じがあったのに、ミッデルハイムは大きな川や森とは少し距離があって、人の住む場所だけがぽっかり地面に浮いている。地下水を呼び込んでいるとかで、街中を歩けばそこそこ川を見るけど、あれはなにをどうやっているのかさっぱりだ。

 丘と言ってもそれほど高い場所ではないから、何もかもを俯瞰して見れたりはしない。

 どちらかといえば、街の上澄みを掬うような視点。

 ただ、ここからでもはっきりと目に映るのは、都市の名前にもなっているウィンダーベル家の宮殿、ミッデルハイム宮と呼ばれる建物だ。

 何をどうすればあそこまで装飾過多な建物が出来上がるんだろうか。壁の一つ一つの彫刻が明らかに常軌を逸した細かさで、柱回りの彫りなんて幾つも同じものが連なっている。何度か用事があって近くへ行ったことがあるけど、活版印刷とやらで彫刻まで複製出来るんじゃないかと疑ったほどだ。

 あとは、幾つかの劇場か。造りの異なる大きなものがずらりと並んでいるのは昔私が想像していた都よりもずっと凄い。

 街中から視線を外せば風車が見える。

 都市周辺は小高い丘が幾つかあったと思うけど、さすがにここからは望めない。

 広い広い小麦畑を思う。あれだけで故郷の漁村何個分だろう。


 そういう、大きな景色の中に自分が居る。


 ふわふわと浮いて落ち着かなくなった。


 見える景色の大きなことよ。

 そこで浮かぶ自分の小さなことよ。


 小さな事なんだ。


 いつまであんな、しんどい思いを続けなくちゃいけないのかな。

 面倒。ホント、面倒。静かに生きて、まあどこかで適当に死ぬ時があれば死ぬような、普通の生を送れたらそれでいいのに。

 誰もが出来る普通に、私はちょっとだけ届かない。


 口元を抑えた。


 舌に残る苦味と酸味が気持ち悪い。


 耐えろ。


 自分が物になる感覚がいつまでも消えない。


 耐えろ。


 息を抜く。

 どうでもいい。

 なんてこともない。


「ぁ――――」


 カツン、と落ちる音で意識を戻した。

 グラスが地面に落ちてしまっている。

 恐る恐る持ち上げてみたけど、割れてもいないし傷らしい傷もない。

 下が土だったからだろうか。運が良い。


「はぁぁ……、景色に呑まれてどうする」


 こんな現実離れした景色をじっと見ていると、自分との境界が分からなくなる。

 夕暮れの赤い景色が徐々に闇へ包まれていく、そんな曖昧な時間なのもあるだろう。

 見たいものが無いのなら、こんな場所は毒にしかならない。


 こぼれた珈琲は諦めて、石垣を降りる。


 外を向いていたから、振り返って跨ぎ越そうとした。


 あぁ、となんとなく納得している自分が居た。


「こっちきなよ。待ってたんだから」


 思っていたより遠い位置で、背を向けて離れていこうとする彼を見つけた。

 だけど目線も意識も此方へ向いていたから、私の呼びかけにあっさり向き直り、何事も無かったように寄ってくる。


 きっと、不意に近くへ居ると駄目だなとか、いっそ自分が待ち構えられる時まで離れていようとか、変な気遣いをしたに決まってる。


「なんで離れていこうとするかなぁ」

「用事を思い出しただけだ」

 意地悪く聞いてみると、彼は用意していたみたいに答えた。

「じゃあ用事はいいの?」

「必要なくなった」

「そっか」

「あぁ」


 仮面の人はこの前みたいに声を聞かせてくれた。

 つい最近まで隠そうとしていたのに、今は夕焼けが夜に変わるような静けさと冷たさを孕みながらも、はっきりと聞こえる声だった。

 思うところはあるけど、隠しているのを無理に暴くのはいいや。思って、石垣を跨いでまた座る。屋内からおばちゃんがこっちに向けて手を振っていたから、仕事はいいぞということらしい。変な気遣いをされたね。


 口端を広げて力を抜く。いつもの位置まで歩を進めて、けれど石垣の手前で止まった彼を私は見ない。


 ふと見上げれば、大きな月が見えた。


「これを」


 まるで逆を見ながら、同じく夜空を眺める彼が差し出してきたものに私は目を落とした。


 薄暗い。よく見えない。でも、なんなのかはすぐに分かった。


 櫛だ。

 暗闇で存在感を示す明るいものではなく、暗めの、彼が選んで渡そうとしたものではない方。


 どうしよう。思って言葉を作るより早く、声が来た。


「君が選んだものだ。代金を払うというのなら、受け取ろう」


「……今日居なかったのってその為?」


「別の用件があった。道中、あの店を探したのも間違いではないが」


「そっか」


 改めて櫛を見る。

 暗がりの中へ溶け込むような、私の黒い髪を静かに飾ってくれそうな、装飾品としての櫛だ。

 衣納を漁ってみたけど財布は別のところで保管してある。困ったお金がない。そこまで考えて、なんだ私受け取ろうとしてるのかと気付く。


 彼が言った。私が選んだもの。


 だからコレは繋がりにはならない。

 お金を払っておけばお使いを頼んだのと変わらないんだ。


「ごめん今お金無くって」


 後で、と言おうとしたら、彷徨った手のひらへ櫛が差し出された。


「後でいい」

「そか」


 受け取り、ふわふわした気持ちで膝まで持って来る。

 両手で形を確かめて、指先で感触を確かめて、ちょっと掲げて灯りに透かしてみる。

「後で払うね」

「わかった」

 状況に流されて選んだのもあったけど、元はどっちにしようか悩んでいたくらいだ、思った通り良い感じ。


 贈り物なら付けて見せたりもするんだろうね。

 私は大切に布で包んで懐へ収めた。


「お使いありがとうありがとー」


 ハイ終わり。


 余計な話も、これ以上の接近も無い。


 ちゃんと距離を保ちながら、気紛れで寄ったり離れたり。

 お互いに仕事をする関係が私にはちょうどいい。

 近衛兵団は、ここは、居心地がいい。


 彼らは私に深入りしてこない。私も彼らに深入りしない。すべきことは理解じゃなくて、結果を出すことだ。結果さえ出していれば認められるし、実力を示せばそれだけ尊重もされる。居場所も出来る。


 ただ無味乾燥な関係だけだと自分まで乾いてひび割れていってしまうから、ああいう慣習はありがたい。


「アンタはこういうの持たないの?」


 服の上から櫛へ触れて言うと、妙な間があった。

 あぁ、もしかして、


「門柱の意味、知らない?」


 彼は視線を落とし、顎へ手をやった。


「今朝も新しく三つ、装飾品が飾られていたな」

「あれ、遺品なんだ」


 日がな一日外を見ているから、人の付けてるものなんて分からないか。


「私も明日からコレ付けて動き回るから。この櫛が掲げられたら、まあ適当に悼んでおいてね」


    ※   ※   ※


 何かが強く固まるような感覚があった。

 武術で言うと次にこの攻撃がくるな、とか、そんな感じ。


 だからこれは、私の感じられる色んなものを総合的に判断して、そうなったと思うのだ。


「多分、三日くらいで外してもらえるから」


 ずっとはちょっとしんどい。三日くらい。うん。ちょうどいい。 


 近衛兵団は結果を出すことが至上。

 戦友だなんて思うことはあっても、お互いの過去や事情に深入りはしてこない。

 結果が出せること、それだけがここに居ていい理由になる。

 私だって昔は武術を学んでいたんだから、ここの人たちが私の想像も付かないくらい凄い実力者なんだってことくらいは分かる。ただ、そうなるしかなかった、ではなくて、そうなれなかった人は死んでいった、という感じだ。凄まじい数の死線を越えてきて、幾度もの選別を経た結果の今。古強者っていうのはこういう人たちを言うんだと素直に思う。


 だけど死者が出た時、彼らはそれを悼み、遺品を掲げる。

 選別の過酷さの分だけ死者は積みあがる。死別という経験を繰り返して、だからこそ悼むことを忘れない。

 彼らは世間で言われるような、まるで情の無い集団じゃない。

 だからこそ近衛兵団は、自分たちをどうにかして表舞台の確かな場所へ導こうとするホルノスの王さまやジークくんに義理立てしている。これまでの自分たちと、失われていった人たちに名誉を与えてくれるからこそ、これまで以上に尽くすことを止めない。


 冷血っぽく振舞うのに小さな情を捨てられない。

 中途半端な私にとっても心地良い場所。


「君は……、っ」


 そよ風に乗せて感情を受け流す。


 繋がりは要らない。

 私が彼に遠慮無く寄せていったのも、彼なら絶対に踏み込ませず、踏み込んでこないと思ったからだ。

 心配したのはある。昔の記憶に依存して、あの頃のように振舞おうとした自分が居るのも確かだよ。

 だけど彼から歩み寄られたと感じた時、私にあったのは拒絶の気持ちだけだった。


 綺麗に振り切れて生きていけるならどれだけ楽か。


 情を持ちながら無情に振る舞い、だけど情が恋しくもなる。


 人は中途半端だ。

 真っ直ぐ単純で居られるほど強くない。

 少なくとも私には、無理だ。


 でもきっと、貴方も。


 私が視線を向けると、彼は俯いたまま目元へ、仮面へ手をやった。


「君もまた、俺が救うことの出来ない人間の一人か……」


 泉に重石を沈めたように、水底から深い音がする。

 静かだけど、そこで生きるあらゆるモノが目にし、震えを感じる一瞬。


「だとしても目指す場所を変えるつもりはない。今のセイラムによる支配には偏りがあり、迫る危機を回避しきれない。自由意志の不在・制限など、あらゆる支配体制においても存在するもので、人は今この一時の中で最良を探して生きていける。今日を生きる食事と、自己を支える誇り、それがあれば人は広がり、増え続ける」


 小難しいことは分からない。

 述べられた理屈を理解しようとも思わない。

 なんでこんな事を言い始めたのかって、戸惑う気持ちもあるけれど、彼の中で大きな波が起きている。


 そして今の言葉以上に、彼が多くの事を諦めて、見限って、下に見て生きてきたことは、なんとなく分かった。


 私がメルトを見るような気持ちだ。

 侮りはあっても軽視はしていない。

 妹とか、弟とかを見るような、優しさを起源とした感情から始まったものなのに。


「いつかその櫛が掲げられた時、確かに君を悼み、涙しよう」


 そして、と続きそうな言葉は紡がれず、変わりに彼は仮面を外した。

 自分を隠し、逃げることを止めた。というのはちょっと侮り過ぎな考えだけど。


 近衛兵団での扱いを見るに、なんとなく関係性は理解してる。


 声を聞いて、強く意識する人が居る。


 色々とよく分からない事もあるけれど、そういうものを見せられようとしているんだ。


「せめて俺の作る世で、君に幸が訪れるよう、力を尽くしてみせる」


 くすんだ金髪。

 少しだけ焼けた肌。


 顔立ちは痩せていて、瞳の色は空に近い。


 頭にあった顔よりは何年かの時間を重ねた印象がある。


「やっぱり」


 もう、少年ではない、大人としての姿。


 だから、



「やっぱりジー……ハイリアくんのお兄さん!!」



 声もそうだったけど、口元とか良く似てるよねーって思ってたんだ!

 ほー、今まで何も聞かなかったけど、お兄さんが居たんだねぇ。

 妙に頭の固いところとか、変に義理堅かったりするところがそっくり。

 私とメルトはそんな似てないけど、よくここまで似たもんだ。


 普段より気分が高揚しているのを感じながら、つい踏み込んでいく。


 顔を覗きこみ、舐めるように今まで見えなかった部分を見ていった。


「へー、そっくりだね、お兄さん」


 感心している私とは逆に、彼は凛々しい眉を寄せ、口元を引き結んでほんの少しだけ歪め、物凄く不満そうに呟いた。


「………………………………違う」


「えっ、じゃあ親戚?」


「親戚ではない」


「じゃあそっくりさん!」


「フィオーラ、説明するから」


「待って待って。当てるから。それじゃあ――――」


「一から話す。頼むから聞いてくれ」





裏設定として。


フーリア人へ関心を向けなかったハイリア(仮面)はさほどイルベール教団と対立することはなく、フィオーラは救い出されることはない。加えて、ウィンダーベル家ミッデルハイム宮に居るメルトは絶えない生傷から入り込んだ菌が元で倒れてしまう。


メルトが側に置かれなかった場合、また『幻影被弾のカウボーイ』におけるハイリアの側近には短編で登場したミザリー=ロレンツィアが置かれている。(ゲーム内では名無しの背景キャラ)

努力家である彼女は徐々にメイド長からも認められていき、持ち前のバイタリティで次々と仲間を失っていくハイリアを支え続けた。しかし彼女もまた、失われた仲間の一人でもある。


記憶の完全補完ルートは本当に救いがない。

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― 新着の感想 ―
[一言] 気づきてるんだと思ってたのに勘違いしてたんかーい! てっきり多少の事情は知らされてるのかと……いえ、情報統制しっかりしてるのは良いことですけど、さすが近衛 でもこれくらいの方がこのハイリア…
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