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兵糧と情報。
この二つは、軍事において常に至上の価値を持ち、その行き交いは早ければ早いほど良い。
まだ電話もレーダーも無かった時代、互いに覇権を争って大部隊を派遣したものの、お互いの居場所が分からないまま兵糧が尽きて撤退した、なんて間抜けな話は意外とある。
拠点を奪うにしても、攻めず、包囲して相手を餓えさせる兵糧攻めはかなり有効だったし、侵略軍に対しては拠点を素直に明け渡して、後方の支援を断つというのが一番効果的だ。まあこれは拠点周辺の状況にもよるが。
そして情報は、おそらくその速度が一定以上にまで高まった時点で、戦争というものの構造が変わってしまう。
中世やそれ以前の戦いは、言ってしまえばバケツの水をぶつけあうようなもので、そこに戦術や戦略はあるにせよ、どうしたって大雑把な部分が大半を占める。
それは、指揮官が戦いの全体図を把握するのが難しい上に、その指示やフィードバックにどうしても数分から数十分もの時間が必要となるからだ。十分も前に出した指示が、十分後も有効であるかどうかは疑わしい。反論をするにもまた時間が掛かるから、結局は現場の人間へ独自判断を任せるしかなくなってくる。あるいは効果の程を知りながらも従わせるか。
この問題を解決するべく、人は様々な手段を開発してきた。
狼煙なんかは有名で、煙の色を予め示し合わせておけば目視での情報伝達が可能となる。他には音楽だ。士気高揚の役割も果たしながら、奏でる音楽で取るべき陣形を伝え、大部隊を動かすという手法。
だがどれに対しても言えることは、具体性に欠いた情報しか伝えられないことだ。
仮に全部隊へトランシーバーを配ったらどうなるだろうか。
この世界では、ただでさえ兵の展開が早い。『盾』と『槍』さえ置き去りにするなら、騎兵以上の速度で彼らは戦場に広がることが出来る。
彼らへほぼタイムラグの存在しない、話し合いさえ可能な情報伝達手段を与えれば、部隊個々の動きはより精密で繊細なものに変化するだろう。
バケツの水をぶつけ合うんじゃなく、水鉄砲で的確に相手の目を狙えば、消耗を最小限に抑えつつ最大の効果を得られる。
そういう意味では、単独で全ての下位属性を撃破可能な『旗剣』や『騎士』なんかは、情報の高速化が進むほどにその価値を上げていくだろう。
今この世界で主流なのは、楽器演奏による全体指揮と、最も数の多い『剣』を使っての伝令を掛けあわせたものだ。
「お初にお目にかかる。ハイリア卿」
戦いを前に瞑目していたら、草を踏む音すら無く男が正面に立った。
声を掛けられなければずっと気付かなかったかもしれない。
年の頃は四十が五十ほど。年齢だからかは分からないが、髪の色は白く、乾いている。欧州系の者がほとんどなこの世界では珍しく、やや彫りの深さを感じる顔はやんわりとした笑顔を浮かべているが、刻み込まれた精悍さは拭えない。
やや細身に見える体つきで、身長は二メートルを超えるだろう。普通に向かい合っているだけで妙な圧迫感があった。
男は折り目正しく法衣を纏っていて、胸元にはリング。
そして、俺を前に礼をする手の甲には、十字天秤の刺青がある。
「なにかあったか」
目上ではあるが、位は俺がずっと上。あくまで敬語は使わない。
「いえ」
あまり慣れ合いたくはなかった相手だが……、
「今や雷帝との呼び声高いハイリア卿と、是非言葉を交わしてみたいと思いましてな。初陣を前に心を落ち着けるのは良いのですが、こういうときはむしろ笑っていた方が安定を呼び込めるものです」
「訓練以外でも戦いの経験はある」
言って、それが今回のような、命懸けを前提に編成された者同士の戦いでは無かったことを思い出す。
街のごろつきや、ちょっとした揉め事程度の経験か。
子どもの喧嘩と変わらないな。
「それは失礼を」
相手も敢えて指摘はしなかった。
「改めまして、私の名はジャック=ブラッディ=ピエールと申します。まあ気軽に、ジャックとでもお呼びください」
「いや、ピエール神父と呼ばせてもらおう」
呆けていると陽気な商人にも見えるが、気を許していい相手じゃない。
公式ではJB=ピエールとも表記されるイルベール教団の男。
学園を主な舞台とする作品だけに若年層が主体な中、数少ない中年キャラとして登場してくるのが彼だ。基本的には温和で、奔放なジークに対しても好意的に接してくる。それも嘘偽り無く、時に導くような言葉さえ残して。
これが作り話の世界だと思えていれば、俺も彼に対してはある程度の好感があった。しかし、
「残念ですな。でしたらまずは本題といきましょうか」
神父は途端に笑顔を脱ぎ捨て、真剣な表情で顔を寄せてきた。他には聞かれぬよう周囲を探るが、今この辺に居るのは彼と同じイルベール教団の者たちばかりで、それぞれが寄り集まって待機しているから聞かれる心配はない。
俺はというと、間近に感じる神父のプレッシャーにやや身を引いている。
「ハイリア卿」
数々の戦場を生き抜いてきた男の声にゾクリとする。
彼はその真剣な声で、
「かわいい子いっぱい居ますけど、どれくらいヤっちゃったんですか?」
最悪に下衆な事を口走った。
「…………」
うん。まあ、知ってたけど、お前がそういうキャラなの。
「合宿ですよねぇ、皆さんびっくりするくらい可愛いじゃありませんか、これはもう一日に五・六人は行けますよね?」
なまじおっさんキャラとしての、重く貫禄ある良い声で言われるから、チャラい言動が何か重要な話のように感じられてしまう。
「英雄色を好むと申しますし、ハイリア卿ほどの器量であれば将来的に五十人くらいは囲えるんじゃないですか? あっ、因みには私は今二十人ほどの妻がおります。いやどの妻も等しく愛しておりますとも。この前は三十六人目の子どもが生まれましてな、いやぁ、何度経験しても命の生まれる感動というのは素晴らしい。この血を受け継いだ我が子ともなれば愛さずにはおれませんとも」
因みにこの世界、基本的には一夫一妻だが、地方によってはこういう一夫多妻もあったりする。彼がそこの出身だったか不明ではあるものの、別に教義ともかち合わないから問題はないらしい。あってもやりそうだが。
まあ貴族には往々にして側室というものも認められている。
「此度の戦いを見事勝利で収めたあかつきには、是非とも皆様とのお時間を頂きたく……あ、ご安心下さい。私、既に三人の貴族とも結婚し、幾つかの領土も持っていますから、爵位は一番高いもので子爵。下級貴族ではありますがな、ハッハッハッハッハ!」
絶対作らない。
誰が好き好んでイルベール教団なんかと交流するか。
「お固い! ハイリア卿、それではいけませんぞ? 貴族の男子たるもの、家を途絶えさせては先祖に顔向け出来ません。良いと思った女性にはすぐさま声を掛け、我が子を産んでもらおうとするのは義務とも言えます。こうして小隊を指揮していると親しい相手も出てくるでしょう? 先ほど救出部隊として先行していった副長さん、彼女もとても美しかった……!」
クレア嬢の事か。ビジットがサボるから副長みたいな仕事をしているだけで、正確には女性陣のまとめ役みたいなものだが。
「彼女の家は宮中伯。王城で直接国を動かす政務を任されている家だぞ。迂闊なことをすれば首が飛ぶ」
物理的に。
「おぅ……これは思わぬ大当たり。いやはや、実はそういったことも二度ほど経験してましてな。遠い異国の地で声を掛けた女性がよもやお忍びでやってきていた王族で、ハッハ! あの時は危うく八つ裂きにされるところでしたよ!」
物理的に。
神父にあるまじき言動を聞き流していると、やや離れた位置で黄色の魔術光が弾けた。『弓』の特徴である羽を散らせていて、極めて小規模な罠が起動したんだと分かる。
「『弓』による情報伝達……それとなく聞いていただけですが、確かに予め設置しておけば『剣』を走らせるより遥かに早く、隠密性に富んだものになりますな」
『弓』(ストライクアロー)の射程は平均で二百メートル。
その間隔で術者を配置し、予め設置しておいた罠を起動。威力を抑えれば直撃してもかすり傷しか負わない上、魔術光を非攻撃時であれば視認不可能なレベルにまで抑えることの出来る『弓』なら、ほぼ相手にそれを察知されることがない。
狙撃におけるスポッターではないが、周辺監視に『剣』とペアで配置していれば生存力も高く、タイミングを測る上での伝令としてはかなり早い。
「今弾けたのは配置完了の合図ですか。敵がこちらへ動いてくれば右の方を起動させると……限定的ですが中々に使えますな」
複数人を挟むから、途中で偽物が紛れ込むと情報を改竄されてしまうおそれもある方法だ。まだ試験的なものだが、知られてしまった以上、今後教団と事を構える時には対策が必要となるだろう。
「さて、では我々は潜伏した救出部隊を援護するべく囮となりましょう。僭越ながらヴィレイ様よりハイリア卿の守護を仰せつかっております。ご要望の通り『剣』のみで構成された部隊ですな。さて、これを一体どのように?」
「無闇に交戦するつもりはない。敵戦力を村から出来る限り引っ張りだして逃げ惑う。その間にビジットを救出し、全体状況さえ確認できる場所へ誘導すれば勝敗は決する」
「ほう。たしか『盾』の上位能力者が居たとか……歴史上にも稀な覚醒者を配下としているなんて、流石はハイリア卿」
ビジットに関しては配下じゃない。が、そんな話をこの男にしても仕方がない。
ヴィレイから教団員を預けられた俺は、怪しげな連中に臆さぬようしっかりと地面を踏みしめて先頭に立った。
「可能なら街の中まで入ってより多くを引き付けたい。俺が指示するまで決して交戦せず、無駄な行動は謹んでくれ」
応じる動きは静かに、しかし確かな頷きを示してきた。
黒衣に顔を隠した連中は不気味だったが、その実力は間違いなく本物だ。実戦経験を積んだ彼らの実力……願わくばそれを見るまでもなく戦いが終わればと、俺は願っていた。
「ねえ、本当に終わった後、お話だけでも駄目ですか?」
しつこいな!?
※ ※ ※
三つの馬車を引き連れて、俺たちは村へ入った。
入り口には人相の悪い男たちが屯していて、こちらを値踏みするように様子を伺っていた。占拠とは言っても、彼らにとってここは外敵を排してまで守らなければならない場所じゃない。基本的には略奪と、屋根のある場所で一時の安息、余裕が出来てくると女を漁り始めるくらいか。
以前見た市場はそのままだが、店主は怯えた表情で、金も払わず商品を持っていく男たちに顔を伏せるだけ。
魔術を使える者たちが主体だからか、あからさまに武器を持った者は居ない。
入り口から少し進み、俺は馬車を止めさせた。
すると後ろから俺と同じくフードで顔を隠したピエール神父が並ぶ。そっと顔を寄せ、
「右の露天、そして来た途中にあった大きな壺のお店、どちらも店主がすり替わっていますな。更にはこの先にある広場、罠が張られています。魔術ではなく物理的な……おそらくはここを抜けようとした者を捕らえる為の網を、左右に張り巡らせて砂を被せています」
「随分と周到な。相当な数の村で繰り返してきたらしいな」
「因みに罠は入り口にもありました。進んでも戻っても罠。こちらが止まったのを見て、配置が始まりましたし、放っておいても仕掛けてくるでしょう」
「正面の罠を解除出来るか?」
「はい」
「よし」
合図を出して再び馬車を動かす。
と、その時、重い音を立てて一番後ろの馬車から木箱が落ちた。
砂地にぶちまけられる金色の硬貨。
遠巻きにこちらを見ていた男が驚嘆と共に叫んだ。
「き、金貨だぁぁぁぁあああああああああああああ!」
「突破する! 全員進めェ!」
言葉と同時に俺は一番前の馬車へ飛び乗り、周囲を守っていた教団員たちが一斉に『剣』の紋章を浮かび上がらせる。鞭が馬の腰元を打ち、嘶きを纏って馬車を走らせた。
「ソイツらを逃がすな! 金貨を持っているぞおおお!」
敵の動きも早い。
男の叫びに素早く反応し、広場に網が掲げられた。
「速度はそのままで構いません」
「分かった!」
赤い魔術光を燃え上がらせ、ピエール神父が右の支柱へ向かう。
彼の属性は『剣』だ。
上位能力すら持たない。だが、
「いけませんねぇ、神の定めに従わぬとは。人としての尊厳を捨てるに等しい」
支柱の周辺に灰色の霧が満ちた。
あの魔術光は『盾』だ。『剣』では決して突破できない相手が五つもの大盾を展開して、その後ろへ敵が広がる。見えただけで『剣』が二人、『槍』が一人。一小隊分の戦力を前に、両の手へ小太刀を具現化した神父が迫る。
瞬く間に血が舞った。
迎撃へ出た『剣』の術者は、自分が切られた事にさえ理解が追いつかぬまま、呆然と立ち尽くし、無くなった両腕を眺める。悲鳴があがった。
思わぬ展開にもう一人の『剣』が臆し、大盾の後ろへ下がる。
迂回しようとした所へ左側の大盾が消えた。『槍』だ。ハルバートを構えた男が青い風をまき散らして神父の首を狙う。
「なっ!?」
見えた光景に思わず驚きを漏らした。
『槍』は四属性で最大の打撃力を持つ。仮に『剣』が大剣を具現化したとして、『槍』の短槍にさえ打ち負ける。そういう明確な優劣があるからこそ、四属性はじゃんけんのような関係を保ち、戦いをある意味で安定させているんだ。
だが神父は、あの小さな刀でハルバードを弾き飛ばした。少なくとも遠目にはそうとしか見えなかった。
一体どうやって……?
いや、思い当たる方法は確かにあった。先のリースとの戦い、彼女は俺の『槍』にぶつけず、触れ合わせることで純粋な腕力勝負へ持ち込んだ。打たなければ打撃力は発揮されない。
仮に相手の攻撃をそっと包み込むように受け止めることが可能なら、そのまま槍を押し返し、先のようなことが出来るのかもしれない。
小太刀はそもそも防御用の刀で、通常の太刀よりも一回り短い。
耐久性に劣る刀とはいえ、魔術で生み出された武装は術者次第で強度を上げる。後は理屈だけなら可能と言える方法を達成する技術さえあれば……。
神父はゆらりと『槍』の術者へと近づき、青い風の甲冑へ差し込むように、小太刀を突き入れた。紋章が散った男はなぜこうも簡単に守りが破られたのか、理解できないという表情のまま倒れていく。
すぐさま大盾が再展開された。術者を囲むように五つ、高さにして四メートルはある大盾が立ちはだかる。
『盾』の厄介な所は、『槍』の武装と同じく打撃に反応して強力な衝撃を放つ点にある。一撃でそれを貫通さえ出来れば発動しないが、神父の属性は『剣』、こればかりはどうあっても不可能だ。
斬りつければ反撃を受けて、即死もありうる。
しかし、『槍』の攻撃さえ押し返すあの男に、その程度の難関がどうしたというのか。
赤い魔術光を燃え上がらせ、右手に再び小太刀を握った神父は、まるで散歩途中に公園の柵でも乗り越えるような気軽さで大盾を踏み、駆け上がった。
その一歩に少しでも打つような威力が篭もればその時点で足が消し飛ぶ中、風に煽られた火の粉のように舞い上がって大盾を越え、その中へ消えていった。
網が落ちる。
霧散した大盾の向こう、胸元から小太刀の切っ先を生やした術者が倒れていく。
「馬車を右へ寄せろ!」
俺の指示と共に馬車隊が右端へ寄っていく。と、網の上へ神父が大きな板を放り投げた。近くにあった露天の屋根だ。
「網の上を通って馬が怪我しては可愛そうですからね」
あまりにも似つかわしくない言葉を、駆け抜ける馬車へ飛び乗ってきた神父が言う。
「連中は」
「来てますね。木箱一杯の金貨、馬車は三つ、まだまだあるだろうとよだれを垂らしてやってきていますよ」
「このまま敵を引きつける。応戦は最小限にして村を抜けるぞ!」
ここまでは順調だ。
やはり、この男一人居るだけで全然違う。
この、ジャック=ブラッディ=ピエールこそ、『幻影緋弾のカウボーイ』では最強キャラの一角を成す男。最後のルートボスは別として、アレを正面から破れる可能性があるのはイレギュラーと呼ばれる連中だけだ。
俺の『騎士』やリースの『旗剣』も、単独ではまず勝てない。
そして何より、『剣』の術者として最高位にあるピエール神父は、あのジーク=ノートンにとっての天敵となる。
ヴィレイなら、正直俺にとって倒すだけなら難しくない。
彼はあくまでジークにとっての敵だ。相性はやはりヤツに合わせてあり、本編では苦戦させられるイメージが強い。だがハイリアが積極的に係ることになるアリエスルートでは、そのボロ負けぶりからネタキャラ扱いに化ける。
問題はこの、ピエール神父だ。
ヤツが敗北するのは一番最初のリースルートと、一番最後になるフロエルートのみ。リースの特例は別として、ティアやアリエスのルートでは生存したまま物語を終えている。
真っ向から戦い、撃破したと言えるのはフロエルートのみだ。それも終盤の、あらゆる戦力が整いつつ合った状況でようやく。出来れば戦わず暗殺したいくらいだが、これで数々の陰謀に関わった男。警戒心の高さは本編を見て思い知っている。
いずれ仕留めなければならない……だが、その為にはまだまだ積み上げるべきものが多すぎる。
村を抜けてすぐ、小さな違和感を覚えた。
「おや、誰かが応戦しているみたいですね」
「まさかっ、勝手に動いたのか!?」
それだけはあり得ない筈だ。もし不測の事態が起きた場合は必ず――
「学生ではありません。偶然この村に来ていた者たちのようですね」
馬車の速度を落とし、ゆっくりと方向を変えさせる。見えたのは、村の抜ける大通りで俺たちを守るように立ちはだかった数名の男たち。見覚えがあった。五日目にビジットたちと村の視察へ行った時、村の女の子へ絡んでいた連中だ。
「止まれ!」
「どうします?」
「見捨てる訳にはいかない」
「敵を引き剥がすのが目的の筈」
「どの道あれでは引き剥がせない。敵が追い付けるよう速度を落とすのは不自然だし、罠と思っても目の前に転がっていれば押し寄せる。馬車はここに捨て置き、馬を逃がせ。すぐ動かせないようにさえしておけばそれでいい」
「我々は?」
「あの男たちを助ける。続け!」
あまり使いたくは無かったが仕方ない。
俺は『騎士』の紋章を浮かび上がらせると、右手を掲げて膨大な青い風を天へ舞い上げた。
「おおっ、これが噂に聞く雷帝の鉄槌! これで連中を?」
「っ……やる訳無いだろ。落とせば村ごと吹き飛ぶぞ……これはただの威嚇だ」
実際に敵はこちらを見て、すぐには逃げないんだろうことを察してか、腰を落ち着けての方針に移った。
なだらかな斜面を青い風と共に疾走しながら、頭の中に声を聞く。
《――繋ぎます》
メルトだ。
まだ慣れないからか雑音を感じるが、拠点の天幕で待機している筈の彼女の声が届いた。周囲へ視線を巡らせると、俺を守るように広がった教団員らが炎を散らして走っているのが見える。ピエール神父はやや後ろで、顔まで確認するのは不自然だろうと前を見た。
気付かれている様子はない、か。
《聞こえますか?》
《あぁ聞こえる。上出来だ、メルト》
《ありがとうございます》
彼女が巫女の力を使えるようになったのは本当に最近だ。
フーリア人でも珍しい、巫女として修練を積んでいた彼女は、その力の多くを継承する前に奴隷となった。だから断片的な知識を元に力を再現し、今なら広範囲に及ぶ大雑把な知覚と、三人程度の念話が可能となった。
《くり子へ繋いでくれ》
《はい》
《わきゃあ!?》
《落ち着いて下さい、私です》
《おおっメルトさん!? いつの間にゆうれいに?》
《あの……死んではいません》
《話していいか……?》
予め話してあった筈だが……。
まあ、くり子のボケを聞いたおかげで、少しだけ落ち着けた。
ふむ。
やはりどこか興奮していたんだな。
《予定外の事が起きた。村に来ていた一団が勝手に敵と交戦し始め、引き剥がしが出来そうにない》
《その人たちと一緒に逃げるのは無理なんですか?》
《全員『剣』か『弓』なら良かったんだがな》
生憎と『槍』と『盾』まで居る。
なまじ整った戦力だけに戦えると踏んだんだろう。
《どうしますか》
《正面からぶつかるにはこちらの攻撃力が高すぎる。村へ篭もられても厄介だな……守って引きつけるのは難しい……》
なにせこちらには『剣』と『騎士』だけだ。
囮として逃げまわるつもりだったから、機動力を優先していた。教団員だけならどうとでも出来たものを。
「ようっ! やっぱり兄ちゃんたちか!」
「だろ!? 言ったじゃねえかっ、絶対来るってよお!」
「『騎士』様のご登場だぜええ!」
「おらおら気合入れろ野郎共! ガキ連中にいいとこ見せてやるんだよッ!」
くそっ、完全に善意か!
あの時上位能力を見せつけたのが仇になった。彼らは俺たちをアテにして、特にビジットの力があれば絶対に勝てるからとこの騒動に参入してきたんだ。
「正しさが常に正解を導くとは限らない。彼らの勇気は定められたものか、それとも思いあがりか」
「こんな時にありがたい言葉は聞きたくないな」
「ではどうしましょう?」
「怯えない程度に敵の一陣を挫き、一旦下がる。ここは周辺に建物があって奇襲の怖れがある」
《ハイリア様》
くり子か。
《どうした》
《アリエス様に判断を仰いでいいですか?》
アリエスに?
確かに彼女も救出部隊に選出されていて、ビジットを連れてくる予定の場所を確保している筈だが。
《前にも言ったじゃないですか。アリエス様、結構しっかりしてますよ?》
《……そんなことは知っている》
《だから、相談しましょう》
展開されていた大盾の影から飛び出し、狙いも付けず破城槌を叩きつけた。地面を抉るような破壊は大量の土や砂を飛ばし、駆けつけていた敵の進行を阻む。
「下がるぞ!」
「え? いい感じじゃねえかっ! このまま行こうぜ!」
「馬鹿を担いで後退しろ! 村から離れた位置で再度大盾を展開し、後退しながら敵を迎撃する! 殿は俺が務める! ピエール神父!」
「はい」
「敵の数を減らしたい。側面から反復攻撃を仕掛け、動きが鈍ったら距離を取れ。仕留め切る必要はない。ただ増援を遅らせ、こちらに食い付いた敵が正面だけに集中出来なくなればそれでいい」
「なるほど。そういう戦い方もあるのですね」
「ハイリア様!」
またくり子、と思った。だが違う。本当の声?
「何故こんな所に!?」
赤毛少年だ。
彼も捕まっていたのは確認していたが、こんな村外れの一角にどうして!? 一緒に居るのは……あの時の女の子?
「そこのチビガキが襲われそうになっていたのを、赤毛の兄ちゃんが助けに入ったんだよ」
魔術による加速を得られない『盾』の術者が走りながら言う。
遠巻きに俺を囲い込み、『弓』の術者たちが矢を射かけてきている。回避するだけならなんとかなるが、彼を助けながら後退しないといけない。他の者も敵の対処で手一杯で、抱えていける者は居ない。
ハルバードで土を巻き上げ、それでも貫通してきたものは用意していた破城槌で強引に吹き飛ばす。まだなんとかなるか……。
「そういうことか。そこをお前たちが更に助けに入って、さっきの展開になった訳か」
「まあ、あの時は仲間内の賭けで負け続けだったんだ。許してくれよ」
「この戦いで生き残ったら許してやる。精々死ぬな」
「えっらそうだよなぁ兄ちゃん。というかホントに貴族様? あんな大金持ってたし……あれ?」
侯爵家の嫡男だがどうした?
とりあえずは赤毛少年にも合流してもらう。
彼はあの女の子を抱えているから攻撃は出来ないが、コレで『弓』の術者が増えた。『盾』で陣地形成が完了すれば十分戦力となる。
《ハイリア様っ》
《メルトか、どうした》
慌てた声だ。彼女は拠点の天幕で身を隠している筈だが、何かあったのか?
《申し訳ありません、ヴィレイ=クレアラインが部下を連れて村へ。既に入り口へ到達しています……!》
くそっ、次から次へと!
《目的は分かるか?》
《私の位置からは……》
《こっちで確認します。残っていた敵と交戦……っ!?》
《どうしたっ?》
返答には時間が掛かった。
その間にも敵の攻撃は続き、守りが削り取られていくのが分かる。誰かを背に立つことがこれほどに困難だとは思ってもいなかった。
それでも守る。
守り切ってみせる……!
そして聞こえた声は震えていて、
《教団の人が……一人、敵に飛び付いて…………味方がその背後から一緒に……》
気が狂ってるのか!?
そんな自殺行為をさせる理由がどこにある!?
《…………飛び付いているのは……浅黒い肌で、だから…………フーリア人です》
※ ※ ※
情報の高速化は成された。
メルトの持つ巫女の力は、俺たちの戦いを一変させるに足るものだ。だが、それを扱いきれるだけの能力が俺に不足していた。
次々と変わっていく戦いの様相に対し、何ら手を打てないまま時間は過ぎる。
こうしている間も大切な命が消えていくんだと分かっていながら俺は……!
《大丈夫ですわ、お兄様》
《アリエス!? っ、メルト!》
《メルトを責めてはいけませんわ。先ほどからくり子の挙動がおかしかったから問いただしたんです》
くそっ、
《思考は海を渡るようなもの。無風では動くことも出来ず、焦りという名の嵐は船を沈めてしまう。天へ昇る青い風に乗って、私の羽を舞わせましょう》
《……どうするつもりだ》
《全てはお兄様のつけた道標のままに。少し強引な手段ではありますが》
俺の?
もう破綻しているに近いこの状況でどうやって……。
《ご覧下さいませ。学園が誇る第十位の小隊を、『弓』の術者のみで構成した部隊で倒してみせた、我が小隊の力を――――お兄様が目指したものの正しさを、私が証明してみせます》




