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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
短編 二

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208/261

デュッセンドルフの魔女


 朝が辛い。


 というのも、わたしことイリーナ=ジェイフリーが昨日夜遅くまで読書に没頭していたからでしょう。

 昨日というか、一昨日もその前もだった気がする。はて、深夜に及ぶ前に寝たのはいつの頃やら、寝惚けた頭で考えても分からないものは分からないので、今日もわたしは弟が用意してくれた朝食を胃袋へ詰め込み、弟の用意してくれた桶で顔を洗い、弟の洗濯してくれた下着と服に着替えてのろのろと表のお店へ向かうのでした。


 完。


 頭の中で物語調に考えるのは癖みたいなもので、とりわけわたしは今読んでいる本に影響を受けやすい。


「姉さん、まだ髪がぼさぼさだよ。掃除の前にこっち座って。それに掃除する時は埃が舞うから布を被るんだよ」

「ふぁいー」


 追いかけてきた弟にお店の丸椅子へ座らされ、丁寧に髪を梳いてもらう。

 面倒だから顔だけ洗って出てきたのに、気が付く我が弟はわたしの不調法を察したのだろう。

 髪を整えるのはいざはじまると心地良いけれど、いざはじめるのが面倒というのを、誰かに理解してもらいたいものである。


 完。は、まあくどいな。


「さむいね」

「あれ、毛布無かったっけ……あ」

 しまった。

「姉さん」

「あのそのぉ……」


 昨日店番をしてる時にお茶をこぼしてしまい、洗濯するのも面倒でほったらかしにしていたのを忘れてた。忙しくなって洗濯物が溜まった時にさり気無く混ぜ込もうとしていたのに、なんたる失敗か。

 カウンターの隅っこで丸まっていた毛布を弟が掲げ、中々濃厚に香ってくる芳醇な紅茶臭には私も素直に顔をしかめた。


「今日は毛布いらないね。寒いけど頑張って」

「や、やだあ、エリック待ってせめて暖房だけでも」

「僕は教会の奉仕活動があるから、姉さん、本当に一人でちゃんと管理できる? 本読んで放置しない? 適宜足すのが面倒だからってまた大量に薪を放り込んだりしない?」

「あのそのぉ……」


 聞こえませーん、と私は耳を塞いで縮こまった。

 商売柄、燃料を大量に貯蔵する書店内では火気厳禁だ。

 私だってまだ読んでない本を灰にする趣味はないし、本は大切にしたいのである。

 店内では煙草の火だってお断りしてる。


 ならどうやって暖房を焚くのかというと、別室がある。


 石造りのどっしりした所で、賓客に本を選んでもらう時に使う場所だ。お茶を用意するくらいは出来るし、商談にも利用するから調度品も良いのが揃ってる。普段は私が鍵を預かっているんだけど、その部屋の暖炉がちょっと特殊で、暖炉外装部に接触させたパイプから熱が隣の書店内部にも伝わるようになってるのである。蓋開けて水を張ってやれば温かくなるのも早くなって、私はとても幸せになれる。

 ところが中々難しいもので、読書中の手間を惜しんで薪を大量に突っ込んだ結果、パイプがとんでもなく過熱されてしまい危うく火事になる所だったらしい。

 らしいというのは事が起きている間私は本に夢中でまるで気付いておらず、教会から帰ってきた弟が異常に熱いお店に大慌てで対処する間も汗だくになって本を読み続けていたらしい。この際、汗で本が塗れないよう無意識に注意していたことは褒めてほしい。なぜか、とても怒られたんだけど。


 私は昔から本に没頭すると何もかもを忘れる。


 本当に何もかもを、だ。


 昔友達がふざけて口と鼻を塞いだら、私は真っ赤になってふらふらし始めてもまた本を読んでいたらしい。


 世の中には呼吸も忘れてしまうほどの恋があるそうだけど、私にとってそれは本であるらしいのだ。


 よそ様より多少はゆとりのある生活を送っている訳だし、ちょっとくらいいいじゃないと思う。だけど両親も無駄遣いを嫌うし、几帳面な所のある弟は一度用意した冬越しの薪を買い足すのを嫌う。余ったお金はいつも教会へ寄付しているし、弟は奉仕活動へ頻繁に参加するから神父様の覚えもめでたい。

 あちこち回って依頼された本を探したりする両親は、時として繋がりのない土地へ行くこともあるから、そういう時に教会からの口添えがあるととても助かるらしい。宿もない村落だと泊まる場所と言えば長の家か、教会だ。人を頼る時にも教会が身分を保証してくれることは身を守る上でも大切なことだという。

 最初は店を継ぐことを考えて両親が奉仕活動への参加を勧めた筈だけど、あのほんわかした空気が弟の肌に合うのか、飽きもせず今日もめぐまれない子どもたちとやらの世話を焼くらしい。


「お昼には一度戻ってくるから、反省して午前中は我慢するように」

「はぁい」

「じゃ、いってくるね」

「いってらっしゃい」


 一応は店の前まで出て見送る。

 箒も持ってきたからまずは店先の掃除だ。


 掃除は嫌いじゃない。淡々と手を動かしてる間は頭の中で呼んだ本のことを思い返す。文字を追いかけているだけだと読み落としてしまうこともあるから、意外とこういう時に発見があるものだ。


 それにしても。


「我が弟よ、アンタもなんか、変わったね」


 前はもっと気弱というか、前に出ない方だった。

 いや、元から身内ではああだし、教会でお兄さんお兄さんと慕われる場所だとそれっぽく振舞ってはいるけど、なんというか行動に淀みがない。


 魔術学園に通うと言い出した時はまだいつもの弟だった。


 神父様に素養を見出されたとかなんとかで、この地の領民には優遇措置もあって卒業後に徴兵されることもない。腕試しなんて考える子じゃないから、単純に普通じゃ触れることのできない学問に興味があったんじゃないだろうか。そんなことを父さんとも話していたし、心配する母さんには戦いをするつもりはないとはっきり言っていた。

 将来を考えれば貴族と個人的なつながりを作っていくことも利益になるし、慣れる機会を得られる、とかなんとか。


 あの子なりに色々と考えて、それなりの希望を持って通い始めた筈だ。


 だけど、春の終わり頃から様子が変わった。


 少し前までとても忙しそうにしていたのを覚えてる。なんでも、学生たちだけで結成された小隊とかいうのの活動で、大きな試合があったらしい。それがどういうものであったかを私が知ったのは、またしばらく経ってからだ。


 試合当初は、多分まだ気持ちが上向いていたと思う。


 それが日を重ねるごとに顔が下を向いていくようになった。

 私が聞いてみても、なんでもない、の繰り返し。両親は旅立ったばっかりで相談のしようもなく、一人であたふたとしていた時期に、あの人は現れた。


 雷帝さま。

 というのはあくまで彼を題材に書かれた物語での呼称だったけど。


 ウィンダーベル家の嫡男、ハイリア=ロード=ウィンダーベルがなんでかウチの店に現れたのである。


 やー、あれは驚いた。


「イリーナさん」


 うんうん、と頷く私の近くに誰かが立った。

 店の窓硝子を磨いていたから、反射した後ろの景色が私には見える。


「あの、聞こえているかな……?」


 初めて会った時にやらかしてしまったので、どうやら私の耳が遠いと思われているらしい。


 聞こえています。


 でもね。


「ぇ……」


 すらりとした立ち姿。

 けれど決して細身ではない、鍛えられた肉体。

 美しい金髪に、碧眼。典型的なレイクリフト人の特徴だけど、そんじょそこらの男共とは纏う雰囲気が違う。


 というか、王子様っ。


「ハ、ハハハハイハイハイハイ――――!!」


 なんか元気良く返事した感じになったけど、ハイリア様が私の背後に立っていた。


    ※   ※   ※


 「どうぞ、ウチに出せる一番のお茶です…………」


 前はお店の中で放置してしまったけど、今回は賓客用の別室へご案内した。

 因みにお店は閉めた。隣室とはいえ、店を開けて番も居なければ盗みの危険もある。入り口に鍵を掛け、一緒に奥へ入って暖炉に火を入れた。大口客としての過去もあるし、大貴族の方だし、なにより雷帝さまだから燃料をけちけちしたりしない。きっとすぐに部屋は暖まるでしょう。


 先に出来たお湯を裏へ持っていって取って置きの茶葉を出した。

 蜂蜜と砂糖、どっちでも大丈夫。保存の難しいミルクは無いけど、雷帝さまならそのままとかありそうだから大丈夫だろう。


「生憎とミルクの用意が無いのです。ご所望でしたらちょっとひとっ走り行ってきますが」


 といっても私は教会へ飛び込んで弟に丸投げするだけなのでそんなに遠くはない。

 本来なら賓客であっても客人が居る時に店をあけることはしないけど、雷帝さまだからね。


「いや、構わない。わざわざありがとう」


「寛大なお言葉、痛み入ります。あ、それと茶葉は良いものですが、腕はいまいちと評判なので、あまり期待しないでいただけると……」

「ふふ。あぁ、すまない」


 笑われてしまった。

 恥ずかしい。

 自分でも頬が熱くなっているのが分かる。


 あ、そうだ私ちゃんと化粧してないっ!?


 髪はやってもらったけどっ、化粧はしてないよね!?


 急に気持ちが落ち着かなくなってきた。いますぐ鏡を確認したい。そうだ、今ならお茶を出した直後だから下がるのにも違和感がない。


「誤解させてしまったな。腕のことを笑ったのではないよ」


 しかし言葉が続いてしまった。

 逃げられない私はお盆で顔を出来るだけ隠しながら応じる。


「エリックも……なんというか、恐縮はするが評価そのものは実直なことが多くてな、前に釣りを教わった時に言われたんだが、俺は丁寧であっても繊細な手作業には向かないらしい」

「お、弟が大変失礼なことを……」

「いや、そうじゃない。彼の言葉はありがたい。普段の立ち位置からも、素直な評価を得ることは難しい」

「位も弁えず上の方を評するなんて不敬も甚だしいことです」

「確かに、そうだな」

 ひゅ、と喉が縮んだ。

 弟が何を勘違いしているかは知らないけど、身分の差は絶対だ。

 家業で、学園で、あまりに近くで貴族と接していると忘れてしまうんだろう。

「申し訳もございません」

「あぁ。ま、気にしないでくれると助かる。立場上、これ以上踏み込んだ発言は控えるが、俺個人としてはエリックは良き友人だ。友人の言葉は素直に聞くものだろう」


 もしかすると雷帝さまは慈愛の女神に魅入られているのではないだろうか。

 貴族のすべてがそうではないと知ってはいるけど、彼のように平民を当たり前に自分と同じ目線へ置くのはちょっと異常なことだ。


 お父上のオラント=フィン=ウィンダーベル様も相当に破天荒な所があると聞く。もしかしたらウィンダーベル家というのは通常の貴族の枠に収まらない特殊な一族なのかも知れない。

 ほ、ほら、温厚そうに見えるけど実は物凄いとか。なにが物凄いのかは知らないけどっ。


「弟は」


 弟は、変わった、と思う。


 ハイリア様がお店へやってきたあの日から、学園での話をしてくれるようになった。

 一緒に小隊で励む友人のこととか、ハイリア様のこととか。


「どう、ですか?」


 曖昧な聞き方だ。

 これじゃあ何を聞いたのかも分からない。

 何かを付け足そうとしたけれど、先にハイリア様が答えてくれた。


「助けられている」


 不思議な表現に思えた。


 なぜだろう。


 あの弟が、大貴族の嫡男で、成績なんて学園の主席で、こんなにもしっかりしている人の助けになっているというのが不思議だった。


 自慢の弟だ。面倒を見てくれるし、優しいし、結構我慢強いし、あれで小さい頃はおねえちゃんおねえちゃんって後ろを付いて回ってきた。あぁ、あの頃は小癪なお小言なんて言わずに姉を信頼しきっていたのに。可愛かった過去には戻れないのね、ぐすん。今だって寝顔は可愛いし、しっかりしてきたからつい甘えてしまうんだけど。


「自慢の弟です」


 にっこり答えてみる。

 思えば私塾時代の友達にも同じように自慢していた。

 面倒見の良い子で、読書しかしない私を世話してくれる良い子だよ、なんて。


 するとハイリア様はまた頬を緩めて、

「そのようだな」

 笑う。

 心から言ってくれているのが分かって、急に腑に落ちてくる。


 こういう方なんだ。


 身分なんて関係無しに人を見れる、だけど蔑ろにはせず尊重できる、なにより優しさに人を選ばない。

 だから弟も彼を信頼するんだと素直に思える。


 ただ、それだけにこの人が自ら戦いを仕掛けたというのが分からなくなる。


 学園の夏季長期休暇、小隊の合宿とやらで弟も一緒に長期間家を空けていた。


 一人で大丈夫か、なんて姉の尊厳を心底疑っていた弟を叩き出し、まあ私なりに人の生活は送っていた時だった。

 学園生の一部があのイルベール教団と衝突し、双方に死傷者が出たという噂が流れた。

 最初はフーリア人虐殺で有名な神父様の名前が一人歩きして、変な話ばっかり耳へ入る。

 だけど次第にウィンダーベル家の嫡男ハイリア様が主導したのだと知れると、いつもの噂話が急激に現実味を帯びてきて、私は丸一日以上なにも手につかないくらい動揺した。

 だって、彼の小隊には弟が居る。

 自分勝手なのは分かってるけど、ハイリア様のこととか、友達のことよりも弟が心配で仕方なかった。


 戦いはしないって言ってたのに。

 ただ、皆して勉強したり、鍛えたりするんだって話だったのに。


 本が読めなくなったのは後にも先にもあの時だけだ。


 多少不安や悩みがあっても表紙を開けば夢中になれる。私にとって本はそういうものだった。


 あの虐殺神父と雷帝さまの衝突は天を貫き大地を割った、なんて話をぶった吟遊詩人に弟がどうなったか知りませんかなんて問い質したこともある。意味のないことだ。彼らは金銭目的でどうとでも話を変えてしまう。


 本当に食事も喉を通らず、お店を閉めたまま部屋に閉じこもっていた。

 旅先で噂を聞きつけたんだろう、両親から手紙が送られてきて、母は急ぎ戻ってきてくれた。父は噂の正確な出所を探りに付き合いのある貴族を頼った。弟は無事なのか、悪名高い教団と揉めるなんて怖ろしいことをして、この先無事で居られるのか。本当に、本当に心配で不安で、日々届く父からの手紙を開くたび、今度こそ弟の死について書かれているんじゃないかと母と一緒に息が詰まるような思いで待ち続けた。


 私たちの心配を他所に、弟はある日ひょっこり戻ってきた。


 まるで噂のすべてが嘘だったみたいに、ちょっと旅行へ行って戻ってきたよと言わんばかりの弟を見た瞬間、私は声をあげて泣いてしまった。


 一人で閉じこもっていた時も、母が戻ってきても、泣かなかったのに。


 慌てる弟を抱き締めて、涙を洟を押し付けて、わんわんと泣いた。


「ハイリア様は、まだ……教団との衝突を続けるおつもりなのでしょうか」


 あの時のことを思い出して、幾分冷えた声が出てしまった。

 いけない。

 貴族との会話には慣れているけど、こんな感情を表に出してはいけない。


「……そのつもりだ」


「でしたら、また危険が降りかかることもあるのでしょうね」


「そうだ」


 その一言が、とても重く響いて、私は続く言葉を失った。


 優しい人だ。


 だから、この人が周囲を危険に晒していることを気に病んでいない筈もなかった。

 でも、それでも、自分勝手でも、


「弟を、連れて行かないで、下さい……」


 言い切って、吐き出して、息が止まるかと思った。


 ハイリア様が紅茶のカップをじっと見詰めている。

 あえてこちらを見てはこない。今見られたら、私は跪いて発言を訂正してしまうかも知れない。許されないのだとしても、この気持ちを訂正なんてしたくなかった。例え生きて帰ってきてくれるのだとしても、ハイリア様に苦しめるつもりが無いのだとしても、あの時みたいな気持ちにはもうなりたくない。


「そうだな……」


 呟きが落ちて、ようやく、救いを得たような気がした。


 彼の表情は動かない。

 いつも通り、柔らかな表情のまま前を見ていた。


 強い人なんだろう。

 だから弟も惹き付けられるんだろう。

 無防備に彼の後を追って、どこまでも行ってしまう気がする。


 でも、良かった。


 気落ちさせてしまうかも知れない。一生恨まれるかも知れない。ひどい姉だともう二度とこれまでのようには話してくれないかも知れない。


 それでも、あの子が死ぬなんてことは無くなるんだ。


「……――――」


 何かを言わなきゃ。

 思って口を開いた時、冷たい風がどこからか漂ってきた。


 暖炉のおかげでもう部屋の中は温かい。なら、どこから。


「何言ってるの、姉さん」


 書店へ続く扉の向こう、弟が、じっと私を見詰めていた。


    ※   ※   ※


 弟は怒ってはいなかった。

 勝手なことを言った私を責めるでもなく、むしろ申し訳なさそうにしながら、だけど決して譲らないという表情で、懇々と諭してきた。


「姉さんや、皆を不安にさせたことは悪いと思ってるよ。だけど、今こうしていることを僕は本当に嬉しく思うんだ」


 私以上に気まずそうなハイリア様を脇に置いて、丁寧に丁寧に話す弟は、一時の興奮やハイリア様への狂信じみた考えて言っているんじゃないと分かる。

 いろいろと考えてしまう子だから、きっと私が泣いたこともずっと頭に残っているんだろう。

 残っているのに、安全な方法を選んではくれない。


「別に術者として大成したいんじゃない。一生戦争をして生きるつもりも覚悟も無い。イルベール教団のやっていることを直接目の当たりにして、許せないって思ったことも本当だけど、なら彼らを叩き潰すまでやるって言える程、僕は先が見えていないんだと思う。ハイリア様には、申し訳ないけど」


 今しているのは説得だ。


 私に理解して貰おうと、懸命に言葉を選んで話している。


「なら、どうして」


 自分の入れる合いの手を空々しく重いながら、応じる声を聞く。


「やりがいを感じるからだよ」


「やりがい?」


「誰かの力になること。小隊の人たちは皆凄く真剣で、必死で、ずっと気後れしてきたけど……そんな人たちだからこそ、力一杯頑張って力になろうって思えるんだ。僕なんかじゃってずっと思って来たけど、続けてきて……あの戦いで確かにその実感が得られた。僕にも出来ることがある。将来どうするかは別として、今はハイリア様の所で限界一杯まで頑張りたいんだ」


 俯いてしまう私を見て、弟はため息をついて、途中で止めた。

 落胆はずるいと思ったんだろう。


「姉さん」


 首を振る。


 返せる言葉が無い。

 だけど納得なんてしたくない。

 だからズルい私は首を振って、聞きたくないって駄々を捏ねる。


「姉さん。僕はきっと生き延びるよ。だって、他の誰よりも臆病だからね。『弓』の術者は最前線より後ろに立つことが多いし、僕はそもそも雑用で、戦いそのものにはあんまり加わったりしないんじゃないかな」


「その予定だ。エリックには後方での備えを中心に担ってもらう。俺の動きを助ける目的で別行動を取ってもらうこともあるが、それも戦いとは離れた状況になる筈だ」


 それなら、と自分を安心させようとする。

 ハイリア様が弟を大切に思ってくれているのは分かるから、死ぬことのない場所で使ってくれるのなら、なんとかなる筈だ。

 前だって弟はひょっこり何でもない顔で戻ってきたんだから。


「危ないことはしないでね」

「うん。僕が臆病なのは知ってるでしょ。相手を倒すより、逃げ回って生き残る方を選ぶよ。だって、死ぬのは怖いから」


 そうだね。

 死ぬのは怖い。


 大丈夫。


 大丈夫。


「…………もし」


 ハイリア様の口からこぼれ落ちる言葉に、私は目を逸らして、逃げた。


「もし、身の危険を感じたらすぐに逃げろ。俺を見捨ててでも、エリック、お前は生きるべきだ」

「ハイリア様」

「命令だ。俺に従うというのなら何よりもまず自分を大切にしろ。分かったな」


「嫌ですよ」


「エリック」

「だってハイリア様、僕のことを友人だって言ってくれたじゃないですか。僕は大貴族の嫡男様に従っているんじゃないですよ。友人の助けになりたいから、頑張って付いて行くんです。だから……ちゃんと皆で生き残りましょう。それなら姉さんだって文句はないでしょう?」


 そうなればいい。


 本当に。


 そうならない未来なんて見たくない。


「言ったでしょう? 僕は臆病者だから、怖いことからは全力で逃げますよ。それよりもハイリア様です。誰かの為だって、すぐ無茶するんですから」


 笑って言う弟の表情はなにも無理を感じなくて、心底そう思っているように感じた。


 そうだ。昔からこの子は怖いのが苦手で、怖い話を聞いた夜は一緒に寝てあげないといけないくらいだった。

 ハイリア様もこんなにもこの子を大切に思ってくれている。


 なら何にも、心配なんて要らないんだ。


    ※   ※   ※


 ハァ、と息を手に吹きかけて擦り合わせる。


 誰もいない店内で、誰もこないのにカウンターの中で私は待つ。


 この地の領主さまが反乱を起こしたと聞いてから、お店を開いてもいないのにここに居るのは、私にとってこの場所が日常だからだ。

 両親とはまだ連絡が取れていない。今回は他国まで行くって話だったから、こんな片田舎の騒乱なんて耳に入らないのかもしれない。一応、行き先にある教会なんかの繋がりある所へ手紙は送ったけど、稀少本の捜索なんて決まった通りに動き回って出来るものじゃないから、空振りしてしまったんだろう。


 領主様が外出禁止令を発して、しばらくしてから王国の軍隊がやってきてここは彼らに占拠された。

 戦いのことはよく分からないけど、きっと領主様は失敗したんだろう。歴史的に見ても、今のこのデュッセンドルフ、古くはラインコットと呼ばれる土地を奪われたらあっという間に負けてしまう。逆に最初の戦いを守り切れて、ここから戦線を伸ばすことが出来たら長引いて、あちこちから略奪品が送られてくるんだとか。

 実際にそんなことがあったのは大半が大昔の話だ。

 デュッセンドルフもラインコットも、ホルノスでさえ名前に挙がらなかった頃から続く戦いの歴史。


 湿地帯が多くて貧しい土地柄、この一帯は昔から争いが絶えない。


 いろんな勢力が生まれては消えていって、運良く纏まりを得た時なんかは肥沃な南方か西方を目指して侵略を繰り返す。

 東方には大抵大きな国が鎮座しているから、手を出さずにいることが多い。大きな国からすれば、ここみたいな貧しい土地は手に入れても損をするだけなんだろう。一部の傭兵が出稼ぎに行って戻ってきたり戻ってこなかったり。土地から生み出せるものが少なかったこの地方にとって、人手こそが優秀な品目だった。

 デュッセンドルフの鉱山だって、質が悪くて精錬技術が発達する近年まではあまり目を向けられなかったと記録されてる。鉱山奴隷の増加によって効率化されたのも大きい。奴隷貿易によってホルノス中央から送り込まれたフーリア人が結果的にこのデュッセンドルフを潤したとも言える。


 過去、一度だけ大きな力を持った人が東方の国まで呑みこんだ歴史がある。


 とてもとても昔の話。

 記録が散逸していて正確な時代を測ることは出来ない。

 おそらくはセイラムの名がこの世に出るよりも昔の話で、大陸西方では重要視されない為に歴史の研究がまるで進んでいない時代。


 私が知っているのは、この地で力を持って東方を制圧した人物が、その国から追放された王子だったという話だ。


 王子は故郷の国を憎み、滅茶苦茶にした。

 権力者を次々と処刑し、お城から血の川が溢れたという逸話が残っている。

 現在に残る拷問方法の幾らかはそこから生じている説もあるけど、情報の出所がはっきりしない。


 多分、相当に恨まれたんだろう。彼の存在ごと消し去るような徹底ぶりで記録が消されていて、地方へ伝わる信憑性も乏しい逸話くらいしか探し出せていない。


 ただ、この閉塞した土地からすれば数少ない栄光の日々だったのは間違い無いようで、古城の床が抜けたと思ったら大量の記録資料が発見されたりというのが実際に起きている。保存状態が悪く、また争いばかりで粗暴な人の多いところではそのまま冬越しの燃料にされたりと、どこまで本当かも分からない不確かさが付き纏う。紙は腐るし粘土板も劣化には勝てない、残っているのは石盤か。慎重な掘り出しなんて望めないから、大半が割れて駄目になっちゃったんだとか。


 ともあれ、発見された資料によると、山と見紛うほどの神殿を築き、清流を領地内へ呼び込んで耕作地を作ったのだとか。山のような神殿もそうだけど、地形を変えて川を作ってしまうというのがまたすごい発想だ。まあ、そんな神殿は領地のどこにもないから、歴史によくある誇張だろう。川についてはちょっとだけ思い当たる。デュッセンドルフ中央を流れる川だ。今でこそ南方の沼地へ飲み込まれる形になっているけど、あそこには石畳の広い街道が残ってる。

 街道ではなく、水路だったのでは、と私は思ってる。

 他にも北の山中には西へ抜けていく小さな、谷間とも呼べないような窪地が長く長く続いている。


 こじつけであるとは思うけど、こういう歴史の考察は結構好きだ。

 本当はどこかに神殿が隠されているのかも、なんて思う時もある。

 神殿と言うと、件の追放された王子は神獣を傍らに置き、私たちの知る魔術とは違った不思議な力を振るったとも言われる。あまり記録が残ってない上に、今じゃあセイラムへの信仰が強くなっていて、それらしい痕跡はどこにもない。


 私があんまりにも真剣に話すと友達は皆して笑ってしまうから、弟にだって話したりはしない。

 疑ったり馬鹿にしているんじゃないのは分かるけど、ちょっとこじつけじみていることは自覚してる。

 夢見がちだねって言われるのが一番困る。だって証拠になる文献を元にした考察だから。うん、直前の思考と矛盾するけど、私だってちゃんと聞いてくれる人が居ればもっと、趣味以上の気持ちで調べたりするんだろうけどさ。


「…………っ、っ」


 再び吐く息で手を温めて紅茶臭の取れた毛布で身を包む。

 カウンター周辺に詰み上がった本へ手が伸びて、重みのある感触を膝へ乗せた。

 冷たくなった紅茶を舐める。

 すぐ戻す。

 ハァ、と息を吐く。


 窓の向こう、明るい景色中に、雪が混じり始めた。


 未だに内乱は続いてる。


 宰相様と近衛との衝突という話だったけど、その中に学園生が加わったという話を聞いた。


 冷たい手足を擦り合わせて温める。


 暖炉に火は入れてある。

 最近ちょっと使い過ぎなくらいで、弟に知られたらきっと叱られてしまう。


 叱られたいな、なんて思ってしまう。


「さむいなぁ……」


 また世話を焼かれて、お小言を言われて、結局甘やかしてくれる日々が戻って欲しい。

 今ならいつもよりちょっと、ちゃんとしようと思う。朝になったら自分で起きて、シーツは綺麗に畳んで、晴れた日には干してもいい。身嗜みはしっかりしよう。これでもデュッセンドルフへ滞在する多くの貴族がふらりとやってくることもあるお店だ。

 それで、それで、


「はやく」


 昔みたいに、一緒の毛布へ包まって本を読むのだ。


 今ならとっておきに怖い本がある。

 怖がった弟はとても素直に甘えてくれるから、姉としては嬉しくなってしまう。


 いつかの日を思い浮かべて、さてどうやって怖がらせてやろうかと想像する。


「はやく、もどってこないかなぁ」


 なのに、逞しく成長した弟はまるで話を怖がってくれないのだ。

 想像の中で弟が笑う。


『もう……僕だっていつまでも子どもじゃないんだよ』


 子どもでいい。


 勇敢で無くていい。


 怖がりで、引っ込みがちでも構わない。


 敵から逃げて、皆から卑怯者と蔑まれたって守ってあげる。

 いや、私じゃ盾にもなれないけど、味方であるのは間違いない。


「エリック」


 私は貴方に、戻ってきて欲しいだけなんだから。



 北から吹く風が、雪を運んできていた。





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