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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第四章(下)

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 炊き出しの場からやや離れた、丸太をそのまま椅子変わりとした一角に彼女を見付けた。


 戦いから逃れて生きてきた経験からか、食べられる時には限界まで食べようとする所がある彼女はちょっとリスに似ている。

 昨日は汁物だったが、今回は芋なんかの固形物が主だ。

 たしかにベイルも食料はあっても水の確保が出来ていないと言っていた。急ぎの時に大量に作るのはいいが、煮込み料理はその過程で結構水分を飛ばしてしまうから勿体無いのだろう。


 何の気無しに隣へ座った時、まだ食べることに夢中で気付かれていなかったから、そのまま終わるのを待った。

 正面に座る中年男が何故かコレも食えと差し出していて、彼女は躊躇無く受け取って食べる。

 ちびっこくて一生懸命に食べるから、つい餌付けしたくなる気持ちは良く分かる。

 目の合った男は少し気恥ずかしそうにして咳払いをして、そのまま去っていった。


 ちょうど良く周囲に空白が出来る。


 隣を見て、貰った芋を飲み込んで満足そうに息をつく少女の頬を、ちょっとした悪戯心で摘んでやる。


「いい加減気付け、くり子」


「っっっ!? ふ、ふぁっ、ふぁいひはふぁふぁ!?」


 いつもならそのまま転がってパンツの一つも晒しそうだが、生憎と頬を摘んでいる。

 ぷにぷにとした摘み心地で、なるほどこれならたっぷり食料を詰め込めそうだと馬鹿な考えに浸る。


 クリスティーナ=フロウシア、またの名をくり子。いや、俺が勝手に呼び始めて、今や周囲にも定着した呼び名だけど。彼女が驚きから回復し、摘まれたままの頬を軽く染めながら目線を彷徨わせるのを見て、俺は手を離してやった。


 頭の一つも撫でてやりたいがあまりにも小動物扱いが過ぎると自重する。今更だけどな。


「ちゃんと眠れたか」

「……ふぁい」

 摘まれた頬を押さえながら言うから呂律がちゃんと回っていない。

「食事中だったなら果実水でも持ってくれば良かったな」

 ピクリと反応する様に笑みを溢し、それとなく周囲を探った。


 まだ、声の聞こえる範囲に人は居ない。


「くり子」

「はい」



「どうにもならなくなって困ってる。力を貸してくれ」

「はい」



 間髪入れず、というよりは、当たり前のように頷かれてこちらが驚いてしまう。


「……これでも結構、勇気を出して頼んだんだが」

「分かってますよ。でも私の返事なんてずっと前から決まってます。はい、力になります。なんでも言って下さいね」


 全く。


 ここまで散々構えて、何度も頭の中で台詞を練習してきたのに。


 気恥ずかしさを誤魔化すのに彼女のくりくり頭をもみくちゃにしたかったが、なんとか思い留まって言葉を作る。


「ありがとう」


「はいっ」


 はじける様な笑顔で言われ、力の抜けていた身体に熱が点る。


 よし、と次の行動を始めようとした時だ。


「ハイリア様」


 小さな手がこちらの手を握り、その熱さに驚いて顔を向ける。


 くり子は、二人にしか聞こえない声で、想いを打ち明けてくれた。


「貴方のことが好きです。ずっとずっと、好きでした」


 だから俺も、誤魔化す事無く応える。

 膝をついて、その手を包み、けれど、そっと押し返す。


「すまない。俺はメルトのことが好きなんだ。彼女のことを大切にしたい」


 世間じゃあ一夫多妻だとかズルいことをする者も居るけれど、俺はそこまで器用にはなれそうにない。

 一人を望んだのなら、その人を想うだけで精一杯だ。


 矛盾だらけで、自分勝手な理屈だけど、他の誰かまで望むことは裏切りだと思うから。


「はい」


 くり子の返答は先ほどと同じく当たり前のようにやってきて、だけど少し、滲んでいた。


    ※   ※   ※


 彼女と話していて分かったことだが、全員がこちら、デュッセンドルフの南部へ避難してきている訳ではないらしい。

 北部はこちらよりずっと距離を取っていて、谷間を抜けた先には大きな町がいくつかあるおかげで比較的安定していると聞く。怪我人を北側から逃がすべく敢えて南部平原をティリアナに狙わせたという話もあるし、重傷者をこちらで抱え込むことにならなかったのは水不足という現実を思えば良かったと思う。撤退時に多数の負傷者が出たのは確かだが。


 また何人かに声を掛けて、ベイルからの使いでやってきた少年に案内させて訓練場へ集まってもらっている。

 出来るだけ一人一人と話していきたい。

 これは、無駄な労力だろうか。

 人をやって一箇所へ集め、それから纏めて宣言でもしろと?

 なんだかそれは違う気がする。

 遠回りでも、しっかりと皆の様子を見て、向き合いたい。

 くり子のように、二人きりでなければ言えないこともきっとあるから。


 何の意味があるのかと問われたら上手く答えられる自信は無いけど、今の俺には大切なことなんだと、そう思う。



 ジンが言っていた。


『何か一つを終えたからって、それで終わるなんて思わないでくれよ。国が滅んでも、今まで持ってた何もかもを失ったって、明日は続くんだ。その先で得るものだってある。ただ、今を、惜しむことが出来る間に、恥掻いてでもやれることはやろうじゃねえか』


 オフィーリアが、先輩が、


『大切な友人を失った辛さは私も知っています。それでもその先を貴方が示してくれたから、私はここに居ます。大丈夫ですっ、愛はすべてを乗り越えますよ。ふふ、馬鹿みたいですけど、そう思って今までの自分とは別人みたいな行動に奔って行けるなら、全然間違いなんかじゃないんです』


『……悩むことも、些細な後悔も簡単には消えないだろう。今の満足だけに生きていいのかと思うこともある。だが今なら、お前にも、俺にも、支えてくれる者が居る。だから、望める一番を探して、もがいてみよう』


 頑固者のクラウドが、


『背負うと言ったなら最後まで面倒を見ろ。ふん――こうでも言わないとお前は、また気遣いに気遣いを重ねて迷うんだろう。方針に逆らうこともあるし、何を言われても曲げるのは御免だが、あの時の言葉を俺は受け取ったつもりだ』


 あるいは、


 そう、


 撤退戦で無茶をしたらしいフィリップを見舞おうと医療用の天幕を訪れた時、彼と再会した。


 夏季長期休暇でイルベール教団と衝突した後、一方的な殺しを経験したことで学園からも去って行った者が居た。二度と戦いに係わることも、魔術を使うこともなく、会うのはこれきりだと言い残していった男。


 オットー=フェルスベルクは、施療士の服に教会のシンボルであるリングを首から下げ、飛び散った血に袖を濡らしながら怪我人の治療に携わっていた。


『戦いに加わったことは今でも後悔しています。まだ時折夢に見て……眠れなくなる時もありますし』


 術後、血塗れの手袋を小間使いの少年へ預けつつ、目元の血を拭って、濡れた指先を見て顔を顰める。

 彼にとってあの戦いが一つの終わりだった筈だ。やってきたことから離れ、終わった後、始めてきた。


『それでも、あの時の経験があったから、俺は今ここで踏ん張って居られるんだと思います。教わったことを元に施療院のやり方を変えてみたりもしました。それともっと新しい手法は無いかって、よく本を読むようにも。血を見るのは怖ろしい、人を助けるつもりで、人を殺してしまうかもしれない。そんな苦しみを前に、また逃げ出してしまおうかと何度も思いました』


 俺よりも遥かに命と係わりを持ってきた彼は、別れを告げた時のように儚げな笑みを浮かべ、けれど、新たな怪我人の呼びかけを聞いて力強く返事をした。

 こちらを見て、眉を下げ、覚悟の息を吸う。


『それでも、やるしか無い時ってのはあるもんですね。やりたくなくても、逃げ出したくても、その力があるのならやるしかないんだと思います。治らないと分かっている者を前に、僅かな時間を稼ぎ出す為に全力を尽くすことだってあります。大勢の怪我人を前に重傷者を見捨てて生きる可能性のある者を助けることも。力不足を感じながら、もっとと願って、逃げ出したくなる自分を押し留める。それを、きっと俺は続けていくんでしょうね』


 あるいは己への戒めであったのか、オットーは少しだけ苦しそうに笑って、再びの別れを告げた。


 結末があり、それが成功であれ失敗であれ、閉じて終わる世界でないのなら……続けていくしかない。


 生きることを放棄しようだなんて、彼の覚悟を前には考えられなかった。


 協力してくれると言ったフィリップは先に現地へ向かって貰い、静けさの増した空を見上げる。

 朝の気配は通り過ぎて、昼の活気も落ち着いた頃。日暮れにもまだ遠い中途半端な時間の中で、思い出したように呼び掛けてみた。


「聞いているのなら、そちらの俺に伝えて欲しい――フロエ」


 未来からの声と彼女は言っていた。

 元々頻繁に係わってきてはいなかったから、繋がる時と繋がらない時があるのかも知れない。

 無意味に終わるかも知れない訴えを、俺は続けた。


「……後悔は消せないのかも知れない。だが、残った者たちと、お前はもう一度話をしてみろ。今更だなんて言い訳に逃げず、恥を晒して、求めてみろ。なにかをしろって話じゃない。ただ、孤独に逃げるのは止めて、また誰かと共に生きてみろ」


 吐き切った息を吸って、また熱の篭った息を落とす。


 単なる自己満足のつもりだったんだが、頭の中に響く声があった。


《――うん、伝えとく》


 この先に希望はあるのだろうか。苦しみを乗り越えて、何が得られるのだろうか。敗北を重ね、勝利を夢見て、掴みきれないまま生きた先で、俺は笑える日が来るのだろうか。いつか来る後悔を知らぬままの言葉が届くのかは分からない。無知な訴えだと笑われるのだろうか。


 それでも俺は――俺がこれまで得てきた全てを以って、抗ってみよう。


 ここは、彼女たちの見る過去じゃない。

 ここに居る俺たちにとっては今、これからの、先すら見えない道の途上だ。


    ※   ※   ※


 探せる範囲で声を掛け終わり、準備を整えて貰っていたメルトと合流した後、訓練場へと向かった。

 ティリアナから逃れた後に構えた拠点から、東へ少し進んだ森の中。切り倒した丸太を臨時の橋として僅かな陸と呼べる場所を経由し、ようやく辿り着いた小島のような場所が、ベイルの用意してくれた秘密の訓練場だった。


 森は進めば進むほど沼が広がり、地元の人間でも迂闊に進めば戻れなくなることもあると言う。

 危険な蛇や蜘蛛なんかの動物昆虫は元より、特有の植物には棘で皮膚を引っかいだだけで腕が倍になるほど腫れ上がるのだとか。


 よくもまあこんな所をと思ったものだが、考えてみれば鉄甲杯の準備で彼ら近衛兵団も長期間デュッセンドルフへ留まっていたし、その間に領主の許可も無く勝手に作ったのだろう。

 証拠として、使われている丸太は大きく、沼地に生える木々とはどうにも種類が違う。

 壁で囲って目立つような状態にはしていないが先述した毒のある植物などを周囲に配し、人の侵入を徹底的に阻んでいた。


「……これは、鉄甲杯よりもずっと前からと考えた方がいいかも知れんな」


「……隠れるには最適ですが、ここで満足なお世話が出来るか不安です」


 呆れた俺の声に、この劣悪な道をするりするりと越えてくるメルトが決意と覚悟を滲ませて言う。


 ややズレたことを考えている彼女に笑みを浮かべながら、さりげなく懐中時計で時間を確認する。


 ジークとの戦いの後、メルトは死を迎えている。正確な時間を確認し忘れていたが、元々ある程度のブレがあるのだから、今この瞬間になってもおかしくはない。予定がズレ込んだことで兵舎で休んでくれるよう頼んだのだが、メルトはお供しますと言って聞かなかった。

 我侭を言っていると自覚しながら、意地を張っている羞恥に頬を染めるのは可愛らしかったのだが、不安は不安だ。


 なんとなれば許可した俺が背負っていけばいいし、近衛兵団の立場が危うい今、目の届かない所にあの状態のメルトを放置するのも避けたかった。攻撃を受けるだけならともかくとして、近衛を敵視する者たちから政治的な手段で狙われた場合にどうなるかは分からない。


 丸太の橋から飛び降りて、足元を確かめた後に振り返って手を伸ばす。

 何度やっても緊張した様子を見せるメルトがその手を取り、するりと降りてくる。


 ……必要なさそうだという点には目を瞑ろう。


 こういうのは必要かどうかより、振る舞いの問題だ。

 婚約者が高所から降りるのに手も貸せない男では居たくない。


 ただ、俺がその手を握ろうとする前にメルトさんはそっと引いてしまって、中々目を合わせてくれなくなる。


 柔らかな感触の残る手のひらを軽く握りつつ、改めて訓練場を見やった。


 これだけ近寄って、まだ内部が伺い切れない。

 例の植物だけでなく、草地に見える場所も迂闊に踏み込めば沼へ落ちるらしい。

 案内役の少年の説明に耳を傾けつつ、入り口はどこかと目をやれば、とても分かり易い状況になっていた。


「というかさ、やっぱりアンタ調子乗ってんでしょっ」

「乗ってねぇっつってんだろ、いつまでも終わったことをうじうじ言いやがって蛆虫かテメエは」

「じゃあ何で負けた時のことなんて言い出してんの。それって自分が勝ったからとか思ってる証拠だよね。嘘ついてお綺麗に振舞おうとかホント卑怯」

「んな事言ってねえだろ勝手に話飛ばしてんじゃねえよ、お前がそう思いたいから何言ってもやってもそこに繋げてるだけじゃねえか。勝てる負けるの問題じゃねえんだよ、どっちにも備えておけばいいじゃねえか」


 ヨハンとセレーネだ。


 昔から言い合いの多かった二人だが、どうにも険悪さが増しているように思える。


 内容を聞くに俺が無関係では無さそうだ。とはいえ、首を突っ込んでいいものかどうか少々悩む。


「ハイリア様は絶対勝つに決まってるじゃない! 足手纏い連れた状態ならいざ知らず、真っ向から戦って負ける所、アンタは想像出来るの!?」

「だから負けると思って言ってるんじゃねえって何度も言ってんだろクソアマが!! やれることは全部やろうってそれだけの話じゃねえか納得出来ねえならそこらの沼にでも沈んでろや!!」


 炎が二つ、激情と共に燃え上がった。


「一年前は馬鹿の一つ覚えみたいな罵倒しか出来なかった奴が随分口の滑りが良くなったじゃないッ!! 過信と慢心で肥えたその舌切り取ってやる!!」

「メンドくせえなやっぱりあン時泣いて謝るまでヤってやりゃ良かったな!! そうなりゃちったあ人の話が聞けるようになっただろうよォ……!!」


 待て待て待てなんでそこで二人揃って斬り合い始めるんだ!?


 記憶にある数倍は険悪になっていた二人に動揺と混乱が先立った。

 止めるにしても本気で斬りかかるヨハン相手に白刃取りなんて出来る自信はないし、『旗剣』の連続破砕にはそもそも意味がない。武器の無い今どうすれば二人を止められる? いや声を掛ければいいんだ何を慌てて――――



「ハイリア様がお通りです、道を空けてください」



 ぴゅーん、と勢いをつけて踏み込んだヨハンとセレーネが飛んでいった。

 合気道、などという言葉が浮かぶものの、柔術と絡めて夏季長期休暇に素人レベルの知識で概念的なものを軽く話したことがある程度だ。


 間に立っていたメルトは上品に手を拭うと、裾を揺らさず振り返って脇へ避けた。


「どうぞ」


 メルトのことだから言葉通りではなく、俺が困っているのに気付いての行動だと思うんだが……完全に熱くなって不意打ち状態だったことを踏まえても、ちょっと空を見上げながらメルトさん最強説を再び考え始める俺だった。


「それで、どうしてお前たちはそんなに揉めてるんだ」


 メルトに示されるまま先へ進み、驚きのあまり呆けたまま転がる二人へ手を伸ばす。

 躊躇いながら掴んだヨハンとは逆に、嬉々として両手で握り、あわよくばと身を寄せてきたセレーネは軽く額を突いて止める。メルトも居る、そういうのは無しだ。


「別に揉めてませんよぉ」

「……そうだな、別に揉めてない」


 いや完全に揉めてただろ、斬り合うくらいには。


 しかし俺が絡んでいるとはいえ、当人同士の問題のようだから口出しは控えるべきか。


「そうか、揉めていないか」


「えぇ」

「おう」


「それじゃあ二人は今から長針が一回りするまでの間、仲良く手を繋いで過ごして貰おうか。嫌なら素直に話すんだ」


 結果だけ述べると二人は手を繋いだ。

 セレーネは心底嫌がって寒気がとか犯されるとか言ってたし、ヨハンは何も言わないがかなり不機嫌そうだが、そうまでして俺に事情を話したくはないらしい。一応はアンナへの説明をしておく必要があるだろうなと思いつつ、話は終わったので訓練場へ入っていく。


「二人がいつも通り仲良くしていて良かったよ。揉めたりすることなく、そんなに嬉しそうにするなんてな」


「そっ、そうですよ仲良しーっ」

「うっせえ近寄るな、ぁ痛ァッッ!?」


 敢えて言うが俺は拗ねてない。


 皆が仲良くて満足だ。


    ※   ※   ※


 集まって貰えたのは結局十数名。

 オットーのように自分の役目を負っている者も居たし、撤退戦で意識不明に陥ったまま戻っていない者も居る。北方に退避していて連絡が取れない者も居るだろう。助けてくれよと言ったジークやリースにも声を掛けたかったが、こちらには来ていないようだった。二番隊の回収をしたらしいベイルによれば「くたばっちゃいねえよ」らしいのだが。


 今がそれほど人員に余裕のある場面ではないのは確かだから、むしろ、そんな中で実務能力に秀でた者まで引き抜いているのはすまないとすら思う。


 敵の『槍』との決闘はあくまで状況作りの為の布石だ。


 勝敗には拘っていないとベイルは言っていたし、なんなら早々に負けを認めても良いと、コレは陛下の言葉だったが。


 だけど俺だって男だ。

 負けることを前提に準備を進めるつもりはない。

 やるならば、勝つ。


 ただ、その為に動き出す前に、話しておきたいことがあった。


「くり子」

「はい」


「先輩」

「……あぁ」


「ヨハン」

「おう」


「ジン」

「ん」


「フィリップ」

「お、おう」


「セレーネ」

「はぁいっ」


「オフィーリア」

「はいっ」


「アンナ」

「はーい」


「クラウド」

「あぁ」


「ウィルホード」

「こちらに」


「セイラ」

「同じく」


 そして、


《私を除け者になんて許さないからな》

《そうだな――クレア》

《居るさ。ここに》


 中継をしてくれるフィラントの巫女リリーナへも礼を言って。


 もしかしたら、未来からこちらを覗いているかも知れない彼女へも、そっと心で呼びかけて。


 一人一人と話して助けを求めたけど、具体的な内容には触れてこなかった。

 あまりにも長くなりすぎて、どうしようもないくらい彷徨ってしまいそうな話だから。

 どん詰まりの先が見えて、行き場をなくして、ようやく告げられる。そうならず、すぐにでも求められるような俺であったら良かったのか。今は頼ることを決め、この行動を後ろめたく思いながらも肯定しているけれど、違う道に進んだ所で別の後悔や不安が積みあがっただろう。


 今、ここに居るのなら、ここでこそ得られる最善を求めよう。


「皆に、相談したいことがある」


 メルトを死の運命から救う為に。


 傍らに立つフーリア人の少女へ目をやれば、まさに、その症状によって彼女が呑み込まれる前兆が起き始めていた。


「ハイリア様」

「あぁ、ここに居る。だから、安心して眠れ」


 やがて完全に死に至ったメルトを抱いて、改めて言う。



「彼女を救いたい。頼む、助けてくれ」



 返答には、誰一人迷わなかった。


    ※   ※   ※


   オットー=フェルスヴェルク


 あらかたの重傷者を()()し終えて、比較的余裕のある者を診て行く。

 トリアージと言うらしい。助からない者に時間を使わず、助けられる者を優先して診る。薬や道具の量にも限りがあるから、どうしようもない者に消費するのは助けられる筈だった者を巻き添えにする行為になってしまう。


 戦いが苦手で、後方なら楽かもと安易に考えて配置を望んだが、あの日から何度悪夢に犯されて飛び起きたか数え切れない。


 こちらに死者は出なかった。

 だけど怪我人が居なかった訳じゃない。

 中には俺が失敗したツケで学園を去るしかなかった奴も居る。

 後方なんて考え自体が甘かった。あそこは、ここは、生と死の最前線だ。


「こちら、お願いします」


 声を掛けられ、いつの間にか立ち止まっていたことに気付く。

 首を振った。

 しっかりしろ。


 俺なんて本来は小間使いだが、貴族らに医療物資と施療士が大量に連れて行かれて平民を診る人間が圧倒的に足りない。

 君なら出来るなんて励ましを置いて行った連中は、今頃失敗すれば殺されかねない最前線だ。

 ここはここで、やれる限りの事をやるしかない。


「布が無いんだ、コレくらいならしっかり止血しておけばいい。いいか、ここにお前の血の流れる所がたっぷり詰まってる。ここを抑えて止血するんだ。出来るのはお前しかいない」


 患者自身に無茶を言う。だが他に手はない。

 なんとか隠し通せた物資だけでやりくりするには、出来るだけ消費しない形での処置が必要になる。


「傷口を掻かせるな。出血が増えれば虫はもっと寄ってくるぞ。上からもっと適当な布を巻いて、最悪腕は縛り上げろ」「一度処置に使った道具は絶対に使いまわすな。使う前には新しい水を沸かして消毒だ。何度も言っただろう!」「大丈夫だ、大した傷じゃ――いや確かに俺は見習いだが、っだから死ぬような傷じゃないから大人しくしていろ」「患者が居なくなった!? 自分から消えたならほっとけ! あいや、その男はさっき部屋の隅に居たな。オイ!!」


 自分の判断が正しかったかなんて分からない。決めていかなきゃ動きもしない。

 何人かを生かしたかもしれないが、俺じゃなければもっと生かせたんだろうかと思う。でも、ここに居たのは俺だったんだ。

 誰かの人生が終わり、誰かの人生が滅茶苦茶になって、誰かの人生が救われて、気を回すことさえ億劫な疲労感を叫びで散らしながら、怒鳴ってしまった見習い女に詫びをする。泣きたいのはこっちだ。


 明日世界が終わるとしたって、今ここに居る患者を治すのが俺の仕事だ。

 そう決めた。男爵の内乱で出た無関係の怪我人を、無視出来なかった、あの時から。


 相手が聖女だなんだと噂されちゃいるが、俺からすればどうでもいい。


「ちょっと煙草吸ってくる。ソイツは仮病だから放り出しておけ、どうせここなら飯が食えると思ったんだろ」


 夏季長期休暇以降に覚えたことが、今じゃあすっかり習慣化していた。吸うと少し落ち着く。どんだけ辛い時でも、何かに頼ってでも、やらなくちゃならない時はある。学者が偉そうに良くないだの口論してるのは聞いたことあるけどな、俺には必要なんだほっとけ馬鹿。


 持ち歩いてるケースを服の上から触れて、天幕から出て行こうとした。


 出入り口近くの物陰で寝ていた男が起き上がらなけりゃ、たっぷり煙を吸う時間はあったろうな。


「……寝ちまってたな。もう夜か」

「まだ昼だ。ハイリアはとっくに帰ったぞ」

「そうか」


 手を伸ばして何かを探しているから、足元にあった帽子を投げて渡してやる。取りこぼしたが、拾いなおして被った。


「傷の調子はどうだ」

「アンタが診た通りさ」

「感覚を聞いてる」

「まあなんとかなんだろ」

「そうか。なら行け。悪いがここは治療しようも無い奴を置いておく余裕はない」


 そうかい、と枯草色の髪の男が勢い良く立ち上がると、見事に積んでいた箱へぶつかって倒しかかる。


「悪ぃ」

「…………アンタの事は二番隊の連中が気にしてた。頼るんならそっちへ声を掛けてみろ」

「わかった。あぁ、助かったよ」

「いや……」


 すまない、と言い掛けた言葉を呑み込む。


 どうしようもない。誰にどうにか出来たのか、判断出来る者が居たのかすら。


「誰か人を貸してやろうか」

「聞いた感じ、そんな余裕は無いだろ。隠れるの助けてくれただけで助かったよ」

「元同じ教室の誼というやつだ。他は知らん」


「あぁ。まあ完全にって訳じゃねえからな、そう気にすんなよ」


 風へ乗せるように言って、ジーク=ノートンは去っていった。

 まるで授業が終わってから出て行く時みたいに、彼はいつも通りだった。


 腕に纏わりついた黒の魔術光の意味は分からなかったし、彼が俺を見ることはなかったが。


「チッ」


 悪態をついてケースを元に戻す。

 時間が無くなった。


「やるしかない。あぁ、何があっても……」


 逃げることを止めたのなら、進めなくたって現実はやってくる。


 ここに居るのなら、ここでやれることをやろう。





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