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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第四章(下)

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   ルリカ=フェルノーブル=クレインハルト


 受け取った薬を水で飲み込み、重たい息をつく。

 胃薬だ。


 この急場に何をと思うかもしれないけど、互いに立場の高い人間同士が会うと話をしてさようならとは中々いかない。

 まずお茶を出され、簡単なお茶請けを貰う。こっちだって王様だ。無茶を言う以上は礼儀を通さなくちゃいけない。急いでるのに大仰な挨拶から始まり、それを受けて聖女の導きやら季節の実りを感謝する。ああ本気で面倒くさい。思うけど、こちらの都合だけで話を進めるのはちょっと暴力的だ。

 実際には文官同士のやりとりが先にあって、避難の準備は先に進められているから、見た目ほど時間を圧迫はしていない。

 問題は私のお腹がもう限界だということで。


 出掛けにトーストした白パンに半熟卵とチーズを乗せて食べるのを誰か止めてくれれば後一つくらいは頑張れたと思う。

 おなかいっぱい、もう食べたくない、馬車の揺れで吐きそう。


 とりあえず鉄甲杯開催と国際連合樹立へ向けて最重要となる高位の貴族らとは面会を済ませた。

 避難要請とは別に後の話にも触れ、準備の為にもと動いてもらうことになる。

 折角の口実を得たんだから逃げてねバイバイでは子どものお使いだ。私子どもなんだけどね、王様だけど。


 色々と手間は取ったけど、貴族街からの避難も概ね動き出した。

 彼らは繋がりのある上から話を流せば結構素早い。問題は残された()()だ。


「陛下」


 コンコン、と御者台からのノックがあってから声が掛かる。


「どうかした?」

「近衛の副団長が面会を求めています。難しければ手紙を受け取って欲しいと」


 ベイル=ランディバートには西部で『機獣』の封じ込めをしている学生から指揮を引き継ぐよう指示していた筈だ。

 時間的にもう合流している頃なのに、こんな所へ来たってことは、


「……入れていいよ。『剣』なら走って入ってこれるよね」


 足は止めない。

 移動中だけ話を聞こう。


 少しして、ノックも無しに扉が開き、貴族街の整った街並みが見えたかと思えば見慣れた顔がするりと入り込んできた。


「何?」

 問えば、形式を全て排した答えがくる。

 私も指示無視を咎めるより先に聞く方がいいと感じてる。

「独自行動の許可を頂きたいんです」

「理由は?」

「状況が更に悪化すると俺は思ってます」


 息を落とす。


「何をするつもり?」

「さて」


 お腹の中がずしりと重くなる。

 苛立ちや焦りとも違う。自分がずっと考えては脇に置いて来たことを、彼もまた感じているんだと分かったからだ。


「何人欲しい? そう多くは出せないよ」


 方針も定まっていないのなら、まずは独自の情報収集をするつもりだ。

 この混乱の中でそう有能な人物は出せない。彼、ベイルだって惜しいくらいなのに。


 でもとりあえずの許可を取りにきたのは私への義理だとかご機嫌伺いじゃない。

 近衛兵団はとにかく、実用本位だ。

 本当に必要で、無駄だと思えば勝手に動く。後の処分まで含めてやるから更に性質が悪い。放っておけば明日にはベイルの姿が消えているのか、それとも別の誰かを身代わりに立てるのかだ。


「陛下は話が早くて助かります」

「私には手綱を操りきれないから投げてるだけだよ」

「ご謙遜ですよ。実際前よりやれる範囲が広がって助かってるんですから」


 言われた人員の移動許可を簡単に(したた)めて渡す。

 きっと引き抜きだのなんだと揉めるより、私の所で手早く話を纏めた方が早いっていうのもあるんだろうね。


「学園地下へ通じる坑道から出た『機獣』は『槍』の魔術を使うって話だよね」

「えぇ、そしてウィンダーベル家の屋敷は『角笛』だかなんだかの魔術光で覆われている」


 『槍』と『弓』だ。


「ベイルは今日がティア=ヴィクトールの限界だったと思う?」


 ハイリアが彼女から聞かされたという、セイラムの再臨に伴う四柱の出現。

 歴史上の優れた術者を聖女が召還し、そこを基点として大量の眷属が溢れ出す。

 不完全な封印である以上、遠からず綻んで戦いは避けられなくなる。放置すれば一人の狂った女にとっての気持ち良い世界へ塗り替えられてしまうんだとか。


 聖女セイラムは運命神ジル=ド=レイルの加護を受けて世の運命を操っているとされてきた。

 でも実際にはとても不完全な状態で、魔術という形でしか干渉が出来なかったんだそうだ。


「俺にはさっぱりですね。前団長からはぶん殴れないものは相手にするなと教わりましたし、聖女はともかく神様って殴れるんですか?」


 微妙な所だ。

 少なくとも一国の王としては神様だからって国の支配を譲り渡したりなんて出来ない。

 運命が触れるかと言われると首を傾げたくなるのは事実だけどね。


「けど一つだと思えば二つ目が。となれば三つ目と四つ目が重なることも想定しておいた方がいいでしょう」

「だけど余裕がない」

「えぇ、ですから少数で別行動を取りつつ外から援護をしますよ。それなら何も起きなかったとしても影響は最小限です」

「起きた場合、アナタたちが最も危険だとしても?」


 ベイルは笑って受けた。


「危険は友です。武器なんて握ってると日常的に挨拶されますよ」


 そろそろ次の目的地だ。

 話すべきことは話した。

 止めても勝手にやってしまう、その場合、彼は確実に罪を背負い、私の前からは居なくなる。


 近衛兵団。


 この使い手の意思さえ無視して迅速に動き回り、一級品の成果()()を差し出してくる集団をどうしていくべきか。


「ハイリアの仲間の……ジン=コーリアには、貴方たちを、扱えると思う?」


 御しきれるかと聞こうとして、それは違うのだと思う。

 最初から制御出来る人たちじゃない。

 彼が本隊の指揮に着いたから、ベイルは別行動を取ろうとしているんじゃないの?


 彼からの返事は私の問いかけを無視したもので、


「この国の王はハイリアではありませんよ」


 私は顔が熱くなるのを感じながら大声をあげた。


「そ、そんなこと知ってるし!!」

「結婚して玉座を譲るってんならそれでも構いませんけどねぇ」

「あっち行けっ、このお、馬鹿っ!!」


 ゲシゲシ蹴って馬鹿を馬車から追い出した。

 勘違いしてる人も居るけど、私は本当に懸想なんてしてない。

 違う意味が含まれていることに気付きながら、それでも頭がそちらへ流れてしまうのは、恋と愛だとかじゃなくて。


「……兄さんが増えたみたいに思ってるだけだもん」


 とりあえず落ち着こう。

 ほら、目的地まで後僅かだ。


    ※   ※   ※


   シンシア=オーケンシエル


 椅子へ腰掛けて荒い息を落ち着ける。

 心臓の音があれほど聞こえていたのに、今ではどこか遠く感じてしまう。


 室内は荒らされていない。

 ただ、焦げ臭さが残っていた。

 燃えているものなど何一つ無いというのにおかしなことだ。


「ふふ……」


 客人が来たらしい。

 ここの階段は随分と軋むから、子どもがどれだけ慎重に登ってきても分かってしまう。


 なのにさっきのは不意打ちだった。


 ノックされる。


「入ってくれ」


 少し隙間風の混じった声。

 通りの良さが自慢だったのに困ったことだ。


 待っていると、厳しい男たちが駆け込んできて私の背後を取る。

 四人。外には二人。なら家の周辺は十人かな。


 客人はそれらを見届けてから入ってこようとしたけど、まず室内に漂う異臭を察して眉を寄せた。

 目配せしたのが分かる。


「ちょっとしたボヤ騒ぎだ。気にしないでいい」

「今にも死にそうな顔で言われると困るんだけど」


 ホルノス国王ルリカ=フェルノーブル=クレインハルトは私を見て、本当に困った顔をしている。


「本当はお茶の一つも出す所だろうけど、少し体調が悪いので無作法は許して貰いたい」

「その方が私も助かるからいいよ」


 本当は取って置きの茶葉を用意していたのに、血に濡れてしまったので使い物にならないんだ。


 王は、男の一人が用意した椅子へ腰掛けた。

 玉座と呼ぶには粗末だが、幼いながらも覚悟の見える風貌だな。


「貴方はこの異変が起きることを知っていたの?」


 前口上も無く、王は問いを投げた。


「私が最後に回った貴族から、貴方からの招待状を受け取った。『機獣』の出現が無ければしばらく会う予定の無かった相手。知っていなければ預ける筈がない」

「それには否と答えよう、幼き王よ。私は知っていたのではない。そうなるよう整えたというのが正しいな」

「今のが『機獣』出現に関与したという自供なら尋問の容易をさせるけど?」


 尋問ではなく拷問だろう。

 お偉方のやり口には慣れているが、今拷問なんてされたら危うく死んでしまいそうだ。


「話す前に立場を表明しておいた方がいいだろうね。私は貴方たちに敵対するつもりはない。むしろ期待している。興味があると言い換えても良い」


 容易く信じては貰えないだろうけど。

 ただ今は状況を先に進めたい。

 伸びすぎた脚本を切るなんていつもの事だ。


「私には半分、フーリア人の血が混じっている」


 効果は抜群だった。


「だから、少なくとも貴方たちの進める奴隷解放には賛成だ。死んだ両親と、兄の命に報いることも出来るだろう」

「胡乱なことをしていた癖に、ここで距離を詰めて来たのは何故?」

「場が切り替わったからだよ。それにここは幕間だ。舞台装置同士の話し合いなら私の信条ともそう違わない」


 王はそっと息を付き、思索の間を取った。


 本当に、賢い子だ。

 同じ年齢の時、私は兄にべったりで、世の中の屈託を気にも留めていなかった。


 つっかえる胸の内に何とか空気を入れ、抜くと少し楽になる。


「確認の問答は後回しにする。貴方は私に何を求めてるの」

「これを……」


 椅子へ立て掛けていた刀へ手を伸ばすと、流石に周囲の男たちが反応してくる。

 私は触れようとしていた手を戻し、傍らの者へ取るよう促した。

 罠を警戒しているんだろう、じっくり観察してから手を伸ばしてくる。実に有能だ。直接は触れずに布を挟むのは、きっと毒への対策だな。護衛の本職の行動は実に興味深い。もっと警戒させて行動を観察してみたいが、話が進まなくなるのは私も困る。実に残念だ。


「今抜くのは止めてくれ、どうズレるか分かったものじゃない」


 中身を確認しようとしたからつい強い声が出る。


 だからじゃないだろうけど、結局王の元へは渡らず、兵が部屋の外へと持ち出していった。

 布越しでも毒の感染はあるだろうから、直接物のやりとりはしないという所か。


 一先ずの好奇心を満たしつつ、こちらを見ている王へ笑みを見せる。


「銘を夜立(よだち)という。私の兄の遺品……というよりは遺骸だ。丁重に扱って欲しい」

「あれをどうしろと?」

 とりあえずの疑問を呑み込んで、必要な情報だけを尋ねてくる。

 風情には欠けるが口上を唱えているほどの余裕はないからありがたい。生憎と余裕がなくとも好奇心は騒いでしまうのだが。

「ハイリアに渡して欲しい。まあ、ジーク=ノートンでも構わないんだが、そっちは遠回りになりそうだ」


 これで一応のやるべきことは終えた。

 万一二人へ届かなかったとしても、彼女の元にあるなら有効活用されるだろう。


 彼女が本当に実用一辺倒の人間であればこれで席を立ってもおかしくなかった。

 私は要注意人物だ、拘束され、どこかに閉じ込められても仕方ない。


 だけど彼女は、あるいは予想通りの言葉を投げてきた。


「施療士を手配させる。まずは治療を受けて」


「いいや。()()()()


「病?」


 男の一人が伝染を警戒したのか周囲を探る。違うよ。


「以前の名残りだ。生憎と隣の世界で私は死んでしまってね、なんとか逃げ込んで来たものの、傷が尾を引いているんだ。だから生憎と治療の手段はない」


 右手を掲げると、冷静な顔を続けていた王が息を呑んだ。

 私の手はもう、筆を持てる状態ではなかった。

 念入りに踏んでくれたおかげでこの先治るかどうかも怪しい。


 しかし、流石に思索の徒であっても原因にまでは考えが及ばないらしい。

 丁度いい。説明は必要だった。昔から兄さんにも、お前は慌てると説明を忘れると言われていたな。


「先の刀は兄の遺した最高傑作でね。真銘は世界を断つと書いて世断(よだち)、抜き放つことで結果の出た物語を再抽選する。範囲は狭く、使用者にも結果を選ぶことは出来ない。あぁ、移動というよりは引き寄せるに近いかな。雑な再配置の結果、影響を受けた者には記憶が残るし、傷が消えても負担は消えない。何度か試したが大きく変化した世界へ渡ることは出来なかったがね」


「フーリア人の使う錬鉄の技術だね」


 察しが良くて助かるな。


「君たち……これは一般的なフーリア人も含めてだが、皆が思っているより応用の幅は広いんだよ。彼が魔術を発展させているようにね。しかし人間歴史や経験には弱いものだ。そういうものだと一度思い込めば中々枠を取り外せない。セイラムや巫女の使う魔術の根源が繋ぐことであるなら、これは断つことを根源とした技術だ」


「結び付ける力と、切り離す力……」


 これだけ話せば十分か。

 大きく息を吸い、身体の力を抜いていく。


 勇者を導く魔法使いは、知らぬ間に幕間へ消えていくものだ。

 受け継ぐべきものは伝えた。不完全であっても、彼女なら上手くやってくれるだろう。


 だけど彼女は、あるいは予想通りに、私へ踏み込んできた。


「私は貴方の代わりをするつもりはない。やりたいことがあるなら、自分でやりなさい」

「生憎と難しい。本来なら私はもう死んでいる筈だったんだ。この対面は幻のようなものだよ」


 王が男へ何かの指示を出す。

 何かと思えば、夜立(よだち)を持ってこさせたらしい。


 それを両手で持ち、柄へ手を掛けた。


 何故だろう、幼いと思っていたのに、彼女の手はしっかりと刀を握りこんでいる。


「細かい理屈は分からないけど、この刀を抜けば既に起きた結果を覆すことが出来るんだね。例え一時的であっても死者が蘇るほどの結果を生むのなら、貴方に取り付いた死を祓うことだって出来る筈」


 それは難しいのだと、言おうとした。

 なのに少女は私を見て挑戦的に笑って見せた。


「舐めないでよ劇作家。私は勇者を導く為の舞台装置じゃない」


 そして、


「貴方もそう。第一、舞台にも上がらない内から諦めるなんて、観客を醒めさせないでよ」


    ※   ※   ※


   ルリカ=フェルノーブル=クレインハルト


 刀を手にした時、いつかハイリアの口にした言葉を思い出した。

 私が持っているのは人を殺す為の道具。

 仮に誰かを守ろうと打たれたものであっても、武器は何かを傷付け、常に失わせる。


 重たい。

 しっかり握っていないと手からこぼれ落ちてしまいそうだった。


 そして思うのは、王もまた国という存在にとっての武器なのだろうということだ。


「……今の貴方には無理だ」


 シンシアの言葉に頷く。


「正しい使い方を知っているのなら教えて」

 沈黙があった。

 あまり長くは待てない。

 逡巡で時間切れなんてつまらない。

「私になら使えるんでしょう?」

「そうだ」


 なら、思い浮かぶこともある。

 ハイリアか、ジーク=ノートンに渡せと彼女は言ったけど、この状況で本来接触が容易なのは私よりも二人の方だよ。整えたのだとしても、何らかの主義があるのだとしても、私を中継させる意味がある。彼女と私の共通点、舞台装置と言われた、物語を動かす為の動機や転機を生み出す存在、そして、刀の持つ力は結果の再抽選で、彼女は劇作家だ。

 私は誰だ。私はホルノスの王、だけど違う、本当は塔の薄闇の中で本を読み漁り、思索に耽るだけの日々を送ってきた。

 本? 共通するのは本だ。彼女は作り手で、私は読み手。ううん、文字情報を記すに当たって作り手は想像し、読み手もまた想像する。


 想像。


 再抽選。


 予測できないものを、予測可能にする。


 起こり得る結果の一つを想像、ううん、それは既に在るものだから、本質は想像じゃない。


 なら何? 大海に沈んだ無数の可能性を探し出すような、灰に埋まった何かを……払って、時に削って、掘り起こす。

 見出せば、そこに結果は存在する。迂闊に力を込めれば容易く崩れてしまうような、とても繊細なものを、発掘作業のように……。


 シンシアを見た。

 彼女は信じられないものを見るように、あるいは納得するように、私を見ていた。


 誰かのような、諦めを知る顔で。


 だから分かった。

 同時に、ぶん殴ってやらなくちゃ気がすまなくなった。


 悲劇を描く劇作家へ向けて、答え合わせを。


「どちらでもあり、どちらでもないものを、確たるものとして断ち、形作る。その形が鮮明であるほどに、形の理由が確かであるほどに、この刀は力を発揮する」


「そうだ」


「貴方はいつの間にか、幸福を信じることが出来なくなったんだね」


「そうだ」


「だから私に託して、奇跡のような何かを起こしてくれと、ここに招いた」


「……そうだ」


 必要なのは望む心、衝動だ。

 この力を使うのにはそれだけでいい。

 魔術を使うように、願い、望み、訴える。

 根が同じものである以上、使い方にそこまで差異はない。

 柄を握ったら分かった。きっと、刀を打った人は持ち手をそっと導こうとしていたんだって。

 だから使い方を刀自身が教えてくれる。


 やろう。


 そんな顔をしている人は誰だって許さない。


 そして諦めるように息を落とした劇作家が、せめてもの差し出口を挟んでくる。

 まるで勇者を導く魔法使いのように。


「気を付けろ。下手をすると折角封じたヴィレイ=クレアラインが、また湧き出してくるかもしれん」


 そうか、と納得する。


「彼は獄中で狂い死にしたと聞いたよ」

「あぁ、だから――」


 『槍』と、『弓』と、『盾』。

 あと一つ。


「安心して」


 武器を握る。

 鞘から抜き放つ。


「私はバッドエンドより、ハッピーエンドの方が好きなんだよ」


 そうして、世界は移り行く。


 叶うのなら、幸福へ向けて。


    ※   ※   ※


   アベル=ハイド


 ジェシカ様の指示に従って職人街へやってきたけど、どうにも人気がない。

 ここまでの道中もそうだ。学園付近は日中静かになるものとはいえ、職人街は仕事で忙しい。荷の運び入れだとか、発注を受けたりだとか、市場ほどじゃないにせよ人の行き交いはある筈なのに。


「ここだ」


 僕たちが連れてこられたのは、職人街でも一際大きな工房だった。

 まだ炉に火が入ったままなのに、やっぱり人の気配が無かった。


「ん、ここだったかな。いや、ここだな」


 少々不安になる事を溢すジェシカ様、たしかにウィンダーベル家の紋章が飾ってあるから合ってると思いますよ。


「ほらサイ、ここなら作れるだろう?」

「――――」


 フーリア人の鍛冶職人、サイ=コルシアスさんは彼らの言葉で返事をした。

 僕も勉強不足で意味ははっきりと分からないけど、ジェシカ様はお構いなしだ。


「ウチの造船所の方がデカいなっ!! 勝った!!」

「おっす」


 流石に規模で競うのは違う気がするけど言わないでおいた。

 一緒に来たベンズさんもペロスさんもグランツさんも、普段見ることの無い職人の現場に興味深々だ。


「とあっ」


 そして何故かペロスさんは壁際の棚へ飛び乗ってきょろきょろし始める。


「誰もいないよー」


 どうやら高い所から周囲を探ろうとしたらしい。大した遮蔽物も無いので明らかに登る必要は無かったけど、それは彼女なりの作法なんだと思うことにした。人それぞれに考えはある、やりやすい方法があるというのを忘れてはいけない。


「居ないなら一々話を通さないでいいから丁度良いじゃないか、気にするな」

「おっす」

「はぁーい!」


 あまりにも豪快な考えにどうすればいいのか分からなくなってきた。

 本当に良いんだろうか。

 戻ってきた職人さんに怒鳴られたりしないだろうか。

 ジェシカ様はともかく僕やグランツさんみたいな一般人だと弁償しろと迫られたら本気で困る。


「アベルしんぱいしょー?」

「あ、いいえ……」


 飛び降りてきたペロスさんが腰を曲げて下から覗き込んでくる。

 彼女はじっと僕を見て、かと思えば唐突に破顔した。


「にへへ」

「はい……」


 なにが、はい、なんだろうか。


「大丈夫だよ。怒られたら私とジェシカ姉さんでドカーンッてやっちゃうから!」

「いえ、それは絶対やらない方がいいと思うんですけど……」

「おっす」


 いつのまにかグランツさんが隣に居た。

 相変わらず言葉は通じないけど、何故か分かったような顔で肩をぽんぽんと叩かれた。


「おっす」

「おっすおっす!!」


 くるっ、と二人してこっちを見る。


「お、お……ぉ、っす…………」


 左右からぽんぽんと叩かれた。


 駄目だ、誰も細かいことを気にしないせいか僕だけおかしいみたいになってきてる。大体ウィンダーベル家のジェシカ様が居るんだから何があっても大丈夫だよ。流石にお家の細かい所までは分からないけど、お嬢様とその連れ相手に怒鳴り散らしたりなんてしない筈だ。とりあえず何かあったら逃げ遅れないようにだけ気をつけて、どうせ誰も居ないんだからでーんと座っておけばいい。


「おいおい見ろよすっげーぜ! この椅子腰掛けるとバインバインに跳ねるんだよ!!」


 すると作業場を見て回っていたベンズさんが見慣れない椅子を掲げながら走ってきた。

 奥でサイさんとジェシカ様が話を続ける中、僕らはその不思議な椅子を検分した。


「どーん!! ………………どーん!! ………………どーん!!」


 ちなみに沈黙の間ペロスさんは跳ねる椅子の上で上下に揺られていた。


「おっす」


 グランツさんは構造が気になるらしく、腰掛けはしないけど手のひらで何度か押したりしながら座面の下にある螺旋状の金属具を観察していた。どうにもこの金属具が上からの力を受け止めつつ縮んで、上手い具合に押し返してくれるらしい。

 すごい、新技術だ。と、同時にちょっと青褪めた。


 新技術の開発は物凄くお金が掛かる。

 記された書物だけで数代を遊んで暮らせるほどものだと聞いたことがあった。

 相手は天下のウィンダーベル家だ、僕の知らなかった技術が存在しても不思議じゃない。

 何より貴族であるベンズさんやペロスさんが初めて見る様子なのと、同じくグランツさんがそうだからフーリア人側からの技術でもないのが分かる。


 こ、この事を知ってしまった僕は一体どうなるんだろう……ッ。

 下手をすれば暗殺、いや、どこかに閉じ込められて生涯奴隷みたいにされたりして……。


「すわらないの?」

「えっ!?」

「ていーっ」


 ペロスさんに押されて椅子の上へ尻餅をつく。

 なのに、座面は勢いをぎゅっと受け止めて、それからやんわりと押し返してきた。

 多分、あの螺旋構造だと察する。グランツさんが確かめている時、金属具は常に元の形へ戻ろうとしていた。上に乗ったモノの重さと、こうして戻ろうとする力が均衡した所で安定して、だけど板のように固定はされていないからこんなにもやんわりとした感触を与えてくれるんだ。


 すごいっ。


 こんな技術が世の中にあるなんて!


 真っ直ぐな棒状だとこうはならない。あの螺旋構造があるから、そして多分だけど金属としての固さと柔らかさ兼ね備えた特殊な合金だからこそ実現しているのかもしれない。この金属具一つどこかへ持ち込むだけで爵位だって買えるかもしれない。


「きにいった?」

「え?! あ、はいっ……なんというか、すごいなって」

「だねーっ」

「おっす」

「すげえだろ!? すげえだろっ!?」


 持って来たベンズさんが得意気に言って他にも無いかと探しに動いた時だ。


 表の方から足音がした。いや、もう既に居る。


 あれ、と思った時にはその人は工房内へ踏み込んできていて、新技術の結晶である椅子へ腰掛けたままの僕の目には思わず涙が浮かんできた。

 明らかに只者じゃない足取り。背丈がとても高いけど肩幅が妙に狭い。彼が職人でないことは確かだ。なら何か? それは当然技術を盗み出そうとした人間へ差し向けられた刺客。つまり、


「どっ、どうか命だけはお助けをおおおおっ」


「ははーっ」

「おたすけをーっ」

「おっす」


 跪く僕に習って三人が同じようにしたけど、グランツさんのおっすは絶対場に合ってない。


「お前たち何をやってるんだ」


 あぁ救いの女神がっ。

 騒ぎすぎたのだろう、ジェシカ様がこちらへ歩いてきた。


「刺客です! ウィンダーベル家が新技術を盗み出そうとした僕らを狙って刺客を差し向けてきました!?」

「ほう」


 ジェシカ様の目が光る。

 自分でもおかしなことを言っている気がしているけど、きっと彼女は一目でこの刺客が只者じゃないのが分かったんだろう。

 品の良い仕立てのローブに身を包み、顔はフードで良く見えない。影が濃いのは表が明るいせいだろうか。

 そして歩くときに裾を靡かせもしないのはどういう理屈か分からない。


 なのにジェシカ様はすぐに興味を失った。


「何の用だ」


「道を尋ねに。というより、人を捜しています」


 掠れた声だ。

 かなり年齢を重ねている。


「ここならウィンダーベル家の関係者がいらっしゃるでしょうと……かつてのお屋敷は荒れ果てたままでしたので、どこを捜したものやらと」

「誰を捜している」


 彼は、深淵の底から響くような声で答えた。



「ハイリア=ロード=ウィンダーベル」



 拙いと思った。

 きっと会わせてはいけない。

 深い事情があるとしても、明らかに好意的なものじゃない。


 今のハイリア様は酷く追い詰められている。

 多分、こんな人と会うのは良くない。


 ジェシカ様へ警告を、って下手な言い方をすれば知ってるのがバレてしまう、いやそれ以上にベンズさんとかペロスさんがポロリと溢してしまわないか。僕が一人であたふたしていると、左右から肩をぽんぽんと叩かれた。


「お前が一番駄目だな」

「おっす」

「ぐぅの音も出ません……」


 相手の目がこちらへ向いたような気がして必死に目を逸らす。

 駄目だ、本当に僕が原因で知っているのがバレそうだ。


「ハイリアは療養中でデュッセンドルフを離れている。日を改めるんだな」


 するとジェシカ様が嘘にならない範囲で誤魔化した。

 こういうことをあまりしない印象だったのに、慣れた雰囲気がある。


「ほう、お怪我か、あるいは病でしょうか」

「アイツは年中病気みたいなものだ」

「はは……確かに」


 やけに理解の色が濃くて困惑する。


 誰だろう、この人は。


 ハイリア様と決して浅くは無い関係を持っている。

 だけど、絶対に友好的ではない相手。


「会いたいなら次は私の屋敷を訪ねて来い、引き合わせてやろう。屋敷の場所は――」


 あっさり教えてしまうけど良いのかな。

 いや、教えておけば動きを予測し易い。

 好き勝手に動き回られるより対処が出来るようになる。


「私はジェシカ=ウィンダーベル。ハイリアの従兄妹だ」

「ほう、それで……」

「貴様は?」

「おっと、これは失礼を」


 彼は首を振ってフードを払った。

 顔を見て、ようやく相手の名に気付く。


 ジェシカ様が興味を失った理由も分かった。


 何故ならこの人には両腕が無い。

 戦士として、好敵手を求める彼女には価値が薄い。



「ジャック=ピエールと申します。どうか、お見知り置きを」



 内乱の終局で、ホルノスの英雄と呼ばれるハイリア様と決闘の末に敗北した、虐殺神父の名を告げて、幽鬼のよう彼は去っていった。

 姿が消え去ってしばらく、誰も身動きが出来ないまま。


 やがてジェシカ様が息を落とし、


「手伝え。前にハイリアが得物を作らせた時の材料が残っていたから十分に足りるそうだ」


 尚も動けなかった僕らに彼女は両手を打って全員の額を小突いていった。


「アレには何も出来ん。先を見ていない者は簡単に転ぶからな。残り雪のように溶けて消えるのが精々だ」


 なんとか動き出した僕らだったけど、そう間を置かずまた動きを止めることとなった。

 街の中心部、そのどこかから、物凄く大きな気配が膨れ上がったからだ。


 揺れは、それから少しして止まった。


 忘れかけていた心配を思い出し、それでも誤魔化すように動く。

 何かが起きている。


 何が。


 僕らには止めようのない、何かが、起きているんだ。





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