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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第四章(下)

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   ヘレッド=トゥラジア


 身体が押し潰される夢を見た。


 目が覚めた後、しばらく回らない頭でぼうっと周囲を知覚していた。

 どうやらまだ坑道の中に居るらしい。

 周囲は比較的落ち着いていて、何人かが防備を固めている。

 話に拠ると救助を待っている状態だそうだ。簡単な食事を取り、水は控え目にしろと中年男が誰かに言う。


 夢の記憶が曖昧になった頃、ようやく俺は身体を起こした。


「おっ、坊主も目が覚めたぞ」

「水」

「ほれ。一気に飲むなよ」


 言われるまでもなく舐めるように飲み、やっと一息をつく。


「腹は減ってるか?」

「いや」


 飲んでる間に思い出せるかと思ったが、目覚めてから得た情報に押し流されるようにして記憶が遠のいていく。

 寝ていた時間に記憶を置き忘れたようだ。


 潰される夢、ではなく、そのもっと前。


 何かを見た気がする。

 だが思い出せない。


 何かが引っかかってる気はするんだが。


「運良く助けられたみたいだが、運悪くこのまま二・三日は穴の中だ。まあ仲良くやろうや、がはは」

「悪いが静かにしてくれ」

「お……おう、悪かったな」


 駄目だ、完全に押し流された。

 さっきまで見えていた片鱗さえ思い出せず、肩を竦めた。


「腹が減った」

「おうっコレでも食え!」


 硬いパンにしおれた野菜とぬるい肉が挟まっていて、無理矢理に噛み千切りながら呑みこんだ。

 前にハイリアから貰ったバケットサンドとは似ても似つかない。この連中が穴倉へ飛び込んできてからどれだけ経つかは分からないが、生ものが食べられただけでも上出来か。しばらくここに篭るなら、明日からは塩漬け干し肉や瓶詰めの野菜なんかのとにかく味の濃いものしか食べられない。元から質の悪くなっていた街の水じゃ明日にも腐ってるかも知れないし、酒じゃ飲んでも乾きは潤わない。穴倉じゃ焚き火をするのも危険と来た。


 まあ有るだけ贅沢って所だ。


 本隊と動いていた他の連中と違って、俺や一部の奴らは斥候として飛び回ることも少なくなかった。

 少数で敵に見付かると執拗に追い回される。相手だって必死だ。適当に追って、見失ったからって放置すれば数日後には誰かが死ぬか、何かの細工を受けるかも知れない。だからほんの二日のつもりで本隊を離れたら、十日も戻れなくなることなんてざらだった。

 食料や水は全て現地調達。

 袋に入れてクソを出させた後の虫を食べたり、植物の茎を齧って喉を潤した時は泣きたくなったな。


 とにかくこいつらが近衛兵団なら、これ以上は望むべくも無い護衛だ。

 敵に包まれていた時に比べたら天国と言える。


 そう、か。


 近衛兵団だ。

 いや、夢とは違うが、眠りこける直前にそういう奴らと言葉を交わしていた。

 恰好つけて自己犠牲を気取ったら、見事に助け出されたってことか。


「あの後どうなった」


 薄い灯りの中で周囲を警戒する男へ声を掛けると、そいつは一度俺を見て肩を竦めた。


「寝てろ。ただ時間を潰すのも体力を使うからな」

「暇つぶしに付き合ってくれてもいいだろ」


 いいから寄越せと言いたかったが、自分の考えを第一にするような連中だ、その気にさせる方がずっといい。


 というような意図が伝わったらしく、男は嫌らしい笑みを浮かべた。


「上の様子は分からないが、アンタらの居た場所から更に奥へ団長が入っていった。リリーナとかいうフィラント側の……巫女の姉ちゃんもついてったが、その後になって近辺が一気に崩落してな」

「元々地盤が緩んでたところにお前らが開けたり閉じたりするからだ」

「最初にやった小僧にゃ言われたくないね」


 最もだ。


「眠りこけた『機獣』ってのを掻き分ける必要はあるが、崩落に巻き込まれてなければ、あの体力馬鹿ならもうじき祭壇に辿り着いてんだろ」


    ※   ※   ※


   リリーナ=コルトゥストゥス

 

 デュッセンドルフの地下坑道、正確には『魔郷』の力によって拡大された魔術に拠った諜報網という話ですが、その途方も無い広さには辟易しますね。

 これは、木の根を辿るようなものなのだと理解しました。

 地図は作られているものの、幾つもの細かな端道があり、入ってすぐに行き止まるような場所は省略されているようです。

 なのに時々別の道へも通じていて、思わぬ迂回路や近道が見付かることも、ここまでの道中ではありました。


「思い通りに行き過ぎるというのも尻が痒くなるものであるな」


 ランタンを落とし、魔術光も無い完全な暗闇の中で、ホルノス近衛兵団長ディラン=ゴッツバック様が、眠りこける『機獣』を掴んでは無造作に放り投げます。

 最初は慎重に、目を覚まさせないようにしていたものですが、踏んでも叩いても起きないと分かったらすぐに行動が大胆になりました。そしてこの方は動くと風を起こすので見えなくてもなんとなく何処に居るのかが分かってきます。


「逃げ場はなくなったけどな」

「言うな」


 壁を崩し、救助したまではいいものの、残った私たちが前へ進もうとした所で一帯が崩落し既に退路はありません。

 取り残されていた方々を後送し、連絡を入れた直後であっただけでも幸運とするべきでしょうか。当初は暗闇の中で各自の安否を確認したり、埋まっていた者を掘り出したりとでかなり時間を使いましたが。


 灯りを求めれば敵が動き出す、前も見えない暗闇の中で後の無い状況に追い詰められている。

 通常なら統制など瓦解しそうなものを、彼らは淡々と目の前の目的へ向かい、動き続けています。


 名にし負う近衛兵団。

 結束の固さというよりは職人同士が暗黙の了解によって仕事を支えあうような雰囲気に似ているのかも。


 私は最初、とても取り乱してしまったというのに。


「今の内に全部仕留めてやりたいもんだ」


 同行する近衛の一人が呟きました。


「手早くやるには魔術が要るからの。外皮が硬過ぎて締めるには時間が掛かる。まずは敵の本丸だ、他には構うな」


「へいへい、分かってますよ」


 彼らの振る舞いには時折目を白黒させられます。

 近衛というのは整然と立ち並び、国を背負って壮麗たる振る舞いで威を示すものと思っていましたが、言葉を選ばなければ彼らの振る舞いは時に夜盗のようにも見えてきます。


「『機獣』が昼行性、というよりは暗闇で全く動けなくなるのは確かなようですね」

「これまで地面を割って出てこなかったのもこの為であろう。時々ポロリと零れた者がフーリア人を狙って暴れ、それが奴隷狩りなどと呼ばれた。そんな所だ…………すまぬな、ソナタにとっては同族であったな」

「亡くなられた方は残念ですが、原因が見えてきたのは良いことです。少なくとも私たちは、否定されるばかりではなかった」


 ようやく大陸の端から内部へ進出を果たした矢先での強烈な拒絶反応は、フィラント国民にも小さくない衝撃を与えました。

 留学生を送り込み、友好的な関係を築けていたホルノスでさえこのような事が起きる。王の秘書を務めるリオンは当然のことと流していましたが、多くはこのままでいいのかと不安を抱えていた。王への連絡を仲介することの多かった私は、結果的に多方面との連絡を取ったことで、同じく仲介の巫女たちから不安を漏らされもしたものです。


 いかにホルノス王やハイリア様といった国の主だった人々が私たちを肯定しようとも、大きな流れとして否定が上回ってしまえば切り捨てられることもある。


 同胞の無残な死に様は否応無くその不安を膨れ上がらせました。


「しかしセイラムは何ゆえソナタらを狙うのであろうな」

「恐らくは彼女の封印を続けてきたからでしょう。恨みもあり、排除することで復活を果たしやすくなる」

「それは以前の話であろう。今やセイラム封印の主導はホルノスにある」


 言われ、不意に思考の土台が揺るがされた。


 これまで私たちは何の疑問も無くセイラムに狙われる理由を先のように考えていたけれど、違うのであれば、他の可能性などまるで思い浮かばない。幼い頃から接してきたオスロ様……あの方は、イルベール教団と呼ばれる人々へ下ったとされる神託もその種類であると説いてきましたから。


「今更フーリア人を排斥した所で大きな意味は無い。確かに封印の、魔術? をソナタらが主導しているのは事実であるが、道具となる刀剣は既に在り、概ね形だけなら真似られる。私にはどうにも、違う理由があるように思えるのだ」


「…………私には手に余る話です。リオンか、王、もしくはオスロ、なら、何か分かるのかも知れませんが」


「考えるのは苦手であるか」

「かも、知れません」


 からからと笑うディラン様に、こちらも同じく薄く笑ってしまいました。


 道具であれば良いなどとはもう思わないけれど、物事を見極める心眼は人並み以下です。


「しかし、考えることは止めるのではないぞ。無駄なら無駄で良いのだ。肝心なのは、苦手なりの答えは案外と得意な者の死角を埋めることもあるということだ」

「ご忠告はありがたく頂きます。そうですね、私なりに考えを纏めた上で、話を委ねたいと思います」

「うむ」


 新たな『機獣』へ手を掛けたディラン様の動きが止まる。

 ずっと暗闇に居るから空気の動きでなんとなく分かります。和やかな雰囲気から一転して、戦場に立った時のような緊張感が周囲に広がりました。


「して、巫女殿」

「はい」

「この天井をぶちぬいて後ろを埋め立てるとどうなるであろうな」


 なんてことを言い出すのでしょうか。


「……大規模な崩落が起きる可能性もあります。特に現在位置の頭上には大きな学園校舎がある筈ですから」

「であるな。事があった時の為に数を減らして起きたかったが、祭壇ごと潰されては目も当てられん」


 崩落箇所の周辺は脆くなる。

 分かってはいたのに、私たちは気軽に道を塞いでは開いてを繰り返しました。

 これまでは専門の鉱夫が付いていた筈ですが、満足の補強もないまま行った崩落はかなりの規模になって道を塞いでしまっています。幸いにも、祭壇へ辿り着けさえすれば元々あった校舎からの通路が使えるとのことです。そちらも崩落はしていますが、先だってジン=コーリア様の指定されていた位置ですから、穴の中で数日を耐え抜けば救助を望めます。


「外への言葉も通じんのであろう?」

「……はい。巫女の力で周囲の様子を伺うことは出来ますが、元々とてもぼんやりとしたもので、詳細には。そしてこちら側へ入ってからというもの、おそらくはラ・ヴォールの焔から放たれる強烈な存在感によって何もかもが覆い尽くされている状況です」

「それとて不思議なものだ。ソナタの言葉通りなら、地上に居た頃から感じ取れても良い筈。なのに坑道の土で塞がった通じた程度のことで大きく変わるものであろうか」


 たしかに、と。

 

 けれど私たちは互いに考えるより先へ進むことを好む性質のようです。


 ディラン様のみならず、同道する数名の方々が肩を竦めて諦めたような笑みを溢したのを感じます。

 前へ。


 おそらくディラン様はこの先で戦いがあると感じているのでしょう。

 そうなれば彼らは魔術を使う。暗闇なら動きを停止している『機獣』も、魔術光を受ければ目を覚ます筈。そうなった時、背後に山積みの敵が居るのと壁一枚とではまるで違ってきます。


「この敵の後ろに隠れて数日を過ごせば、助けがやってくるやも知れんぞ」


「ならばディラン様がそう為さるべきでしょう。貴方は組織を束ねる方です」


「我らは雑兵よ。替えなど幾らでも居る」


「私は正式に巫女として修行をした訳でも、優れた力がある訳でもありません。ただ、王の近くに居たというだけで今の立場に付いている、幾らでも替えの居る人間です」


「それでもソナタは戦人ではない。戦いに身を置く人間は本質的に死人だ。眠る時、起きた時に死ぬ覚悟を付けてある」


 雫の落ちる音を聞いた気がした。

 小さな背中があって、ゆっくりとこちらを振り向く。


 王よ。


「勢いだけでも、感情に流されただけではなく、考えた上で言います」


 ラ・ヴォールの焔。

 オスロ=ドル=ブレーメンが同胞を売り払ってでも奪還しようとした要石。

 私たちからすればおとぎ話の名前に過ぎなかったものの為に、どれだけの人が犠牲になってきたのか。


 使命を棄て、我在りと告げた王の元へ集った私が、まさかカラムトラよりも先に辿り着こうとしている。


「私はこの先の景色を見たい。足手まといになるのなら切り捨てていただいて結構です。ですが、心配を理由に引けという言葉を聞き入れるつもりはありません」


 望めと、あの方は仰ったのだから。


「朝日を見て死を覚悟したことはありませんが、終わるかもしれない世を前に己を貫き通す覚悟ならとうに出来ています」


「好し」


 空気が変わる。

 風が吹き込んできた。


 この先に何があるのでしょうか。


「来るぞ――」



 光が



    ※   ※   ※


   ハイリア


 地中というのは案外熱いものだと知った。

 確か標高が上がると気温が下がるんだったか、地下へ潜ると熱くなるのは地熱の問題だっただろうか。

 そういえば国内で活火山の話は聞いた事が無い。上手くすると温泉にありつけるかも知れないし、今度調べてみてもいいな。


 換気の状態が気になる地下通路は、幸いなことにガス類が溜まってはいなかったようだ。

 何故かというと、俺が死んでいない事が理由になる。

 少なくとも道中死ぬような自然の罠は存在しない。今のところは。


 通路への入り口は簡単に見付かった。

 ジークが上空から放った緋弾であちこちに大穴が開いていて、その一つに通路が覗いていたからだ。

 最早うろ覚えになりつつあるゲーム知識を総動員する必要も無く、真面目にダンジョン攻略をしている人々を嘲笑うような手段ではあったが、俺の目的は探索ではなく先にある祭壇、そこに安置されている筈のラ・ヴォールの焔の回収だ。ロマンも分かるが効率重視。


 しかし、


「予想通りではあったが、コレでは通れんな」


 ゲームでジークが辿った道を思い出しつつ奥までやってきたものの、それらしい道の先が塗り固められて侵入できなくなっていた。

 指先で感触を確かめ、唸る。


「コンクリートの元となるものは相当昔からあったと聞くが」


 通路は全て石造りにされていて、幾つかの小部屋や広間には独特な様式が見て取れた。

 どれも古代遺跡と言われて思い浮かびそうな荒れ具合だったが、そこには一種の統一性が感じられたものだ。


 だがこの壁、これにはそれがない。

 明らかに文明が違う。誰だロマン溢れる古代遺跡風ダンジョンにコンクリート打ちっぱなしの壁なんて作った奴は。


 そもそもゲームでジークが通った時にこんなものがあった描写は無かった。


 道を間違えたかとも思ったが、あからさまに凄い場所へ続きますよと言わんばかりの深い階段を抜けた先の通路がそう幾つもあるだろうか。

 それにしても大した資金力だ。ピラミッドを造ったエジプトの王でも山を削って長大な地下通路を築いたりはしなかった。様々な技術の発達した現代日本でも地下鉄を掘ろうと思えば億からの予算が必要だろう。


 階段の壁面に描かれた人間と竜らしき者たちとの交流。

 竜には翼があるが、大昔に掘られたものとはいえ少しばかり歪な形をしていることは認識している。


 まるで歯車のような。


「…………せめてハルバードがあれば力任せに突破出来たかもしれんが」


 流石にどれだけの厚みがあるか次第だな。

 十センチ程度ならともかく、メートル単位だとどうにもならない。


 ともあれ、ではあるが、


「一応は現場近くまでの現状確認は出来た訳だから、装備を整えれば突入は可能か」


 元々クレアに煽られての行動だった。

 デュッセンドルフ内部からの侵入が困難であるなら、目前までの安全が確認されているこちらから兵力を送り込んだ方がずっと良い。独力での解決が望めたのなら良かったが、目的の達成度としては及第点だ。


 床に置いていたランタンを取り、引き返そうとした時だった。


 通路が何かの衝撃を受けて揺れた。


 地震か?

 最初はそう思った。


 しかし二度、三度と続いて明らかに人為的なものであると判断した。

 この響きは、衝撃は慣れ親しんだものだ。


 『槍』の魔術。


 それが放つ打撃の加護。


「誰か居るのか!!」


 坑道内部に取り残された者が居て、ジンの策で強硬気味に救助部隊を送り込んだと聞いた。

 彼らが祭壇に到達していたのであれば、この壁の向こうに居てもおかしくは無い。


「ヘレッド!! 君なのか!!」


 生き埋めになったという仲間の名を呼んだ。


 けれど分厚いコンクリートはすべての音を呑み込んで沈黙する。

 彼らが生きていたとして、この向こうで何らかの衝突が起きているとして、俺の声も手も、この壁一枚に阻まれて届かない。


 また……!!


 これ以上失ってたまるか。

 咄嗟に腰元から刀剣を抜き放ち、そのまま腕に傷を付けた。

 加減も無しにやったせいだろう、血が流れ出し、地面に血溜まりを作った。


 構わず魔術を使う。


 瞳に銀の魔術光を帯び、目標を捕捉する。

 今思えばコレは巫女の力にとても近い。彼女らはまず相手を捕捉して繋がることで言葉を交わす。俺がやっているのは出来損ないの念話に近いのかも知れない。けれどメルトのような白ではなく、よりセイラムに近い銀の光を宿す。


「っっくそ!!」


 壁を殴りつけ、未熟な力に怒りを覚えた。


 何も感じられない。

 この壁が向こう側への知覚を阻んでいるのか、それとも不完全故に遮蔽物を越えられないのかも分からない。


 せめて言葉を伝えられたら。


「なら」


 鞘を放り投げていた。

 切っ先をコンクリートへ向け、不恰好な突きの構えを取った。


 何をしている。


 この刀はラ・ヴォールの焔へ流れ込むセイラムの力を封印する為に使われなければならない。

 俺はこんな繊細な武器を扱えるような訓練は積んでいない。

 まずコンクリートの厚みが刀身を越えていれば全くの無意味だし、そこに突き立てられるかどうかもわからない。

 最悪の想定すら必要なく、実行すれば間違い無く刃が歪み、毀れ、力が失われてしまう。


 すぐ引き返し、戦力を集めて再突入するべきだ。


 一時間、全力で走り回れば、『剣』の術者であればここまで辿り着くのも不可能じゃない。

 突破するには『槍』の魔術が必要になるだろうが、そんなもの背負って運ばせればなんとかなる。少なくとも生身で走らせるよりずっと早いだろう。この先で何らかの衝突が発生しているとして、彼らが耐え抜けば救助の可能性はある。


 さあ走れ。

 悲劇的に、正しさと決意を後生大事に抱えて走ればきっと誰かは肯定してくれる。


 こんな所で折角の手札を無駄に消費するより遥かに良い。


 そもそも単なる勘違いで、誰かを救い出す所か祭壇から出ようとしている『機獣』なる化け物共の突破口を開いてしまったらどうするつもりだ。


 俺が一人馬鹿をやって死ぬのなら仕方が無い。

 だが地上にはメルトが居る。クレアが居る。

 彼女たちを危険に晒す可能性があるのに馬鹿みたいな大賭けをするつもりか。


「言い訳ばかりだな……これまでも、今も、ずっとそうだ」


 諦める理由ばっかり探すなと、そう言われたのを思い出す。

 沈黙は金。既に磐石の土台を持つならば、迂闊に行動を起こすより待ちに徹した方が遥かに有利だ。


 動けば失敗が顔を出す。

 自らの安定を放棄すれば、相手に付け入る隙を与えることになるからだ。


「そうしてずっと、誰かに選択を委ねてきた」


 決断しているように見えて、状況を作ったのは大抵相手の方だ。


 流されて、抗いはするけど、また別の何かに流されて。


 なあ()()()()()()()()


 少なくともお前だけは、この行動を認めてくれる気がするよ。


 ほんの僅かに重心が前へ傾いた時、切っ先が目の前の壁の、ある一点へ吸い寄せられるのを感じた。

 そこは分厚く固い壁だ。なのに弾かれるイメージが頭の中から消え、指先で砂を掻き分けていくように壁を突き貫いた。


 刀身の根元までしっかりと突き立てた柄を握りながら、こちらとあちらが繋がったことを知った。

 出来すぎた結果を出したのが自分の力だとは思わない。

 予備に過ぎない一品だったのだろうが、これを打ち上げた者が確かに俺を導いてくれた結果なのだと、そう感じる。


「……さすがは名刀か。だが、すまない」


 掻き分けていく最中、明確に刃が磨耗したのを感じた。

 固さの違う内部の一箇所を削った時、へし折れる寸前のところで支えてくれた芯が歪んでしまった。


 もう二度と、この刀が奇跡を断ち切ることはないのだと、別れのように納得する。


 そして、


《聞こえるか!! そこに居る者!! この壁を壊せば退路はある!!!》


 加減も分からず力をねじ込んだ。

 元より感情が伝わるというだけで言葉になるかも分からない。

 なら小賢しい調整より何より、ここだと伝えることが重要だ。


《来い!! 俺はここに居るぞ……!!》


 叫び、求めろ。



「っっっだらっしゃああああああああああああ!!!!」



 壁が、ぶち壊れる。

 青の風と共に、力任せの突進が、壁の向こうからやってきた。


    ※   ※   ※


 そこは祭壇と呼ばれていた場所だった。

 だが組織には属さないジークが、ここにラ・ヴォールの焔を安置した者たちがどう呼んでいたかなど知る筈もない。


 ――長い通路越えた先、重々しい扉を開くと、眼下に祭壇のような場所が広がっていた。


 だから、祭壇と呼んでいた。

 山側からの通路は祭壇の正面入り口と言って良い。

 学園からのは裏口、鉱山から繋げたのはビーノ=ラインコットの独断で、先代との対立が原因だった。


 壁面を伝い、緩やかに曲がりつつ降りていくと、何かを捧げるような台があり、そこにラ・ヴォールの焔が安置されている。

 一抱えはありそうな大きさで、白と黒の魔術光を相食ませて流れ込むセイラムの力を散らせ、封じている。



 そういう、俺の知る景色はどこにも無かった。



 壁中を伝う赤い結晶と、最早本来の働きをしているのかも怪しい白と黒の魔術光が乱気流に晒されているような動きで室内を飛び交い、時折壁面から、あるいは天井から、四足歩行の化け物がぼとりと落ちる。その謎の結晶が放つ淡い光で視界が確保されているのだと、気付くのには少し時間が必要だった。


「ハイリアか!?」


 聞き慣れた大声がした。

 壁を破壊した張本人だ。


「……ディラン、近衛兵団長」

「うむ、助かったぞ!! 退路が確保されたのはありがたい!!」

「いや……これはどうなって」


 明らかに異常が発生している。

 なんだこの結晶……真っ赤な、いや、時折揺らぐようにして銀を帯びる物質は。


「ラ・ヴォールの焔はどうした!? ここにはアレが安置されていた筈だ!!」


「目の前にあるだろう!!」


 目の前に?


 言われるまま眼前に目を向けて、あまりの光景に息を飲んだ。


 人が、この赤い物質に呑み込まれている。

 見た顔だ。

 近衛兵団の、古株の一人だ。

 何かを庇うように腕を広げ、武器を手に、最後まで戦い抜いて……呑み込まれたまま固まっていた。


 半透明な物質のせいか表情までよく見えてしまう。


 これが。


 いや、なんなんだ……?


「ハイリア様」


 新たな声に意識を引き戻す。

 控えるようにして側へ来た女にもまた見覚えがある。


 リリーナ=コルトゥストゥス。フィラント王シャスティの側近だ。


 どうして彼女が一緒に居る。

 疑問は無理矢理飲み込み、まずはと聞く状態を取った。


()()全てがラ・ヴォールの焔です。下は完全に呑み込まれて『機獣』の幼体らしきものが無数に眠っています。どうやら焔自体が『機獣』を生み出しているようなのです。破壊しようにも壁面全体に結晶を這わせていて、それが支えになっているせいか崩落させることも出来ませんでした。水が溜まるように肥大化しているせいで持ち出すことは不可能です、また、王に持たされていた封印の刃も数が足りず……」


 理解は放り捨てた。


 ただ、並べられた事項全てを認識する。


 情報の分析はくり子の領分だが、出来た結果をどう扱うかは指揮者が行うべきことだろう。


「現状での封印は不可能。破壊も困難、運び出しは想定するのも馬鹿らしい。そして」


 ディランが槍を大振りして階段を登ってきた獣らしき生物を叩き落す。

 他にも数名の男たちが同じように倒すよりも階段下へ落下させる戦術を選んでいる。


 追い詰められた状況とはいえ、近衛兵団でも排除を優先する耐久力があるか。


「お前たちがこの祭壇に入ってきた道は」

「塞いでいます。かなりの規模で崩落が起きましたので、再び繋げるには相当な時間を必要とします」

「学園側への通路は見たか」

「確認はしていませんが、祭壇の裏側に道があると聞いていましたので……」


 であればこの結晶に呑み込まれている。


「ディラン!!」

「なんだ!!」

「情報を集めたいっ!! どれだけ時間を稼げるか!?」


 戦う彼の背中が歪むのを感じた。


 これだけ切迫した状況で踏み止まれと言うのは、戦士に死ねと命じるに等しい。

 既に飲み込まれ、助け出せるかも分からない者が目の前に居る。


「そう長くは持たんぞ!!」

「引き際は任せる!!」


 言って、彼らの後ろをすり抜けて通路の先へ向かった。

 右へ進めば壁面を伝う階段があり、近衛兵団はディランの号令を受けて前へ出た。戦いの密度は上がり危険度も増すが、こちらの負担を減らそうという考えだろう。


「リリーナ、何か書く物と袋はあるか」

「袋は幾つか、食料や医療品を入れてきたものがあります。書くものは……何を為さるつもりですか」


 握りっぱなしだった刀で足元へ伸びつつある結晶を砕いた。


「サンプルの採取だ。足元へ伸びてくるもの、既に動きを止めているもの、壁面を伝っているもの、『機獣』を生み出した後もの――」


 皮袋を受け取り、ひっくり返して袋のまま砕けた結晶を掴んでまた戻す。


「――人体を呑みこんだもの。出来る限り種類を採取し、持ち返る」


「今やるべきことなのですか……? 意味があるとは思えませんが」


「意味は作れる。何も分からないまま再突入しても無駄に被害を広げるだけだ。確かに被害に見合うだけの結果が得られるかどうかも分からない。何の意味も無いのかもしれない。しかし意味が無かったという結果が残れば、次にこれらを採取する選択肢を放棄できる。選択肢を絞れるということは次の行動をより選別出来るということだ」


 口紐を縛って結び目を一つ作る。

 一応袋の中で肥大化し始める可能性もあったが、現状は問題なさそうだ。


「さっき言った順番で結び目を増やしていけば後からでも判断が出来る。思い出記憶にも残り易いしな」


「わかりました。危険な場所の採取は私にお任せ下さい。貴方はフィラントの今後にとっても無くてはならない人です」


 すんなり受け入れることにして、二人でラ・ヴォールの焔の採取に務めた。


 通路の先はすぐ途切れていて、眼下に祭壇が望める。

 どうやら結晶は安置されていた場所から広がり、徐々に室内を埋め尽くしつつ一部が壁を伝って広がっていったのだろう。

 俺の知る景色は血を思わせる結晶に沈んでいて、それ液体を思わせたが、壁を伝って天井にまで達している様は植物が思い浮かぶ。あるいは表面張力か、なんて考えるが、そもそも物理法則が適応されるかも不明だ。虚空から武器を生み出し人の能力を拡張する魔術は、既に質量保存の法則を無視している。


 周囲を伺っていると、一部結晶に覆われていない、崩れた箇所を見つけた。

 あそこが坑道からの突入路だったんだろう。

 突入後に後方を崩して道を塞いだという所か。

 しかし祭壇内はこの有り様で、自然とまだ結晶に覆われていない上を目指した。


 何故、ここまでラ・ヴォールの焔が肥大化することになったのか。


 あれはセイラムの力が流入する強力な縁だ。

 詳しい製法までは知らないが、彼女を支えた四人の使徒と共に血を籠めて長くフーリア人の各部族に預けられていた。

 管理をしていたのは巫女だったという設定だったが。


 戦いの最中に二つが破壊されて、もう一つも何処かへと消えたとされる。最後の一つをオスロがヒース=ノートンへ預け、ジークがラインコット男爵へ渡してしまった。後に学園の地下祭壇へと安置され、この土地にはセイラムとの強い縁を得たことで魔術を鍛えるにはうってつけの場所となった。

 デュッセンドルフ魔術学園が大陸有数と呼ばれる所以がそこにある。


 元々学園自体はあり、歴史もあり、利用される形ではあるが多くの人脈にも恵まれていたこの地には人が集まって、やがてティアの『魔郷』による情報収集の場ともなっていった。


 この地の底に、莫大な資金が投じられて生み出された巨大な地下通路。

 山脈によって大陸西方から切り離されていて、また領土の殆どが湿地帯とあって中原から見向きもされないこの地には元来独自の文化が生まれやすい。

 合宿で立ち寄った村にも地下通路はあり、そこではセイラムとは違う異教の信仰が育まれていた。


 少し身を乗り出しつつ、崖際の結晶を採取する。

 どうにも触れただけでは取り込まれないようだ。

 俺が触れることで変化することも考えられたが、特に問題は見られない。


 立ち上がった時、不意に白と黒の魔術光が勢いを弱めた。

 まるで俺にそれを見せるべく、導いてきたように。


 ゲームの中でジークは祭壇の前に立ち、それを見上げてある存在を思い浮かべた。


 けれどそれは実体のある脅威で、俺が想像するものとは違ってくる。


 セイラムとの縁を刻む秘宝ラ・ヴォールの焔を奉る祭壇に刻まれている壁画は、他の壁同様結晶に呑まれていたが、元の形を知るせいか問題無く見て取れた。



『機神』(インビジブル)



 その意味は、透明なモノ、見えないモノ。

 あの圧倒的な機動力も、火力も、彼女の力を象徴する言葉にはなっていない。


 実体はあるのに見えず、いつのまにか浸透してくる存在。


「お前は何だ。神か、侵略者か」


 コレはセイラムによるものではなく、お前が牙を剥いてきた結果の事なのか。


 思索の時間は今は無い。

 行動を。


 そして、


「限界だ!! 撤退するぞ!!」


 ディランの掛け声に従い、コンクリート壁のぶち破られた通路へ向かう。


 気付けば壁や床を這い広がる結晶が速度をあげて俺たちに迫ってきていた。

 階段上はほぼ覆われ、天井からはつららのように落ちてくる。


「ほれさっさと行かんか!!」


 迫る結晶をディランが叩き飛ばし、けれど振り切った矛先を別の結晶に飲み込まれる。


「ぬぅ……!! やりにくいわ!!」


 剛腕任せに振り払い、足元を打撃で叩き飛ばした。

 すべての者が通り抜けた後、身を翻そうとした彼の動きが止まる。


「団長っ、足が!!」

 一人が引き返そうとするが、横合いから飛び出してきた『機獣』への対処で出遅れる。

「おのれ小癪な!!」


 見た時には足首が呑まれていた。

 駆け出した時にはふくらはぎが半ばまで。


 『弓』が飛び掛る『機獣』を射ち落とし、次の一射で天井を貫いた。

 崩落は起きない。だが一部の岩盤が崩れ落ちて敵の進路を阻む。


 辿り着いた時、ディラン=ゴッツバックの右脚は太股まで結晶に覆われていた。


 振り返った彼が俺の手を掴む。

 ぎょろりとした目が強い意思を持ってこちらを見る。


 止めろ。


 余計な事を言うな。


 そんなものどうにかなる。

 諦めるな。全員で掛かれば押し返すのだった不可能じゃない。


 だから、


「っ……」


 僅か、一息。


 握った手が力を増し、目を見開いた老齢の大男が叫ぶ。



「死んで堪るかバカモンが!!!」



 歯を食いしばって自らの足へ槍を叩きつけ、出鱈目に捻り切った。


「へっ、恰好付けて置いて行けって言うかと思ったぜ!!」


 最初に飛び出した『剣』の男が駆けつけていて、倒れる巨体を支えてくれた。

 俺と彼、二人でなんとか背負いながら、今見た光景に何故か涙が溢れてきた。


「はは……」


 痛みであっさり気絶した大馬鹿野郎の重みが心地良い。


「なんだこれはっ、ははは……敵からただ逃げるだけなのに、馬鹿みたいだ……」


 敗走と変わらない。

 成果があったのかも、ただ無駄を費やしただけかも知れないのに、そこから馬鹿みたいに何も出来ず逃げ出しているのに、笑いがこみ上げてくる。


 最後に誰かが通路を崩して置きっぱなしだったランタンを拾い上げ、追従してくる。


 先行していたリリーナが顔を真っ青にしているのが見えた。


 必死に助け出そうと思っていたヘレッドは居なかったし、ラ・ヴォールの焔は馬鹿みたいに肥大化して化け物を生み出していた。

 なんとかサンプルの採取は行ったけど、意味があるのかは俺だって分からない。


 恰好付けて町を救おうなんて考えてきたのに、今や巨漢の男を二人掛かりで背負って敗走中だ。


 なのにただ笑えて、ただ泣けてきた。


「ハイリア……」


 しばらく皆で走り続けて、治療の出来そうな場所を見つけた頃にディランはまた目を覚ました。

 脳味噌まで筋肉で出来ていそうな巨漢は、俺を見て脂汗を流しながら豪快に笑って言うのだ。


「見ろ、これでマグナス殿とお揃いだ。羨ましかろう」


「ついでに片目も抉ってやろうか」


「ははは、まだまだ未熟者でな、遠慮しとくわい」


 やがて応急処置を終えて一息ついた俺たちへ、外部への連絡を取ったリリーナから状況の悪化を伝える報告を受けた。



「ホルノス王はデュッセンドルフの完全放棄を決定しました。離脱した守備隊が南北に分かれて集結を開始しており、また……戦いに加わった多くの学生らが負傷したとのことです」



 更には、


「街中には四柱の眷属が出現しており、『弓』の術者による超長距離射撃によって撤退中の部隊は壊滅状態にあるとのこと。現状での安全が確保されているなら現地での待機をとのことですが……」

「なんだ」


 眉を寄せたリリーナが息を詰めたまま口を噤んだが、しばらくして言葉を続けた。


「撤退時に貴族街を優先させて民を置き去りにしたとの噂が広まっていて、南部では暴動じみた状況になりつつあるそうです」





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