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ベイル=ランディバートは容赦しなかった。
反論を封じる上で次々と情報を開示して逃げ道を塞ぎ、利を説き理を訴え情を振るって受けろと命じた。
敵からの申し出があったこと。使者にアリエス=フィン=ウィンダーベルが用いていた使用人が送られてきて、青褪めたままデュッセンドルフへ戻っていったこと。陛下は内容を俺に伝えないまま断ろうとしていたらしいこと。そして彼が、近衛兵団の副団長でありながら陛下より先んじて、彼女を排した話し合いの場を設けていること。
いずれ探し出されるだろうから、それまでに決めてしまいたい。
そう言う彼は一切の罪悪感を見せず、俺を補佐と呼びつつ命令を重ねてきた。
「第一に物資が不足している。食料は混乱に乗じて掻き集めたが、ここから南部は沼地になっていて水が用意できない。川も汚染が酷くてな、今朝調べただけでかなりの人数が下痢で倒れた。日差しも強くなってきてるから飛びつく奴が後を絶たない」
鉄甲杯の開催によって街中の水源が汚染され、真水の高騰が激しかった話は聞いた。
様々な国の文化が混在するのはデュッセンドルフの常だったが、今回は規模が近い過ぎた。街中では馬車馬の糞が放置され、人の排泄物は川へ流されていた。井戸には鍵が掛けられて昼夜を問わず見張りが立てられる場所もあったし、余所者を排斥して地元の人間だけが利用出来るとした場所も見ている。
加えて準決勝に重なった豪雨。あれで川が増水して一部に集中していた汚染が下流へも広がり、落ち着いた今では露出した川底から悪臭が立ち込めているのだとか。
平原半ばで川は地面に吸い込まれて、南部を沼地へと変えている。
元々鉱山都市として発展した背景のあるデュッセンドルフから流れ込む川には当然、鉱山から垂れ流される多量の有害物質が含まれる。適応した動植物が沼地に生息しているが、その肉にも危険があるとの意見も出ているという。同じ理由で水を飲むのも危険が伴う。
煮沸消毒やろ過にも限界があって、仮に飲めたとしても人数が膨大だ。
気温の上がり始めた今の季節、水の補給は何よりも重要なのに、長年放置されてきた環境汚染が自らの首を絞めているという何とも皮肉な状況に陥っているのが現状だと言う。元々が水を南部の村々へ売ることもあっただけに、ここ南方で流通を作るのは至難だろう。
「相手は慣例通りの休戦を言ってきたが、時間稼ぎ目的の可能性も考えれば二重の意味で応じることは出来ない。兵力の維持を考えれば、使える時間は二日が限度だろう。それ以上は自滅する」
「ここを一時放棄する手は?」
「万を軽く越える人口が生活基盤を失って各地へ流れ込めば、問題はここ一つじゃ収まらなくなる。下手しなくとも賊になって略奪を始める奴も出るし、ラインコット男爵の意思を継げとばかりに反乱が起きる。内乱後に厳しい処罰をしなかったからな、余計なことをするなと脅す為にも、デュッセンドルフの早期奪還は必須だ」
デュッセンドルフの住民では無い者も、置いてきた財産を捨ててはいけないと留まっている者が多い。
既に見切りをつけた、あるいは別に基盤のある者には多目に食料を持たせて逃がしているらしいが、それでどこまで減るかは微妙とのことだ。
また敵が立てこもることを前提に包囲を敷くにも準備が不足している。食料水は当然として、この暑さを凌ぐ天幕、日用品もそうだ。それらを蓄えた上で軍隊というのは動くもので、今みたいな不意の行動では望むべくもない。
少なくとも鉄甲杯で無理を強いたこの地域へ更に圧力を掛けるのは好ましくないし、敵側の目的が時間で果たされるのなら悠長に構えてはいられない。
こうしてセイラムの眷属らが出現している以上、今日明日にでも本体が出てくるという可能性は非常に高いのだから。
二日の準備期間は懸けでもあるが、軍隊としての構造を作り上げる為の期間でもある筈だ。
「戦いに引き摺り挙げられるお前からすればキツいのは分かってる。だが出来る限りの対策も取るつもりだ、情報不足については安心しろ」
「ベイル、それは……」
不穏な気配を感じて進言しようとするも、彼は首を振った。
「お前一人に危険は背負わせない。なぁに、団長亡き今、近衛に居続ける理由は無いってぼやいてる奴らは結構居るからな」
それは、離反者を装って協定破り同然の暗殺を仕掛けるという意味だ。
あくまで決闘の場を作ることが目的だから、任された者は相手を倒すことも出来ず、敵中に落ちたデュッセンドルフを死に物狂いで逃げ回ることとなる。
「黒の魔術光を放つ『槍』の術者については不明点が多すぎる。噂程度でもう聞いてるだろうが、通り一つをひっくり返して浴びせてくるような奴だ。戦い方は『槍』のものだが、規模が通常の術者とは比べ物にならない。ティリアナとかいう『弓』の術者も化け物じみていたが、デュッセンドルフ放棄の決定打はこの馬鹿げた火力だったそうだからな」
放棄の際、彼は先んじて陛下に許しを得て独自行動を取っていた。
過程で俺の仲間や二番隊の面々など、不可解な意識不明者を幾人も助け出してくれていたが、本題は先述の通り物資の確保だったそうだ。
四柱の出現を察した時点でこうなる可能性を推察し、未だ全容を把握していない商会や権利を持つ貴族らから容赦無く巻き上げた。近隣のリーベルト農園からの供出で倍近くには増えたものの、初動で留まる選択肢を取れたのは彼の物資確保の報告があったればこそだった。
ここまでの功績を上げながらも、その手段はあいも変わらず無遠慮。
結果を出すことだけに特化された暴走集団と一部の記事では評されていたが、俺自身どう否定すればいいのかも分からない。
このままでは本当に、近衛兵団は崩壊する。
そんなことを考えてしまったからか、現団長が俺を次の団長に、などと言っていたことを考えずにはいられなかった。
「ディランの様子はどうだ」
「ん?」
唐突な話題だったからか、不思議そうな顔をするも、あっさりと答えてくれた。
「駄目だな。明け方に泡吹いて倒れた。熱も相当に出ているし、怪我してるくせに無茶ぁし過ぎたんだよ」
なら今の近衛兵団は実質ベイルが仕切っていることになる。
状態を察してそれぞれが上手く動きもする近衛兵団だが、無茶に無謀を重ねて暴走する彼らを限界まで有効活用しようとするベイルが、この急場でどれほど疲労を溜め込んでいるのか分かったものじゃない。
俺の心配を察したのか、彼はにやりと笑った。
「一番酷使されるのはテメエだぞ補佐殿。守備隊含めて全軍が尻尾巻いて逃げ出した相手に、お前は一人で挑むことになるんだからな」
「確かに、副団長殿の頭皮の心配をしてる場合じゃなかったな」
「オイ殺すぞテメエ」
「情報は欲しい。だが後の事を考えればここで消耗するのは愚策じゃないのか?」
「流して先に行くな今の一番大事な所だからな」
あぁそうだな、と流して先を促す。
ベイルはふっと遠くを眺め、風にまた数本の毛が飛ばされていくのを見て目を伏せた。
盛者必衰、栄枯盛衰、たぶんそんな感じ。
栄えた瞬間があったのかは知らないが。
「……敢えて言うが、近衛兵団は一枚岩じゃない。むしろ団長のおかげでバラバラな考えを持つ連中がなんとか纏まってたくらいだ。前副団長は他国からの間諜だったし、賊あがりの奴も居れば俺みたいな貴族からのはみ出し者も居る。ディランも俺も貴族出身でな、陛下の近衛として動くことになってから、どっちかと言えば平民あがり浮民あがりの奴らは貧乏くじが多い。そっちのが気楽だとは言ってても死体が増えれば不満は溜まるし、内部の比率は変わってく。お前にどう見えてたかは知らねえけどな。だから――」
「いい。それ以上は敢えて言うな」
貴族だから、だけでなく、最も守られた立場にある俺からすればどう詫びればいいのか分からない。
侘びなど言えば怒り出す者が居ることを分かっていても、頭を擦り付けて許しを請いたくなる。
「あー話がズレたな。いいか、これはお前が居ようと居まいと同じことだ。俺たちはあの人の元に集った。あの人の元でしか居られなかった馬鹿共だ。それを今日まで維持出来た陛下とお前らが凄いんだよ」
目を背けていた事実を示され、言葉を失う。
そうだ。内乱終決の時点で近衛兵団の損耗は激しかった。
マグナスに率いられ、彼と共に心中をとばかりに戦い続けた彼らは、戦場の負担を一身に背負い過ぎていた。
学生小隊を生かす為に盾となり、俺たちの戦いが成立するよう下支えをし……そして今回の撤退戦でも膨大な数の、敢えて言おう、足手纏いを背負いながらここまで導いてきた。
ベイルが率いた者たちの他にもデュッセンドルフ内部に留まって情報収集を行い、敵に捕捉されて殲滅された者が居る。
以前のように転戦する中で味方や、あるいは敵から有能な人材を、またあるいははみ出し者を、内部へ取り込むということが内乱以降は出来ていない。
王都守備隊からの補充も半ば拒否しているのだから、数が目減りしていくのはどうしようもなかった。
一枚岩ではないとの言葉通り、兵団内で諜報を請け負う者などは指揮系統すら定かではないのだろう。
それぞれが高度に、それぞれの仕事を理解するが故に連携と思しき結果が生まれるだけで、助け合いというのとは少々違う。
「お前や陛下が使いやすい連中はちゃんと残してある。アイツらは馬鹿で阿呆だが能無しじゃない。それとな、素直に死ぬような連中じゃねえよ。俺だって後の手筈は整えてるし、他も似たようなもんだ。誰だって終わることを前提に動いちゃいねえ。ただ、そうなっちまう奴が居るってだけの話で、今回はお前が一番の貧乏くじだからちょいと手を回してやるだけだ」
「言葉数が多いな、副団長。分かっているさ。あぁ、素直に頼らせて貰う」
言うと、ベイルは少しだけ黙って口端を歪めた。
何かの感情を誤魔化したのは確かで、すぐ乱暴に頭を掻いてため息をつく。
「前副団長みてえにはいかねえんだよな」
もしかすると初めて聞く、彼の本気の弱音だったのかも知れない。
いつも平然と無茶を言うし、無謀を越えても変わらず平然としている男だ。
だが、おそらくはディランも、そして彼も、ずっと同じ感情を抱えてきた。
「片方は勝手に死んで、片方は勝手に居なくなりやがってよ」
「殴りつけてやりたいが、まだ死ぬには早いさ」
「片方はなんとかなりそうなんだけどなァ」
下らないことを話していたせいで、考える時間が少なくなった。
いや、考える時間が必要無くなったと言うべきか。
まだ幾らか説明してくれようとしたベイルを遮り、俺は返答した。
「分かった。応じよう」
※ ※ ※
ルリカ=フェルノーブル=クレインハルト
かねてよりハイリアの卒業後の配置については多くの議論が交わされていた。
当代最強の『剣』と呼ばれたジャック=ピエールを一騎打ちにて打ち負かした彼は、戦士としての名誉は十分にあり、以降はより政治的な立場を与えて活躍してもらうという意見が強かったように思う。
まだ若年であるハイリアは、この先あらゆる場面で使える広告塔だ。
戦場で危険に晒すより、内での仕事に回して長く活躍してほしいという意見には賛同者も多かった。
正面からぶつかり合ったこともある為、王都での政治に食い込んでいる守備隊とは折り合いが悪いものの、当人の資質と一部変革の始まっている守備隊とで、いずれは十分な連携が取れるだろうとも言われていた。
一方で、誰もが畏怖を覚える近衛兵団を纏めてもらいたいという意見も、非常に、多かった。
マグナス=ハーツバースが一代で築き上げた天下無双の戦闘集団。
長く中央からは弾かれてきただけに、彼らの手段を選ばない振る舞いにはこちらに一定の責任がある。
だけど、いざ責任を果たそうとしても彼らは受け取ろうとしない。それによって首輪を付けられると考えているからなのか、根本的に外部を信用していないのかは、正直分からない。
ただ私に、ホルノス国王に対する忠誠は常に示してきた。
言えば必ず従うし、多少の逸脱はあっても反意を思わせるようなことは無かった。
宮中伯として今も王都での政務を取り仕切っているウィンホールド家の当主は、彼らを一つの独立国家だと称した。
組織を生かす資金も、必要な情報も、人員の補充ですら、独自に全て済ませてしまう。使われていなかった王都での兵舎を手配した時、では彼らは今までどこで兵と物資と情報を集積していたのかと頭を抱えた。
使われなくなった古城、山賊から奪った拠点、廃村、あるいは支援を取り付けた者の領地で、自在に展開して軍事を行う彼らは、格式ばった王都の兵舎など余計な仕事を生み出す場所でしかなかったのだろうと思う。
彼らが私を王と仰ぐ理由ははっきりしてる。
マグナスが認めたハイリアが、主としての礼を取っているからだ。
彼らは近衛として私の身辺警護を行うけど、それ以上に厳重なのはハイリアの周辺だ。護衛なんて中央から指示を出す以前から当たり前にやっていた。代わりに別の場所が手薄になろうとお構いなしだ。
自分が彼らの主に相応しいだなんて思わない。
戦いの素人でしかない私では、その中で生きる彼らを理解し切れていない。
内乱でも私は結局彼らと共闘するより王都守備隊を率いる形を選んでしまっている。
だから、彼らを御する上で中央にとっても信頼の置けるハイリアを近衛兵団の団長に据える事は大いに価値があった。
多くの貴族にとって、ウィンダーベル家の後ろ盾を失い、ホルノスの王を主と据えた彼は御し易く見えたんだろう。
功績を認め、マグナスに報いるつもりで本来の近衛としての任務に復帰させたからには、それと振舞える状態を作っていく責任がある。実力は本物なんだから、あとは周囲が認める振る舞いの出来る者を引き立て、最低でも後ろ暗い行いを覆い隠す程度に改めてもらえれば。
だけどもう、その可能性は消えた。
近衛兵団だけが理由じゃない。
ハイリアだ。
彼が、死を選ぶことで全ての決着を付けようとしたからだ。
「陛下、どうかお許しを戴きたく存じます」
ハイリアとベイルが揃って利点を論う。
そんなの言われなくても分かってる。
問題はそこじゃない。
昨夜の様子でも、まだ思い留まったとは言い切れなかった。
死を前提とした戦いへ殉じることを認められないでいる私は、きっと王として未熟過ぎるんだろう。
ううん、必ず負けると決まった訳じゃない。
それでも不安が拭い去れないのは、彼の終わりばかり見詰めてしまうのは、やっぱりあの決断が尾を引いている。
セイラムの力で命を繋ぐメルトは聖女討伐の後に支えを失い死亡する。たった一人に死を強要する代償として、ハイリアは自分の命を捧げて、共に果てるのだと。
引き止めることには成功した。
あらゆる意思が集結し、あの一瞬を作ったのだと思う。
だけど今尚、彼は死に纏わり付かれている。
「負けるつもりはありません。ですからどうか――敵より提示された、『槍』の術者との一騎打ちによる決闘を、どうかご承認下さい」
そして、唯一ハイリアの決断を支持した近衛兵団副団長ベイル=ランディバート。
彼らを結び合わせた時、どれほどの暴走を引き起こすのかと、今やホルノスの首脳部は怖れている。行動力と実行力を、ホルノスの意思など無視して発揮できてしまう近衛兵団と、様々な人へ影響を与えるハイリアの求心力とが合わさった時、独立国家は完全にホルノスを呑み込んでしまう。
私も、その一人だ。
彼らと、彼を、押し潰すことなんて出来ない。
でも最善と判断した結果を導き出す為に、遂にホルノス国王の意思すら無視してハイリアを焚きつけた彼らに、絶対の補償なんてどこにもない。首輪を付けるべきだと言っていた文官の顔が浮かんでくる。今のような混乱期であればいい。だけどこれを越えた先、彼らの居場所を私は作れるのかな。
近衛としての立場を投げ捨てたに等しいベイルを咎めれば、近衛兵団は私たちの前から居なくなってしまう。
苦しみを背負って欲しくない、死を抱えて走り去るのを見送りたくは無い。
だけど、状況がそれを許さないことも理解している自分が居る。
ハイリアも、ベイルも、もう何も言わず私の返答を待っていた。
二人の離反を怖れてか、文官たちまで私を説得しようとする。
どうすればいい?
問い掛けよりも早く答えを知ってる。
認めればいい。
決闘を承認し、彼らを取り込んだまま事を進めればいい。
でもそれを言えば、もう戻れない。
ううん。言わなくても、別の形で決別は起きる。
「…………たすけてよ、兄さん」
ずっと胸の内に押し込めていた弱音を掠れた声で呟くと、もう我慢が出来そうに無かった。
心臓から膨れ上がるような震えがあって、手足を痺れさせる。首を伝った分が鼻の奥をツンと刺激して、目の奥から涙が滲みそうになる。駄目。駄目だ。王様として生きるって決めたんだから、こんな人前で涙を見せるなんて許されない。
玉座は常に血塗られている。
私の怠惰と、傲慢と、後悔と、嘆きと願いと、理想と現実と、そうやって通り抜けてきた全ての、何処かで必ず血が流れている。
どう足掻いても苦しみを生む王政だけど、もう弱さを理由に血は流させないって、そう決めてたのに。
でも聞かれてしまった。
跪くハイリアとベイルは何の反応も見せない。
背中から吹いた風は後ろを守る護衛や文官たちには声を届けなかったかも知れない。
だけど、口にしてしまったという事実がどうしても身を裂くほどの後悔を生む。
息を吸って、詰めて、パンパンにして堪えようとした。
そんな時、再びささやかな風が吹いて、どこからか声を運んできた。
「大丈夫だ。もう少しだけ、頑張ってみな」
驚いて振り向いた先では、見慣れた文官たちが居て、甲冑に身を包んだ護衛たちが並んでいる。
顔を隠しているけど王の側周りだ。面通しをしてある筈で、間諜が入り込む余地なんて無い。だったらと思って天幕の影を探そうとして――思い留まった。
聞き間違いかも知れない。
誰かの呟きを兄さんの声と聞き間違えたのかも知れない。
どちらでもいい。
空を仰いで、太陽に手を翳し、眩しそうに細めて見せた目元を手の甲でそっと拭う。
二人を見た。
「勝算はどれくらいあるの」
返答はベイルから。
極めて素直な回答だった。
「まず負けるものと思われます。相手は常軌を逸した力の持ち主、犠牲を覚悟で押し寄せて、圧倒的物量で呑み込む以外に本来手は無いでしょう」
「そう。では敗北の後については考えてあるのね」
「状況によりけりですが、むざむざ殺させるつもりも、奪われるつもりもありません」
わかった、と言い置いて、文官たちにもいくつか質問を重ねた。
簡易ではあるけど、現実的な方向での対策を練り、話を纏める。
「ハイリアに任せるつもりだったデュッセンドルフの、学園生らを含めた義勇兵を纏められる者が居ない。代役は居る?」
「旗印として名前を据えておけばいいでしょう。実質的な指揮は別に任せておけば負担も少なく済みます」
何名かの候補が挙がり、選考の後に打診することになった。
二つ、三つと議題を消化し、やがて、ぼろぼろながらも出来上がった骨組みを前に、再び誰もが口を閉じる。
ハイリアが抜けた場合の問題、彼の補助をする為に引き抜かれる者たちの兼ね合い、近衛兵団とこの拠点での首脳陣らの連携と連絡、そして更に後の話についても概ね話し終わった。
だから、
もう彼が居なくなったとしても、問題なく物事は動く。
「ハイリア」
「はい」
「それでも貴方はホルノスにとって……私にとっても、まだまだ必要な人材なの。勝って。でも、なによりも、生き残って」
「承知致しました」
その返答を以って、この場の話し合いは終了した。
また空を仰ぎつつ、身体に溜まった熱を吐き出す。
思わず油断したその時に、
「陛下、ハイリアには婚約者が居るそうです。略奪愛は良いですけど、やるなら早めに教えてくださいね」
ベイルの戯言に対して、後ろから差し出された書記用のボードを思いっきりぶん投げて、無礼者の頭頂部に叩きつけてやった。
ぱこーん、と景気の良い音がして、今のボードは誰がと振り返ってみても、やっぱり当然のように誰も居なかった。
※ ※ ※
ハイリア
陛下とベイルからは最大限の支援を約束され、とにかく集中出来る環境が欲しいと訓練の場所を求めた。
武器については調達するとのことだったが、おそらくはデュッセンドルフの工房から予備になりそうなものを貰ってくるしかないだろう。父上もこちらに来ているというから、後で許可を貰わなければならない。
一通りの手配を終えて、陛下たちと別れた後、最初はすぐにでも近衛兵団の兵舎へ戻ろうと思っていたのだが、ふと疲れを感じて座り込んだら根が張ってしまった。
時間も無いというのに阿呆かと自分を罵ってみるが、訓練をする場所はなく、そもそも何をすればいいのかも分からないことに気付く。
今回の相手はまるで情報が無い。
ベイルたちが収集してきた情報はあるが、ならどうすれば勝機を見出せるのかと、やや途方に暮れてしまった。
彼から呼び出された窪地の縁へ腰掛けて、護衛に数名が張り付いているのを感じながら遠くを眺める。
風には水気が多い。緑が濃いというよりは、じっとりと染み出してきたみたいな臭いがする。沼地が近いからだろうか。
二日後。
今日と明日、それだけ終われば歴代最強と謳われた始皇帝たる『槍』の術者を押しのけて現れた、甲冑男を相手に決闘だ。
なんだか実感が湧かないというのが正直な所。
これまで戦いを前にこんなぼんやりした気持ちで居たことは無い。
きっとクレアにでも言えば叱咤され、煽られたことだろう。
吐息ともため息ともつかない息を落とし、なんとか根を引き千切って立ち上がったところで、一人の顔が頭に浮かんだ。
よし、まずは一つ一つやっていこう。
目的が決まれば、その最終地点がぼやけていても張りが出るものだ。
陛下には勝つつもりだと言った。
嘘偽り無くそう思っている。
ならばやることは一つだ。
いつも通り、俺は戦いへ望む。
「さて、何処に居るかだな」
散歩でもするように、歩き始めた。
黒い風の向こうに何を見る。




