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焚かれた篝火が急激に火勢を増したように思えた。
兵舎で騒ぎを起こし、罰則として拠点の警備に付けられた俺は北端の、デュッセンドルフを望む出入り口に配置された。
乱暴に木を差し込んだだけの柵も隙間だらけで、全長はざっくり五十メートルほど。あくまで気休め、ここより手前に居れば大丈夫という境界線を作ることで民に安心感を与えようとしているのだろう。南へ抜けていく街道に合わせて作られた出入り口は幅があり、反対側には別の近衛が暇そうに欠伸していた。
こんな警備は見せかけだ。
俺を配置する何らかの意味を陛下は持っていらっしゃるだろうけど、面倒な貴族たちから遠ざける以上のことは思い浮かばない。
横合いに近衛兵団副団長ベイル=ランディバートが立っている。
彼は同じ方向を見ているけれど、時折深く考え込むようにして焦点が曖昧になる。
盗み見た気まずさを誤魔化すように後方へ目をやれば、点々と焚かれた篝火の隙間に意図的なものがあると分かる。来る途中に別れ、確認していたから理由もはっきりしていた。
門番はあくまで囮か。肝心なのは柵の隙間を埋めるようにして掲げられた篝火。
灯りを避け、隙間を避ければ自ずと経路は絞られる。人目を避け、見付からずに通り抜けられるだろうと思える経路を、彼らはあの暗闇から見張っているんだ。閉ざせる壁はない。だからいっそ道を作って探りを入れる。
頼もしいと思っていた背後からの援護が、今は少しだけ圧力に変わっている。
夜目の効く者からすれば、篝火にはっきり照らされた俺の姿はどれだけ見通せるのだろうか。
疑われている。
油断の無い相手だ。
だから、可能性があると判断すれば関係性に頓着せず警戒する。
「どう、だろう、な」
やましいことなど何も無いのに、相手が自分を警戒していると思うと妙な息苦しさを感じるものだ。
彼は今、なんと言ったのだったか。
『なら、結果の二つが同時に存在するってことも、あるんじゃないかと思うんだ、あのフーリア人の嬢ちゃんが死んでいて、生きているように』
生と死が混在する人間とは、つまり生きていることも死んでいることも確定していないという状態を表す。
思えば、似たようなたとえ話があったのを思い出す。
「量子論か……」
「なんだ、その、猟師論?」
こぼれた呟きをしっかり拾われ、まあいいかと話をする。
有名な話だ。
「量子論。物事は観測され、決定されるまで複数の状態が混在している、とかいう話だったと思う」
「ほう」
意外に食い付きが良い。
近衛の頭脳を押し付けられている印象はあるが、彼自身こういう考えを巡らせるのが好きなんだろう。雑務が嫌なだけで。
「例えばの話だが、ある箱の中に猫を入れる。その箱には猫以外に、五割の確率で致死毒が漏れるような仕掛けが入っているから、猫は五割の確率で生きているかもしれないし、五割の確率で死んでいるかもしれない」
シュレディンガーの猫と呼ばれる有名な話だ。
「その量子論上では、観測されるまでは可能性ある状態が混在していることになるから、箱を開けてみるまで猫は死んでいる状態と生きている状態が重ね合わせで存在している、という話だ」
「たとえ話に茶々入れしても仕方無いが、あくまでリョーシ論の世界観だとそうなる訳か」
世界観、か。面白い見方をする。
「だが少なくともあの嬢ちゃんは箱の中には居ないよな。お前は生きているのも、死んでるのも見てる」
「あぁ、そもそもこの話は人間主観に於ける可能性だ。猫からすれば誰かに観測されるでもなく生きているか、死んでいる」
「なのに観測者からするとどっちも重ね合わせに持っているってんだから、おかしな話だ。言ってる奴は頭がイカレてるんじゃないのか」
そういえばシュレディンガー博士自身、この話は量子論の馬鹿馬鹿しさを語るのに提示したものだとか。
当人はこの後に生物学へ転向し、大成したというのに、現代の、特に日本サブカルチャーでは量子論の権威みたいに語られる。猫に対する残虐な内容に加えて、量子論を説明するのにこれ以上無いくらい分かり易かったことが大きいのだろう。
これもまた、セイラムの改変があろうと、いつしか事実が忘れ去られる原因と言えるのかもしれない。
「お前はあの嬢ちゃんの状態が、リョーシなんたらが原因だと思ってるのか?」
「いいや。パラレルワールドについて否定はしないが、メルトの状態は過去に存在する死の因子を取り除いた結果であって、量子論とは少し異なる」
「また変な言葉が飛び出したな。まあいい、なら取り除いたのに死が取り付いてるってのはどういうことだ」
「あの時、間違い無くメルトの死の原因は取り除かれた――」
フロエと共に体感した、無数の可能性。
既に死に絶えていたメルトから、死の原因となるものを断ち切って生存へと繋げた。それ自体は上手くいっていた筈だ。なのに不完全な状態で死が残っているのは何故なのか。セイラムからの妨害があったという話になっているが、ではどこにその妨害が行われたのか。
本来、物語上では中盤以降に発生するイベントだった。
リース=アトラが凶刃に倒れ、それを蘇生させる奇跡の代償としてフロエはセイラムに身体を乗っ取られてしまう。時折意識を取り戻すことはあっても、根本的に数百年の妄執を越えて来た女に打ち勝つ意志力など、最初から死による救いを求めていたフロエには無かったから。
ジークへの未練だけが意識を残し、そして……二つの結末へと分岐する。
「――なのに二つの状態が重ね合わせに存在している」
生きた世界と、死んだ世界に別れるというのが一般的なパラレルワールドの話だろう。
今まで妨害を受けた為の出力不足のように考えていたが、こうして考えて見ると妙だ。
何故?
俺も、フィオーラもだ。
少なくとも二人以上、未来からの声とやらを信じるのなら、そちらのフロエもメルトの生と死を観測している。いや、内乱の最中でメルトを補助してくれていたエリックのことを思えば、アリエスを始めもっと多くの人間が知っていたのか。
「つまりリョーシ的には観測しないと決まらないんだろ」
「ん? あぁ、そうだ」
ぽろりとこぼれる様に。
「俺たちは猫だ。俺たちがどれだけああなってるこうなってるって言っても、観測する奴が観測しなきゃ、決定しないってことじゃねえのか」
それは誰だ?
「セイラムが再臨することでコレまでの歴史が確定するって言ったのはお前だ。つまり今の俺たちは大昔の聖女様が箱の中に詰め込んだ猫と毒ってことだろう。目を覚まして、見られて、初めて決まる。箱の中で生きてるだの死んでるだの訴えても意味が無い」
思考実験。
確定されていない世界。
「ぁ…………………………」
何かが繋がったような気がする。
これまでまるで分からなかった手段に手が届いた。
いや、それでも何の意味も無いかもしれない。シュレディンガーの猫は量子論の否定だ。けれど状況を考えれば確かに説明もつく。
蘇生が不完全になった以外で何が違うかと言えば、それはフロエの中にセイラムが降臨したかしていないかだ。
観測者が現れたことで、死を取り除かれたリースは完全な生を得た。
もし再臨させたセイラムに生きた状態のメルトを観測させれば、それで彼女の死が消えるのかもしれない。
高揚と同時に毒のような痺れが全身を冒す。
それは、器となるフロエを確実に犠牲とする手段だ。
かつての状態ならまだ意識を保てたかもしれない。だが俺自身が言った通り、今のセイラムは確実に現世へ根を張り、再臨を待たずして四柱の召喚にまで至っている。寝惚け眼で現れるならともかく、明確に意識を持って意図的にフロエを排除するかも知れない状態では、器になるなど自殺行為にしかならない。
複数の縁を辿り束ねた、魔術で生み出される武器のような状態での降臨が当初想定した対セイラムとの戦いだ。
『剣』『弓』『槍』『盾』の四属性が、人の形を成して力を行使する。それが四柱の眷属であり、最終戦へ至るまでの壁として立ちはだかって来る。
あればかりはどんな名刀でも断ち切ることは出来なかった。
変わりに具現化された存在が人型であろうとも、武器破壊に於けるフィードバック同様、大元のセイラム自身にもダメージが通り、それを以って打倒することが可能なのはゲーム内のジークが証明している。先にベイルと話した内容がどうなるかは不明だが、観測者が出てこないことで確定しないのであれば、そのまま曖昧に歴史が進むということだろうか。
またそれらを無視したとして、メルトが死の時間を延ばした原因が判明していない。
日中が生きていて、夜中に死ぬというのなら、ざっくりだが生が四分の三で、死は四分の一程度。死の時間が伸びたというのは、それだけ確率的に死が増したと言えなくも無いが、やはり原因は不明だ。少なくともデュッセンドルフへ来た当初は王都での状態と差が無かった。
いつから? そして何の変化があった頃なのか。
更に頭を過ぎるのは、未来からと告げてきたフロエの声。
彼女の言葉通りなら、仮にメルトの生を確定させたとしても、根本的にセイラムを討った場合は死を迎えることになる。
理屈が繋がらない。
仮に今の世界がセイラムの思考実験であるとして、ジークが死を賭して排除に成功した後も世界は持続している。観測者不在で続く思考実験なんて出鱈目もいいトコだ。
くそ、指先が触れたようでいて、掴み切れず遠ざかる。
「何かの手立てにはなりそうだが、問題も多いな」
「犠牲を選べとは言わないけどよ、もうあんまり時間が残ってないことも、お前は分かってんだろうな」
「承知している」
だから一度は選んだのだと、もう言えないことも。
死にたくないと言った。
彼女の言葉をもう無視は出来ない。
たとえ自ら否定されたとしても、俺自身がそれに耐えられない。
助けてくれよと言ったジークのことも、自ら選んで動き始めたフロエのことも。
確かな光明はまだ見えず、時間だけが過ぎていく。
決断して進んだようで、また逆戻りだ。
どころか今は疑われているんだったな。
確かにここまで追い詰められているのを見れば、神に縋って全てを投げ出したっておかしくない。俺は特に、ゲームでこの世界のことを知りましたなんて正直な事を言うほど信用を失いそうな事情を隠したまま、あれこれと知る筈の無い知識を晒している。相手は選んでいるつもりだったが、彼らからの疑いは必然と言えた。
あるいは今になってという所から、別の理由があるのかも知れないな。
ヴィレイの姦計か、俺自身のボロが溜まり過ぎたせいか、最初から疑われていて今初めて表に出してきた、出す意味が生まれたのか。どちらにせよ俺は裏切ってなど居ないのだから、信用して貰えるよう振舞うしかない。
「まあ話が大きく戻るけどな、今の話を思い返していて、一つおかしい点が出てきたよ」
「なんだ」
量子論、というより、主に観測云々の話だったが。
「観測されない限りは生死混在、なら半殺しにされてた奴らがすっかり回復してるってのは、どういう了見だ?」
※ ※ ※
ベイルが救助してきたというヨハンら元一番隊の面々は戦いによって得た筈の負傷が完治しているという異常が発生していた。
生と死ほど隔たってはいないものの、肉体の欠損まで修復されている時点で、やはり話に聞く回復とはセイラムの奇跡なんだろう。
理由については一時脇に置いておく。今は狙いを探る段階じゃない。
「まず、メルト同様に負傷と無傷が混在している可能性はある。もしくは生死ほどの結果では無いのなら、肉体の欠損程度であれば負傷の事実が残らない可能性。意識不明者が出ているという話だから、それが負傷の代わりとして残っているとも考えられるが……」
言っていて、現状の変化があることにも気付いた。
メルトの死を消したあの時点と、ティアによって封じられつつも神樹へ触れれば言葉や意思を届けさえする今とではセイラム自身の状態が大きく違う。
運命、あるいは過去改変による結果の改竄が同等程度にしか出来ないかと問われれば、疑問が浮かぶのも確かだった。
思考を纏め、言葉にした。
「セイラムの復活が、最早再臨するのと近い状態に達しつつある、という可能性はある」
「拠り代ってんなら王都の樹なんて人一人よりよっぽど効果がありそうだよな」
理解しつつ、ベイルは別方向にも思考を飛ばしたらしい。
「聖女も人間だ。樹に意識を移したとして、人としての精神を保てるかは分からないな」
あれは結局、孔を塞ぐ巨大な風船だ。
内側から広がるほどに枝葉を伸ばし、巨大化していくことで耐えているのだと思う。
ティアのイレギュラーによって生み出されたものだから、単純な木として考えていいのかどうかは不明だが。
「じゃあ少なくとも、セイラムが引き起こした奇跡じゃないって考えていいのか?」
「流石に分からないな。ただ現状態でもそんな芸当が可能なら、もっと別なことに使ってきそうなものだ」
生死を改変することがどのレベルの力なのかも不明だが、より戦況を都合良く変えていくことだって出来たかもしれない。なのに俺たちは戦力を分散させながらも集結し、一時の休息を得ている。ヴィレイによる毒が浸透していることを加味しても、言ってしまえばそこまでしなければならないという時点で大局を操作は出来ていない事になる。
俺を苦しませようとする奴のことだから、あくまで趣味と括ってしまえるのも厄介だが。
「なら仮にセイラムじゃないとしよう」
ベイルの言葉をすんなりとは受け入れられなかった。
それは別の観測者の存在を示す仮定だ。
なら誰だ。『幻影緋弾のカウボーイ』を書き留めた作家か? あるいはそれをプレイした者たちか? 主人公たるジーク=ノートンか?
俺自身、という可能性も無くはないが、まず皆の負傷も回復も俺の与り知らぬ場所で発生していることだ。
そこまで考えて一つ気付いた。
「回復が発生した時、全ての現場に居た者は?」
問い掛け、顔を向けた所で、俺はようやく彼が意図した所に話が辿り着いたことを知る。
なぜか頭をぐいと掴まれ髪を乱される。
ベイルは軽く笑って、
「疑われてると思って緊張してる様はちょいと涙を誘ったぜ、英雄様よお」
完全に見透かされていた。
「うるさい」
払い除けて整えた。
気恥ずかしさに顔が熱くなってくる。
疑いそのものは本当だろうが、情を残してくれているのが分かってほっとしている自分も居た。
「ここまで思い通りだと面白そうだな」
「お前の反応があんまりにも純情だから正直序盤でこりゃ無いわと思ったけどな」
「だから記憶云々を言い出したのか」
「お前にそのつもりが無くとも操られてる可能性はあったからな」
しかしそれも否定された。
バツの悪さをごまかすように咳払いし、同時に肺腑へ重く沈みこむ感覚を得た。
「話を戻そう。全ての状況を観測できる状態にあった奴、それが第二の観測者だ」
「あくまで仮定な、仮定」
俺の事情をある程度知っているベイルは、だからまず疑いを掛けた。セイラムとの強い縁を持ち、フロエ同様に生と死を改変出来る可能性を持つ者として、俺がその観測者ではないかと。まあ観測云々は今出た話だから、単純にそれが出来る人間として疑われた訳だ。
「まあそもそもお前はドンパチの最中に囲ってる女たちとよろしくやってたんだろ?」
だからアリバイはあると言われてるんだろうが素直に頷きたくは無かった。
戦いに参加しなかった罪悪感もあるし、実際にメルトやクレア相手に猥談を展開していたから余計にな。
「それで、そいつはどれだ」
『弓』はティリアナ=ホークロックが。
『盾』はヴィレイ=クレアラインが。
『剣』と『槍』だけまだ聞いていない。
「『剣』と『槍』、どっちも現場に居たっちゃ居た筈だが、個人的には『槍』だな。アレだけ他と比べて異常だった」
異常。
たしか、デュッセンドルフ放棄の原因になったのは『機獣』と呼ばれる存在ではなく、四柱の一人が途方も無い規模で状況を荒らしてきたからという話だった。ティリアナ=ホークロックによる超長距離射撃は確かに脅威だが、単体で戦略をひっくり返せるかと言われるとまだ疑問が残る。ヴィレイの力は所詮一個人での厄介さと、政治力に終始する。
『剣』の術者が何者であれ、いかな武芸者であってもやはり個人単位での戦闘力なら、あの神父相手に戦い抜いた近衛兵団や元一番隊を有する戦力が壊走したとは考え難い。
『槍』の術者。
ヴィレイがそうであるように、俺の知る人選では無いということか。
「戦いの規模が違うってのは、まあいい。そりゃ言っちまえば『弓』と大差がない。だが根本的に纏う魔術光が違う」
「違う?」
「野郎は黒の魔術光を纏い、『槍』の力を振るって戦った。全身を覆う甲冑を、得物同様に生み出した」
「…………ジ=ル=ドレイル」
思わず呟いた名前に、俺自身驚いて再考する。
違う筈だ。だがセイラム以外に、セイラムの力を扱える存在が他に居るとは思えない。
強い縁を持つ者だけがセイラムを辿り、力の一部を拝借するのが精々で。
ならアイツは……いや、否定を重ねる前に仮定して進めるべきか。
「運命神か。呼び方は地域によって多少違いは出るが。セイラムに力を与えたって部分で名を聞くけど、それ以外に伝承の一つも聞かない神だ」
「信仰も力を与えた神ではなく、受け取った聖女へ向けられている事の方が多い。神というならもっと方々に名が出てきそうなものだが、セイラム登場以前にも、それ以降にも話を聞かない。だが、仮にその存在が人の形を取って現れたのであれば、第二の観測者としては十分過ぎる」
「聖女のみならず、神様まで相手にしなきゃならなくなるな」
「しかし……やはり、どうなんだろうか」
「どうって」
言い出しておいてなんだが、どうにもピースがハマっていない気がする。
「そもそも黒の魔術光というのが分からない。俺も現場を見たことがある訳じゃないが、その色はフーリア人の扱う魔術の、巫女と対になる錬鉄の最中に発生するものの筈だ」
「じゃあ相手はフーリア人か?」
短絡的な回答だが否定の材料もない。
歴史のどこかにそういうイレギュラーが居た可能性も否定は出来ないが、色の重なりが引っかかる。
「それで『槍』の魔術を使っていたというのも解せない。甲冑はまあ、人を呼び出すくらいだから、武器と同様に防具をというのも分からないじゃないが……」
「『槍』の魔術を錬鉄とやらで強化しているとは考えられないか」
「……また突拍子も無いことを」
「お互い様だ」
可能かどうかは不明だが、仮にを重ねて思考しよう。
「確かに黒の魔術光は錬鉄……武器を鍛え上げる力だ」
そして生み出された一振りは時に聖女の加護すら断ち切ってしまう。
上位能力は単純に基礎属性の拡張とも言えるものだが、イレギュラーは二種類の属性を合わせ持つこともある。セイラムによって作られた魔術とは異なるものの、根源的に同じ法則を用いている魔術であれば、仮に『槍』と錬鉄とを合わせ持つ相手とも考えられる。
られる、のか……?
「魔術によって生み出される武器を更に鍛造することで効果を強化する。これまで考えもしなかったが、可能であればこちらにとっても戦力の強化が見込めるな」
「確かにそうだ。おし、まず陛下に相談して進めさせよう。後はフィラントがゴネない事を祈るだけだな」
言ってベイルは指折りやることを数え始めた。
俺は懲罰状態だからまずは任せよう。
二人で重ねた思考はまだまだ不完全で、意味があるかどうかは分からない。
詮無い話だとも言ってしまえる内容より、彼ら近衛兵団は実利を求める。ベイルが趣味で付き合ってくれただけでも感謝すべきか。錬鉄に関して、上手く行けば戦力の強化が見込めるのなら、そちらを優先して当然だ。
「あぁそうだ」
軽く挨拶を残して行ってしまいそうだったベイルが立ち止まり、篝火に目をやりつつ言う。
「セイラムの魔術光は銀色って話だろ。だったらやっぱり、甲冑の中身が神様って線は無いと思うぜ」
では誰だ。
彼なりに答えを持っているのかも知れない、また、持っていないのかも知れない。
近衛兵団の副団長は、現れた時のようにふらりと闇に溶け、いずこかへと去っていった。
話し相手も居なくなった俺は門番に集中し、夜明けを迎えて懲罰が解除されるその時まで、ただ立ち尽くして時を過ごした。
朝日は、眩しくて見ていられなかった。
※ ※ ※
アリエス=フィン=ウィンダーベル
熱に浮かされ夢を見る。
私を追い落とそうとする聖女の感情が熱となって身体中を巡っているよう。
陽の光が眩しくて、遮るように掲げた手が何かに触れた。
固い、鉄のような感触。
熱の膨れ上がった肌にそれは気持ちが良くて、指先を絡め、握った。
誰か、そこに居るの……?
「あぁ」
もう、何処に行っていたんですか。
ずっとずっと逢いたくて、なのに話もせずに居なくなってしまうから。
「すまない」
いいの。
こうしてまた逢えたんですから。
今度はずっと一緒でしょう?
私を残して行ってしまったりは、しないでしょう?
ねえ、――――。
「……すまない」
駄目。
置いていかないで。
あの日の話を、今度こそ聞かせてよ。
求め、手を伸ばした所で、覆い被さっていた膜が一斉に取り払われる。
明るい部屋。朝日の差し込む窓。ここ最近で見慣れた私の自室。身体を起こした私は寝台に居て、記憶に残る腕の傷が一つ残らず消えていることに気付いた。
そして、この部屋には私以外の存在が居ることも。
「っっ、誰!?」
相手は黒の甲冑を纏っていた。
腰元から伸びる布地には金の刺繍が施されていて、閉じ切られた部屋の中で唯一風を受けて揺れている。
それは彼が、私に背を向けて部屋を出て行こうとしていたからで。
歩む姿には胸騒ぎしかない。
「貴方は……誰?」
その背は振り返らない。
たった一人で行ってしまう。
なのに扉に手を掛けたその一瞬だけ、少しだけ背後を伺う様に頭を傾けて、けれど結局振り向かずに出て行ってしまった。
何故か、頬を涙が流れ落ちた。
口元を手で覆い、堪えていなければ、泣き崩れてしまいそうで。
「駄目」
なにが?
アレは賊よ。
お兄様の目的を阻み、苦しめる敵なのよ。
「一人にしないで」
胸を抑え、手を伸ばしていた。
「あの人を、一人にしないで。孤独にならないで」
差し伸べるように、手のひらを上へ向けたまま。
手を取る人は、もう居ないのに。
なのにようやく正しく、手を伸ばせた気がする。




