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ヘレッド=トゥラジア
静まり返っていた。
いや、浅い呼吸がそこかしこから聞こえてくる。
震えている者、死に掛けている者、諦めて力を抜いた者、そんなだ。
ラ・ヴォールの焔の安置場所とやらへ続く坑道を掘り返している最中、崩落箇所を取り除いた向こう側に無数の化け物を見た。
化け物は『機神』の姿そっくりで、『槍』の魔術を使い、坑道内に居た連中を無差別に襲おうとして、俺は脱した一部以外を見捨てて後方に崩落を引き起こして自分たちごと生き埋めにした。
幸いにも崩落一つで坑道は完全に塞がり、最悪なことに閉じ込められた俺たちを押し潰すほどの規模にはならなかった。
息苦しいのはここが密閉された空間だからか。
激しい運動をしていると息が切れるのと一緒で、空気の中にある特定の物体……ではないんだろうが、エイヨウソみたいなものがあって、そいつが周囲の空気で不足するとどれだけ深呼吸しても無理なんだと前にハイリアから聞いた。確かに森の中で吸い込む空気と馬屋や煙の充満した火事場で吸い込む空気の中身が同じだとは俺も思わない。
つまり今、俺は煙の中に居るような状態なんだと理解する。
このままだと遠からず俺たちは死ぬ。
「だれか居るか」
「…………あぁ、生きてはいる」
どこかで相談事が始まった。
試す必要はあると思っていたが、命知らずな連中だ。
それとも危うさに気付いていないのか。
この、周囲の空間全てをあの化け物に埋め尽くされた状態で、よくやるな、と。
ともあれ、音に反応して動き出す様子はなかった。
俺が坑道を塞いだ直後、コイツらは急に動きを鈍らせて停止した。
まるで冬眠に入ったみたいに、身を縮めて動かなくなったんだ。
だから下手に騒げば目を覚ますとも思ったんだが、
「どうなるのかな」
「どうにも」
「ちっ」
ため息は二つだけじゃなかった。
俺が巻き込んだのは思っていたよりずっと多かったらしい。
「学生の小僧は居るか」
また別の誰かが声を出した。
来たか、と思うも、返す言葉は重い。
「……悪かった」
「そうじゃねえさ」
おう、と続く声があり、
「咄嗟に残ってたのは後ろへ放り込んだからな、ここに残ってるのは、ガキに任せてられるかと生き急いだ馬鹿だけだ。炭鉱夫だって魔術は使える、知らなかったか?」
三つ、四つ、笑い声が重なった。
腹立たしい。俺は隠しもせずに舌打ちした。
「無駄死にしやがって」
「ははっ、テメエに言われちゃ世話ねえよ」
「そうだぜ坊主、俺は昔からあれだ、英雄願望があってな、出番取られて堪るかって飛び出したんだからな」
「あぁ飛び出した瞬間だけは英雄だったな。劇場で見たみたいな、派手な音楽が頭ン中で響いてた」
再びの笑い声に、血の気の混じった咳が重なる。
だれか、傷を負っているらしい。俺も獣野郎に吹っ飛ばされて身体の節々が痛かった。
「最初に死ぬのは俺かねぇ……」
「気にすんな、こっちだって遠からずだ」
周囲は完全な闇で、空間の殆どは冬眠した化け物で埋め尽くされている。
こうなった原因は未だ分からず、いつ動き出すとも知れない。
息苦しさは時を追うごとに増してきて、どれだけ呼吸を繰り返しても頭の痛みが取れそうに無かった。
軽口を叩き合う時間がしばらくあって、ようやく俺は先を見出した。
「奥へ行けないか?」
「奥?」
「てぇと、偉いさんが行きたがってた地下金庫だろ?」
「今更金貨に埋もれてもなぁ。土や化け物よかマシだろうけどよ」
表向きは男爵の隠し金庫ということになっていたんだったか。
だが金庫ではなく祭壇。それなりに規模のある場所と聞いていたし、幾つかの道から繋がっているのなら出口が見付かるかもしれない。
「……無理そうだな。この奥一杯に化け物が詰まってやがる。間を抜けていこうにも隙間を作るのでも精一杯だ」
「不可能じゃない」
「そうだが……」
困惑する様子にも構わず、俺は化け物を乱暴に掻き分けて奥へ(幸いにも塞がった土砂がそこにあったから反対側は分かった)身を滑り込ませようと足掻いた。
結局は折り重なった壁を崩せずに体力を消耗するだけだったが、悪態をついた直後に別の音を聞いた。
俺の行動に皆が沈黙し、見守ったからか。
会話を続けていれば聞き落としていただろう声は、塞いだ土砂の向こう側から聞こえてきた。
※ ※ ※
ディラン=ゴッツバック
辿り着いた、のだろうか。
臨時でつけた副官が坑道の地図を見て、その筈だと答える。
道中は困難でもあり、また拍子抜けでもあった。
ジン=コーリアなる学生の策へ乗って、『機獣』を地上へ引き込み、それによって出来た隙間を使って坑道内部へ突入。
初動は実に上手くいった。元より不定期に指揮官を変え、素人考えを土台に戦うこともある近衛兵団は無茶に強い。予想外であることなど日常茶飯事だ。敵対する者からすれば、卓越した指揮を見せたかと思えば素人も首を傾げるような馬鹿をやる我々は厄介この上ないものだろう。不安定極まりない、打撃力だけは一級品の軍隊など、私は近衛兵団以外に知らない。
「誰かおるかー!!」
声を張れば天井の一部が崩れてくる。
少し口を歪め思案する。
「おい大声は――」
「返事をせんかああ!!」
「やばいのが分からねえのか筋肉ダルマ!! ぶっ殺すぞ!!」
そんなに大声を出すでない、震動で坑道が崩れるではないか。
不服そうな顔を無視して首を傾げる。
私は加減をした。多分、これくらいなら大丈夫だろうと、多分。
「この先に何人か埋まっとるんだろう? もう死んでしもうたかのう」
「『機獣』が向こう側にも居るなら死んでいるのが当然だ。あの数だぞ」
「しかし坑道内部にはさほどおらんかったではないか。途中眠りこけておったのも見たが、この向こうに地上ほどの数が居るかどうかは分からんぞ」
『機獣』が居るだろう、とは思うものの、同時に生存者が居ないという話にも首を傾げたくなるのは何故だろうな。
途中で確保した生存者は別働隊を編成して形成した拠点へ誘導した。
坑道とはいえここまで大きなものとなると中継地には広間となるような場所も作られる。多少手薄だがウチの者ならなんとかするであろう。ここが外れならば一時戻って合流する予定だったが、
「試しに掘り返してみるか」
「また湧き出したらどうする」
「もう一度崩落させて埋めてやれば良かろう」
「――こっちは詰みだ」
さて叩き飛ばすかと腕を回し始めると、壁の裏から声がした。
副官と更に一人が飛びつき、耳を合わせる。目が合って、互いに頷いた。
「生きているか!! 何人居る!? 怪我のほどはどうだ!!」
※ ※ ※
ヘレッド=トゥラジア
どこの馬鹿だ筋肉頭を救助班に加えたのは。
俺が『槍』の魔術でぶち抜いたせいでこの周辺は酷く脆くなってる。
大声を張ればどうなるかくらい考えて分からないのか。
本当は返事をするつもりはなかった。
能天気な会話をしているのは癇に障ったが、ここまでの道中が花見をするように平和だったとは思わない。だが、放置すれば壁を崩され兼ねず、止める為には声を掛けるしかなかった。
「私はホルノスの近衛兵団団長ディラン=ゴッツバック!! そなたらを助けに来たぞ!!」
最初にため息を。
そして拳を握って苦痛に耐えた。
馬鹿だが、およそ考え得る中で最高の戦力だ。
だが俺たちが希望を持つことは許されない。
「助けは不要だ。こっちには無数の化け物が昼寝してやがる。これ以上騒いで起こす前に失せろ」
「ほう『機獣』か!!」
「騒ぐなと言っている。折角封じ込めた連中が地上へ出て行くことを俺たちは望まない」
しばらくの沈黙があった。
素直に逃げた、などとは思わない。
この手の馬鹿は際限無く進もうとする。
処方があるとすれば、それ以上の危機を教えてやることだ。
だが俺が口を開く前に向こうからの声が掛かった。
「地上では近衛兵団を始めとした一軍が『機獣』への包囲網を敷いておる。そなたらが踏み止まってくれたおかげで時間が稼げた。だから安心せい、我らが纏めて助けてやる」
「嘘だな」
坑道を塞いだ時、幾らかの化け物……『機獣』と呼んでいるらしいが、そいつらが突破したのを俺も見た。
そして考える時間はたっぷりあった。
連中は縁を辿って場を越える。
まるでセイラムの魔術が、ここではないどこかとの繋がりによって術者の元へ力と武器を届けるように。
だから『機獣』の出現場所と目される奴隷狩りの被害現場、及びアリエス様の予知から推測された出現場所が、セイラムにとっての縁と呼べる意識不明者と関連ある範囲に重なっていたのだと。
「数匹。俺がここを塞ぐ前に突破したのは数匹だけだった。だが地上では近衛兵団が包囲網を敷き、団長自ら行動内部へ突入して指揮を執るほどの事態に発展しているんだろう?」
奴隷狩りの化け物が十かそこら出た程度なら掃討されて仕舞いだ。
なのに今も包囲を敷いているという。
俺たちを安心させる為の嘘が混じって居ても、軍の配置は嘘じゃない。それはこの声の主が近衛の団長であることからも予想出来る。
また沈黙があり、今度は苦笑いを沿えて声が響いてきた。
「参ったのう、小僧。そなた、知恵が回るではないか」
「アンタが勢いで動きすぎなんだ」
ハイリアの周辺でそんな馬鹿をやるのは少数だ。
力不足をうんざりするほど実感してきた。
俺たちに必要なのは実力差を埋め合わせる思考と試行だ。
怠った時には仲間と自分の命が危険に晒される。
こんな所へ至るまで事態に気付けなかった俺のようにな。
「ヘレッドだな。ハイリアのとこの」
「……あぁ」
正確にはアリエス様だが、そっちの方が動き易い。
「地上で指揮しとるのはジン=コーリアだ。そっちも中々良い男でな」
「そりゃ良かったよ」
「そなたはどう思う。やはりこの壁は崩すべきではないか?」
壁に触れた手が、土を握り込む。
冷たくて、石が混じっているせいか、少し痛みがあった。
「セイラムの魔術は縁の強さによって影響力を増すという話があった」
何故、フロエ=ノル=アイラがあれほどの力を発揮できるのかとウィンダーベル家の内部では幾つもの推測が立てられていた。
集約された情報は共に、繋がりの強さだ。血の縁、身体的近似性、精神的近似性……聖女と似通った経験を経れば経るほどに縁は増すと、そう予測されている。囚われたイルベール教団から回収した情報も、彼等が薬物などを用いて彼女を作り変えようとしていたことを物語っていた。
「この壁は、地上へ既に溢れ出した化け物共と発生原因との間を塞ぐ壁だ。崩せば繋がりを得て、包囲戦滅中の地上で数が膨れ上がる。その可能性が高い」
仮に別の道があったとしても、繋がりの強い場所はここだ。
ここから出て、地上へ至ったという事実を辿って増殖すると仮定するなら、道が塞がっている現状は絶対に変えちゃいけない。
苦しげな咳が混じる。
向こうには聞こえなかっただろうか。
最初から負傷を抱えていた者はもう持たない。
奥へ進んでいけるだけの時間も体力もない。
声を張っているつもりだが、ちゃんと届いているのかも俺には分からない。
けれど届けと、そう願った。
「このまま俺たちを死なせてくれ」
意識が遠のく。
頼む。
死にたいなんて思わないけど、死なせるのはもっと御免だ。
※ ※ ※
ディラン=ゴッツバック
思案していた。
我ながら時間を掛けて、言われた内容を吟味し、自分なりの考えも交えて結論した。
「やはり、そなたらを助けようと思う」
返事は無い。危険が差し迫っているのは必死な声で分かっていた。
彼らが死に物狂いで見捨てられることを望んだと理解はしている。
犠牲を厭うているのではない。
正義感に駆られて浸っているのでもない。
必要だと思ったからだ。
地上のジン=コーリアのように、ここに居るヘレッド=トゥラジアのように。
彼らは次の時代だ。私のような老人より、もっともっと生きなければならん。近衛兵団がどうなるやら、ホルノスの進む先などではなく、彼らの未来を繋げることこそが我らの努めだろうと、そう思うからだ。
無茶も無謀も慣れている。
予想外の事態が地上で起きたとして、マグナス殿に鍛えられ、ハイリアの仲間に支えられる近衛兵団は必ず対応する。
「念の為に後方の道を塞げ」
「応さ」
間髪入れずの返答だった。
だから、逃げても良いぞとは言わない。
「少なくともコレで壁向こうの『機獣』が地上へ直接出て行くことはあるまい」
動き回る空間を得たことで何かの変化が起きるだろう。
そこは我らでなんとかするべきこと。
ランタンを地面へ置き、私自ら壁を掘っていく。
道具など持ち込む余裕はなかったから素手だ。
『槍』での荒っぽい掘削は地盤の不安定なここでは使えない。
幸いにも崩れ落ちてきたものだからツルハシなど無くとも掘っていける。
しかし、柔らかな土の中に石や、支えだったのだろう木片が混じっていて、手を傷付けすぐに血が出る。
誰も何も言わなかった。急がなければ折角掘り出しても死なせてしまう。急げ、と横顔が語っている。
同時に考えなければならなかった。
何故、『機獣』の密集した場所で彼らは無事なのか。
この道中でも見たが、奴らは見た目の通り獣のように眠りを必要とする。少なくとも眠るという習性があった。地上では景気良く暴れていたようだが、坑道内部は幾分大人しかった。故に少数で突破を仕掛けながらも損害も僅かなままここまで来れたのだ。
地上と坑道の違いはなんだ?
広い、狭い、地上、地下……ほかに何がある。
いや、最初に出現した時は人々が必死になって逃げるのを追いかけ回し、襲っていたのだ。具体的な違いは見えずとも、どこまで予測の根拠にすべきか分からん。
《定時連絡です》
考えに没頭していると不意に声が来た。
たしかフィラントの、リリーナという娘の力だ。
フーリア人の持つ力だと言うが、こうして響く声はどうにも慣れん。相手の顔が見えないのもあってか、小便をしている時に声を掛けられたようなやりづらさがある。
《こちらは中継拠点の二番、数体の『機獣』と交戦しましたが損害はありません。そちらはどうですか?》
《うおっほん!! あー、あー……いつも通りだ》
出発前に当人を前に練習した通り、言葉を返す。
決していつも通りではないのだが、口で説明するのも難しい中、慣れない形で言葉を交わすとあっては上手く言えん。
《お伝えしていた通り、ディラン様の居る向こう側は私の力でも見通すことが出来ていません。ご承知だとは思いますが、壁を崩す際は特にご注意下さい》
うむそれなのだ。
なんと言うべきか。
《生存者は確認できましたか?》
助け舟を出されたのが分かった。
頭と気の回る者の振る舞いというのは、自分が出来ずとも分かるものだ。
そして私は自分が報せを忘れていたことを知る。
折角だからと、半ば一方的に事のあらましをリリーナへ伝えた。
《……でしたら、私も同行させていただけないでしょうか》
彼女はこちらの考えを否定するでもなく、言ってきた。
《地上では『機獣』以外での混乱も発生しているようなのです。なら、救助と共に坑道の最深部へ向かい、セイラムの縁たるラ・ヴォールの焔を回収することで事態を収拾出来るかもしれません》
彼女らフーリア人がその石だか結晶だかを欲していると話には聞いている。
裏は当然あるだろう。が、呑み込む事にした。
《策はあるか》
《今坑道の地図を確認しています。閉じ込められていた人を即時地上へ運ぶ必要があるでしょうから、先に埋めてしまうより坑道内に陣地を作り、『機獣』を堰き止めている間に後方へ輸送、それから最深部への突入部隊を押し出しつつ崩落を用いて道を塞ぐのはいかがでしょうか》
ふむ、と思案する。
《ならば加えて、地上の、ジンの用いた策をこちらでも使おう。『機獣』を引き込み、密度を減らした上で突破を仕掛ける》
《ではそれに合わせて人を配置しましょう。状況に応じた変化もあるでしょうから、部隊間の連絡は私が受け持ちます》
頼むと言ってから小さく唸った。
万が一の連絡用としか思っていなかったが、離れた部隊間で即時の連携や状況の確認を可能とするこの力、もっともっと良い使い道があるのではないだろうか。
《して、聞いてみたいことがあるのだが》
ついでに『機獣』の習性について話を振ってみた。
我らだけでは気付かない点も、女性であり、フーリア人であるリリーナから見れば何が掴めるやも知れん。
《昼行性なのかも知れませんね》
《ほう?》
《昔、小鳥を飼っていたことがあります。その子は昼間でも辺りを暗くすると眠り始めてしまうんです。地上は明るい、坑道は暗い、他にもあるかもしれませんが、確かに薄暗い環境では地上ほど活発には襲ってきていません。改めて思えば動きもどこか緩慢に感じます。なら、壁を掘りぬく時は、ランタンの灯を落としておいた方がいいかもしれません》
それでは魔術も使えないということになってしまうが、彼女では考えが及ばなかったのか。
しかし相手が眠りこけているというのなら、この腕一本あれば戦える。
やはり最後に頼れるのは己の肉体、筋肉であろうな。
問題なのはランタンを落とすと本当に何も見えないということだ。
《うむ、やってみよう。ただ言った通り、生き埋めの者は急がねばならん。やはり先に壁を崩し、塞いだ上で救助しようと思う》
《その上でこちらも動きましょう。ただ、壁が出来たことでこの会話も出来なくなる可能性があることは考慮しておいてください。この坑道内部はどうしてか、外との隔たりが起きているようです……『魔郷』の影響か、セイラムによるものかはわかりませんが》
慣れておる。
言うまでも無く頷き、指先が一際大きな板切れに触れた。
「ランタンの灯を落とせ!! 『機獣』らは明かりに反応して動くかもしれん。暗闇での行動になるが、まあなんとかなるだろう」
「しろって事かい」
「当然だバカモン」
引き抜く前に、後方で合図があった。
微かな振動の後、空気の圧が背を押して、二人がランタンを抱えて左右へ身を寄せた。灯を落とすのではなく、衣服を重ねて明かりを遮断している。光源が無ければ目も慣れようがない。示し合わせるでもなく、それぞれの配置が終わり、板っ切れを引き抜いた。
崩れた土砂の向こうから、濁った熱を持った空気が流れ込む。
――――繋がった。
※ ※ ※
ジン=コーリア
細かい部分は丸投げした。
俺にくり子ちゃんみたいな状況への分析は不可能だし、ビジットみたいに細かい所まで詰めて動かすのは向かない。ハイリアのように周囲を鼓舞して率いるなんて考えるだけでも笑っちまう。
やってることは土壌作りだ。
一人一人が一騎当千の英雄だ、みたいなことはハイリアから聞いたんだったか。
個性の強すぎる連中が、実力を伸び伸びと発揮できる環境作り。加点もないが、減点の少ない戦い方。俺が助けてやろうなんて思わなくても、戦果はあいつらが拾ってくる。不足を減らし、打算と諦めを素早く行い再配置する。フィラントの協力で各所からの報告も素早くなり、そこから現場それぞれの性格みたいなものが見えてくる。後はそれに合わせて動かし、粘りと無理の掛け所を用意した。
完璧には出来てない。というか、穴だらけもいい所だ。
だけど近衛兵団の動きは良い。
俺の気付かなかった所へも対処し、行動によって提案を見せてくる。
よしやるか、と乗って進めることもあれば、それはない、って拒否してやる。
状況は掃討戦に入っていた。
南方への誘導が上手くいって、ハイリアが以前住んでいた敷地を存分に利用し兵を展開し、『機獣』の動きを食い止めた。
半包囲も形になり、北方を抑えていた連中を寄せて叩き潰そうって時に、どうにも配置が後手にまわっていた。
おかしい。
今までの戦いから見て、極端に手古摺ることはないと思っていた。
『機獣』は精々が並程度の力しかない。
獣じみた荒々しさや俊敏性を持つが、学生でも上位の者なら相手取れる。
今前線を維持しているのは近衛兵団だ。学生で何とかなる相手なら、連中は軽く踏み潰す。
ところがこうも動きが遅れるのはどうしてだ。
手を打とうとは思わなかった。
ここで焦れて動き出すのは下策だ。
南方の防衛線は維持出来てる。
間を抜けていった少数は学生の手で掃討が進んでいる。
待つ。
けど待つだけじゃ駄目だという予感があった。
まだ何かが起きる。
目の前にある脅威だけがすべてじゃない。
そもそもコレが発生した原因を俺は突き止めていないんだ。
つーか来るって話だった副団長はいつになったら来るんだよ!!
正直コレ以外になんて俺が対処出来る訳ないだろ、手一杯だ。
「報告だ」
飛び込んできた兵士が言う。
「街の北西部、『機獣』が最初に溢れ出した地点から新たに少数の出現を確認した。北に残していた連中は南下の途中でそこの掃討に兵力を割き、再配置に時間を取られている」
すぐに幾らかの情報が頭を巡り、決めた。
「北はあらかた避難が終わってきてる。こっちの掃討が最優先だ、配置を急がせろ」
「承知した」
異論を挟まないことにありがたく思いつつも、つい言い訳を重ねてしまう。
「そっちには学生を派遣しているから時間稼ぎとしては十分のはずだ。少数なんだろう?」
「そうだ」
「南部を片付け次第転進して北を浚う。北側の包囲が崩れたまま掃討を進めると分散した『機獣』がどこへ逃げ出すか分からん」
「なるほどな。なら狼煙を上げてくれ、包囲優先ならそうするよう示し合わせてある」
すぐに指示を出し、ついで報告の間にやってきていたフーリア人の女を見る。
こいつも巫女か、あるいはその話を聞いた伝令役か。
「なんだ」
問えば少しだけ怯えが浮かんだ。
いかんいかん、つい声が荒っぽくなった。女の子に対して優しく出来ないほど切羽詰ってるなんて俺らしくない。そう、初めての夜なつもりで接しよう。
「外からの話があったんだろう? 聞かせてくれないか」
声が和らいだおかげか、彼女はほっとしたように息を落とし、目線を上げた。
「ホルノス王が『盾』の出現を防いだと。続く『剣』の出現へ備えるようにとの伝言です」
言われてようやく、聞き流していた報告の一つにそんなものがあったのを思い出す。
情報を処理して理解していなくても、頭のどこかに引っかかっていたんだろう、今の言葉と合わせて考えを進めた。
「分かった。だがこっちは『槍』の相手で限界だ。動けるとしても一刻以上は掛かると伝えといてくれ」
「わかりました」
こうして見ると素直で可愛らしい。
自信が無さそうなのに一生懸命な様子が好感度高しだな。
「君、名前は――」
意外と余裕あるんじゃないか俺、なんて思っていられたのは一瞬だけだった。
ゾクリ――――と、途方も無い何かの気配を感じて振り返った。
壁の向こう、ずっとずっと向こう側……たしかあっちは街の中心部だ。
なんだ今のは。
「くそったれが……!!」
何が起きてやがるんだよ!!
※ ※ ※
ヘレッド=トゥラジア
ぼんやりと暗闇に浮かんでいた。
そう感じるのは、長いこと坑道の暗闇で化け物に埋もれ、息切れを起こしているからだと思っていた。
気付けば壁向こうから聞こえていた男の声が止んでいる。
あれからどれだけ経った?
分からない。
一眠りしたような気もするのに、意識はまだ眠り足りないと瞼を落とそうとしてくる。
いや、もう目を開けているのか閉じているのかも分からなかった。
ちくしょう。
溢した愚痴が音にならなかった。
そこで気付く。あぁ、くたばっちまったんだな、と。
なんだろうここは。
死んだ後も神の世界がどうとかって話は幾つもあるが、こんな何も無い暗闇に放置されるんだとすれば、結局神なんて居なかったってことなのか。
頼みごと、守りきれなかったな。
死んだんだと思えば、後悔が浮かんでくる。
もっと別にあるだろうにと思うのに、何でもなかった筈の約束が、今になって目の前でぶらぶらと揺れ始める。
一人にはしないでくれと言われた。
繋がりを維持し、言葉を交わし、何か分かれば教えて欲しい。
命令でもなんでもない、言ってしまえば大好きなお兄さんが心配だという、我侭にも似た頼みごとだった。
俺が苦手にしてるのを知っている癖に、アリエス様は無茶を言う。
それも、半端な形でしか維持出来ず、破綻した。
ハイリアは周囲と自分の事情とを切り分けた。
影が染み込んで来た。
同じ暗闇の筈なのに、明らかに違う何かの存在を感じる。
ひたひたと這い寄り、絡み付いて引きずり込んでくる。
ここまでか。
思った時だ。
誰かに腕を掴まれ、力任せに引き上げられた。
繭を破るように、肌に張り付いた薄い膜を引き千切るような感触と共に俺は打ち上げられ――俺を引き摺りあげた男が、口を引き結び、独りで闇へ向かい合っている様が遥か遠くへ去っていくのを見送り――目を覚ました。
「――――」
呟いた言葉は意識の向こうに追いやられ、それを改めて知ったのは、随分と後になってからだった。




