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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第四章(下)

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 皆の協力を取り付けた後、改めてくり子を中心とした対応策への話し合いが続いた。

 貴族として宮中で働く父を持つ者、穀倉地帯を領土に持つ者、造船業を営む者、あるいは元侯爵家の嫡男だった者。そして平民。別の地方で育ち、親族を頼ってこの地へ来た者や単純に出身者である者、商家の跡取り息子にその政略結婚の相手、かつては傭兵団に居た者まで居る。元王族に、戦争で故郷を追われ教会によって救われてきた者、本当に様々だ。

 あらゆる立場、それに基づく思考、思想、常識を土台に思いつく限りの手段が論じられ、実際に幾つかは試行してみるという形で話が纏まっていった。

 頭脳労働というのは案外疲れるものだ。出始めは活発でも徐々に勢いが減じ、沈黙の時間が増えていく。新たな何かが無いか、思い、考えるも浮かばない。結果生まれた静けさは、光明を得たとはとても言えない状態であっても、どこか心地良いものだった。


 休息が必要だろう、そう思って中断の申し出をしようと思った時、この長い沈黙を待っていたようなタイミングで声があがった。


「あのよ」


 娼婦に産み落とされた少年が、珍しく眉を寄せていた。

 迷っているような、悩むような、気楽な集まりと聞いてラフな恰好をしてきたら、全員がパーティ衣装に身を包んでいるのを見たような困惑顔。


「ヨハン。何かあるなら言ってくれ。なんでも構わない」


 けれども彼の隣でしたり顔のアンナが()()と袖を引っ張り、


「ヨハンくんヨハンくん、そういうのはそっと離れたらいいんだよ。皆真面目にやってるんだから邪魔しないの」

「誰がクソ漏らしそうになってるだクソアンナおいクソ」

「えー、だって十秒以上の難しい話は出来ないってさっき言ったじゃん。正直に話してね、今までの話どこまで覚えてる?」

「とりあえずもっと強くなろうってことだけは分かってる」

「うん駄目だね。ではハイリア様、失礼しました」


「いや」


 いつもの調子で流れそうになった話を敢えて留め、逆にアンナを制する。


「ヨハン、何でもいい。話してくれ」


 言うとむしろ困ったような顔をされ、同じように眉を下げたアンナがじっと彼の横顔を見る。

 腕を組み、首を捻る様は言葉を考えているのだと思えるが、結局息を落としてこちらを見た彼はあっさりを肩を竦めた。


「クソがしたい」

「そうか」


 俺は目を伏せ、腕を組み、少し身を捻って振り返った。


「吐かせてくれ」


「任せろ」


 元傭兵で敵から情報を得る手段に詳しいらしいクラウドへ頼むと、彼はすぐさま細い鉄の棒を取り出した。何に使うかは分からないが不穏な気配しかない。

 そんなクラウドに応じてジンが逃げようとするヨハンの腕を取り、捻りあげて動きを封じる。

「怪我はさせないでくれ」

「こいつが見せる誠意によるな」

 だから怪我はさせないでくれ、痛いのとか見てるだけで辛いぞ。


「オイオイオイオイなんだよ正直にクソ行きてえって言っただけじゃねえかよ!? なんだソレ!? それで目玉でも抉ろうってのかオイ!?」


 いつの間にか接近した先輩が脚を抑えた。


 クラウドは殊更に酷薄な笑みを浮かべて使い方を解説する。


「なあヨハン、男には幾つ穴があるか知ってるか?」

「あ? 口と耳と尻……あと鼻だから………………四か」


 六だな。


 クラウドは敢えて突っ込まなかった。


「実はもう一つある。コレはそこへ差し込むもんだ」

「ぁあ? 何処だよ分かんねえよ」


 人類の神秘について女性陣が多種多様な反応を示す中、クラウドは淡々とヨハンの股間を指差した。


「テメエのちんこにも穴があんだろ」

「は? ぁ、ああー……確かにってオイ、それ差し込むのか……?」

「差し込んで出てる部分を熱してやるとな、中がいい具合に焼けるそうだ。しばらくは漏らしっぱなしになるし、尿が通る度に激痛が奔る。当然そんな状態でお前が()()()()しようとすればとんでもなく痛くてそれどころじゃなくなるだろうな。因みに俺が知る限り受けた奴の殆どが切り落とす事態になったそうだ。その後どうなったかまでは知らないけどな」

「ゥォォォオオオオオオイ!? それもう聞き出すとかじゃなくて拷問だろうが! オイ離せお前らも男なら分かんだろアレはキツい、無理だ死ぬ、絶対に死ぬ!?」


 ひとしきり暴れた後、焚き火でいい具合に熱を持った薪が現場に到着したのを見てようやくヨハンも観念したらしい。

 一度ぐったりと力を抜いて、嫌々というのがよく分かる声で叫ぶ。


「言うから!! 言うから止めろ!! まだクソアンナも押し倒してねえんだぞお!!」


 泣き叫びに等しかったが、それだけ正直な叫びだっただろう言葉に彼女が何故か火の点いた薪を投げ付けた。

 女心は複雑だ。


 幸いにも火の点いていない側が顔面にぶつかったヨハンはぶつけられた痕を残しつつ、結構拗ねた口調で告げた。



「ぶった斬るのは駄目、他の方法でもどうなる分からねえってんなら……やってる本人に余計なことしねえで引っ込んでろって、でも女は生かしてくれって頼んでみたらどうだって思っただけだよ」



 全員が一瞬だけ動きを止めた。

 すぐさま思考を始めた者たちから遥かに遅れて、俺は壊れた時計みたいに秒針をふら付かせながら言葉を返す。


「頼む、とは?」


「ん? 自分らじゃ出来ねえなら、出来る奴に頼むしかない……だろ?」


「そうだな……」


 確かに、俺たちがどれだけ魔術の構造を分解して、理解したとしても、それを御する技術が無ければ達成出来るかは分からない。出力という面でも、仮にウィルホードが言っていたような中抜きで掻き集められるとしても、どれだけの時間が掛かるか。

 夏季長期休暇までもうあまり時間が無い中、検証と失敗を繰り返し、成功に至る可能性はどれほどだろうか。


「それで、セイラムにメルトを生かして貰って、更に歴史改変など恣意的な操作を止める様にと、交渉を行ってみてはどうかと、そういうことか」

「いや、よく分かんねえんだけどもよ」


 本当に分かっていなさそうな顔で言うヨハンだったが、俺は自分の中にある感情か、あるいは衝動か、それでなければ淀みとでも呼ぶようなモノを処理しきれず空を仰いだ。


 否定することは、きっと簡単だろう。


 俺が知る限り、セイラムは会話の出来る相手ではない。

 妄執に取り付かれ、遥か昔の一念だけを頼りに思考し、機能する歯車。

 言葉は血を通わせたものではなく、一方的に押し付け、押しやり、押し潰す類の暴力だ。

 歯車がくるりと一回転する度にコピー用紙でも吐き出されているのではないかと思える程に同じ言葉を延々と吐き続ける狂人の姿をゲームの中で見ている。


 ゲームの中で。

 『幻影緋弾のカウボーイ』では、そういうモノとして描かれており、何かを訴える者の言葉には最後まで応えることが無かった。


 だから排除するしかないのだと考えて……けれど、今・ここで、一度でも対話を望んだことがあっただろうか?


 ヨハンが言った対応策はまさしく対話だ。


 ここまで誰もがあらゆる対応策を語り、複雑な構造を分解して可能性を提示してきて、なのに敵との対話という単純な方法を示した者は居なかった。

 俺は、考えたことさえ無かった。

 いつだって。

 ずっと。

 戦うことで解決を重ねてきた。


「セイラムに頼れと」


「いや、どうなんだ? 勝手に色々やる奴なんだろ? やりたくなるようにすりゃいいんじゃない、のか……?」


 心底不思議そうに言うヨハンを見て、俺は頭を振った。


 否定に感じたのだろう、彼は話し合い中に何度も魅せた押し黙る表情で息を落とした。


「違う」


 纏まらない考えを振り払って、まずは彼を押し留める。


「ヨハン、話してくれてありがとう。話し合う、という手段はこれから十分に検証していく必要があるだろう」

「つまりどういうことだ?」

「お前が逸物を焼かれることはない」

「……なるほど」


 心底安心した顔をするから、抑えていた男たち含めて、つい大きく息を落とした。次に浮かぶのはやっぱり苦笑だ。


 いや、正直な話、そんなものを見せられるのも嫌だし、見ているだけでトラウマになりそうなくらい怖ろしい光景だろう。

 クラウドはあっさり鉄の棒を仕舞いこみ、またいつでも言ってくれ、なんて言うけれど、今更ながら本当にそんな拷問があるのかは疑問に思えてきた。根本的に股間へぶっ刺す鉄の棒なんてあんまりにもあんまりなブツを日頃から持ち歩いているとは思えなかった。


 案の定、情報の入手先がよく分からないジンが小声で尋ねる。

「それ、鍵開けの道具だろ」

「さてな」

 流石に盗みはしていないだろうが、クラウドの日頃の行動がやや気になった。


 ヨハンからの提案を元に話し合いは続いた。

 交渉に何を使うか、背景は、対話が出来ないのなら目線を逸らせばいいのでは、などと。


 対話。


 その言葉を思えば、武力を以ってぶつかり合い、相手を否定して切り伏せてきた自分を、思い返さずには居られなかった。 


 そして……


    ※   ※   ※


 「おかえりなさい」


 表情の無い顔で女は言った。


「違う」

「おかえりなさい」

「違う」

「おかえりなさい」


 優しく手を伸ばし、頬へ触れてくる。

 乙女の指先は何一つ穢れを知らず、我が子を慈しむ手付きで目元を拭った。


「おかえりなさい」


 ビー玉みたいに透き通った瞳が俺を見る。


 そこに俺は映っていても、きっと俺を見てなんていない。


「黙れ」


 手を払った。

 明らかな拒絶。暴力と呼んでもいい行為に、むしろ女は違った反応が返ってきたことを喜ぶように綻んだ笑顔を見せる。


 女。


 観れば、女は、顔が無かった。


 ふと気付けば伸ばしてきていた手も黒い靄へ変わり、二足二腕の人型がそこにある。


「おかえり――さい」


 ノイズが混じる。

 女の声に、男の響きが混じったような気がする。


 気味の悪さに身を引くと、黒い靄が再び人の姿を形作り、俺を抱きすくめるように腕を伸ばしてきた。


 浅黒い肌、黒い髪と、黒い瞳。

 一瞬だけ別の姿が混じり、すぐに戻る。

 おかげで彼女であると認識しないで済んだ。


 メルトそっくりに姿を変えた女は、彼女のように楚々と微笑みながら、瞳に熱を込めて身を寄せてくる。


 つい、先ほどのように強く払えず身を押し留めるようにすると、彼女は巻きつくようにして顔を寄せて囁いた。


「愛してる」


 寒気がした。


 こんな、己の形も持たず、相手の欲を満たすだけのような存在に、吐き気を覚えるほどの不快感があった。


「お前は誰だ」

「愛してる」

「お前は誰だ!!」

「愛してる」

「こちらの問いに答えろ――!!」


 怒りのまま突き放すと、メルトの姿をした女は呆気無く転がり、頭を打って、そのまま動かなくなった。

 何も無かった空間に真っ赤な血が広がっていく。何も無いことにすらたった今気付いた。血は俺の足元を覆い、世界を覆っていった。夥しい血が溢れ、それでも色艶を失わない少女の姿が、目の前に転がっている。


 殺した。


 違う。


 殺した。殺した。殺した殺した!!


 違う!!


 頭の中で違う誰かの声が響く。

 悲劇を呪って、自分自身を呪って、何もかもが暗転した世界の中で膝を付いて泣いている誰かが永遠と後悔を溢れさせていく。


「お前が殺した」

「違う!!」


 否定の声をあげると、目の前にメルトの死体が積みあがっていた。


「何度も何度も何度も何度もお前がお前が殺して殺して殺してきた」


「違う、俺じゃ――」


「お前だ。お前だ。お前だ。お前だ。お前だ。お前だ。お前だ。お前だ。お前だ。お前だ」


 やがてメルトだった者は男になり、女になり、老人になり、幼子になり、少年に青年に中年に壮年に変わりあるいは少女に変わっていった。見覚えのある顔と、まったく知らない顔が転がっている。誰も彼もが死に、誰も彼もが俺を呪っていた。


「お前が殺した」


 死体から突きつけられた事実に……何も言えなかった。


「お前が殺した」


 そうだ。


「お前が殺した」


 そうだ。俺が殺してきた。


「お前が殺した」


 たった一つの目的の為に大勢を巻き込み、死に追いやり、あるいはこの手で葬ってきた命がある。


 誰かの声がする。


「この人殺し」


 何もいえなかった。


「他の誰もがお前を認めても俺だけは知っている。お前は俺と同じだ。放り込まれた環境の中で、ただ流されてきただけの存在。お前は栄光があり、俺には死があった。それだけのことだろう?」

「黙れ」

「嗚呼ハイリア=ロード=ウィンダーベルに栄光あれ!! 清廉潔白にして才気溢れる若者の魂を喰らってその信頼と情愛と安らぎを手に入れた悪魔のような男よ!! キサマに食われた本物のハイリアはいずこへ消えた!? 願いを託し、これまでたった一人で戦ってきた憐れなる男の末路さえ喰らい、そ知らぬ顔でその座に居続ける厚顔なる行いを悪と言わずなんと呼ぶ!?」

「黙れ」

「贖罪を」

「キサマだけには――」

「贖罪を」

「――他の誰に叩き伏せられようと構わない」

「贖罪を」

「だがな、ヴィレイ=クレアライン。キサマにだけは絶対に頭を下げるものか……!!」


「ハ――――ハッ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハアハッ、アーッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!」


 哄笑が鳴り響いた。


 不愉快極まる男の声が空間を満たし、怒りで心の臓が破けそうになる。


「嗚呼憐れなるハイリア=ロード=ウィンダーベルよ!! キサマの間抜け面を眺めるのも一興だったがあまりにも不愉快だったのでね!! ご機嫌伺いに顔を出してみただけのことですよ、ハイリア卿」


 闇の帳を払うようにして姿を現したヴィレイが慇懃無礼に頭を下げる。


 その足元で崩れ落ち、呆けているのはおそらく、最初に向き合っていた女だろう。


「お前たちがあまりにも無様なので可哀想になってきたのですよ。こんな絞りかすのような女に振り回されている姿は……ははは、最初の内は愉快でしたがねええ。正直に言ってもう飽きてきた。永遠の命を手に入れた身としては由々しき事態なので少々困っても居るのですよおお。暇つぶしは大切ですが、下らない寸劇を見せられるのは何よりも不快だぁ」


 深い洞窟の中に居る。

 そう感じるのは、遥か上空に光が見えるからだろう。

 形のはっきりしない壁面が時折艶やかに光を反射して星空のようにも見える。

 どこへ続くとも分からない穴の奥深くに、女と、俺と、蛇の目をした男が居る。


 女のビー玉みたいな瞳とは違い、相手をよく観察し、思考する瞳だった。そして、それはまさしく観察でしか無かった。

 彼は相手の内面までをも入念に、指先で隅をなぞる様に読み取ろうとする。時に誰も気付かない深奥に辿り着くこともあるだろう。変質的なまでに丹念な、分解作業。情すら、情こそを前提に思考しながら、対象と向かい合うことは決してない、血の通わない瞳。


「そうか」


 だから、簡単に切り捨てられた。


 俺と同じ起源を持ちながら、俺とは違う立場を得て、人殺しめと批難してきた男を無価値と断ずるのに何の躊躇も必要なかった。


「飽きたのならさっさと失せろ。無駄な時間を取らせるな」


 既に死んでいるのなら、敢えて殺したいとも思わない。

 もう終わった者。

 ここに居ない者。


 他の誰かならばこの手を伸ばそうと思ったかも知れないが、ヴィレイ=クレアラインにだけは絶対にあり得ない。


 奴はしばし押し黙り、足元の女へ目をやり、哂った。

 そうやってどこかに逸らさなければ自分で売った喧嘩の始末も付けられないのか。


 何かを言おうと口を開くも、言葉を成さずに消えていく。


 聞きたいとも思わない。


 だから、見る。


 今、奴の足元で崩れ落ちて呆けている女を。


 この男が現れなければ何か、何か……あったのかもしれない。

 下らない感傷か。以前にも似たものを経験した。結局下らない戯言で終わった、馬鹿みたいな考えだ。


 光が翳った。


 何も無かったこの場所に、地の底へ、伸びてくるものがある。

 地上に大きく腕を広げて大地に根を張る、そういう力を持つ存在が来た。


 ティア=ヴィクトールによる『魔郷』の力が、俺を救いあげようと伸びてくる。


 ほんの僅かな邂逅だった。

 おそらくは彼女の封印から漏れ出た僅かな力の片鱗。

 聖女と呼ばれた女の、最大限押し留めるべき狂気と暴力性を限界まで防ごうとした結果、違うものが出てきただけのこと。

 俺を守るように伸びた木の枝が二人の姿を覆い隠す。余計なものを見るなと、そう言われた気がする。枝葉に触れて、最大限の感謝を送った。ティア=ヴィクトール。君が作ってくれた時間を無駄にはしたくない。諦めようとしたことを、きっと一番に謝るべきだった相手だ。

 天上から光が落ちてくる。

 いつかアンナから聞かされた、意識不明者を回復させる為のものだろうか。

 結局一言も声を届けてはくれなかったけれど、彼女は今も戦っている。

 だから迷うな。


 だから。


 なのに。


 覆い隠される寸前に見えたものが忘れられない。


 アレは、どういう意味だったのだろうか。


 俺が望んだから、そう見せただけ。


 きっとそうだ。


 なのに。


 最後に――ぼろぼろに打ち据えられた女の口元が言葉を発した。

 初めて俺を見て、告げた言葉は、



『かわいそう』



 聖女は、ただ、俺を憐れんでいた。


    ※   ※   ※


 水の底に居た。

 流れは思ったよりも早く、川は深い。

 こちらに向けて懸命に手を伸ばす少女の姿に俺は安堵し、流されそうになる身を川底へ足で踏ん張って身を立て直す。すると一瞬だけ真剣に計算する表情が混じり、少女、セレーネは結果的に両腕を伸ばして俺から額を小突かれた。


 先に水面へ上がって川岸へ寄っていくと、後ろで水が大きく跳ねて叫びがあがる。


「もぉーっハイリア様のいけずう!!」

「あのまま助けようとしてくれていたなら手も取ったが、抱きつこうとしてくるなら話は別だ」


 遠巻きに複雑そうな顔をしているフィリップも居ることだしな。

 セレーネはいつも通りはしゃいで笑い声を上げているけど、ちょっとだけ俺を心配そうに見る。事情を説明するべきか。つい黙っていようとする自分を感じながらも、先の現象を考える時、ここ最近で自覚し始めた記憶の欠落が頭を過ぎる。


 緩やかに流され始めたことに気付いて軽く泳ぐ。

 足が付く場所へ着いてからは流れに背を向けて、騒ぐベンズらの様子を眺めた。

 降り注ぐ太陽は暑く、水へ潜っていないと汗だくになっただろう。濡れた髪をかき上げ、足へ何かが触れた気がして目を向ける。


 魚だ。


 意外にも大きな魚が一匹と小魚の群れが下流へ泳いでいった。

 一度気付けばよく見えるもので、浅瀬には蟹が、空には鳥が居て、視線を降ろした時には木を駆け上がっていくリスみたいな動物が居た。あっという間で確認出来なかったが、多分そういう生き物だと思う。


「――おっし追い込め!! そっち行ったぞ!」


 自然の景色に心和ませていると、ヨハンの声が一際大きく響いた。驚いたリスか何かが木から逃げ出して行き、ちょっとだけ残念な気持ちになる。


「っしゃあ取れたぁああああああああ逃げたぞペロスそっち!!」

「せいや!!」

 どばーんと青の風が一陣巻き上がって川の一角を吹き飛ばした。

「何やってんだバカペロス!? 魚っ、魚逃げてんだろ!?」


 絶対そっちじゃない、俺は思いながらいきなりの事態に目を丸くしている屋敷の使用人たちを見た。

 こういう場所の手入れは相当に金が掛かっている筈だから、後で修理費くらいは出しておこう。足りるだろうか、結構不安だ。


「お、捕まえましたよ」

「すごいですっ、わあ手で魚を捕まえるなんて初めて見ましたっ」


 ただ管理側のウィルホードが楽しそうに追い込まれた魚を手掴みで掲げていて、珍しく興奮した様子のセイラが大喜びで拍手している。


「ペロス、やりすぎりゃ魚が弾けて食べ辛くなんだろうが、『槍』は仕舞え」

「はいヨハン先輩!!」

「ベンズ、お前の得物もでか過ぎて向かねえぞ。ウィルみてえに上手くやれ」

「はい大先輩!!」


 どばーん、景気良く武器を振り抜いた二人にはきっと興奮で言葉が脳に届いていない。


 しかしいつの間にか漁が始まるとは。

 無言で屋敷からバーベキューセットっぽい道具を運び出している使用人らもなんだかんだ貴賓客の突飛な行動に慣れているんだろう。

 川の中頃に小さな池が完成し、すっかり濁りきった下流を捨てて、俺や数名の川遊び組はしばらく上流で愉しんでいたが、香ばしい魚の焼ける匂いが漂ってくると皆で目を合わせて川から出た。


 夢中になっていたのもあったが、気付けば随分と陽が低い。

 通りで腹が減る訳だ。


 日没にはまだあるだろう。思って見ていると、立食パーティのように設営された庭のあちこちへ証明となるランタンが設置され始めていた。


 水遊びでふやけた身体へ肌触りの良い上着を羽織り、何人かで談笑しながら歩いていく。

 途中セイラの薦めで女性陣が一時その流れから外れていったが、まあ諸事象を済ませればすぐ戻ってくることだろう。

 とにかく男たちは腹を満たすことが優先といった様子だ。


 水中での運動は怪我になりにくいし、リハビリにも良い。

 やっぱり水着は必要だと思うんだよな。


「おっす」


 焼き手はやはりというか、最早得意分野はなんだろうかと気になってきたグランツ少年だ。

 一応隣でジンが焼くの忙しくて食べる暇がないんだあーんして作戦を遂行中で、困った様子の使用人の女性がなんだかんだあーんをしてあげていた。


 焼き魚、焼きトウモロコシ、焼きトマト、何かのキノコ類、ついでにぶっといソーセージが網の上で小気味良い音を立てている。

 近くの卓にはホールチーズやパンが切り出されており、新鮮そうなサラダがハムと一緒に大皿へ盛られていた。果物や焼き菓子の類もあるが、今はまだ脇役の立ち居地だろう。樽ごと置かれているのはきっとワインだ。


 こういう時、どうして味噌や醤油が無いんだと心から嘆く。

 淡水魚は刺身には出来ないらしいが、淡白な白身はあの手のブツを塗りながら焼くと非常に美味い。

 醤油焼き、味噌焼き、どちらも遥か遠い世界の味だ。

 せめて、そうだ塩焼きだ。塩は無いかと探していたら、既にグランツ少年が塩気強めに焼き上げた一皿を仕上げていた。素晴らしい、実に欲しい人材だ。道中ワインを受け取りながら焼き場の前に立つと、彼は無言で俺に皿を差し出してきた。いつもの「おっす」すらない。俺もまた受け取り、習慣からせめてとナプキンで塩焼きを掴み、そのまま齧る。


 バリッ、と表面の皮が音を立てた。


 ……………………旨い。


 前にエリックと釣りをした時は独特の泥臭さに二人で苦笑いを浮かべたものだった。焚き火ではなく炭火というだけではないだろう。強めに振られた塩が打ち消しているのか、丁寧に内臓を取り除いているからか、炭火焼き特有の仄かな苦味と合わさって良いアクセントを生み出している。いや、単に焼いただけではない。普通とは違う、何か。理屈は分からないが、齧って咀嚼していると不思議な清涼感を感じた。これは……?

 思い、ふと彼の背後を見ると、理由の一つに気が付いた。

 どうやら捕まえた魚を生簀へ入れて泥を吐かせているらしい。

 別荘地というのもあって元々の濁りは殆どなかったが、川底を泳いでいれば自然と口に入るものだ。あるいはそこらの水草が影響しているのか、種類の判別も出来ない俺では明確な理由は分からない。

 また生簀の付近には酒や調味料をはじめ幾つかの果物があり、それらを生簀へ投じることで魚の下味にしているということか。

 そういえば昔、生きたイカを醤油桶へ投じるという調理法を聞いたことがある。沖漬けという奴だ。通常一日から三日ほど置くものだが、短時間でも効果はあるものらしい。からあげの下味みたいに思えばいいんだろうか?

 この爽やかさはレモンの類かと思うのだが、それだけで淡白な味わいの中で雑味とも言える泥臭さを消すことは出来まい。清涼感ではこの手の味は際立つ。なにより齧って最初に感じた強烈な旨さだ。果物、酒、なんらかの香辛料……あるいは塩の振り方から違うのか。分からん。分からんが、香魚とまで言われる鮎の塩焼きにも負けない香り高さと繊細な味わいが、強烈な旨味と共存を成し遂げている。夏を前に旬を通り過ぎつつあるだろう淡水魚が、こうも美味になるとは思いもしなかった。

 望んだ塩焼きとはやや異なるが、時間が取れない環境で少しでも良いものをと創意工夫した結果のものだ。感嘆と喝采を以って賞賛すべき逸品ではなかろうか。


「……旨そうだな」


 俺の様子に引き寄せられたらしいクラウドが自分もと求めるが、

「おっす」

 この調理法が使えるのは生きたまま捕らえることの出来た魚のみ。

 器用なウィルホード以外は豪快に魔術というズルをした為に大体がミンチだったり真っ二つだ。つまり、この生簀塩焼きはあと二匹分しかない。クラウドにやや遅れてやってきた者たちとが壮絶な戦いを繰り広げるのを他所に、俺はグランツへ称賛と礼を言ってその場を離れた。


 この魚、つみれ汁にしても旨そうだな。


 塩焼きを齧りながら出汁について考えつつワインを飲む。

 魚介は純米酒が一番だと昔誰かから聞いたが、コレはコレで悪くない。


 ふっと口の中に浮かんできた味をワインで流し込んだ。


 こうして食事をしているとよく昔を思い出す。

 不便さはあるものの、特別ここでの食事に不満がある訳じゃない。食に困る環境で過ごした時間は殆ど無く、デュッセンドルフの多様な食文化に触れていたのもあるだろう。ただ、それだけに日本食の片鱗に触れることもあって、懐かしさを覚えるんだ。


 思い出を想起するのに手っ取り早い手段の一つは味覚かも知れない。こちらで()という人間が始まったと自覚してから、最も強烈に以前の場所を思い浮かべたのも食事だった。三本角の子羊亭、元暗殺者だったミシェル=トリッティアの作った料理屋は、とても雑然としていて、当たり前にフーリア人が席を共にしていたな。

 俺やホルノスが必死になって、未だに達成出来ないでいることを彼女はやり遂げていたんだ。


 そんな人を俺は自分の都合へ巻き込んで死なせてしまった。


 本人に言えば景気良くぶん殴られそうだ。

 思いながら、最後の一欠けらを放り込んで、味わった。


 いずれ消えてしまうというのはあくまで俺の予測だ。

 この身は最初からハイリア=ロード=ウィンダーベルのもの。

 日本と呼ばれる場所から来た、そう自覚する()は居ても、常にハイリアとしての自覚や記憶も共存していた。言うなれば合一した状態にあるが、一方の記憶が完全に消えてしまった場合、それがあった前提で行動してきた今までの記憶がどうなるかの疑問も残る。いや、記憶の矛盾なんて解釈でどうとでも埋められるか。事ある毎に本で読んだ、ティアから聞いたと言い訳してきたことが置き換えられ、認識上の真実となる可能性は高い。

 だが一度脳に刻まれた記憶が抜け落ちるというのはどういう理屈だろう。

 記憶喪失の原因は記憶へのアクセスが出来なくなった場合と、破壊された場合の二種類だ。

 徐々に記憶が曖昧になっていく現象としては有名な痴呆症、アルツハイマーなどが浮かぶ。老化によって機能が低下していくことで発生するコレは、どちらかと言えばアクセス不調が主と言われている。

 もしそうなら解釈などと言う必要も無く、こうなる前時点のハイリアに戻るという可能性が最も高い。


 どれだ、という思考は最早、自分の事情など通り越してこの先へと飛んでいた。


 風が吹く。

 山からの吹き降ろしは僅かに冷気を孕んでいて、なんとなく、今夜は涼しくなりそうだなと、そう思った。


    ※   ※   ※


 扉を閉じて、二階のバルコニーへ向かった。

 ランタンの灯りは絶やさず通路を照らしていて、少しだけ星空が遠い。


「こんな時間にごめん」


 目が慣れるまで待とうかと思ったが、星を眺めていた相手は俺に気付いたらしい。

 仰向けに座れる椅子へ腰を降ろし、同じ空を見る。


「後でと言ったからな」

「姉ちゃん、大丈夫?」

「メルトにはゆっくり寝るよう言ってきた。ここには屋敷の使用人や警備も居るから、さほど気にする事は無いしな」

 本当に身の内の部分は仕方ないとしても、客人として滞在するなら出しゃばるのも失礼というもの。

「そっか」


 納得の言葉は夜風と共に流れて、吹き抜けていった先で巻かれた音は少し寂しげだ。

 少年は、ベンズ=リコットという一人の男は、言葉を探しているのか、景色に見とれているのか、しばらくの間無言だった。


 巨大な景色というのは自分と世界との境界を曖昧にする。

 俺が、()として自覚を持った日、ウィンダーベル家のミッデルハイム宮から眺めた麦畑はまさにそれで、俺という意識をこの世界に浸透させたのかも知れない。

 感傷的過ぎるか。

 だけど、今くらいはそれでいい。


 少年が、二年の遅れを経て学園にやってきて、一度は立ち塞がり、そして今は問いを投げてきている。


 なんとなく、シンシアだったらどう答えるだろうか、なんて、問いかけの内容も知らず考えた。


 やがて星の形が目に焼きついてきた頃、意を決したような声が、沈黙を貫いた。

 まさしく、一突き。


「――ガルタゴを手に入れようと思うんだ」


 強烈な、予想もしていなかった()()だった。


 内容に頭が痛くなるというより、自分の傲慢さにまず頭を抱えた。いや、流石に抱えはしないが、額にやった左手へズシリと重くのしかかるくらい、強烈にやられた気がする。

 何が問いかけだ。

 思えば話をしたいというだけのことで、相談などと一度たりとも言われていない。

 相手が年下で、自分に立場があるから、勝手な思い込みで上からものを見ていたんだろうか。


 俺の反応にベンズは叱られるのを待つみたいな顔をする。

 あぁ、これでは発言に対して落胆や困惑しているように取れてしまう。


「具体的に……どう、考えているんだ?」

「え……否定しないの?」

「ん?」


 言われてから気付く。


 ガルタゴで古くから民衆の支持を集める提督と呼ばれる者の家系、リコット家の名は何度か聞いたことがある。ウィンダーベル家と蜜月の関係を築いているのは、ガルタゴの中央議会や商人らの同盟だ。歴史的背景から政治の中央とは距離を保ちつつも、軍事面での影響力は強く、過去の大遠征でも文字通り艦隊を率いる提督として活躍したことがある。

 そんな家系の者なら不可能とまでは言えないんじゃないか。


 ざっくり考えてみても、敢えて否定から始める話でもないだろうと思う。


「相談事が来ると思っていたから、いきなり国の乗っ取り宣言に驚きはした。が、それだけだ」


「……そう、なんだ」


 余程想定外だったのか、今度はベンズが頭を抱える番だった。

 なるほど、俺が否定してくる前提で返す言葉を考えていたのだろう。

 普段の発言や行動から見て直感的に発する子だと思っていたが、前もって考えておく、そういうことの出来る子なのだと理解した。


「じゃ、じゃあ、兄ちゃんは、俺がガルタゴを乗っ取りに動いた時、支持……してくれるのか?」


「これからの話次第だが、難しいだろう。基本的に今のガルタゴは安定しているし、政治力を見れば提督はやはり中央から外れている。ホルノスにとってはリスクの高い選択になるから、表向き静観しつつ、いざ情勢が確定した時には素早く手を取れるように準備しておく、というのが基本となる姿勢だろう」


 個人を指定しての打診に不誠実な返しではあるだろうが、ホルノスの中央と密接に係わりながら働くことを望んでいる俺は、安易に他国の内情へ首を突っ込めない。ましてや客観的に見れば、彼がそれを達成するのは極めて困難であると、本人ですら自覚するほどなのだから。


「俺は、提督の一族がガルタゴを牛耳りに動くことを支持出来ない」


 はっきりとした拒否を耳に、少年はがっくりと肩を落とす。


「ただ、同じ学園へ通う後輩の夢を、頭ごなしに否定するつもりもない」


 ふっと笑った。


「いいじゃないか。何かやりたいことがあるんだろう? 国の一つくらいは乗っ取らないと難しいようなことを、君はやりたいと思っているんだろう?」


 それはなんだ、と問い掛ける。

 突拍子も無い話に思えるけど、フロエが救われることを望んで内乱まで引き起こした身としては、困惑するのも不誠実に思えた。それだけのことをしてきたという自覚はある。


 ベンズは暗闇の中で更に顔を覆い、大きく息を抜いた。

 再び空を見上げた時、少年は少しだけ大人っぽい表情を浮かべ、見上げる景色に絵を描く。


 どんなものでも、まず描かなければ始まらない。


「フィラントの王様に会ったんだ」


 経緯を語ることは輪郭を描くことに似ている。

 理由はいつだって経験から発しているのだから。


「シャスティは……そう呼べって言われてて、それで、シャスティは俺が動いた時は支持してくれるって言ってくれたんだ」


 また迂闊なことを、とは思うが、思うままに振舞うことを是として彼女は王となった筈だ。ならば、自らの王道を貫く限り、こういう行動は変わらないのだろう。羨ましくも思うが、真似をしたいとは思わない。


 しかし、フィラント側の思惑や動きは俺に話していいのだろうか。

 思うが、止める間もなくベンズの言葉は続く。


「彼女は、王だ。フィラントは彼女が王になることで生まれた場所なんだって、だけど、じゃあどうして王になったんだって聞いたら、それだけは教えられないって言われた。いろいろ考えたけど、俺じゃあまだ分からない。でもさ、シャスティって滅茶苦茶なのに、なんでか皆楽しそうなんだ。皆振り回されることを望んでるみたいで、ホルノスとあんなことがあったのにまだ何か画策してる。懲りないなって言ったら『ヌシは少しばかりキツい臭いを嗅いだからといって、呼吸を止められるのか?』って言われた」


「彼女らしい」


 つい笑って返すと、ベンズは不思議そうに俺を見る。


「どうした?」

「ホルノスはフィラントを切ったんじゃないの?」

「いや。お互いの連絡は続いているし、後に向けての交渉や調整もホルノス内では用意がある」


 ガルタゴの提督と共に画策した襲撃事件への報復は行われたが、別に交渉を打ち切った覚えは無い。

 殴られたら殴り返す。まあ向こうは王が自ら行動を起こしているだけに責任者を切り捨てることも出来ず直撃を受けた訳だが、ホルノスは陛下の発言こそあれ、陛下の身辺による動きは全て表向きの動きに終始していて、過激な行動は全てフィラントとの協調反対派に実行させている。

 彼らの溜飲を下げつつ利益を確保し、事の責任者として権力からは少しだけ遠ざけた。派閥が勢い付こうとしても、こちらに干渉する為の中間の人員が減少すれば厚みが足りなくなるだろう。こういった権力構造の整理はウィンホールド家のご当主が上手い。俺も大まかな範囲でしか聞いていないが、宰相が猛威を振るっていた時代にあのような人が権力を維持出来たのも、極力敵を作らない方法で実質的な勢力を拡大してきたからなのだろう。


「それって、聞いてみてもいい?」


 ベンズの問いに俺は頷いた。


「ホルノスにとって奴隷解放は規定路線だ。無為に人的資源を放出するのではなく、国の利益を確保するのならフィラントは良い交渉相手になる。フィラントは資源大国だが、資源に付加価値を与えることの出来る人材が不足している。若年層が中心となって立ち上げた国だからな、先の失策も含めて上手く中間を埋める人材が不足していると俺は見ている」


 正直に言って、政治的な所は得意じゃない。

 これはベイルだったり、陛下だったりが言っていたことを踏まえての、俺の判断だ。


「う、うん」


 いつしか身を起こし、ベンズは神妙な顔で頷いた。

 なんとか話にはついてきているらしい。


「そしてホルノスで使役されてきた奴隷たちは、言ってしまえばこの国が積み上げてきた技術を相当量吸収しているんだ」

「……それってどういう?」

 難しい話じゃない。

「例えば灌漑、建築、荷運びでも物資の集積からの拡散、効率的な運用手段がホルノスにはある。労働の現場というのは、技術や思想・方法論が山ほど詰まっている。一度ぼろぼろに崩れた国を再び豊かにしようと思えば、何気ない知識が、知識だけに留まらない()()()が大いに役立つだろう。いかに差別階級とはいっても、奴隷同士の鬱憤晴らしに使われていようと、能力のある者が奴隷たちの取り纏めとして引き上げられていた話は結構ある」


 結果論ではあるが。


「ホルノスではそんな者たちがフィラントへの移住を求めて来た場合、能力を査定し適所を提案する形でその紹介料を得られないかと考えられている。因みに人身売買を禁じる為、これはあくまで紹介料だ」

「モノは言いようじゃん……」

「しかしコレはホルノス・フィラントだけでなく、対象となる人物にも利益のある話だ。とりわけ今進められているのは、一定期間の労役を経て移住を推進する方法だな」


「働いて……知識と()()()を得てから高く売りつける?」


「ただ移住すればあちらでも単なる労働者として扱われるだけだからな。どうなっているかも知れない場所でゼロから築いていくより、慣れたこちらで経験を詰み、事業の指揮が出来る者として育成された上での移住なら間違い無く重宝される」


「それじゃあホルノスが人材と取られるだけじゃん」


「まず、一斉に奴隷を解放すれば職を失った者が国内に溢れ返る。これは治安の悪化に繋がるし、行き場を無くした者が元の場所でタダ同然の賃金で雇われ始めれば実質的な奴隷開放失敗だ。だから国が主導して彼らを雇い入れ、各所へ派遣する形を取る。管理職や専門職を希望する者からは教育費を取り、最終的にフィラントから紹介料を取りつつ斡旋していく。人材教育のノウハウを得られれば、国内全域にそれを配って更に効率的な育成が出来るだろうしな。労働力の管理をしつつ計画的に人材を流すことが出来れば、奴隷解放後の物価高騰をかなり抑えられるものと考えられているな。まあ、どうしたって上がるは上がるんだが」


 傷は避けられない。

 そもそも人を物品として扱ってきたのだから当然だ。

 個人的な感傷はどうあれ、理想の実現に国を潰しては元も子もないから、こうして方策は練るし、時間も掛ける。

 この制度を聞かされた時は凄まじいがめつさだと呆れもしたが、相互の利益も確保しつつ進めて行かなければいずれ反対派に押し潰されるだけだ。


 ただの言い訳に堕することがないよう、忘れない為に百万本の花宣言がある。

 少なくともホルノスの王はあの理想を実現するつもりでいるのだから。


「フィラント王が王としての事情を抱えていることをホルノスは理解している。相互理解を謳い、罪を贖い、赦して行こうというのが例の宣言だ」


 だからと言って好き勝手やられるのは困るから、線引きとしても多少苛烈な行動を取った。

 とはいえ、あくまで鉄甲杯の余興として動いたもので、幾らかの暴露話はむしろ政治的な場で持ち出すより優しい手段でもある。


 陛下はあの行動がフィラントにとってどういう意味があったのか、ずっと考えている。単純に見て分かる国としての利益だけではない、王としての何か。どちらかと言えば、内向きな理由があったのではと分析されている。


「…………なにかを、作ろうとしてるんだ、あの王様は」


 意識を思考へ飛ばしかけた頃、ベンズが強い決意を込めて言った。


 彼を見る。


 ガルタゴを手に入れる、と宣言した少年は、じっと自分の手のひらを見詰めていて、握り締めることを躊躇するように指先を震わせていた。


「ホルノスの王様にも同じものがある。東の、ジェシカ様の主人って人にも似たものを感じた。俺は、ガルタゴにはそれが足りてないんだって思う。何度も考えた。自分の生まれ育った所だから悪い部分が目に付くんじゃないかって言われたけど、違う気がする。俺、頭良くないから、本当は違うのかもしれないけど……俺は」


 言葉を必死に探すように、砂山へ手を入れ、一粒の金を求めるように、じっと見ている。


 自分の奥底、あるいは外側にある最も遠い場所。


 他国へ留学にやってきて、多くを見てきただろう彼は、尚も考え、探し求める。

 今までとは違う場所で、違う価値観を得て、何を思うのだろうか。


「俺は最初、海賊になりたいって思った。自由に、誇り高く、自分自身の力で何かが出来る人。だけど違うんじゃないかって最近じゃ思ってる。憧れはあるけど、ガルタゴを取るって考えた時、ただの提督じゃ駄目だって感じたんだ。だってガルタゴは提督だけで作ったんじゃなくて、国を失って流れてきた人たちが居て、その人たちと協力して初めて出来上がったんだから。だから、大先輩みたいなのは大好きだけど、俺がこの先で一番欲しいものとは違うんだって思う」


「君が一番欲しいものとは? 形が分からないとしても、何か印象のような、ぼやけていても……見えているものはあるんじゃないか? あるいは望む景色でも」


「けし、き……」


「君がガルタゴを手に入れたとして、一番見たい景色はなんだ?」


 問いに応じる為の呼吸がそのまま止まり、張り詰めたような沈黙が場に満ちた。


 いつしか俺も、俺自身へ問い掛けるような気持ちで彼との問答を続けていた。最初から一番の景色を定めているだけに、その周囲を明確に想像してこなかったように思う。俺が見たい景色。ホルノスで求められている中央での活躍は、言ってしまえば求められることから始まっている。流されただけではないと断言出来るが、では次の場所を陛下たちに委ねたまま、俺自身の望みを伝えてこなかったのは何故なのか。


 フロエを救い、メルトを生かし、その先は?


 ここは『幻影緋弾のカウボーイ』を生み出した作者によって作られた、物語の終了によって閉じる世界じゃない。


 目的を達成して、俺はどう生きていくのだろうか。


 周回遅れ、とジークに言われたことを思い出す。

 偉そうに構えていながら、俺はようやくベンズの居る場所へ目を向けたのだろう。


 だからこそ、答えを望む。

 同時に、先に出されることが悔しくもある。


 俺は、


「今日は楽しかったな」


 ふと、そんな事を呟いていた。


「うん。楽しかった」


 唐突な言葉だったのにベンズは当たり前に頷いた。


 楽しかった。本当に。

 でも、これは俺たちが学生という立場にあるからだ。

 俺自らが宣言したように、皆もいずれは己の未来へ向けて旅立っていく。

 ウィルホードやセイラのようにここへ留まる者も居るだろう。だが、仮に他国へ向かった者とは二度と会うことは出来ないかもしれない。羅針盤があり、造船技術が発展しても、船が行方不明になることは未だに多いと聞く。日常や旅の危険だけじゃない、単純に会う機会を持てないままずるずると関係が薄れていくこともあるだろう。手紙一つ送るにも距離があれば相当な金額を要求される世界だ。

 気軽に電話を掛けるように、飛行機を使って、なんて時代はまだまだ遠い。


 モラトリアム、と俺は言った。


 夏まで。


 そうだ。

 セイラムとの本格的な戦いになると言われている夏季長期休暇で、俺は学園を卒業する。

 他の最終学年者も半年を過ぎた所で卒業し、それぞれの、次の日常へ向かうだろう。

 残る者は一年か、二年くらいはまだ会いに来れるが、それ以降は分からない。


 この先の未来。


 俺はどうしたいんだろうか。


「俺は――」


 少年は夢を語る。

 夜空一杯に描いた景色を、星空よりもきらきらと輝いた目で見詰めて、やってやるんだと宣言した。


 きっと彼は学園で学ぶ時間をその夢の準備期間とするのだろう。


 俺に残されている時間はあと僅か。


 もしかすると、明日。

 そういう場所へ立つのだと、改めて思った。





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