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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第四章(下)

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 振り上げて、降ろす。


 単純極まり無い、初歩の動作を繰り返す。

 身体が上手く動かなかった。力が入らず何度も取りこぼした。


 握りを確認し、脚を正しく広げ、呼吸を整え、リズムを作る。


 機械的に、淡々と。


 どうにもならなかった部分がいつしか綺麗に均された。


 何千、何万と繰り返してきた動作だ。

 どう動くべきかは身体が覚えている。

 基本を身に付ける為の動きが、いつの間にか基本を思い出す為のものに変わっていた。

 一振りした時、今まで何がいけなかったのかを知る。

 迷いは単純作業の前に塗り潰され、思考と試行に没頭した。

 目的すらいつしか曖昧になり、自分という存在が素振りをするだけのものになっていく。


 鼓動は規則正しいリズムで鳴っている。

 運動で多少荒くなっても整ってさえいれば身体は普段通りに動く。


 手足のように感じる柄が握り方を導いてくれる。

 力など要らない。手のひらで感じ、指を添えれば柄の方から馴染んでくれる。

 馴染めば、自然な形で力が入った。

 愚直なほどに続けてきた動きがいつも通りに自分を引き戻してくれる。


 心は凪いだ。

 最初はまるで定まらなかった振りの軌道が像を残すほどに重なり、空を切る音は静かに、周囲へ浸透するように。



 見上げれば今日は良い天気だった。



 石突きを地面へ置く。

 慣れた動作だった。


    ※   ※   ※


 汗を拭き取り、用意していた着替えで身を整えた。

 それだけで気持ちを一新出来る。

 俺という生き物は案外単純らしい。


 外へ積み上げたハルバードの残骸と、短くなった柄を窓越しに確認しつつ、長椅子へ腰を下ろす。


 そこには時を止めたままのメルトが居る。

 少しだけ場所を借りて、目を閉じた彼女を眺めた。


 苦痛と、恐怖の色が濃い。


 伸ばした手で彼女の手を取った。

 冷たい。

 血の通わなくなった人間というのはここまで冷たくなるのかと思う。


「君は優しいな」


 きっと、俺を気遣って抱き締められながら死ぬことを望んだのは本当だろう。


 だけど、


「君は誇り高い人だ」


 メルトは結構意地っ張りだ。

 俺が認めたからといって、奴隷として散々虐げられてきた人が容易く距離を縮められるだろうか。

 時に散々な目にも合わされたが、彼女が俺の望むように振舞えたのは、常にどこかで自分を保ち、守っていたからだ。


 だったら、そんな君が俺の気持ちを受け入れてくれたのであれば、そこに多少の同情が混じっていたとしても、嘘は無かったのだと、そう思う。


「俺はそんな君に釣り合うだろうか」


 もうこの先がどうなるのか、俺には分からない。

 だからと言って、共に死ぬことを受け入れてくれた彼女へ思いを告げたことを無かったことにはしたくない。


 苦笑して、握った冷たい手に願いを込める。


「君のことが好きだよ」


 だから、目を覚ましてくれたら、もう一度話をしよう。

 間違えてばかりの俺だから、少しは分かり易く話して欲しい。

 俺も、君の本音をもっと見つけられるよう頑張るから。

 優しさを見落とさないよう、君を見るよ。


 返事が無いと分かっている訴えや問い掛けは、誓いのようだと不意に思った。


 君もこんな言葉を告げたことがあるのだろうか。

 俺はずっとこうだった。


 澄み切った空からの日差しを背中に感じ、心地良い風に髪を揺らす。

 膝の上で握ってみた拳はしっかりと力が篭った。

 風を吸い込んでみれば胸の内が清涼感で満たされる。

 少し背中に張りを感じるが、無茶な迎撃を続けた結果だ。

 吐息は熱く、身体が少しずつ冷めていく。

 然程問題はない。芯のズレが原因だったから、素振りで正した後は痛みも無かった。


 急激に眠気が増してきた。


 思えば、いつとも知れない深夜に目を覚まし、街中を歩き回った挙句ジークとの戦闘だ。疲れに引き摺られる感覚は無かったが、抜け切らない沈殿物のような負担が溜まっていたのだろうと思う。眠ってしまいたい。まずは短時間でも眠り、意識をすっきりさせて、それからでもいい。


「……甘えすぎだな」


 メルトに対してはいつもそうなっている気がする。

 多少ならぬ無茶も果たしてしまう人だから、当たり前に傍で俺を支えてくれていたから、つい頼りすぎるし、偉そうに上手を取りたがる。

 一緒に食事を摂ろうだとか、我侭を言ってみろだとか、もっと楽をしろなんていうのも、言ってしまえば俺の甘えだろう。


 胸倉を掴みあげて要求を突きつけてくる誰かとは随分と違う。


 そして落とした吐息は少しだけ重たくて、

「不誠実だ」

 瞼を閉じ、もう一度吐息する。


 あの時は曖昧な言葉しか出なかったから、望めるのならちゃんと話す機会を取ろう。

 でなければ妙なしこりを残すことにもなるだろう。

 これが俺自身の整理を目的としたものであることも、決して忘れないように。


 粉々になったせいか、随分と整理しやすくなったように感じる。

 人を背負う。皆の求める先へ踏み出して、ここだぞと呼び掛ける自分で在ろうとした。

 なのに死は、あまりにも重く鋭かった。

 殺めた感触を覚えている。

 失った悲しみを覚えている。

 俺を仇と呼んだ少年が居た。

 きっと、言葉に出来ないまま口を噤んで苦しみ続けている者は沢山居る。


 背負った重みに押し潰されそうになっていた自分が居る。

 だけど、重みから逃げたいと思ったことは一度も無い。

 死を選ぶことが結果的に逃げであったとしても。


 あの日背負わせてくれと請うた重みは、すっかり手に馴染んでいる。


    ※   ※   ※


   サイ=コルシアス


 試作の一つ目が打ち上がったのを見て、双子が揃って歓声をあげた。

 何を言っているかは分からない。

 単語を幾らか覚えては来たけど、感情のまま吐き出される言葉は聞き取りが難しくて、具体的なところがはっきりしない。ただ、驚いたり、感心しているのはなんとなく分かる。


 鍛冶打ちから離れてそれなりに経つから思うようには動かないと思っていたけど、なんとかなるものだ。

 工房にあった道具類はどうやら僕らフーリア人のものを参考にした形跡があって、体格がしっかりしたこちらの人向けに大きくはなっているけど使用に戸惑うことは無かった。材料も申し分無い。玉鋼も配合を変えたものが数種類あるから、部位に応じた使い分けも可能だ。職人が弟子へ相伝した感覚だけを頼りに一つの手段を極めようとする偏向がある僕らとは違う、多様なものをとにかく揃えて自在に使い分けていく様は個人的に見事なものだと思う。

 きっと、師であるオスロ様が見れば眉を顰めただろうけど。

 才ありしと讃えられたこともあったけど、それ以上に僕は軽んじられても居た。


 最大の理由は、早打ちだったからだ。


 とにかく早い。

 数を作る。

 しかも一つを極めるでもなく、あれやこれやと手を出して今回のような長物も多く打ってきた。


 折り返しが少ないと良く言われる。

 たしかに、気が遠くなるような回数の折り返しを経て、芸術的なまでに打ち上げられた刀身には見惚れもするけど、武器というのは消耗品なのを忘れてはいけないと思う。使用回数分、十分に持って、切れ味と両立出来たならそれでいい。結果的にそれが武器の寿命を延ばすことへ繋がった。


 修行を始めてからざっと二千本は打ってきた。

 僕くらいの年齢で考えれば異常と言える数だ。

 鍛冶、特に刀鍛冶は三日三晩打ち続ける人も居るくらいで、行程の過酷さに途中で死んだ打ち手が何人も居るほど。

 だから余計に数時間で研ぎまで仕上げてしまう僕の仕事が気に入らないって人は多かった。


 本当の所は、一つ一つに時間を掛け過ぎるより、色々試してみたかった、というのがある。


 工夫は随所に凝らした。

 凝り過ぎるなと師には言われたけど、思いついたものはとりあえず試してみなければ良いか悪いかもはっきりしない。

 呆れる周囲を無視して打ち続けていたら、五百本目か六百本目あたりで急に仕上がりが良くなった。

 才を認められたのはそれからだ。


 そして更に五百を数えた頃、遠方から刀を携えてやってくる人が出始めた。

 僕の打った刀だった。


 この刀には魔が宿っていると言われたのはいつだったっけ。


 いい。

 今はいい。


 あの人は決してそんな使い方をしない。


「完成か?」


 ジェシカさんが努めてゆっくり言ってくれたから、それらしい意味が聞き取れた。

 首を振った。伝わらないと分かっていて、けれど僕も努めてゆっくり言葉を作っていく。


「これは単に打ち上げただけです。形を作った、というのが正しいですね。槍や薙刀なんかを打った経験はありますが、流石にハルバードほど巨大で重量のあるものは初めてですので、まずは形を作っていくことから始めてみました」


 柄と戦斧は別に作った方がいい。

 柄が先で、戦斧は後。何故なら戦斧を先端へ取り付ける時に完成している柄へ戦斧の背を巻きつけなければならないからだ。そして出来るなら柄のその部分もある程度熱して表面が癒着するようにしておきたい。やりすぎれば先端部が弱くなるけど、上手くハメ込めたら部品ごとにグラつくことがない。


 実際にやってみて分かったことは、物が大き過ぎるせいで形を作るだけでも相当に労力を要する。

 戦斧の部分は歪みが許されないし、当然濁りがあれば刀以上に影響が出てしまう。

 これは均一であれば良いという意味ではない。

 戦斧で打ち付けた時、どこにどうやって負担が掛かるかを計算して、衝撃を受け止められるよう柔軟性を持たせておかなければ急激な破断を招く。


 どの部分にどの配合の合金を使うか。

 大きいからといって雑な仕事はしない。

 ただ形を作るのと、早打ちはまるで別物だ。


 これらが頭に入る程度には練習を重ねたい。

 その上でようやく『錬鉄』の行程に入れる。


「何か書くものは……」

 言いかけて、伝わらないことに気付く。

「さっき見たな」

 え、と思う間もなく、ジェシカさんが眼鏡のアベルさんへ何かを言って走らせた。


「ほかに必要なものはあるか」


 ゆっくりではあったけど、怪しい発音もあったけど、彼女はしっかりと僕たちの言葉を使っていた。

 あんまりにも驚いた顔をしていたからだろう、いっそ呆れたように息を落とし、それから少しだけ得意気に、


「同じ部隊の仲間だからな、学びもする」


 ハイリアみたいには無理だ、とコレも少し悔しそうに言うけど、僕は感心するような、焦るような気持ちで見返す。


「ほら、チョークだな。コレならどこへでも書ける、好きにしろ」


 受け取った白い棒で、ある意味逃げ込むようにして地面へ絵を描いた。

 作業場は石畳だったけど、鼠色をしていて比較的平らだ。

 白は良く映える。


「ハイリアのハルバードだな。長さも合わせてあるのか?」

「身近にあった武器の丈は全て覚えてます」


 魔術で生み出される武器も僕ら打ち手としては興味深かった。

 一見して同じに見える拵えだけど、人によって微妙な変化が生じても居る。

 それは、実際に振る様を見ればより顕著に分かるものだ。


 そして覚えているのは武器だけじゃない。


 手の大きさ、指の掛け方、手首や肘の使い方、当然……それらの長さ一つ一つに至るまで。

 武器に残った傷の付き方を辿れば互いにどうやってそうなったが読み取れる。刃こぼれ一つ、歪み一つが膨大な情報源になる。実戦の場を見ていたのなら、精度は格段に上がって当然だ。


 だから思う。


「あの人は……」


 そうじゃないんだ、と。


「重みの全てを受け止めてしまう。その使い方を、たった一つであろうとし過ぎている」


    ※   ※   ※


   ジェシカ=ウィンダーベル


 サイの手は淀まず進んでいく。

 最初の一つは半時ほどで完成した。

 二つ目はその半分か。武器とは魔術で生み出すものだから、これがどの程度の速度なのかは分からないが、複数の作業を同時平行で進めているせいか異様に早く感じる。今は四つ目に取り掛かっているが、三つ目の最終工程と、五つ目と六つ目の仕込みを終わらせて炉にくべている。ハイリアが時折やっていた研ぎだったり、形を整える為の時間を放棄して、とにかく数をこなす為だけの仕事ぶり。


「どーんかーんどーんかーん!!」

「おーっす、おーっす、おーっす、おーっす!!」


「ほれ見ろ、こうやった方がいい感じじゃん?」


「んんん、今の配置を変えたのはどういう意味なんだろう……」


 途中から皆を補助にやった。

 とにかく力一杯打てるペロスとグランツは大槌を持たせて鉄を打つ。

 意外と細かいベンズには炉の管理、アベルは雑用だ。


 一つ目はとにかくのっぺりしていた。

 形はハイリアの使っていたハルバードそっくりなのに平たく感じるのは何故なのか。

 疑問は二つ目の完成と同時に氷解した。そこから次々と形が変わり、試しの三つ目は途中で何度も形を変え、打ち方を替え、最終的には形を整えることなく仕上げ始めた。


 これら仮定の中で、サイは自らも鎚を振りながら私へ説明してきた。

 普段静かなのに自分の仕事となると口が回る者は居るものだ。


「熱くなった鉄を何度も打ち、折り返していくのはまず純度を上げる為です。どれだけ精錬しても不純物は混じりますし、気泡なども発生します。それを叩き、飛ばし、圧していくんですね。更に幾十もの折り返しは刃をより鋭く強靭にしてくれます。密着して実態としては一つに見えていても、折り返すほどに層が出来ていて、それが個別に刃を支え、芸術的なほどの切れ味を発揮する。重要なのは切れ味の持続力です。最大の切れ味を、相手の武器や対象へぶつけた時、どこまで粘り、持続出来るで斬り勝てるかどうかが変わってくる」


 専門的な言葉も混じって分からないのもあったが、どうにも手間と時間を掛ける理由を述べていたらしい。

 良くなるのは分かったが、当人は言葉ほど手間と時間は掛けていないように見える。


「純粋な切れ味を決めるのは打ち方というより研ぎですから。折り返しは切れ味に粘りを与えてくれますが、鋭さは刃の脆さにも繋がりますし、根本的に刃零れしないものなんてありません。だから僕としては切れ味を追及するよりは耐久性を求めたいんですよね」


 言っていることとやっていることが逆かとも思ったが、つまりはより粘りとやらを増す為に敢えて切れ味を落とすということか。

 何でもかんでも切れるというのは武器としての性能が高いように思えて、実際は一人二人で駄目になるのなら一騎打ちでしか使えない。

 敵味方入り乱れる戦場では壊れない武器こそが至高だ。

 だからセイラムの魔術は強い。


「確かに魔術でも武器を破壊されることは致命的な負担を受けることにもなるな。破壊力は欲しいが、得物があれば次を狙える」


「おかげで僕は所謂、業物だとか大業物が出来たことはありません。まあ、あれは名工とされるような人が百に一つ打てればいいようなものなので、分不相応と言えるかも知れませんが。師は、本来ならもう打てる筈だと、仰ってましたね」


 言葉の意味合いが悪くてはっきりしないが、要するにフィラント王が使っていたような魔術の加護を無視する武器、あるいは魔術そのものを一時的に使えなくするような武器のことだろう。たしかにあんなのをポンポン作られていたらホルノスやガルタゴやエルヴィスなんかの大国でもとうに敗北していただろう。

 敢えてやれと言われていることを無視して自分の求めるものを作るサイは、これまで先人が作り上げてきたような業物を打つことが出来ない。


 確かに出来る道理の無い話だ。


 先人と違う方法で、違うものを求めているのだから、出来上がるとすれば全く別の何かだ。


「僕は、使い手がより多くを、あるいは尊きものを斬れる武器ではなく……少しでも長く生き続けられる、戦い続けることの出来る武器を打ちたい。打ちたかった」


 何かを振り払うように腕を振り上げたサイの足元から黒の魔術光が生み出された。

 それは光と呼んでいいものなのか、けれど確かに周囲を黒く照らしている。

 そして魔術光は花弁のように広がって私たちを包み込んだ。


 繭か、あるいは蕾か。


 のんびり眺めていた私とは違い、双子と眼鏡がそれぞれの反応をし、グランツがいつも通り「おっす」と答えた。

 黒い光に包まれた中で、炉と叩き台と鎚と、打たれている玉鋼だけがくっきりと存在を示している。


「ここからです」


 気付けば五つ目に取り掛かっていた。


「『錬鉄』は断つ力。結び付ける『巫女』とは対照的に、削ぎ落とし、切り離し、より洗練された単一へと収束させていく力です。ですが僕は、この殺す力で何かを生み出せるんじゃないかと、ずっと考えているんです」


 打ち付けた鎚は硬く深い音を響かせ、それが妙に、胸の奥を奮わせた。


 飛び散る火花を遮るように広げた手には、五つの指がある。

 握って広げ、握って、また広げる。


 今の言葉、ハイリアならなんと表現するだろうか。


「『巫女』は心を重ねて結び目を作ります。では、『錬鉄』は何を用いるのか」


 再度叩き付ける音を聞いて、一つの納得をした。


 これは、感情だ。

 ジーク=ノートンとやらと戦っていた、あるいはヨハン=クロスハイトと戦っていた時にハイリアから感じた、心を揺らすものだ。


「多くは魂だと言いますが、結局の所は『巫女』と同じ心です。己の心を鎚によって鋼へ籠める。切り離し、伝え、浸透させる」


 あの男は……、


「鍛冶の基本を覆すことにもなりますが、鋳溶かした鉄へ己の一部を籠めることでより馴染むとされています。あるいは炉へ、石炭の変わりに燃料として投じるだとか。これを、使い手と契りを交わすと呼びます。打ち手の意思が刃へ宿り、契った相手が持つことで、望むものを自在に断ち切ると伝えられています」


「今のお前を見ていて思ったよ」


「はい、僕もです」


 己の心を切り離し、打ちつける程に鍛え上げていく。

 そういう戦いをつい最近目にしたばかりだ。


「戦い、伝え、浸透させていく。時に何かを失わせてはきたが、それも一つの在り方なのか」


「あの人の戦いはまさしく、僕ら『錬鉄』の鎚持ちと同じなんです」


 だから、ヨハン=クロスハイトがハイリアに届いたとするのは、きっと真剣勝負を穢すものだろうけど。

 ジーク=ノートンが戦うほどに迷いを払っていったように。


「相対する者を鍛え上げていく魔術。当人は負けてばかりだとボヤきそうだが、それ以上に馬鹿げた話だ」


 戦いとは勝つ為に行うもの。

 政治的な勝利を得る為に負けを選ぶことはあっても、対立する相手まで掬い上げてどうする。


 無制限に背負い続けて、結果アレはああなったのか。


 サイは振り上げた鎚を持ち直した。

 震えているように見えたのは間違いじゃない。


 打ちたくないと彼は言ったのだ。


 今再び鎚を持っているのは、それ以上のものを感じたから。


「伝えたいものがあるのだろう? 言葉だけじゃなく、実体を持った想いとして」

「はい」


 それがあの男を、再び過酷な戦場へ送り出すことに繋がるんだ。


「やれ。私が認める。私が望む。だからお前は、自分を許していい」


 重く、深く、鋼の音が沁みこんで来る。

 そこからはもう、ひたすらに。


    ※   ※   ※


   シンシア=オーケンシエル


 右腕は既に無く、顔の半分も包帯に覆われていた。

 振り上げた鎚が鋼を打ち、黒い花弁の中で火花を散らせる。

 かさかさに渇き切った唇から紡がれるのは、子守唄にも似た言葉だ。


「お前には未来を見通す力がある。想像し、書き留め、けれど変化する未来。それは本質的に未来は選択できるという意味だ」


 包帯には血が滲んでいた。

 艶やかだった浅黒い肌は焼け爛れ、痛々しいピンク色を晒している。


「お前の物語には人の心を癒す力がある。あんなにもあたたかで、優しく、想いの詰まった物語を書けるんだ。だからこの先、少しでも良い未来を切り開いていけるように、願いを籠めるよ」


 鎚を握る左手は歪んでいた。

 好きだった、長くて、マメが一杯の固い手は、もう無い。


 ずっと顔を俯けていたからだろう、彼、私の兄は困ったように笑った。


「背負うだなんて思わないでくれ。俺はただ、自分が生きた証を残したいだけなんだ。それが才能ある、可愛い妹の為になるのならと、ちょっとお兄さんぶっているだけだからさ」


 咳き込む音には血が混じり、その血からは嫌な匂いが立ち昇る。


「……俺はもう長くない。だから出来る内に果たしておきたい。何も出来なくなって、床で静かに死を待つのは御免だ」


 二作目を書いている途中だった。

 一作目、伝えられない想いを描いた、私にとっての恋文が徐々に注目されている中、求められるまま次を描いていた。


 苦しみから生まれて、だけど幸せになっていく筈の物語だった。


「さあ、ここまで打ち上げた。仕上げはお前に任せる。契りを――」

「兄さん」


 止められたら良かった。

 だけど兄の言う通り、もう長くない彼をこのまま引き止めれば、絶望の中で死んでいくしかない。

 せめて想いを果たさせてやるのが一番の……、


 ()()()、死んでほしくない。

 少しでも長く居たい。どれだけ苦しみに満ちたものでも構わない。


 触れ合わせた唇に、涙が落ちた。

 驚く兄の唇から雫を舐め取り、精一杯の強がりで私は笑った。


「任せて。私が兄さんを受け継ぐから。この契りは消えないよ」


「……頼む。愛してるよ、シンシア」


「あぁ、()()()()()()、兄さん」


 炉へ身を投じた兄を燃料に、私は夜立を打ち上げた。


 そうして、私の二作目は歴史に名を残す悲劇と呼ばれた。


    ※   ※   ※


   ルリカ=フェルノーブル=クレインハルト


 最初は何が変わったのか分からなかった。

 対面にはシンシアが居て、彼女を警戒する兵と私を守る兵とが部屋の各所で睨みを利かせている。


 何も起きなかった?


 思い、手元の刀を見ようとした時、ようやく変化に気付いた。

 シンシアから受け取ったはずの刀が今、彼女の脇へと移動している。

 変わりに私が手にしていたのは品の良いカップと受け皿だ。輪切りにされたレモンが沈んでいて、茶葉以外にも花の香りが漂ってくる。二度、瞬きをしてそれを眺めた後、口元へ運んできて舐める程度に飲む。そこでようやく周囲が反応した。なんだか寝起きに似ている。変化に劇的なものがないせいか間違い探しに時間が掛かる。一度は除外した筈の脅威が再び警戒対象の元にあると知って半歩の距離を詰めた兵へ私は、


「迂闊に動かない」


 紅茶は美味しかった。

 鼻をくすぐる香り高さとレモンの酸味を茶葉の柔らかな味わいが良く受け止めてくれている。


 見れば、私の椅子の脇にサイドテーブルが置かれていた。

 カートがあり、給仕の痕跡がある。負傷のせいで無作法をすると彼女は言っていたけど、こんな変化もあるんだと思う。

 再度紅茶を愉しみ、息をついた所でテーブルに小さな袋が置かれているのに気付いた。

 紅茶とは違う香りの元、ポプリだ。

 それでか。


 カップを置いてシンシアを見れば、彼女は幾分体調を取り戻したようで顔に血の気が戻ってきていた。

 全身を鉛で覆われていたような様子はもうない。当人は気付いているのか居ないのか、彼女はじっと私の足元を見詰め、何かを思考していた。


 助かった?


 聞こうと思ったけど、考えの邪魔をしたくなくて、折角淹れてもらった紅茶が冷めない内に頂くことにした。

 最初は状況の変化にうろたえた様子のあった兵も静かに状況を見守っている。


 このレモンは私が頼んで入れてもらったのかな?

 それとも彼女の方から私の好みを知って用意してくれたのかな?

 なんでもないことを思考しながら、ウチでも茶葉に乾燥させた花びらを加えられないか聞いてみようと思う。この紅茶の香り高さは、茶葉そのものの良さもあるけど、そこのポプリみたいにした花びらを混ぜているからだ。


 やがて考えが纏まったのか、顔をあげたシンシアが何かを言おうとして、


「待たせ――――」

 吐血した。

 しかもかなりの量を。

「ひゃあ!?」


 一瞬で鉄錆の匂いが室内を満たし、口の中に残る紅茶に血が混じったような錯覚を得る。

 当然、飲み込んだときの気分は最悪だ。


 そうしてシンシアは無言で立ち上がり、口元を抑えながら兵へ片手で何かの合図をしつつ奥へ引っ込んだ。戻ってくる頃には大量の血があらかた拭き取られていたけれど、血の匂いばっかりは消えきらない。私は紅茶を飲むのをやめていた。

 口をゆすいできたのだろう、いっそすっきりした様子でシンシアが戻ってきて、自分の分の紅茶を平然と飲み干した。


「うん、まあ、上手くいったんじゃないかな」

 適当だった。

 もう少し感動的でもいいと思うのに、劇作家は淡々とした様子でカップを置き、脚を組んだ。そもそもさっきの吐血は……? ティーポットの中身をぶちまけたくらいの量はあったよね……? 聞きたいけど大量の血に目を回しかけている私には余裕が無い。

 私の動揺を気にした様子もなく、シンシアは傍らの刀を気安い様子でポンと叩いた。

「扱い辛い奴だろう? 手元にあった筈なのに、再抽選の結果まるで別の場所に現れることもある。調子に乗って再々抽選なんてしていると大負けを引くこともあるからな、そういう時は決まって手元に無いから致命的となる。困ったときほど頼りにならない……扱い辛い奴だよ」


 意味する深い部分は読み取れない。

 情報が欠落しているし、探るのもなんだか違う気がした。


 なので私も吐息を落としてカップを手に取り、やっぱり止めて置いた。

 いつまでも目を回していられない。

 しっかりしろ私。

 紅茶はしばらく飲まないだろうけど。


「……貴方が何を知っているのか、話してもらってもいいのかな?」


「多くは知らないさ。私の見通す未来なんて大体が悲劇だ。けれどそうじゃない可能性だってこうして存在する」


 未来と聞いて、漠然としていた予測に筋道が出来る。

 セイラムは魔術の多寡によって人の世を導いてきたと考えられている。遥か太古の人間が、仮に無制限の時間を得たとしても聖女が軍神にはなれない。仮にあったとすれば軍神が聖女のように振舞っていたという可能性だけだ。運命を操り、可能性を選択するのなら、彼女には未来を視る力があったとも考えられる。場当たり的に強弱を切り替えて勝敗を決めるのなら、それは力の化身であって運命を操るとは言わない。


「何を見たの」


「破滅を」


 相当によろしくない未来だ。


 未来。それを選択するということを、今私はこれ以上ない形で味わった。あるいは宰相を排し、玉座に返り咲いた時のように。


「この大陸東方には異なる魔術が存在することを知っているかな?」


「知っている。詳細は眉唾だけど、セイラムの魔術だけがこの世の神秘じゃないことは確か」


「ならそんな状態でセイラムが絶大な力を振るい始めたらどうなると思う?」


 それは――、


「大陸西方でセイラムの権能は神に等しい。けれど中原や東方にその力は及んでいない。あるいはあちらにも神に等しい存在が居るのか、仮に再臨を果たしたとしてもこの世の全てを思うままに操るのは現実的に難しいんだよ」

「それでもやろうとする。結果、今度は異なる魔術圏との戦争?」

「根となるものが共通しているとはいえ、この世に異質な力を発生させる魔術は、それぞれの形で世の法則を乱していると言える。そんなものが乱雑に入り乱れていけば、どこかで致命的なほどの異変が発生するのは当然の話だ。神にも等しい存在の戦いであれば人など使い捨ての矢玉と変わらない」


 目を閉じて息を整えた。


 思っていたよりずっと大きな変化がある。

 これまでは、仮にセイラムの支配が始まったとしても、そこに単一の法則性さえあれば利用出来ると考えていた。逆風に対して斜めに帆を張り、前へ進んでいくように、意思無き法則に成り下がってしまえば問題は無いと。

 ホルノスには、セイラムに敗北した時へ備えた対策を練る研究室がある。

 勝っても負けても先はある。支配の中で国が持続するかは別として、その手段を専門的に考え、指導していける者が居るだけで大きく変わってくる。


 だけど、負けた先が限度を知らない馬鹿の暴走であったなら、受け入れるには被害の規模が大きくなり過ぎる。

 同時にこれは勝った場合に於いても持続する問題だ。

 魔術圏を一つの勢力とし、大陸規模での戦争を行う。

 利益と損益をやりとりする戦争とは訳が違う。

 かつての宗教戦争がそうであったように、思想を元にした闘争は人を容易く凶行へ走らせ、差別の根を一際深く人の意識へ巡らせてしまう。


「貴方の思索でさえ、甘いと言わせてもらおう」


 なら何?

 問いかけと込めて見返すと、シンシアは朗々と声を響かせた。


「異なる法則がぶつかるというのは、現実を成立させている場が乱れることを意味するんだ。炎が熱を発するものでなかったらどうなる? 火に晒して肉が凍りついたら? あるいは元の生き物に戻っていったら? 時には大地を震わせ、緑を育み、水のように染み込んで来れば? 発生する熱や冷気がまるで違う現象を引き起こすのなら、そしてその結果さえ不確定であったなら? 一定でないというのはそういう意味だ。安定しない。前へ脚を踏み出す方法さえ定かでなくなる。ついさっきまで無くてはならなかったものが、僅かでも飲めば致死毒になるとするなら、生物など容易く死滅する。燃えるという現象でさえ、根底となる法則が無ければ発生出来ない。最終的にはあらゆる現象が土台を無くし、世界という枠組みそのものが崩壊する」


 まさしく破滅だ。

 ようやく彼女の言った意味の重さが見えてきた。


「仮にだけど」


 視線は共に刀へ向いた。

 私が先で、シンシアはそれを追う。意図することは伝わっても、思索の為には言葉へ変えて提示しなければいけない。


「貴方の刀を使って結果を再抽選して、セイラムを排することは出来ると思う?」

「不可能だろう。私がなんとかなったのは死そのものが確定していなかったからと、貴方のおかげだ。本来コレはそこまでの力は無い。精々が負けを先延ばしにするくらいで、仮に想像が及ぶとしても勝敗という決定的な違いを覆すのは難しい」


「確定していない……」


「そうだ。だから、結末に辿り着いていない今なら多少の影響を及ぼせるだろう。しかし」


「範囲が極めて限定的」


 だから切り札には成り得ない。

 決定してしまった事は覆せない。

 しかも使用後も手元にあるとは限らない。


「……たしかに、ちょっと扱い辛過ぎるかも」


 遺品を貶すことになったけど、シンシアはどこか満足そうに笑うだけだった。

 だから少し、反発したくなった。


「お兄さんの形見なんだよね」

「あぁ」

「打ったのは?」

「兄だ。仕上げをしたのは私だが」


 フィラント王の持っていた刀や、御付きの使っていたものの効果を考える。

 魔術を断つ。敵と戦う、勝利する為の武器だ。だけど彼女の持つ刀は、勝つ為のものではない。


「何故、こんな力なんだと思う?」


「……さて、力及ばずが妥当に思える。代償は支払ったが、兄もまだ若く名工と呼ばれる程ではなかったからね」


「勝利は自分で掴み取れと、そういうことじゃないの?」


 彼女は少し黙り、困ったように笑う。


「添削かい?」

「私は作家じゃない。だけど、貴方と同じく人に託されてきた。誰かに支えられて、その意味を知ってきたよ」


 政治とは災害のようだと語った人が居る。

 避けられない辛苦で、時に恵みを与えることはあっても、人を苦しめるばかりのものだと。


 鉄甲杯に端を発する印刷事業の拡大と、新聞社の乱立は意見を多様化させた。

 以前なら即座に兵が送られ潰されていただろうけど、デュッセンドルフでは時折こんな話も紙面を飾る。

 ホルノス国内に留まらない、他国の資本や思惑の入った新聞社は結構好き勝手に語っていた。


 それはいいんだけどね、私だって言いたいことの一つや二つは出てくるよ。


「安易に人を救おうとした時ほど余計な被害を生む。とりわけ、長期的な目で見れば無償の保護は多くの害を齎してくる。だからね、私は政治が、人を救おうとしてはいけないんだと思ってる。私たちは人が幸せになれる環境を作る。幸せや救済は齎さないけど、望んで、努力して、苦しんだ先に何かを得られるように、報われていくように。その結果を奪い過ぎない様に」


 だから少し分かる。


 彼女に、負けない力を残したお兄さんの気持ち。


 施しだけじゃ人は立ち向かっていけない。

 胸を打つのはいつだって、死に物狂いで頑張っている姿だよ。

 そんな人が居るから、私みたいな人間でも頑張ろうって思えたんだから。


「右手は……治らなかったね」


 言うと、彼女はようやく気付いたみたいに手を見た。

 さっき紅茶を飲む時は無意識に左手を使っていた。


 踏み潰された指は歪で、筆を持って文字が書けるかどうかは危うい。

 作家にとっては致命的な傷だけ、残ってしまった。


 シンシアは肩の力を抜いて、だけど私を見て、弱気な笑みを引っ込める。


「まだ、左手がある。最悪口でも書けるし、固定すれば右でも大丈夫の筈だ」

「再抽選してもいいけど?」

「このままでいい。変な男が出てきたり、もっと状態が悪化する可能性があるのなら、右手一つは安いものだ」


 また見続けていたら、今度はちょっと不機嫌そうに、


「あぁ分かった……!! 全く、私が兄を失った時よりもっと幼い君に言われていると、自分がぼんくらに思えて仕方が無いさッ。これでも死に掛けたんだ、ちょっとくらい弱気になってたって構わないだろう。そうだよ、兄は私に負けない為の力をくれて、支えてくれるけど、勝利は自分で掴み取れと遺したんだ。そういうことにするさ」


「次の作品はさ」

「なんだい」

「もっともっと馬鹿みたいな話にしてよ。貴方の作品を好き過ぎる臣下が一人、鬱陶しいくらい悲劇の裏を語って聞かせてくるの、困ってるから」


 劇作家、シンシア=オーケンシエルは大きくため息をついて、もう偽ることなく気難しそうな様子で言った。


「私は誰の指示も聞かない。馬鹿な話と求められたら、難解すぎて誰も付いて来れないような話を書いてやりたくなるね」





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