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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第二章

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19

 村の制圧は一時間と掛からず終了した。

 抵抗した者も居たが、ほとんどの者は戦意喪失しており、その上で俺やリースが紋章を見せればすぐさま投降を決めた。村人も、村へ来ていた小隊員や巻き込まれた行商や旅人も、その確保が終了すると、俺はビジットに魔術の使用を停止させた。


 霧の向こうから姿を表した人物に、俺を含め同行しているクレア嬢ら小隊員に緊張が走る。くり子が確認できたように、救出部隊を待機させていた場所からは彼の凶行がよく見えたことだろう。

 この場にアリエスやリースたちを連れてこなくて良かったと思う。


 鳶色の髪をした少年、ヴィレイ=クレアライン。

 彼の凶行は『王冠』の城壁で、彼らイルベール教団とフーリア人らを隔離することで止めている。既に死傷したフーリア人も保護し、治療を施しているが、どれだけ助けられるかは分からない。


「お見事です、ハイリア卿。そして一番隊の方々。これほど困難な戦場を、たった一人の死者も出さずに学生が制圧したなどと、歴史上でも稀な偉業と言えるでしょう」


 ヴィレイはあくまで慇懃な態度を崩さず、仰々しい礼を添えてそう言ってきた。

 喜ばしい賛辞もこいつの口から聞けば不快なだけだ。


「何故勝手に動いた」


「村の開放には協力致しました。ですが、私たちには私たちの目的がありますので、それを同時に行わせていただいただけですよ」

「フーリア人を盾とした戦いの理由は」

「我々が以前から提案している戦術の一つです。奴隷として使い潰すだけの彼らを戦争にも役立てることが出来ないかと、教団から熱心に打診しているのですが……最前線の指揮官ともあろう方が、随分と頭が硬くていけない」


 外道が……。


「彼らには家族や恋人の自由を対価として協力して貰っています。全て志願によるものですので、そのように興奮なさらずとも」

 そんなもの、状況次第で幾らでも強制出来る。

 ヤツの言葉は信用出来ないが、事実ここへ来る前に保護したフーリア人からも同様の話を聞いた。それでも俺は問い掛けた。


「ヴィレイ=クレアライン」

 俺は未だにこいつへ期待しているのか?

 返ってくる言葉の中に、少しでも哀れみや苦悩があるかもだなんて。万人の心に善性があるというのは思い上がった思想だ。

 これは、俺の甘さが招いた事態……。

「はい」

「約束は守れ」


「当然です。教団の信用に係わります」


「それと、負傷者はこちらで預かっている。治療も進めているが構わないな?」

「はい」

 応答は淡々としており、まるで金銭のやりとりをするかのように無機質だった。

 いきり立って叫びだしそうになる小隊員らを、クレア嬢がしっかりと静止してくれている。それを視界の端で捉えたからか、俺も少し気持ちを落ち着けられた。

 腹に力を入れ、ゆっくりと息を吸う。

「目的とはなんだ。こんな田舎の村にまで出向いてきた理由は」

「それですか」

 ヴィレイは長い前髪で覆い隠した左目へ手をやり、薄く笑う。残る右目が、この大通りの端を向く。


「ちょうど、こちらの目的も終わったようです」


 視線の先から現れたのは、行方の知れなかったピエール神父だ。元々単騎で敵の脇腹へ食い付いていた彼を、『王冠』の発動時に見失っていた。

 気にはなっていたが、優先順位の問題から放置せざるを得なかった。

 そして、その存在を知らなかった小隊員らが、思わぬ人物の登場にざわめくのを感じる。


 彼は大きな麻袋を担いでいて、赤の魔術光を散らしながら俺たちの近くへたどり着くと、それを乱暴に放り投げた。なんとなく、ゴミ捨て場に袋を放り込むような動きが連想された。


「以前から、どうもこの地方で怪しげな集会が開かれているとの話を耳にしておりまして、まあ、直接見に来たという訳ですよ」


 ヴィレイが指図すると、後ろで控えていた者たちが麻袋の紐を解き始める。


「ハイリア卿は、フーリア人にも独自の教義があることをご存知ですか?」

 知っているが、黙っているとヴィレイは勝手に語り始めた。

「人は、何者にも縛られる存在ではないという考え。我々が信仰する運命神の定めを真っ向から否定するこの考えは、決して相容れない相手であることを示しています。あろうことかフーリア人には階級という考えすらなく、王は調停者の役を負っているだけだという。その王は、ある民族から選出され、派遣されてくる」

「随分と詳しいな。フーリア人を人と認めていないお前が」

「虫の生態を調べることと同じですよ。なにせ、我が家を侵食してくる厄介な虫ですからね」


 紐解かれ、麻袋の中から姿を現したのはフーリア人の女。


 ほんの僅かに既視感があった。

 理由も分からず彼女を見る。

 フーリア人の特徴そのままに浅黒い肌と黒い髪。俺たちよりは少し上で、見るからに痩せ細っていた。怯えた様子に注視すれば、顔や身体には殴られた形跡すらあり、瞬間的に怒りが湧き上がった。その傷は、明らかに今付けられたものだ。


「虐殺神父が……っ」

 今まで皆を静止していたクレア嬢が怒りの声をあげた。

 その矛先は間違いなく、ピエール神父へ向けられている。対し、彼は両手を上げて肩を竦めた。

「なぜそのような嘘偽りが広がっているのか……悲しいものです。貴女のような美しい方にまで誤解されていると思うと、胸が苦しくなる」

「誤解なものか」

 興奮する皆を抑える為にも、俺は敢えて言う。

「ピエール神父。新大陸で三度に渡るフーリア人大虐殺を行ったのは、間違いなくお前だ」

 本名、ジャック=ピエール。

 またの名を血まみれピエール。

 信仰の名の下に、この世で最も多くのフーリア人を虐殺したと言われ男。

 俺たち同族に対してはこの上なく友好的で、気安い性格もあって、それが明かされるまでは好意的な気持ちを持ってしまうが、その姿勢はフーリア人には向けられない。

「いけない。ハイリア卿、貴方までそのようなことを言い出しては。アレは我らが運命の神によって定められた最低位の生物。残忍な虐殺ではなく、虫の駆除に等しい」


 まるで聞き分けのない子どもに諭すような口調で神父が言う。

 俺にとっては、そんなことを事も無げに言ってしまえる彼らの方が違う生き物に思えた。


「フーリア人を奴隷として使うのはいい。ですが、その考えに影響された者たちが出てきているというのが問題なんですよ」


 ヴィレイが更に合図を送ると、教団員に連れられて老人が引き摺り出された。

「村のまとめ役をしている方です」

 耳打ちしてくれたクレア嬢へ頷きを返し、改めて老人を見る。

 同じく暴行を受けただろう彼は、状況も理解できていない様子で周囲へ目をやり、媚びへつらうような苦笑いを浮かべた。


「これは失礼を。ご老体、ウチの者が私の指示を無視したようだ。丁重にお連れしろと言っていたのですが……これで許していただけますか」

 止める間もなく、老人を連れてきた教団員がピエール神父の手で串刺しにされた。

 そしてヴィレイはやわらかな笑みを浮かべると、目の前で起きた流血沙汰に腰を抜かした老人の手をそっと取る。

「かわいそうに。それでご老体、態々お呼びしたのには理由があるんです。私の質問に答えてくださいますか?」

 是非は無かった。

 手を握ったまま離さないヴィレイへ、老人は何度もうなずきを返すと、またこびるような笑みを向ける。ヴィレイの示した先を二人で見る。

 暴行を受け、諦めるように沈んだ様子の女がそこに居る。


「正直にお答え下さい。正直に…………。哀れな貴方がたは、我らが運命神への祈りを捨て、悪しき異教に染まっている。いいえ、私は責めているのではありません。このような僻地では日々の生活も苦しかったことでしょう。神はなぜ私にこのような運命を授けたのかと憤ってしまうこともあると思います。私もまだまだ未熟な信徒でありますから、お気持ちは深くお察し致します」

「は…………はぁ……そ、それは、ありがとうございますっ」

「私はこの村の住人を始め、時折集まって異教に身を汚した貴方がたを罰するつもりはありません。なぜなら、哀れな貴方がたは彼女に騙されたのだから」


 吐き気がした。

 こいつ……先ほど俺にした、フーリア人の教義に染まった連中をでっち上げるつもりか!


 老人もすぐにそれを察したのだろう。

 深く何度も頷くと、あらん限りの言葉でフーリア人の女を罵倒し始めた。


 聞くに堪えない醜い言葉を前に俺たちは凍りついていた。

 一度は守ろうとした者たちの豹変、その為に命懸けで戦っていたのにという苛立ちと、どうしようもない空虚さに疲労感がどっと押し寄せてきた。そして、こう言わなければ生き残れないだろう彼らへの哀れみと、その為に他者を犠牲にできるおぞましさに嫌悪した。


 なんとなく分かった。ヴィレイ=クレアラインの目的が。


 ヤツの語った話はいくらか本当だっただろう。

 この村には別種の信仰があり、それが元で村は一定の収入を得ていた。フーリア人の教義に触発されて階級社会を否定しようとする者も当然居るだろう。

 そして、ここには俺が居る。


 ハイリア=ロード=ウィンダーベルの名は、既に国中へ広まっている。

 未だ熱の冷めない名声に、人々は新たな動きを求めている。この時代、人生は退屈との戦いだ。奴隷を殺し合わせるコロセウムや、公開処刑でさえ一種の娯楽とされ、退屈に日々を送る者たちは集まってくる。

 今、俺は注目を浴びている。

 そんな俺の周囲でこんな事件が起きたと広まればどうなるか。


 危機感の高まりで民意が右傾化するのは世の常だ。

 反フーリア人思想の拡大と、それを牽引するイルベール教団の権力や規模、発言力の拡大。『剣』の術者によって一定以上の情報速度を持つだけに、この考えは浸透しやすい。


 自らが属するコミュニティを守ろうとする思想を俺は否定しない。

 人は群で行動する生き物だし、そこを攻撃してくる者へ敵愾心を抱くのは当然のこと。ただ、それを静止する声さえ圧殺するほどの敵意はいざ戦いが起きた後、凄惨な事件を引き起こす。

 フーリア人と奴隷とし、日常的に暴言を吐き、虐げている者たちが弱った彼らを前にした時、一体何をするだろう。


 それは、奴隷解放を目指す俺にとって何よりも邪魔で…………ある意味では無くてはならないもの。


 自分自身の名声がどうでもいいとは言えない。

 俺がこれから何かを進めていく時、今の状態は非常に有効だ。好意的に接してくれる数々の貴族や商人たち、音楽家や画家といった芸術家たち、すべて人々の思想に多大な影響を与えてくれる。

 思わぬ変化ではあったが、これはこの先に必要なものだ。

 こんな連中に利用されて穢れていいものじゃない。


 ただ、どうしても気にかかることがあった。


 目の前で新たな動きが出来た。

 灰色の魔術光が霧状に広がり、術者であるヴィレイの眼前に巨大な十字天秤が出現した。彼らイルベール教団が身体に刻みつけている紋章と同じで、特殊な形状ではあったが『盾』による魔術のモノ。

 そして彼の掲げた書状を前に、誰もが口を噤まざるを得なかった。


「我らイルベール教団は、ルリカ=フェルノーブル=クレインハルト女王陛下の命により、悪しき思想を広めるフーリア人を審問に掛ける……!」


 本物だ……。

 真っ白に染め抜かれた折り目一つない紙の上に、玉璽が押されている。金によって描かれた装飾や、添えられた王と臣下一名による署名も、ハイリアの記憶にあるソレと一致している。


「定められた命により、処刑の執行は二日後。罪深き女よ、お前は自らこの十字天秤に頭を垂れ、己が行動によって死するのが相応しい」


 たった一枚の紙によって、その場で俺たちが出来る事はなくなった。


   ※  ※  ※


 座り込んだ椅子ごと海の底へ沈んでいくような感覚があった。

 仰ぎ見た天井にはゲルの中央から伸びる梁があり、羊毛で織られたフェルトに梁の影が揺れている。


 既に陽は沈んだ。

 事件を聞いたのがそもそも夕方を前にした時間帯で、暗くなってきたなと思えばあっという間に夜を迎えた。


 天幕の周辺は静かで、初めての実戦を乗り越えた喜びを祝う雰囲気はない。

 保護したフーリア人の治療も含めて、まだ小隊の皆は動いているだろう。俺は促されるまま、疲れを理由にこうして休ませてもらっている。


 誰かと話をしたかったが、同時に誰とも話したくはなかった。


 メルトはどうしているだろうか。

 アリエスは、リースは、皆は今なにをしている?


 そして、ジーク=ノートンは……。


「……全く」

 弱気になるにも程がある。

 よりにもよってアイツを思い浮かべるか?


 だがそうだ。

 ヤツならあの場で何もかもを無視してヴィレイをぶちのめし、女を救っただろう。無茶苦茶な行動を取るくせに、それを成功としてしまう特別な流れを生み出すことが出来る。

 戦ってみればよく分かるが、ヤツは馬鹿じゃない。

 自分の行動の意味を意外なほどに分かっていて、その上で必要な人間を惹きこんで世界を動かしてしまう。ご都合主義的と言ってしまえばそれまでだが、そんな姿を見ているのが好きで、俺はあのゲームをやっていた。


 今、目の前には深い霧がある。

 先の見えないこの状況も、風のように生きたヤツなら吹き飛ばせたんだろう。

 だが駄目だ。他の誰でもない俺が、ヤツから風を奪った。皆を照らす火であれと言ったんだ。


 なら誰が。


 誰が風を吹かせる……?


「…………」


 気付けば俺は、運び込まれた机から紙を取り出し、乱暴な手つきで頭の中にあったことを書き殴っていた。


 灯りを寄せ、夢中で文字を綴る。

 図面を描き、距離を測り、頭の中で景色を思い浮かべた。


 考えるべきはここだけじゃない。

 もっと外側を、もっと未来を……漠然としたまま置き去りにしていた全てを明確な形として記していく。


 手は、どんどんと早くなっていった。


 虫の音をどこかで聞く。

 紙の上を羽ペンが滑る音と、机を打つ硬い音が重なりあって、それが小気味良く続いていく。インクが飛び散って手を汚しても気にしない。溢れ出る思考を次へ次へと言葉にしていく。


 どれだけの時間をそうしていたのか、切れたインクにようやく意識を紙の上から戻した。ついた吐息は熱く、身体は火照っていた。鼓動の音が驚くほど大きく、熱に浮かされた頭に手をやり、こめかみを強く揉む。


 積み上がった紙の山。

 読み返すことを考えていなかったから、折り重なったそれらはインクが張り付いて駄目になっていた。だがいい。頭の中はすっきりしたし、書いた内容は全て記憶している。


 王命。

 それを崩す手はある。

 連名で綴られていた名前は知っていた。クレア嬢の父と同じく宮中伯で、かなり古い家柄の者だ。一度落ちぶれて、他国との政略結婚によって盛り返してきた、イルベール教団が持ち出すにはまさしくといった人物。

 陛下はまだ幼く、政務が出来るような年齢でもない。今回の件は彼女というより、下に綴られていた者がそそのかしたものだろう。

 必要な条件はあり、難しいと言えるが、絶望的な状態じゃない。


 問題はイルベール教団と事を構えれば――


「よう」


 声に引き戻されて天幕の入り口を見る。

 動く家とも称されるゲルのそこには扉があり、いつの間にかビジットが瓶を片手に立っていた。


「何度かノックしても反応無かったからな、勝手に入らせて貰った」

「……いや、考え事をしていた。何か用か?」

「何かはないだろ。幼馴染のハイリア坊っちゃんが初めての実戦をくぐり抜けたんだ。ちょっくら酒でも一緒に飲もうかと思ってな」


 言って、ビジットは机の回りに散らばる紙を見て笑う。

「きったねえな。まず片付けろ」

 手伝う素振りも見せず寝床へ座り込む。

 やめろ、そこはアリエスの寝床だ。お前は向こうへ行け。嫌だじゃない黙って行け。


 ビジットと下らない言い合いをしながら紙を纏め、机の上に置く。

 我ながら相当雑に書いてあって、正直読めたものじゃない。とりあえずは紐で縛っておいて、後で燃やそう。


 板張りの床に腰掛けて、お互いの酒杯へ注ぎ合う。


「勝利に」

「皆の無事に」


「「乾杯」」


 打ち鳴らす。

 喉を通った熱さに、思わず咳き込みそうになった。

 なんとか耐えてビジット見れば、意地悪く笑う顔が見える。

「村出るときにちょいとくすねて来たんだが、かなり強い酒だろ?」

「……っ、ぁあ。一気に酔いが回りそうだ」

「酔え酔え。人生なんて酔っ払って生きてくもんだ」


 言って煽ったビジットがむせた。


「がっ、っは! お前っ、よくこんなの普通に飲めたな!?」

「分かってて飲ませたんじゃなかったのか」

「俺はいつも良い酒を飲んでるの。こんなキツいだけの酒なんて初めてだっての」

 生憎と俺は大学から社畜人生と、馬鹿みたいな飲み方には多少慣れがある。勧められると断れなかったから、よく先輩に潰されて遊ばれてたなぁ。


「……っ、にしてもキツい。本当に飲める酒なんだろうな……?」

「げほっ、げほ……っ。村占拠してた馬鹿どもが飲んでやがったから平気だろ。うまそうにしてたから頂いてきたんだが、予想以上だなこりゃ」

「まあ、飲んでると色んなものが吹き飛びそうだ」

「あーいいなソレ。俺も下らねえしがらみとか、全部ふっ飛ばしてやりてぇな」


 大貴族というか、これで高貴な血統とかいう家の二人が、揃いも揃ってむせながら安い酒を飲んでるっていうのはどうなんだ。

 酒について文句を言い合いながら三分の一ほど空けた頃、ようやく喉が馴染んできた。ビジットの顔がもう赤らんでいる。きっと俺もそうだ。


「どうだったよ、初めての実戦は」

「あまり気分の良いものじゃない」

「っは! 指揮官が辛気臭い顔するなよ。お前が結果への評価を出さなきゃ、付き従った連中も評価を下せねえ。これは勝ったのか、負けたのか。そういうのを決めつけて示してやるもんだろ」

 そう、か。

 妙に静かだったのは、俺が何も言わずに引き篭もってしまったからか。最後のアレはともかくとして、皆を無事に救い出せたことを祝い合う気持ちは、誰だって持っていただろう。

 ……まだまだ未熟、か。

「まあ、かといって今から叩き起こして勝利宣言とかやめてやれよ? もう完全に深夜だ。連中には俺が軽く飲ませて回ってるから安心しろ」

「……痛み入る」

「入っとけ入っとけ」


 注がれた酒を飲み干して、勢い任せにぶっ倒れる。

 あぁ、アリエスの香りがする。なんて幸せなんだ。


「他の連中には絶対にお見せできない感じになってるなお前……」

 うるさい黙れ。この酒はどうも頭を揺らす。見栄を張っていられないのも、真面目に考えないといけないことを放置しているのも、全部酒のせいだ。

 と、反対側で座っていたビジットも仰向けに寝転んだ。

「あぁ、ハイリアちゃんの匂いがするよぉ……」

「やめろ気持ち悪い」

 本当に気持ち悪かったから予備の布団を出してやる。

 いくらかの家具も一緒に運んできたが、寝台までは流石に無理で、この八日間はずっと床で寝ている。俺は久しぶりの感覚で心地良かったが、アリエスには少々不評でな。初日は身体の上に乗って甘えてくるという、なんとも愛らしい姿を堪能出来た。

 ん、そういえばアリエスはどこで寝ているんだ?

 まさか男と同じ空間に……? いかん今すぐ探し出して連れ戻さなければ! アリエスの天使のような寝顔を前に男の本能を抑え付けられる筈がない!

「アリエスちゃんなら怖い剣士さまとそのお弟子さんに守られてるから安心しな」

 クレア嬢とリースか。

 打ち合わせの場以外でも、あの二人が一緒になって訓練する姿はよく見かけた。ジークとの戦い以来、くり子は本人の希望から雑用班に戻ってしまっていて、少し覇気が無かったんだよな。


「誰かをしごいていると活き活きするって、完全にサディストだよな」

 ビジットがあんまりな事をいうので一応フォローするか。

「いや、あれは不出来な弟子の為に苦労することを楽しんでるマゾの方だと思う」

「そっかー、クレアちゃんってばマゾだったんだ」

「リースは間違いなくサドだろうな」

「あぁ、それは分かる。あの子、攻撃してる時が一番楽しそうだし」

 本人たちに聞かれれば間違いなくドン引きされそうな会話だな。ん、扉も開いてないし周辺に気配もない。大丈夫か。遠くで音がするのは、まだ誰か騒いでるのか、それとも熱心に訓練でもしているのか。


 しばらく二人でぼうっとしていた。

 所々記憶が飛んだような気もするから、多分寝たり起きたりを繰り返したんだと思う。だが、その時だけは意識がはっきりしていた。


 仰向けに瓶ごと酒を煽ったビジットが、軽く咳き込んで言う。


「……作戦は練り終わったか?」


 答えられず、黙りこむ。


「あの虐殺神父が居るんだってな。戦えばまず勝てねえ。数百人をたった一人で皆殺しにしたような化け物だ。俺たちも訓練を積んじゃいるが、精々が正規兵と同じか少し上って所だ。一番劣ってるのは経験則。こちらほど練り上げた作戦を打ってはこねえだろうが、対応力も決断力も高い。なにより迷いがねえ」

 瓶を打ち付けるように置いた。

 その音が、ビジットなりの怒りに聞こえて、

「死ぬぞ。お前じゃねえ……お前と一緒に戦うだろうアイツらが、その中の誰かが死ぬ。結構呆気ないもんさ。豪快に笑ってやがった俺の父も、あっさり首だけになって戻ってきやがった。ルリカが泣き喚いて助けてくれなけりゃ、あの日、俺も同じ机に並んでたんだ」

「会いたいか、妹に」

「妹じゃねえよ。曾祖父さんが同じってだけで……俺はもう継承権も捨てて、会うことも禁じられてる」

「会いたがってるだろうな。妹は兄を慕うものだ」

「黙れよこのシスコン。最後に会ったのも随分前だ。今じゃ蝶よ花よと愛でられて、俺のことなんざ忘れてるだろうさ」

 俺のことはいいんだよ、と諦めるように言って、ビジットは酒瓶を放る。目の端で捉えていたそれを掴みとると、同じように寝転がりながら口をつけた。

 本当にキツいだけの酒だ。悪酔いばかりする。


「お前が足を止めた理由を教えてやろうか」


 酒瓶を置く。

 思わず強くなった。それを返答と思ったらしいビジットが言う。


「巻き込むと、思ったからだ」

「違う。目の間にした壁の大きさに臆しただけだ」

「自分一人なら突っ込んでいけた。壁を突き崩すならお手のモンじゃねえか。だが、あの場で動けば間違いなく追従する者が居た。そいつらの血を見たくなくて、あの時お前は足を止めた」

「妄想だ……」

「他の連中はそう思ってる。そう思いたがっていた」


 それは……。


「でも、そういう気持ちだって確かにあったんじゃねえか? 昔のお前なら今頃一人で仕掛けてるよ。それが成功するかどうかは別だがな。だが今は、冷静に周囲へ目を配って、その影響を推し量ってる。簡単に言やぁ、守りたいものが増えて臆病になってやがる」

「…………今からか」

「死ぬぞ。多分な」

 だろうな。

 ヴィレイだけならともかく、あそこにはピエール神父も居る。とてもじゃないが、甲冑の守りすら通り抜けてくるような相手に、俺だけで勝てるとは思えない。

「二人なら、どうだ」

「駄目だな。俺を射程内に入らせないよう見張りが置かれてる。教団の武闘派たちだ。魔術も使わねえ状態じゃまず突破出来ねえが、使えば魔術光で本丸が顔を出す。攻めるなら組織的に行くしか手段がねえ」


 こんな時にも良く見ている。

 流石は『王冠』を持つ男か。


 戦えば皆を巻き込む。

 死なせてしまうかもしれない。

 こんなにも素晴らしい仲間たちが、俺の言葉一つで。


 生きていきたいだけなら、ここで退けばいい。

 でも俺は、名前も知らないあの人を見捨てたくなかった。ここで彼女の死を見逃せば、きっとこれから先、俺は幾らでも見捨ててしまうんだろうと思う。

 心の中にある大切なモノが折れてしまう。

 そして、俺に期待を向けているという皆も、きっと進む先を見失ってしまう。とまで言ってしまうのは思い上がりかもしれないけど……そうだな、確かに俺はあの日、道を外れていこうとした彼に、もう少しだけ続けてみようと言ったんだ。


「風になれ、ハイリア=ロード=ウィンダーベル」


 霧の向こうから声が掛かる。


「なにか大きな事を成し遂げたいのなら、それが自分の内側の満足に留まるものじゃないのなら、人を巻き込む覚悟なしには成功しない。だが嫌がってる連中を抑え付けてどうにかしようとしたって、俺の両親みたいになるのがオチだ」

 たった一人の裏切りによって全てを失ったビジットは、相も変わらず気楽そうな口調で言う。

「今はまだ虚飾でいい。お前はすげえ奴なんだって思い込ませちまえ。お前の夢が、その背を見守る連中にとっても夢となれば、きっと果たせる時がくる」


 人々が、俺の背負った虚像に夢を託すというのなら――

 あの日、赤毛少年を引き止めて同じ夢を見ようと語ったのなら――


「……最後まで付き合えないくせに、よく言うな、ビジット」

「悪いな、ハイリア。俺は、遠ざかっていくお前を、後ろでのんびり眺めてるよ」


 ――夢を束ねて世界を変えろ。


   ※  ※  ※


 翌日、天幕の建ち並ぶ拠点の中央に人を集めた俺は、静かな熱を帯びた者たちを前に宣言した。


「明日の朝、村に駐留するイルベール教団を襲撃し、謂れ無き罪を着せられたフーリア人を救い出す」


 ざわめきはなかった。

 ただ頷くような気配が波のようにやってくる。


「この戦いは、諸君らの生命はおろか、数十年と先の未来を拘束するだろうものだ。だからこそ、よく考えて欲しい。家の問題もあり、即断できない者も居るだろう。突然の話に戸惑っている者も居るかと思う。だが時間がない。そういった部分も含めて、今決められない者は除名処分を行う」

 参加せずとも責めはしない、などとは言えない。

 少なくとも教団は俺の周囲に居る者全てを敵と見る筈だ。小隊に属していればそれだけで危険がある以上、叩き出す形を取った方が安全と言える。

 言葉を終えてじっと待つ俺の変わりに、ビジットが歩み出てくれた。

「まあさ、キツそうに言ってるけど、家の確認が取れたり、覚悟が決まったらまた参加すればいいんだよ。これで寂しがり屋な小隊長だから、戻ってきてくれたら裏でこっそり大喜びするしさ」

 俺はあくまで凛々しい表情を維持していたが、何人かが小さく笑った。なぜだ。俺のカッコイイイメージはどこいった。不思議なことにアリエスについて相談をした連中にその傾向が強い。

 妹想いの優しいお兄さんと見られているからか……?


 ビジットが軽く言ってくれたからか、そして実際に即断が難しいだろう者を名指しして帰れ帰れと追い出し始めてから、また数名の脱退者が出た。

 まるで飲み会の参加者でも募っているような雰囲気に笑ってしまう。


 そうして残った者たちを眺める。

 メルトやくり子は当然のように。

 陽気な顔をしてビジットはこちらを見ていて、少し離れた場所でアリエスが頷きを見せた。リースが、ポーキー君が、力強く拳を握っている。他にもこの八日間を共に過ごしてきたアリエスの小隊員たちと、弓の彼を始めとする一番隊の見慣れた面々。

 そして、迷いながらも、震えながらも赤毛少年は残ってくれた。


 最後に、俺の宣言から一歩も動かず正面に立ち続けていたクレア嬢が、眩しそうに目を細めて言った。


「私が残らなくては始まらないでしょう」

「あぁ。君の父親の力を借りたい」

「そう言われては選択の余地がありません」

「……すまない」

「代わりに、私を貰って下さいますか?」


 思いがけない言葉に呆然とした。

 ビジットが口笛を吹いて、リースを始め、数名の女性陣が黄色い歓声をあげる。アリエスが物凄い表情で固まっているのをどこかで捉えながら、言葉も出ないままクレア嬢を見る。


「冗談です。ですがそうなれば、父は是非もなく協力するかと」

「…………ぁ、ああ、確かに……そう、だな?」


 混乱のあまりくり子へ振ると、何故か顔を逸らされた。


 メ、メルト……?


 褐色肌の少女は柔らかい笑顔のまま表情が固定されている。

 良かったですね、婚約が決まりました。などと捉えられなくもないが、何故か正反対の意味に見えなくもない。


 何故か左右から馴れ馴れしく肩を抱いてくるビジットとポーキー君を払いのけ、何度も咳払いをして場を誤魔化す。駄目だ、俺が思っていた決戦前夜と違う。朝だし。


 改めて向かい合った皆の表情には、先ほどまでにあったある種の悲壮感が消えていた。そんなものがあったことに、今更ながら気付けた。


 どうにも、助けられてばかりだな。


 真剣に向き合うのはいい。だが状況に酔っていては正しい判断が下せなくなる。クレア嬢の冗談……は、そういう意味でもいきなり踏み外しかけた俺の手を引いてくれたものだろう。


 総員、百三十三名。

 脱退者は予想以上に少なかった。


「ありがとう、皆」


 この全員で、明日の勝利を目指す。


「諸君らの命――貰い受ける」





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