193
シンシア=オーケンシエル
さあ物語を綴ろう。
終末へ向けて動き出す、絶望の物語を。
結局彼はハイリア=ロード=ウィンダーベルという男だったのだ。
ヒーローにも成り切れない男が、ましてや救世主など悲劇の看板にしかならないようなものを背負ってしまえば、小さな躓き一つで全てを失ってしまう。
彼は最初、一人の少女を救おうとしただけだった。
身近な誰かが悲しんでいるのが嫌で、何か出来ないかともがき始めた。
なのに足掻くほどに誰かを巻き込んで、失わせて、苦しみを世界へ広げていくだけだった。
そういう星の元だったなどと描きはすまい。
ただ、どうしようもなく転げ落ちていくものなのだ。
幸福は贅沢品だ。
当たり前に享受しようと思えば歪みが出来る。
彼はその歪みを一身に集めようとするのだから、悲劇を辿るのは自明の理。
なら求めるべきではないのか。
否。
断じて否だ。
この世は悲劇で溢れている。
だが幸福を求める心を否定することは誰にも出来はしない。
たとえ世界を燃やし尽くしたとしても、何かを想う心には価値がある。
私には成功した未来が見えない。
だが先行きが見えないことで足踏みをしたことなど一度も無い。
結末を描かず終わった物語など一つとして無い。
すべての結末に価値がある。
悲劇であれ、絶望であれ。
それでも望める限り、希望を目指すのだ。
高慢な批評家たちを蹴り飛ばし、最高のハッピーエンドへ向けて突き進もう。
再抽選を。
見渡す荒野の向こうで全てを託して倒れ伏した少年が居る。
託された者たちを敵として、全てを踏破しようとした男が居る。
落ち窪んだ空から伸びる無数の手を思えば、世界の終わりを受け入れるしか無いのだと納得してしまいそうになる。
未だ成功する場面なんて思いつかない。
夜立を託した王も疲労困憊で動けない。
最後の最後で、お前もやってみせろと押し付けられた時、確かに震えを覚えた自分が居る。
どうしようもなく悲劇を描いてしまう私が見た可能性に呑まれてしまう、そんな未来を見た気がした。
それでも、一つだけ断固として言える事があった。
恐怖に駆られるだけでは見えなかった、当たり前の真理。
彼の姿は遠巻きながら見えた。
青さの抜けた精悍な顔付きから言って、今のハイリアより四つか五つ、もしかしたらもっと年上だっただろう。
「ふざけるなよ」
笑った。
高慢に傲慢に決め付ける。
かくあるべしと、そうであろうよと、世界へ向けて宣言する。
彼は降ってきた半月へ手を伸ばしたのだ。
さる少年が己の全てを懸けて、願いを込めて打ち上げたの一振りを事もあろうに掠め取った。
それだけだ。
それだけがどうしても気に食わない。
それだけは絶対に間違いだと宣言する。
夜立を抜き放つ。
きっとコレが最後。
乱用しすぎたせいで芯が歪みかけている。
鍛え直したとしても同じ性質にはならないだろう。
だけどあと一回だけ私の訴えを聞いてくれ、兄さん。
さあ、もう一度始めよう。
「天へ向けて手を伸ばすのは、いつだって少年少女の特権さ」
あるべき人の元へ。
願いの行き場を違えるなんて、悲劇の始まりにしかならないことくらい、誰だって知っているだろう?
そして、
彼ではなく、
ましてや世界を喰らい尽くす女などではなく、
伸ばしたその手が掴み取る。
さあ、ハッピーエンドを始めよう。
抜き放ち――書き換える。
想いの所在一つ、たったそれだけで世界は変わるのだと証明しよう。
そして見た。
「………………ぁー、うん? 失敗した、か?」
天へ手を伸ばして想いを掴み取ったのは、なんかよく知らない少年だった。
※ ※ ※
セレーネ=ホーエンハイム
駆けていく、というよりは転がりそうになるのを耐えて耐えて勢いのまま滑っていった感じだった。
アレはハイリア様の大切な武器だから、例え同じ人であっても託された方が受け取るべきだと私も思う。
だけど私が見付けた時にはもう遠くて、助け起こしていたアンナががっちりしがみついてるから動くに動けなかった。
彼は、一目散に走っていた。
元から変な所で必死になる人だから、あの衝撃を受けながらも目に入ったハルバードをずっと追いかけていたんだと思う。
締まらないのはあっちの黒ハイリア様にびびって腰が抜けた瞬間に石へ足を引っ掛けて姿勢を崩した辺りから。
大慌てと半泣きと必死がごちゃまぜになった顔で、最終的には身体をくの形にして飛び込んで、掴み取った。
「っっっっっっだあああああああああ!?」
素っ頓狂な声を上げながら、フィリップさんはハイリア様のハルバードを抱えて逃げてくる。
飛び掛る時はあんなにギクシャクしていたのに、逃げる時だけ物凄く綺麗な走りっぷりだった。
落ちてきたハルバードを掴み取ろうとしていた黒ハイリア様はぼんやり(顔見えないけどっ)それを眺めていて、すんなり降ろした手を軽く握った。
綺麗な姿勢で仲間の中に逃げ込んできたフィリップさんがハルバードの石突きを地面に付けて、すっごくやりきった顔で息を吐く。
今起きた出来事を私は完璧に理解出来てない。
ただ、さっき間違い無くセイラムが湧き出してきてた。
なのに直前の景色がまた始まったかと思えば、石ですっ転んだことでフィリップさんが今回は間に合った。
もう一度……ううん、時間が戻ったというより、瞬間的に枝分かれした場所からの、ある筈のない記憶が勝手に思い起こされたような感覚だ。夢から醒めた時みたいに、そこでの相違点なんかすぐに曖昧になって薄れていく。もう印象に残っているのはフィリップさんの奇行だけだ。
不可思議な現象なのは当然あるけど、だけど、
なんかこう……、
「なんかさっきから、フィリップさんが黒ハイリア様に対してジョーカーじゃない? 変な所で効果上げてない?」
「ええ!?」
本人が一番驚いてるけどさ。
「ついでに聞くけど脚の骨折って大丈夫なの? 『騎士』ありきとはいえ普通に走ってたけど」
「あ――うぎゃあああああ!?」
なんか夢中で忘れてたらしい。
痛みに泣き叫ぶフィリップさんは大丈夫だ。最近は松葉杖も無しに歩いてたし、川遊びだってしてた。最後のは私から引っ張り込んだんだけど知ったことじゃない。まあ歩いたり水の中は平気でも、走るのは痛みが出るのかも。
「というか、さっきのなんだったの……セイラム? あれが? いやそもそも夏までは出てこないって……」
ついそれを話していた人を振り返って、見えた光景に言葉を失う。
分かっていたのに、現実に見れば息が苦しくなって仕方が無い。
どっちだろう、なんて……ズルい私は考えてしまう。
今、私たちを支えて倒れ伏したハイリア様を見るのが辛いのか、それとも当たり前にそこへ寄り添って、一緒になって意識を失っているメルトーリカを見るのが辛いのか。
どっちでもあるんだろう。
だけど、出来る事なら前者だけであって欲しかったとも思う。
「ハイリアは、どうなったんだ……?」
誰もが口を噤んでいることへ、フィリップさんはあっさりと踏み込んで聞いてしまう。
答えられずいる私を見て、しまったって顔をするけど、別に怒ったりはしてないからそんなにうろたえなくていいのに。
こういう時、一番状況を理解してる子が誰か、もう私は知ってる。
自分の意見を持ちながらも、彼女の言葉を誰もが待つ。
栗色髪の、くりくりした癖っ毛の少女が、息を吸った。
※ ※ ※
クリスティーナ=フロウシア
整理を終えた。
思考を整えることは頭の中に書棚を作るようなもの。
段ごとにテーマを決め、関連する知識を既存の書棚からも送り込んでいく。
関連度の高いものはポップを貼り付け同じ段で管理すればいい。一番難しいのはここから。自分にとって管理のし易い状態が、人にとっても受け入れやすいものとは限らない。多人数に向けてとなると更に難しい。
インプットは個人で出来る。
だけどアウトプットは自分以外が絡むから難解だ。
今の状況、まず示すべきは何か。
示したことで起きる変化を調整しなければ無駄に話が長引いてしまう。
何よりセイラムが湧き出すという異常事態が発生した状況から、未だ脱しているとは言い切れない。セレーネさんの言う黒ハイリア様との戦いの継起にだってなり得る。可能なら場を仕切り直して話をしたいけど、現状では難しい。
どうするか。
私はここが苦手だ。
自分の理解で精一杯になる。
整理は出来ても的確な手段のチョイスが出来ない。
今現在までに起きた出来事の分解、理解は出来ても、そこからの予測が苦手なんだろうと、随分前から自覚してる。
でも今、期待されている自分を感じる。
何よりハイリア様が倒れている今、直属の部下である私が代理を務めなくてどうする。
息を吸った。
「ハイリア様」
黒の甲冑を纏った、もう一人の彼へ呼びかける。
沈黙していたその顔が少しだけこちらを向く。
「今の、他世界からの一斉干渉が始まったのはアナタが原因と考えられます。目的はどうあれ、原因がはっきりしない間は迂闊な行動は控えて下さい」
すると私を見ていたセレーネさんがいつもの調子で質問をくれる。
「一斉干渉ってどういうこと? やっぱりアレはセイラムなの?」
「はい」
調整する。
「セイラムそのものを知らない私たちでは断定が出来ませんが、アレは私たちが討とうとしていた存在で間違いはないと思います。ですけど、アレは私たちの世界におけるセイラムではないんです」
夢から醒めたように薄れていく二重の記憶を繋ぎ止め、言霊として刻み込んでいく。
言葉にすれば忘れない。だけど、私の心が拒絶するように喉の奥が震えた。
「たった今私たちが目にしたものを思い出してください。あちらのハイリア様が半月を掴み取った世界と、フィリップさんの掴み取った世界の二つを私たちは見た筈です。私たちがソレと理解出来ていないだけで、もっと色んな可能性が、それが起きた世界がある。当然そこには私たちが居て、ハイリア様も居て、セイラムも居る」
様子を伺う。
理解が追いついていないなら再調整が必要だ。
だけど目にしたばかりだからか、二つの可能性、という点では納得までとはいかないなりに、独自の理解をしている様子があった。
「セイラムには異なる世界に干渉する力があるのでしょう。困難の度合いを正確には理解できませんが、根本的に遥か過去から現在へ干渉しているくらいですから。時間を越える条件が縁であるなら、同じように他世界が今ここのセイラムとの縁を持てば、あるいは何らかの道が出来れば、彼女は干渉してしまう。あの無数の腕で」
「それで、君は何が原因であの一瞬が無数の他世界と関連付けされたのだと考えている?」
黒の甲冑の内側から掛けられた声が少しだけくすぐったい。
最近はすっかり力が抜けて、というかたまにおちょくられてることくらい私にだって分かるんですけど……最初の頃みたいな声がして、懐かしくなる。
年嵩が違うからか、経てきた時間が違うから、同じ人の声という印象はちょっと薄い。だけどこういう時の反応は、声に含まれる印象は、やっぱり近い。
彼は私の目に浮かんだ何かを完全に無視して先を促した。
えぇ、分かっています。
例えこうなる前であっても、貴方は私たちを敵と認めてくれたんですから。
必要と感じるからこそ会話に応じて、質問もしてくるけど、敵意は全く薄れていない。
だから最初に貴方の動きを封じる必要があった。
その程度の恣意的な誘導、もう見抜いているんでしょうけどね。
「まず一番大きな原因として、半月……今フィリップさんという方の持っているハルバードの所在でしょう。貴方が手にした瞬間、明らかに大きな力を感じました。そこへの干渉が一つ」
だから正直に示す。
下手な誤魔化しだけじゃ駄目だ。
その上で封じる手を打つ。
妥当性のある解釈の内、信用しても、されなくても、一定の重きを置かれる話が理想。
「次に私たちへの明確な敵意、と言いたいところですけど、それは今も変わりませんよね」
動かない甲冑が何よりも雄弁に語る。
「でしたら、貴方が強力な、これまでとは違う力を手に入れて、私たちへ強い敵意を持って戦い、そして誰かを殺すという未来が確定する。この誰かの死が関連している可能性は考えられませんか?」
「殺すだけなら今の状態でも変わらない」
「えぇ。ですけど、本当に出来ると思いますか?」
沈黙。
ですよね。
だって私たちは、貴方の見せた最大の火力を前に生き残っている…………と言えるほど思いあがってはいないんですけどね。
あの力について完璧な理解が及んでいるかは分かりません。でもハッタリを重ねてでも納得させなければいけない。ここでの勝敗だけでなく、今し方見たばかりの、空の窪みが出現する危険はまだ続いているんですから。
「最後の瞬間、この一帯を吹き飛ばす筈だった破城槌を消滅させていましたよね。巻き起こった突風や周辺から撒き散らされた衝撃だけでも相当なものでしたけど、直撃していたら流石にこうして話している体力も残っていなかったと思います。あの一撃はハイリア様でも……しばらく寝台から起き上がれなくなるほどでしたから」
「では誰かの死亡は直接原因ではない、とするべきではないか」
戦う選択肢を無くしてしまえば、こちらの思惑へ乗る形になる。
だから余計に反発を見せる。試してみようかと言わんばかりに武器を持ち上げて見せて、挑発してくる。
今示すべきなのは何か。
戦うことは危険だ、ということに納得してもらうのに、可能性を論うことに意味があるだろうか。
否だ。
考慮には入れても別の打開策を探られてしまう。
なら応戦を。現実的に戦うことのリスクを提示する。目的の為には対セイラムに向けて温存していたい筈の彼に、高くつくぞと示そう。
「いいえ。例え破城槌降下の衝撃に耐えられなかったとしても、次を成立させると思いますか? さっきの破城槌消失を否定しなかった時点であの大規模な魔術の仕掛けはわかっているんです。アレは、貴方が率いていた『機獣』たちの扱う魔術を代理操作し、遠隔で破城槌降下を成し遂げていただけです。『槍』の魔術は上下への伸びは良くとも、横へ広げることは出来なかった。例えイレギュラーが絡んでいたとしても、打撃の加護といった基本的な力をそのまま使用している時点でセイラムの魔術であることに変わりはありません。制約は存在する」
エルヴィスの貴族、ワイズ=ローエンさんより齎された情報を考えれば更に分かり易い。
破城槌の設置位置の偏り、あれはそのまま『機獣』の確認されている地下坑道の分布そのままだ。
西部に集中していたのも、地上へ溢れ出した後で最も密集していたのが西にある貴族街だったから。
最たる理由は、吹き上がった魔術光は彼の黒色ではなく、通常の『槍』と同じ青だった。
あの瞬間に理解出来なかったことが痛恨ですらあるほどの情報です。
「ハイリア様は以前から他者の魔術を借用して扱う技術を使用していました。それは相手の魔術へ干渉していることと同じです。横から力を掠め取るか、力の流れそのものへ割り込んで操作するか……セイラムが術者の力の上下を操るのと原理は同じです」
「あの異形相手にそんなことが出来ると何故思う」
「だって『機獣』を呼び寄せているのは貴方ですよね?」
ハイリア様の話だと、あんな化け物が出てくるのは予想外だったそうです。
どんな可能性を考慮したとしても、完全に想定外。
ですけど、下地だけは存在している。
運命神ジル=ド=レイルに力を与えられたセイラム、その聖女と強く繋がるフロエさんの持つイレギュラー能力『機神』と。
憶測も憶測だ。
デュッセンドルフ魔術学園地下に存在するという巨大な祭壇、そこに描かれていた運命神と思われる壁画と、セイラムの力の根源と思われる歯車の翼持つ竜という存在。
私の知る国々の歴史上に残されていないだけで、もっともっと古い時代に、聖女が現れるより前に信仰の対象として存在していたのかも知れない。
ありえない、なんて思考は愚かしい。
だって、新大陸は存在したのだから。
「同じくセイラムとの強い縁を持つ貴方なら、例えば運命神の眷属らを呼び寄せて使役することも可能なのではないかと、そう予想しました。第一、『機獣』の扱う魔術は『槍』ばっかりです。セイラムに縛られていた以前の貴方を縁にするなら、どうしてもその力が流れ込むのではないかとも思います」
私の予想に彼は沈黙を選ばなかった。
駆け引きによって強打を返してくるのではなく、単純に、感心するように。
「以前の、か。なるほど、皆が君の言葉を待った理由が分かったよ」
胸の奥がツンとなる。
否定されなかったことがとても悲しい。
評価されたことがとても嬉しい。
嬉しいのに、彼の敵意はどうしても和らいでくれない。
むしろ警戒が強くなる。
覆い隠すことに慣れた人だから、拒絶の気配を感じるのだって難しくなる。
私は自分の頬を指差した。
「だって影、今はもう揺らいでいませんから」
「そうだな。以前はここに居ることさえ確定出来ていなかった。しかし、今はもう」
彼は一度死んだ。
自らの起こした破城槌降下の破壊によって粉砕され、消え失せて、そして再びここへ立った。
死んで、生き返ったからって、悲しいことがあった事実は消えないのに。
嘆く時間はない。やるべきことがある。
無言で先を促す姿に私は言葉を続けた。
「まず、自身をセイラムによってここへ呼び出させ、続いて自らを縁として『機獣』を召喚……呼び寄せる。あの生物は四柱とは違ってちゃんと死ぬんです。苦しんで、血と肉をぶちまけて死ぬ。肉を持ってここへ現れた『機獣』たちはそもそもセイラムによる召喚物ではありません。貴方を基点として呼び寄せては居るけど、肉を持っているのなら消えることは無い。だから、一度自分を殺し、ラ・ヴォールの焔を一緒に破壊した上で『機獣』たちに自らを逆召喚させる。肉を持った存在に呼び寄せられた貴方は未だ召喚物に過ぎないけれど、過去から手を伸ばしているセイラムとは違い、今ここに存在を確定させた……ある意味で『機獣』らの神として君臨している」
セイラムによって召喚された状態の彼は、ここには居ても容易く消え失せる召喚物に過ぎなかった。
実体は別にあり、魂だけがやってきていたような曖昧な状態。
でも彼はセイラムの魔術だけではない何かを用いてここへ血肉を持った『機獣』を召喚した。他の三柱とは違って揺らぎを持っていたのは、セイラム以外に強固な縁を持っていたからかもしれない。それでもまだ彼はセイラムの眷属に過ぎず、力の主導権はセイラムに牛耳られていたことでしょう。
ラ・ヴォールの焔はセイラムにとって現代に残る特大の縁であると聞いています。
だからあの破城槌降下へ巻き込む形で破壊し、それを断った。当然眷属らは自らを持たせている繋がりの道を押し潰されたことになり、消え失せる。
ところがハイリア様が召喚した『機獣』たちは違う。
あの存在は血肉を持って今ここに居る。
召喚者が消えた所ですでに己を構成する全てを持って来ているのだから、道が閉じた所で消えることは無い。
そうしてこの地に根を張った『機獣』らが、なんらかの縁で以ってハイリア様を逆召喚すれば、彼はセイラムに繋がれることなく今の世に出現出来る。
セイラムだって信仰によって人々の精神を調律し、魔術という形で影響し、あろうことか肉の器へ入り込むことで再臨を果たそうとしている。
魔術によって生み出され、私たちが当たり前に握ってきた武器がどういうモノなのかは未だに分からないけれど、ここに居て、生きて死ぬことの出来る血肉が必要なのではないかと、考えていて思った。
四柱という形で人を呼び出している以上、形さえ整えてしまえば誰だって本来は異なる時代へ召喚されるのかも知れない。
「『機獣』は貴方を信仰、あるいは信頼している。だから、そういう状態なら魔術の操作だって出来ますよね? 加えて言いますけど、ここを直撃する筈だった破城槌は消したんじゃなくて、消えてしまった。必死に斬りかかるヨハン先輩やバ火力のクラウドさんを相手に自分の効果範囲内へ収め続けることが出来なかったんですよ。残る四十九だって、本当は全部落ちたのかすら怪しいものですね」
冷静に、物事を丁寧に紐解いていけば相手の実状が見えてくる。
途方もなく強大に見えたピエール神父ですら、ハイリア様の元で分解すれば本当の姿が見えてきました。
貴方はきっと物凄く強い。
ここまで見せた戦いなんて比較にならないくらい、本来ならあっという間に飲み込まれるしかなかっただろう力の差がある。
だけど、完璧な存在なんかじゃない。
皆が必死に動く中、降りかかる破城槌や、戦場を観察していた私は知っている。
それに私たちは、貴方が敵と認めるほどの相手なんですよ。
だったら、何一つ出来なかったなんて思わない。
私たちを支えてくれたハイリア様のように。
あの足掻きには意味があった。
「それで、何が言いたい」
「話が伸びるだけだ、分からないフリは止めようや」
そっと息をつく。
原因の特定には至っていないけど、現状は説明出来た。
ハイリア様がもうセイラムの眷属ではないこと。
『機獣』とは浅からぬ縁を持っていること。
私たちとの対立によってあのセイラムの流入が始まる可能性が高いこと。
戦いが始まったとして、対抗手段を取れるだろうということ。
これだけ分かればバトンを渡せる。
前に出てきたのはジンさんだ。
※ ※ ※
ジン=コーリア
「あれだけ感情論を否定して小気味良い屁理屈並べてたんだ、安易に否定なんかするんじゃねえぞ」
黒の甲冑に身を包む、もう一人の長へ向けて手早く答えを宣言する。
時間を掛ければまたぞろ理論武装を固めて妙な言い訳を引っ張り出してくる。
頑固な奴だ。
あぁそれだけは、どっちも変わりやしないんだからな。
「手を組もう。お互いの最優先はたった今一致した筈だ」
セイラム、と予測されるあの馬鹿げた声の主たち。
女のヒステリックほどおっかないものはねえ。それが集団になって襲い掛かってくるんだ、あのまま行けば間違い無く全滅、成す術無く蝕まれて何もかもが終わっていただろうな。ぶん殴ってどうにかなる相手なら手はあるが、ありゃあ殴られても大喜びする性質の悪さがあった。どんだけ黒の魔術光から生み出される破壊が大規模なものであろうと、都市一つ分程度に収まるようじゃハイリアにだって抑え切れないだろう。
支配を受ける、受けないは別として、まずあんな事態になるのを回避しなくちゃ戦ってもいられない。
ましてや理由の一つに、俺たちとの衝突が考えられるなら尚更だ。
「手を組む必要は無い。相互に不干渉としておけば十分だろう」
「おいおい、そりゃあ自分が支配を確立したらって所まで続くんだろう? 俺たちは干渉するぞ、お前に一方的な幸福なんて受け取らないって言ったばっかりだ」
「事態の深刻さを理解するのなら大人しくしていろ」
「断る。お前が逃げるなら危険と知りつつ俺たちは追う」
「それならばこちらも危険を承知で蹴散らすまでだ」
お互い本気じゃないが、望まない状態を受け入れるくらいなら共倒れしてやる、と。
コイツは元の場所で俺たちを失ったんだったな。
そういう記憶があるから余計俺たちを受け入れられない。
敵として向かい合うだけでも大きな負担だったろう。それを仮宿としても手を組むなんて耐え切れない? いや、そんなヌルい考えだけなら苦労は無い。薄れない敵意からしたって、俺たちを強く意識してるのは確かなんだ。だったら、危険視している?
そして急に繋がる。
あぁ、確かに違和感だったんだ。
『機獣』という存在。どこから湧き出したんだってのは置いといても、なんでコイツがあんなのと縁を持っているのかって。
理由も放り出して良い。くり子ちゃんが考えるだろう。だから俺が見るべきなのは、『機獣』がハイリアを頼っていて、コイツがそれを受け入れているという事実。
「『機獣』はどうする。いや、そっちがどう呼んでるのかは知らんけどさ、もう血肉を持ってここに居るのなら、アレの居場所は常に戦場になるぞ」
殆どの国が『機獣』をセイラムに関連付けて考えている。
いずれ受け入れることがあったとしても、今はまず敵として処理しようとするのは明白だ。
物珍しい『槍』の魔術を扱う獣、見世物としちゃあ上等だ。膂力や加護は厄介だが、全く手段が無い訳じゃない。でなけりゃ今日まで囚人をどうやってきたんだよって話になる。
『機獣』は民が居る街中だからこそ脅威だったが、仮に平地で戦いになれば所詮デュッセンドルフに収まる程度の数、遠からず全滅させられるだろう。
近衛兵団を振り回して戦っていたからこそ分かる。
アレの特異性は厄介だが、イレギュラー能力者や四柱の術者のようなとんでもない力はない。
それを理解した上で、更に弱点を突いていく。
「あんたの所は知らないけどさ、こっちのウィンダーベル家は思ってるほど磐石じゃないんだよ。まず嫡男を除名して、現行のホルノス王と内乱で対立したことで国内で手の届かない部分も出来てる。当然後継者になるアリエスちゃんだって上手く纏めてるけどさ、お前が何年も掛けてやってきたことを思えばたった半年で掌握出来る筈もないことくらい分かるだろう? だから、今取り込んでるウィンダーベル家を協力させればなんとかなるってのは甘いよ。だけどこっちに協力するのなら守ってやれる。あんだけの異常事態を皆して目にしたんだ、恨みはあっても一時的に匿うくらいは出来るだろう」
幸いにもアンタは顔が割れてないしな。
ここで動いてる連中だけならなんとかなる。
『機獣』についても場所を用意できれば手はあるだろう。
「いい加減正直になれよ……仲間を失って、もう誰も苦しませないようにって一人で戦うことを決めていながら、アンタは結局また何かを背負っちまってるってことを」
細かいことなんて知るか。
でもお前のやることはそれなりに分かる。
別人なんだとしても、だ。根っこの部分でやっぱりお前らは似ているんだよ。
見捨てられなかった。そいつが偶々、目的と手段が一致して利用する形を取っている。
そういうことなんじゃねえのかよ。
「なあ……おい」
以前じゃありえなかったほど気楽に、乱暴に、強引に言葉を放る。
なのにコイツは結局、首を縦に振ろうとはしなかった。
頑なに、そうなる自分を堪えていた。
どうして……。
重たい腹の内を吐き出して、肩を竦める。
俺に出来るのは、俺が有効なのはこの辺りまでか。
視線を送る。
多分、この先はアンタが一番だと、俺は思うねぇ。
※ ※ ※
ダット=ロウファ
鉄の鍵爪で腹の内を抑え込まれているようだった。
彼の放った一言は、それだけ的確に俺の自分勝手さを、弱さを貫いていた。
他人を自分の弱さの隠れ蓑にして、自分が欲しかった言葉を贈っていく。
俺がやっていたことなんてその程度だ。
誰かが救われたような顔をするのを見て、自分も一緒に救われていくような気分に浸る。
中身の伴わない形骸を必死に磨いている自分を知る度、焼かれるような想いで沈黙し、周囲へ溶け込んで身を隠した。
本当に誰も彼もを支えたいのなら前へ出るべきだった。
問題や苦悩を抱えている者へ積極的に係わり、荷物を受け取ることだって出来た筈だ。
彼のように。
なのに俺は彼の影に隠れ、向けられる信頼に甘えて自分の居場所を確保した。
重責を負うでもなく、覚悟を決めて声を上げるのだっていつも遅れている。
ジンがこちらを見て、さあ行けよと訴えてくる。
ほんの半時も前ならば躊躇無く出て行けた筈が、踏み出そうとした一歩が固く、地面を離れない。
けれど今は後悔に浸って立ち止まるべき時じゃない。
進めないのならば他に出来る事があるだろう。
言え。
「彼はきっと、お前のことだって受け入れる」
言った。
続けて一歩を踏む。
不安でも、苦しくても、逃げ出したくても果敢に立ち向かっていく、そういう背中を見てきた。
だったら身を裂かれながらでも進むのを止めない。
足が動かないのなら引き千切ってでも前へ。
でなければ後を任されたなどとどうして言える。
「彼を排し、自らが再びその中心に立つことを気にしているのだろう? そして、再び得た場所で自分が安らいでしまうことが怖ろしい」
結局彼は敵対したハイリアを死に追いやることさえ苦しんでいる。
どうにもならない、そう言った通り彼の手元にはどうにか出来る手段が本当に無いのだろう。
「いずれ敵対するというのならそれでも構わない。だが、もしお前が力を貸してくれるのであれば、俺たちはハイリアを繋ぎ留める手段を必ず見つけ出してみせる。セイラム以上の力を得たというお前が居れば、途方も無い果てにあると思っていた手段に手が届く。違うか?」
それが俺たちの得てきた本当の力だと、俺は思う。
強烈に自分たちを牽引する者にただ従うだけじゃなく、様々な視点で可能性を見出し、支え、あるいは飛び出していく。
ハイリアという男を中心に据えながら、彼の懐へは収まらない。
彼の想像も超えた場所へ、いつか押された背中のように……押し出していく力。
それを証明してみせよう。
その為に今、先輩という立ち居地を着て、振舞おう。
本当はこんな内面を引きずり出すようなことはしたくない。
けれどこのまま彼が去るのに任せてしまうと、もっともっと苦しむ道へ進んでしまうと思うから。
意地でもお前を手放さない。
「お前が辿ってきた道を間違いなどとは言わない。だが今、目の前に手段がある。俺たちは俺たちの意思で動き、お前に協力さえしよう。求める結果が違うのだとしても、擦り合わせていくことは出来る筈だ。だから、ハイリア……俺たちの仲間になれ」
黒の甲冑の中、彼がどんな表情をしているのかは分からない。
だがふと、泣き顔が浮かんだ。
エリックの死を見届けて、泣き叫んだ彼を見た。
あの一件がどれほど彼の心を抉ってきたか。
全てを失ったという彼が、どれほど苦しみ抜いてそこに立っているのか。
分からなくとも、資格なんて言葉で逃げたりなんてしない。
この手を伸ばそう。
拒絶される恐怖を吹き飛ばし、信じることでこそ、人は人と繋がることが出来るのだから。
そうだ。人は、人を信じ、信じ合えたというほんの小さな奇蹟を重ねて、大きな何かを成してきたのだと、俺は信じる。
その時、どこからか狼の遠吠えにも似た声があがった。
呼応して次々と声が、そして青の魔術光が登っていく。
地面を打つ音が続いて、なんとなく『機獣』たちが尾を打ち付けているのだと思った。
そして……他の誰もが鳴り響く音に目をやっている中、黒の甲冑の中で彼が、そっと力を抜いたのが分かった。
結構前からですけど、仲間内で徐々にハイリア語(和製英語など)が使用されるようになってきてます。
言葉とは交わされることで伝染し、表現として受け入れられていくものですから、何気ない感嘆符なんかも似てきてる人が居ますね。影響は相互ですし、関りの多い人ほど似てくるものです。
まあ内乱以降、完全に油断しきっているハイリアがぽろぽろこぼすので『本で読んだ』に疑問を持っていた人も居たり。
そして次回、結構話がぶっとびます。




