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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第四章(下)

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   フロエ=ノル=アイラ


 子羊亭には書置きを残した。

 監視の人を残してもらったから、盗人に店のものを取られることはないと思う。

 私に用があるならウィンダーベル家の別邸へ、それだけ分かれば多分平気。


 ふらついて今にも倒れそうだったセレーネさんは絶対行くと言って聞かなかったし、彼女と延々ぎゃあぎゃあ罵り合ってるヨハンを止めるにはアンナさんが必要だ。

 しっかり休憩を取って、いざ行動し始めた時に監視とか護衛とかの人たちが安堵したように見えた。

 具体的な状況ははっきりしないけど、オラントさんに忠誠する人たちにとって、そこで変事が起きているのに私たちを見ているっていうのは辛い所だろうね。


 私もアリエスの事は気になってた。

 親友とか言ってた癖に顔も見せず、遠ざけられているのが分かったから強引に踏み込もうと思ったけど、もう姿を隠すことも出来ない私じゃあ見付かって止められてそこまで。力が弱まっていることもいつの間にか把握されてた。脅しも通用しない。ただ政務に忙しいってそれだけだ。


 出て行く前のジークに何か知らないか聞けば良かった。

 アイツなら何処かで気付いて調べてはいる筈だ。


 本当は私がセイラムを降ろすことへの話をする筈だった、その為にフーリア人の人たちにも来てもらっていたのに。


 けど今は状況が変わった。

 私たちが知っているのは奴隷狩りをしていたっていう『機獣』がどこからか溢れ出して、デュッセンドルフからの退避を視野に避難を進めているんだとか。

 問題の『機獣』は地下に居て、内乱以降発生している意識不明者を足がかりにして地上へ顔を出す、可能性があるって話だったと思う。塞がってる地面の中から出てくるってことは、穴を掘って出てくるのかな、なにか違う気もするけど。

 ちょっとごちゃごちゃしてて頭が纏まらない。ジークは簡単そうにしてたし、学園関係の人は皆して先とか周辺の話を交えていた。デュッセンドルフ魔術学園って戦いを学ぶ所だって聞いたけど、その差が大きいんだなと思った。細かい所はくりくり頭の子が色々と提案してた。私は理解するのを諦めて飲み物と簡単な食事を用意してたんだっけか。


 どの道私が大勢に混じって避難するのは都合が悪いみたいだし、かといってウィンダーベル家で変事が起きてるって聞いて黙っては居られない。


 変わったかな、なんて思うのは、今までの自分が受身ばっかりだったからだ。


 別に幸せになりたいとまでは思ってない。

 でも不幸に浸り続けるのだって疲れる。

 周りが楽しそうにしているのはいいけど混ざるのはちょっとしんどい。

 だったらフリをして、満足してもらえるのならそれでいいとも思ったのに。


 馬鹿二人が馬鹿をした。

 馬鹿をしようとしてる。


 人に幸せを強要しておきながら自分たちは死にますってどういうことかと思った。本気で腹が立った。ふん縛ってやっぱり私が器になるよと思ったけど、ティアの作ってくれた厳重な守りは私の意志一つじゃどうにもならなくて。

 自分の事ならどうでもいい。

 あの二人がこれ以上苦しまなくていいのなら誇って死ねる。

 だけどもう、身勝手に振舞えば誰かを苦しませるのが分かったよ。

 もしかしたらずっとこんな気持ちを味わってきたのかな。


 結局どちらかが苦しむなら、どうにもならないのなら、自分でいいやと思った。


 変えてくれたのは、リースだ。

 変えてくれたというか、八つ当たり先を見付けてくれたに近いけど。


 自分が幸せになるなんて想像が出来ないし、苦しいよ。

 だけど不幸になろうとしてる馬鹿を引っ叩いて、皆纏めて笑おうよって言うだけなら出来る。

 少し前と同じ。あの馬鹿二人を救い上げて、本当に幸せになってくれるのなら、私は嘘をつき通せる。

 アイツ等を救ったんだって誇りに思える。

 同じ輪に居なくちゃいけないのは疲れるけどさ。


 だけど、そう――いつか、偽りの笑みを浮かべている筈が、本当になっていくのかも知れないって、そんなことを一瞬でも考えた不覚を覚えてる。


「嘘ばっかり吐いて」


 アリエスからの手紙も、聞いていた話も、問題ないってばっかりだった。


「嘘は、その結果生まれるものの中で吐いた人と吐かれた人で、一緒になって笑えるものでなくちゃいけないんだそうだよ」


 ウィンダーベル家の別邸は聖域と化していた。

 薄く黄色に色付いた光の中、数え切れないほどの羽が舞い落ちていく。

 元々古いお屋敷らしく、教会にも似た様式のせいか、遠目には神様が降臨したって言われても納得できそうだ。

 同じく黄色い光を放つ獣たちが敷地内に溢れ、群れを成して寛いでいる。それだけなら奇跡みたいに綺麗な景色だったけど、


「なんなのコレ……!!」


 セレーネさんが口元を抑えて目を伏せた。


 仕方ない。捕食こそしていないけど、獣達の屯する庭で血みどろになった人たちが積みあがっているんだから。

 その一人、顔を伏せたままの人の手がほんの少し動く。


「生きてるのが結構居るな」

「助けなきゃ!?」

 身を乗り出したアンナさんをヨハンが抑え、怒鳴りつける。

「雑魚が勝手に動くな邪魔だ!!」


 だけど、と私も思った。

 あのままじゃ遠からず死んでしまう。

 花で綺麗だった庭が血に染まっていく。

 あんなに好きそうだったのに。

 きっとこの渦中の何かと戦おうとした人たちが、私たちの無力で失われてしまう。


「あれ、フロエさんとセレーネさんとアンナさん……とヨハン先輩?」


 どうするかと思案していた時、横合いから声が掛かった。

 くりくり頭の、栗色の髪のちっちゃな女の子は、私たちを見て少し思案して、すぐに頷いて半歩を引いた。


「こちらへ来て下さい。脱出に成功した人たちと、最低限動ける人たちとで集まって対策を立てています」


    ※   ※   ※


   クリスティーナ=フロウシア


 無数に舞い散る羽が敷地の塀、その直上となる位置へ達した瞬間、黄色の魔術光がごっそりと薄れて消えてしまう。

 そんなウィンダーベル家別邸の敷地に接する形で指揮所が仮設置されています。


 人員の殆どは邸内で働いていた人たちで、非戦闘要員が多いです。

 ただやっぱり優秀な人が多いのか、貴族街のだだっ広い道へあっという間にお洒落な休憩所を設置して、今は敷地内の地図をそれぞれの記憶を頼りに書き出している最中。


 新たに加わったフロエさん、ヨハン先輩、アンナさんにセレーネさん。

 そして私と、ウィルホードさん、セイラさん、先輩にオフィーリアさんが加わって戦力は十分。


 もう近衛兵団の作戦が始まって随分経つ。

 人手の足りない中でこれだけの人員をここに拘束するのは得策ではないと思うんだけど、状況がはっきりするまでは迂闊に人を削ると邸内を放棄するしかなくなるかもしれない。


「私たちは偶然みたいなもんだけど、くり子ちゃんらどうして? 意識不明者を掻き集めに行ったん、だったよね?」


 あの場には居なかったセレーネさんが最後はフロエさんに聞く形で質問してくる。

 ちょっと距離が近い。一緒に居た時点で驚いたんだけど、ただ会ってこっちへ来ただけでは無い雰囲気ですね。


「最初は施療院を中心に輸送を手伝っていくつもりだったんですけど、どうにも情報の欠落が気になりまして」


 お世話になってる教会の神父様とかその連絡会を利用して情報を流し、最近増えた自警団にも協力を呼びかけて、今はその人たちに輸送を進めてもらってる。

 自警団には学園卒業生や腕っ節のある人が組み込まれているから何かあっても対処が出来る。

 『機獣』が湧き出してきた時の対処をする上で場所の選定も終わった。多分、荒事が必要になるのはもうしばらく後だ。


「欠落って、また頭良さそうなことを」

「そういう訳ではないんですが」

 準決勝前の事もあるからちょっと気まずかったんですけど、なんだかセレーネさんはすっきりしたご様子。

 思っていたより気にしていないのか、距離感に関する何かと係わっているのか。

「で?」

「はい。事はもうデュッセンドルフ全体に及んでいますから、その状況になっても動きを見せない勢力があることに気付いて、それが静観をしているのとは違った、動けない種類のものだと思ったんです」

「あーうんそう」


 細かく尋ねられるかなと用意しておいたけど、セレーネさんは考えるのを放棄したみたいで良かった、話が進められる。


 私は脱出者の護衛をして応急処置を受けた人たちを見て、


「事が起きたのは三時間近くも前です。これは『機獣』発生の時刻とほぼ同じですが、今の所結論は出ていません」


 今ここに居るのは、たまたま外に近かった人か、戦いに加わることのない人たちだけ。

 アリエス様をはじめとしたウィンダーベル家のご当主オラント様やシルティア夫人の安否は完全に不明なまま。


「内部の事情を知る人たちはああして黄色い獣に襲われ、庭へ積み上げられています」

「全滅したか」

「ヨハンくんっ」

「妹さんの死体はあったのか」


 更に叱られるもヨハン先輩は相変わらず動じない。

 私もそこへ触れようとしていたからちょうど良いんですけどね。


「新しい人が運ばれてくるのを監視していましたが、あの中にお三方はいらっしゃいませんでした。やられたという証言もありません」


 中で仕留めた、あるいは抵抗できなくなった人をああして外へ運んで積み上げているのだろう事は分かるけど、なら運ばれてこないアリエス様たちはまだ戦っているのかと言われると楽観が過ぎるように思える。

 三時間だ。それだけの時間を戦い続けられるだろうか。出来たとして、庭に溢れている獣たちが減る様子が無いのは何故なのか。

 情報が少なすぎて判断が出来ない。

 あるのはただの予想だ。


「内部で何かが起きた。アリエス様やご夫婦を巻き込む形で発生した何かがあの獣たちを呼び出して人間を片っ端から排除し始めた。だけどお三方は獣とは別種の変事に巻き込まれて動けない。今考えられる中ではこれが納得しやすいですね」


「この上まだ何かあるってのか」


「死んでいるのなら同じように運ばれてきてもおかしくないですからね」


 皆が眉を寄せるけど事実だ。

 それに死んでいないからと言って無事とは限らない。


 ウィンダーベル家の動きには不透明な部分が多くて、ここしばらく普通に学園生活と訓練とかをしていた私たちじゃあなんとも言えないんですけどね。


「次に黄色の獣たちですけど、アレはナーシャさんの使っていた『角笛』の獣に酷似していますよね」


 黄色の魔術光を思えば思い浮かぶのはソレしかない。

 だけど『弓』の上位能力者がこれだけの長時間屋敷を占拠し続けているなら、何かしら要求か変化があっていい。

 今や屋敷の戦力は殆どが狩り出されているんだから占拠なんて危険なことを止めて逃げ出すのが最も適していると言えます。


 漫然とそこに在るだけの現象は、どこか人の意識が欠落しているようにも思えるんですよね。

 言うなれば、洪水とか嵐みたいな災害じみて感じる。


 私が屋敷を見上げるように目を向けると、釣られてか皆の目もそちらへ向く。


 少し前に見たのと同じ、敷地外へ出ようとした羽が消える瞬間を皆も見た筈だ。


「不可解なのは、魔術の範囲が綺麗に敷地内へ収まっていることもです。この敷地は円状なんかじゃありません。なら、塀に沿って限界距離があるなんてことはありえませんし、意図的に狭める理由もありません。第一限定しているのなら微調整に顔を出す筈です。けど未だに術者らしき存在が顔を出してない」


 最初は逃げ惑う人たちが見えたみたいだけど、もう随分と人の姿を見ていないそうです。


「ただコレについては庭師の方からそれらしい話がありました」


 この古い屋敷は去年ハイリア様たちが使っていた屋敷が駄目になったから急遽使えるよう手直しをしたものらしいのです。

 壁を塗り替え、彫刻を施し、家具を総入れ替えし。当然、塀も一度取り壊して作り直したと。そして壁を作るとき、当主様の指示を受けたらしい高位の人がずっと作業に付き添っていたんだそうです。


「その方が言うには、壁の中に長細い何かを塗りこんでいたという話です。今の状況から考えるに、フーリア人の方々が扱う魔術を斬る刀ではないかと」


 戦争をしているのだから、相手の兵士や拠点から物資の略奪は起きるもの。

 それ以外でもフィラントは刀剣類を美術品としても売り出していたから、ウィンダーベル家が買い集めていたとしても疑問ではありません。

 専門的な人が居た様子は無さそうですが、どれも一級品ばかりなら、微弱であってもそういう力があるのかも。あの壁一杯に塗りこんでいるのなら広がろうとする魔術を押さえ込む働きをしていると考えられる。


「だから獣たちは敷地から出て来れない。私たちが塀へ近寄っても反応はしないけど、内部へ指でも入れたら飛びついてきます。ですからこの先、何があっても壁の破壊だけは避けて下さい。元々が見様見真似で作ったものの可能性もある中、どこかが綻ぶだけで一気に溢れ出すかもしれません。同じく屋敷自体への破壊も極力避けましょう。壁を塗り替えたのなら同じ事をしている筈。均衡を崩してここから溢れさせれば、デュッセンドルフは二箇所から同時に無数の敵が湧き出す状態になり、致命的な状況になる怖れがあります」


 第一作戦と、その次への戦力は整ってきているけど、この条件をしっかり満たせるとなればかなり絞られてくる。

 生き残りの『槍』の術者はまず使えない。屋内で『弓』を投入するのは不意打ちの危険が増す。幸いにも相手が『角笛』と想定するなら、『剣』の術者で攻め込むのが一番だ。出来るなら『盾』をもう一人でも加えたかったけど……。


「最後に、この状況が発覚して情報を取り纏めているところへ伝わった時点で『機獣』への対処が始まっていた為、こちらへの増員はほぼ見込めません。移動中の部隊に別指令を与えて配置換えをすれば混乱を生むだけ。下手をすると『機獣』包囲すら破られることになるかも知れないんです」


 現状は停滞しているから、許されるのならこのまま放置しておきたい。

 だけど庭へ積み上げられている人にはまだ生存者が居て、ウィンダーベル家のご家族の安否がはっきりしない。


 私は居並ぶ人たちの表情を確認する。


 一部、あの場に居なかった人も居るけど、殆どの人は確かに感じ取った。


 失うことを怖れるハイリア様が、最愛の妹や両親を失ったらどうなるか……。


「静観は出来ません。ですから、段階的な救助を行うことにしました」


 ちょうど向こうの準備も整う頃です。


「まずは庭に積み上げられた人々を救助します。そして生存者から内部の情報を収集し、それを元に突入路を決定、アリエス様を始めとしたウィンダーベル家の人々を救出します」


 その為にはまず、囮が必要だった。

 失わせない為に、犠牲を覚悟しなければいけない。

 誰も死ななければいい。

 だけど、必ず死者は出る。

 知れず、握った手が震えていた。


 私に、ハイリア様ほどの覚悟があっただろうか。


    ※   ※   ※


 開始時間をしばらく遅らせて、幾らかの検証と準備を行った。

 『剣』の術者を欲している時にヨハン先輩とセレーネさんが来てくれたのは大きい。

 その上、フロエさんまで協力してくれるのなら大幅に時間の短縮が望めそうだった。


 検証は成功。合わせて訓練もして、動きは最適化出来た。成功率もまあまあ。

 問題なのはフロエさん側の気持ち次第だけど、今の所は呑み込んで黙って手伝ってくれる。


 検証中、試しに何度か囮を潜入させることもした。

 人が追加、どちらかと言えば魔術的な干渉で変化が起きることを警戒したけど、予想通り敷地内へ突入したと同時に群がってくることが分かった。屋敷が比較的高所にあることで高台から俯瞰出来ないのが辛い所だけど、時間の計測もして積みあがっている人数も概算だけど終わった。

 近くにあるお屋敷を勝手に拝借して、そこの塀を使っての突入訓練。

 配置に付く反復訓練、変化が起きた時の対処と配置転換の確認、やりたいことは山ほどあった。


 頭の中で組み上げた予行練習を塗り潰し、最低限の準備に留める。

 万全でありたいけど、時間を掛ければそれだけ死者が増える。

 こうしている間にも間に合わなくなった人が居るのかもしれない。

 だけどまず、今居る人たちが無事に作戦を終えられることが重要だ。

 『機獣』への対処で今後も混乱が続くと考えるなら、優先すべきなのは動ける人間。


 お腹の中がきゅうと締め付けられ、顔から血の気が引いているのが自分でも分かった。

 温かい気候なのに手足が冷たい。


 内乱でも同じくらい過酷な戦いを続けていたのに、それ以上に感じるのは、今ここで状況の主導権を握っているのが自分だからだ。


 あの時は蜂起した近衛兵団に北方領主たちが居た。

 教団への対処は自然と任されていたけど、軍の進退や今みたいなどこへ負担を掛けて、どこを切り捨てるかなんてことは任せっぱなしだったと思う。

 私たちは優先的に守られていた。相手取るのがあのピエール神父だったから常に危機感はあったけど、直接戦う以上の危険が無かったのは確かだ。


 私に出来るのは分析と、そこから導き出される作戦の立案。

骨子を固めていくのにはウィンダーベル家の生き残りの人に手伝ってもらった。


 全容を聞いた皆は、何も言わず受け入れてくれた。


 そして動き出す。


 まずは囮部隊の突入。

 七分ほどで敷地内の獣たちが集結していく。

 でも完全に集結するのを待てば、十二名しか居ない彼らは五百を越える獣に押し潰される。

 だから突入から四分後に救助部隊が突入する。敵の移動は七割程度の予定だ。たった一人の『盾』を囮に回したから、こっちには守りがない。突破や誘導じゃなくて防衛目標が居るだけに動きはかなり制限される。大幅に密度は減っているだろうけど、敵の排除がもたつけば飲み込まれる。


 進む時計を確認しながら、駆け出していった獣たちを見送る。

 通りに面した花畑は試合会場の四分の一もないくらい。前のお屋敷を知っているだけに、随分と狭いと感じる。


「まだか」

 腕組みしたヨハン先輩が言う。

「まだです」

「そうか」


 焦れるのも仕方ないですよね。


 私も今、目の前に死に掛けた人たちが積み上がっていて、庭に一匹の獣も見当たらない状態を見て、行くべきだと感じてしまう。

 でも半端な状態で突っ込めば引き返してきた獣たちに圧殺されてしまう。検証の何もかもが意味を持たなくなる。


「なあくりくり」


「はい」


「俺が隊長でいいのかよ」


 救助部隊の隊長にはヨハン先輩を指名した。周りも納得してる。


「はい。お任せします。副隊長にはウィルホードさんを付けていますから何かあれば相談を」

「あぁ」


 部隊はヨハン先輩を隊長に、ウィホードさんを副隊長、あとはオフィーリアさん、セイラさん。

 直接の救助を行うのはフロエさんで、護衛にアンナさんと、疲労の色濃いセレーネさんを付けた。


 あまり大人数は投入できない。速さが何よりも優先するから、全員が『剣』の術者とした。


「もうじきです」


 言って、皆が身構えた時、屋敷を挟んだ向こう側から爆音が聞こえてきました。

 先輩が早くもアレを使い始めたようです。

 数はあれから三つしか用意出来てません。

 続けてもう一つ。


 集結が思っていたより早い?


 なら、と思いかけた自分を諌める。

 予定を容易く崩さない。

 ここにメルトさんは居ない。

 即時の連絡が出来ない中、こちらが早めに動けば向こうの予定も狂う。

 『剣』を走らせても情報が往復するまでに四分は掛かる。もう、作戦が終了していなくちゃいけない時間だ。細かく計算して出した予定を信じろ。


 そして――


「時間ですっ、行って下さい!!」


 火の玉が六つ、中心に銀色の光を置いて駆け出した。


    ※   ※   ※


   ヨハン=クロスハイト


 くりくりの出した作戦は単純だ。

 俺たち四人は積み上がった死体だか死に損ないを越えて陣取る。

 それで護衛二人を左右に付けたフロエがあの山まで飛びついて、銀の腕で敷地外へ放り投げる、だそうだ。


 最初は包めた布団で試してたが、最後は人間使って練習もした。

 落下点には大量の布団を敷き詰めてある。貴族ってのは無駄に布団を持ってるもんだと感心するくらい、俺の頭まで積み上がったのを見て思った。とにかくぶん投げられてそこへ落ちる分にはそれほど痛みもないのがはっきりしたから、外さなければそれでいい。外しても待機してる『剣』が飛びついて最低限受け止める。

 走って運搬するより早いってのは分かるが、重傷者も居る中じゃ乱暴すぎる手だ。


 空っぽの庭を駆け抜けて、屋敷へ近付き過ぎない様にっていう忠告通り陣取った。

 得物が来るまで俺たちは暇だ。話だと、あーいつごろだったか、忘れた。多分もうじき来るんだろ。


 作戦なんてもんをちゃんと覚えようとしたのは俺にしちゃ珍しいことだ。


 それもこれも隊長なんぞに俺を指名するからだ。

 ジンはくりくりみたいに細かく言ってこないから楽だったが、本来ならこういうことを覚えていかなきゃ行けないんだろう。


 一人目が飛んだ。すぐに二人目だ。そして三人目とどんどん続く。

 手厚い保護に泣いて喜んでいるのか飛びながら悲鳴あげてやがるぞ。


 ま、仕方ねえさ。

 ドジったのはテメエだ。

 助けてもらえるだけでもお優し過ぎるくらいだろ。


 それでも重傷者は護衛の二人が運ぶことになってるから、アレで死体は増えない予定だ。


 フロエは黙々と作業を続ける。

 作業って感じだ。

 広く陣取っているからか、俺の位置からは顔がよく見えた。

 最初は参加するのも嫌がると思っていたから、ああして動いてるのは素直に感心する。

 人数は三十ちょっとだったか。早ければで五分終わるって話だったが、このままだと敵も来ないまんま終わらねえか?


 思っていると、不意に足元が揺れ始めた。

 囮が入った時の大移動でも感じた、それ以上の揺れだ。


「……やべえかもな」


 ウィルホードを見る。

 鉄甲杯でもくりくりのトコに居たアイツはこの揺れを感じているのか居ないのか、少し上を眺めるようにして待機を続けてる。


 手の中でサーベルを回した。指の感覚は悪くねぇ。だけど、尻の据わりが悪い。

 今までならこの揺れ感じた途端、どこだって飛び出してただろうな。

 けど結局それじゃあ名目だけの隊長で、指揮なんて何一つしちゃいない。

 ウチを動かしてたのはジンだ。

 っても試合には殆ど出なかったから、こんな感じ面白いんじゃないかっていう話があった位だ。


 どうすりゃいいのかさっぱりだった。

 何か起こる、やべえと思ってるけど、じゃあどうするんだよと頭の中で回る。


 とっとと飛び出しちまえば早い。

 ウィルホードはどうだよ、相変わらずか。


「ちっ」


 舌打ちが出る。


「あーオイ」


 呼びかけると、離れた位置に居たウィルホードが寄ってくる。


「どうかしましたか」

「揺れてんだろ」

「みたいですね」


 ですねじゃねえだろ。


「この場合は俺が出てっていいのか」

 聞くと野郎は首を傾げて、

「偵察なら他の人を行かせるべきでしょうが、どこを見ろと?」


 言われて自分でも首を傾げた。


「いや、わかんねえな……」


 そういえばそうだ。

 揺れの元が分かってねえのに駆け出してどうすんだよ。


 また舌打ちが出て、それからくりくりの顔が思い浮かぶ。


「あれだ、くりくりのトコ行ってどうするか聞いてみてくれ」

「分かりました」


 駆け出していくのを見送って大きく息をつく。


「まだ終わんねえのかよ……」


 多分、もう五分過ぎてんだろ。


    ※   ※   ※


   アンナ=タトリン


 私がするのは、意識があるなら手足を固く閉じておくように言う事。

 意識が無い人は簡単に紐で縛ってフロエちゃんに渡す。空中で手足が振り回されると骨折の危険があるからだそうだ。


 先んじて報告のあった優先して欲しい重傷者は、セレーネちゃんが背負って行ってくれた。

 偉い人らしい。聞き取りはくり子ちゃんに任せればいい。


「……大丈夫?」


 大きなため息が聞こえてきて、フロエちゃんに声を掛けると、彼女は青褪めたまま首を振る。


「ううん。やる」


 掴んだ人を銀の腕は何度か握りなおして、同じだけ躊躇ってから投げる。

 人が放り投げられる様っていうのは冗談じみていて最初は物珍しげにしていられたけど、私が思っていたよりずっと怖ろしい行為なんだってことにやっと気付いてきた。


 最初は正確に淡々と、練習どおりに進められた。

 だけど途中から軌道が上に膨らみ始めて、受け止める人たちが走り回るようになった。

 それだけじゃなく、


「あ、ウィルホードさんだ」


 走っていくのを見送って、こっちに向けて戻り始めたセレーネちゃんを見る。


「あっ……ッ!!」


 手すきになったはずのセレーネちゃんが足を止め、たった今フロエちゃんが放り投げた人を辛うじて受け止める。

 明らかに届いてない。大きく広げた布団へ入ることも減ってきた。練習の時は同じ距離を殆ど中心へ投げ込めていたのに。


 くり子ちゃんの話だと、この方法で時間が大幅に短縮出来るって話だった。

 だけどもう難しい。


 そりゃそうだよ。

 ちゃんと受身を取れる練習と違って、今は怪我人をそのまま放り投げてるんだから。

 それも耐えられそうにない人は私たちで交互に、最終的には前の四人が下がる時に一人ずつ抱えていく予定だった。

 思っていたより重症の人は少ない。無傷のまま気を失ってる人の方がずっと多い。だけど、実際にフロエちゃんと同じことをやれと言われたら、私だって怖気付く。


「フロエちゃん」


 背中に手を添える。


「……大丈夫」

「うん」

「大丈夫だから」

「うん。でも、こうしてるよ」


 邪魔かな、とも思ったけど、嫌がる素振りも無かったからそのまま続けた。

 昔、病気で咳が止まらなかった時にお母さんからこうしてもらった。

 何が変わった訳でも無かったけど、背中に誰かの意思を感じていると頭の中の辛さとか咳の苦しみから気が逸れた。


 それっぽっちの事しか出来ないけどね、私も一緒に居るんだよ。


「……ありがと」


 小さな呟きだったけど、ちゃんと聞き取ったよ。


「うん」


 そして、揺れが一層大きくなって、ずっと遠くから頬がひり付く何かが起きたんだと分かった。

 この存在の大きさは、眠っていた時に少しだけ感じた、聖女様に似ている。


    ※   ※   ※


   クリスティーナ=フロウシア


 予定時間はもう過ぎてる。

 だけど作戦が完了していない。


 やっぱり乱暴過ぎた。

 時間短縮に拘るあまり、実行するフロエさんの精神的負担を無視したせいだ。


 回収された負傷者は想定通り、大きな影響は見られない。

 軽傷の人を優先して投げ込んでもらうよう頼んであったし、意識があれば自力で魔術を使って負担を軽減も出来る。

 走って往復するより、大幅な短縮になる筈だった。

 最終的に重傷者は運搬するしかないにせよ、最悪七分ほどで終了すると。


 問題は続出した。


 狙いが定まらなくなって、受け止める『剣』の再配置にも時間を要した。

 意識の無い人が多く、それだけ躊躇する時間が増える。

 戻ってきたセレーネさんからは敵も来ないし全員で運べばどうかとも言われた。

 確かに黄色の獣たちはまだ顔を出していない。妙な揺れは大量に押し寄せてくる前兆かとも思ったけど、何かが起きたのは街の中心部からだと感じた。具体的な変化は見て取れないのに、自分の中にある魔術への繋がりが、形容し難い不安をそちらに向けているから。


「まずはここ。ここをしっかりやる」


 言って、自分を戒める。

 先んじて伝令を囮部隊へ走らせたから、獣たちが一気になだれ込んでくることは無い筈。


 そうこうしてる内にフロエさんの投擲がまた定まってきた。


 私は非戦闘員の聞きだした情報を取り纏め、紙に記していく。

 布団と一緒に出してきた机だ。やたらと銀細工の施された装飾の多いもので、後が怖いなぁなんて思いつつ黙々書く。野晒しだから文鎮は必須だ。そして時折作戦の進行を伺う。


 事前にどれだけ準備を重ねても、予定通りになんて行かない。


 突入して二分。獣たちの一部が戻ってくると予測していた時間だ。

 だけどもう五分を過ぎて、敵の姿も見当たらない。

 結果的に言えば全員で運搬していた方が良かった。

 計測に当てた時間も、負担も、無駄だったことになる。


 更に三分後、結局は獣たちが戻ってくる気配もないまま、救助は完了した。

 囮になった人たちは負傷者こそ居たけど、犠牲者は出なかった。


 小賢しい思考思索より早く動くべきだったんじゃないのかと、その報告を聞きながら頭の中でずっと考えていた。

 時間短縮の名目で乱暴な救助を行ったけど、私の指示は単に負担を増やしただけじゃないのか。


 そして、いつの間にか敷地内からは黄色の獣の姿が消えていた。


 ただ、聖域を思わせる黄色の輝きと、舞い散る羽だけが降り注ぎ続けている。





 坑道からあふれ出た『機獣』たちは誘導によって街の北西部から西部へ南進中。

 ウィンダーベル家の別邸は中心部に程近い場所にあります。

 デュッセンドルフは鉱山都市として発展してきましたから、街の基点は東部の鉱山に。ハイリアが住んでいた丘の北辺りが旧貴族街で、学園が出来てから西部へ開拓が進んで貴族街が移転しました。旧貴族街は当時の富豪らに払い下げられ、商会跡取り息子のウィルホードの家なんかはこの辺にあります。商会は老舗であるほど南部に多く、新興の商会や工場は自然と北部に建てられるようになってます。

 中心部には劇場や市場や食事処などが多く、民家もちらちら。この辺りには富裕層も多く、また学園絡みで多国籍な街並みになっています。


 一つの方法論が常に正解を出すとは限らない。

 というだけの問題ではないのが今回の肝。

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