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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第四章(下)

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 「大暴れだったみたいじゃねえか、補佐殿よ」


 拠点北端の門番に宛がわれた俺の元へ、近衛兵団副団長ことベイル=ランディバートがやってきた。

 別働隊を編成して動いていたらしい彼らが合流したのは俺が戻る少し前だったと聞いている。詰め所で騒ぎを起こした俺たちとは違い、そのまま陛下の所に直行して報告をしていたから彼らに罰則はない。


「話は聞いた。副団長、感謝している、本当に」


 騒ぎの発生から早期に本隊を離れた彼らの貢献は極めて大きかった。

 敵に関する相当量の情報を収集、火事場で見せる他国の動向といったものに留まらず、現在の拠点を支える食料物資の確保など……大局としてもそうだが、俺個人としてはもう、返し切れない程の恩を抱えた。


「聞いたのなら分かってると思うが、俺は放置されていたのをもののついでに拾ってきただけだ。半分くらいはそこから自力でなんとかしたし、最初から全員がほぼ無傷、徐々に意識を取り戻してきている訳だしな」


 ヨハン、セレーネ、ウィルホード、セイラにくり子や父上と母上など、敵の『槍』出現に際して強襲を受けた人員を彼が救出してくれていた。

 相手に確保するつもりが無かったとは言え、目を盗んで連れ出すのは容易いことでは無かっただろう。もののついでとは言ったが、敢えての行動だったように思う。


 ベイルは首に手をやり、頭を左右にやって伸ばしながら正面へ回り込んでくる。


 なんでもなさそうな目がこちらを見た。


「その無傷ってのがどうにも気になる。話によると、ウィンダーベル家の当主は脚引き千切ってたって事じゃねえか、なのにくっついて歩いてやがる」


「幻覚か、思い込みか……というのも考え難いな。特に父上が無意味な狂言などする筈は無いし、惑わされたとも考え難い」


「補佐殿ならどう理屈をつける? 傷が消えてるのもそうだが、敵を態々回復させる意味なんてあるのかね?」


 倒された後に癒された可能性もあるが、ベイルは敵によるものだと考えているらしい。


 不確定な部分も多いが回復手段について心当たりはあった。

 恩恵、と呼ぶのは首を振りたくなるが、結果の一つを俺は目の当たりにしている。


「セイラムの力は多岐に及ぶ。負傷という因果を変更することで死者を生者にすることも可能だ。なら、撃破した相手の負傷を消してしまうことも可能だとは思う……そんなことが出来るのは余程セイラムと強い縁を持つ者か、セイラム自身だと思うが」


「なるほど」


 少し間があった。


 埋めるように、唸る声がする。

 居心地が悪く感じられて、言葉を重ねた。


「回復させる理由としては、人質として利用するつもりだった、敵の甘さ、あるいは攻撃という行為そのものが回復と連動している、などが考えられる」


「人質にしては身柄を放置し過ぎだ。甘さはまあいいとして、最後のは何だ、冗談みたいな力だな」


「俺もそう思う。思いついただけだ。しかし執拗な追撃に加えて扇動までしてくる敵に甘さがあるとは思い難い」


 とはいえやはり、攻撃と回復が結び付いているなんて考えも突飛過ぎてピンとこない。

 現状では情報不足。偵察をしてきたベイルに思いつかないのであれば、俺ではどうにもならないだろう。


「そちらはどうなんだ。何か考えは」


「ん? あぁ、俺はどうだろうな」


 はぐらかすようなことを言い、また彼の瞳が俺を覗き込んだ。


「けど一つ……ヴィレイとかいうガキが死んで、敵の手駒になって現れた。もしかしたら俺の連れ帰った連中がそうなっているんじゃないかとか、そんなことは思うね」


 一瞬、頭の中に空白が生まれた。

 言葉の意味は理解出来る。だが理屈がぽかんと浮き上がっているようで納得へ繋がっていかない。そうだ……四柱の眷属という縛りがどこまで意味を持つか分からない以上、セイラムが無尽蔵に味方を増やしてくる可能性は確かにあった。だが、それではヨハン達はもう……。


 指の中頃が痛んだ。

 メルトに噛まれた痕が、服を掴んで力んだせいで痛みを呼び起こしたんだ。


「それが……どこまであり得ると考えている」


「俺が知る敵の事情はお前経由で知らされたことが大半だ。ティア=ヴィクトールが教えてくれたんだろう?」

「あぁ、そうだ」


 そういうことになっている。


「まあその嬢ちゃんには感謝してるさ。止めてくれてるってのは確かみたいだしな」


「そうだな」


「だったら、お前の考え以上に正確な所は分からないな」


「あぁ」


 違ってくれれば一番だ。思うが、不安はどうしても拭えない。


「彼らは……」

「ん?」

「連れ帰った者たちは、今、どうしているんだ」

「意識の戻った連中は普通だな。俺にはそう見えた。だが、間諜ってのはそういうもんだ。確実に相手を見抜けるなんてのはハッタリ以外に存在しない、所詮は精度の差異でしかないからな」


 言葉が突き刺さり胸の内を抉ってくる。

 もし、彼らがセイラムの手に落ちていたのなら、俺は戦えるんだろうか。いや、無理だ。考えるまでも無く答えが出る。力を貰った、何度も何度も覚悟をし直した、だがその上で彼らを手に掛けるというのなら、最早戦うことさえ出来なくなる。


 ぐっと瞼を閉じて動揺を鎮める。

 隠すつもりは無い。

 どうせ彼は簡単に見破ってしまう。

 けれど弱さを晒し続けていいとは思わない。


「あー……悪い」


 ため息にも似た呟きがあり、ベイルは頭を掻いた。


「あくまで可能性だ可能性。おいおい、これじゃ俺が虐めてるみたいじゃねえかよ」

「っ、すまない」

「いや、俺が悪かった。一応そういうこともあるかと思って監視も付けたけど、俺の勘じゃそういうのじゃねえよ。万が一があったとしたら、そんなのは俺らに任せろ。全員漏れなく無傷で制圧してやるよ」


 世界一心強い言葉に少しだけ笑みが出て、息を落とした。


 フロエが以前に涙脆くなったと言っていたが、俺も同じくらい弱くなったのかも知れない。

 簡単に心が揺らぐ。前はここまでじゃなかったのに、いつの間にこうなったのだろうかと、そんなことを思う。


「じゃあ最後に一つ、セイラム専門家のハイリアに聞きたいことがあるんだが」


「なんだ」


 様相を崩してはいたが、気の抜けた瞳の奥から刃を突きつけられているような感覚があった。


「眷属ってのに自由意志はあるのかね? あったとして、セイラムにとって都合良く操られたり、記憶を書き換えられたり、そういうことって……あると思うか?」


    ※   ※   ※


   オラント=フィン=ウィンダーベル


 寝台で眠るシルティアを見る。

 腕にあった筈の傷痕は消え、深く眠ったまま、まだ目を覚ましてはいない。


 私は両の脚で立っていた。

 ウィンホールドの娘のように義足を付けたのではない。

 生身の、これまでと変わらない脚がしっかりとそこにある。


 傷が消えたことは幸いだが、あまりにも不可解な現象だった。


 ホルノス王より与えられた天幕の一つで一人次の方策へと考えを巡らせていると、外からベルでの合図があって、私は入るよう伝えた。入ってきた二周りは年上だろう男は執事の歩みでこちらへ寄り、傅く直前で密偵の歩みに切り替わる。


「報告書をお持ちしました」

「あぁ。後は下がれ」


 受け取るとすぐに意識は報告書に移った。

 音も無く消えていく男を意識することはない。

 私が当主となる以前から使っている者だが未だに名を知らない。知らないということは、不必要な情報だということだ。故に意識になど残さず、素早く文章に目を通していく。


 概ねは、把握していた通りの内容だったが。


「ふんっ」


 蝋燭の火に翳し、燃え始めたものを近くの小皿へ放り、消し炭になっていくのを見届ける。

 私情はどうでもいい。情報を精査する必要があったというだけのこと。


「やはり、切っ掛けとしては弱いか」


 ハイリアはデュッセンドルフ魔術学園での一年目を、クレア=ウィンホールドの悪評を振り払うことに費やした。それ以前は幼い頃に交流があったビジット=ハイリヤークとの旧交を温めつつ、貴族社会からは距離を取って表向きは優秀であるという程度の成績に収まっていた。常に上位に居るが、頂点に固執はしていない、そういう印象だった。主席を得た理由に娘への贖罪があったことは確かだろう。


 その少年が、春の長期休みをミッデルハイム宮でアリエスと過ごし、フーリア人奴隷への虐待を目撃して、今度は奴隷解放へと舵を切った。


 筋が通らないでは無いが、腑に落ちない所もある。

 根本的な所でハイリアという少年は決まり事を守ろうとする。

 幼い頃から父親や周囲の言葉にすんなり従って身を隠す生活を送ってきたことも理由にあるだろう。こう在らなければならない、そう一度思えば己を曲げてでも固執する傾向があり、また自己を投げ打つことに躊躇が無い。貴族で在る事もそう。なのにホルノスの大方針である奴隷制度に異を唱えるなど余程の変化だ。


「何がお前を変えた」


 貴種たらんと尋常ならざる努力を重ね、結果を出してきた者に起きた変化。


 あの張り詰めていた状態から、良い意味で力の抜けたような様子を見せ始めた理由はなんだ。


 真っ先に色を疑った。

 メルトーリカという女奴隷の見目に惑わされ、篭絡されたのであれば甘さが出ることは考えられる。

 思って監視を付けさせたが、演技という可能性を加味してもそれが出来る種類の人間ではなかったことが程無くして判明する。自身の乳母も勤めたメイド長だ。観察力や洞察力は極めて高く評価している、誤りはあるまい。自身の気質にも適合し、あの娘はハイリアに依存し、想定通り懸想に至った。


 恋をして、弱さと甘さを得る。


 分からないでもないが、何かが繋がらない。


 違和感の根がどこへ通じているのか、結果の全てを並べ、思索しても分からない。

 いや、それらしい物語を幾つも想定することは出来るが、常の推測のような、納得の感触がどうにも遠い。こういう時は大抵情報不足が原因だ。しかし、以前から監視させていた限り、ここまで大きな変化を引き起こすような事態は起こっていなかった。


 どうして。


 この疑問には一つの推測が成り立ちつつもあった。

 完璧な監視などこの世には無い。どれほど注意していても見落としは出るし、想像もしなかった手段で外部と接触することなど諜報の世界では日常茶飯事だ。その答えの一つをホルノスはごく最近体験している。

 巫女という存在が成す、声無き会話。

 念話とハイリアたちは呼んでいたか。

 あれを用いれば通常の監視など意味を成さない。


 これまで不可思議に思えていた変化の理由に、目に見えない場での会話があったのなら……。


 最後の燃え滓が外から漏れ入る風に乗っていく。

 磨き抜かれた銀の小皿には黒い煤がこびり付き、加熱の為か僅かな変色が見えた。

 歪んだ光沢の向こうに自分が入る。

 若い頃は炎の中に己を見たものだ。心の弱さだけでなく、あまりにも燃えていく様を見過ぎたせいか。理解していて尚も時折意識外からの声を聞くこともある。


 降りかかり過ぎた辛苦より生じた別人格。


 提唱者は過去の宗教戦争で火刑に処されたのだったか。

 あれは興味深い内容だった。一つの肉体に二種類の心が共存するなど不可解極まり無いが、辛苦を前に目を背けた意識が人格の体を成して語りかけて来る、あるいは入れ替わるようにして表に出てくるなどという話だ。人が無意識にとはいえ魂を生み出すような書き方をしていた為に、一部の過激派から敵視されたのだろう。心と魂を同一視すればそうなるが、別物だとすれば然程無理のあるものとも思わない。


 あの春季長期休暇の間に生じた、あるいは以前から存在していた人格が入れ替わったとするなら、大き過ぎる変化にも一定の納得がある。

 本人はさして記憶に残っていなかったようだが、かつてはフーリア人の元で生活していたのだから、それを過剰に意識するということも考えられるか。


 入れ替わり。

 乗っ取り。

 もしくは片側が死んだか。


 ため息が重い。


 感情に左右されている証拠だ。

 整えろ。ここはまだ前提の確認に過ぎない。

 幸いにも見本となる者が手元に居る。可能性の検証は追々進めればいいだけの事。


 問題は今の彼だ。


 僅かな触れ幅の一つであそこまでの人を動かした事実は、最早国際連合などという組織一つを引き合いに出すのさえ躊躇う。

 成し遂げたのが別の者たちであれ、既にハイリアの行動はこの国を変化させ、世界を巻き込み、今や聖女信仰にまで切り込みつつある。

 傾けばどこまで行ってしまうのか分からない。


 アリエスという鎖を振り払ってしまった時点で、最早絶対の保障はどこにも無い。


 故にこそ、か。


 正しい結果を得る為の手段が、正しいものである必要は無いのだと、この身は無数に知っている。


 しばらくして、ベルが次の来客を告げた。

 さあ、裏切りを始めよう。


    ※   ※   ※


   ハイリア


 最終決戦の場で召喚される四柱。

 彼らがセイラムに都合良く操られていたかと聞かれると、即答は出来なかった。


 『幻影緋弾のカウボーイ』ではフロエルートの終盤にいきなり現れた敵とあって多くスポットが当てられることは無かったからだ。始皇帝だの月を落とした女だのキャラ付けはされていたが、基本的にぽっと出のキャラクターばかり。とてつもない強敵として立ちはだかるが、ジークを始めとした主人公らが各々を撃破、セイラムへの道を付ける過程でしかない。

 覇王そのものな豪放且つカリスマ性を見せる始皇帝は案外人気があったし、他の三人も癖が強くて印象には残っている。

 先だって彼らの歴史を調べ、対策を練るよう陛下には進言してあるが、必ずしも同じ配役にはならないと当初から言われていた。


 とにかく彼らの人となりは、戦闘時や別視点での軽い会話程度しか描かれていない。自由意志が捻じ曲げられたものであるかは、あまりにも判断材料が少な過ぎてなんとも言えないのだ。


「俺が気になってるのは人の生死を操って結果を変えたって話なのに、死んだ記憶が残ってる部分だ」


 ベイルはいつしか隣り合うようにして遠くデュッセンドルフの影を眺めていた。


 確かに。

 そもそも負傷した事実を完全に消してしまえば相手を倒した結果すら失われてしまう。

 メルトの死について、フロエは命を繋ぎ止めはしたものの、不完全なまま生と死が同居している。これもまた、因果律がどうなっているのか首を傾げたくもなるものだ。


 セイラムは未来視を持っている、という説を見た覚えがある。

 彼女は未だに死の直前の時間におり、そこから圧縮された時の間に無数の未来を見通し、干渉を行っている、と。

 封印された状態でリアルタイムに干渉を行ってきたのなら、そもそもとして限界など迎える筈もないし、封印が意味を持っていない。バタフライ効果に代表される、未来予測の複雑性を考えれば調整のしようもないほど追い詰められたと言えなくもないが、腕を伸ばした位置が遠ければ遠いほど力加減が難しくなるように、過去ほど影響力を発揮出来ていないとするのが打倒だ。


 なぜこんな話を出したかと言うと、大きな枠としてセイラムの行いを見据えると、その全ての変化がいまだ完成していない魔術と考えられるからだ。


 未だにプレビュー状態。

 設計図は概ね完成しつつあり、決定すればそこですべての書き換えが完了するが、作業中なので作業のやり直しも可能。

 保存された後で再編集が可能だとしても、変更の足跡を辿ることはその時点では出来なくなる。


 だから以前の記憶を残しつつ、結果の変更なんてことが出来るんじゃないかと考えた。


「それだと今までの歴史の中でも理不尽に変更されたことを覚えてる奴がもっと出るんじゃないのか?」


「それもセイラムとの繋がり次第だとか、そもそもとして以前の結果を観測している者が少数であれば気が狂ったとして処理されるかも知れない」


「魔女裁判、とかでか?」


 不意を打たれたような観点だったが、すんなりと納得した。

 俺の言ったことが正しかったとしても、やはり国の興亡にまで話が及べば相当な規模で記憶の齟齬が発生するだろう。それがセイラムへと話を繋げられるかは別として、大いなる存在の理不尽、あるいは奇蹟として語られることはありえる話だ。

 しかし、一昔前に起きた宗教戦争。

 異端審問官の行った数々の魔女裁判は、歴史の中からセイラムの横暴を読み取った人々を虐殺したという考えも出来る。

 人を焼き、本を焼き、歴史は失われる。それが最も激しくなるのは、宗教を背景にした戦争だと語った者もいた。


「現代でも探せば見つけられるのかも知れないな。まことしやかに囁かれる生存説、あるいは滅亡した筈の王国が地下に宮殿を築いた、なんて話として」


 権威こそが国を支える貴族社会では事実を淡々を記した歴史書など稀だ。

 印刷技術とてこの十数年で広がったものだし、それ以前となれば本を作るなど一部の金持ちや権力者の道楽以外にあり得なかった。高価な羊皮紙を、分厚さを得る為に数百枚から使用して宝飾類で飾り付ける……一財産にもなるようなことをしてまで不利な話を残したりするだろうか。


 結局曖昧な噂話として口伝され、代を経る毎に脚色され、忘れられていく。

 吟遊詩人など客が盛り上がるなら幾らでも改竄するだろうし、聞いた者に確かめる術など無い。


「実際にそこで生きた連中が成した結果ならともかく、小娘一人の我侭でそうなったなんて話は、気持ち悪いったらねえけどな」


 同感だ。


「しかし、今にそれほど違和感が残っちゃいないのは、魔女裁判やら宗教戦争やらで、俺たち自身が綺麗さっぱり洗い流しちまったからなのかね」


「歴史を作るのは勝者だ。語られる物語が事実であるかは分からない。そうして残った歴史もまた、後世で書き換えられることもある」


 干渉があったにせよ無かったにせよ、残った側には選ばれたという特別意識もあっただろう。

 誇張された話は信憑性を失わせ、歴史を辿る手段は更に難解を極めていく。


 空想によって世界を超えて物語を掘り起こせるのだとしても、書き記された時点でそれは解釈だ。


「なら話を戻すとして、記憶の書き換えなんてのは可能性としちゃ低い方なのかね」


「今の話を前提とするのなら、事実関係の変更を行えても記憶はそのまま、ということだからな。書き替えても、書き換えられる前の記憶が残る、ということにならないか?」


 それじゃあまるで意味が無い。


 思いつつも、ふと陛下の顔が浮かんだ。

 彼女の、あの深慮を思う。遥か未来の出来事までをも予測してみせる想像力と発想力なら、違う見方が出来るかもしれない。


 ベイルへ目をやった。

 まあ、彼なら俺との話を陛下に振って、更に詰めるくらいはするだろう。

 ただ今の会話をもっと深い場所へ導くのに、聞いてみることにした。


「陛下ならどう見ると思う?」


「ん? あぁ、あの人は…………あぁ……いや、それはいい」


 いいのか。


 余計な手順を踏ませたのかと思い、考えを巡らせていると、ベイルは肩を竦めて息を落とした。


「話変わるけど、やっぱお前、結構前向きだよな。いや根暗なとこあるのは別としてさ」


 根暗とか初めて言われたぞ。

 軽くショックを受けつつ、なぜそう思うのかを考える。


「結局は前を向く。どんだけ追い詰められても、転んでも、叩き伏せられても、まあ向いた先が谷底ってこともあるが、そういうのは俺みたいなのにとっちゃ眩しすぎるというか、若いねぇというか、羨ましい話だよ」


 不意に彼が、昔クレアと面識があったような話を思い出した。

 王都へ滞在していた間に聞いたんだったか。


 元々は彼女と面識を持てる位に名門の出で、どちらかと言えば文官の道を進もうとしていたとか。

 それがどうして近衛兵団に転がり込むこととなったのかは知らないが、後悔、という言葉が浮かんでくるのは確かだ。


「都合良く結果が変わった事実を知らなきゃ、そりゃただ成功ばかりの人生だ。羨ましいとは思うけどな、そこに気持ちよさを見出すんなら、むしろ記憶は残ってる方が良い。消しちまいたいくらい嫌な記憶だってあるけどな……それはそれ。むしろ今までの記憶が消えて、成功ばかりしてきた俺は、きっともう俺じゃない。そんな、俺を誰かに譲り渡すようなのは御免だね」


 まあこれはいい、と言い置いて。


「とにかく記憶の残る記憶の書き換えにだって価値はあるって話だ。むしろ取引材料になる」


「取引?」


「お前の話だと、セイラムが再臨した時点でこれまでの変更が一度全部消えて、均されるってことになるだろ?」


 そうなれば改竄前の記憶が消えて、一つの歴史が完成する。


 なんとなく記憶の量子化、なんて言葉が浮かぶ。

 結果は一つなのに、記憶の中では複数の仮定が存在するのだから。


「悲惨な結末を辿った奴に、それから救い上げられた変更後の記憶を与える。今はこうだが、失敗すれば酷い結果だけが残る。やられた方はたまったもんじゃない。成功した記憶がある分余計にキツく感じるんじゃねえのかな」


「ならば四柱の者たちは皆、後悔を払拭して都合の良い結末を得る為に戦っていると?」


「俺が最初に意図した着地点と違うが、まあそういうことなのかもな」


 言われ、口を噤むと、背中を軽くノックされる。

 押すでもなく、支えるでもなく、もしもーし、なんて言いそうな気軽さで。


「そんなもんは戦いの全部に言えることだ。お前はそうやってすぐ情に流される」


「勘違いするな。目的の為になら心から敬意を抱く相手の手足を切り潰すくらいの覚悟は出来るぞ」


「具体的でおっかないこと言うなよ怖ぇな」


 事実だ。


 ともあれ彼が当初意図した着地点とやらを考えてみる。

 今の反応からして、こちらの話に持ってくるつもりはなかったようだから、別の切り口が必要だろうか。


「……あぁ、そもそもとしてセイラムに与する理由の無い者が、記憶を書き換えられて操られるという線は消えるな。最低でも自覚が残る」


「ん。まあそうだろうな」


 記憶改竄によって敵側へ回るなんて展開は物語で良く見るものだ。

 しかし記憶が残るのであれば、改竄されて操られていることを理解出来る訳だから、むしろ敵対の理由が強くなる。複数の記憶を抱えて人格崩壊、なんて展開も無くはないが、たった一人を排除する為にそこまでする必要は無いだろう。


「であれば当初言っていた、傷を回復されて救助された者が敵対するという可能性はかなり低くなる」


「奇跡を受けて宗旨替えってのもある話だから、そこは忘れんな」


「分かっている」


 言いつつ、少しだけ反発してしまった。

 無事に戻ってきたという皆が自分の意思で敵に回るなど、考えたくも無い。


「じゃあ次の本題に移りたいんだがいいか?」


 言われ、やはりと思うところがある。


 彼は目的を持って俺の所へやってきて、話を振っている。近衛の副団長を務めている元文官だというのなら当然の技能だが、この手の思索なら俺よりも陛下や、他の適任者も多く居ただろう。別個の時代を知ることで意外性のある観点を持てることは考えれるが、正直に言って頭の出来は勝てる気がしない。

 俺のはあくまで慣れの類で、彼らはひらめき、発想だ。


「頭の中に二種類の記憶が残ることがあるってのは分かった」


 そんな彼がこの話題の相手に俺を選んだ。


 気のせいかと思って考えなかったが、再会当初に感じたことを真面目に考えるべきなのだろうか。


「なら、結果の二つが同時に存在するってことも、あるんじゃないかと思うんだ、あのフーリア人の嬢ちゃんが死んでいて、生きているように」


 俺は彼に疑われている。






更新間隔が伸びててごめんなさい。

とりあえず31日と7日に更新予定です。

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