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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第四章(下)

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   クレア=ウィンホールド


 杖の上に蝶が留まっていた。

 開けっ放しにしていた窓から入り込んだのだろう。

 追い払う気になれなくて、なんとなく眺めているとノックの後にクリスが入ってきた。


「書類は提出してきましたが……どうかしたんですか?」


 栗色髪の少女は、出会った頃より随分と伸びてきた髪を団子状にして纏め、髪飾りで留めている。

 ハイリアの側近筆頭として忙しく動き回ること増えた彼女に、箔付けとしての意味も込めて私がしてやったものだが、あの可愛らしかった彼女がどこか大人びてみえるのがちょっとだけ寂しかった。


 私が杖へ視線を戻すと、蝶は飛び立って窓から出て行く所だった。


「……少し呆けていただけだ。大丈夫、昼食の時間だったな」


 正直に言うと食欲が無い。

 前はここへ持ち込んでもらって、執務をしながら放り込んでいたのだが、父にバレて叱られた。

 クリスからの勧めもあって、皆と合流して食べるようしてからは食べる量も増えてきたのだが。


 瞬きをしたクリスの視線が、下から正面へと上がってくる。


 瞳の向きによって思考を読まれるらしいと気付いてからの、彼女の癖だ。直そうとしているが、今みたいに気の抜ける場面だとよく出る。


 つまり彼女は、何かを考えた。まあ、私を甘やかすべきか、尻を引っ叩いてでも動かすかの思案だろうけど。


「いかんな」

 だから私は自ら椅子を引いて、杖を手に取った。

「分かっていても日常に押し流されそうになる。もっと己を正していかないと彼には届かない」


 義足の感覚を確かめながら立ち上がり、杖で身を支える。


 最近では歩くだけなら杖も必要なくなっている。

 ただ人の多いところでは不意に姿勢を崩すこともあるから、念のために持っているんだ。


 父が金に物を言わせて作らせた豪奢な装飾には苦笑してしまうのだが、コレも私がクリスへした箔付けと同じだろう。


 政治的立場というのは個人の主張だけではどうにもならない場面が存在する。


 周りを黙らせるだけの結果か、捨て身の覚悟が無ければ我を通せない。


 道理を学ぶほどに思慮を、策を巡らせることに慣れていくが、どうにも前ほどの身勝手さを忘れそうになってしまう。


「行こう。今日は遠征組も戻ってきているんだろう? 詳しく話を聞きたい」


    ※   ※   ※


 あの日から一ヶ月が経過していた。

 デュッセンドルフへセイラムの眷属と目される()が出現し、その一人とハイリアが決闘し、意識不明に陥ってから、一ヶ月。


 全域へ降り注いだ破城槌による攻撃は街並みを一変させ、学園を始め西側の貴族街はほぼ壊滅、中央通りから東側も被害は大きく、元通りになるには数十年掛かると言われている。幸いだったのは丘から向こう、そして麓にあった貧民街などは地形的に低い場所にあった為、殆ど被害を受けていない。吹き飛ばされた瓦礫による二次被害や、粉塵のせいでしばらくは家に戻れなかった人たちも、半月も経過した頃には許可も出て帰還が開始している筈だ。


 筈だ、というのは、全て報告書で読んだ内容だからだ。


 あの日、南方の拠点へ留まった私は現場で起きた何もかもから取り残されている。

 全てをクリスから聞いた今となっても、やはりどこか実感できていない自分が居るのだ。


 夏季長期休暇でもそう。どうにも私は、決定的な時に限ってそこには居ない星回りなのかも知れないな。


「だっからっ! さっきのは時間切れになったんだし、実質的に私の勝ちでしょっ!」

「亀みてえに引き篭もってオナってただけだろうが、勝ちを取りにもこねえ奴が偉そうに言ってんじゃねえよ」

「でもねぇ、時間気にしながらちょっと焦ってたヨハンくんを見てた側からすると、これはちょっとセレーネちゃんの勝ちにしてもいいのかもって思うんだよね」


 騒々しいと思ったら、またいつもの言い合いが始まっていたらしい。

 食堂の一角、入り口から程近い場所で慣れた顔を発見する。


「その辺にしておけ。意見が分かれるなら、次こそ決定的に勝敗を決すればいいだけのことだ」


 空いていた席に杖を立て掛けると、素早く動いていたオフィーリアが椅子を引いてくれる。

 出遅れたクリスがあーっ、て感じでちょっと可愛い。


 これでも大穀倉地帯を抱える領主の娘なんだが、最近ではすっかり気遣い屋として動くようになっていた。

 裾に皺を作らない完璧な所作に加え、妙に色気が出てきたと専らの噂だ。

 

「おう……、もううどんは……、なくなったぞ……」


 オフィーリアとは正反対で、出会った当初からどんどんと所作が雑になっていったのがこのジン=コーリアという男だ。

 トマトベースの濃厚スープへ沈めたうどんを食べながら話しかけてくる。


 貴族だけの空間ならありえない振る舞いだが、私も昔ほど気にかけてはいない。


 綺麗に食べるのもいいし、大雑把に食べるのも、まあ悪くないしな。


 ハイリアが広めたうどんは当初、独特な薄いスープに浸けて食べられていたのだが、最近は色々と種類が増えた。

 トマトのスープは私も結構好きだ。透明なのは正直味が分からない。ハイリア自身、まだまだ改良しなければと言っていたくらいだし、きっと目覚めた時に食べさせてやれば大喜びするだろう。他にもミルク系のシチューやビーフ系のシチューに入れるものもある。ハイリアが海の魚を元に()()を取ると言っていたことから、エルヴィス勢が嬉々として開発した魚介系のスープだが、あれは生臭くて食べられたものじゃない。


「うどんは軽く食べられるから助かるんだが……仕方ない、ある物を適当に出してもらうか」

「そうやって詰め込む食べ方は良くないらしいぞ」


 声がして視線を向けると、鉄甲杯でハイリアの所に居たウィンダーベル家の少女、ジェシカが食後の紅茶を愉しんでいた。


 少し離れた位置に居て、相変わらず同学年の連中を引き連れているが、私に話しかけてくるのは珍しい。


「どんな時でも食べる力を身に付けろと、ハイリアに鍛えられたからな」

「私もそれは聞いたが、貴女は少々雑過ぎる」


 そうだろうか。

 とりあえず穀類を食べていれば、寝て起きれば体力が回復している。

 なにも食べなくても睡眠は効果的だが、確かに体調の戻りが早くなるのだ。


 しかし、彼女にまで心配されるほど、私は振る舞いがいい加減になっていたのだろうか。


「分かった。じゃあクリス、君と同じものを食べる。任せていいか?」


 以前なら無理して自力でやろうとしていたが、今は頼ることを覚えた。

 快諾してくれたクリスに栄養補給は任せて、私は改めてジェシカへ向かい合う。


「先日発表された方策は見事だった。私にはまだまだだ、しか言わない父上が手放しで褒めていたぞ」

「ん? あぁ、眼鏡が煩く言ってきたからな。喋り方や間の取り方まで、日に日に細かく指示してくるから大変なんだ」

「よい相方を持ったな」

「当然だ」


 当然か。


 物怖じしない自信たっぷりな口調に昔を思い出す。

 前の私と、今の彼女は違う。だって彼女は自分が駄目なことを知っていて、穴埋めの出来る相手を次々と引き込んで補強していくんだ。私やオフィーリア達を引き込んで小隊を結成した時、ハイリアは見境が無いと陰口を受けていたのを思い出す。それと比べたって、ジェシカは相当好き勝手にやっている。


 あの日、フロエ=ノル=アイラを誘拐し、離反したウィンダーベル家は現在立場を危うくしている。


 当主であるオラント様や、シルティア夫人は拘束され、このミッデルハイム宮で軟禁状態にある。

 陛下の配慮によって一時は立場を回復していたものの、急場での離反に加え、次期当主であるアリエス様が現在も王都を占拠している為に、二人は人質として扱われてしまっているのだ。


 占拠とは言ったが、かつてのような大戦力で王都ティレールを落としたのではない。


 現在王都は神樹の拡大によって侵食され、まともな生活の送れない状況に陥っているのだ。

 正しく言えば、彼女は無人の廃墟となった王都へ勝手に居座っている状態に過ぎない。使用しているのも王都に於けるウィンダーベル家の屋敷だから、占拠というのも正しくは無いが。


「それで、直接王都を見てきた感想はどうだ」


 ジェシカはウィンダーベル家離反時に率先して陛下の元で働いていた。

 自ら戦場に立ち、破城槌降下後の混乱を牽引していた姿は多くの者に認められている。

 当主の軟禁には一族の多くから批難も集まったが、同時に次善の策としてジェシカを一時的な代表に仕立て上げ、立場の回復を図ろうとする動きがある。


「少数での突破は無謀だな。話に聞く『魔郷』そのものだった。ぶっ飛ばしてもぶっ飛ばしても生えてくる。四柱の出現はまだのようだが、アレだけでも相当に厄介だぞ」

「どかーんどかーん、しゅるしゅるしゅるー、だもんねー」


 真っ先に戦いでの判断が始まるのが彼女らしい。


「周辺の村落はどうだ? 王都を支える農場もあの辺りには多い」

「眼鏡」

「はい。……多くは不安を抱えながらも、日常を送っている様子でした。デュッセンドルフとは違い、あの地域の農場を半年も放置すれば、王都を奪還できたとしても機能回復には時間が掛かることになります。幸いにも、一時的な範囲増大の後は落ち着いていますから、こちらの説明にも納得してはいます。というより、信じざるを得ない、という所もあるでしょう。先の内乱だけでなく、幾度も戦いに巻き込まれてきたあの地方の人々は、土地柄としても辛抱強いのだとも思います」


 つらつらと人数や食料生産の状況、取れ高の予測などの数字を挙げていくアベル=ハイドを私は第二のクリスを見るような想いだった。

 実際彼女の教え子というか、弟子みたいなものらしいが、急に振られた話にこれだけ詳細な情報を示せるのは凄まじくもある。


 今でこそクリスは私の補助をしてくれているが、ハイリアが戻れば彼の元へ帰る。


 ……後進の育成をしといて欲しいが、そんな暇は無いからな。


「――以上の情報を参考に、王都奪還後の復旧へ派遣する人数や、受け入れる民間の協力者を募る公算です」

「やらんぞ」

「え……?」


 いっそ彼が来てくれたらな、なんて考えていたら、ジェシカがアベルの腕をひっぱった。

 当人は顔を赤くしてめでたいばかりだが、見せ付けられる私は面白くない。


「オフィーリアは先輩との関係を認めさせるのに親族の位が低い家へ養子になる、なんて話まで出ているのに、今やウィンダーベル家代表は自由だな」

「こんな一時的な持ち上げに頼る気は無いし、私は東側の人間だ。どうせすぐ縁も途絶える」


 やはり捨て身は強い。

 羨ましいとも思うが、私はホルノス王の臣下として生きている。そこに誇りと自覚を持つからこそ、前のような捨て身には中々成れない。

 だが、と考えた所でクリスが食事を持ってきてくれた。


 なるほど……彼女のあの頭脳を働かせるにはこれだけの量が必要なのか。


 こっそりわき腹を突いてやると、すっごく恥ずかしそうに睨んでくるクリスを私は堪能出来た。


    ※   ※   ※


 食事を終えてしばらく執務に励んだ後、予定より早めに陛下の元へ参じた。

 謁見とは異なる。最近は人を介したやり取りも増えていたが、今回のコレは色々なものが絡んでいるから直接顔を出す他無かった。


 王都ティレールの城内には、当然ながら国賊として捕らえられた者たちも居た。

 彼らの身柄は王都守備隊が厳重な管理下で輸送してきたのだが、近隣の都市では権限の問題で完璧な警備が難しい。


 という訳で、当主の軟禁と同時に差し出されたミッデルハイム宮で引き受けることと相成ったのだ。


 今日まで掛かった理由としては、ウィンダーベル家血族の反抗や、オラント様がまた何か企んでいる可能性もあった為、慎重に慎重に現場を確認し、領地の運営を安定させた上でようやく迎えることが出来たのだ。


 王都守備隊の分隊長が、改めて守護すべき場所を放棄した己を恥じ、いかなる罰でも受ける覚悟を表明し、陛下が許しと挽回の機会を与える約束と共に挨拶を終えた。


 名簿は予め受け取っている。

 囚人の管理など王が自ら監督するようなことでもないが、今回ばかりは事情が異なる。


 私も直接顔を合わせたのは随分と前の話だ。


 父が宮中伯をしているから、城内での催しに呼び出され、人形同然に振舞わされた記憶がある。

 思えば家を飛び出すことになった切っ掛けがその辺りにもあった。まあ、今はいい。


 黒い男だった。

 その男が姿を現すだけで、場の空気が数段重くなったようにさえ思う。

 かつてはホルノスを実質的に支配し、陛下を塔へ押し込めて好き放題にやっていた、元宰相。



 ダリフ=フォン=クレインハルトが、両腕を拘束されたまま陛下の前に立った。



 背後と左右から『剣』の術者に武器を突きつけられ、後方二名前方三名と『弓』の術者が警戒するという厳戒態勢のまま、二人は向かい合う。


 元宰相ダリフは陛下を一瞥し、ただ沈黙する。

 じっとそれを見詰めていた陛下は手をあげると、『剣』を引かせ、自ら手にしていた鍵で彼の手錠を外した。


 この混乱を乗り切るべく、かつてこの国を取り仕切っていたこの男を使うという話には多くの反対が出たものだが、結局は陛下に押し切られてしまった。手錠まで外す必要はないと思うのだが、どうにも彼女には抵抗しないという確信があるらしい。


 黒い男は痕の残る手首には見向きもせず、口を開いた。


「手駒は」


「確定しているのはエルヴィス。次点でフィラント。ガルタゴと南方諸国は日和見を、北方諸国は中原からの介入で余裕が無い。その中原から、国際連合への支持と加盟への意欲を示されてる。セイラムの器はウィンダーベル家のアリエスが保有したまま王都に、ハイリアは現在も意識不明、近衛兵団はほぼ壊滅、カラムトラを支援する形で確保してるけど、秘密裏に動いてる可能性は高い。そして、現在敵対していたセイラムの眷属を一名、確保している」


 恨み言も、情の交感も、思い出話も無い。


 淡々と情報が与えられ、それに応じる。


 分かりきった会話を二人はしない。

 敢えて避けているようにも思う。

 だが、彼が協力姿勢を見せたことで、ようやく大きく手を動かせるなと息を落とした。


 内乱より半数以上を失ったホルノス中央に属する密偵、その封を解くことが出来る。


「ガルタゴには期待通り、尻を蹴り飛ばす手段を幾つか用意してやろう。あちらは老人たちの力も強いが、何より次代を作る若い層に支持が集まる。国際連合という国を複合化する手段には多くの旨味があると、連中も分かっては居る筈だ。内海を永く支配してきた連中は国家というよりギルド、商人の集まりだと考えろ」


「利益を示すだけじゃ食いつかない」


「当然だ。旨い話には裏がある。積み上げた金貨の数だけ慎重にもなるし、大胆にもなるのが商人だ。なによりそこに歴史が加われば、従来の商売を守るという義務が生じる。新しい時代へ向ける機運というものを感じなければ腰も重くなるが……あの男の喪失はデカいな」


「一手、そろそろ始まるものもあるから、追い風は作れる筈」


「ガルタゴが動けば南方諸国も動く。後は、フィラントか。調教はしたのだろうな。フーリア人はこちらの感覚など通用しないが、圧倒的な力で押し潰せば従う性質を持つ。容赦するな。手を緩めれば図に乗るぞ」


「フィラントとは協調路線を取る。強要も、強制もしない。それが今のホルノスの方針だよ」


「ならば切り捨てろ。戦力として考慮する必要は無い」


「方針は変えない」


 頑なに言い張る陛下に対し、ダリフは鼻で嗤う。

 敢えて何かを言っては来ない。

 言っても無駄だから、だけではないと感じるのはなぜだろう。


「私は逃げない。目を背けない。今の私は、ホルノスの王だから」


「好きにしろ。巻き添えでどれだけ殺そうと、それを出来るのが王の特権だ」


「うん。玉座はいつだって、血に濡れているんだから」


 鳥が一羽飛び立って、続く何羽もの列を二人は食い入るように眺めた。

 先頭が右へ行けば右へ、左へ行けば左へ、頭上を旋回して大きく飛び立っていく群れの中に、一羽だけ色の違う固体を見付けた。


 気付かれないように群れの片隅に身を置き、先頭に従って動く姿は、なんだか振り回されながらも必死にしがみ付いているように思えた。


 疲れ果て、落ちてしまえば、きっと誰も助けには来ない。


 異質であることと、特別であることの違いは立ち位置なのだろうかと思った。

 色違いの姿が先頭に立てば、きっと周囲は見落とすことなく追っていけるだろう。


 伏して生き延びるか、背負って立つか。


「おかえり」

「……あぁ」


 釣られて空を眺めていたから、その声は風に溶けるように意識から抜け落ちていった。

 私には分からない何かがあるのだろう。

 それだけ留め置いて、もう少しだけ私は、空に心を預けることにした。


    ※   ※   ※


 忙しい時に限って時間を浪費するような予定が入るものだと最近気付いてきた。

 前もって検閲していたものを態々本番まで観に行く意味があるのかと、当初は本気で問い詰めたかった。


 実際、それは今の私にとって苦しいばかりの物語で、誇らしく思うことはあっても今はまだ笑っていられない。


 降りた幕の向こうから一人の少女が歩み出てくる。


 劇作家シンシア=オーケンシエル。


 心を揺さぶる壮麗なオーケストラと、優れた役者たちによって演じられる物語は、この世における最高の娯楽の一つだろう。特にホルノスやエルヴィスでは各都市に一つは劇場があり、ここウィンダーベル家の本拠地ミッデルハイムともなれば、街中を散歩すれば小規模な舞台と次々遭遇することになる。野外の舞台などは身分に関係無く利用出来て、申請さえしっかりすればタダ同然で使えるのだから、意欲的な者たちが次々に集まって新しい演目を披露してくれる。

 ただ、この大劇場ともなれば話は変わってくる。

 観客は金を払って席に着くし、特別席ともなれば平民の一財産など消し飛ぶ金額を要求される。


 諸方から集められた果物や菓子、酒類に果実水と共に最高の位置取りで舞台を眺めていた私は、クリスに取り上げられた書類を見ながら息を付く。


「この初公演にいらっしゃった耳聡い方々なら当然の如くご存知だろうが、この物語は真実を元に作られている」


 主演の役者たちと比べても何ら劣らない、良く響く声だった。

 耳障りが良く、けれど整っているだけではない川のせせらぎのような。そして時折、濁流のような激しさを以って放たれる音が、劇場を、そこに居る人を響かせる。



「閉幕の後に物語を諳んじるなど無粋だろうが、敢えて語らせてもらいたい。


 かつて、ある少年が一人の少女の為に立ち上がった。少女は人として扱われることの無い奴隷だった。


 高貴なる血族であった少年はその立場と責任故に思うまま振舞うことが出来ず、少女もまた権利を持たない故に主張など許されず、お互いに想いを秘めたまま支えあい、混迷の世界を戦い抜いてきた。戦いの中で多くを失い、また得て来た二人はやがて過酷な運命に晒された。


 求めた夢の達成は、少女の死に繋がってしまう、という呪いのような運命だ。


 どちらかを選ぶことでしか物語は進まない。

 そして少年は、最愛の少女を見捨てることで夢の実現を果たすことを選んだ。


 このまま行けば栄光の影で少年は泣き崩れることになるだろう。


 誰かは言う。


 所詮は奴隷の命、と。

 人として認められず、金で売り買いされるだけの奴隷との恋などいずれにせよ不幸しか呼び込まない。

 少年の未来を思えばここで切り捨てることが正しかったのだ。


 ある聖職者は言う。


 奴隷とは人としての価値を聖女から認められなかった者たちだ、と。

 今日まで教えに従い、正しく生きてきた少年が過つことは避けなければならない。

 こうならざるを得なかったのは、彼を導く聖女の思し召しだろう。


 私は問いたい。


 これは是か、否か。


 この物語は悲劇で締めくくられるべきなのか。

 悲劇ばかり描く私の作品なのだからと、心の何処かで諦めて、あるいは期待して観ていた者は居ないだろうか。

 作家の訴えなど聞くべきではない。主張は作品を以って告げられるべきだ。だが今、敢えて禁を犯して言いたい。私自身が見出せずとも、どうしようもなく悲劇へ転げ落ちていく世界だとしても、そこで生きる者たちは誰もが幸福を望んでいる、と。


 この物語は真実を元に作られている。


 彼が、彼女が辿り着く結末を決めるのは誰か。


 君だ。


 貴方だ。


 貴女かも知れない。


 今、ここで起きている出来事の先に二人は居る。

 悲劇を否とするならば立ち上がれ。英雄に背負わせた先に彼の幸福などはない。あの馬鹿野郎が魅せた夢物語を本物にするのなら、この場に居る誰も彼もの力が必要だ。


 聖女に反するなどと怖れることは無い。

 そもそも件の言葉は頭のおかしな連中が声高に叫んでいたのが発端だ。

 胸に手を当て、彼女を想えば、祈りの先に力があるだろう? 浮かびあがる紋章がその証だ。彼女は見ているぞ。君の選択を。君の訴えを。君の望みを。ならば聞かせてみせよう。例え彼女に反することがあろうとも、必死の呼びかけを聖女が否定するだろうか?


 私の心は今も彼女に触れている。


 かつて世界に平和あれと願い、祈りと信仰を以って立ち向かった聖女セイラムは、私の心に触れている。


 己を偽るな。

 望みを口にしろ。

 望みを形にしろ。


 この物語を悲劇で終わらせない為に、世界を未来へ繋げていく為に。


 今日、未完のまま世に出された作品の続きを決めるのは君だ。


 誰もが世界という場で作家となる。


 描いた望みを形にしよう。

 伏線など知ったことか。

 今日、ここで、思い立った君こそが真の主人公だ。


 人は誰もが幸福を夢見ている。


 その先へ行こうと言った愚か者を、一人で行かせるような者がこの場に居るかね?」



 ゆっくりと、シンシアは手を広げていった。

 途中見せたような誰かを指し示すようなことはしない。

 息を呑む静けさの中、私はくっと目を瞑っていた。こんな無理矢理で、馬鹿げた訴え、ちょっと冷静になれば首を振る。いざとなれば配置してあるこちらの人員が拍手を始めることになっているが、劇場に埋め尽くされた手を叩く音の中で自分が何を思うのか想像がつかなかった。


 けれど、


 『居ない』と叫ぶ声があがった。

 拙い言葉で、誰よりも先に叫んだのは幼い少年だった。

 静まり返った場で皆の注目を集め、震えているように見えた。

 なのに再び、叫ぶ。


「こんなに悲しいのは、嫌だよ!!」


 優しい子なのだろう。隣に居た母親が彼の頭を抱き、涙にキスをした。

「そうだね。あんなのは可愛そうだよ」

「助けようよ。助けたいよ」

 少年の訴えは波紋のように広がって、やがて口々に希望を語った。


 幼子は力一杯、途上にある者たちは呟きのように、あるいは近しい人にだけ静かに告げて、大人たちの多くは胸に秘めつつも、誰かが具体的な話を始めればそこから議論が始まった。


 あぁ、と。


 息を落として天井を仰いだ。


 これが、かつて私が目を背けた本当の罪だ。

 そして、彼が今日まで背負い続けてきたものなのだと、ようやく本当の意味で理解した。


 玉座は血に濡れている。


 夢の対価は安くない。


 あんな子どもの純粋さすら取り込んで戦いへ駆り立てる。


 これからこの作品は世界中で公開され、シンシア=オーケンシエルの名の元に人々は集まり、熱狂し、支持するだろう。そうして各国は自国の意見を調整する。ホルノスにはホルノスの、エルヴィスにはエルヴィスの、ガルタゴにはガルタゴの検閲が入り、部分的に脚本は改変される。思うままに作品を叩きつけてきたシンシアとは思えないほど各国へ迎合した作品だ。きっと後の世で、この作品を期に彼女の評価が変わるだろう。


『私が描きたいのは後編だ。前編にも全力で取り掛かったし、ガルタゴの改変部分には腹も立ったが、まあ改変部分は後々で流せば浸透するからな』


 などと本人は言っていたが、その後編がどうなるかは本当にこれから次第。

 セイラムに支配されれば劇なんていう娯楽は無くなってしまうかもしれない。


 それでも始めてしまった。

 ホルノスがこの作品を買い上げて自由公開にしたことで、話題性に飛びつく層は間違い無く各地で公演を始める。公式の公演は続くが、むしろ非公式で改竄されたものの方が過激に人々の心を揺さぶるだろうとシンシアは言っていた。


 この流れは、穏やかに進めることも出来た筈の奴隷制度撤廃強行へ向けて大きな追い風になるだろう。


 世界を変えていかなくちゃいけない。


 立ち向かうべき大きな敵が居るから、ではなく。


 本当の意味で揺りかごが抜け出し、自ら立ち上がる為に。


「執務へ戻る前に技術班の所へ行く。新しい義足が完成したという話だからな、早く習熟する為にも受け取っておきたい」


 杖を取り、地面を踏む。

 足裏の感覚はもう無い。

 けれど断端となる膝下の感覚から、義足がどのように身を支えているのかが分かる。

 淑女の履くような靴は難しいが、いっそと無骨な長靴に履き替えると随分楽になった。最近では服装もそれに合わせているし、私は元からひらひらした服より硬いものの方が好みだ。必要に応じて姫を演じることもあるが、いい加減猫かぶりがバレてきて効果も薄い。


「それなら私が取りに行きますから、クレアさんは馬車で先に戻ってて頂いても」


 最近睡眠時間を減らしているせいでクリスは私に過保護だ。


「いや、行ったついでに身体を動かしたい」

「無理はしないほうが」

「そうじゃない」


 舞台を返り見て、胸の奥に刺さる棘を自覚する。


「思い切り動いて、この気持ちを忘れたいだけだ」


 今のこの状況でハイリアとメルトの物語を見せられるのは、正直言ってかなり辛い。

 言葉を失う親友の頭へ手をやり、私は笑った。


 辛くても笑えるようになった自分が、なんだか気持ち悪かった。


    ※   ※   ※


 私の想いは否定されたのだろうかと、悩むことが増えた。


 鉄甲杯の最中、偶然彼の姿を見つけた私は馬車の中から声を掛けた。

 役目を上手くこなせて気持ちが大きくなっていたのもあって、こんな運命的な再会はないぞと部屋へ誘った。

 決してやましいことはないと侍女たちを脇へ置いた状態だったが、久しぶりに話す時間が作れて嬉しくて、出先で飲まされた酒の勢いのまま何度も好意を口にした。あの頃の私は気持ちを伝えられること事態が嬉しくて、彼の方からしてくれた口付けの感触を何度も思い出しては愛情を深めていた。今だって思い出せば頬が熱くなる。


 けれどあの日、ハイリアは私の気持ちには答えられないとはっきり告げた。


 どうして、と問い詰めたことを今でも後悔している。

 彼に続く言葉を求めることの残酷さを理解せず、答えた言葉にしつこく食らい付いて質問を重ねた。なんとかなる気がしたのだ。彼からは間違い無く好意を感じたし、こちらを気遣う言葉を幾つも貰った。だから、いつまでも納得出来ずに、いつしか彼を詰っていた自分にさえ気付かず、縋った。

 見かねた侍女が止めてくれなければ危うかった。

 暴力的な気持ちに流されるまま彼を押し倒して、取り返しが付かなくさせればいいのだとさえ考えていた。

 最後の方はただただ怖かった。

 この話が終わればもう二度と想いを伝えることが出来なくなる。

 だから意味の無い質問を重ね、同じ言葉を繰り返し、涙を流して愛を告げた。

 別れ際には諦めないぞと駄々を捏ね、彼をまた困らせて。


 馬鹿だった。


 今あの日に戻れるのなら、完璧に淑女を演じ切って、彼が帰った後で思い切り泣いただろう。


 嘘だ。


 きっと、今を知りながらも私は愛情を受け取ってもらえない辛さに負けて、情けなく彼を詰るだろう。


 私の想いは届かない。


 それでもいいなんて言えない。


 眠る彼を見て、己を貫き死んでしまいたいとさえ思った。


 なのに私は生きている。


 両の足も無く、地面を踏み締めることも、満足に立っていることも出来ない。


「っ……、っ!」


 新しい義足は今までのものとは完全に勝手が違い、何度も何度も転んだ。

 左右に手すりを置いて、人を立たせて助けてもらっているのに、自分の体重一つ満足に支えられないのだ。

 最近は会食も増え、机に座っている時間が増えたせいで確実に太っていた。女としてだけじゃない。皆が必死に己を磨いているのに、どんどんと戦いの場から離れていく自分を強く感じる事実として、本当に辛くて仕方が無かった。


 今隣で支えてくれるのがハイリアだったら、私は情けなく泣き叫んで縋っていただろう。


 倒れこんだ私の状態をクリスがしっかり観察してくれる。

 立ち上がることも訓練の一つだから、彼女はただ支えることと怪我が無いかを見てくれている。クリスにとってもこれは負担だろう。私が転ぶのはどうしようもないとしても、支える立場にある側からすると何度も転ばせてしまうのは己の不足を感じさせる。手すり越しに私よりも小柄な女の子が、なんて、無理な話なのに。


「クレアさん……」


 つい漏れてしまったのだろう、クリスが痛切な呟きを漏らした。


「安心しろ」


 私は何を言っているんだろう。

 こんなにも辛いのに。内心ではどうしようもなく止めたがっているのに。終わることさえ考えている愚か者の癖に。


「転ぶのには慣れている。何度も何度も躓いてきた。地面に伏して、頭を垂れて、情け無い自分を誤魔化しながら生きてきた私はきっと、一生分の安寧を使い果たしたんだ」


 手すりを掴み、不安定な義足の底で地面を踏み、震える太股と腕に力を込めて立ち上がっていく。


「ハイリアはメルトを選んだ。っ、どこまでも懸命な彼には……同じだけ、懸命なっ、っ、彼女のような人が……必要なんだ」


 身を支えた。

 揺れそうになって、脚を広げた。

 転ばない為の方法だってもう沢山知っている。


「それはもう動かしようの無いことだ。あの男が何人も女を囲うとは私も思っていない。だから、私の恋は届かない。けどな……」


 心と言動が離れていく。

 挫けて泣き言を叫びたい癖に強がりばかり口にして、クリスは私の弱さなんてもうとっくに知っているだろうに、何でこんなことを言い続けるんだろう。

 

 けどな。


 何だって言うんだ。


 その先なんて無い。


 届かず、終わる。


 それだけだ。


「けどな……!!」


 私の心を無視して私が叫ぶ。


 どっちが本物なんて、誰に証明出来るのだろうか。


 義足が地面を噛む。

 今まで感覚と実際のズレが修復できなくて転び続けてきたのに、急に噛み合った気がした。

 力が溜まっていく。これまでの義足では出来なかった、地面を蹴るその瞬間まで義足自体が力を溜めるということがコレには出来るのだと初めて気付いた。いや、説明を受けていたのに分かっていなかったし、上の空だった。変な形だとばかり思っていたし、長靴で取り繕った不恰好さもコレでは無理だと内心で不満だった。


 想いが反転する。


 溜まった想いが己を解き放つ、その瞬間へ向けて、


「彼が望んだんだ。もう何も出来ない、立ち上がることも出来ない筈の私に向けて、再び立ち上がれと望んでくれたんだ。だったらさ、この頑張りだって、この想いだって、彼に届くんだ……!! それが最後になるのだとしてもッ、二度と受け取って貰えないのだとしてもッ、私は――――」


 まだ。


 まだ、終わっていない。

 終わりの見えた道だとしても、私はまだ途上に居る。


 だったら全力で駆け抜けろ。


 自分を磨り潰してでも進んでいけ。


 立ち止まって様子なんて眺めていたら、彼はあっという間に遠くへ行ってしまう。


 私はあの日の約束によって立ち上がった。

 ならば、決まっているじゃないか。



「彼の望んだ戦場を、この脚で駆け抜ける! その時まで、その終着点へ辿り着くまでッ、私の恋は終わらない……!!」



 地面を蹴った。

 解き放たれた身は手すりを置き去りに駆けて、呆気無く壁へぶつかった。

 派手な音がしたからか、外で待機していた者たちまで血相変えて様子を見に来た。


「大丈夫ですか!?」


 クリスが駆け寄ってくる。

 その様子を見て、ようやく私は気付いた。


「は、はははは――――!!」


 ぶつけた額は痛かったけど、沸き立つ心が抑えられなかった。


 皆して唖然とする中で私は笑い続け、はじらいも無く手足を伸ばして叫んだ。


「見たかクリスっ、皆っ! 私は今、走ったぞ!! ずっとずっと出来なかったんだ! 何度やろうとしてもうまく行かなくて、あぁいや今でもすぐ壁にぶつかったんだが、それでもあそこからここまで私は走ったんだ!! はははっ、走った、走った……。たったそれだけが出来なかったんだ……!! でも、出来たんだ!!」


 本当に、当たり前のことさえ私は出来ないんだ。


 でも、出来るようになっていく。


 いつか限界は来るのかもしれない。


 どうしようもなくて、泣き叫ぶ自分を曝け出して情けなく縋るのかもしれない。


 彼への想いだけでなく。


 こういうことを、一生続けていくんだ。


「ははっ、今なら何でも出来そうだ。あぁ、ヨハンに代わって私が世界で最強の剣士とやらになってやろうか。そんな顔をするな、言うだけなら自由じゃないか。私はハイリアを愛している。彼も再び戦場に立つ私を見れば、その凛々しさに惚れ直して自分から嫁になってくれと頼み込んでくるかもしれないだろう?」


「………………もぉぉぉぉぉぉっっっっ!! クレアさんは滅茶苦茶ですっ! もぉっ、もぉ!」


「牛になったクリスは可愛いな。安心しろ、そうなったら条件にお前を第三夫人にしろと言ってやる。オフィーリアとセイラが言っていたが、アイツはかなりの性豪らしいからな、一人じゃ身体が持たないだろう? お前と家族になるのも悪くない」


「っっっ!? しりません!!」


 真っ赤になるクリスを堪能しながら脚を揃えた。

 地面に座りっぱなしは行儀が悪いんだが、手すりがないと自分じゃ立ち上がれないんだから仕方ないだろう。

 

 私は素直に手を出して助けを求めた。


「ほら、引っ張って起こしてくれ。クリスが居ないと満足に立てもしないんだぞ、私は」


「甘え上手ですよね、クレアさん。ホント、貴族のお嬢様って感じです」


 だろう? と笑う私の手を掴み、引っ張り上げてくれる。

 見た目よりも力のある彼女へしがみ付くと、耳元へキスをして囁いた。


「いつか三人でしてみるというのも面白そうだ。私はクリスとなら全く問題ないぞ?」


 ついでに耳たぶを噛んでみたら本気で怒られてしまった。


 真っ赤になって震えていても、突き放したりはしないから、結構彼女の事は好きなんだ。


    ※   ※   ※


   フィオーラ=トーケンシエル


 「こォら洗い物は決まった場所に出せっていつも言ってるでしょおお!!」


 近衛兵団での手伝いというか、雑用全般を押し付けられる刑は未だに続いていた。

 まあ、びっくりするくらいお金くれるし、申請してた補充が来たおかげでかなり楽になったけど、それでもコイツらは好き放題に振舞うから面倒が絶えない。


 最初は怖かったし、遠慮もしてたけど、もう我慢するのが馬鹿らしくなったから容赦無く叩き付ける。


「ンなことよりよー、腹減ったぜ早く作ってくれよ」

「私が十日も前に出した張り紙読まなかったのっ!!」

「俺文字読めねえし」

「読めるとか読めないとかは関係ない! あれはもう団長から承認貰ったから! 団規だから!」


 山中とか戦場では異常なくらい生活力を発揮する連中が、街中に留まると途端に使えない駄目集団に早変わりする。

 非常時もとは言わないけど、拠点での決まり事くらい守ってくれないと世話をするこっちだって倒れそうになるのよっ。


「洗濯物は決まった場所へ出す! 守れない者は一日食事抜き!! ハイ貴方は食事抜き!!」

「おいおいそんな横暴あるかよ!? 前は部屋の前に置いときゃ持ってってくれたじゃん!?」

「一々全部回って回収するのが大変なの! アンタら装備まで纏めて出すから重いの、備品の管理は別でやってるって前も言ったでしょ!!」

「分かった。分かったから、アネさん許してよ。ほら、洗濯物はどこだったかな、えーと、あそこだな、あそこ……どこ?」


 持ってる洗濯物を顔面に叩きつけて指で示す。


「あっち! ほら行ってくる!!」

「はぁーい」


 荒くため息をついて視線を他へ。

 作業全般はもう補充の人に任せられるけど、言う事を聞かせるのは私しか出来ない。だからいつもいつも怒鳴ってばっかりで本当に疲れる。ハイリアのこととか、メルトのこととか、もっとやりたいことはあるのに夜しか時間が作れないんだから。


「アネさんいいよな、俺も叱られたい」

「田舎の母さんを思い出すな、あの叱りっぷりは」

「あー、うっかり洗濯物に短剣そのまま入れちゃってたやー」


「新人が怪我するでしょうが死ね!!!」


 現実的に家事を回さなくちゃいけない時にだらしない奴を、もうしょうがないんだからぁ、で許してあげるのは弟か妹だった場合に限るからねっ!!

 結構若いのも居る近衛兵団だけど、毎日何をしてるかも分からないのが勝手に出入りするから余計に面倒なのよ。


 そりゃあ、ようやく顔と名前覚えた人が急に居なくなったら不安にもなるけど……というか金髪のレイクリフト人とか本気で嫌だったのに、ここで怒鳴り散らしてる間にもう何がなんだか分かんなくなってきちゃった。

 私が男と接触するのが駄目なのはハイリアが伝えてくれたおかげか妙な軟派はないけど、洗濯物とか普通に触ってるし……。


 夢中になると、意外とどうでも良くなるのかもね。

 私が単純だからっていうのもあるだろうし、やっぱり不意に近くに立ってるのが分かると鳥肌が立つんだけど。

 仕事だ仕事と割り切れば、なんとか動き続けられる。


 全体の動きを把握して、予定を組んで、休憩とかも取らせて、仕事を回させる。


 なんでフーリア人の私が一番偉そうにしてるのか、たまに分からなくなってくる。


 反発して手を抜くのも居るけど、意外と向き合ってくるのも居る。

 ほんと、よく分からなくなってくる。


 私たちのこと、平然と切り捨ててくるのも居れば、こういうのも居る。


 結局人それぞれなんだ。


「あとは……あれ、また食事に来てないんだ」


 二度三度と食べにくる馬鹿が居るから名簿制にしたんだけど、いつも顔を出さないのが居る。

 勝手に何処かで済ませてくるのも居るし、任務だかなんだかで居ないことも多いけど、あの人は今朝方姿を見た。

 丁寧に折り畳まれた洗濯物がいつも籠の一番下にある。訓練に参加するでもなく、いつも丘の上にある偉い人の館を眺めてぼうっとしてる。


 変な人の多い近衛兵団だけど、あれはとびきり変だ。


 たまに顔を出すカウボーイハットの男の子とか、育ちの良さそうな赤毛の女の子が話しかけてるのは見るけど、あまり人と居た覚えが無い。

 ううん、ハイリアのとこの友達がやってくることもあったか。

 でもやっぱり、半時と続かず帰っていく。


 ま、なんか事情でもあるんでしょ。


 仮面なんか付けて顔を隠してるから、どっかの偉い人かなとも思う。


 振る舞いなんて凄いもん。ツンと澄ました時のメルトよりもお堅い。


 誰だかは知らないけど、誰もなにも言わないんだから、私がどうこうすることでもないしょ。


 ただし、食事の有無は問う。

 いつも居るから用意はしてるんだもん。

 無駄にされたら……まあならないんだけど、誰か食べるから。だけど、毎度食べに来ないのはちょっと腹が立ってくる。


 適当にバケットと瓶詰めのミルクだけ持って出る。


 詰め所の裏側、あんまり使われない外の休憩場所にあの人はいつも居る。

 目元から後頭部までをすっぽり覆う、劇の小道具に出てきそうな仮面を付けて、今日も彼は風に揺られていた。

 黒の仮面から出ている髪は長く、片側で纏めて肩越しに垂らしている。金髪……目は見えないけど、レイクリフト人。多分。肌の感じとかそれっぽいし。率先して近寄りたくはないんだけど、だったらなんで来たんだよって思うから、近くまで行ってかごを差し出した。


 振り返ったその顔が、少しだけ硬直する。

 理由も分からないまま私は腰に手をやってふんずり返る。


 本当はここまで面倒なんて見なくていい筈だ。


 なのに、どうしても構ってしまう。



「こら。食事はちゃんと摂りなさい。残すなんて、作ってくれた人に失礼でしょ!!」



 きっと彼が、いつか家で面倒を見ていた男の子に、とても雰囲気が似ているからだ。







  第四章下《完》

ご感想など頂けますと励みになります。

五章の開始前に短編挟んだり改めてのキャラ紹介を掲載したりする予定です。

本編の更新には今しばらくお待ちください。


また、ここまでで多くの方から誤字報告をいただいております。

この場にて、日ごろの感謝を述べさせていただきます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] フィオーラ姉さんそのバカ真面目を解かしてやって!
[一言] 仮面の人の世界ではやっぱりフィオーラは亡くなってるんですよね、たぶん…… ハイリアの帰還を楽しみにお待ちしてます
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