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 まだ夜明けの始まる少し前。

 夜闇の冷たさと静けさが残る草原を俺たちは進む。

 この一帯は砂礫が多く、所々に大きな岩がある。おかげで開墾もされず、染み込んだ海水の影響で緑も薄い。恐らく放牧にも向かない場所なんだろう。結果的に村から離れた海側の森と、遠く見える山々の麓から広がる森の間には、ぽっかりと大きな空間が広がっていた。


 街道も人の往来で踏み固められて自然と出来たものだ。

 かつては漁村として栄え、しかし嵐と病によって双方を失い、今となっては塩害から守られた岩場の内側でひっそりと田畑を耕す程度。家畜は居たが、数える程度で肉食はほとんどないという。

 ただ、村の規模はそれなりに大きい。俺たちが拠点を築いた場所から丘一つ超えると、ほとんど平地みたいな下り坂がずっと続いている。村の各所に井戸があり、山側の森に流れているという川の水がここまで染み込んでいるという話だ。

 井戸のほとんどは以前俺が見たように錠を掛けられ放置してあった。


 この村には異教が浸透している。

 彼らもまた、生きるために必死だったんだろう。

 本来なら行政……領主が救いの手を差し伸べているべき状況だったのかもしれない。だがこの時代、禄に税も収めきれない小さな村一つに多額の資金を投資なんてまずやらない。


 物流の速度もそうだが、情報の速度がまだまだ未熟過ぎるんだ。

 大量の銀貨や金貨を持ち運ぶ手間さえ無ければ、より効率的に物を運べる。割符や書状という形で、特定の団体内で金銭をやりとりしない取引ならこの世界にもあるが、それも勢力が及ぶ範囲に限られる。そうやって物や金の行き交う場所が限定されてくると、内需だけでは経済を支えきれなくなり、外へと向かい始める。

 当然、同じく内側で必死に経済を回していた連中は外敵に猛反発する。中世後期、近世から始まった大規模な戦争にはそういう一面もあった。


 輸出をして外貨を得る。そしてその金で珍しいものを買い、国内で売り捌く。

 その先を求めて海を彷徨ったのが、大航海時代というものだ。


 西洋は特に戦争の連続で発展してきた地域で、それは彼らの住む土地が肥沃ではなく、余裕を持って暮らすには不向きであったことも理由にあげられる。無いのだから奪うしか無い。でなければ自分が、仲間が死ぬ。

 そんな思想からか、この時代には国内に金や美術品などの金銭的価値のあるものを溜め込もうとする重商主義というのが流行っていた。これは後の時代に否定される考えであるが、その流れに乗って海外から輸入し、あるいは奪いとった物に影響をうけた芸術家は少なくない。


 新大陸という象徴を得て、外に対する興味は今、爆発的に高まっている。

 今まで階級社会を肯定するばかりだった思想を、真っ向から否定するフーリア人たちの思想に染まる者たちが居ても不思議じゃない。そしてそれは、徐々に中央集権化が進みつつある国々で、確かな地盤を得て広まりつつあった。


 この小さな村で興った信仰に、幾らかの金と人が集まったのも無理はない。


 新大陸から、外見も文化もまるで違う未知の者たちが攻め寄せてきているという不安も、双方の思想を極端なものへと押しやっていく。


 王政か、民主政か。


 その流れは、本来攻略順で三番目となるアリエスルートによって明かされる。徐々に惹かれ合っていたジークとアリエスが、ハイリアの失踪という事件を受けて、今まで学園内に収まっていた物語が一気に広がっていくんだ。


 片手を上げる。

 ばらばらと足音が収まり、遅れて車輪が地面を噛んで止まった。


 街道の先には人影がある。

 監視によれば一晩中、彼はそこに居たらしい。


 血まみれの名を自ら好んで名乗る男、ジャック=ブラッディ=ピエール。

 『幻影緋弾のカウボーイ』において最強キャラの一角にあげられる男が、黒衣を纏って薄闇の中から身を浮かび上がらせる。


 歩み寄ってくる動きに応じ、俺はリースを伴って歩き出した。

 いつもならクレア嬢が同行するが、彼女は昨日の朝から父に合うべく王城へ向かった。いくら彼女でも一日で往復するのは難しい。説得に手間取れば数日を要する場合もあるだろう。


「これはこれはハイリア卿。拠点も引き払って、合宿はこれで終わりですかな?」

「ああ。やれることはやりきった」

「それは良いことです。そのようにしていられるのも、学生の間だけですからな。では……何故我々の駐留する村側へ? 戻るのなら方向が逆ですな。裁きの時までは、果たしてあの者がここで死すべきなのか、それを神に問うべく静粛な場が必要です。申し訳ありませんが、見学といった類のものは先日の内にお断りした筈ですが」


 ここから先、俺の発言は全て事後承諾を前提として行われる。

 たった一日という時間で政治的な立場を整えることは困難だ。だからクレア嬢を始め、打った手の半数以上が成功するという前提で話を進める必要がある。


「実はな、先日見せてもらった陛下の署名が書かれた書状を、もう一度確認したいんだ」

「……ほう?」

「俺の見間違いであればいいんだが、どうにも気になっていることがあってな」


 沈黙が場を満たした。

 ともすれば今この瞬間に斬り合いが始まってもおかしくない緊張感の中、笑顔のまま固定されていたピエール神父の表情が崩れる。


「畏まりました。少しお待ちいただいてよろしいですか?」

「構わない」


 そうして運ばれてきた書状を手に、俺は小さく唸って見せた。


 やはり本物だ。

 だが、


「一つ聞くが、この書状は直接陛下から?」

「いえ。下に署名されている方から、教団の者が直接」

 よし。当然といえば当然だが、こんな些事に等しい書状を陛下自ら渡すことはない。


「貴方もご存知だろうが、この国は六年ほど前に大きな内乱があった」

「あぁ………………たしか王位を巡って、第一妃の娘と王弟の息子、どちらを玉座に据えるかということで起きた内乱でしたな。私が直接体験したことではありませんから詳しくはありませんが」

「これは貴方を信用し明かす話だ。決して口外しないと誓って欲しい」

 沈黙の後、口には出さず頷いてみせた。

「実はその時、争いの最中に玉璽が何者かに奪われている」


 再びの沈黙。

 俺は手にした書状の、印の押された部分をじっと見つめる。


「……ほう」

「その事実は管理者がひた隠しにし、内乱後の混乱を理由にしばらく王命の下されない時期があったんだ。そして玉璽はその者が密かに作り直し、王城内のそれを知った者たちも、それ以上の混乱を避ける為にこの事実を秘匿した」

 この話は半分本当で、半分はうわさ話を都合よく繋げたもの。

「玉璽の管理者はしかし、王への忠誠心はあったらしく、自らが新造したものにはある小さな印を入れた。それはこの国の中央に近い一部の者しか知らない為、他国の者である貴方たちに話すことはできない」

 俺は彼らの持ちだした本物の書状を、突き付けるように見せる。


「この書状にはその印が存在しない。これは、かつて内乱で玉璽を盗み出した何者かによって捏造されたものだ」


 口から出任せを毅然と言い切った。

 だがクレア嬢が父と、ある人物の説得に成功さえすれば、存在しない印を本物の玉璽に刻むことが可能となる。その為に俺は、彼女に血判状を託したのだから。


 普通、王命なんてものはそうそう下されるものじゃない。

 幼い王の為に、署名は定められた数名が代筆することもあるし、その方が都合の良い者たちも多い。中途半端に中央集権化が進みつつあるこの国の隙間は、意外なほど大きい。それこそイルベール教団なんて胡散臭い連中が入り込めるほどに。

 内乱から続く混乱が未だに収束し切っていないというのもあるだろう。また、フーリア人との戦いが続く中で王位を争った愚かな中央を嫌い、独自路線を取る地方貴族も少なくなかった。

 外側からつついて確かめようとも、この話が本当であるか嘘であるかを彼らが知ることは難しい。


 俺の話を噛みしめるように聞いたピエール神父は、頷きを一つ入れた後、こう言った。


「我々を裁くおつもりですかな」


 二メートルを超える長身から、両の腕が翼のように開かれる。

 伸びた両手が小さく握る動きを繰り返す。


「偽の書状を持つ限り、その疑いは裁きの場で明らかにするべきだ」

「拘束すると? 神の下された命を受ける我々を、そのように下らない言い掛かりで封じ、裁かれる定めにある者たちを見逃せと仰る……?」

「裁きは厳正な調べと共に行われる。貴様たちと同じようにな」

「っ……ははは、ははははははははははは!」


 夜を満たす狂笑。

 その隙間を縫うようにして、火の粉が舞った。


 ぶつかり合う小太刀と長剣。

 咄嗟に俺の前へ飛び込んだリースが、予備動作も見せずに斬り付けたピエール神父の初撃を防いで見せた。


「これは、反抗の意志ありと見なすぞ。虐殺神父」


「いけない。ハイリア卿、あなたこそここで引くべきだ。色々と策を練ったのでしょうが、まだ私たちと対する時期ではない。あなたはもっと先。そう、もっと未来でこそ私たちと対し、これを滅ぼさなければならないっ」

 

 …………コイツ、何を言っている?


「いずれ滅ぼされるのなら、今ここで滅びろ」

「それでは神の……聖女セイラムの望む未来が築けないのですよ。私たちの誰一人として、自らが滅びることを怖れてなどいない。それは彼女が、運命神ジ=ル=ドレイルより世界を導くよう力を託された聖女セイラムが、この世を万全の理想で満たすために必要だとした滅びなのだから……!」


 ピエール神父はほんの僅かに身を引き、直後、リースが姿勢を崩したかと思えば、呆気なく尻もちを付いた。対し、神父に彼女を押すような動きは見えなかった。

「っ!」

 咄嗟に長剣を振るうリースに、軽やかな動きで距離を取る神父。


「あの日私は、私たちは、確かに彼女の声を聞いた。その教えを胸に生きてきた私にとって、あれほどの感動はない。あの叫びを……悲痛なる声を聞いて、どうして戦わずに居られるでしょうか」


 その時、背後の地平線から陽の光が顔を出した。


「よろしい」



 強烈な日光に照らされて浮かび上がるピエール神父の姿は、まるで神に殉じる聖騎士のようにも見えた。

 朝の風に白髪が揺れる。二振りの小太刀が光を反射して強く輝いた。

 神父の足元から火の粉が舞い、陽炎が立ち昇る。


「では教育と致しましょう。死なぬ程度に、そしていずれくる再びの戦いの為に、私は貴方に敗北を与え、導いてさしあげます」


 眼前には『剣』の紋章。

 四つある下位能力の内、最も数が多く、戦力としては最弱に数えられる筈の『剣』の術者が放つ威容は、胸の中を押し潰すような圧迫感があった。


「っ、女はどうするっ! 王命に偽造の疑いがある以上、それを確認せぬまま行われる貴様たちの行動は、他国内で勝手な武力を行使したことになるんだぞ!」

「人が定めし王など取るに足りない。我々は神の名の下、その代行者として動いているのですから」


「……その侮辱、この国の全てを敵に回したものと知れっ」


 風を纏い、突撃槍を振り上げた。


「進軍せよ!」


 角笛が吹き鳴らされ、馬の嘶きが幾重にも重なった。

 人の声が、鉄の響きが、夜明けの草原に鳴り響く。


   ※  ※  ※


 幾つもの剣戟が打ち鳴らされ、双方の第一波が衝突した。

 お互いの前線を押し上げようとする『剣』の術者によるぶつかり合い。『弓』による援護射撃。

 幾つもの炎が燃え上がり、散った。


「ほう……!」


 リースの猛攻を鮮やかに捌きながら神父が感嘆を漏らした。


「いや若者とは恐ろしいっ」


 声には称賛の色がある。

 教団の武闘派だろう者たちと切り結んだ俺たちに被害はない。むしろ、数名の教団員を倒し、多くは手傷を追わせている。


「見えただけで三組、そして他の二組が同様の動きをしていましたな。複数名による高度な連携……しかもその動きは咄嗟の思いつきではあり得ないほど全てを先読みし切った、攻撃を置いておくようなものですな。どうやら単純に型のみを訓練した訳でもないご様子。はは、長生きはするものですなぁ」


 数はこちらが多い。

 実力で劣っていようと、打てる手数は確実に勝ることが出来る。一つの状況に対して反復訓練を行い精度を上げていくのは、かつてジークとの戦いでやったことと同じだ。その訓練はずっと続けていた。


 どう変化するかもわからない戦場では経験で劣る。

 だが、動きを指定してしまえば、その流れを数百と繰り返せば、たとえ数十年を生きた歴戦の戦士を相手にしても経験で上回ることが出来る。単純な型であれば容易く崩れてしまうが、常に応用を重ね、相手を出し抜こうと双方が思考を巡らせていれば、思わぬ事態への対処にも慣れがくる。

 死者こそ出さなかったが、実戦さながらの訓練で怪我をする者は居た。それでも皆は意欲的に参加してくれて、俺もなんとか見栄を張り通すことが出来た。


 この方法が有効なのかどうか、それはずっと疑問だった。

 総合実技訓練は、あくまで学生同士が試し合いをする場であって、殺し合いとはまた異なる。本気でこちらを殺そうとしてくる者たちに、そんな環境で経験を積んだ者たちに通用するのかという不安は常にあった。


 そして、その証明は今日成された。


「進めェッ!」


 敢えて進む。

 今は勢いこそが肝要。

 青臭い行動であろうが、出鼻を挫かれた教団側にとっても、怖れを踏みつけ進軍してくる若者の勢いは脅威の筈だ。


 そして、前線が築かれたことで、後方で待機していたアレが動き出す。

 ピエール神父が常に視線を送っていたのは俺にも分かった。


 八頭からなる馬に引かせ、車輪を回す動く家。

 俺が趣味同然と用意させたゲルを改造し、即席の移動要塞としたものだ。

 元々面白がって職人たちに用意させていたものが一つ、合宿中に皆でわいわいやりながら作ったもので一つ、そして昨日からの一日で突貫作業を行ったものを合わせて合計三つ。

 パーツは完成していて、それを組み替えていくだけだったから、言ってしまえば巨大なプラモデルを作るのと変わらない。そもそもゲルは構造がシンプルだ。


 ゲルの周辺には灰色の魔術光が漂っていて、その全てに『盾』の術が居ることを示していた。更に内部には待機させている多数の術者もおり、周辺の監視は被せてあるだけの羊毛フェルトをめくればいい。火矢を警戒してすべてを海水でぬらしてあるから、そうそう容易くは燃えない。

 視認性は悪いが、相手にとってもコレを叩こうと思えば『槍』を持ち出すのが当然だ。


 俺たちにとっても、そして教団にとっても、全ての決め手はビジットによる『王冠』だ。アレの射程内に村の全域が収まりさえすれば、敵戦力の大半を制圧できる。

 この街道の先、ちょうど二子山のようになったあの大岩が、教団側も考えているだろう絶対防衛線。


 ピエール神父はチラリとそちらを確認し、小さく唸った。

 次が来る。


「では、これではどうでしょうか?」


 リースの斬撃を軽くいなし、片手を振り上げて何かの合図を送った。それに呼応して後方で待機していた者たちが一斉に走り出す。


《例の攻撃だ。部隊を入れ替えて迎撃しろ!》


 メルトの念話を通じ、後方で指揮を取るアリエスと、弓男の補助をするくり子へ言葉を送った。

 村解放の戦いで見たフーリア人を盾とする戦術がくる。


《ふふっ、もう始めていますわ、お兄さま》

《こっちもですっ》


 アリエスとくり子、両舷に分かれて戦場を見据えていた二人の言葉に、小さく笑った。全く頼もしい。


 突進してくる一人が、ピエール神父の後退と同時にリースへ襲いかかった。

 彼女は即座に長剣を炎と散らせ、飛びつこうと両手を伸ばしてきたフーリア人の手を取り、腰を落とし、背負い、投げた。地面へ叩きつけられた相手の腕をねじり上げていくのを横目で確認しながら、俺は風を纏ってピエール神父へ突撃する。

 飛び付いた後の攻撃を狙っていた神父はすぐさま身を翻して距離を取った。流石に守りが硬い。


「ははっ、これもまた初めて見ますな。ただ抑えつけているようにも見えますが……なるほど、人体の構造をよく理解した、新しい格闘術といった所でしょうか? 私も見ずに受けていたら危なかった」

「今からでもそうしてやろうか?」

「可愛らしいお嬢さんにしがみつかれると思えば確かめてみたい気持ちもありますな、ははははは」


 柔術、俺が学校で柔道として習ってきたソレは、警察なんかでは捕縛術の一種として訓練される類のものだ。

 これも初見。経験で勝る者に、未経験の戦術をぶつけて不意を打つ。

 特に柔術は完全制圧までが一つの流れとなっているから、気付いた頃には捕まっている。


 俺の伝えた柔道の知識を、小隊内で研究を重ねて訓練を積んできた。

 その中でもリースの体得は群を抜いていた。本当は神父相手に仕掛けたかったが、無理強いされているフーリア人を殺す訳にもいかない。それは、義憤を理由に立ち上がった俺たちの士気を徹底して挫くものだ。


「しかしなるほど……侮っていたつもりはありませんが、これは予想以上に強い。今の戦争にはない発想、まるで初めてフーリア人と戦った時のように異質な思考が垣間見える。若さというものなのでしょうか、それとも、まだ何か私たちも知らない秘密があるのか、いや大変面白い」


 柔らかく笑う神父が、一度その手を背に隠した。


「では私も、少しお見せしましょう」


 腕を軽く振ったかと思えば、神父は手にしていた小太刀をこちらへ投げつけてきた。何を、と最初は思った。『剣』の最大射程は精々が三メートル。術者の手元から離してそれだけの距離が開けば、勝手に武装は消滅する。


 いやっ、違う!


「ハイリア様っ! それは本物です!」


 リースの叫びと弾く音が重なった。

 同時に、構えた左手に重い感触がある。


「ほう、防ぎましたか。流石に察しがいい」


 咄嗟に武装を短槍へ切り替え、右手で小太刀を弾き、左手でピエール神父の斬撃を防いだ。だが、全身からどっと冷や汗が噴き出す。


 今俺は、明らかに手加減をされた。

 意表を突かれ、咄嗟にしか動けなかったことで姿勢は崩れていて、防ぐ左の短槍も『槍』本来の打つ動きというよりただ前に置いたものでしかなかった。ピエール神父ならそこをすり抜けて心臓を貫くことも出来た筈だ。


 息も掛かるような距離で二メートルもの長身が覆いかぶさる。

 決して無機質ではない、雄弁に感情を語る目が俺を見た。


「死の匂いは、嗅げましたかな?」

「…………これは、参ったな」

「はは、あなたと私では殺した数が違います。集団としての強さを得るために連携という手段を取ったのはいい。しかし、ただ強い剣と、確実に人を殺してきた剣ではまるでモノが違うのですよ」


「ハイリア様っ!」


 手に感じていた重みが霧のように掻き消えた。

 俺の前へ長剣を差し込んだリースが、その眼前に『旗剣』の紋章を浮かび上がらせる。拘束したフーリア人は無事味方に受け渡せたらしい。


「キサマの刃はただ殺戮を行うだけの穢れたものだ! 質が違う? 当然だ。この人の握る槍は、皆が壁と思って立ち止まる全てを突き崩していくもの! 時に立ち止まり、武器を手放してまで人に手を差し伸べられる人と、両の手に剣を握って離さないキサマとでは格が違う!」


 振り払いの一撃は、絨毯爆撃のような連続した破砕を生み、ピエール神父を更に後方へ押しやった。

 ゆらりと陽炎のように揺れるその身から声がこぼれた。


「両の手に剣…………そうですな。私はもう何年も人を傷付けることばかりを繰り返しています。フーリア人を殺せ、そう叫ぶ神の声を聞いてからというもの、多くの苦悩を抱えてきました。私もまだまだ未熟なのだと思い返す日々は終わらない」


 朝日が、神父の顔を覆い隠していた。

 その声はまるで、空転し続けるまま周囲を傷付ける歯車の音に聞こえた。


「私が最初に殺したフーリア人は――私の妻でした」


 カラカラと回り続ける男は、そっと武器を構えた。


 物語の中でさえ明かされなかった事実に、そのおぞましさと空虚さに、何より決して理解の出来ない人間性を前に、体の芯が震えた。

 こいつは……この男は……、


「私の名は、リース=アトラ」


 一歩、赤い髪を靡かせながら少女が前に出る。

 構えを取った神父を前に、彼女もまた長剣を構える。


「父の名は、ユレイン=アトラ。知っているな、神父」

「っ、その名前は……」

「キサマが初めて起こしたフーリア人虐殺において、現場指揮を任されていた男の名だ」


 かつて、アトラ家と言えばそれなりに名の通った騎士家系だった。

 歴史を紐解けば、幾つかの戦場で時折その名が顔を出す。過去、近衛を排出したこともあり、その高潔さと直向きさを称える者は、没落した今も聞こえてくる。


「父は、自らが監督すべき場で起きた虐殺を恥とし、自らの首を差し出すことで続く争いを収めようとした。母は、虐殺に怒り狂ったフーリア人の暴徒に殺された」


「なるほど、あなたには私を殺す理由がある」


「その首を差し出すと言うのであれば、容赦なく叩き切るぞ」


「いえ……どうやら出会うのが少し遅かった。すでに私の道は示されている。あの日……ハイリア卿が雷帝の名を得た戦いの日、再び彼女の声を聞いたものが居るのです」


 それは……どういうことだ……。


「ヴィレイ=クレアライン。彼の示す先にて、いずれ私は果てるでしょう。願わくばその相手があなたであればとも思います」


 ジャック=ピエールが両の手に小太刀を構えた。

 俺も、リースも、応じるように武器を構える。


「渦中に堕ちていく。運命とはかくも人の心を切り刻むものなのか」

「終われ、神父。私はお前を救わない。復讐の為ですらなく、ただキサマを終わらせる」


 物語は回る。

 定められた筋書き通りに、何もかもが進んでいく。





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