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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第四章(下)

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 むすぅ、っとした表情のジェシカの隣で、フーリア人の少年サイ=コルシアスが緊張した様子で立っている。

 二人とも鉄甲杯では同じ部隊の者として協力し、戦ってきた。まあ、戦士ではなかったサイは殆ど見学だったが、一緒に食事を摂ったり、話をしたり、仲間意識はもう俺の中にある。


「なのに私たちが来る前に事を進めたのか」


「探しはしたが、君たちは行方知れずとなっていたんだ。一体何処で何をしていたのかと思ったが……後ろのものを見て納得はした」


 二人の後ろではヨハンの所に居た双子の兄だか弟だかのベンズが、大きな布に包まれたブツを抱え挙げている。半端に見えている形状というより、持つ者の感じている重量が、そしてサイの表情を見れば読めてくる。


「扱いについても、拠点へ顔を出すようなことがあれば案内するよう頼んであっただろう?」

「そうだがな」


 ぷい、と拗ねるジェシカをどうしたものか。

 彼女の後ろからぴょこりと顔を出した双子の妹だが姉だかのペロスがじっとこちらを見て、隠れて、ジェシカの後ろから飛び上がって抱きついた。


「だきーっ」

「ペロス、今は大人しくしていろ」

「えへへー」


 知らぬ間に随分と懐かれたようだな。

 ただ、ジェシカの表情が少しだけ和らいだのを見て心の中で礼をする。

 目の合ったペロスは嬉しそうに裾を掴んで顔を引っ込めるだけだったが。


「ともあれ疲れているだろう? もう遅いし今日はゆっくり休め。俺も鍛錬は明日に回すし……後ろのものを受け取って良いのなら、今受け取ってしまうが」


「お願い、します」


 サイの、記憶にあるより強い声にこちらも頷いて見せる。


 武器は父上を通じてウィンダーベル家の工房から予備を買い取るつもりだったが、彼が打ったものならば否やはない。

 シャスティより頼むと言われたものの、正直言って俺は何かをした覚えがない。彼自身と、ジェシカや、他の者たちによって何かを始める決心がついたのだろう。


 赤毛少年、エリック=ジェイフリーと瓜二つに思えた少年が、今はちゃんと別人に見える。


 ……顔付きが変わったかな。


 男子三日会わざれば、と言うし、何かをやり遂げたのであれば当然なのかも知れない。


「今出来る最高傑作です――」


 払われた布よりも、その向こうから姿を現した鉄の塊よりも、俺は包帯の巻かれた彼の腕を見ていた。

 まだまだ少年の細腕で一体どれほど打ち続けてきたのだろう。おそらくは疲労骨折か、筋肉を痛めたか、ああしているだけでも痛みがある筈だ。


 だから、今はまだ何も言わず、一度目を瞑って視線をあげた。


 静かな目が、こちらを見ている。


「――銘は半月。ハルバードの持つ形状を現すものであり、完成されない半ばの状態であり、鏡となる字の意味を象徴する月の名を」


 柄は長いが、戦斧の大きさはこれまで使ってきたものより少し小さい。

 ただ錘状の先端槍が追加され、戦斧の背には重しのような打撃部位がある。

 これまでより多様な使い方が想定された形状であるのは見ての通りだが、差し出され、距離が縮まったことで柄が完全に直線を描いていないことに気付いた。また、石突きはやや太くなり、昆のように重しとなっているのが分かった。


「鏡としての月か」

「僕らの言葉に堪能なハイリア様ならご存知かもしれませんが、同じ音でも様々な意味を持つことがあるんです」


 半月の、ハンの字。


「叛逆の意味を持つ、叛。審判の意味を持つ、判。風を受けて進む帆の異音としての、帆。そして……凡百の意味を持つ、凡」


 受け取った。

 骨身に沁みる重みが手を、腕を通じて胸の奥へと通じてくる。


 ジェシカが微妙な顔をしているのがなんとなく分かった。


 凡百だなんて、この身になってから初めて言われた気がする。

 ついつい安堵するように笑みがこぼれるのと一緒に、それじゃあ駄目だろうと奮起する己が居る。


 他の皆よりも一緒になって遊ぶこともあったエリックは、俺が大したことのない男だと理解していた。

 君も……いや、君はエリックとは違う。君が、サイ=コルシアスの人生によって導き出した俺への評価はとても的を射ている。錬鉄の術者として修行を重ね、人を見てきた故だろうか。


 重さを得て、軽く持ち上げた時、変化に気付いた。


「軽い……?」


 全体の重量は前より増しているように感じたのだが、今までよりずっと軽い力で先端部が動いた。


「重量比を整え、これまでよりずっと小さな力で、ずっと大きな力を掛けることが出来ます。この武器は人を殺す為の道具だ…………かつて貴方はそう言ったのですよね。その殺人道具としての重みを背負って戦うのだと」


 いつの間にかこちらを見詰める瞳に鋭さが宿っていたことに気付いた。


 まるで、立ち向かう敵を見るような目だ。


 俺もまた、今己の手の中にある重みを抱えてその目と相対する。


「試合の中、そして裏山での一騎打ちで、貴方の戦いを見てきました」


 ため息が落ちる。

 落胆や疲労を感じさせるものじゃない。


 ジェシカ=ウィンダーベルが、緊張をやわらげるように、息を落としていた。


 サイは、敵意すら感じる目で、俺を見据えている。


「貴方はいつも、その重みに身と心を傷付けながら戦っていたんだ」


    ※   ※   ※


   ジェシカ=ウィンダーベル


 鉄を打つ音が耳から離れない。

 幻聴なのか実際の音なのかも分からなくなるほどその瞬間を見届けて、サイはまた新たな鉄を打ち始めた。


「…………」


 気付けば鍛冶打ちの音以外が周囲から消えている。

 意識していなければ音に飲み込まれてしまいそうな、そんな不安を覚えるほどの一時。


 なんとか気持ちを引き戻し、汗を拭った。


 ハイリアと帽子男の戦いを見届けた後、私は同学年の連中を伴ってウィンダーベル家の鍛冶工房へ向かった。

 サイに新たなハイリアの武器を打たせる為だ。アイツは魔術を使わず戦うから、この先も戦い続けるのなら武器が要る。サイ自身がやりたがっていたのだから、というのは半分言い訳で、私がそうしたかったのだろう。


 離れていく人々の姿に苛立ちを覚え、深く考えもせず自分は違ってやると思った。

 実際には皆、私と同じように何かを抱えて、その場ではない何処かで、いずれ立ち上がる彼の為にこそ背を向けたのだと、今ならば分かる。


 女を抱えて絶望する姿が目に焼きついて離れなかった。

 英雄と呼ばれ、強者であり、未来には栄光しかないように語られる者の、あまりにもちっぽけな背中。


 私に彼を奮起させることは出来ない。


 自分が人を導く器じゃないことくらい分かっている。


 だからせめてと、我侭と勝手を振り翳して場所を提供した。

 工房が空っぽだったことは幸運だった。さすがに親族というだけで本家御用達の工房を好き勝手には出来ない。ウチは傍流も傍流で親族の中じゃあまだ生き残っていたのかという程度の立場だ。ハイリアの率いる部隊へ入った為に幾らかの影響力を得られたが、後でバレたら叱られるんだろうなぁと、ベンズやペロスらが遊んでるのを見て考えていた。


 正直、武器の良し悪しなどはわからない。


 魔術に於いて、いや少なくとも『槍』の魔術に於いては、使用する武器など些細な問題だ。


 大切なのはぶっ飛ばすという気合い。


 優れた技巧も、冷静な判断力も大切だが、とにかく自分の生み出す武器の出来など考えたことは無かったし、普通とは違う形状も私の感覚では使いやすいのだから気にしたことは無い。


 けれど何十もの完成品が打ち上げられ、弾かれるのを見続けていた最中にふと感じたのだ。

 叩き付けられる槌の音が、これまでと少し違う。

 サイが入れ込んでいるというだけではない。助手をするペロスとグランツも同じように感じているのか、疲れで乱暴な動きが増えていたのに今では真剣な表情で大槌を振り下ろしている。当初あった気の抜けた掛け声も今は無い。炉の管理をするベンズが丁寧に石炭を均し、汗の一滴も注がぬよう身を離して手拭いで額を拭う。

 気付けば皆が煤だらけ、汗まみれで鍛冶場に居る。


 何せもう丸一日は打ち続けていた。

 水分補給はするし、奥から見つけてきたチーズなどをそのまま齧ったりはしてきたが、常に誰かが作業をしていたように思う。特にサイはこちらから口に放り込んでやらなければ何も食べず、飲まず、休もうとしない。寝る間も惜しんでというより、寝る間も忘れて没頭している。


 出来上がったハルバードの数はもう三十を越える。未完成のままのものを数えれば三桁に達しよう。早打ちと自らを称したサイは己の様を恥ずべきもののように語っていたが、果たしてこれまで彼を侮ってきた者たちに同じことが出来るのだろうか。


 皆良くやっている。


 サイを除けば全員が素人だが、各自の仕事ぶりは始めた時に比べ格段に熟達している。

 過剰に鍛錬を詰めば強くなるとは限らないとはいえ、伸びる瞬間というのは確実にある。

 私たちはまだまだ未熟なのだから。

 畏敬を覚えずには居られない先達たちに比べて、成長できる余地があるのだ。


 しかし、


 ふと、


 これまで周囲に漂っていた何かに淀みが生じた。


 私はサイを見る。グランツも、ペロスも、ベンズも、どうしたという表情を見せる。

 自ら鎚を打ちつけるサイが、飛び散った火花を見送り、悔しげに笑った。


「どうした」


 問わずには居られなかった。


 ここまでは順調に来ていた筈だ。なのに今、打ち付ける程に淀み、研ぎ澄まされてきた何かが霧散していくのを感じる。


 負けじとペロスが大鎚を振り下ろした。

 僅かに淀みが払われる。けれど続くサイの一振りがそれを台無しにする。


 いや……、


「続けろ」


「っ、わかった!」

「おっす!」


 数打を重ねた頃、暗闇に落ちたような雰囲気の中、ようやくサイは口を開いた。


「ある時、僕の打った刀を持ってやってきた人が言ったんです」


 火花が散る。


「この刀は素晴らしい。これがあればもっと人を斬れる。いや、斬りたくなる」


 集中しなくていいのか、とは尋ねない。

 今彼が打ち付けている想いがコレだ。言葉の分からないベンズやペロスは疑問顔だが、グランツは少し表情を曇らせている。払うようにペロスが打ち付けた。ハッとして彼も続く。分からないなりに察してはいるのだろう。


 鉄を打ち続けるこの時間の中で、多くの言葉を交わしてきた。

 少しでも彼の意を汲もうと、必死に頭を回した。言葉の置き換えが上手くいかない場合は表情や語気を読んで推測する。やり始めたときは難しいと感じたものが、この長時間に及ぶ共同作業のどこかで、自然と入ってくるように変化しているとある時気付いた。


「僕は刀の美しさに感動して、自分でも創りたいと思っただけなのに、僕の打つ刀は人を殺しに駆り立てる。一人二人じゃないんです。昔打った出来損ないまで掘り出され、戦いに使われ、命を奪ってきました。武人が戦いの中で死ぬのは仕方が無いことでしょう。ですけど、ただ人を斬ってみたいと担い手を惑わして、人斬りの為に争いを起こすなんて……それがどうしても認められなかったんです」


 言葉を世界に刻め。


 その宣誓によってこれまで辿ってきた場所とは異なる所へ、お前は向かうのだろう。


「ホルノスの内乱で、ハイリア様が仰ったのですよね。()()は人を殺す為の道具だ、と」


 軽くていい筈がないと、そう続く言葉は私も聞いたことがある。

 あの男が何を見てきて、何故言ったのかは分からない。出遅れた私たちにとっては記録と記憶に残る言葉が全てだ。


 己の武器が人を狂気に駆り立て、それを否定しようとしていたサイがどう思ったかなど明白で、きっと想像もつかない。


「僕はずっとそれを否定したかった。刀は、少なくとも僕らフーリア人の作るものは別なんだと、白い肌の人々が使う武器とは違うんだと信じて……けれど以来、僕は武器を打てなくなりました」


「では何故、今打っている」


 次の一打は、コレまでのどれよりも清涼に鳴り響いた。まるで淀みを際立たせるように。


 赤熱したハルバード、それをこの半日で用意した大型の水桶へ差し込む。

 水が起爆した。撒き散らされる霧は灼熱を帯びていて、掲げた腕の向こうでゆっくりと晴れていく景色を見る。


「あの人の戦いを、僅かながら見てきました。勝って欲しいとは思っていなかったと思います。きっと、負けて欲しかった」


 そして負ける姿を見た。


 一度ならず、二度までも。


「……悔しいと、最初は思っていたのかもしれません。だけどいつの間にか、ただただ重みを受け止めて、重みに身を晒すあの人へ、苛立つようになっていったんだと思います」


 世の誰もが多弁ではないし、すべてに於いて言葉を間違わずに伝えられるとも限らない。


 誤解から始まる面倒を、苦しみを、流石に私も少しは知っている。


 私にとって勝負が言葉であるように、彼にとっての言葉が、コレなのだろう。


 霧の中から現れた、黒みを帯びた殺人道具をどう評すればいいのか。

 打っている最中に感じた美しさが、今は何故か重く沈んでいる。

 やはり、途中から間違えたのではないか。百は繰り返してきた鍛造の中で奇跡の一度が訪れた、そんな感覚があったのに、反動によって何かが淀んでしまったような。


 伝えたいものが違わず相手へ届くかどうかは分からない。


 あぁそうかと思う。


 やはり彼は、鍛冶という一点に於いて多弁なのだ。

 そして彼の打ち上げた武器は、担い手へ雄弁に語り掛けてくるのだろう。


 なんだか急に、ハイリアが羨ましくなった。


 それはあの日、丘の上で仲間に囲まれ喜び合っている景色を見た時の感情に、やはり似ているんだ。


    ※   ※   ※


   サイ=コルシアス


 彼の持つ武器を目にした時、なんて不出来なのだろうと憤りすらした。

 この程度の武器を持つ人に僕のこれまでは否定されてきたのだと、自分勝手な苛立ちを孕んだ目で試合を見て、そして勝ち誇るような気持ちで苦しむ姿を見ていたのかも知れない。


 武器に罪なんてない。

 扱う人に問題がある。

 目的とした機能は確かに戦いへの備えだけど、長い年月を越えて洗練されてきた姿には芸術品としての美しさがある。

 技を磨くことにも楽しさがあった。

 師の教えてくれる秘伝を身に付けていくのは誇りを覚えたし、ずっと昔に教わった知識が何気ない一打の瞬間に繋がった時は興奮して眠れなくなった。

 音を聞けば鉄の状態が良く分かる。それは打ち上げる過程だけではなく、完成された武器が打ち合わされる音でも同じだった。担い手の癖で鉄は僅かな歪みを得る。それが独特な響きを生んで、続く攻撃の先が見えることさえあった。

 武器は使われて初めて完成していくのだと、その時思った。


 だからこそ、使われることの意味にも向き合わなければ行けなくなった。


 名匠オスロ=ドル=ブレーメンの弟子という看板は多くの使い手を僕の元へと引き寄せて、それがやがて殺戮へと繋がった。最初は、それでも構わなかった。僕は武器を打っているだけだ。師の生み出した大業物の数々をいつか自分もと追いかけるのに夢中で、武器の生み出す罪は全て使い手へと押し付けた。

 現実的に金銭を得られなければ修行も続けられない。

 結果としての収入で、鍛造に手を抜いたことなんてなかったけど。


『この刀は素晴らしい。これがあればもっと人を斬れる。いや、斬りたくなる』


 その言葉は殺人という事実を造り手である僕へ突きつけた。

 目を背けていただけだ。

 だって、使われることで完成されるのだから、最初から僕は殺人の当事者でしかなかったんだ。


 ハイリア様の言葉を聞いたのは、なら自分の打ち上げた武器を、何か肯定できる、正しいことに使ってくれる人は居ないかと求めた頃だった。


 武器造り、そして武器を扱うこと、そのどこにも正しさなんて無いと彼は言った。


 罪を背負って尚も戦う、英雄と呼ばれる男。



「貴方はいつも、その重みに身と心を傷付けながら戦っていたんだ」



 彼はいつも押し潰されそうに武器を振るい、打撃の響きは泣き叫びにも思えるものだった。

 罪を知り、背負うこと。その過酷さに立ち向かうことの困難はと考えていられたのはどれだけの間だったか。


 だから、


「そろそろ、浸るのは止めにしませんか」


 これは僕からの宣戦布告だ。


 別に僕は彼を深く知っている訳じゃない。

 事情の一端を、劇的な場面を目撃したというだけの事だ。


 なのにこんな物言いをするなんて。


 怒りよりも困惑の勝るハイリア様の表情に、胸の奥の燻りが激しくなる。隣でジェシカ様が苦い顔をするのが分かった。ベンズさんとペロスさんは言葉が分からないみたいだけど、何かを感じて黙ってくれている。後の二人はたしか、部隊の人の所へ向かった筈だ。


「そう見えたということか」


 少しして、温和な口調でハイリア様が言った。


 あんなにも苛烈な戦いを見せた人が、こうして穏やかに喋っていることが冗談みたいに思える。


 確かに鉄甲杯で見た戦いの殆どで、この人は鮮烈でありながらも静かな勝利を得てきた。だけど全力を振るう時、常に感情は剥き出しとなって、戦いは嵐のように荒れ狂うものへと変化している。

 元来非常に感情的な人なんだ。

 なのに押さえ込んで振舞うことに慣れ過ぎて、当人でも自覚が薄い。

 自分の本質通りに生きなければいけないなんて思わないけど、今はそれがこの人を苦しめている。


「違います。そう見えないことが問題なんです」


 ますます分からないといった顔をされる。


 仕方の無いことだ。僕はこの人とほとんど会話をしていない。何も知らない小僧から偉そうに諭されても納得なんてしないだろう。憤慨して叩き付けられないだけでもマシな方だ。今は、それが問題なんだけど。


「僕は貴方に――」


 言いかけて、ふと疑問に思う。


 感情的に振舞って欲しいのだろうか?


 そうすれば全て解決するとでも?


 違う。


 でも、今のままじゃあ駄目なんだと思ってる。

 それは、この人の振る舞いや戦い方とは少しズレていた。


 苛立ちの根。

 燻りの原因。


 それは、


「――罪の、重さの、扱い方を知って欲しい」


 それは僕自身への問いかけであり、目を背けてきたこと。

 覆しようの無い殺人の罪を犯し、駆り立ててきた者として、これからも武器を打ち続けるのなら避けては通れない己の在り方。


 僕一人では辿り着けなかった答えを求めるように。


「重さを消すことは出来ません。ですが、貴方が戦う時、半月は貴方の罪の重さを効率的に消化する。貴方の腕の長さ、筋肉と間接の使い方、すべてに於いて細かい計算を重ねて打ち上げた半月は、時に手の中から重さを消してしまうこともあるでしょう」


「効率的に……、罪を背負うだけではない、扱い方を学べと」


「罪を知る貴方なら、失うことはないのだと」


 忘れて振るえば、消えない重さが必ず担い手を打ち付ける。


「歯車の担い手、こちらで言う聖女とは罪を知らぬ者の意味でしょう?」


 行いの全てが肯定され、あらゆる者に幸と慈愛を振り撒く存在。


 師はフロンターク人らが代々封印を続ける存在についても色々と教えてくれた。

 長い歴史の中で不確かな伝承となった部分も多いけれど、セイラムという名の少女は徹頭徹尾、人を想って奇蹟を振り撒いた。運命の歯車を操り、決して逸脱しないよう厳重に見張り、人の意思を操り人形に堕したのだと。


 彼女の行いには是非が生まれるだろう。


 だけど、今明確に違うのだと言えることがある。


「彼女は自分の行いが罪であるなどとはまるで考えていない。結果的に人を幸福へ導くものであったとしても、そこに罪が無いなどありえないのに。だから僕は、罪を知って、罪に苦しむ貴方がセイラムを討つというのなら賛成します」


「ならば余計に、重さを効率的に扱うなどとは言ってられないのではないか」


「勝手に押し潰されるよりずっと良いですよ。勝つ負ける以前に自滅じゃないですか」


 偉そうに言う僕へ、ハイリア様は少しだけ口元を緩めて、半月を握り込む。

 くるりと回して、石突きを下へ。滑らせた手が戦斧の根元を捉え、こちらへ差し出すように掲げ持つ。


「背負うばかりが罪ではない、と。その方法を俺も考えていこう。ありがたく、これは使わせて貰う」


 未完成の武器が担い手へと渡った。


 彼に馴染み易いよう試行錯誤を繰り返したものだけど、今後磨かれていくことを前提に遊びを持たせてある。

 駄作に墜ちるか、業物へと辿り着けるか。

 彼次第、などと突き放すことはしない。


「研ぎや細かい修正などはいつでも引き受けます。それといい機会だからもう一つだけ」


 なんだ、とこちらを見る人へ向けて、刀工として最大の不満をぶつけてやる。


「ハイリア様は武器を容易く手放し過ぎです。どれだけの想いを籠めて打っても、どれだけの業物となっても、手から離れてしまえば意味が無いじゃないですか」


 とにかくポンポン放り捨てるんだから、この人は。


    ※   ※   ※


   クリスティーナ=フロウシア


 ハイリア様と他の一年生たちとのやりとりの脇で、私は同じ部隊の子たちから話を受けていました。


 気の弱そうな印象が先立つ眼鏡の少年アベル=ハイドくんと、武芸に秀でたフーリア人の少年グランツ=ドルトーレンくん。


「お二人とも大変だったみたいですね…………特にアベルくんはどうしてそんなに」


「おっす」


 まだまだ元気らしいグランツくんは握りこぶしを作ってみせるけど、アベルくんは説明をと開いた口からまずため息が出てきました。コレはかなり疲れてますね。


「…………皆ケロっとしてますけど死に掛けましたからね。死に掛けましたからね」

「おっす」


 グランツくんが同意しているので間違いなさそうですが、そうですか二回言いたくなるくらい死に掛けましたか。


「僕たちはデュッセンドルフの北西部にある職人通りに居たんですけど、そこからこっち……南方へ抜けてくる途中に貴族街があるじゃないですか……」


 それだけで大体の内容は察せられましたが、まずは聞きましょう。

 とりあえず貴族街と言えば『機獣』発生に際して近衛兵団が意図的に誘導して流し込んだ激戦区です。


「そもそも人通りが消えている中で何故悠長に鍛冶仕事なんてしていたんでしょうね、明らかにおかしいじゃないですか」

「おっす」

「誰も指摘しなかったんですか?」

「ジェシカ様はたまに僕の話をまるで聞いてくれなくなりますから……」


 ウィンダーベル家のご令嬢だ。

 今ハイリア様とサイくんの脇に立つ彼女はどうやらやりたいことに夢中になると意見を封じる悪癖があるらしい。


「何か怪しげな生き物がちらちら見えていた内は良かったんですが、昨日の昼頃には完全に取り囲まれてしまって、なんとかその場を脱したものの南へ逃げたものですから……」

「普通は外敵が現れたと思って内部へ逃げますね……」


 今回は内から敵が湧き出していたというイレギュラーな状況。

 斥候を出して退路を確保する余裕を持てなかったのであれば仕方の無い結果ではありますが。


「挙句にティリアナ=ホークロックを名乗る謎の術者に追い回され……」


「…………はぁ」


「ジェシカ様の主という方、鉄甲杯の優勝者ですね……その方に助けられてなんとか逃げ果せたんですが、フィラントの王様まで現れて、興味を持ったベンズさんがほいほい付いていってしまったものだからジェシカ様が怒って追いかけて、今度はイルベール教団の人と遭遇して一悶着あり……最後はジェシカ様の主を狙う近衛兵団との騒動に巻き込まれつつ、なんとかここまで逃げてきました」


「とても大変だったことはわかりました」


 自分でも馬鹿みたいな回答ですが、どう言えばいいのやらです。

 彼ら一年生がどれだけの大冒険を経てこちらに辿り着いたのか、その為の結実である武器の譲渡より彼がここへ来た理由も概ね理解出来ました。


「この話はまだ全て伝えていないのですね」

「はい……具体的な内容までは探れていませんが、僕がそのまま明かしてしまうより手柄や交渉材料にしていただいた方が良いと思いまして」

「ありがとうございます。フィラント側の不透明な動きだけでなく、敵との交戦の情報は有効に活用しましょう。ジンさんと、後はウィルホードさんでしょうか? 後で話を伝えてどう使うか相談してみますね」


 はい、と答える彼へ私は少し近寄り、手を伸ばしました。

 二人とも私より大きくてちょっとだけ遠い、一年下の男の子たちの頭をポンポンと撫でる。


 昔からよくハイリア様がやってくれたこと。

 私もちょっとだけお姉さんぶって言いました。


「よく無事に戻ってきてくれました。頑張りましたね。さすがは私の後輩です」


 ケロリとしたグランツくんと、恥ずかしそうに頬を染めるアベルくん。二者二様で、どちらも可愛らしい自慢の後輩です。


「それと、急ぎお伝えした方が良いことがあります」


 頬の熱を振り払うように息を入れ替えたアベルくん、気が弱そうに見えて強気な思考を持つ彼の意見は、ハイリア様との戦いを組み立てる上でとても重宝しました。


「なんでしょう?」

「まだ情報は広まっていませんが、ハイリア様がデュッセンドルフを占拠した相手との決闘を引き受けたんですよね?」

「えぇ。今、相手の情報を集めつつ戦術を練っている所です」

「決闘に於ける一番の目的は、大休止に乗じた兵の再配置と、決闘の見届けと称した進軍ですよね?」


 少しだけ間を置いて、けれど私は包み隠さず話しました。


「そうです。決闘の場は間違い無くデュッセンドルフ内部でしょうから」


 相手から慣例の大休止を持ち出してきた以上、同じく慣例としての見届け人を送り込むのは当然です。

 期間を絞ったことで人数を絞れと言われる可能性はありますが、少人数を偽装しながら出来うる限り接近し、距離を詰めることを念頭に置いてあらゆる政治的手段が持たれている筈です。


「おっす」


 グランツくんが不思議そうに言ったので、私は頷いて見せて説明します。


「デュッセンドルフ内に現れたセイラムの眷属と黙される四人の術者は、全て基点となるラ・ヴォールの焔から生じた魔術――」

 私が紋章を浮かび上がらせてククリナイフを握ると、彼は興味深そうに覗き込んできます。

 そっと抑えて、それを射程外へ放り投げました。

 ククリナイフは火の粉を散らして消えてしまい、同時に魔術光も途切れます。

「――つまりこういうことなんです。彼らは私たちが握る武器と同じ、射程外に出れば自然と消え失せ、力も一時的に消失する。すぐ繋ぎ直して出現させることは出来ますが、聞く所によると一時的に出現を封じられた『盾』の術者は再出現まで時間が掛かったそうです」


 縁を辿って出現した、という話もありますし、通常ではありえない形での召喚だからこそ幾つかの条件があるのかも知れません。

 あくまでセイラムが不完全な状態である今だから、というのもありますが。


「相手の意図は憶測でしか語れませんが、明確に場所の指定などが無かったことからも虚仮脅しが含まれていたのは確かでしょう。話を持ってきたことで拠点内部の様子も探れますし、その後、いつ返答がくるかどうかでホルノスの内情も見えてきます」


 近衛兵団とホルノス王との間で小さな対立があったことは知られていませんが、内部で波が立ったことまでは隠し切れない。

 教団と通じた間諜がマメな人間であればそれも報告された筈です。


「決闘が街中で行われる以上、この南部平原をティリアナ=ホークロックに狙い打たれながら進軍する危険が大きく軽減されます。普通に忍び込ませるより遥かに、大胆に戦力を投じることが出来る。だから近衛の副団長さんは無理をしてでも決闘を受けさせたんでしょう」


 もし対峙をそのままに押し寄せることになれば大損害を前提にしなければいけないと私でも思います。

 撤退戦では彼女一人の攻撃に大軍が右往左往し、戦い慣れた守備隊の人たちでさえ怯えを見せていました。

 いかに準備を整えて進軍するとしても、常識外れの力を持つ術者を前に辿り着くことさえ出来ず壊滅するかも知れないのですから。


 でも、内部に十分な戦力を送り込めたなら多くは解決出来ます。


 まず敗走の原因ともなった『槍』の術者の所在が明確となる点。そして、潜入した者たちでティリアナへ肉薄し、平原への攻撃を止めさせてしまえばそのまま一気に戦力を突入させ、街を制圧していけます。罠の危険はあるものの、十分に価値のある見返りでしょう。


「その上でハイリア様が『槍』の術者を撃破出来れば更に良い」


 気を付けて言ったつもりでしたが、アベル君は思考に没頭した時の常である、平坦な判断を以って首を振ります。


「そうは、思っていない筈ですよね」


「負けるとは決まっていない……そう思いつつも、その後を前提にやるべきことを練っている状態です」


 私たちはどうしても、ハイリア様の負けを否定したくなります。

 強く言い張っていたセレーネさんだけでなく、必要と頭を動かしながらもどこかで引け目を感じてしまう。

 いっそ彼女のように言えればどんなに楽か。


「僕はそもそも、敵がハイリア様を指名してきたことに疑問があります」

「そうですか?」


 言いつつ考える。


 当代最強とも言われたピエール神父を倒した、ホルノスが持つ最強の駒の一人。私たちを率いる人で、その一声にどれだけ助けられてきたのか分からない。でもあの裏山での戦いを経て、自分たちの不足と不出来を思い知らされた。

 私たちも、私もと動き出したものの、激変する状況の中で何も出来ないまま逃げてきて、再びハイリア様の求めを受けてここに居る。


「先輩たちはどうしても、あの方を特別視し過ぎています。個人の武勇が傑出していることも、将として強い影響力を持つことも分かります。僕も、それに負けたことを覚えています。ですが、ここで敵がハイリア様を引っ張り出す利益とはなんですか?」


「ヴィレイ=クレアラインの個人的な理由……それと、こちらの戦意を挫く為?」


「軍団を動かす頭は別にも居ます。精鋭としての近衛兵団、武勇と言えばヨハン=クロスハイトさん、そして学園の二番隊はエルヴィスに通じる戦力へ呼び掛けて、今この拠点から外れた場所で戦う準備を整えています。彼だけではないんです。では、なぜ彼なのか」


 教団からの関与が暗に否定されたのは分かりました。

 結局、ヴィレイという人は歴代の英雄を御する器ではないと私たちの中でも言われています。

 ティリアナ=ホークロック然り、暗殺者らしい『剣』の術者も、交戦を目撃した人の話を聞けば容易く纏められる相手ではないでしょう。


 統一された大目的はあっても、事細かに戦術を指示するだけの影響力は無い。


 そして確かに、事実としてハイリア様に勝利したヨハン先輩が事実上の最高戦力と目されていてもいいでしょう。


 敢えてハイリア様を指名する理由。


 アベルくんの指摘する通り、私たちはそれを当然と捉えて思考を怠っていた。


「相手からすればただ待ち構えていれば有利に事を進められた筈です。こちらに機会を臭わせながらも誘ってきた、その理由をしっかり探っていかないと、決闘の勝敗が決した時に不意を突かれるのは僕たちになるんじゃないでしょうか?」


「想定してみましょう」

「はい」


 鉄甲杯で何度もやってきたやりとりで思考を纏め上げていく。


「利益を探るに当たって、その前提をまず考えてみましょうか。決闘を行うことによって変化する事項……まずは配置ですね」

「はい。敵側の行動範囲が決まっているとして、大きな変化はホルノス側の戦力配置です」


 アベルくんの意見に私も頷きました。

 一番分かり易く、大きな変化。

 見届け人と称してハイリア様に近しい私たち、近衛兵団、選抜された守備隊や、もしかするとホルノス王までもが敵の射程範囲へ飛び込むことになるかも知れない。


「敵の懐へ入り込めることを利益と考えてきましたが、敵からすれば手の届かない所に陣取られているより対処のしようがあるのかも知れません。そう、考えている可能性」

「相手には暗殺の秀でた術者が居るとの話もあります。ハイリア様の試合を長引かせて、秘密裏にこちらの指揮者を刈り取ってくるくらいはやるでしょう」

「交戦禁止を守るかどうかは個人の気質次第」

 しかし問題の相手は世界の影に生きる人。名誉を重んじる相手なら守ると考えられても、結局戦争の強者とは相手を騙すことに秀でた人です。

「敢えて言うと、大部隊で陣を形成しながら進める平原での合戦とは違い、市街地ではどうしても守備に穴が出来ます。数に文句を言われた場合は外部に残された人たちとの合流経路上に伏兵を配置すればいい。潜り込める利点はありますが、欠点もあるんです。そして近衛兵団はおそらく、攻撃性に特化された軍団です」

「仮にこれらを思考の上で決闘を飲んだのであれば、近衛兵団……ホルノスは速攻による決着を望んでいるんでしょうね」


 諸所の問題は平民側からでは把握し切れない。

 後でハイリア様なり貴族側で調べてもらった方がいいかもと考えつつ、脇へ寄せて思考を続けた。


「配置の他に何があるでしょう?」


 言いつつ頭に並んだ事項を纏め上げる。


「時間、でしょうね」

「ですね。『機獣』を動かせるのは日中、光のある場所と言われていますから」

「『機獣』というのはあの『槍』の魔術を使う化け物ですよね? なるほど、そんな習性が」


 坑道内での話をし、アベルくんが咀嚼するのを待つ。


「こちらの都合だけを見て攻め寄せるなら確実に夜襲を考えます。視界の悪さや夜戦の不慣れはあっても、街中に『機獣』が溢れかえっているか眠っているかで相当に事情が変わりますから」

「決闘によって、その後の戦闘時間をある程度絞り込める、ですね」


 考え始めると思っていた以上に利点があるもので、敵が自身の力を圧倒的なものだと考え、負けを想定すらしていないのであれば手っ取り早い手段であることも分かってきました。

 当然こちらも勝つことを前提に思考を進めていきますが、常にどこまで無理をして、どこを越えれば撤退すべきかを考慮するものです。


「問題となっている敵の『槍』は極めて大規模な破壊を可能とする術者のようですから、こちらが送り込んだ手勢くらいは一撃で処理出来る、なんて考えもあるかもです」

「過信はあっても、その一辺倒ではないでしょう。相手は歴史に残る英雄なんですよね? 容易い勝利だけを繰り返した者は英雄とは呼びませんよ」

「アベルくんならなんて呼びますか?」


「神、でしょうか」


 その力を与えられたと言われる人の名を思い浮かべずには居られませんでした。

 聖女ですら実際には島流しにされたという話です。運命を御して、魔術の構造を生み出しておきながら、敗者の側で終わっている。無敗無敵の敵が思い上がりだけで戦術を定めているというのは、私たち不足ある者たちの思い上がりでしょうね。


「とにかく、敵を懐へ呼び込む者は大抵何かを画策しているものです。奔放な考えの者が実行したとして、裏で考えを巡らせる者は確実に居ます」

「そうですね。まずは罠で有利な状況をつくること、次に懐柔、そして閉じ込める」


 今ここに在る戦力を封じることが可能だとすれば、セイラムが本格的な再臨を果たした時、かなりの制約が課せられることになりそうですね。


 少なくともホルノス王の見届けだけは止めるよう進言しなければ。


「……そう考えると何か見落としがありそうな気もしてきます。今の状況、セイラム、そして私たちと、敵戦力……暗殺者、射程、ティリアナ=ホークロック、ヴィレイ=クレ――あ」


 そうか、罠だ。


 罠のことを完全に失念していました。





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